25.6.17

The Wood Magician - Osvaldo Orellana, Wood Sculptor




幾多の困難に遭遇しながらも、天性の卓越した才能が花咲く時が訪れてよかったなと、この長いビデオを観た後に心が温かくなった。

技術も素晴らしいが、おそらく人としても素晴らしいに違いない。


Making A Giant Stake Maul To Fix My Canon Printer





ビデオを撮るのも編集するのも、もちろんこのジャイアント モールを作るのも、多分この人は一人でやっている。

とてもセンスのいい人だと私は思う。

ビデオグラファーを雇い、編集も全て任せ、"ファンシー"なプロモーション ビデオを作るようになってしまった雲の上のお師匠さんに比べて、この人はなんと生き生きとしているのだろうと、観ていて嬉しくなった。

粗野なように見えるかも知れないが、この人は実は非常に繊細な人なのだというのがよくわかる。


ちなみに、同居人Tは大手広告代理店でビデオ編集を担当しているのだが、映像を撮る専門のスタッフが全く使えないビデオを送ってよこすことがしばしばあり、撮り直し可能な状況であればまだいいのだが、不可能な場合は、自分では全く満足できない仕上がりのものを出さざるを得なく、非常にストレスが溜まると言っていた。

少し前には、NZの野鳥を保護するためのキャンペーン用ビデオを作ったらしいのだが、送られて来た映像に映っていたのは "普通の雀" だけで、そりゃ雀も野鳥に変わりはないのだが、キャンペーンで使うにはあまりにインパクトが無さ過ぎやしないか?しかも、雀は『害鳥』と認識している人も少なからず居るだろうし…と、疑問を投げかけ、また、出演者のトーク場面は、森の中なのに "メタルのバー チェア" は如何なものかと指摘したが、撮り直しすることなく、バーチェアの映像はそのまま使わざるを得なかったらしい。
時間をかければフェイクな映像を作ることももちろんできるのだが、時間もなければ予算も無いクライアントがそれでいいということで、実に不満足なビデオが公に流れることとなったというわけだ。(野鳥保護キャンペーンにフェイクな映像を使うというのも、信憑性が薄れるので、すべきではない)

コマーシャル ビデオ作りを本業としている企業であっても、魅力あるビデオを作るのは実はけっこう大変な事なのだ。

私は、この上のビデオを作った人のように、ほぼ電動工具類だけで作業するということはないが、物を作り出すことも、ビデオを作る事も、限られた状況の中でよく頑張っているなといつも思う。



23.6.17

珍しく作業をしていない週



ひたすら作品の写真を撮り、オークションに出品し続ける毎日…

けっこう面倒臭い。

作るのは好きだが、売るのはいつまで経っても好きになれないので、そんなことをしていると気持ちの上で疲れてしまう。



出品するのに送料を正確に出していない人もけっこう居るのだが、送料を割り出さないとクレジットカード決済できないシステムになっていたり、問い合わせが来たら一々対応しなくてはならなかったりで、それはそれでまた面倒だ。しかも、そんなに買う気は無いのに問い合わせだけしてくる人がけっこう多く、回答しないで放っておけば誠意が無いと思われ、誠意を持って回答すれば肩透かしを食らう羽目になるという、何ともやるせない状況に陥ることがしばしばだ。深く考えると必ずや人間不信になるので、深く考えないことだ。



ちょうど良いサイズの段ボール箱を探したり、落札者に余分な送料がかからないようにと、大き過ぎる箱はカットして小さくしたりする作業は、思ったよりも時間がかかり、更に面倒だなと感じてしまう。
ようやく梱包用の箱を用意できたと思ったら、部屋に積み上がった段ボール箱の山を見て溜息が出る。

この部屋、いつになったら片付くのだろう…




オークションへの出品作業をしていると、イグアスの滝見学ツアーに参加していた同居人Hから連絡が入った。

朝5時起きで、飛行機に乗って滝のある場所に行き、一日中歩き続け、帰りの飛行機を待っているところだと言うので、時計を見ると、現地時間の夜10時…
そんなに遅くまで滝周辺に居たのかと驚いた。
ホテルのあるブエノス アイレスまでは飛行機で2時間かかるらしく、今日もまた深夜まで出歩いてご苦労さんな事だと、私は話を聞いただけで旅行に行く気が完全に失せた。

ちなみに、一昨日のアルゼンチン タンゴ ショー&ディナーが終わったのは夜の12時近くだったようで、Hは「眠くて死にそうだった」とぼやいていた。

ラテンの国は総じてディナーの時間が遅いというのは聞いているが、ツアーでの催し物もそんなに遅い時間まで組まれているのだというのは想像だにしていなかった。

あと数日を無事に過ごし、ひったくりやケチャップ強盗の被害にも遭わず、元気で帰って来ますようにと、彼の人と亡き父に心の中で頼み続ける毎日である。


"サタンの支配する世"で お粗末な鉋の梱包を褒められる

オークションに出品した『とんでもなく質の悪いblock plane』を買ってくれた人がとても良いフィードバックを残してくれた。




これらは掲載した写真のほんの一部(4/20)

こんな物を買ってもらって申しわけないなと思いながらも、正直に最低なコンディションを写真付きで説明してあったので、罪悪感を抱かずに済んだのはまぁ良かったかな… などと心の中で思いながら、本体の汚れを落とし、軽くオイルを染み込ませた布で磨き、ブレードを研ぎ直し、それを丁寧に包装し、家にあった段ボール箱をつぶしてちょうど良い大きさの箱を新たに作り、中にはパッキンをしっかり詰めて…

と、そのように輸送中に破損しないよう細心の注意を払って送った甲斐があって、あのようなお粗末な鉋の取引でも、速攻で送ってくれて有り難うとか、見事な梱包だとかいう良い評価をしてもらえた。

ずっと以前書いていたブログに、『正直者が馬鹿をみない国』とNZを称したことがある。
日本は明らかに正直者が馬鹿をみる国だし、今 同居人Hが訪れている南米の国は、『スリ大国』と呼ぶに相応しいほど、自分の所有物と他人の所有物に対する認識が甚だしく欠如している輩の天国となっていることなどを考えると、NZがどんなに健全な国かがよくわかる。
もちろん、この国にもどうしようもなく無責任な連中も存在するし、他人に危害を加えることに罪悪感を抱かず、自分中心の考え方しかできないような、まるで"邪悪の塊"でできているかのような人も悲しいかな存在しているのは確かだが、そのような者とはかけ離れた"正義感の塊" のような人の数が驚くほど多いのも確かだ。

誠意が踏みにじられることが往往にしてある国、道徳心の欠如した国から来た移民達は、こぞって『平和な国』『民主主義が実践されている国』とNZを褒め讃え、かつて経験した悪夢のような生活から逃れられたことに感謝する。


「良い国に行ってよかったな」
父が死を目の前にして私に言った。

うん、すごく良い国だよ。
父さんに見せてあげたかったよ。

彼の人にも住まわせてあげたかった。
彼の人と、そして家族全員と、日本ではなく、『ここで』暮らしたかった。

心の底からそう思っても、そう願うことはできない。
『願う』という行為は、可能性がゼロでない場合にのみ許されているものなのだと、私達の誰もが知っている。

『全知全能の神にできないことはない』と、聖書を学んだ時に教えられたが、『できなくはないのにしないことがある』とは、その時には教えられなかった。

おそらく、『サタンの支配する "この世" で生き長らえることに希望を持つな』ということなんだろうなと、そう解釈するしか無いのだろう。


20.6.17

Lie-Nielsen Rabbet Block Plane

新品のツールを買うことなど滅多に無い私だが、これまでに買った中古の block plane のどれにも満足できず、良い物は無いのか?とここ2年ほど探し続け、最終的にすこぶる評判の良いLie-Nielsen のRabbet Block Planeを買うことに決めた。
私は細かい作業をするための、小ぶりな掌にすっぽりおさまるplane が欲しかったのだ。

Lie-Nielsen のRabbet Block Plane は中古で出ていたとしても新品に近い値段であることがほとんどなため、それだったら販売元から新品を購入した方が良さそうだと、オンラインで発売元に注文を入れ、待つこと1週間…



届いた鉋は小ぶりなのにずっしりと重たく、ブレードはStanley などと比べると遥かに厚く、底は確かに真っ平らで、立ち上がりの側面は素晴らしく直角だった。
同居人Tが「マット ブラックとゴールドの合わせがカッコイイ」と言っていたが、私の気になったのはやはりブレードの質だ。



「届いてすぐに使える状態になっている」と説明書に書いてあったので、取りあえず使ってみると、切れ味は悪くはなかったが、私が想像していたほど良くはなく、すぐに研ぎ直すことになった。危ないほどシャープに研ぐというのが作業をする上での鉄則だというのは、鑿や鉋を使って仕事をする人の常識だろうと思うのだが、やはり国によって(或は人によって)差があるのだろうなと思わずにはいられない。

どんなに良い刃であっても、これ以上できないというほど鋭く研いでなければ満足のいく仕事はできない。正真正銘真っ平らな面というのは、恐ろしいほどシャープな刃を着けた鉋でなければ作れないのだということを、一体どれだけの一般人が知っているのだろう…
鈍らになった刃でいくら一生懸命に鉋をかけても、絶対に真っ平らになることはないのだ。
 
研ぎ直した刃はより一層シャープになったが、残念なことに、(大金を出したのにも関わらず)昔の日本の刃物に匹敵するものではなかった。昔のドイツの刃物にも負けていると私は感じた。


刃物作りにおいて日本を凌ぐ国は無いだろうと、科学も進歩し、機械化も進み、情報量も信じられないほど多くなっている今の世においても確信できるのは、おそらく私だけではあるまい。


余談だが、このお高い鉋は、こともあろうに屋外の駐車場に置いてあった車の脇に "配達" されていた。
玄関のドアはそこから数歩しか離れていないというのに、信じられないほど横着な NZ Post Courier の配達員は、雨が降ったらずぶ濡れになってしまう屋外に荷物を放置して行ったのだ。落としてはいないという確証は無い。

車のバンパーに水滴が付いているのが見えるように、雨が降ったばかりの地面にそのまま置くというその無神経さと、仕事に対する責任感の無さに非常に腹立たしく、何故こんな人が仕事にありつけて、もっともっと真面目で誠実な人が仕事にありつけず困難な生活を強いられているのだと、強い憤りを感じてしまった一日だった。



16.6.17

偽 アスパラのベーコン巻き

salt + lemon pepper

salt + paprika 
(インドのスパイス店で買ったパプリカはかなり辛い)


夕食にこんがり焼いたチキン2種と、サラダと、あと何を作ろうか… と冷蔵庫を開けてみたら、インゲンがあった。

さっと茹でたインゲンをただベーコンで巻いて焼いただけじゃ美味しそうじゃないよな…  と思い、赤ピーマンとモッツァレラチーズを短冊に切って一緒に巻き、粗挽き胡椒を振りかけてグリルしてみた。

彩りも綺麗で、美味しかったが、案の定、同居人から、「アスパラが無かったから、同じような色のもので良しとしたでしょ」と笑われた。(写真を撮っている暇がなかった)

バレてた… 


料理によく使うチーズは、モッツァレラとHalloumi 、マイルドチーズのブロックで、常時冷蔵庫に入っている。
Brie、Marinated Fetaなど、クラッカーなどに乗せて食べるようなものも時々食べたくなって買うのだが、全部食べ切らないうちに飽きてしまい、賞味期限が切れてしまうことがほとんどだ。夕食時にワインを飲まなくなったため、おつまみ系の食べ物はよけいに出番が無くなっている。


毎日々違う料理を考え、実際料理に費やしている時間というのはけっこう長いので、週末はついつい手抜きしたくなってしまう私…

あぁ、やっと週末だ。



7.6.17

アトリエ整理中

Stanley No.55 Combination Plane とRecord No.3 Plane を買ったのはいいのだが、棚に収納するスペースが既に無くなっているため、未だワークベンチに置いたままだ。

どこに置こうかと部屋を見回しても、ステンドグラスの材料が部屋の半分を占めているため、何処にも置き場が無い…

仕方なく、ほとんど使うあての無い道具類を処分することに決め、昨日は(インターネットオークションで売るために)それらの写真を何十枚も撮っていた。

家に居て売ることができるのは楽なのだが、一々写真を撮って載せ、説明を書いていると結構な時間がかかってしまうのが難点だ。

道具類は探している人が多いのか、出品するとすぐにwatcher が付く。
果たして買い手がつくかどうかわからないが…

私にはどうしようもなくお粗末なものとしか思えない block plane も、ペーパーウェイトとして使う分には問題無いかもと思い、捨てずにオークションに出品してみた。
もちろん、説明には「クオリティは私の期待したものとはほど遠い」とか、「鋭く研いでおいたので使い始めは良く切れるだろうが、非常に早く鈍らになる」こととか、「見栄えが哀れなフロントノブはしっかり固定されていて、ぐらつきは無い」とか、「ボディの底とブレードの表面にあばたが数カ所付いている」など、正直に書いた上で、ダメージ部分が鮮明にわかる写真も含め、20枚もの写真を載せておいた。

『こんな物は買うな』とほのめかすような説明書きなのに、一日経って、watcher は6人になっていた。
オークションに出ている他の block plane を見たら、同等かおそらくもっと粗末だろうと思われる物にこれ以上の値段が付いていて、そちらの方が驚いた。おそらく、一度も使ったことのない人がただ売っているだけなのだろうと思うが、刃の質及び本体の素材に関しては何の記載も無く、木工初心者は深く考えもせずにそのようなものを購入してしまい、超切れ味の悪い鉋にさぞ苛立つことだろう。

欠点を正直に書いたら売れないだろうと誰しもが思うだろうが、売りたいがために欠点を知っていながら故意に言わないでおくという狡猾なやり方は、自分の価値を著しく落とすことに他ならないことを私は知っている。

block plane だけに留まらず、刃物/工具類を探している人が、金額だけ見て買うのではなく、『質』の重要性を少しでも考えるようになったら、悪どい商売をする人も減るかも知れない… 

いや、減らないな…

このお粗末な block plane を安く手に入れて、故意に但し書きを付けずに高く売ろうと企む輩もほぼ間違いなく存在するだろう。
そう考えて、私は $1 リザーブで出品するのを止めたのだ。(私はそのような不正直な人が何より嫌いだからだ)

私がつけた値段は、落札者が送料をプラスしても充分儲けが出ると目論まないギリギリの安値だ。単にペーパーウェイトとしての価格というところかな。



4.6.17

The Art of Cabinetmaking - James Krenov

特別家具には興味が無かった… 

木工を始めても、ブランド品とか有名人の作品に全く興味が無かった(今でも無い)ため、James Krenov という人についての知識も当然無かったわけだが、たまたま国内のインターネット オークションで The Fine Art of Cabinetmaking という中古本が目にとまり、手頃な値段だったので購入してみた。


まだ最初の数ページしか読んでいないが、家具を作る際の木目の取り方の参考例は非常に為になり、その木目の取り方でアーティスティックにもなり、またダサくもなってしまうのだというのがよくわかった。(ステンドグラスでも、一ピースずつしっかりガラスの模様の方向を考えて配置しなければ、全くまとまりの無い作品になってしまうというのと同じだ)

要するに、遠目で見た時に全体的に調和がとれているかどうかに重点を置く必要があるということだ。




本自体の質は、霧のかかったような白黒写真(全ての写真が不鮮明)とレイアウトに首を傾げたくなる部分がざっと見ただけでも何カ所かあったのを除けば、かなり面白い本であるように思うし、工具に対する考察/説明も興味深い。




また、彼のデザインはゴテゴテ飾り立てていないものが多く、とても好感が持てる。

ただ、安定感という面で見たらどうだろうと地震の国から来た私はどうしても考えてしまい、長く細い足の上に乗っかった箱がゆらゆらと揺れる光景を想像し、足を支える何かを作りたくなる衝動に駆られてしまう。

日本では、厳つい重量のある家具でさえも、地震の際転倒しないよう壁に金具で固定していた私だ。かつて彼の人が買って来てくれた有田の器とかガラス細工は、このような足下が見るからに不安定そうなキャビネットやテーブルには、とてもじゃないが怖くて収納したり置いたりできない。
では何を入れ、飾ることができるのだろう…



作ってみたいなと思うが、もし万が一倒れても壊れる心配の無い物で、特別この限られたスペースしかないキャビネットに入れておきたい物があったかなと、しばし考えてしまった。



2.6.17

仕事に対する誇り

昨日、久しぶりに歩いて急坂を下り、近くの公園に行った。

朝のうちは小雨が降ったりしていたが、昼過ぎには綺麗に晴れ、雲の動きをしばし楽しみながら、写真を撮ったりして屋外で過ごした。




夏の間その公園に苺を売りに来ている "友達" のバンも、青いテントももう無くなっており、それが寒々とした風景になお一層拍車をかけているように思えた。

公園に来ているお寿司屋さんはいつもとても良くしてくれる。
私が、今日は同居人の誕生日なので、お寿司を買いに来たのだと言うと、すぐさまパーティー用の寿司の詰め合わせを作り出してくれたので、いやいや、普通のパックで充分だと辞退したのだが、盛り沢山のお寿司をお祝いだと言って、料金も取らずにプレゼントしてくれたのだ。
しかも、帰り道、ひどい急坂を上っていくのはキツいだろうと、家まで車で送ってくれたりもし、申しわけない気持ちでいっぱいになってしまった。


夕食はお寿司と汁物を用意するだけで充分過ぎるほどだったので、夕方遅くまでアトリエで作業をすることができた。

作業と言っても、ほとんどの時間を部屋の片付けに費やしていたため、作ったのはイスラム模様の鍋敷き一つのみ。スクロールソーに油を注し、模様をカットすること2時間強。

カーブのある側面を飾り面取りするのに使うのは電動ルーター以外に無いものかと、いつも考えてしまう。ハンド ツールで同じように、かつ綺麗に仕上げられるものがきっとあるに違いないと思うのだが…

他の、板に鉋をかけ板厚を半分にしたものは、反りが出るため数日そのままにしておくことにした。
「木っていうのはね、切り倒した後でも生きてるんですよ」と言っていた江戸指物師の言葉を思い出した。
板厚を変えると、薄くなった板の切り口は即座に新しい環境に反応し、その水分量の変化は反りや歪みを生じさせる原因となる。
更に、気温/湿度の移り変わりに応じて、乾いた表面も変化を繰り返し続ける。

ガラスや布と違い、木は非常に扱い難い素材であることを、木工に携わる期間が長くなればなるほどより深く痛感することになるというわけだ。


私はまだ板の伸び縮みに対する知識が浅いため、無垢板で大きな物を作り提供することに自信が持てない。故に、売る物は『変化がほとんど無いと思われるもの』、或は『仮に変化があったとしても差支えなく使用できるだろう物』となってしまう。

せっかくお金を出して買ってくれるのに、すぐに使えなくなってしまったら申しわけないとの思いから、売る物については試作品をまず作り、実際に自分で使ってみて確かめるか、或はある程度の期間(数ヶ月)手元に置いて変化が無いか観るようにしているのだが、生活環境は各家で異なるため、残念ながら、それも100%保障できるものではない。


木製品を作り売るというのは本当に難しい。
けれども、購入してくれた人からの思いやりのあるメッセージが、ウンザリするような細かいサンディング作業を耐えさせてくれ、更に丁寧な作業をするようにと心を引き締めさせてもくれ、また、作業を続けさせてもくれるのだ。

'Absolutely beautifully crafted piece, would be something we will treasure. Many thanks!'


有り難いことだと、心から思う。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...