28.2.25

トラウマ

今現在でも、トイレに行く度に母の介護時のことを思い出す。

呼び出し音が鳴り、トイレに行きたいという母の言葉を聞いて、まずは掛け布団を捲り上げ、ベッドを 60 度ほどに起こすようリモコンで足の高さ及び上半身の高さを調整する。
脱げかけた靴下をしっかりと履かせ、身体を起こしても手摺に掴まらないと立てない母のために、直角よりも鋭角に手すりを出し、歩いて数歩のトイレのドアを開けに行った上で、歩行器を用意する。
歩行器に掴まった際にズルッと滑らないように、両手で支えながら、母がしっかり立ち上がれるかどうかを注視していなければならない。

歩行器に掴まってゆっくりゆっくり歩く母の身体に触れるか触れないかという位置に手を添えて、万が一転びそうになった際に、咄嗟に支えることができるよう、細心の注意を払いながら後をついて行く。(一度、トイレの入り口で滑って転びそうになった母の身体を支えたことがあったが、30 kg にも満たない身体であっても、崩れ落ちるのを支えるのは容易なことではなく、咄嗟に「あーっ!」と叫んだ私の声を聞いて駆けつけてくれた姉、姪、義兄に助けられて、ようやく母の身体を起き上がらせることができた時のことは、おそらく一生忘れないだろうと思えるほど、強烈に頭に焼き付いている)

また、特に朝一番のトイレタイムには、オムツから尿が漏れ出てしまっていたことの方が多く、母が便器に座っている間に代えのズボンやら履くタイプのオムツと当てるタイプのオムツを用意し、着ていたズボンやら靴下を脱がせ、とりあえず腰から下を除菌シートでくまなく拭き、用を足し終わるまで少なくとも 5 分、長い時には 10 分近く(或いはそれ以上)見守っていなければならなかった。

待っている間に、姉にベッドシートと掛け布団が濡れていないかの確認を頼み、濡れていた場合は姉が速攻で取り替えをしてくれていた。一人では絶対にスムーズに事は運ばない。

母は、長年使い続けてきたはずのシャワートイレの使い方を忘れてしまったかのように見えた。どのボタンを押せばいいのかよくわからない様子を見て、それまでも介助しなければならなくなってしまったのかと、正直驚いた。

用を足し終わると、オムツとズボンを履かせ、母が手を洗っている間に、トイレ脇によけておいた歩行器を掴むことができる位置まで持って行く。
そしてまた、母のすぐ後をついてベッドのある部屋まで移動させるのだ。

ベッド脇に付いている手すりに掴まってドスンと尻餅をつくようにベッドに座るしかできなかった母...

姉が綺麗にしておいてくれたベッドに座らせたら、今度は尿漏れで濡れてしまったトップス(下着もろとも)を脱がせ、温かく湿らせたタオルで身体を綺麗に拭き、着替えの服を着せる。母は、着ることも、脱ぐことも自分ではできなかった。

ベッドに座って服を着替えた母は、横になるのも一苦労で、そのままゴロンと横になると頭の位置がかなり下になってしまい、上に引き上げるという作業が付いて回った。
尾骶骨が飛び出すほどに痩せてしまっていた母は、寝ると骨が当たって痛いと言って、骨が当たらないような位置にしてくれるよう懇願してきたが、訪問介護士が飛び出した骨の部分にクッション素材を貼り付けてくれたりしても効果が無く、医療レンタル会社のスタッフに事情を説明し、3 度もベッドを交換してもらったりもしたが、それでも改善せず、私たちも周りにクッションをかませたり、身体の向きを変えたりを試してみたが、あまり効果があったとは思えなかった。

母をとりあえず寝かせたら、トイレの便座やら床やらを拭きに行くのは私の仕事で、濡れた服やらベッドシートを洗面所に持って行き、洗濯前に水で軽く洗ってから洗濯機にかけるのは、主に姉の仕事だった。

姉が洗濯に取り掛かっている間に、私は次の仕事... 痰の吸引をしなくてはならなかった。
吸引機に取り付けるノズルは消毒液(赤ちゃんの哺乳瓶を消毒するための、ミルトンという消毒液を希釈したものを使用)に浸けておき、それを使用する度に熱湯に近いお湯で洗い流し、また、口の中を綺麗にするためのスポンジの付いた棒と歯ブラシを一緒に持って母のいる部屋まで戻る。
最初は恐る恐るだった吸引も、回を重ねるごとに難なくできるようになり、吸引による母の苦痛も少しは軽くなったようだった。

吸引が終わると、当然のことながらその片付けが待っている。ノズルは熱いお湯で洗ってから消毒液に浸けおき、歯ブラシとスポンジの付いた棒も、熱いお湯で洗って綺麗にしておく...
取った痰を溜める容器も綺麗に洗い、空にしておかないと次の吸引の際に手間取ることになる。
一つの事を成し終えるまでには、信じられないほど多くの工程があることを、おそらく介護の現場を見たことのない人は想像できないだろう。もしかしたら、介護されている側も、作業/工程の全てを理解できていないかも知れない。

吸引が終わると食事の世話...

誤嚥性肺炎/誤飲性肺炎だった母は、トロミをつけたドロドロの物しか口にできなかったのにも関わらず、それでも咳き込むことが多く、一匙一匙注意深く飲み込んだかどうかを確認する必要があった。トロミの付け方も、硬すぎてはならず、ゆるすぎてもダメという、かなり気を遣う作業で、食事の介助もけっこう大変ではあったが、大変さで言ったらトイレ介助には及ばないと断言できる。


トイレに行く度に、母の介助をした記憶が蘇り、私もその内にああなるのだろうかと、そんなことが頭をよぎり、居た堪れない気持ちになってしまう。

心的外傷...
まさか、母の介護で負うことになるとは考えてもみなかった。


もしかしたら最後の日本滞在になるかも知れない昨年の一時帰国時の想い出が、ただ大変で辛いというだけで終わらなかったのは、明るい姉一家のおかげだった事は間違いない。

姉たちが、頑張って慣れない日本の生活をしていた私のためにしてくれたことは、心の底から有り難く、感謝の気持ちしかない。

姉たちの気遣いがなかったら、私は精神的に立ち直れないほど病んでしまっていたに違いない。



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