19.11.15

向上心 A+ の集団

ドアパネルにファブリックを貼る作業は、家で同居人と一緒に行った。
貼る作業自体は簡単なのに、カーペットの上に座って作業をするのがしんどくて、ひどく疲れてしまった。

ある人が、日本の木工の達人のビデオを観て、床に座って仕事をすることなんて自分には到底できないと言っていたが、日本で生まれ育った私も、あのような体勢で仕事をすることなど絶対に無理だ。良い物を作る前に身体が悪くなってしまう。


そのしんどい体勢での作業も昨夜で終わり、今朝は昨夜の出来上がりを点検し、何カ所かグルーを付け直して、あとはグルーが乾くのを待つばかりとなった。
同居人Tがドア内部に施す配線等を終了したら取り付けとなる。



先週末、同居人たちが買い物に出かけた折、DIY ショップで友達の一家に偶然出会ったらしく、同居人Hが買った車の話になると、その友達は、実は自分もそういう古い車を買って綺麗にして乗りたいんだけれども、自分では修理できないから業者に頼まなくてはならない。そうするととんでもなく費用がかかり過ぎるから、なかなか手を出せないんだよと言っていたようで、同居人Tが何でも自分でやってしまうことをとても羨ましがっていたらしい。

同居人Tは車に関する各種のアップグレードを楽しんでやってくれているが、それこそ専門業者に頼んだら何千ドルにもなってしまうことだろう。
私が頼まれたドアパネルだけでも、業者に頼めば簡単な物でもNZ$700以上するようなので、一家に色々な分野の仕事をこなせる人が揃っていたら、時間はかかりはしても、結構な節約になるのは間違いない。

まぁ、こなせると言っても、これまでにそのような仕事をしたことはなく、ただ『出来得る』という認識のもとに自分達で勉強し、手近にあるものや入手可能な物を使って、どのようにしたら良いかを考え、試行錯誤しつつ作業しているわけで、専門業者のようなそれ専用の便利な道具類などほとんど無いに等しく、思いっきり効率の悪いだろう方法で行っているのだろうなと容易に想像できるのだが… 
それでも、苦労して自分達の力で成し遂げることには大きな意味があるのだと私は思っている。
頭を使い、手を使い、身体を使い、新しいことに挑戦し、少しずつ色々なことができるようになって行くのは本当に楽しいことだと、私は幼い頃家族を見て感じ、それからというもの、ずっと何かしら作り続けて来た。

おそらく、私があの子達の傍から居なくなっても、きっと、あの子達はお金を出して誰かに頼むのではなく、自分達で楽しみながら、新しいことに挑戦し続け、また、作業をし続けることだろう。
そして、その度に私のことも思い出してくれるに違いない。彼の人の話題が17年経った今でも頻繁に出て来るように…




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