7.11.16

糠に釘

物事を深く考えることをせず、ただ単に表面に現れているいることのみを見て(或はちょっと小耳に挟んだだけで)、いたって単純に "全てを把握した" ような気になり、その極めて浅い理解の上でだけものを言う人が居る。
そのような人は、自分の頭に浮かんだことを、何の確証も無いまま、"誰かれ構わず" 吹聴して回る傾向にある。(誰がどんな性格で、自分の発した言葉がそれを聞いた相手にどのように受け取られるか云々など微塵も考えることなく、取りあえず自分の喋りたいことを口にするという行為にしか興味が無い)
そして、その行動が及ぼす悪影響について思いを巡らすことは大抵ない。

残念なことに、『物事を深く考えることをしない』人は、『考えることをしない』のではなく、『考えられない』のだ。
熟考し、思慮分別を働かせるという機能が備わっていないということなのだ。
悲しいことである。

そういう性質を持って生まれた人が子となり親となりして、血を分けた相手にさえ精神的に危害を加えるケースにおいては、ただただ、『救いようが無い』としか言うことができない。
そう、救いようが無いのだ。
そのような人に何をどう諭そうが、深く考える機能が元々備わっていないのだから手の打ちようが無いのである。

生活していれば、誰かに対して、「思慮分別を働かせろよ…」と思わず心の中で叫んでしまう場面が多々出て来るだろうが、私は声を大にして言いたい。

そのような性質の人に深く考えてみろと言うのは、正に糠に釘のようなもので、無駄な努力に他ならないと。



人と接触することにほとほと疲れたと感じた朝だった。


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