4.2.13

恵方巻きってのがあったんだ...

日本の各種行事にめっぽう疎い私は、この歳になるまで「恵方巻き」なるものの存在を全く知らなかった。

その存在を知ったのは昨日。9年来の知人からのemailに節分の豆まきの話題とともに書かれていたのを見て、これは何ぞや?と辞書を引いてようやくわかったのだが... まず読み方がわからない。
コンピューターというのは全くもって便利なもので、コピー&ペーストで難無く調べることができたものの、まず「えほうまき」と読むことに少々違和感を感じ、更に、その呼び名については1998年にセブン・イレブンが商品名として採用したところから始まっているらしいというのを読んで、な〜んだ、昔からあったものじゃなかったんだと、一気に「恵方巻き」などどうでもよくなってしまった。

私は諸々の行事自体にも興味が無いが、各種行事に付け込んだ商売に振り回されるのもまっぴらご免だなと、尚更強く思った一日であった。


5.1.13

冒涜(ぼうとく)という言葉の意味を知っているか

Albert Camus はそれほど多くの作品を世に出したわけではなく、また、彼のものとされている出版物の中には本人の承諾無しに出版されてしまったものがいくつかある。



この『幸福な死』の『刊行者のことば』を最初に読まなかったら、私は自分の意に反して故人の尊厳を踏みにじり、この本を読んでしまうという罪を犯してしまったに違いない。



ここにその刊行者のことばを書き写しておく。


刊行者のことば
《Cahiers Albert Camus》の刊行は、この作家の家族ならびに刊行者によって決定された。それは数多くの研究者、学生、さらには広く一般に、彼の仕事と思想に関心を寄せるあらゆる人びとの要望に応えるためである。
 この刊行を始めるにあたって躊躇がないわけではない。自らに厳格であったアルベール・カミュは、なにひとつとして軽々しくは出版したことがなかった。それではなぜいまになって、放棄された小説、講演、彼が自分では『時事論集』に収録しなかった論文、記録、さらには反故までを、読者にゆだねようというのだろう?
 理由は簡単だ。一人の作家を愛していれば、あるいはその作家を徹底的に研究しようとすれば、人びとはしばしば彼についてのすべてを知りたがるものだ。カミュの未刊行作品を保持している人びとは、かかる正当な要望に応えなかったり、さらには、たとえば『幸福な死』や『旅行記』を読むことを切望している人びとにそれを許さぬことは、間違ったことであると考えている。
 研究の必要上、ときとしてはカミュの存命中から、まだあまり知られていなかったり発表されていなかった彼の青春時代の書きもの、あるいはより後期のテクストを探索していた研究者たちは、これらの作品を読むことによって、作家のイメージがよりその含蓄を増し、かつ豊かになるばかりであると信じている。
 《Cahiers Albert Camus》の刊行は、ジャン=クロード・ブリスヴィル、ロジェ・グルニエ、ロジェ・キヨ、ポール・ヴィアラネーにゆだねられている。
 《Cahiers》は、現在では知ることが困難な未発表作品やテクストの刊行だけに限られるものではない。それは、アルベール・カミュの業績に新しい光りを投げかけると考えられる諸研究をも収録することになるだろう。


故人の尊厳を傷つけることを正当化したこの見苦しい "言い訳" の中に、カミュへの深い愛情を感じる人がどれほどいるのだろうか?

カミュの厳格さについて知るには、本人と面識がなくとも『ペスト』を読むだけで充分であるし、作品を世に出すまでに至っていないと本人が評価を下した作品を、上記のような "作者以外の者たちの利益" のために利用するなどということが許されていいはずはないじゃないかと、私はこの "言い訳" を読んで非常に腹立たしく思った。

人一人の尊厳が、このようにまことしやかな口実をつけられて踏みにじられるということは、断固としてあってはならないことだ。

異論を唱える者がいたら、自分自身に問いかけてみるといい。
「自分が死んだ後、世に出したくなかった(他人に見られたくはなかった)自分に属するものが、遺族やら研究者やら自分を愛すると宣う者たちに寄って勝手に取り沙汰され、ああでもない、こうでもないと好き勝手に評価されもてあそばれるのを幸せだと思うか?」と。

これはカミュに対する冒涜であって、愛情などでは断じてない。


4.1.13

真夏なのに16℃

昨日の朝は15℃だったオークランド。今日も冬並みの寒さだ。数年前の元旦に雹が降ったのに比べればかなりマシだと言えるが、ようやく真夏(といっても、気温は25〜27℃前後)になったかと思っていたら急に冷え込むというのを繰り返しながら、毎年扇風機を2,3回(2,3日ではない)回す程度で終わってしまうというオークランドの夏...
ここに来てから熱帯夜を経験したのは1回しかなかったように記憶している。大概夜は涼しく、一年中同じ掛け布団で過ごせるのは非常に経済的でもあり、収納場所もいらないというのは嬉しい限りだ。

さて、昨日はブティックの仕事始めだったが、概ね静かな仕事始めだった。午前中勤務のパメラから仕事を引き継ぐ時、昨年暮れに店を物色に来た中国人の女性がまた現れたのを除けば...。

彼女はその近辺で売りに出されている物件を見て回っていると言っていたが、私は働き出したばかりで店のことについては何も知らず、何を聞かれてもお役には立てないと言っておいたが、何しろ英語があまりわからないようで、中国語で書いてくれた方がまだ理解し易いかも知れないと言っても、それさえも通じず...

その女性、パメラには自分は私の友達だと言い、昨日は一緒に来た連れに向かってパメラを友達だと紹介していた。パメラは苦笑いしていた。多分ちょっとした顔見知りに対しても『友達』という英単語しか思い浮かばないのだろう。或は、中国では顔見知りは全て友達と呼ばれているとか?

パメラが私に、「あなた、あの人たちが何を喋っているのかわかる?」と聞いてきたので、私は中国語は全くわからないと言うと、「マンダリンかしらね?」と更に聞かれ、「私にはマンダリンとカントニーズの区別もつかないよ」と笑って答えた。
中国人の友達は何人かいるのに、中国語については何も知らないというのは、その国に対して興味が無いという一語に尽きる。

まだ自分のものではない店に、何を買うわけでもないのに大きな顔をして入って来て、所有者に了解を得たわけではないのにメジャーを使ってサイズを測り始め、勝手に写真を撮りまくり、挙げ句の果てにはお客さんが入っている試着室のカーテンを無造作に開けてしまうというとんでもない行儀の悪さを披露してくれたその人たちに、パメラも私も心底腹を立て、お引き取り願いたいと言っても言葉がわからないのか笑っているだけで、始末に負えなかった。

私はパメラに言った。『世の中は金がものを言うんだ』と信じて疑わないような人は好きになれないと。
パメラは大きく頷いていた。

もちろん、中国に限らず、どこの国にも礼節をわきまえない人もいれば立派な行いをする人もいるのは重々承知しているが、この不景気な時代に他人の弱みを突いてのし上がろうという"元気のいい"国はそう多くはなく、中国がその内の一国である事は間違いのない事実であろうし、世界の市場に参入するのに相応しい知識を身につけている野心家ばかりではないのも事実であるように私は思った。

そのような行儀の悪い輩のおかげで、真っ当な中国人が十把一絡げに非難されるというのもこれまた気の毒なことである。





1.1.13

昔日の光景

年の瀬の風景を思い出していた。

いつでも忙しく動き回っている母が、殊更忙しく動き回る日...

その昔『臼屋』と呼ばれていた我家には、父が作ったそれはそれは形の美しい臼と杵があって、それは年に一度、お正月のお餅を搗く為にだけ出される以外は納屋にしまわれていた。

お正月を目前に控えた日の朝、家の外には簡易かまどが用意され、薪をくべ、母が前日の夜から浸けておいたもち米を蒸籠で蒸し始める。
「餅搗きだぞ〜」と叩き起こされた子供達は、寒いので火の周りに集まり、薪をくべるのを手伝う子あり、その周りで遊び始める子あり...

もち米の入った蒸籠から蒸気が出始め、いい香りがしてくると、まだかまだかという思いで気が急き始める。炊きあがったかどうかをみるのは母の役目だった。

用意された臼の中を水で湿らす。餅が臼にこびりつかないようにする為だ。
そして炊きあがったもち米を一気に臼に投入し、水で湿らせた杵でトントントンと搗き始めるのは父の仕事であった。
米粒が飛び散らないように、静かに搗き始める。そして、ある程度粘りが出てくると、今度は本格的に杵を振り上げ、リズムを取って搗く、ひっくり返すを繰り返す。もちろん、餅になりかけの米の塊をひっくり返すのは母の役目で、脇で見ている私達は、「わざとリズムを狂わせて手を打ったらたまらんだろうね」とかジョークを言い、母は「冗談じゃない!」と言いながら、搗いている父も、また母も大笑いしながらリズムを刻んでいた。

杵はかなりな重さがあり、二臼、三臼ほど搗くと体力を消耗してしまった父は、私の連合いにバトンタッチしたが、母はずっと介添え役に徹していた。
私はというと...、傍でずっと写真を撮っていた記憶しかない。

一臼搗き上がると、熱々の餅を木で作られた大きな薄い箱に伸ばして行く。箱には予め片栗粉を薄くひいてある。(その作業は私と姉の仕事だったような気がする)
そしてまた、次のもち米を蒸かし始める。

何臼か搗く内の一つは鏡餅用として、薄い木の箱の上で3種類ほどの大きさに丸める。できるだけ高くなるように丸めるのだが、熱い餅はすぐにダレてしまって、見る見るうちに平らになってきてしまう。だが、冷めて来た餅はもう一度丸め直すことはできず、買って来た鏡餅のようにこんもり仕上げることはできなかった。

また、搗いた餅の一部はその日の昼に食べる『おはぎ』となった。この搗き立ての餅は格別な美味しさで、丸々半日かかってようやくありつけたご褒美のようなものだった。
ちなみに、おはぎの餡を作るのもまた、母の仕事であった。


月日が経ち、私の連合いが餅を搗く風景はもう見られなくなり、私達はNZに引っ越してしまい、父や母は年老いて、もう餅搗きをするほどの体力は無くなってしまった。

それでも『臼屋』と言われていた私の実家から餅の姿は消える事なく、母は機械を使って今でもお正月のお餅を作っていると言う。

NZで餅つき機を手に入れる事などできない私は、まったく邪道ではあるが、一晩水に浸した韓国産もち米をフードプロセッサーにかけてドロドロにし、それを電子レンジにかけて餅を作るという方法で、やはり今でも元旦に食べるお雑煮を用意している。
味も食感も、杵つき餅に敵うはずもないが、気分だけはお雑煮を食べているという感じになれる。

夏のお正月。セミの声を聞きながら、熱いお雑煮を食べる私達は、やはり日本人だよなと思った。


目の中に焼き付いている昔日の光景は、ツヤのある美しい形の臼と、水を張った大きなブリキのバケツに入った杵、そして白い蒸気を出す蒸籠と釜、笑顔の家族...

もうその時代が戻って来る事はないのを心から寂しく思った、2013年の年明けであった。



25.12.12

キリスト教国でクリスマス・イヴを過ごす

一昨日の夜、愛車が突然動かなくなった。
同居人の知り合いの修理工場に預けて原因を調べてもらうと、エンジンが逝ってしまったとのことで、運悪くクリスマス・イヴの昨日は修理工場は半日営業したものの、その後はクリスマス休暇に突入...

ということで、1月3日過ぎまでは小さな小さな 2-seater convertible のみが我家の足になった。



昨日は朝から夕方までブティックの仕事が入っていたので、同居人に店までチッコイ車で送ってもらい、店の奥の真っ暗な炊事場にある電気のメインスイッチを入れると、私の名前が書かれたプレゼントとグリーティングカードが置かれていて驚いた。粋なことをするものである。


イヴにはおそらく客もそう来ないだろうと見積もって、頂き物の iPad mini を持参し、冷房の効いた店内で読書三昧を決め込もうと思っていたのだが、客はチラホラとやって来て、客が居なくなったかと思うと周りの店の店員さんたちが油を売りに来たり、友達から電話が来たりと、読書に耽れる環境ではなく、読んだのはたった3ページほどだった。



読書はできなかったものの、iPad mini は今日も良い仕事をしてくれて、私がステンドグラス職人だというのを聞きつけた近くの店の店員さんが、ぜひ家にステンドグラスの窓を入れたいとやって来てくれた時には、これまで作った作品を見せるのに非常に役立った。




iPad mini のいいところは、それでいかにも"営業しています"というサイズではなく、明らかに自分の楽しみ用に持っていますというサイズなのに、画面は適度に大きく、写真はとても綺麗で、iPhone に入れた写真などとは全くもって比較にならないほど迫力が有り、説得力もあるところだ。

ステンドグラスの製品は高すぎるので、手を出せる人ばかりではないというのを重々承知しているため、私は営業目的で写真を見せることはないが、「これまでどんな仕事をしてたの?」と聞いて来る人や、手作りが好きだという人がいると、言葉で説明してもわからない場合が多いので写真を見せ、そして驚かれる。
作業途中の写真などは、この仕事がいかに大変かを伝えるいい手段だ。恐ろしく時間がかかり、危険でもあり、とても安価には手に入らないというのが、ほんの少しはわかってもらえるようになる。(実際に作業してみると、説明されて想像したよりも遥かに大変な作業だということがわかるようになるというのは、これまで教えた生徒さん全てが口にした言葉である)


このサンタたちはステンドグラス用のフリーの型紙を利用して作ったもので、売り物ではなくお世話になっているお寿司屋さんの奥さんへのプレゼントに作ったものだったが、「こういうのって、作るのにどれくらい時間がかかるんですか?」と聞かれ、「丸2日(朝9時頃から夜7時過ぎまで)かかりました」と答えたらえらく恐縮されてしまった。
自分でデザインをすればもっともっと時間がかかったが、今回は楽をしてデザイン時間無しなので、その程度しか時間がかからず、私としてはいとも簡単な作業だったよと笑って答えたものの、こんな丁寧な仕事をしていたら生活費など稼げるわけないよなと再確認もしてしまった。

Shop assistant の仕事は言葉の心配さえ無ければ楽な仕事である。
たまに非常識な客も来たりはするが、それでも大方は気の良いおばちゃんたちで、別にすごく困るという事も無い。
自分で経営しているのでなければ、売り上げを気にする事も無く、いつものようにニコニコ応対しているだけで日本円にして時給¥1,000以上の報酬を得られるのだ。
自営業の期間が長かったので、例え売り上げが少なくても決まった報酬を得られる勤め人というのは、気が楽でいいなとつくづく思った。

昨日は、全く親しいわけではない筋向かいの美容院を経営する女性(ロシア人)が、何故だか私にと言ってチョコレートとカレンダーとボールペンをプレゼントしてくれたのも大きな驚きだった。

彼女の店の外を通る度に手を振って挨拶してるのが気に入られたのかな?(笑)

また、毎度の事であるが、初めて会った日本人の女性から「あなた、全然日本人らしくありませんね」と言われ、話を始めると、今度は「あなた、どちらの出身?東京?... とてもきれいな日本語を話されるから、東京の方かと思いました」とも言われた。

そう言われてパッと頭に浮かんだのは、まだ長男が小学生だった頃の事...
友達と一緒におもちゃ屋に行った時、やはり今の私と同じように「あなたは東京から来たの?」と自分だけ聞かれたらしい。

その長男は、私の実家に行くと、慣れない方言を駆使して喋ろうとするので、私達は聞いていてとても違和感を覚えるのだが(笑)、普通に喋ると今度は私の両親やら姉やらがひどくよそよそしく感じるだろうなとも思えるし、難しいところである(笑)



16.12.12

公園の駐車場にて

最近急激に出掛ける事が多くなり、少し社交的にはなってきたものの、今朝目覚めてひどく疲労感を覚え、今日はどこにも出ず一日ずっと家に居ることにしようと決めた。

ここセントラル・オークランドはここ数日気持ち良く晴れている。日中はもう半袖一枚で充分な暖かさとなった。

近くの公園に来る寿司キャラバンの一家とはもうすっかり友達になり、最近そこによくランチを買いに来る Christmas Tree を運ぶ青年とも顔見知りになってしまい、先日寿司作りの助っ人を頼まれた時に、その青年から「アンタ、今日はここで働いてるんだ!」と驚かれた。
少々ラテン系の顔立ちのように思えるその青年は、一日に何度か大きなトラックでその公園にやって来るようで、顔を見る度に手を振って挨拶をして行く。
Christmas Tree は一日に200本以上も売れることがあるらしく、「大きい木は1本$50.00ほどするから、1日に$10,000.00以上の売り上げですよ... すごいですね」と、寿司屋の人は驚いていた。(本日のレートでは、日本円にして70万円以上)
季節ものなので、このクリスマス前の数週間しか稼げないものの、この数週間で一年分を稼げるとしたら、こんなにいい商売はないなと、傍で見ていると思ってしまうが... 実際はどうなんだろう?

『隣りの芝生は青く見える』

楽な商売なんてそうそうあるものではない。
Christmas Tree を育てるのにはまず広大な土地が必要で、何百本も育てるのには時間もお金もかかり、木を切るのに人を雇い、運ぶのに大きなトラックが必要になり、ガソリン代もハンパじゃなくかかり、木をトラックに積み込む人&運ぶ人を雇い、売る人を数人雇い、販売する場所代を払いなどしていれば、あっという間に多額の経費が飛んで行ってしまうのだ。そう考えると、「いい商売かな??」と疑問符が幾つも付いてくるようになる。


友達は7年間続けたベーカリーを先月手放した。それも、信じられないほど安い価格で手放したのだ。よほど資金繰りに困っているとしか考えられない。
母体であるインポート・ビジネスに支障をきたさなければいいのだが...

奇遇にも、苺売りのマフムートはそのベーカリーの持ち主だった私の友と20年来の知り合いだということで、時々ベーカリーに買いにも行っていたそうだが、彼がベーカリーを閉めた事はその時まで知らず、話を聞いてとても驚いていた。
「母体のビジネスは上手くいってるの?」と、やはりマフムートも案じていた。

皆一生懸命に生きている。
その人の行き着く先は『死』なのか『楽園』なのかわからないが、取りあえず皆、『今』を精一杯生きているのだなと思った。



6.12.12

深夜 イカ刺しを楽しむ

つい最近、家から車で5分ほどの桟橋でイカが釣れるというのを知った同居人は、毎晩のようにイカ釣りに出掛けるようになった。

イカ釣り初心者なので、深夜に釣りを楽しむアジアンのおじさんたちの中に入って、どのようにすれば釣れるのかを毎夜観察し、ついに昨晩、中ぐらいの大きさのイカを釣り上げてきた。
昨晩はもう一人の同居人が不在だったため、2人で食べるんだったら1杯で充分だなと思った同居人は、これだけ釣って帰って来たのだ。(欲深くない性格(笑))


釣り上げてから30分程度しか経っていないイカは、透き通っていてとても綺麗だ。

同居人は塩水でイカを洗い、内蔵を取り除き、皮を剥ぎなどして、超新鮮なイカ刺しを作ってくれた。

ちなみに、私自身もイカを捌いた経験はあるものの、イカの目にはからっきし弱く、あのギョロッとした目を見た瞬間 「ギャ〜〜ッ!! 」と持っていたイカを放り投げた過去を持つので、それをよく覚えている同居人は、言わずもがな、自分が捌く義務があることを承知していて、釣って、捌いて、後片付けまでしてくれた。



NZは潮の臭いがほとんどしないためか、釣り上げたイカもほとんど臭わず、こんなに美味しいイカ刺しは生まれて初めてだなと感動ものだった。


深夜、これ以上ないというほど新鮮なイカ刺しを食べながら、「こういうの、最高の暮らし方だよね」と、しみじみと話していた。



2.12.12

友達のサタデー・マーケット

昨日午前中に、友達の奥さんからぜひ来てねと言われていたサタデー・マーケットに行って来た。
マーケットと言っても、友達がインポートした商品を事務所&倉庫の駐車場で売っているというだけで、あとは野菜や果物、パンやピザ、サモサなどを外の窯で焼いていたり、コーヒーを飲めたりするくらいの、ごく個人的なマーケットである。

友達はイスラエリ。8年来の喧嘩友達。
そして、サモサを作って来たのはパレスティニアン(パレスチナ人)とロシアンのカップルだった。
私はそのパレスティニアンとサモサが焼ける間少し話をしていたのだが、私が日本から来たとArabicで言うと、彼は、「アラブ人は日本人をとても尊敬しているんだよ」と話し始めた。
その理由はとてもシンプルで、「日本はアラブに対して戦争を起こさなかった国だから」という、ただそれだけのこと... しかし、ただそれだけのことが非常に重要だと思えるような環境で暮らして来た(また、今でも暮らしている)人々のことを考えると、な〜んだ、それだけのことかとは笑い飛ばせなくなる。

パレスティニアンの彼がどうしてイスラエリと仕事をしているのか...、
聞いてはみなかったが、おそらくかなりな葛藤があったに違いない。反対する人が居なかったとは考え難い。現に、この国でもイスラエルの製品をボイコットしようという運動があったり、テニスのトーナメントに出場するイスラエル人選手に向かって、拡声器まで使って罵声を浴びせ、出場を辞退させようと目論む輩も出て来たりするほど、イスラエルに関わる全てを憎む人たちが存在するのだから。

しかし、Quranに照らし合わせてみれば、このサモサを持って来たパレスティニアンの行為の方が正しいのだ。(Surat Fussilat 41:34)私はそう解釈している。


友達が開いたこじんまりしたマーケットの雰囲気は温かく、私にとっては悪くない場所であった。

またサモサを買いに行こう。



30.11.12

Hotel California

Job interview に行った日、出掛ける直前に、飾ってあった彼の人の写真が机から落ちた。(もちろん落とそうと思ったわけではない)
そして、仕事初日の昨日、人生に於いても仕事に於いても大先輩のパメラから仕事内容を聞いている時、ラジオから流れて来たのは The Eagles の Hotel California だった。彼の人が大好きだった曲である。
不意に涙が溢れてきて難儀をした。

ただの偶然と片付けてしまいたくない現象が人生の節目々に度々起こり、その度に彼の人の存在を強く感じるようになるというのは、どういうことなんだろうか。


新しい職場は、家から車で5分程度の所にある"有名人"のブティック。毎日のようにTVに出ているタレント(?)の店らしいが、TVを観る習慣の無い(持ってもいない)我家では、当然のことながら誰一人としてその人物についての情報を持っておらず、私は面接を受けに行くまでその人の名前すら知らなかった(笑) そのような所に何故面接を受けに行ったかと言えば、8年来の友達がそこでshop assistantを募集していると紹介してくれたからだ。

shop assistant の経験も無く、オーナーについて何の知識も無く、英語に関してもあまり自信のない私が、他の応募者が居なかったわけでもないのに採用されたのはかなり謎であるが、奇跡的に採用されてしまったので、英語上達の為にそこで働くことにした。


パメラは「楽な仕事だから」と何度も言っていた。
暇な時には椅子に腰掛けて本を読んでいればいいし、掃除は汚れていなければ一週間に一度くらいでいいんじゃないのという程度の大雑把さだ。(オーナーとのインタビューに出向いた時には、オーナーが一人で掃除機をかけていた(笑))
仕事中に用事で出かけたかったら、表の鍵をかけて、何分以内で戻りますという張り紙をして出掛ければいいと言うし、基本的に仕事に拘束されるという感じではない。(私のこれまで持っていた"日本の常識"からすれば、私用は仕事に入る前に済ませておくか、或は仕事がひけてからにすべきだと思うのだが... 日本人の私からすれば、極端にゆるい職務規程である)
キウィの職場環境に慣れてしまったら、とてもじゃないが日本の企業でなんて働けなくなるだろうなとしみじみと思った。

移民の中で働いた経験はあるものの、移民は私だけという職場環境で働くようになるというのは予想だにしていなかったので、全くの英語環境で本当に大丈夫だろうかといまだに心配ではあるが、まぁそのうちに慣れるだろう。

余談だが、その店の超有名人であるオーナーとの面接時、要求されてはいなかったがCVを持って行ったので渡したところ、私の職歴を見た彼女は、「あなた色々な職業を経験してるのね」ととても驚いていた。それに対する私の返事は、「あなたと一緒でね」(笑)
(面接に行く前日に、インターネットで彼女についての記事を読みあさっておいた結果の返答であった)
彼女は笑いながら、「ええ、全くその通り」と言っていた。年増女性同士の熟れた(こなれた)会話である(笑)


仕事初日の昨日、さっそくディスプレイ用の広告を新しく作り直すことはできるかと聞かれ、また服のほつれを直せるかと言われたので、どちらもお易い御用だと返事をした。
ネイティブのように英語を流暢に喋れるわけでもない私を採用してくれたのだから、私にできることは何でも喜んでするつもりだ。


自分の中の英語の壁を崩せたら、この国でもっともっと楽しく生きられるはずだから、こんなに歳を取ってしまってからではあるが、頑張って新しい環境に入って行くしかない。そう思った初日であった。

苦手な電話の応対が極力ありませんようにと祈りつつ...




24.11.12

手作りのガーデン

ここ数日、日差しが刺すように痛い。



このひと月の間にガラッと雰囲気が変わったベジ&ハーブガーデン。
家族全員がヘトヘトになりながら力を出し合って土を掘り起こし、ブリックを並べ、柵を作りなどして、何も無かった裏庭が見違えるように綺麗になった。

ここまで仕上げてくれた子供達のおかげで、私は裏庭に下りて行くのが日課になった。もうこれでビタミンD不足とはオサラバできるはずである。



今日はこれまで作りためた子供服の幾つかを持って、家のすぐ近くの公園でお寿司を売っている人の所に行き、幾つかの服を差し上げて来た。
お寿司屋さんはとても人情味のあるいい人たちで、お寿司を買いに行くといつも余分に持たせてくれ、今日は更に、夕食を作らなくてもいいほど沢山いただいて帰って来た。
ありがたいことである。


さて、綺麗な庭を眺めながら、ステンドグラスの仕事を再開するとしよう。





22.11.12

マフムートのランチ



少し前、いつものように苺を買いに行くと、マフムート(苺売りのおじさん)が荷造り用のテープで服に付いた犬の毛を取り除いていた。
何か動物を飼っているかと私に聞くので、日本に居た頃は犬を2匹飼っていたと返事をしたが、犬だけではなく、インコ(35羽)、チャボ(2羽)、ウサギ、熱帯魚、亀に加え、何とヤギまで飼っていた時があったことは、英語で説明するのが面倒なので言わなかった。
(農家に嫁いだわけではないのに、動物好きな連合いを持つと大変なことになる)

しばらく犬の話をしていたが、どこでどう話が変わったのか、料理の話題になり、マフムートが自分のランチだと言ってフェタチーズと、ピリ辛のオリーブを見せてくれた。
「食べてみる?」と聞かれると「うん」と言ってしまう私...
遠慮なくフェタチーズをつまみ、オリーブもつまみ、「オリーブは辛いから、これをちぎって一緒に食べた方がいいよ」と出してくれたピタパンもちぎって食べた(笑)

苺を買いに行って、他人のランチを味見するなんて想像だにしなかったことではあるが、外で食べる物はなぜこうも美味しく思えるのだろう。
フェタチーズなどは、以前イスラエリの友人の店を手伝った時にはあまりの臭さに閉口したものだが、恐る恐るつまんだこの写真のものは全く臭くなく、非常に美味しくて驚いたし、あまり好きではないオリーブも、このピリ辛のものは違和感なく食べられた。

私もスーパーマーケットで買ってこようと写真を撮らせてもらうと、「僕も撮っていいよ」と笑っているので、一応写真に収めて来たものの、持っていても何の意味も無いマフムートの写真... 
とても綺麗に歳を取ったというか、歳を重ねて増々いい顔になったに違いないと思える、とてもハンサムな彼は、写真写りも良く、気軽に自分の写真を撮ってもいいよと言えるのが羨ましい。私なんぞ、写真を撮られるのが恐ろしいと感じるほど、歳を取って見苦しい顔になっていると感じているのに、彫りの深いクッキリした顔立ちの彼らはいいよなぁと、平坦な顔の日本人に産まれてしまったことをつくづく残念に思った。


ランチで思い出したが...

私は古い日本人なので、連合いが仕事に出かける時にはいつもせっせとお弁当を作って持たせていた。
ただ、少しばかり変わったところがあって...

ある日お弁当を作りながら、どうもパッとしない彩りが気になってしまい、何か赤いものを入れなくちゃ... と冷蔵庫の中を探したのだが、あいにく赤系の食べ物が見つからず、考えた挙げ句に、赤い折り紙で海老を折ってサランラップに包み、彩りに入れておいたことがあった。
そんなものが入っているとは夢にも思わなかった連合いは、「今日は食えないものが入ってた」と笑いながら帰って来た。

懐かしい想い出である。




日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...