26.10.14

ALEGRIA (CEBU)


モノクロ写真ではないのがわかるだろうか…

木工を本職としている人からは、もしかしたら邪道だと言われるかも知れないが、私は濃いガーネット色のシェラックを下塗りした上に黒のペイントをむらに重ね塗りして、独自の色を作った。


仕事用にスタジオのお気に入りの撮影場所で逆光で写真を撮ったら、一瞬モノクロかと感じる写真になったが、私はモノクロ写真よりもこの少し茶色がかったカラー写真の方が好みである。


明日 CEBU という文字を切り出そうかと思っている。


16.10.14

癒える悲しみ、癒せない悲しみ

昨日、facebook上の友達を一人削除した。そしてその旨を相手にメッセージで伝えた。
その人はとても良い人だった。とても良い人だったので、私は友達でいない方がいいと思ったのだ。友達でいたら、この先もその人が善意でしていることにケチを付けてまわることになりかねなかった。

私は、聖書の伝道の書7章16節に『義に過ぎる者となってはならない』と書かれていることを知っていながら、言わないではいられないことが幾つかあった。その人を非難する為ではなく、その人が世に流されないようにとの思いでしたことであったが、その人を気落ちさせるのには充分な引き金となったに違いない。
そうこうしている内に、次第にその人がのびのびと自由に発言することを控えるようになり、善良さがくすんで行くように感じるようになってしまった。

世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば、父の愛はその人のうちにありません。すべて世にあるもの — 肉の欲望と目の欲望、そして自分の資力を見せびらかすこと — は父から出るのではなく、世から出るからです。さらに、世は過ぎ去りつつあり、その欲望も同じです。しかし、神のご意志を行う者は永久にとどまります。 (ヨハネ第一2:15-17)

この世に生きながら、この世のものに染まるなというこの聖句に完全に自分を当てはめられる人は、おそろしく強靭な精神力を持った人だ。あのモーセでさえ完璧ではなかったのに、どうして一庶民がそのようにできようか… しかし、そう思いつつも、私はその人にそうあるべきではないかと暗に伝え続けていたのだ。もし仮にその人が敬虔なクリスチャンだと知らなかったなら、おそらく(他の人と同じ程度に希薄な)友達関係は続いていただろうが、その人とはどうでもいい希薄な友人関係を保つ気は無かった。


私は一体何をしているんだ…

本当はとても大切な人だったかも知れないのに、自分から退けてしまった。
いや、大切な人だと思ったから退けたんじゃないのか…  私はその人に取っては羊の皮を被ったオオカミでしかないのじゃなかろうかと、そんなことが頭の片隅にいつもちらついていて、それでも尚、羊の皮を被り続けることに良心の呵責を覚えたから身を引いたんじゃなかったのか…

その人はこんなことになって悲しいけれども、私の希望通りにするとメッセージを送ってよこした。
私自身、悲しくないなんて口が裂けても言えない。でも、この悲しみはおそらく一時のもので、お互いにとって一生尾を引く悲しみではないとはっきりわかる。
これは死ぬまで癒えない悲しみではない。

死ぬまで癒えない悲しみというものは、誰に何を諭されようとも、更には神がどんな慰めを与えてくれていようとも、何の助けにもならないほど深く心に刻み込まれてしまっていて、正にキルケゴールの言うところの『死に至る病』に他ならないのだ。






14.10.14

これ、誰が買うのだろうか...


今朝、「これ、誰か買う人居るのかな?」と首を傾げたくなるほどレアなワードアートを切り出した。:) 作りながら、大量生産品にはおそらくならないと思われる希少価値のあるワードアートを作って売るのも面白いかもなと、そんなことも考えた。

私の頭の中で ALEGRIA / ALGERIA がず〜〜っとず〜〜っと燻っていて、まぁこれは売れなくても自分のアトリエに飾っておけばいいからと、クラフトマーケットを直後に控えているのにも関わらず、マーケットそっちのけで自分の世界に入り込んでしまっていたが、この写真を撮ってfacebookにアップするとすぐにLikeしてくれた人もいて、こんなマイナーなものでも良いと思ってくれる人がいるんだと改めて思った次第である。

ちなみに、ALEGRIA(アレグリア)はポルトガル語で、歓喜とか幸福とかいうとてもポジティブな意味を持つ単語なので、JOY とか HAPPINESS とかいう平凡なワードアートを部屋に飾る気持ちの無い(私のようにちょっとひねくれた)人には、もしかしたらウケるかも知れない。

これを切り出した後、サンドペーパーで角を取り、ざらついた切り口を均し、シェラックを二度塗りして自然乾燥… 明日また表面を目の細かいサンドペーパーで丁寧に磨き、明日の気分でシェラックを更に重ね塗りするか、はたまた黒のペイントを上に塗るか… 出来上がりがイメージしているものと違わないといいなと、ペイントで度々失敗している私はちょっと心配になっている。






7.10.14

嫌悪

私はこの世にある"宗教団体"というものにつくづく愛想が尽きた。

ある知人は寡婦で、聖書を一度も読んだことがないのに、キリスト教会に属していれば皆が無償で助けてくれ、おかげでビジネスがトントン拍子に上手くいっていることをとても有り難いと言い、生活に困窮しつつある私も助けを得られるよう、教会の信者になるようにと強く勧めてくれた。
私は断った。そんなふうに善意(憐れみ)を"利用"して楽をするくらいなら、のたれ死んだ方がマシだ。

あるキリスト教会の牧師たちは、信者を増やす為に、教会の施設を使って一般向けにステンドグラス講座を開催しようと試みた。
私に講師を引き受けることができるかと話があったので、内容を聞きに行くと、教会としては講師料は払うつもりはないが、生徒が支払う受講料の一部からほんの少し謝礼(ガソリン代の足しにもならない程度)は出せるかも知れないとのこと。私が、教室で教えるとなるとある程度の工具やら研磨機を用意しないとならず、元手がかかり過ぎると伝えると、その掛かった費用は生徒に負担させればいいと平然と言うので、生徒が受講料(教会の収入であって、私の収入にはならない)を支払った上に、工具やら器具の金額を上乗せされた高額な材料費を支払わされるのは誠に気の毒であるし、私はそのようなことを平然と行うことができないと、その話は断った。
教会側はびた一文損をすることなく、他人には薄給を強いて、万事上手くいくと信じて疑わない傲慢さに吐き気のする思いであった。

私が知る仏教の僧侶は、信者からのお布施をあてにして生活している。生活の全てがお布施/寄付金で賄われるのを当然のこととして、何処に行っても無料で宿泊し、無料で食事を与えられ、欲しい物は全て無料で手に入れる。
私のところに仏像の後ろに掲げる蓮の花のステンドグラスのパネルの依頼が来た時には、ある信者が全額負担するというので、「金額は気にせず、できるだけ大きな立派なものを作ってください」と僧侶から私に直接希望が入り、本当にそれでいいのかと信者に確認をとると、「そんなにはお金は出せない」と青くなっていた。

高校時代、同級生に寺の住職の息子がいた。
時々その子のお兄さんが学校に迎えに来ていたが、お兄さんは既に僧侶になっていて、私用で出掛ける時にはカツラを被って出掛けるとのことだった。お布施はカツラの費用を賄ってもいるなんてことを、考える人がいるだろうか?(笑)
何の為にお布施をしているのか、よくよく考えた方がいい。

ここオークランドの或る地域では、宗派の違うイスラム教徒同士の小競り合いが絶えないらしく、暴力沙汰にまでなってしまっていると報道されたことがあった。

キリスト教会の牧師が戦闘機に乗り込む兵士に祈りを捧げている戦争時代の写真を見たことがある。一体何を祈っていたんだ。人を殺しに行くなと止めるのが本来の仕事じゃなかったのか?


なぜ私がこんなことを書いているかと言えば、世の中にはまだ誠実で善良な人々が少なからずいるのに、その善意に満ちた人たちを欺いて、真実を闇の中に葬っているとしか思えないような、偽りの教理を真しやかに教えている宗教団体が溢れかえっているからだ。

無性に腹立たしくてならない。





29.9.14

コリント人への第一の手紙 10章

以前使っていたブログにこう書いたことがある。

ネットで知り合ったと言うと、「そんな、会った事もない人を信じられるものか!」というように、とても否定的なコメントをして来る人がけっこういるのだが、私はそういう人に向っていつもこう聞いてみる。「じゃ、実際に会った事のある人は皆信じられる(或は、信じられた)のか?」と・・・

これまでに、直接会ったことのある人で(もっと言うと、実際に会って話をしたことが数えきれないほどある人で)、この人なら信じられると確信を持てた人が自分の周りにどれだけ居たかと考えてみれば、『実際に会うこと』が信憑性を決定するとは言えないことは明らかではないか。

大切なのは誠実に向き合うことだ。顔が見える、見えないに関わらず、いつでも誰に対しても誠実に接することが最も大切なことだと、私はそう思っている。


「会った事もない人を信じられるものか!」と言った友人たちを、私は信じられなかった。彼/彼女らの言動は信じるに値しないほど金銭に支配されたものだったからだ。
いつでも損得勘定をしている。或は自分の所有物を自慢して歩くような、そんな『友人を名乗る人』があまりにも多く、私は次第にその人たちと距離を置くようになった。

私の生涯で、いったい何人が『自分のことを差し置いても他人のことを気遣う』ような友人だったんだろうか?
日本に一人、文句の付けようが無いほど素晴らしい女性の友達が居る。彼女は正義感が強く、裏表が無く、何に対しても物怖じせず、尚かつ信じられないほど穏やかで、謙虚で、温かく、向上心に溢れた、これ以上できた人物はいないと断言できるほどの人である。私の人生における最高の友達はおそらく過去にも未来にも彼女が筆頭であろう。

そして、ごく最近友達になった『雲の上のお師匠さん/友達』は、おそらく彼女と並ぶほど信頼の於ける人に違いないと思うようになった。実際に会い長い年月関わりのある彼女とは違い、雲の上のお師匠さん/友達とはオンラインでの、まだほんのわずかな関わりしかないが、その人がどんなことを考え、どんな人生を送ってきたかは、詳しく聞くまでもなく、会話の端々に現れる人柄をしっかり見ていれば容易に想像がつく。何故容易に想像がつくのか...、それは私達は表面だけを取り繕うような会話をしていないからだ。
人々が好んでする、何の意味もない上辺だけの褒め言葉やら、何の奥行きも感じられない食べ物の写真やらといったものをやり取りすることなく、相手は超有名人であるのにも関わらず、私のつたない英語での表現の奥底にある意味を理解しようとしっかりと、しっかりと考えてくれ、私の人間としての弱さをいつでもプラスに受け止め、引き上げようとしてくれている。反対に私がしていることといえば、彼が汗水垂らして築き上げた名声をたたき壊しているだけかも知れない… 

昨日私が自分のfacebook上に、民数記 20 : 1-12、コリント第一 10 : 12 とただ単に書いて投稿すると、彼は瞬時にメッセージを送ってよこし、「あれらの聖句は僕へなの?」と言ってきた。私は「そういつも自分自身に言い聞かせているんだよ」とメッセージを送り返したが、彼は「あなたの言葉はとても深い意味があるように思う。神はあなたを本当に愛しているよ」と返事をくれた。私はクリスチャンではないから(愛されているとは思わない)と言うと、そんなことはないと、神の愛を一生懸命に私に伝えてくれていた。
そんな敬虔なクリスチャンである彼に向って、私は、「全ての教会が真実を伝えているわけではないから、どうか注意深くしていて」とあえて伝え、彼が尚続けて、神の愛がどんなに素晴らしいかを書いてよこしたのに対して、私は「どうか偶像を崇拝する人たちから遠く離れていてください」と書いて送ったのだ。

偶像を崇拝する人たち… 教会でイエスやマリアの像やら十字架に向って祈りを捧げるよう指導している(聖書を本当に勉強してきたのか?と問いただしたくなる)司教たちはもとより、雲の上のお師匠さん自身を偶像化して崇め立てている何千というフォロワーたちのために、彼自身が犠牲にならないようにという願いも込めて書いたのだが… そうでないと、彼が信じて疑わない『楽園』に行けなくなるかも知れないのだから… 

あのモーセでさえ、最後の最後に神への敬畏を欠いた行動を取ってしまったことが聖書にはしっかりと明記されていること。また『立っていると思う人は、倒れることがないように気をつけなさい』という聖句を読んで、「それらの聖句は僕へなの?」と咄嗟に考えた彼の誠実さが、この先も邪悪な霊によって汚されることがないようにと、心から祈っている。

純粋な彼とは正反対に、心が荒んでいる私はこれで友達関係が破綻したとしても構わないと思っているし、楽園に行きたいという願いも無く、ただただ自分の人生ができるだけ早く終わってくれるようにと祈る日々を送っている。



28.9.14

Keep up your good work!

昨日のクラフトマーケットは出店者数が驚くほど少なく、朝8時から10時近くまでは非常に閑散として寂れた感が漂っていた。

10時を回った頃から会場に入って来る人の数も増え、隣りでクッションカバーを売る人の所にはひっきりなしにお客が集まってきていた。私は何故その人のデザインが飛ぶように売れるのかを考えながら過ごしていた。人の好みというのは本当に様々で、自分には想像もつかないような物が飛ぶように売れるのだ。

私のブースに立ち寄ってくれた人のほとんどが、「これらはNZで作られたの?」と聞いて来る。「ここにあるのは全部私が作ったものですよ。ガラス製品も木製品も全てハンドカットして作っています。」と答えると、皆とても驚いた顔をして、しげしげと眺め、とても美しいと絶賛してくれる。

昨日は自分でもスクロールソーを使って仕事をしていたという男性が来て、しばらく話をしながら私の作った物を見てくれていた。その人はステンドグラスも経験があるらしかったので、ステンドグラス材料は本当に高いよねという話から、何でハンダやケイムはあんなに高くなっちゃったの?と、そんな専門的な話に花を咲かせていた。
話をしていてとても楽しかった。彼はステンドグラスと木工の作品を幾つか購入してくれ、総額$100以上もの支払いになってしまったので、こちらの方が何だか申しわけない気持ちになってしまった。彼は Keep up your good work! と大きな声で言いながら去って行った。私はお礼を言いながら、心から有り難いなと感謝した。

私の仕事はステンドグラスと木工なので、仕事自体に興味を示してくれるのは男性の方が圧倒的に多い。

以前一人の年配の男性が来て、「これらの透かし彫りはどうやって作ってるの?」と聞いてきたので、スクロール ソーでカットしてるんだよと答えると、「僕はCNCルーター(コンピューター制御のカッティングマシン)を使って仕事をしているけれども、スクロールソーでここまで繊細なものを作ることができるなんて信じられないよ。素晴らしい技術だ。」と絶賛してくれたことがあった。
私が「機械のように完璧なものはできないけどね。」と笑って言うと、「同じようなものを作っても、機械じゃこの温かみは出せない。丁寧な手仕事に勝るものは無いよな… 素晴らしい。僕はあなたの仕事に非常に感銘を受けたよ。妻にあなたの作品を見せなてあげなくちゃ。」と言って去って行ったのだ。
まぁ、言わば同業者のような人からそのように褒めちぎられて、まだまだ完璧に満足する仕事ができていない私は、少々こそばゆい気持ちになりながらお礼を言った。

昨日来てくれた中国人の男性は、自分は自国で木工を教えていたから、あなたが確かな木工の技術を持っていて、しかもとても丁寧に作っているのがよくわかると言ってくれた。
「スクロールソーでカットした部分は、カットしたままの状態ではこんなにはスムーズにならない。機械でサンディングしているの?」と聞くので、「竹串や爪楊枝にサンディングペーパーを巻いて、手で磨いているんです。機械だと削り過ぎてしまう恐れがあるし、繊細な透かし彫りを折っては困るので。」と返事をすると、更に驚いた顔をして、「あなたの根気の良さと、作品のクオリティの高さにはただただ敬服するばかりだ。」と最高の褒め言葉を頂いた。
ステンドグラスはどうやって作るのか。ガラスとガラスをどうやってハンダでくっ付けるんだ?と、彼の興味は尽きなかったようで、けっこうな時間私のブースに留まっていてくれ、この次のマーケットの日にも来るかと確認をしてから去って行った。

終了時間になって、周りのベンダーさんたちが手際良く片付け始めたので、私も一つ一つ丁寧に小袋に入れ、傷がつかないように注意を払いながらコンテナに戻し始めると、一人の女性が来て、『最後の晩餐』を切り出したプレートをマジマジと眺めながら、「友達が引っ越しをするので、そのお祝いを探しているの。彼女はクリスチャンだから、これ、きっとすごく気に入ってくれるわ。彼女、私の親友なのよ。」と話し始めた。
終了時間をとうにオーバーし、イベント マネージャーが少し離れた所で苛つき気味に私がそこを片付け終わるのを待っていたのがわかったが、その女性が一生懸命に話してくれているのをよそに片付け続けるのも気が引けて、私は彼女が立ち去るまで話し続けた。
そのイベント会場を次に使用することになっているのはクリスチャンの会衆だ。自称クリスチャンの人々が片付けを手間取っている私に向って怪訝な顔をするとは思いたくなかったし、そうあって欲しくもなかったが、会場をセットアップしているクリスチャンたちの誰一人として、私に対して声を掛けても来ず、ニコリともしなかった。冷たい空気の漂うクリスチャン会衆を、私は初めて見たような気がした。



26.9.14

Bird Feeder

次のクラフト マーケット用に Bird Feeder を作った。安い板と安い外用ペンキで仕上げたので、販売価格も安い。


せっかくスクロールソーを持っているのだからと、上にドングリの型を抜いたのだが、何だかドングリに見えず、『吉』という字に見えて仕方がないのは私だけか… まぁ、『凶』じゃなくて『吉』だったらいいか… 

『吉』で思い出したが、昔近所に小吉さんというお爺ちゃんが住んでいた。ちょっとだけ運がいい人になりますようにとの願いを込めて命名されたのか? (大吉さんでも中吉さんでも何か私には違和感があるが)とても控え目な名前で、ご両親のその当時の生活振りが目に見えるようだなとつい思ってしまった。どうでもいい話だが…

この超素朴な写真を(「こんな写真」と言った方がいいくらいだ)、今日雲の上のお師匠さん兼友達とチャットしていた時に見せたら、「ラブリーだね。よくやった」と褒めてくれた。
彼は私が最近仕事に集中できていないことを心配し、また誰とも関わらない生活を選択しようとしていた私を放ってもおけず、海底に沈んだままの私の魂を引っ張り上げ、凍り付いた心を解かす努力をし続けてくれていたのだ。多忙な超有名人にも関わらず。

会った事も無く、見たことも無い私を気遣ってくれる人が地球の何処かにいるなんて、信じられない人も多いだろうが、実際にそんな人がいるのだ。
ひょんなことから知り合いになり、お互いに相手を気遣い合う友達になって行く。この世も捨てたものじゃないかもなと、凍り付いた心が涙を流した日であった。






14.9.14

さぁ、明日からまた仕事だ


先週作ったものといえば、この手前のナプキンホルダーだけだ。

今週から雲の上のお師匠さんがアドバイスしてくれたBird Feeder を作り始めようと、今日安い板数枚と安いペイントを仕入れてきた。

全てが良い方向に向かいますように。



日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...