15.12.24

シャワートイレと日本食、百均、そしてAmazonの宅配

 日本で快適だと思うものは、シャワートイレと百均、Amazon プライムの翌日配送と、言うまでもなく日本食だ。

その内で無いことにガッカリするのはシャワートイレであろう。
今では日本の何処でも備え付けられている感のあるシャワートイレは、この時代になっても日本以外ではほとんど見ることはないと聞いている。日本を訪れた観光客がこぞって絶賛しているにも関わらず、日本企業が積極的に海外に進出するでもなく時が過ぎているのが現状だ。
海外組が普通にシャワートイレを備え付けられる日は、果たして来るのだろうか?


さて、日本滞在中に免税ではなく普通に買い物をすることがほとんどだった私は、Amazon でよく買い物をした。
利便性を考えてプライムに入ったが、ほぼ全ての商品は翌日配送となり、非常に便利だった。時間指定をすれば間違いなく指定時間内に届けられ、時間を指定していなければ夜 7 時頃までには間違いなく配達された。日本の宅配業者の信頼度は非常に高く、荷物の取り扱いも、接客に関しても丁寧である。NZ のとんでもなく杜撰なクーリエに爪の垢を煎じて飲ませたいほどだ。
Amazon で購入した内の幾つかは母の為のもので、容量の大きな吸飲み、痩せこけた身体でも使える非接触型体温計、MCT オイル等々、必要に応じてその都度購入。
自分用に買った "締め付け過ぎることのない" 着圧ソックスのおかげで、10 時間に及ぶフライトでも足が浮腫まずに済んだのは期待以上だった。
また、恐らく小学校以来ではないかと思われるリュックサック購入は、姉や姪の強い勧めがあったからに他ならないのだが、7 kg 弱にもなってしまった機内持ち込み手荷物も楽々運ぶことができ、非常に快適であった。


日本滞在中、幾度となく行ったダイソーやセリアといった百均の店。
百円の物ばかりではないが、それでも安く、品質は昔のように悪くはない。しかも介護用品まで売られているのには驚いた。
介護が必要な人の状態は様々であるが、身体/お尻拭き、使い捨てビニール手袋のようなごく基本的な必需品から、本来は専門店やら限られた薬局でしか手に入らないような、口腔ケア スポンジなども販売していて、ただただ凄いなと感心した次第である。
キッチン用品から洋裁小物まで、今回は買ったものが結構あった。


日本食の秀逸さは世界中で有名だが、私の故郷である静岡県は新鮮な海産物に恵まれ、ダントツに寿司が美味しく、スーパーマーケットで売られているパック寿司でも十分だと思えるほどである。もちろん、アボカドが入った巻き寿司など無く、握りがほとんどであるのは言うまでも無い。
また、滞在中、寿司以外にも美味しい物をこれでもかと言うほどご馳走になった。
この先、生きている間に、毎日のようにこれほど贅沢な食事ができる日が来るとは思えないが、それでも NZ に早く戻りたいとひたすら思ったのは、ひとえに、日本が住みやすい国ではないからに他ならない。

田舎に行けば行くほど、陰湿になる人間関係...
他人の生活に土足でズカズカと入り込むことがさも当たり前のように、隣近所の家の事情を把握したい輩がやたらと多く、有る事無い事ふれて回るのを唯一の楽しみとしているような人々を見ると、ほとほと嫌気がさした。

父が他界した後、実家は耐震構造の家に建て替えをしたのだが、家が出来上がると、近所の人たちが家を見せてくれとゾロゾロとやって来て、展示場でも無いのに全ての部屋を見物して回ったのだそうだ。
もちろん姉は断りたかったが、断ったら少なからず険悪になるのは間違いなく、やむなく要求を呑んだと言っていた。プライバシーも何もあったものじゃない。

私はそのような生活は真っ平御免だ。

滞在中、防災訓練と称するものがあったが、学区毎に割り振られた防災班というものがあるおかげで、学区の境目にある私の実家は目の前にある小学校ではなく、1.3 km 彼方の小学校まで歩いて避難しなければならなくなるという、非現実的な、誠に馬鹿げた行動をとらざるを得なくなっている。
非常時に、母のような要介護の家族が居る家庭は、車椅子を押して避難場所には行かず行けず、歩いて 5 分の所にある総合病院にも避難できず、家で待機しているしかないだろうと、姉夫婦は言っていた。私はたまたま会った隣人にも同じ疑問をぶつけてみたのだが、「そういう決まりになっているから仕方がないんだよね。避難するより自宅に居た方が安全かも知れないね」というだけで、上から言われたことには従うしかないという頭しかないことがわかった。

緊急事態が起こる前に、何とか現実的に受け入れることのできる対策を取ろうという前向きな気持ちなど更々無い。いや、そういう気持ちを抱かせないように教育されて来ていると言うべきだろうと思えて仕方がない。

あの常にしっかりとしていた姉でさえも、つまらないいざこざに巻き込まれないように、あえて正論を言わず、だんまりを決めこんでいる姿を見ると、『言っても無駄』なんだろうなというのがよくわかった。

シャワートイレも無ければ、美味しいお煎餅も、スイーツも無いに等しい(あっても高過ぎる)NZ に戻り、入管で「あなたすごく若く見えるわね」と笑顔で迎えられ、やっと帰って来られたことを本当に幸せだと感じた。

日本を出て本当に良かったと、心底思えた今回の帰省であった。





11.12.24

違和感

 日本滞在期間の約 1/3 は、母が入院していたこともあり、面会に行く以外は自由に時間を使うことができていた。
せっかく日本に来たのだからと、歯医者を予約し、欠損していた歯やら虫歯の治療を開始し、母が退院してからも時間を調整して、全ての治療が終わるまで何とか通うことができたのは幸いだった。短期間の滞在であるため、もちろん国民健康保険には加入せず、全額自費での治療ではあったが、それでも NZ で歯科治療を受けることを思えば比較にならないほど安いことは確かだ。(ちなみに、NZ で H が虫歯の治療をした際の治療費は、1 本の歯に被せ物をしただけで日本円にして 27 万円を越えた)

歯医者は歩いて行ける距離に 5 院ほどあり、姉たちに評判の良い所を聞いたのだが、よくわからないというので、電話をして直ぐに予約が取れる所で良しとした。

その歯科医まではゆっくり歩いても 10 分ほど。そしてその周りにはスーパーマーケットやら薬局があり、治療が終わるとスーパーマーケットに寄っては姉に頼まれた買い物をして帰ったものだ。

スーパーマーケットの店内に入ると、私と同じような白髪頭のお婆さんたちが多く買い物に来ていた。
皆背が低く、細く、地味な色合いの服を着ていた。
そんな中、白髪ではあるが肩よりも少々長いストレートの髪の、長身かつ体格(恰幅)の良い私は完全に馴染んでいない存在で、非常に違和感を感じ、それを姉に話すと、「確かに、この辺りの人じゃない感じがするね」と笑っていた。


姉は昔から頭脳明晰で、しっかりした人だと信じて疑わなかったのだが、歳をとって丸くなったと言うか、どうでもいい事が多くなったと言うか... 私だったら明らかにしておくだろうことを有耶無耶なままで良しとする傾向にあることがわかった。
自分に都合が悪いことでも我慢して受け入れ(私からすれば我慢しなくてもいいことまで)、大変な思いをしてストレスを抱えこむことになっている姉を見た私は、やはり黙ってはおれず、特に、ビジネスで母の介護に関わってくれていた人々には、単刀直入に且つやんわりと質問をし、有耶無耶なまま無理をして過ごすことがないように務めていた。

相手から言われたことを、納得していなくとも「はいはい」と受け入れる、或いは受け入れたふりをするというのは、日本人によくある特徴だが、私は納得していないことをし続ける(または無視できる)性分ではないので、最初から自分がそのことについて理解できていないことを伝え、説明をしてもらうようにするのだが、大抵の場合、それで問題なく解決できている。


日本では私のような性格では生活し辛いというのが、改めてよくわかった今回の滞在であった。



10.12.24

NZ に戻る

数週間前、大家さん一家が引っ越しをしたとの連絡が T からあった。

私がいない間に変わったのはそれだけだろうか... 
そんなことを考えながらの NZ 帰国となった。




日本に 3 ヶ月余り居ることになるとは予想だにしておらず、持って行った服は夏服のみ。おまけに喪服用の靴まで用意して行ったのだが、入院時の担当の医者を筆頭に、全ての関係者が『家で看取り』という方向で母の退院を捉えていたのとは裏腹に、退院後の母の容態は安定し、食欲も旺盛な状態を維持し続けている。

ほとんど寝たきりだった入院生活が嘘のように、母は歩行器を使ってトイレに行くことも、数時間椅子に座り、パソコンでジグソーパズルをしたりできるようにもなっている。

デイケアサービスには週 2 回、朝 8:40 頃から夕方 4:30 近くまで行って来ることができるようになり、様々なアクティビティを他の人たちと同様にこなしているらしく、あの骨と皮だけになってしまったような身体からは到底想像できないだろう体力を持ち合わせている母に、周囲は驚かされるばかり。

最期を看取るまで介護をすることになるだろうとの予測は外れ、最期はまだまだ先になる可能性が高まってきたと思えた時点で、姉と話し合い、私は NZ にそろそろ戻ることにしたというわけだが、これからも依然として大変な介護を殆ど一人で担わなければならなくなる姉には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
とはいえ、私が居ることでの負担/気遣いも少なからずあることも承知していたため、全てを踏まえた上での決断となったわけで、離れて暮らす姉の娘たちのサポートや、義兄の協力無しには、この段階での NZ 帰国はおそらく無理だと考えていたことだろう。

滞在中、姪たちは私に大変良くしてくれ、気を使ってもくれた。
姉と私の手伝いをしようと、遠く離れた県からリモート ワークに切り替えて何週間も来てくれていた子が居てくれたおかげで、重労働の介護が苦しいだけのものではなくなり、ほとんど毎日のように涙が出るほど笑っていられたのは、本当に有り難く、ストレスがかなり減ったことは疑いようがない。
また、私の NZ 帰国日を知らせると、帰国前に一緒にランチに行こうとわざわざ来てくれたり、出発の日の朝お土産を持って家まで見送りに来てくれた子あり、LINEで楽しかった思い出話に花を咲かせながら見送りをしてくれた子ありで、どちらも心から嬉しいと思えるサプライズであった。

我が家の子供達のみならず、姉の子供たちも、皆素直で可愛い子供達だなと、改めて思った次第である。

帰国日の空は晴れ渡り、遠路はるばる車で迎えに来てくれた長男のおかげで、少し雪化粧した美しい富士山を見ることができた。

私が NZ に戻った日を境に、日本は急激に寒くなったと聞く。
皆が体調を崩さないようにと、暖かい NZ から祈るばかりである。




1.10.24

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景...

到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。
乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。

また、全ての人が乗り込み終わるまで、ドアを開けておくボタンを押し続けてくれている人が必ずいる。そして、開くボタンを押す使命感を感じている人は、全ての人が降り終えるまでボタンを押してくれていたりして、それに対して先に降りる人々は「すみません」と言ったり、お辞儀をしたりして降りていくことになる。

日本人が他の国々から polite と称賛されるのは、こういう行為をごく普通に目にするからに違いない。

NZ でも、少々遅れて来た誰かのためにエレベーターのドアを開けておいてくれる人は多くいるが、その場合は皆 Thank you. :) と言い、「すみません」ではない。
また、エレベーターを降りる際にお辞儀をすることはほぼ 100% 無い。

お国柄の違いというのは実に面白いものだと、今回帰省して改めて思った次第である。



24.9.24

急遽日本へ

90 歳を超えた母が肺に炎症を起こし、緊急入院したとの一報が入ったのは先月末...

以前から誤嚥性肺炎があり、肺機能が落ちて来ているとのことで、寿命もあるし、急変した際には延命治療はしないことにしたと...
まだ元気なうちに一度会いに来ておいた方がいいという姉の言葉を受け、早速子供達に連絡を取った。

H と T の都合を調整し、エアチケットを取ろうとしたのだが、その時点で日本はノロノロ台風 10 号の影響で飛行機の離発着にも影響が出ているというので、さすがにこの日まで待てば台風は過ぎ去るだろうと踏んだ日を選び、日程変更可能のチケットを押さえたのが今月 4 日。

念の為に日本到着後 5 日間は病院に面会に行くことは控え、私たち一時帰国組の誰もが感染症に罹っていないことを確認した上で、母に会いに行った。
母は体重が激減しているとは聞いていたが、身体は小さくなってしまい、まるで骨と皮だけのような手足と、痩せこけた顔を目の当たりにして、愕然としてしまった。

炎症の値は上下していたが、容体は徐々に回復し、退院予定日を 1 週間超過した 12 日、無事母は退院した。

母は大腿骨骨折後、家の中では歩行器を使い、外出時は車椅子を使わないとならない生活...
看病をする姉の負担は想像以上に重く、これまでずっと姉に任せきりだったことを心から申し訳なく、また有り難く思った。

痰が切れず、また入れ歯を外して話す母の言葉はなかなか聞き取れず、何度も何度も聞き返さないとならないのは、私のみならず姉も同じで、話し辛い母が何度も同じことを繰り返して言わないとならないのは可哀想の一言に尽きるが、どうしようもない。

退院の日、母の容体はその前の日よりも悪くなっているように見えたが、再度検査することなく退院してしまったのが祟って、案の定、その後 3 日間はほとんど食事も喉を通らず、痰も切れず、自力で起き上がることができない状態になってしまった。
衰弱が激しいと判断した姉は病院に連絡し、救急外来を受診... 極度の脱水状態で、そのまま即再入院となって今に至っている。

入院している限りにおいては差し迫って命の危険はないかもしれないが、退院したら入院中と同等の看護はできるはずもなく、医者からも家庭での看病には限りがあるので、介護施設に入ることも選択肢の一つとして考えてもいいかもしれないと幾度となく言われたが、痴呆にもなっておらず、冴えた頭のまま介護施設に入れられ、胃瘻、或いは喉やら股関節付近に穴を開け管を通して、そこから栄養を流し込む処置を施された上で、感染症の恐怖に怯えながら家族と離れて余生を過ごすことが果たして幸せだと言えるのか... と、姉と二人で話し合った。

家に戻って介護する道を選べば、徐々に衰弱し、間も無く最期を迎えることになるだろうことは誰もが想像できるが、その方が年老いた母にとっては幸せなのではないか...
もし自分が母の立場だったら、その方を選ぶのではないかなどと考え続ける毎日で、精神的に疲れ果てている。

今日は母の具合は悪くはなく、食事もしっかり食べられたようで、少しホッとした。



T とH は明日の便でとりあえず NZ に戻ることが決まった。

私はおそらく母の最期を看取るまで日本に滞在することになるだろう。




19.8.24

ニウエ の物価

 H 達は 1 週間の観光を終え、無事 NZ に帰って来た。

食事は美味しかったが、食べ物の選択肢はあまり無く、毎日ほぼ同じ物ばかりを食べざるを得なく、いささか飽きたとのこと。

外食は高くつくので、自炊をしようと思っても、スーパーマーケットに並んだ商品の大半が NZ からの輸入品で、価格は裕に倍を超え、普通のチーズは 2kg $56 (現在のレートで約 ¥5,000)、ワインは NZ の 2 倍となり、キャベツ半分で $14 (約 ¥1,250)、レタス $11 (¥1,000 弱)、きゅうり $13 (多分 1 本で ¥1,200 弱)と、自分で栽培しなければ生活していけそうもない驚きの価格となっていたようだ。

(何故パンが外に出された棚に陳列されているのだろう?すぐにカビてしまいそうじゃないか...)

また、ニウエ最後の夜はフライドチキン屋に行こうと思ったのだが、小麦粉が島にもう残っていないから作れないとのことで断念したと言うのを聞いて、小麦粉も島で生産できないんだと、想像以上の不便さに私は度肝を抜かれた。

貨物船が着くポートはあるものの、船は月に 1 回しか来ず、荷物が届いた直後は(べらぼうな値段だとしても)一応商品はあるが、次の荷が入る前にストックが底をついてしまっているという状況...

ニウエに移住するとなったら、日本の昭和時代にさして裕福ではない家庭に育ったような生活を想定しないとならないのではないかと、私の幼少期の光景を思い出してしまった。

H は宿の Wi-Fi に繋げたものの、超遅くて何もできないと、現地でテレコムの SIM カードを買い、4G で接続していた模様。
移住するのであれば、これは Starlink を使用すれば何とかなるだろうか...


生活するとなると不便な点が多いだろうというのはよくわかったが、私は H が「波の音がすごくて怖かった」と送ってくれたビデオを観て、それが一番衝撃的だった。



確かに怖い。
今でさえ、暴風雨の夜には窓に叩きつけられる雨音で眠れなくなってしまうような私だ。昼間ならまだしも、夜中に大音響で荒れた波の音を聞くというのは恐怖そのものだろう。

そんな海辺には私は住めないだろうな...





13.8.24

How to cut men's hair with scissors



 WHAL のクリッパーやらハサミやらなんやらを買って、美容院に行くのをやめた私。

まず切ったのは自分の髪で、取り立てて技術の要らないような、ほぼストレートの髪形にし、極々普通に出来上がった。

次に、T の髪が長くなるのを心待ちにし、私が「そろそろ切る?」とか、「だいぶ伸びたね」とか言う度に、T  が「まだいいかな...」と苦笑いしながらおののく事数回...
遂に T が「長くなってきた」と言ったのを聞いて、ニヤリとする私に、T は「怖いよ〜」と笑いつつ、観念して、私が用意した椅子に座った。

まず髪を濡らして... と、普通のお掃除用スプレーボトルとして買っておいたものに水を入れ、シュッシュッと吹きかけると、かなり冷たかったようで、T はブルッと首をすくめ、二人して大笑い。笑ってしばらく作業にとりかかれず... (真冬の NZ で頭に水を吹きかけられた T 😅)

この床屋さんが使っているような霧状に出るスプレーボトルを買わなくちゃなと言いながら、ビデオに倣って切り始めた。
予習は万全だと思っていたのだが、いざ切り始めてみると、「あれ?ここどう切るんだったかな?」と、心もとなくなり、「あれ?」「あれ?」と口走る私を見て笑う T ...
終始笑いながらの "なんちゃって床屋" の一日目は、裾の始末が何だか中途半端に長いまま終わった。
次の日になって T が、裾がちょっと量が多い気がすると言い、私もそう思っていたので、一日目の後学習しておいた方法で、「えーい、切っちゃえ!」とばかりに結構思いっきり切ったところ、「いいじゃん」と T に言ってもらえ、取り敢えず 1 回目のカットは終了。

カット後、髪を洗い、ドライヤーで乾かし終わった T が私のもとにやって来て、「すごいよ、ブラシで整えなくても、ドライヤーで乾かしただけでまとまるよ、この髪型!!」と喜んでいた。(決してそれを狙って切った訳ではない)

次も同じようにできるか少々心配ではあるが、見苦しくない程度にはカットできているようなので、回数を重ねれば、その内自信を持って臨むことができるようになるだろう。

ふぅ... 大失敗しなくてよかった...




12.8.24

H & パートナー Niue に行く

 H 達は一昨日朝の便でニウエに向かった。
NZ オークランド国際空港からは約 3 時間の飛行で着いてしまう島だが、ニウエの時間は NZ よりも 23 時間遅れの、前日+1 時間という、何だか狐につままれたような時差...

「着いたよー」と送られてきた写真は気持ちの良い南の島そのもので、冷んやりした NZ で膝かけを手放せない私は、心底羨ましくなった。



物凄く暑いだろうと想像していたのに、23℃ と、超快適だと喜ぶ H 。
いいな〜


だが、以前住みたいと思っていたニウエは、今は私の移住の選択肢には入っていない。
歳を取り、年金受給に必要な現況届け提出のために、年一回、オークランドにある日本国領事館まで在留証明書をもらいに行かなければならなくなるというのは、やはりストレスになるに違いなく、しかも、ニウエへの便は週に一回しか飛んでおらず、何もすることがなくても、一週間は NZ 滞在を余儀なくされる。元気なうちはいいが、そうでなければ肉体的にも精神的にもキツくなるのは目に見えている。更に、往復のエアチケット+滞在費(食費も含む)等々の余分な出費も家計を圧迫することになるのは明らかだ。

また、移住ではなく単なる旅行でも、90 歳を超えた母のことを考えると、丸々一週間飛行機が飛ばず、島から出れないという状況で、何の心配もなく楽しむことは、今のところできそうにない。

結局のところ、歳を取ったら日本国領事館のある都市に住み続けるのが得策かなと、そんなことを考えてしまった次第である。



だが、この先、家を買うのも借りるのも異常に高い NZ に住み続けるのが困難になってしまったら、もしかしたら、またニウエに移り住みたいと考えるようになるかもしれない。
先のことはわからない。





6.8.24

Ahmed Zaoui in New Zealand (Part 1)






心温かで、穏やかで、とてもフレンドリーだった彼は、NZ 市民権を取得した数年後、故郷アルジェリアに戻り、そして昨年 10 月、アルジェリア国内の自宅で政治集会を開いていた際に、武装した警官が踏み込み、刑務所送りとなったことを、私は昨日知った。


裁判も行われておらず、またその見通しもたっておらず、ただただ劣悪な環境に置かれ続けている彼は、自国での平和で開かれた政治を追い求めていただけだ。


彼の生涯は『波瀾万丈』と一言で片付けるにはリスクが大き過ぎ、常に命の危険が付いて回っている。
Ahmed の件を扱ったドキュメンタリー Behind The Shroud の中で、Mohamed Samraoui (Former Algeria military intelligence chief) が最後に語った言葉が、深く心に突き刺さった。


Ahmed のみならず、彼もまた祖国を捨てなければならない人になってしまったのだ。



彼とその家族に、またAhmed を助けた人々全てに平穏が訪れるよう、心から祈るばかりだ。




2.8.24

FIRST TO SEE THE LIGHT

 友達がお高い車を買うというので、お供として付いて行った T 。(友達のたっての希望)

飛行機は無事に着いたようで、写真を送って来てくれた。



行った先は、世界で一番早く新年を迎える地として有名な GISBORNE という土地で、行きは飛行機でオークランド空港から 1 時間ほどだったようだが、帰りは友達が買った車でオークランドまで来るとのことで、約 5 時間半の道のりだとか。

T の友達は、長い道中一人で運転して帰るのはつまらないと考えたのだろう。
仲が良く、しかも車好きの T と一緒に、きっと楽しくドライブして帰ってくるに違いない。

T は久々に飛行機での移動...
国内線なので、左右  2 列ずつしかない小型機だったが、パイロットが上手で、全然揺れなかったよと言っていた。


さて、今日の夕食は私一人だ。
何を食べよう... 





31.7.24

H がくれた大量のチーズ

 H が働く会社では、先頃行われたフード ショーで余ったチーズを大量にもらったらしく、冷蔵庫内にチーズが占める割合が多くなってしまったようで、要らないかと私にメッセージが来た。

余ったら欲しいと伝えると、その日の夕方、会社帰りに沢山のチーズを持って来てくれた。


Castello (デンマーク)の物は美味しく、そして高価だ。半円状の物で NZ$11〜12もする。
また、Hutchinsons (オーストラリア)のクリームチーズは、スーパーマーケットでNZ$5.80 ほど。

早速、Hutchinsons のトロピカル フルーツ クリーム チーズを食べてみたら、全くと言っていいほどチーズ臭くはなく、非常にクリーミーで美味しかったので、翌日から朝食プレートに数切れ乗って登場することとなった。

ほとんどデザートという位置付けだ。 



以前、足繁く通っていたイタリアン レストラン『ミラノ』では、ブルーチーズを乗せて焼いたピザがすこぶる美味しく、メニューに載っていなくなってからも、常連客の私たちにはシェフが特別に作って出してくれていた。

ブルーチーズは独特な臭みがあり、普段よく食べるというわけではないが、ピザにすると何故あんなに美味しいのだろうというくらい美味しい。

ブルーチーズをいっぱいもらったので、久々に、フラットブレッドに乗せて焼いてみたくなった。




日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...