真っ白な砥石は表面を平らに均し終わったもの
同居人Hが日本から帰国する際、荷物が多過ぎて持って来れなかった父の形見の天然砥石を、日本に居る長男が、他の荷物とともに郵送してくれた。
厳重に一つ一つを緩衝材で包み、きっちりと段ボールに詰めてくれてあったので、割れることも、欠けることも無く、無事に届いてくれてほっとした。
砥石を見ながら、表面を真っ平らに均すべきなのかどうかしばし考えた。
世間で言われているように、本当に真っ平らにしなくてはならないのだろうか…
父は寸分の狂いも無いような家具類を、真っ平らではない砥石で研いだ道具類を使って作ることができたのだ。父の作った家具は歪むことも軋むことも無く、60年近く(或はそれ以上)経った今でも壊れること無く使い続けていられるのだから、真っ平らでない砥石を使っていても全く問題は無いということなのではなかろうか…
世間に垂れ流されている情報の何を信用したらいいのか、どのようにしてその情報が正しいと判断したらいいのか… 父を亡くしてしまった今となっては、誰を頼りにしたらいいのかもわからない。
とは言うものの、せっかく相続した砥石を使わないで仕舞っておくのはもったいないので、取りあえず、最も平らに近かった砥石の表面を、これまで使っていたダイヤモンド砥石を使って均してみることにした。
さすがに、やや高額だったダイヤモンド砥石は使い込んであっても凹んではおらず、天然砥石の表面を均すのには非常に都合がよかった。(このような使い方をするようになるとは思ってもみなかったが、天然砥石の価値を知った今は、"たかが人造のダイヤモンド砥石"である)
早々に天然砥石で料理用包丁を研いでみると、非常に滑らかな研ぎ心地であるのに、研磨力は驚くほど高く、刃を痛めている感がまるで無いのにも関わらず、想像以上に早く研ぎ上がったことに驚いた。
ダイヤモンド砥石を使っていた時には、最も目の細かいプレートを使っていても、刃を痛めている感じをどうしても拭えず、研いでいると言うよりは、削っているという感じがしてならなかった。それでも、雲の上のお師匠さんのように、50年以上家具職人をしてきた人の推奨する物だから間違い無いのだろうと信じて使い続けていたのだが、最終的にポリッシング コンパウンドを塗布した皮で磨いて、ようやく研ぎ上がったと感じる程度のシャープさでは、父の研いだ刃物に敵うはずもなく、ずっと、「これではダメだ」と、納得できないままだった。
刃物を研ぐことに対しての意気込みと言おうか、深さと言おうか、適切な言葉が今出て来ないのだが、とにかく、日本の刃物のシャープさを追求する姿勢と言うのは、他の国々のそれと全くレベルが違うのだということを、私は今はっきりと認識したように思う。
大枚はたいて買ったダイヤモンド砥石は、これからも西洋の薄っぺらなブレードを研いだり、日本の砥石を平らにするのに使うだろうが、日本製の刃物については、もう二度とダイヤモンド砥石を使うことはないと断言できる。
ダイヤモンド砥石で"刃をつける"ことはできない。
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面白いほど良く切れるようになった三徳包丁でキャベツの千切りを試してみた。
私は、キャベツの千切りには通常菜切包丁を使うのだが、研ぎ立ての三徳包丁でも問題無く極細の千切りができた。
柔らかな鶏肉にもすぅーっと刃が入って行く。
料理自体に興味は無いのだが、食材を切るのは嫌いではない。
そういえば、父親の葬儀の後、食事の支度をしてくれた姉や母の隣りでひたすら食材を切っていたのは、他ならぬ私だった。
要するに、刃物に興味があるということか…