28.11.16

こんなものなのかな?


早速ニョッキを作ってみた。

生地を捏ねて丸めて、板の上で軽く押し付け、クルッと裏返すと綺麗な筋目が付いた。

が…  丸めたニョッキは芋虫に見えて仕方がなかった。


味つけはフライパンで熱したバターの中にセージ(sage)をちぎって入れるというレシピを見たので、庭にあるパイナップル セージで代用し(これでいいのか?と少々味を恐れながら…)、レシピにあった何たらいうチーズは家になかったので、エダムチーズとパルメザンチーズを振りかけて良しとし、オーブンで表面をこんがり焼いて食べてみた。

味つけは塩こしょう。

特別美味しいという感じではないが、不味いわけでもなく、ごく普通…
味つけの問題かな?



このニョッキ ボード、パン作りに使えるかも…



27.11.16

Gnocchi Board 作り

好きではない買い物に出かけ、好きではない料理を頑張ってし続ける毎日。

夕食に、同じ献立を2週間以内に出すことは滅多に無い私だが、自分が美味しそうだなと思って作っても、同居人たちには不評なものがあり、せっかく用意してもガッカリされることがあったりして、増々料理が嫌いになって行くというのが現状だ。



一昨日は長芋とオクラのネバネバ系和えもの(+鰹節/わさび醤油味)が喜ばれ、昨日はハワイに居た頃よく食べたポキ(Poke)と呼ばれるマグロの刺身の醤油漬けが喜ばれた。
今回のポキには、玉ねぎのみじん切りとコリアンダー(家で栽培)を刻んだものを入れ、庭で採れたレモンを絞り、醤油とオリーブオイルに赤唐辛子少々とニンニクのすりおろしを一かけ分入れた。(玉ねぎを入れるのは定番だが、その他に入れるものは適当に家にあったものである)


そんな料理嫌いな私が最近製図し、作っていたのは、ニョッキ(gnocchi)を作る際に使用する洗濯板のような波形のギザギザがついたボードだ。
ニョッキを作ったこともなければ、食べたこともないので、サイズも、波形の間隔も深さも想像で作るしかなく、使い易いかどうかさっぱりわからない。

試作品として作るのにわざわざ板を買うのももったいないので、先日ベンチ作りをした際に余ったパイン材を使って、取りあえず2つほど作ってみた。


今回は手間暇かけて手彫りでギザギザを作るのはやめ、しばらく眠っていたままだった電動ルーターを使ったのだが、楽をしたとは言え、一つ一つの溝の間隔を揃えながらの作業で、慎重に幅を揃えるのにけっこう時間がかかった。


角を丸くし、サンドペーパーで溝の一つ一つまできれいに磨き、アクセントにKwila を細長く切り、上部になる面に丸みを持たせたものを、溝を掘ってはめ込んでみた。


仕上げは、植物油を塗っては乾かし、塗っては乾かし…


だが、ニョッキを作っても、もしかしたら同居人たちは好きではないかも知れない…

チーズ フォンデュセットを買い、「材料を切るだけでいいから、楽チン!」と思っていたら、不評で、一度しか食べなかったし、次にRaclette グリルを買ったものの、「一度食べれば充分かな」という評価だったため、二度目に挑戦できずにいるような家だ。
(チーズ料理が嫌いなわけではないが、チーズだらけの料理は胃がもたれるのと、全ての食材がチーズ味になってしまうというのがダメらしい)

そんな具合なので、目新しい料理をしても「何これ?」と思われるだけで、美味しいと思ってもらえることは非常に稀なのである。


さーて、これから初ニョッキでもひとつ作ってみることにしようか…



23.11.16

Hide Glue 到着


裏庭の梅の木が伸び過ぎたので、剪定しようとしたのだが…
いつの間にか鳥が巣を作っていた。

鳥は一日中巣に居るわけではなく、時々どこかに出掛けて行くようだ。
おそらく卵を温めているのだろうと思うが、ヒナが無事に孵って旅立つまで、梅の木は伸び放題… 

ヒナが無事に孵るといいねと、同居人たちと毎日観察しているのだが、鳥の卵というのは、何日くらいで孵化するものなのだろうか? (鳥の種類にもよるだろうが)




さて、待ちに待ったHide Glue がようやく届いた。
長旅で、印刷された文字はインク染みとなってしまっていたが、幸いにも宛先を書いた紙の上には透明テープが貼られており、無事に届いてくれてホッとした。


Hide Glue というのは、乾くまでの時間が早いらしく、クランプで留める必要がないと言っている人もいた。(まるで瞬間接着剤のような感じだな…)
それ故、同時に何カ所か接着したい時とか、込み入ったジョイント部分に丁寧に塗ることが要求されるようなものには、固まるのが遅いリキッド状のものを使うようにということだったので、またその内にリキッド状のものも買う必要が出て来るかも知れない。

私がこの Hide Glue を使ってみたかった一番の理由は、接着面からはみ出したグルーを取り除くのが非常に楽だという点にある。
特に、ボックス等の内側にはみ出たグルーを取り除くのにいつも難儀をしていたので、固まったグルーをポロッと簡単に剥がせるというのは、何にもまして嬉しいことである。


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以前買っておいた皮の端切れを使って斧の sheath(鞘)を作った。
刃が当たる部分には厚目の皮を2枚重ねて貼り付け、その上からハンド ステッチを施し、鋭利な刃先で鞘を切ってしまわないようにしておいたので、滅多なことでは破れてはこないだろう。

皮を手縫いするのは初めてだったが、皮工芸用の安い道具セットを買っておき、YouTube でざっと縫製の仕方を見ておいたので、簡単に出来上がった。

皮工芸用の道具を買いはしたが、長年洋裁をしてきたためか、特に皮工芸に興味をそそられるということも無く、また、難しいと思う点も無く、それ故、皮工芸では達成感というものは得られないだろうと思うに至った。
私の中では、料理やら洋裁と同じ部類… そう、普通にできて当たり前なものでしかなく、特別鍛練の必要なものではないのだ。




努力を要さないものは楽しくない。
容易に手に入らないものだから、追い求め続けようと思うのだ。

そうだよね、(雲の上の)お師匠さん。



20.11.16

私が一緒に居なくてよかったね

父が亡くなってからというもの、姉は一人になってしまった母の面倒を以前にも増してよく見てくれている。

年老いた母を連れて北海道巡りの旅に出掛ける時には、歩くのが少しでも楽になるようにと折りたたみ式の杖を買って用意してくれてあったり、ずっと母に寄り添って、ゆっくり歩いてくれていたようだ。

今年は台湾ツアーにも連れて行ってくれた。
考えるまでもなく、歳を取った母親抜きで一人で行った方が楽に決まっている。だが、姉は母に一緒に行くかと聞いてくれるのだ。

母は旅行に限らず外に出かけるのが好きだ。そして姉も同じ。

それとは正反対に、私は父親に似て、外に出かけて行くよりも自宅で何かを作っていたり、本を読んでいたりする方が好きで、旅行にはさして興味が無い。



私は母に送ったメールの中にこう書き添えたことがあった。
「よかったねぇ、お姉さんが色んな所に連れて行ってくれて。」
「私が一緒に住んでいなくてよかったね。」
母からその返事は無かった。



かつて活動的な知り合いがいた。
彼は度々、「一緒に台湾に行こう」と誘ってくれたり、「モロッコに行かないか?」「ニウエに行こう」などと呼びかけてくれたのだが、「行かない」と断り、「これからは僕が色んな所に連れて行ってあげるよ」と言ってくれても、笑って済ませただけだった。

そんな彼が「電話してきて、いつでもいいから」と言ってくれた時、私は何と返事をしたと思う? 私は、「電話しないよ」と返事をしたのだ。
実際、電話もメールも何もしなかった。その時点で私達を繋いでいた糸が完全に切れたように思った。


多くの人は、私と居てもつまらないだろうと思う。
TVも観ない(TVなど家には無い)。世間のゴシップには全く興味が無い。どこかに出かける気も無い。世間の人が楽しんでしている多くのことに興味が無い。また、媚も売らなければ、歯が浮くようなお世辞を言う気も無い。

いつからこうなったのかと振り返ってみても、劇的な変化を遂げた形跡が見当たらない。
多分、ごく小さな頃からこうだったんだろうとしか思えないのだ。


歳を重ね、この世で生活するのに適さない人格を備えて産まれて来てしまったと痛感するようになった頃から、カミュの『異邦人』に書かれている事柄が更に深く心にしみるようになって来た。

私はこの世に期待することも、希望することも何も無い。

だから、放っておいてくれないか…
親切そうな人が目の前に現れる度、心の中でそうつぶやいてしまっている私が居る。






18.11.16

まだまだ研ぎが甘い


仕上げ鉋の刃を研いだ。
写真を撮って拡大して見ると、肉眼ではわからなかった研ぎの甘さがよくわかる。

まだまだ だな…


ダイヤモンド砥石の使い道

真っ白な砥石は表面を平らに均し終わったもの

同居人Hが日本から帰国する際、荷物が多過ぎて持って来れなかった父の形見の天然砥石を、日本に居る長男が、他の荷物とともに郵送してくれた。

厳重に一つ一つを緩衝材で包み、きっちりと段ボールに詰めてくれてあったので、割れることも、欠けることも無く、無事に届いてくれてほっとした。


砥石を見ながら、表面を真っ平らに均すべきなのかどうかしばし考えた。
世間で言われているように、本当に真っ平らにしなくてはならないのだろうか… 

父は寸分の狂いも無いような家具類を、真っ平らではない砥石で研いだ道具類を使って作ることができたのだ。父の作った家具は歪むことも軋むことも無く、60年近く(或はそれ以上)経った今でも壊れること無く使い続けていられるのだから、真っ平らでない砥石を使っていても全く問題は無いということなのではなかろうか… 

世間に垂れ流されている情報の何を信用したらいいのか、どのようにしてその情報が正しいと判断したらいいのか… 父を亡くしてしまった今となっては、誰を頼りにしたらいいのかもわからない。

とは言うものの、せっかく相続した砥石を使わないで仕舞っておくのはもったいないので、取りあえず、最も平らに近かった砥石の表面を、これまで使っていたダイヤモンド砥石を使って均してみることにした。

さすがに、やや高額だったダイヤモンド砥石は使い込んであっても凹んではおらず、天然砥石の表面を均すのには非常に都合がよかった。(このような使い方をするようになるとは思ってもみなかったが、天然砥石の価値を知った今は、"たかが人造のダイヤモンド砥石"である)

早々に天然砥石で料理用包丁を研いでみると、非常に滑らかな研ぎ心地であるのに、研磨力は驚くほど高く、刃を痛めている感がまるで無いのにも関わらず、想像以上に早く研ぎ上がったことに驚いた。

ダイヤモンド砥石を使っていた時には、最も目の細かいプレートを使っていても、刃を痛めている感じをどうしても拭えず、研いでいると言うよりは、削っているという感じがしてならなかった。それでも、雲の上のお師匠さんのように、50年以上家具職人をしてきた人の推奨する物だから間違い無いのだろうと信じて使い続けていたのだが、最終的にポリッシング コンパウンドを塗布した皮で磨いて、ようやく研ぎ上がったと感じる程度のシャープさでは、父の研いだ刃物に敵うはずもなく、ずっと、「これではダメだ」と、納得できないままだった。

刃物を研ぐことに対しての意気込みと言おうか、深さと言おうか、適切な言葉が今出て来ないのだが、とにかく、日本の刃物のシャープさを追求する姿勢と言うのは、他の国々のそれと全くレベルが違うのだということを、私は今はっきりと認識したように思う。

大枚はたいて買ったダイヤモンド砥石は、これからも西洋の薄っぺらなブレードを研いだり、日本の砥石を平らにするのに使うだろうが、日本製の刃物については、もう二度とダイヤモンド砥石を使うことはないと断言できる。

ダイヤモンド砥石で"刃をつける"ことはできない。


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面白いほど良く切れるようになった三徳包丁でキャベツの千切りを試してみた。
私は、キャベツの千切りには通常菜切包丁を使うのだが、研ぎ立ての三徳包丁でも問題無く極細の千切りができた。


柔らかな鶏肉にもすぅーっと刃が入って行く。

料理自体に興味は無いのだが、食材を切るのは嫌いではない。
そういえば、父親の葬儀の後、食事の支度をしてくれた姉や母の隣りでひたすら食材を切っていたのは、他ならぬ私だった。

要するに、刃物に興味があるということか…




16.11.16

AWAPUHI ULA ULA

ハワイアン キルトに興味を持った時期があった。

当時ハワイに住んでいた長男が、キルトのデザイン本やら何やらを何冊か買い集め送ってくれたことがあったが、のんびりキルトを楽しむ時間も持てないまま、ずっと本棚に立てられたままだった。

久しぶりに本棚から何冊かの本を出してきて、夜な夜な眺めていたら、ハワイアンのパターンの鍋敷きも綺麗かも知れないと思い立ち、早々に作ってみた。

このパターンのハワイ名は Awapuhi Ula Ula 。英語名はRed Ginger 。


これも、買ってあったAncient Kauri を使用し、パターンの四隅は父の工具箱に入っていた彫刻刀を使って、素朴な感じに仕上がるよう、簡単に掘って縁取りに被せるようにしてみた。

他にも綺麗なパターンが幾つかあったので、また今度作ってみるとしよう。



15.11.16

美しい Ancient Kauri の鍋敷き


同居人Hの日本旅行の際、お土産にと作った鍋敷きが好評で、渡してすぐに使い始めてくれたとのこと。
「鍋敷き、綺麗だねぇ」と、私など足下にも及ばないほど器用な姉が褒めてくれたのは、本当に嬉しかった。


ベンチが完成してからは、ただひたすらAncient Kauri のラフにカットされたブロックと格闘していた。
Ancient Kauri は、間違って逆目で鉋をかけてしまうと、100% の確率で板の角が大きくゴソッと欠けてしまう。シャープに研いだばかりの鉋を使ってもダメだった。

そのため、今回作ったこの鍋敷きの角を丸くするのをどのようにしようかと悩み、最初はサンドペーパーを使うしか無いかなと思っていたのだが、何年か前、木工を始めたばかりの頃だったと思うが、日本に居る長男が送ってくれたホビー用のツールがあったことを思い出し、それだったら多分大丈夫だろうと、試しに使ってみることにした。


いわゆるカード スクレイパーのホビー用だ。
様々な角度で面取りができるようになっているので、最初は上の写真の板の縁に当たっている箇所で削ろうと思ったのだが、要らない板を試しに削ってみたところ、削る際に板に対してツールが正確に直角になっていないと、赤い矢印で示した角の部分で板の表面に傷を付けてしまうことがわかった。
非常に神経を尖らせて、直角を保ち続けながら削らなくてはならないのはこの上なく面倒だということで、板に傷を付ける心配の無い水色の矢印部分で削ることにした。


透かし彫り部分はサンドペーパーでシャープな角を落とし、周囲は上記の面取りツールで整え、Tung Oil の海にポチャンと浸けてから、余分なオイルを吹き飛ばし、乾かしているところである。

少々扱い辛い点はあるものの、この Ancient Kauri はとても美しく、光りの当たり具合で金色にキラキラ光る部分が現れ、鍋の下敷きになるのがかわいそうなほど、非常に趣のある鍋敷きとなった。





14.11.16

Hide Glue と Bottle Warmer

日本語で言うとすれば『膠』になるのだろうか…

かねてから使いたいと思っていた Hide Glue を eBayに注文し、古い鉄製の Hot Glue Pot を探していたのだが、よくよく考えたら、アトリエには温度調節できる電熱器のようなものは無く、使えるとしたらカセットコンロくらいしかない。

カセットコンロで温め→温度を計り→火を止め→冷めたらまた温めを繰り返すのは想像しただけで面倒だ。しかも、場所を取る。

YouTube で Hide Glue について少々勉強したところ、赤ちゃんのミルクやら離乳食を温めるのに使うような、ボトル ウォーマー が使えるという人がいた。
おー、そういう手があったかと、早速国内のインターネット オークションで『哺乳瓶温め器』を探すことに...

ボトル ウォーマーは幾つも出品されていて、ほとんどが良好な状態のようだった。
幾つか機能を見比べ、その中で最も使い易そうな物に入札しておいたところ、リザーブ価格で落札できたのはいいのだが、その日からオークションサイトに表示される"お薦め商品"は育児用品ばかりになってしまった。

自動検索機能というのは、誠に単純である。
探しているものがしばらく見つからない場合には有効かも知れないが、検索履歴を全てチェックされているというのは、決して気持ちのよいものではない上に、全く興味のない広告ばかりが毎回のように出て来て、「いいかげん止めてくれないか…」と感じてしまうことも多々ある。

次第に移り変わって来た"広告"に対する考え方は、果たして購買者に取って大きな利益をもたらしているのだろうか…



Hide GlueはUKから送られて来ることになっているため、未だ届いていないのだが、届いたらすぐに使えるようにと、ボトル ウォーマーの温度設定を先に確かめておくことにした。


最新式のボトル ウォーマーの中には、温度がデジタルで表示されるようになっているものがあるようで、それだったら便利だろうなと思いながらも、まぁ、私の場合は、ただ一回だけ温度をほぼ正確に測り、ツマミの位置をどこに固定すればいいかを印しておけばいいだけのことなので、これで全く問題は無い。

設定温度は145°F (62.7778℃)
通常私は摂氏表示(℃)を使うのだが、たまたま観たYouTube ビデオの中で華氏で説明されていたため、そのまま°Fで測った。(パン生地を醗酵させる際にも、私は華氏で温度を計る。お手本とした手引書が華氏表示で、一々摂氏にし直す必要の無い、摂氏/華氏両用温度計を持っているためだ)

パン作りの際に使用する温度計を、水を張ったボトル ウォーマーの中に入れた水の入った小瓶(確か、豆板醤が入っていたと思われる空き瓶)に差し込み、待つこと数分… その温度まで達すると赤く光ったライトが消え、その温度よりも2°F下がるとまた加熱が始まったが、再度赤いライトが消えた後に2°Fほど上昇してしまうのは、おそらく致し方ないことなのだろう。
多分、そこまで厳密に温度管理する必要は無いに違いない。


遥か昔から使われて来た Hide Glue を早く使ってみたいものだ。




10.11.16

そら豆収穫


同居人が日本の旅から帰るのを待っていたかのように、急に大きくなったそら豆。

第一回目の収穫はさほど多くはなかったので、莢を取り除くとほんのわずかになってしまった。



箸休め程度のおかずにしかならないなと思いながら、さっと塩ゆでし、皮を剥くと、更に量が激減したように見え悲しくなったが、とても鮮やかな濃い緑色の豆は、卵白と卵黄を別々に炒めたものとあえて(某有名料理人の本に載っていたもの)、食卓に彩りを添えるのに役立った。



ただ、その料理自体は、ものすごく美味しいと感動するほどのものではなかったため、次の収穫物は、豆自体の味を充分堪能できるような調理法にしなくてはと、レシピを探す今日この頃である。


7.11.16

糠に釘

物事を深く考えることをせず、ただ単に表面に現れているいることのみを見て(或はちょっと小耳に挟んだだけで)、いたって単純に "全てを把握した" ような気になり、その極めて浅い理解の上でだけものを言う人が居る。
そのような人は、自分の頭に浮かんだことを、何の確証も無いまま、"誰かれ構わず" 吹聴して回る傾向にある。(誰がどんな性格で、自分の発した言葉がそれを聞いた相手にどのように受け取られるか云々など微塵も考えることなく、取りあえず自分の喋りたいことを口にするという行為にしか興味が無い)
そして、その行動が及ぼす悪影響について思いを巡らすことは大抵ない。

残念なことに、『物事を深く考えることをしない』人は、『考えることをしない』のではなく、『考えられない』のだ。
熟考し、思慮分別を働かせるという機能が備わっていないということなのだ。
悲しいことである。

そういう性質を持って生まれた人が子となり親となりして、血を分けた相手にさえ精神的に危害を加えるケースにおいては、ただただ、『救いようが無い』としか言うことができない。
そう、救いようが無いのだ。
そのような人に何をどう諭そうが、深く考える機能が元々備わっていないのだから手の打ちようが無いのである。

生活していれば、誰かに対して、「思慮分別を働かせろよ…」と思わず心の中で叫んでしまう場面が多々出て来るだろうが、私は声を大にして言いたい。

そのような性質の人に深く考えてみろと言うのは、正に糠に釘のようなもので、無駄な努力に他ならないと。



人と接触することにほとほと疲れたと感じた朝だった。


4.11.16

下駄箱兼ベンチ完成


天板を取り付け、ようやく完成したベンチ。
そんなに大きくはないので、一人で家の玄関まで運び、やれやれと一息ついて写真を撮る頃には、既に玄関は薄暗くなっており、案の定露出不足の写真になってしまった。

家族にLINEで写真を送ると、皆綺麗にできたねと褒めてくれた。

まだ胸を張って披露できるようなレベルには到達していないが、まぁ何とか形にはなり、家具作りが以前にも増して面白くなって来たのは確かだ。


もっと沢山、色々なものを作って技術を確かなものにしなくては…
改めてそう思った。



3.11.16

Bow Saw


一年以上前にインターネット オークションで落札したBow Saw フレームに取り付けるブレードを、ようやく購入した。

ブレードは、品質の良いバンドソーのブレードをちょうど良いサイズに切って、Bow Saw フレームに取り付けるための穴をあけた。穴の部分に差し込んでブレードを固定するための金具が無かったので、ステンドグラス用に買ってあった太めの銅の針金を差し込んで良しとした。

紐は同居人が持っていたものをもらい、早速使ってみたのだが、手で握る部分のフレームが細すぎ&薄すぎて使い辛い。

フレームは自分で作った方がよさそうだ。


下駄箱兼ベンチ作りは、最終的に水性ポリウレタンを3回重ね塗りすることにし、ようやく全ての面を塗り終え、明日天板を取り付けて終了となる。
100点満点で65点というところかな…

二度と同じ物は作らないだろうが、多くの面でいい勉強になった。


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...