31.8.17

手打ち(もどき)うどん & Purpleheart

風邪のため会社を休んでいる同居人Hは、ひどく咳き込んで疲労困憊なため、お昼にうどんを作ってあげることにした。

うどんの材料は強力粉と薄力粉、それに塩と水があればできるので、いつでも作ることができる ... が、少しでも料理にかける時間を減らしたい私は、まずはフード プロセッサーのみでどの程度のクオリティのものができるのかを試してみた。

フード プロセッサーにパン捏ね用のブレードを付け、粉類を撹拌しながら、塩水(水150ccに対して塩大匙1弱)を少しずつ注いで行く。
約3分ほど捏ねただろうか... 定かではない...

うどん生地がまとまったら、乾燥しないようにラップして30分ほど生地を休ませ、小麦粉或は片栗粉を少々ふって麺棒で薄く伸ばし、折り畳んで端から切って行く。


切り終わった麺はくっついてしまわないように粉を振ってバラバラにほぐしておかなければならない。(刃が弧を描いていない菜切包丁は麺を切るのに最適だ)


フード プロセッサーで捏ねたのみの麺は、味はさて置き、やはりコシが無く、茹でている間にプチプチと切れてしまい、"すすれない" うどんになってしまっていた。


すすらなくても食べられるというのは西洋人には向いているかも知れないが、私達には食べづらく、味はうどんなのに、うどんを食べた気がしなかった。

... ということで、『讃岐うどん』ならぬ『手抜きうどん』は unsatisfied な結果となり、次回はフード プロセッサーで生地を作った後、ジップロックに入れて踏んでみるという方法を取ることが決定した。(とは言え、日本の小学校の給食に出てきたソフト麺や、こちらのスーパーマーケットで売っている Trident Udon Noodles に比べたら、短い手抜きうどんの方が遥かに美味しいことは間違いない)

次回が楽しみである。

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扱い難い Purpleheart の板から Lucet を切り出した。

通常使うスクロール ソーの細いブレード(#5〜#12)では全く歯が立たないほど高密度で硬い板なので、新品の、ハードウッド用に作られた太く頑丈なブレードを使ったのだが、この下の曲線を切っただけでブレードが鈍らになったのが、次の写真でよくわかる。


カットしている途中から煙が出始め、焦げ臭い臭いが漂い、木粉は焦げた紫色に変化した。
切り口は鮮やかな紫から深い紫へと変わっている。


焦げた部分を削り取り、サンディング後の板は、所々紫色っぽい部分はあるものの、概ね茶色である。


はっきりとした色の変化を見る為に、できたての Lucet にTung Oil を薄く塗った直後の写真を撮っておいた。



たった1cm 程度の厚みでも透かし彫りをするのが容易ではないこの Purpleheart 。
日の光りと空気にふれる事によって色は変化してしまい、美しい紫色を持続することも困難なこの板を、一体何に使ったらいいのだろうか...

まったく、ため息の出る板であることよ。



28.8.17

洋裁小物用トレイ & グルー ブラシ置き場

ここ最近ハードウッドばかり扱っていたので、久々にソフトウッドを削ったら、こんなに鉋がけが楽だったのかと驚いた。

ハードウッドの中には鉋がけに四苦八苦するものがけっこうあり、特に Purpleheart などは板目に沿って鉋をかけていても所々逆目で鉋がけをしてしまったかのようにざらついた部分ができてしまい、ひどい時には部分的にザックリとえぐれてしまうこともあって、難儀なことこの上ない。
どのようにしたら綺麗に鉋がけができるのだろうと調べてみても、未だ効果的な解決策は見つけられず、カード スクレイパーとサンドペーパーに頼っている次第だ。


板厚を半分にした Macrocarpa の表面を scrub plane でザクザクと大まかに均し、その後は日本の鉋で仕上げ。
鉋がけがスムーズに行くとすこぶる気持ちが良い。



急きょ作ることになったのは、ミシン回りに置く洋裁小物を入れておくトレイで、ミシンの押さえ金やら、目打ちやら、ハサミ等々、ミシンがけをしている時に手元にあると便利な物を入れておくためのもの。ただの細長い箱で、強度はさほど重要ではないのだが、板厚が 1cm 弱と薄いので、接着部分が剥がれてしまわないよう、ダブテイル ジョイントで組み立てておいた。



ダブテイル ジョイントのように細かい部分にグルーを塗る際には、薄く細長い板の端切れか、この下の写真のグルー ブラシ/ヘラを使うのだが、これまでグルーの付着したブラシの置き場所に困ることが度々あったため、要らない板切れで超簡単な専用の置き場所を作っておいたら、今回は快適に作業ができた。

また、このガラスの器にグルーを必要なだけ出し、そこからへら等ですくって使う方が、グルーの容器をその都度傾けて出すよりも効率良く作業ができ、便利である。




26.8.17

Lev. (Leviticus) 19:11

『あなた方は盗んではならず、欺いてはならない。あなた方のだれも自分の仲間に対して偽りの行いをしてはならない。(レビ記 19:11)

数日前、国内のインターネット オークションで取引をした相手は "自称" 敬虔なクリスチャンだった。
その人は、出品している物の説明書きの最後に必ず Lev. 19:11 "Ye shall not steal, neither deal falsely, neither lie one to another." と書き添えているのだが、どうしたものか、その人へのフィードバックの中には決して褒められたものではないものが多数あり、私は「どんなクリスチャンなんだ??」と少々訝しく思いながら取引をした。

わざわざオークションの説明書きに書き加えるということは、おそらく、レビ記 19:11 がその人のお気に入りの聖句なのだろうと思うが、私の支払った送料は $5.00 で、届いた荷物は $4.00 と印刷されたポストショップのバッグに入っていたり、私が1個 Buy Now $8.00 で買った商品が、私が落札した数日後に 2個 Buy Now $8.00 で出品されているのを見た時、私はその人へのフィードバックが好ましくないものである訳がわかったような気がした。

もう一度書こう。

『あなた方は盗んではならず、欺いてはならない。あなた方のだれも自分の仲間に対して偽りの行いをしてはならない。(レビ記 19:11)

その人は、「自分は別に盗んだわけでも、欺いたわけでもない。また、偽りの行いをしたわけでもない」と言うことだろう。

では、『狡猾』でもなかったのか?

私はクリスチャンではないが、送料に手数料を加えることも、すぐに半額で売ろうと考えているものを平気な顔をして倍の値段で売りつけたりもしない。
相手に対する良心の問題だ。


ごく小さな事に忠実な人は多くのことにも忠実であり、ごく小さな事に不義な人は多くのことにも不義です。(ルカ 16:10)


私はその人の "仲間" でなかったことを心から嬉しく思った。





22.8.17

Isn't it stupid?

日本のインターネット オークションで売られていた『西洋鉋』の写真の中にあった一枚↓。



1. この商品を使う際には、常にANSI (American National Standards Institute) で承認されたセイフティ ゴーグルを身につけること。
2. 使用前に、取扱説明書に書かれている全ての注意書き(警告)と安全対策を読み、それを遵守すること。

この警告ラベルを剥がすべからず

と書かれているが、こんな馬鹿げたラベルを貼ったまま使っている人など、私はこれまで見たことはない。

ゴーグルを着用しなければならないほど、気が狂ったように激しく鉋をかけまくり、粉を勢いよく舞い上げるような人がいたらお目にかかりたいものだ。

また、鉋がけで木片が飛んで来て目に入る危険性など、私は考えられない。
どのように使ったら目に被害が及ぶような状況になるのだ??? 鉈とか、斧とか、drawknife、或は鑿だったらば、木片が飛んでくる可能性を全面的に否定することはできないだろうが... 鉋だぞ... 

もしかしたら、ブレードが外れて飛んでくる可能性があるほど粗悪な作りなのかな...?

私だったら、こんなラベルが貼ってあるような(言い換えれば、こんなラベルを貼る必要のある)鉋は絶対に買わないな...


余談だが、何年か前に買った幼児服の既製の型紙には、こんな火災に関する注意書きが貼られていた。


「子供の安全の為に、ゆったりした服、あるいはネグリジェのような形のものは、燃え易い布地で作られるべきではない。
綿100% 、シェニール(フランス語;ビロード状の毛羽のある糸で織られた布)、Molleton (綿100% で、柔らかくフリースのようなもの)、そして、綿ネル、それにアクリル製のものは避けるべし。」

じゃ、一体どんな生地で作ればいいのだ?? 燃え難い素材で子供の皮膚に接触しても良い物って何だ?? 皮?
皮なんて着て寝たくないぞ...

普通、子供には特に綿100%の物を着せた方が良いんじゃないのか?
なぜ『燃える可能性』しか考えないのだ? 
燃え難ければ肌にとってマイナス要因が多い素材でもいのか?

何か間違ってやしないか???

私はこのテの思慮を欠いた警告を見る度に、「誰がこんなことを考えついたんだ?」と思うのと同時に、この世にはこんな警告を見て「なるほど」と納得する人がいるのだろうか、情けない世の中になり下がってしまったことよと、殊の外ガッカリしてしまうのである。


16.8.17

resawing & 風呂敷 & 手ぬぐい


私が持っている中で最も大きく目の粗い鋸は Disston の panel saw で、数年前に別の鋸と十把一絡げでオークションで落札したものだったが、全面厚い錆で覆われ、ブレードはほとんど黒と言ってもいいほど光沢を完全に失っていたこの Crosscut Saw(横挽き鋸)は、私にしては珍しく手入れをすること無く、仕舞い込んだままだった。

購入してからこれまで一度も使わなかったのは、目が粗過ぎて普段の作業には向かないと思ったからなのだが、今回ブレードの表面を飽きるまで磨き、目立てをし直し(Rip cut - 縦挽き - 用に歯を作り直し)、歯振を出した後、Macrocarpa の板厚を半分にカットしてみると、予想以上にスムーズに切れ、ブレも少なく、かなり使い易くて驚いた。

私が買っている端切れの板は 4〜5cm ほどの厚みがあることが多いため、何を作るのにも板厚を薄くする必要があるのだが、せっかく買ったバンドソーは切り始めて2cmもしない内に進路を変え始め、いつも信じられないほどひどくうねった切り口になってしまう。
何度調整を繰り返しても、更には背の高い頑丈なフェンスを作ってそれに沿わせ、気が遠くなるほどゆっくりゆっくり板を送っても、これまでまともに使えたためしがなく、調整にほとほと疲れ果て、嫌気がさした。
バンドソー自体の作りが悪いのか、ブレードが細すぎるのか、或はブレードの目が細か過ぎるのか... などとトラブルの原因を幾つか考えてみたが、かといって物の少ないNZでは、インターネット上で推奨されているような "最適な" ブレードを手に入れるのは容易ではなく、法外な金額だと思われる物をほとんど選択肢のない状況で国内で買うか、さもなくば、海外から品物よりも遥かに高い送料を支払って送ってもらうかしないとならない。
アメリカにブレードを注文しようかとこれまで何度も考えたが、そこまでしても、やっとの思いで手に入れたブレードの問題ではなく、バンドソー自体の問題だとしたら...  などと考えると、やはり思い止まってしまう。そんなことの繰り返しだ。

使ったことはないが、ほぼハンドツールのみで木工を楽しんでいる人の中には、Roubo Frame Saw と呼ばれている鋸を使っている人がいて、そちらの方が楽に、よりマシに板を切れるように思えるのだが、作ってみたいとは思うものの、ブレードだけでけっこうな値段なので、いつも考えるだけで終わってしまっている。

最近ずっと鉋がけばかりしていたおかげでか、汗をかくほど頑張って鋸を引いて押していたのに、腕がダルくなっていない。
腕っ節の強さはこの歳になってもまだそんなに衰えていないようなので、まだしばらくは手鋸で作業できるだろうが、いつまでこの効率の悪い方法で我慢できるだろう...


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よく利用している国内のインターネット オークションで、日本の風呂敷が出品されているのを発見し、思わず購入してしまった。

おそらく、日本人のホーム ステイを受け入れたホスト ファミリーが、日本からのお土産として貰った物だろうと思われるが、使い道が無いと思ったのだろう、未使用のまま売りに出されていた。

4枚セットで Buy Now NZ$10.00(¥800ほど)。日本人であれば、その金額は安いと思うに違いない。


風呂敷3枚は 50cm × 50cm と小ぶりなサイズだが、非常に日本っぽい模様&色使いで、特に緑色の、桜の織り模様の地に淡いピンクと紫で刺繍を施された風呂敷はとても品良く、綺麗だった。

桜吹雪というシールが貼られたものは手ぬぐいで、切り口は切りっ放し。
昔から手ぬぐいはそういうものだったなと、まだ実家に住んでいた若かりし頃の記憶が蘇ってきた。(その当時、こんなにお洒落な手ぬぐいなどなかったが)



その昔、連合いや子供達にお弁当を保たせる時には、必ず大きめのハンカチで綺麗に包んで保たせたものだ。
持ち運びにも便利で、尚且つナプキンの代わりにもなり、布を広げた上にお弁当箱を置いて(或は布の上でお弁当箱を持って)食べれば、食べこぼしても周囲/服を汚すこと無く、拭こうと思えば口も拭ける。

昔は考えたこともなかったが、今思うと、この包みはとてもエレガントだ。


伯母がくれた大館曲げわっぱを試しに包んで写真を撮ってみた。
風呂敷も美しいが、曲げわっぱもスッキリとしていてとても美しい。



西洋化が進んだ現代においても、日本ながらの美意識を後世に引き継いで行くよう頑張っている人たちがまだ居ることを、非常に嬉しく思った日だった。


14.8.17

職人が消えて行く時代に人が求めているもの

近年、多くの人が求めているのは、質の良い物ではなく、ただ単に安い物だ。

質が良いとか悪いとかは論外。とにかく安ければ良いわけで、そういう人たちにとっては、すぐにゴミになってしまうかどうかなど全くと言っていいほど関係無く、壊れたら捨てて新しいものに買い替えるだけで、当然の如く、環境問題など知ったことではない。

手間暇かけて丁寧に作っても、売れなければ生活して行けない。そこで馬鹿馬鹿しいほどの安値(材料費も出ないほどの)を付けてオークションに出してみると、確かに売れはするが、依然として甚だしく安いままで、材料費さえ賄えない。

質の良い物を作る意味があるのか…


『物の価値』というものを考えること無く、粗悪な大量生産品にお金をかけはしても、それよりもほんの少し高いだけの高品質な物には目もくれない人々を大量に作り出した時代に、大儲けして豪勢な生活を送るのは、二束三文で仕入れた物を何十倍にもして売る "商売に長けた" 人で、自分が売っている品物に対する責任感などこれっぽっちも無い輩たちだ。

ステンドグラス教室を運営していた時に、アンティーク修復工房でお世話になったボスが、私の為を思って知り合いの中国人バイヤーを連れて来てくれたことがあった。
元ボスは私の作品をそのバイヤーの経営するギフトショップで扱ってもらったらどうかと考えてくれたのだが、そのバイヤーはやはり二束三文で買い叩きたかったため、私に人件費を浮かす "極意" を伝授し、材料費が出るか出ないかという程度の金額で仕入れることを提案して来た。

その "極意" というのは誠に腹立たしく、苛立たしく、お話にならないものであった。
かいつまんで言えば、「無料でステンドグラス製作を教えるという広告を打って生徒を集め、出来上がった物を商品として売る」ということで、それは取りも直さず、「タダ働きの労働力を集めて、教室を工場化する」ことに他ならず、品質云々を論じられる段階のものではないのは明らかだ。

あぁ、そうだったのか…  彼らはそうやって無報酬の労働力を集め、とんでもなくお粗末な商品を恥も無く世に送り出してお金を稼いで来たんだ…

当時教室生だった人たちにその話をすると、怒りを露にし、
「生徒が初めて作った物なんて売り物にならないし、そんな不十分な作品をあなたが売るわけはないと、そんな簡単なことがわからないほどお金に目がくらんでいるなんて、本当に情けない」「習いに来た生徒は、自分が作った物を持ち帰れず、それが売り物になっている事を知ったら、よほど能天気な人でない限り、自分が『無給労働者』として集められた(カモにされた)んだと気付くだろうよ」「NZじゃ訴訟を起こされるのがオチだね」と、最後には笑いながら話をしていた。

そこまで汚いやり方をして、自分の名前を汚し、材料費+光熱費(教室の照明及び半田ごて、グラインダー等を使うため)+水道料金を賄えるほどの支払いをしてくれる保障など全く無いオファーを受け入れるような奇特な人がいるのかね?

全く、情けない世の中になってしまったことよ... 


… と、そんなことを考えながら、モールディングを施す際に便利な、sticking board と呼ばれる『板を固定するための治具』を作り、ようやく馴れてきた Stanley #55 で飾り彫りの練習をしつつ、トルティーヤ プレス作りのための張り合わせた板が乾くのを待っているところである。


10.8.17

トルティーヤ プレス作り

縞模様のまな板に少々違和感を感じるのは、これまで単色且つ淡色のまな板を使い続けてきたせいだろうか…


包丁の刃の当たり具合は良く、大きさも手頃なのだが、まだ "色&模様" に慣れず、料理する度に「何だか違う…」と心の中でつぶやいてしまう。




まな板の後はトルティーヤ プレス作り…

少し前観たアルゼンチンの映画では、主人公が毎朝同じものを食べていたが、私は工作にしても料理にしても、同じものを作り続けていられない性格な為、何か他に良いものはないかと常に探し続けているわけなのだが、これまでに買った調理器具で一度使っただけというものも幾つかあり、お蔵行きとなった調理器具はオークションに出品される日を待つ存在となっている。

我家ではメキシコ料理は好んで食べるので、トルティーヤ プレスはお蔵入りすることはないはずだ。

昨日カンナがけをしていた Ash は、肌理が荒いハードウッドだが、鉋がけは非常に楽だった。


サイズを測り、エンド グレイン(木口)を鉋で削る際には、ナイフで周囲にぐるりと印を付けておくと便利だ。



エンド グレインに鉋をかける際には、鉋のかけ終わり部分(最後の角)を予め少し落としておくか(↓)、同じ高さの要らない板を端にピッタリと添わせておき、鉋の刃が角の繊維を引っ掛けて、ロング グレイン方向に裂けてしまわないよう工夫する必要がある。
また、このエンド グレインの角を落とす時には、鉋を斜めに傾けた状態で削ることが大切だ。



今回、鉋をかけ易くするために、ナイフで印した近くまで予め周囲を面取りしておいた。(↓)このようにして鉋をかけている人を見たことはないが、こうしておくと、どこまで削っていいのかが一目瞭然なので、楽に、均等に(水平に)鉋をかけることができる。


Ash の鉋屑はまるでレースのリボンのようだ。… と、そんなことを、レースのリボンとはほど遠い木工に携わる男性陣は考えたりするものなのだろうか… 😄


残念なことにこの板には斜めに亀裂が入っていたため、亀裂部分に補強板/鎹(かすがい)を埋め込んでそのままのサイズで使おうかと試してみたのだが、鑿を軽く打込んだだけで割れ目の周囲の表面が薄く剥がれてしまい、途中で断念。
割れ目部分を切り落として使うしかなさそうだ。

適度な大きさの一枚板は他に無いため、以前購入した Oak の切れ端を張り合わせて使うことにし、昨日は接着部分に鉋をかけた後、クランプで留めるところまで済ませておいた。


Oak は香りが強い。この古いタンスのような独特な香りが好きな人は、きっと古物商に行くと落ち着くタイプの人だろうなどと、どうでもいい事を考えながら、朝から電気が点かず、少々薄暗いアトリエで今日も鉋がけをしていた。電源を必要としない工具類はこのような時に威力を発揮するが、薄暗い中での作業はとりわけ目が疲れ、夕方4時には集中力も切れた。




家に戻って、トルティーヤを麺棒で伸ばして作り、Chicken Fajitas + コリアンダーいっぱいの Guacamole なんぞを作って、メキシカンの夕食... 

やはり麺棒で伸ばすのは面倒だ...
早くトルティーヤ プレスを仕上げなくては... と、更に強く思った。


7.8.17

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨




私にとって日本はとても住み難い国だったけれども、このビデオを観ていたら込み上げて来るものがあった。

彼の人は何の為に存在していたのだろうと、最近、そんなことばかり考えている。


6.8.17

日付を入れ忘れたまな板 完成

まな板作り終了。


数カ所、板目の方向が変わっていて、逆目で鉋をかけてしまった部分があったので、カード スクレイパーで削った後、目の細かいサンドペーパーで表面を整えなければならなかった。
その後、板の両端を切り揃え、両際に鉋をかけ、父から譲り受けた面取り鉋で角を取り、サンフワー オイルを2度塗りした後になって、ようやく日付を入れておくのを忘れていたことに気付いた。(また後で入れることにしよう)



周囲に汁受けとして溝を掘ったものを目にしたことがあるが、私は、洗い易く、且つ水気を拭き取り易い極々シンプルなものの方が好きなので、余計な細工はあえてしなかった。

木のまな板は水に浸けず、さっと荒った後はすぐに水気を拭き取っておくことと何処かに書かれていたので、そのようにしてどれくらいの期間使い続けられるものなのか、試してみるのが楽しみである。

木のまな板は、何と言っても包丁の当たりがやわらかでいい。また、表面が傷だらけになってしまったら、鉋をかけて甦らせることができるのも大きな利点だ。


自分が作った物が家の中に増えて来て、それらを毎日使って生活している。
数年前までは考えてもみなかったことだが、出来合いの『取りあえず買って来た』物に囲まれて生活するよりも、格段に温かい感じがして、何だかちょっと嬉しい。



4.8.17

天然コルク到着

ポルトガルで先月19日に発送されたコルクは、16日かかって無事我家に到着した。

US$55.99 (NZ$75.29)で送料無料だったが、送料の実費は €25.20 (US$29.94、NZ$40.22)もかかっていたので、現地ではおそらくこのロール一巻きでUS$26.05、NZ$35.07、日本円にして約¥2,870ほど(或はそれ以下)で購入できるに違いない。


何故ポルトガルから、品物より高額な送料を上乗せされたものを輸入しなければならなかったのかといえば、国内では見つけられなかったからで、もしあったとしても、おそらくひどく高額で、買うのもバカバカしいほどだろうと想像できるからだ。

NZは風光明媚で、原発も無く、多くの移民が暮らすとても良い国だが、欲しい物/必要な物が国内では入手困難か、はたまた常軌を逸した金額になっているかのどちらかということが多いというのは、数少ない欠点の内の一つだ。


この太巻きのコルクのほんの一部を切り、早速サンディング ブロックの底に貼って使ってみた。
適度に弾力があり、予想以上にスムーズにサンディングできるようになっただけではなく、サンドペーパーの保ちも良くなったように感じた。

コルクの使い道を色々と考えた末に購入したのだが、一昔前には使われていたコルク ボード... 今でも使っている人がどれだけ居るだろうか?

今の時代、メモを書いて貼っておくよりも、スマートフォンに情報を入れておいて、通知機能をONにしておいた方が使い勝手が良いと思っている人の方が多いだろうし、デジカメではなく、スマートフォンで撮った写真をわざわざ印刷してコルクボードに貼っておくこともまず無いだろう。 以前は家を留守にする時には「何処底に出掛けてくるね」と、家族にメモを残して行くのが常だったが、それもトンと無くなったしな... などと、昔を懐かしく思い出しながら、閃いた。
ただプラスチックの枠を付けただけのいかにも安っぽい物ではなく、もちろん装飾を施した趣のあるコルク ボードを作ってみよう。

一昔前のたいして便利ではなかった時代にタイムスリップしたような気分になるのも悪くないじゃないか...



3.8.17

大好きな鉋がけの日々

まな板の色合わせは、4 種類の板を規則正しく並べようか、はたまた少々変えようかと少し悩み、規則正しくない方を選んだ。
板の厚みはそれぞれの板で若干違っているが、片面だけ真っ平らにしておき、もう一方の面は接着後に段差を揃えることにした。

木工機械のみを使って作業する人はあまり気にしないのかも知れないが、私は鉋をかけるために板目の方向を揃えておかなければならないので、常に板目を確認し、矢印でしっかり印を付けておくことにしている。(まだチラッと見ただけで板目が即座にわかるほど年期が入っていないのがバレバレだ)



板の配置が決まったら、たっぷりのグルー(Titebond III)で接着し、クランプでこれ以上締められないというほど強く締め上げ、はみ出したグルーは鉋屑で拭き取っておいた。(雲の上のお師匠さんは、湿らせた布等ではみ出したグルーを拭き取ることを勧めてはおらず、他の年期の入った職人同様、鉋屑を使って拭き取る方法を取っている。また私の父も多分同じ方法を取っていただろうと想像できるため、それに倣っているわけだが、鉋屑に含まれる木粉が、極わずかな隙間に入ってパテの役割をすることになると考えると、非常に理に適った廃物利用であると納得できる)

接着面がヌルヌルと滑ってしまって、端をきっちりと合わせるのは至難の業とわかっているので、グルーが乾いてから端を一気に切り落とすことにしたら、クランプで留めるのも時間がかからず、余計な神経も使わず、非常に楽だった。


この状態で丸一日以上置いておき、その後、端を綺麗に断ち揃え、表裏に鉋をかけて真っ平らにし、角を落として、仕上げに植物オイルを塗れば出来上がりだ。

しかし、果たして本当に、このグルーで接着しただけのまな板は長年使い続けられるものなのだろうか? 何年使い続けられるのかを見る為に、片隅に小さく日付を掘っておくとしよう。

其れ其れの板がまな板に適しているかどうかなど、もう全く関係無くなってしまっていることを心の中で苦笑いしつつも、使い心地のすこぶる悪いプラスチックのまな板ともうすぐおサラバできると、出来上がりを楽しみにしている私... 

どんどん理想が低くなってきている 😅


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...