11.3.14

新しい友達?

仕事に使わなかったら全く必要なかった Facebook のアカウントだが、それでも数少ない知り合いといまだにささやかながら繋がっているため、時には語学学校時代の友達やブログで知り合った友達(と言っても、皆はるかに年下だが)からemailではなくFacebookを介してメッセージが来たり、私は気が向けばこんなものを作ったよと、焼きたてのパンとかクッキー、ケーキやピザの写真、はたまた仕事の写真やらをアップしてみたりもして、年に数回はソーシャル・ネットワークというものを使っているかなという状態である。

その程度しか使っていない個人の Facebook に、先頃珍しくフレンド・リクエストが来ていた。
全く会った事のない、言うならば雲の上の存在の人からだった。
その、雲の上の存在の人からフレンド・リクエストがくることなど、全くもって予想外で、本当に本人からか?と、一瞬疑ってしまったほどである。

彼は木工の世界では抜きん出て有名な人なのだが、長くガラス関係の仕事をしていた私は木工の世界のことなど知る由もなく、ある日偶然 You Tube で彼の卓越した技術を見た時、私はまるで父を見ているかのような郷愁にかられ、それからというもの、彼の技術を何度も何度も繰り返し見ては、知識として頭に詰め込み始めたのである。
彼の仕事用の Facebook page では、作業風景に加え、彼の人となりも垣間見えたりし、写真に加えて気取らない人柄が滲み出ている文章を読むのもまた楽しみになっていた。そう、ただの一般フォロワーとして、優れた技術に感服し、楽しんでいたのである。
私としてはそれで充分だったのだが…  
なぜフレンドリクエストが来たのかいまだにわからない。

木工については超初心者の私が持っている道具といえば、リョービの格安テーブル・ソーと、中古の Excalibur スクロール・ソー、マキタの小型電動ドリルとリョービの卓上ボール盤(卓上穴あけ機)、それにボッシュのサンダー件マルチツールセット(?)くらいなもので、サンディングのほとんどはサンダーを使わず、サンドペーパーで腕がダルくなるまで磨き続けることの方が多い。カンナもノミも持っていないので、シャープ且つ吸い付くような滑らかな表面に仕上げることなどは到底期待できない。
木工を仕事としている人の中には、板をカットする段階でさほど厳密に正確である必要はないという人が多くいるが、そのような人々は、強力なサンディングマシンで図面通りになるまで削って形を整えるのだ。しかし、サンディングで吸い付くようなシャープな面を作るのは不可能に近いように思えて、私はどうにも納得できる仕上がりにならないことに苛立ち始め、どうにかならないものかと考えあぐねていた。

雲の上の人は、公開しているビデオの中で、仕上げをカンナで軽く削ってピッタリになるように、コンマ何ミリという誤差を残してノコギリで板をカットしていた。(またはシャープに研がれたノミで誤差を削ぎ落としていたりもしていた)
「そうだ、そうしなければならなかったんだ」と、テーブルソーで切っただけのざらついた断面をピッタリつなげようとして長い間苛立たしい思いをしていた私は悟った。

実家の近くに住んでいたら、迷わず父に聞きに行っただろうが、そうもいかない今は彼のビデオとウェブサイトに載せられている説明だけが頼りだ。

ビデオで作業を見ることのできる You Tube には電動工具を使いこなす人の方がはるかに多く、中にはジグまで数多く手作りし、そんな方法があったのかと目からウロコの木工技術を披露してくれる人も何人かいるのだが、かつてアンティーク修復工房でほぼ誤差のない仕事ができるよう訓練を受けた私には、どの方法も満足できるものではなかった。
日本の伝統工芸師、或は宮大工のようなとびきり繊細な仕事をする人のビデオもYou Tubeにアップされてはいるが、そのような人はただひたすら作業をしている姿のほんの一瞬しか映されることは無く、そこから技術を学ぶことは非常に難しい。

雲の上の人は惜しげも無く昔からの工法を一般大衆に教えている。しかも教え方がとても上手だ。年期の入っていない人々がどのようにしたら完璧に綺麗なものを作ることができるかを、これ以上無いと思えるほどに丁寧に教えてくれている。
穏やかな口調と、超有名人なのに何もひけらかすことの無い真摯な態度は、見ていてとても気持ちがいい。




30.1.14

インターネット・オークションでの一齣

ステンドグラスで製作するのは無理があると諦めていたデザインがあった。

そのデザインを透かし彫りで作り、大好きなアンバーの色ガラスを合わせてみると、ずっと作りたかったものの形が見えてきた。

透かし彫り部分は先週出来上がっていたのだが、その他の部分をどのように組み立てようかと考えながらの作業で、なかなか仕事が進まない。


昨日、インターネット・オークションに長い間出していたイスラミック幾何学模様の装飾兼鍋敷きに質問が来た。
$40で出品していたものだが、$20で売らないか?というオファーだった。
$35だったら「う〜ん、どうしようかな…」と思っただろうし、$38だったら多分売っただろうが、半額は論外である。
どこの国の人だろうとプロファイルを見ると、典型的なイスラム教徒の名前だった。そこで、オファーを受けようかどうしようかとしばし考えた。難民としてこの国に来た人かも知れないと思ったからだ。

オークション・サイトには個人の取引記録(feedback)が載っている。相手が安全な取引相手かどうかを見る為には大変有効なもので、それを見てでき得る限り用心深くしていれば、売るにしても買うにしても、思わぬ落とし穴にハマらないで済むことも多い。
例えネガティブな(マイナス)評価が付いていたとしても、双方の『言い分』とフィードバックの履歴を見れば、大概の場合どちらの言い分が正しいかがわかってくるものだ。

その半額に値切ってきた人の評価は、100%ポジティブだったので、どうしようもない人では無さそうだと思った。どうしようもないと一括りで表現したが、その表現の中には「約束を守らない」とか、「行動が極めて遅い」とか、「(売り主の場合)平然と偽りの記述をしている」とか、色々な要素が入っている。

これまですんなり取引が行われた人については、ざっとfeedbackに付いている評価のマークを見る程度だったが、今回はその人がどんな物を購入しているのかを少し見てみることにした。私のように、安いものばかりを買っている人だったら、$20でいいにしようかなという思いもあったのだ。

購買履歴から、その人は私よりもずっと生活に困っていないように思えた。
そこで、その人のオファーへの返事をどのように書こうかおおよそ決まった。

返事にはこう書いた。

「残念ながら、オファーを受けることはできません。なぜなら、私はこの作品の透かし彫りと最初のサンディングに4時間かけ、それに色を付け、乾かし、サンディングし、重ね塗りし、磨き上げるまでに数日間に渡り更に多くの時間をかけたからです。これは手間のかかる仕事で、私は全ての作品を丹誠込めて作っていますので、いくら頑張っても政府の決めた最低賃金を稼ぐなどということは夢のまた夢でしかありません。ですから、どうぞ私に対して値引き交渉などしないでください。何はともあれ、興味を持ってくださってありがとう。」

昨夜、同じ人から今度はBuy Now価格は幾らかという質問が来ていた。
すぐに出品価格と同じ金額をBuy Now価格としてセットし、Buy Nowを付けた旨を返事しておいたところ、今朝、email boxにその人が落札してくれたという通知が来ていた。

きっと良い人なんだろうなと思った。




26.1.14

初めてのチーズ・フォンデュ

ネット・オークションで激安で落札したチーズ・フォンデュ・セット。

食べ初めてすぐに、何を食べても同じ味なのに飽きてしまい、もう食べなくていいなと、満場一致で、たった一回きりのチーズ・フォンデュの夕べは終わった。

チーズだらけでも、ピザだったら何度も食べたいと思うし、スパニッシュ・オムレツ風卵焼きにもチーズを乗せてこんがりさせて食べたりもしているのに、チーズ・フォンデュだけは短時間で飽きた。
どうも我家はそのテの料理には向いていないようだ。


はてさて、この鍋、他に何に使えるだろうか…


21.1.14

GO LEFT


Steve's Proverb (デザインしたのは Steve Good)


これと同じデザインで、ペイントしてない物をインターネット・オークションに出した。
$1 リザーブで。

カットするのにけっこう時間はかかったが、これを欲しいと思う人はおそらく順風満帆とは言えない状態にあるに違いないし、そんな人から高いお金など取れないよな… それに、別に何も困っていない人にはこんな言葉など必要ないし、ただのコレクションとして買ってもらっても嬉しくないし… との思いがあっての $1 リザーブだった。

出品して早々にbidがあった。そしてオークション終了5分前まで$1のままだったが、この作品をwatch list に入れる人の数はうなぎ上りに増えて、閲覧数も驚くほど増えていたので、そんなに多くの人が最後の最後に入札しようとしているのか???と信じられない思いでオークション終了を待っていた。

競り落としてくれたのは北島のまん中辺りに住む女性で、競り落とした金額は$10に満たなかったが、私は金額が異常に上がらなかったことを心から嬉しいと思った。

何かに喘いでいる人からお金をせしめても何も嬉しくなんてないじゃないか。
上手くいかないことに苛立ち、落ち込み、苦悩している人が、もしかしたらこの言葉で奮起して、解決策を見出そうと別の道を模索し始めてくれたら、それだけで充分じゃないか…

彼女はオークション終了後すぐに入金してくれた旨をemailしてくれ、私は昨夜の内にしっかり梱包を済ませ、今朝郵便局まで荷物を出しに行った。彼女が実物を手にして喜んでくれることを心から願いながら。

Try to go left...

全てが上手くいかなかったら、進む方向を変えてみればいい。
もしかしたら、上手くいかない事柄は、上手くいかない方がいいということなのかも知れないよ。
ずっと後になって、方向を変えたことが正解だったと気付くかも知れない...
私のように。



3.1.14

教会に置く十字架を作ることになった

今日は、オークションに出品していた合板で作った Celtic 模様の Cross を落札してくれた人がいた。
支払いをクレジットカードで済ませてくれた上で、もう一つ欲しいんだけどというリクエストが来たので、ちょうど作ったものがあるけれども、材質は無垢のマツ材で、もしそれでよかったら同じ値段でいいですよと、無垢で作ったものの写真を付けて返事を送ると、教会の lectern (聖書朗読台、書見台)とalter の前(私は教会のクリスチャンではないので、どこだかわからない)に置くので、同じものがいいとのこと。

教会に置くのであれば、少々安っぽい感の漂う合板の十字架よりは無垢のマツ材の方が相応しいでしょうと、「無垢のものの方がよかろうと思いますので、2,3日いただければ、もう一つ無垢でお作りしますが、それでよろしいでしょうか?」とemailを送った。

何度かemailでやり取りをし、追加代金を既に振り込んでくれたことと、急がなくていいと付け加えられたemailが夜10時頃届き、今日のやりとりを無事終えることができた。

送り先はこれまで聞いたこともない地名だった為、どこだろうと地図で見てみると、オークランドよりもずっと北の、もう少しで北端に届きそうな場所であった。

私の作った物が、遥か遠くの見知らぬ町の教会に飾られるのか… どんな教会なんだろう? 願わくば、つい最近になって初めて足を踏み入れた Parnell の Holy Trinity のような立派過ぎる建物ではなく、こじんまりした教会であって欲しいなと思ってしまった。

モスクにしても、チャーチにしても、豪華絢爛なのは本来の趣旨にそぐわない気がしてならないのだ。
きっと、そのような所には超高級な装飾品(教会にはご立派な十字架)が飾られているに違いない(笑)
何の為に超高級なものが必要なのかさっぱりわからないが…

そんなわけで、明日、明後日は教会の十字架作りを主として、合間に昨日からの続きの作業をする予定。

今日は珍しく蒸し暑い一日だったが、夜までしっかり働いた(笑)

そうだ、私の作った直系1m越えの睡蓮のステンドグラス・パネルは、仏教徒の瞑想の間に飾られているんだった…

何でも屋だな…


追記:alter とは何ぞやと調べてみたら、祭壇のことだった。



難しくはないが...

糸ノコの細い刃を差し込むための無数の穴。機械に留め付けてある刃の一方を取り外してこの細かい穴一つ一つに差し込み、刃が外れないようセットし直してからパターン通りに切って行く。その繰り返し。


穴をあけ始めてから既に3時間以上経っても、この程度 ↓しかできなかった。


座り続けて腰が痛くなる前に、極細い刃とパターンの線を集中して見続けて目が乾き、不快感でいっぱいになる。

スクロール・ソー自体は危ない機械ではないため、機械で怪我をすることは無いに等しく、この先歳を取っても続けられるとは思うが、視力の低下がどれほど深刻になってくるかがカギだ。既に拡大鏡付きライトのお世話にもなっているのだからな…

このパターンは難しいカーブなどなく、とても切り易いが、切り残す線が比較的細いのでやはり神経を使うことに変わりはない。

あと何時間で切り終わるのか…
加えて塗装(ペイント→サンド→ペイント→サンド→ペイント…)に何時間かかるのか…

今回の作業は何だか果てしなく長く感じてしまう。




2.1.14

繋がり

一昨日、年越しそばの代わりに焼うどんを食べ、同居人は2人とも友達との飲み会に出掛けて行った。

TVを観るでもなく、お酒を飲むでもなく、いつものようにネット・オークションをチェックし(売りに出しているものがあるため)、本を読んでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。

同居人がいつ帰ったかも知らず…

元旦の朝、実家の母にe年賀状を送った。
こちらに来てから一度も直筆の年賀状を書いていない。

年賀状ね…
最も愚かな年賀状は、亡くなって2年も経つ人宛に来ていたもので、「旧年中は大変お世話になり…」と書いてあった。会ってもいないのにテキトウなことを書くものではないと大顰蹙を買った。
所詮、どうでもいい相手だと言っているようなものだ。

そのテの『表面だけのお付き合いごっこ』とは無縁の世界に逃れて来られたことを、本当に嬉しく思うと同時に、全く気分の盛り上がらない真夏のお正月が、もう既にごく普通の日と化していることにも、何ら違和感を覚えず、かえって心地よくもあり、昨日も朝からスタジオに下りて行き、ひたすら仕事をしていた。

年が変わると何かが劇的に変化するかのように錯覚しがちな一日…
ただ単に次の日になったというだけだよなと同居人達と話し、今年は「おめでとう」とも言わなかった。

ちなみに、苺売りのマフムートも昨日から通常通り仕事をしているのが家の窓から見えた。ムスリムにとっても特別な日ではないからだろうが、夏の間休みなく仕事に出るのはしんどくはないかと、同い年であるが故に心配になってしまう。

--------------------------------------------------------------


最近読んでいるのは、遥か昔に読んだことのある本で、既に廃盤になっているのかAmazonでは見つけられず、昨年暮れに身内が古本屋を回ってくれて、ようやく手に入ったものである。



一粒の麦もし死なずば

高校時代、仲のよかった男の子の机にそう書かれていたことを思い出した。
その子はお寺の住職の家に生まれ、キリスト教とは無縁の世界に住んでいたはずだが、この本を読んでいたのだろうか…
私はなぜその疑問を彼に聞いてみなかったのだろう?

急にその本を読みたいと思ったのは、ステンドグラスのデザインを考えているときだった。何故かふと『麦』のイメージが頭に浮かび、それからというもの、この言葉が頭から離れなくなったのだ。


どんな内容だったのか全く思い出せなかった私は、取りあえずネットで検索してみることにした。すると、今度は『アルジェリア』の文字が目に飛び込んできた。
高校当時にはアルジェリアの「ア」の字も気に留めることはなかったことは定かであるが、それから数十年経た今は状況が変わっている。

数年前に私の生活に突然飛び込んできた『アルジェリア』。
昔から最も好んで読んでいた二大巨匠 CAMUS も、そして GIDE も深くアルジェリアと関わっていた。

何故なんだ…

この先、その謎が解けないまま私は人生を終えることになるのだろうか…




30.12.13

真実

以前よく買いに行っていた韓国人経営のこじんまりした食品雑貨店の店主(夫婦)はとても愛想のいいカップルだった。
大方のコリアンはおもてなし上手である。

私も何年かそこに通う内にそのカップルと仲良くなり、店の奥でランチを一緒に食べようとか、時にはディナーに行こうとかいう誘いの電話が来るようにもなった。
ランチには大抵彼女の仲の良い韓国人客も一緒で、私の知っている韓国語は簡単な挨拶程度のみだったので、彼女達が時折韓国語で話していた内容は全く理解できず、ただ彼女達の顔色を見て、決して楽しそうな話しじゃないなとだけは察することができたものの、まぁ、私には100%関わりのないことだけは確かなので、取り立ててその話に入ろうとは思わなかった。

そのカップルには娘が二人居た。娘達は学校が引けるとその店にやって来て、店が閉まるのを待って一緒に帰ったりしていた。
当時、私の同居人の一人は、その店から歩いて数分の所にあるカレッジに通っていた為、同居人を迎えに行くついでに買い物を済ませることが度々あったことから、同居人もその店主の子供達と何度も会い、会話もしていたが、親しくなる気は無かったようで、その娘達の目つきがすごく悪いのは何故なんだろうねと時折口にしていた。
両親ともあんなに愛想がいいのに、娘達は何故(目つきだけではなく)態度も悪いのだろうと、しばらくは理解できずにいた。

その店に通い始めて数年後、そこで知り合いになった日本語が堪能な韓国人客の一人に、私の工房で働いてくれないかとお願いした。
彼女は韓国人にしては珍しくつっけんどんで、態度も大きく、愛想など振りまこうと思ったことも無いように見える人だったが(笑)、ある時、彼女も一緒にランチを食べようということになり、彼女が手料理を持って来てくれるというので楽しみに待っていたのだが、予定の時間になっても彼女は現れず、数十分遅れて彼女から連絡が入り、急な用事ができて来れないので、彼女のパートナーがお料理を届けてくれるとのこと…。電話が切れると同時に彼女の手料理はやって来た。

その時私は確信を持って、彼女は信頼の於ける人に違いないと思ったのだ。
彼女の手料理はすこぶる美味しかったが、例え美味しいとは思わなくとも、私は彼女に働いて欲しいと話を持ちかけたに違いない。
後に彼女が、「何故私を雇おうと思ったんですか?」と聞いてきたとき、私は上記の話しをした。ぶっきらぼうで、突慳貪で、(私と同じで)気の強さが体中から溢れ出ていたけれども、約束したことはしっかり守る。自分を必要以上に良い人に見せよう(演じよう)と思わない人だからこそ、あなたを誰よりも信じられる人だと思ったんだと。

その彼女が私の工房に来るようになって、私達の『何故店主の娘達はあんなに目つきが悪いのか』という疑問がはっきりわかるようになって来た。

子供たちの目つきが悪いのは、誰のせいでもなく、正に"親"の根性の悪さの現れである。
外でどんなに愛想を振りまいて『善良な人』を演じていても、家で四六時中誰かの悪口を言い続けていたら、子供はそれを確実に見習ってしまう。
例え子供が一日のほとんどを祖父母と暮らすような環境であっても、親の影響力というのははるかに大きいのだ。

『子は親を映す鏡』おそらく、この諺に当てはまらないケースは多くはないだろう。前述の店主のように、外面と内面が極端に違うケースというのは珍しいことではないのだ。特に日本のように『善良さを装う』ことに慣れ切ってしまっている社会では尚更だろう。

誰かに隠れてコソコソ何かをして喜んでいるような人の子供は、cheat (ごまかす、欺く)することに対して何ら罪悪感を抱かなくなるものだし、それ以上に、何に対しても不信感を抱くようにさせてしまうように思えて仕方がない。
また、そういう人に限って、何故か加害者意識ではなく被害者意識を強く抱いている傾向があって、自分を弱く見せることで同調者を自分の側に付けることに成功していると思い込んでいるようなふしがあるが、実際は、自ずから、甚だしく信頼の於けない人、人を欺いて(あざむいて)自分の立場を優位にしようと試みる不心得な輩だということを暴露しているようなものだということに全く気付いていない。


ある知り合いの日本男児は、中国人のパートナーとの間にできた子供を、不本意にも中国に居る彼女の両親にあずけられてしまい、パートナーの言いなりになって、家を買う為だけに血眼になって働かされている。そして、その実態を日本に居る家族にはとても言えず、季節の全く違う国で撮った子供の写真の服装で真実がバレるのを恐れ、服装をこちらの季節に合わせて写真を撮ってくれるように頼み、その写真を実家にemailで送り…
あぁ、なんてことだ。次に彼の家族が孫/甥と対面する時に、孫/甥は日本語はおろか英語も話せず、中国語しか話さない子になってしまっているじゃないか… そこで真実がバレる可能性があることを何故考えなかったんだ?
自分を産み育ててくれた親が、子供にずっと騙されていてよかったと感謝するとでも思ったのか?



誰かを悲しませないようにと嘘をつく人よ、あなたは欺かれることがどんなに悲しいことか考えたことがありますか。



26.12.13

unwanted gifts

クリスマスから一夜明け、ラジオではボクシング・デー・セールのコマーシャルを流し、NZ最大のネット・オークション・サイト Trade Me にはこんな広告が出るようになった。

もらったけれども要らないギフトをオークションで売りましょうというこの広告… 人々は何のためらいも無く、親しい人からいただいたプレゼントを UNWANTED GIFT と堂々と書いて売っているのだろうか?

何の為にプレゼントをあげたり頂いたりしているのだ??? 全くバカバカしい習慣だとは思わないのか? お金と時間を使って相手に取って不必要で邪魔になるものを探し、更にお金をかけてギフト・ラッピングし、わざとらしい作り笑顔を受けとった後は、『要らないギフト』と書かれてオークションで幾ばくかの金銭にしようと試みられるのだ。そんなことを毎年繰り返していて何が楽しいのだろう?

クリスマス直前は毎年のように、クリスマスにまつわる話しで盛り上がるラジオの視聴者参加型番組… 仕事をしながら何とはなしに聞いていたら、今年はたった一人のリスナーが「商業主義と化した現代のクリスマスには何の神聖さも感じない」と電話でコメントを寄せていた。
私はそれを聞きながら、「クリスマスなんて初まりからそのようなものじゃなかったのか?」と更に冷めた感想を一人でつぶやいてしまった。

何か買いたかった物がある人は、取りあえずオークションで新品のunwanted gifts を探し始めていることだろう。


こんな風でも、やはり来年もその次の年も、クリスマスのプレゼント合戦は続くのだろうな… 

この広告も、正に商業主義(営利主義)そのものだな…






18.11.13

昔、Capella は風だった


どこの漁港だったか覚えている。

34年ほど前にアイツが買った車は、力強く、尚かつとても美しい形をしていた。

色はグリーン。5速… 車に全く興味の無かった私は、この車についてその程度しか覚えていないのだが、当時写真の勉強をしていた私が撮ったおびただしい数のモノクロ写真の中に、このカペラが写ったものが数枚あった。

これは、手元にあったネガフィルムを同居人がスキャンしてくれたもので、この写真とともに、若かりし頃のアイツの写真も、emailに添付して送ってくれた。

風のカペラ… アイツは車に関しては趣味が良かったなと、今更ながら思った。

そして、写真の構図に関しては、イマイチだったなと思った。




6.11.13

Isle Of Man の3本足


国内のオークション・サイトでリクエストが来た Isle Of Man のシンボルを配した鍋敷きは、先週末オークションにリスト・アップし、Buy Now Price にて即完売。
速攻でクレジットカード支払いを済ませてくれた為、厳重に梱包して急いでポスト・ショップまで車を走らせ、投函後落札者にお礼のメールを書き、既に送ったこととトラッキングNo. を知らせておいた。

落札者はダニーデンという南島でも最南端の方に住んでいる為、到着までには3営業日以上かかるかも知れないなと思っていたのだが、予想していたよりも若干早く届いたようで、届いたその日にはオークション・サイトにフィードバックを書き込んでくれてあった。

とても喜んでくれているのが伝わってくるフィードバックで、それを読みながら、「制作者冥利に尽きるな」と、おそらく私の方が喜んでいたに違いない。

特に、円形のものは良しとして、同時にリクエストされた四角形のものは、「3本足のデザインをどうやって四角に収めたらいいんだ??? しかもデコレーションも付けなくてはならないし…」と考えあぐね、デザイン画を眺めては、配置を若干動かしを繰り返すこと1日半… もうこれ以上動かしようが無いという境地に至って始めて木をカットすることに取りかかった次第である。

それぞれの踵に付いている星はカットする部分を変えて変化を付けたが、正直なところ、どちらを気に入ってくれるか皆目見当もつかず、かといって、オークション・サイトのQ & Aには電話番号やemail アドレスなど個人的に連絡を取る可能性のある書き込みは禁止されているので、細かい点まで要望を確認できず、「本当にこのデザインでいいのかな?」と終始悩みっ放しの製作… 
「まぁ、気に入らなかったら買ってくれなくていいや(=売れ残る可能性大)」と、ある意味開き直らないと出品できなかった作品である。(それ以前に、リクエストは来たが、何処の誰とも知らない人が、本当に買うかどうかも定かでないシロモノを、何日もかけて一生懸命に作るということは『賭け』以外の何ものでもない)

万が一『作り損』だったとしても、知識が一つ増えたことには違いないし、面白かったからそれだけで良しとしようという気持ちであった。

wow .. excellent Trader to deal with.. Very Happy with trivet.. 
Many Thanks .. :)

喜んでもらえて本当によかった。


日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...