3.5.15

FAME is everything in "show" business.

この世で何かを成し遂げたいとの野心を抱いている人は、何らかの手段を使って自分を世間に売り込まないとならない。

しかし、名前を売り込むことに執着している内に、(和製英語ではネーム バリューと言われているが)value of a name すなわち名前の価値、fame (名声、有名なこと、高名)をこの世で確立させ、揺るぎないものにすることが一番の目的になってしまい、次第に中身の無い活動へと質が低下していくのを免れなくなってゆく。或は、名声を維持する為に最も大切にしなければならないものを犠牲にせざるを得なくなってゆく。
一番の目的… 個人名、或はブランド名が有名になること自体が本来の目的ではなかったはずの人まで、それが一番の目的になってしまっているかのようなケースを見ると、価値のあるものまで無価値なものに見えてしまうようになる。そう感じてしまうのは私だけなのだろうか。

私のようにしがないクラフターでも、やれ「有名なアートギルドの会員です」とか、「高名な家具職人のお墨付きです」とか、何らかの付加価値をつければどんなにつまらないものでも高価な値段を付けられるようになるのかも知れないし、「品物の価値などよくわからないけれども、有名な人、或は有名人がその技術を認めた人が作ったものだから…」と群がって来る輩も多いだろうと想像に難くないが、私はそういう滑稽なほど軽い認識の下になされることには何ら興味も無く、ただただ、私の作った実物を見て、納得して購入してくれることだけを希望している。

有名になる必要など無い。ただ作り手、買い手の双方が妥当な値段だと思える価格で売れたら、それだけでいい。


父は名前をひけらかすこと無くこの世を去って行った。

父の手先の器用さは類い稀だと、地元で(その当時を生きた世代で)知らない人は居ないほど優れた才能を持ちながら、生涯を家族を養うのに充分な蓄えを稼ぐ為に捧げたのだ。単なる一会社員として。

私は父をすこぶるかっこいいと思った。
そして、私もそうなりたいと、心の底から思った。
そしてまた、崇高な志を持ちながら、必要以上に世間に自分の存在をアピールし、己の偉業を告げ知らせるようになって行く人を見て、心底深い悲しみを覚えた。



1.5.15

スーパーマーケット嫌い

昨日は、先頃日本に一時帰国する前に作っていた写真立て(商品として作っているもの)の続きの作業をしていた。

スクロール ソーでカットしただけの状態のまま放置すること3ヶ月… 続きの作業は鑿とハンド ルーターで写真をはめ込む溝をカットし、その後サンディング、そして下塗りペイントまで終えたところで終了。

これまで、作業中はいつもラジオのトーク番組を聴いていたのだが、最近は何故か聴く気にならず、自分のiPhone に入っている曲を流しっ放しにしていることが多くなった。
(ラジオを聴かなくなったのは、この世で起こっている事柄に何の関心も無くなったからかも知れない。)

今週は月曜がAnzac Monday で、同居人たちの仕事が休みだったためか、一週間があっという間に過ぎていった感じがする。


全く関係ない話だが…

私はスーパーマーケットに買い物に行くのが全くもって好きではない。
今週は食料品のストックが底をついたので、買い物に行かざるを得なかったのだが、行った先で「あぁ、面倒だ… 面倒だからしばらく買いに来なくていいように、沢山まとめ買いしていかなくちゃ…」と、カートに盛り沢山の肉やら野菜やら、お菓子やら冷凍食品やら缶詰やらを放り込んでいったのだが、いつものことながら、店の最後の陳列棚に差し掛かる前にもう品物を見る気も失せ、「あぁ もう帰りたい」と、頭の中はそんな思いでいっぱいになっていた。

レジのアイランダーの青年は非常に愛想がよく、買った肉類の多さに驚き、「すごい肉の量だね!!」から始まり、「パーティーでもするの?」だの何だの、ずっと話し掛けてくるので、受け答えをしている内に、いつの間にか釣りの話にまで発展してしまっていた。とにかく一刻も早く家に帰りたくて仕方がなかったのに、話を途中で遮ることができない性分… 困ったものだ。

家に帰ってから買った物を仕分けるのも、これまた時間がかかり、面倒極まりなく、途中でイライラし出し、「もういいにして…」とつぶやきながらやっていた。

実家に帰っていた時は、姉が仕事帰りに、ほぼ毎日のようにスーパーマーケットに寄って買い物をしてきてくれていた。
仕事で疲れているだろうに、よくだよな… と感心してしまったものだ。

また、父が生きていた時には、母が毎日、何処のスーパーで何を安く売っているかを新聞の折り込みで調べ、ご丁寧にスーパーのハシゴをしてまで売り出し品を買い求めて出掛けていたというので、これまたすごい情熱だなと感心してしまった。

私はチラシで売り出し品を調べてから買い物に出ることはまず無い。値段もほとんど見ていないので、何がいくらだったのかまるで知らない。今に始まったことではなく、昔からそうだった。
面倒なので、スーパーマーケットのハシゴなどもちろんせず、同居人が好きそうなお菓子を調達するのにしばし棚の前で立ち止まり、「はぁ…」と溜息を漏らす。何を買ったらいいものやら、さっぱりわからない。仕方なしに、テキトウに見繕って買って来るのだが、買った物は同居人が自分では選びそうも無いようなものが多いらしく、同居人は仕事から帰ると興味津々で買った物をチェックするのだ。

DIY ショップに行くのはいつでも楽しいのに、食料品の買い出しは今回も全然楽しくなかった。


23.4.15

特殊な鑿?


父の持っていた鑿の中に、おそらく西洋では見られないだろうと思われる鑿が幾つかあった。
写真の最も大きなものは刃の幅が 4.5cm と、鑿にしては異例の広さで、尚かつ浅くカーブしており、更には刃のつき方が西洋で使われる一般的な gougeと反対になっている。
写真の3本の鑿は何れもカーブの内側を研いであり、外側は研がれていない。

シャープに研ぎ直し、どの程度の深さに彫れば綺麗な仕上がりになるのかを探りながら、少しずつ々掘り進めていった。

これまで、木のスプーン作りは大きめの gouge がないと綺麗に仕上がらないと思い、作るのをためらっていたのだが、この鑿とカード スクレイパーで何とか綺麗に凹みを作れそうな気がしてきた。

刃を保護する為の鞘は、父が作ったものか、はたまた祖父が作ったものか定かではないが、よく出来ている。(私なら、皮革をその形に縫って作っただろうと思うが)

私が小学校に上がる前、父と祖父が一緒に家の裏で大工仕事をしていたのを鮮明に覚えている。とりわけ、父がとても長い角材を鉋がけしていて、薄く長く出て来る鉋屑を「わー、きれいだな〜」と感動して見ていた光景が頭に焼き付いている。

大工仕事を見ているのが本当に好きだった。


15.4.15

血を継ぐということ

私のスタジオには電動工具が幾つかある。

どれもお値打ち価格の(=安い)、中途半端な大きさのテーブル ソー1台、ドリル3台(内1台はオークションで競り落とした数多の工具類の中に入っていたもので、出品者曰く「フル充電してもパワー不足で、恐ろしく早くバッテリー切れになる最低レベルのドリル。猫を脅すのには使えるかも知れない」シロモノらしいが、まだ試していないので、次に隣りの猫がうちの庭に忍び込んで来た時に試してみようと思っている)& 小ぶりのドリル プレス1台、ルーター2台(内1台はテーブル ソーに備え付けて使っている)、サンダー3台(同居人が以前購入した2台+"猫脅しのドリル"と共に入っていたもの1台)等に加え、中古と言えどもお高かったスクロール ソー1台… 以上は木工用。
ガラス用グラインダーとガラス用バンド ソーはどちらも高価だったが、グラインダーは10年以上使用しても壊れないので、そう考えれば、まぁ納得できるかなという価格である。バンド ソーについて言えば、ほとんどのガラス カットはペン型ガラス カッターを使ったハンド カットなため、出番はほとんど無いに等しく、持っていなくても一向に差支えない物のように思う。高価且つ特殊な模様/テクスチャーのガラスを、難易度の高いカーブを含むパターン通りに、失敗無くカットしたい時には必要だったが、NZに来てからそのようなガラスにはほとんどお目にかかっていないので、バンドソーは無用の長物となってしまっている。

それら電動工具に加え、父親から譲り受けたプラグに繋がないハンドツールが今回どっと加わったため、狭いスタジオを整理するのに四苦八苦している状態がいまだ続いている。

片付けをしている途中に、「これって、どうやって使うんだ???」と疑問が膨らむばかりの父の特殊なノミを手に取って、取りあえず要らない板を削ってみたりしているため、余計に片付けがはかどらない。
が…
これがけっこう楽しくて、気がつくと何時間も削り続けている始末。


工具の話はさておき...

今回日本に一時帰省し、私の作った透かし彫りを施したアロマ ボックスを手に取った身内の中には、誰一人として「女だてらに木工なんて」と口にする人は居なかったことに、今更ながら気付いた。
それが何を意味しているかと言えば、正しく『血を継ぐ』ということに他ならないのだと、今日ハッとした。

誰も私が木工を始めたことを不思議に思わない。なぜなら、私は父の血を継ぐ者だからで、性別に関わらず、『出来得る』或は『あり得る』と誰もが容易に想像できたからだ。

父方の叔父や叔母が、「うちの家系は皆器用だな」としみじみと話したことを聞いた。
その叔父(父の一番下の弟)が、数年前に、使っていない工具を譲って欲しいと父に頼んだところ、送られてきた物の中にはやはり父が大事に使っていた物はなかったと、伯母が私に話してくれた。もちろん叔父は私よりも木工の心得はあるに決まっているし、工具を粗末に扱うような人ではないのは、父が最もよく知っていただろうと思うが、その時はまだ叔父には全て渡せなかったのだ。
もしも私が木工を始めていなかったら、工具は全て叔父が譲り受けていたことだろう。もしも私が木工を始めていても、父に作ったものを見せていなかったら、工具類は私のもとに来たかどうかはわからない。
葬儀の後も、叔父は形見に工具を分けてくれとは言わなかった。親族全員が、私が工具類を引き継ぐことに異議を唱えず、私に要る物は全て持って行くようにと言ってくれた。

父が酸素吸入をしながら、私の作ったものを手に取り、瞬時に不完全な部分をいくつか指摘してくれた後、「始めたばかりでこれだけできればたいしたものだ」と褒めてもくれ、「俺の道具を持って行け」と言ってくれたことは、私にとってとてつもなく深い意味のあることだった。

いまだに父のことを思い出し、涙が溢れ出る日が続いている。





26.3.15

Bahir Al Bakir_"Walk From Agadir" (Best Chillout Music Series)



北アフリカにも雪が降ることを知ったのは、アルジェリアに住む青年との会話の中でだった。

国土のほとんどがサハラ砂漠に覆われ、裕福層は地中海を望む海沿いに住み、日がなテニスコートやらで暇をつぶす。
職にありつくのも困難な階級の若者達は田舎住まいで、お金が無ければ結婚もできやしないと嘆き、大人数の家族と共に質素な家で過ごすことを余儀なくされている。
解決策は… 

上に立つものが裕福層から出ているような状態では、よほどのことがない限り世の中変わりはしない。
自国で希望の光りが見えない人々は、より良い人生を送ろうと粗末な船に乗り、ある者は地中海で溺死し、ある者は海の上で捕えられ、またある者はようやくたどり着いた先で捕えられ、国に強制送還される。
事が望むものにならない可能性の方が遥かに高いとわかっていながら、そうせずにはいられない切羽詰まった感情を、もちろん政府の役人は理解できるはずがない。役人はほぼ間違いなく貧困層からは出ていないからだ。


ある時、雪の中で無邪気に遊ぶ、田舎のアルジェリアの若者達のビデオを見た。
彼らは本当に楽しそうだった。
あの純粋さや屈託の無い笑顔が、汚い野望に乗っ取られた心を持つ支配者たちの犠牲にならないようにと、私はただ祈ることしかできない。
お金も力も、何も無い部外者がいくら吠えたところで、世界は何一つ変わりはしない。


青年は、アルジェリアはとても美しい国だと言っていた。
いつかそこに行ってみたいと思った。
地中海を望む海沿いのリゾート地ではなく、静かな田舎の村に。


21.3.15

終わらないものはない

流行の曲が其処彼処で流れているのはわかる。

行く所、行く所で同じ曲を耳にすると、「売れているんだ」と、人はただ単にそう思うだけかも知れない。
だが、西洋で流行した曲が、そんな曲が流行っていそうも無い日本の寂れた田舎町で流れていたりすると、(たとえ流行の曲であっても)やけに印象深く心に焼き付き、一人心の中でつぶやいてしまう。

何故なんだ?
何故この曲が、しかも、正に自分がその場所に足を踏み入れた途端に流れ出したりするのだ...

長い人生で、幾度となく、流れてきた曲にハッとしたことがあった。

私が新しい環境に置かれることになる時には、決まって、彼の人が好きだった想い出の曲が流れていた。
ある時は仕事の面接場所で、またある時は旅の初まりのタクシーの中で…

だが、ある時を境に、彼の人を思い出させる曲が流れなくなった。

何かが変わり始めている。そう思えて仕方がない。

20.3.15

大切なのは 感覚を研ぎ澄ませること


国内のインターネット オークションで時々取引することのある業者から、中古のMoore & Wright Calipers を購入した。スクリューはどちらも大変スムーズで、使用するのに全く問題の無い中古品である。
ただ、私の性格ゆえに、少々手直しする所があった。どちらの計測器も、先端が微妙にズレていたのだ。


写真左の真っ直ぐな方は、長い方をヤスリで削り、ほぼ同じ長さにした上で、でき得る限り先端を近づけた。(まだ少々間が開いているが、使用する上でおそらく支障はないだろう)
写真右は完璧に先端が合うようになった。



数日前には父の使っていた小刀を研ぎ直した。
この持ち手も鞘も父が作った物だと思うのだが、形が合っていないので、両方を同時期に作ったとは思えない。もしかしたら、鞘はこの小刀用に作られた物ではなかったのではなかろうかとも思えた。
これは刃の部分だけを研ぎ直し、他の部分はそのままにしておいた。

小刀は若い頃使った記憶があるが、今この歳になって改めて使ってみると、非常に使い勝手の良い道具であることがよくわかった。実に小回りの利く、程よい大きさの刃物である。




最近は父の道具類に慣れる為に、ただただ板を削る練習ばかりしている。
日本の引いて削る鉋は、使い慣れた西洋の押すタイプの物に比べると、平面を均し易いように感じるが、ただ、西洋鉋のようにしっかりとした持ち手が付いているわけではないので、特に左手をどう添えたら最もしっくりくるのかがまだつかめていない状態である。
右手(利き腕)も、イマイチしっくり来ていないので、もう少し練習が必要だ。


この父の鉋の刃はまだ研いでいない。
研がなくとも、いまだ充分鋭い刃先であるということもあるが、研げばもっともっと繊細な仕事ができるだろうことはわかっていながらも、そうしたくないのは、父の存在を少しでも消すこと無く残しておきたいという思いが強く残っているからで、父の手先の感覚を、正に『感覚』で覚えようと、神経を集中させているところである。

ちなみに、父が入院中、皆で父の手の隣りに各々の手を並べ、見比べてみたら、私の手は少々ふっくらしてはいるものの、父の手の形にそっくりで驚いた。

私が(産まれながらに)父の跡を継ぐことになっていたのかも知れないと、ふと思った瞬間であった。


もう我慢しなくていいんだ...

今回の帰省では、かつて無いほど姉とよく話をした。

今年還暦を迎える姉は、傍目にはまだまだ若く見えるのだが、自分ではかなり歳を取ったと感じているらしく、「この2年ですっかり老けた」と言っていた。

そんな姉の発した言葉がずっと頭にこびりついて離れない。

「もうこの歳になったら我慢なんてしなくていいんだよ」


そうか、もう我慢しなくていいんだ...と思ったら、急に肩の荷が下りた感じがした。


先日苺売りの Mr.ダンディー  :) と話をしていた時に、彼も同じ意味合いのことを言っていた。
私達はけっこうな歳になっていて、しかも、先のことを案じて暮らす必要などないと思っている。いつお迎えが来ても受け入れる準備が既にできているという点で同じなのだ。

こんな取り繕うこと無い会話ができる歳になったことを、何だかとても嬉しく思った。




14.3.15

工具の手入

日本から持ち帰った父の形見の工具類は、長い間使われていなかったため錆が出始めていた。

工具の手入をするのは楽しい。
これまでも中古で買った工具類の錆を落とし、研ぎ直し、満足に使える状態に仕上げてきたが、父の工具類は錆び始めてはいたものの、さすがに刃先はまだ鋭く、研ぎ直さなくてもそのままで充分使えるものが多かった。



この小さなハサミは、ひどく錆びていたが、切れ味は良く、まだ刃を研ぎ直すほどではなかったため、錆を落とすだけでよしとしておいた。刃の噛み合わせも良好だった。


このノミは、父にしては珍しく一部刃がこぼれたままで仕舞われていたため、カットしたガラスの断面を研磨するために使っているグラインダーで刃先を1mm程度削り落とし、その後砥石で丁寧に研いで仕上げた。
右に立てたナイフの刃が鏡面仕上げしたノミに写っているのがわかるだろうか?ここまで磨くと切れ味はけっこう長持ちする。

私はこれまでこのような小型のノミを持っていなかったのだが、使ってみると、細かな作業にはすこぶる使い勝手が良く、研いだ後何時間も飽きること無く、木の端切れを削り、手に馴染むよう練習をしていた。

父から譲り受けた日本の工具の数々と、私が買い集めた西洋の中古工具類を使いこなして、いつか、私も素晴らしく美しい木工品を作れたらいいなと、そんなことを考えていた。


日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...