10.7.18
3.7.18
色鉛筆までeBayで買う時代
濃い色の板に印を付ける際にあったら便利だなと思い、白鉛筆を買いに出かけたのだが、大手の文房具店には、色鉛筆セットはあれどもバラ売りの色鉛筆は無く、お高いアート用品専門店には行く気にもなれず、仕方なく家に帰り eBay で検索...
10本で約 ¥370 ほどの、洋裁にも使え、木工にも使えると説明書きのあった白色のみの色鉛筆を注文した。
洋裁に使えるということは、硬すぎない芯であるはずだと予想しているのだが、届いてみないとわからない。
日本の文房具店にはまだバラ売りの色鉛筆が存在しているのだろうか?多分あるだろうな... 100均でも売っていそうだ... などと、いつも日本と比べてしまう私とは違い、ほとんどの物をインターネットで購入するのが当たり前になってしまっている同居人たちは、リテイルショップで買い物をすることなどハナから考えておらず、すぐに手に入らないことにもさしてストレスを感じなくなったように見える。
直ぐには要らないけれども、いずれ必要になるだろうものを注文しておく。それも余分に... 然るに、長い期間物は溜まったまま...
当面の間たった1本だけあれば事足りる白鉛筆の、残りの9本全部を使い切るのはいったい何年後だろうか?
本当に "良い世の中" になっているのかな?と首をかしげることの多い自分は、日本に住む姉よりももっと時代に取り残されている感があるなと、今日、誕生日を迎えた姉と Line でチャットしていて思った。
10本で約 ¥370 ほどの、洋裁にも使え、木工にも使えると説明書きのあった白色のみの色鉛筆を注文した。
洋裁に使えるということは、硬すぎない芯であるはずだと予想しているのだが、届いてみないとわからない。
日本の文房具店にはまだバラ売りの色鉛筆が存在しているのだろうか?多分あるだろうな... 100均でも売っていそうだ... などと、いつも日本と比べてしまう私とは違い、ほとんどの物をインターネットで購入するのが当たり前になってしまっている同居人たちは、リテイルショップで買い物をすることなどハナから考えておらず、すぐに手に入らないことにもさしてストレスを感じなくなったように見える。
直ぐには要らないけれども、いずれ必要になるだろうものを注文しておく。それも余分に... 然るに、長い期間物は溜まったまま...
当面の間たった1本だけあれば事足りる白鉛筆の、残りの9本全部を使い切るのはいったい何年後だろうか?
本当に "良い世の中" になっているのかな?と首をかしげることの多い自分は、日本に住む姉よりももっと時代に取り残されている感があるなと、今日、誕生日を迎えた姉と Line でチャットしていて思った。
1.7.18
病み上がりの洋裁
この冬二度目の風邪を引いたが、この前ほどひどくなく、喉の痛みと節々のだるさが3日ほど続いた後は嘘のようにスッキリ治った。薬も飲まずに回復したのは幸いだったが、時々右耳だけ耳鳴りがするようになっている。その内に気にならなくなってくれればいいなとただ願うのみだ。
身体が本調子ではなく、アトリエに降りて行く気にならなかった時には、ベッドルームの一角に設えたソーイングスペースで作業をしていた。少し前に買った安い厚手の "ズボン"(フランス語?こちらではtrousers と言い、アメリカでは pants と言う)2本の裾上げをする必要があったからだ。
ニット用ミシン糸は遥か昔に日本で買ったものしか無かったが、まだ丈夫そうだったのでそれで良しとした。
買ったズボンはどちらも伸縮素材で、職業用直線ミシンと年代物の3本糸のロックミシンでビロビロに伸ばすことなく縫えるだろうかとかなり心配だったが、抑え金をプラスチック製の物に替え、抑え金の圧を通常よりも弱くしただけで問題なく縫えたため、(*裾を自分に合った長さ+上げ代(縫い代)の位置でカットしたら、捨てる方の布で試し縫いするべし)、最終手段として用意した伸び止めテープを使うには及ばなかった。
針先が若干シャープさを欠いているように感じたため、今回針は新品に交換し、ミシン油もさしておいた。上糸と下糸の糸調子は、針や機械の状態によって大きく変わるのだ。
* 油をさす箇所は取扱説明書に書かれているが、ほとんどのミシンは機械を開けてみることなく油をさすことができるようになっているはずだ。
安いズボンを買ってきても、誰かに丈を詰めるのを頼まなければならないというのは厄介だろうなと、想像しながら縫っていた。頼む手間も、時間も、更には代金もかかることになる。(頼んだ業者が下手くそだったら超ガッカリだし...)
まだ小学生の頃から縫い物をする習慣が身についていてよかったと、心からそう思った。
身体が本調子ではなく、アトリエに降りて行く気にならなかった時には、ベッドルームの一角に設えたソーイングスペースで作業をしていた。少し前に買った安い厚手の "ズボン"(フランス語?こちらではtrousers と言い、アメリカでは pants と言う)2本の裾上げをする必要があったからだ。
ニット用ミシン糸は遥か昔に日本で買ったものしか無かったが、まだ丈夫そうだったのでそれで良しとした。
買ったズボンはどちらも伸縮素材で、職業用直線ミシンと年代物の3本糸のロックミシンでビロビロに伸ばすことなく縫えるだろうかとかなり心配だったが、抑え金をプラスチック製の物に替え、抑え金の圧を通常よりも弱くしただけで問題なく縫えたため、(*裾を自分に合った長さ+上げ代(縫い代)の位置でカットしたら、捨てる方の布で試し縫いするべし)、最終手段として用意した伸び止めテープを使うには及ばなかった。
針先が若干シャープさを欠いているように感じたため、今回針は新品に交換し、ミシン油もさしておいた。上糸と下糸の糸調子は、針や機械の状態によって大きく変わるのだ。
* 油をさす箇所は取扱説明書に書かれているが、ほとんどのミシンは機械を開けてみることなく油をさすことができるようになっているはずだ。
安いズボンを買ってきても、誰かに丈を詰めるのを頼まなければならないというのは厄介だろうなと、想像しながら縫っていた。頼む手間も、時間も、更には代金もかかることになる。(頼んだ業者が下手くそだったら超ガッカリだし...)
まだ小学生の頃から縫い物をする習慣が身についていてよかったと、心からそう思った。
29.6.18
野菜に例えると...
昨日まで、自分を野菜に例えたことはなかった。
同居人Hはキュウリ、Tはトマト(だとHは言う)、"西早稲田の君"はゴボウ(?)、彼の人はスイカ、そして私はネギらしい。
なぜネギなのかを同居人たちが話していた。
生命力/再生力が半端なく強いというのが最も大きな理由らしいが、私ってそんなに強く映っているんだなと苦笑いしてしまった。
ネギは薬味となることがほとんどで、単独で食べることは滅多に無いのだが、生姜と同様存在感はかなり強く、クセも強い。
あぁ、言えてるかもな... と、ベランダで再生を繰り返す(スーパーで買ったネギの根っこから成長した)ネギを見ると、何だか健気に見えて思わず微笑んでしまった。
単独で檜舞台に立つことよりも、誰かを引き立てる役割を担う方が性に合っているのに、存在感だけは強く、おそらく影響力も強いと言われる私は、やはり『ネギ』なのだろうなと、やけに納得してしまった一日であった。
20.6.18
NZの潮干狩り、寒梅、そして日本の marking gauge
NZでの潮干狩りは、獲ってもいい数量が決まっている。決まっているのだが、地域によってかなりの差があるようで、オークランド(から北)では一人一日50個までとなっているTuatua は、先週末同居人Hの訪れていたタウランガでは3倍の150個まで獲ることができるらしく、日曜の夜、Hが美味しい Tuatua をお土産に持ち帰ってくれた。
* NZにおける地域ごとの漁獲規制については Fishing Rules に事細かく示されているので、 事前にチェックしておかなければならない。チェックせずに大量に、或いは規格外のサイズのものを獲り持ち帰ろうとしたのを監視員に見つかった場合、高額な罰金を科されることになるようだが、ほとんど制限の無い国から来たばかりの移民、或いは旅行客などは、おそらく規制があることなど想像だにしておらず、「調べる」こと自体頭に浮かばないだろうというのは十分考えられることだ。
全ての立ち入り可能なビーチに明瞭に但し書きされた看板が設置されているのならいざ知らず、知らずに潮干狩りを楽しんで何百ドルという罰金を科されたのではたまったものではないなと、私などは思ってしまうが、その辺はどのような対処がなされているのだろうか?
裏庭には寒梅が咲き始めた。
例年は7月に入ってから咲き始める寒梅だが、もう咲いているということは、今年は寒くなるのが早いということなのだろうか?
アトリエに降りて行き、ベンチバイスに革を取り付けた。
これまで板と板の間に作業する物(主に板)を挟んで固定していたのだが、かなりきつく締めないと作業途中にずれてしまい、きつく締めすぎると今度は緩める時に大変になるという、老体には嬉しくない状況だったため、雲の上のお師匠さんがしているように、革を付けなくてはとずっと考えていたのである。
革は挟む部分の外側に留め付け、革を外側に垂らせば革無しでも使えるようにしておいた。
革の威力はかなりなもので、きつく締め上げなくとも全く滑らなくなった。
日本から買って帰った毛引き(マーキング ゲージ)は松井精密工業のもので、日本の経験を積んだ家具職人推奨のもの。
さて、講釈はこれくらいにして...
例によって安い Pine(マツ材)を買って来たので、自分用の棚作りに取りかかるとしよう。
* NZにおける地域ごとの漁獲規制については Fishing Rules に事細かく示されているので、 事前にチェックしておかなければならない。チェックせずに大量に、或いは規格外のサイズのものを獲り持ち帰ろうとしたのを監視員に見つかった場合、高額な罰金を科されることになるようだが、ほとんど制限の無い国から来たばかりの移民、或いは旅行客などは、おそらく規制があることなど想像だにしておらず、「調べる」こと自体頭に浮かばないだろうというのは十分考えられることだ。
全ての立ち入り可能なビーチに明瞭に但し書きされた看板が設置されているのならいざ知らず、知らずに潮干狩りを楽しんで何百ドルという罰金を科されたのではたまったものではないなと、私などは思ってしまうが、その辺はどのような対処がなされているのだろうか?
さて、この Tuatua だが、アサリに比べてサイズが遥かに大きく、味も比べののにならないほど美味しいが、砂を吐かせるのにかなり時間がかかる。
塩水に浸け丸々一晩おいて、ほぼ砂を吐いたという感じだ。(若干残っていた)
私は通常揚げ物用の網の付いたバット(トレイ)を使い、貝が吐いた砂を再度吸い込まないようにしているが、多くは並べられないので、150個も獲って来てしまうと容れ物を探さなくてはならなくなる。平たく大きなコンテナのようなものを買って来ておいたほうがいいかもしれないが、そう頻繁に潮干狩りに行くものでも無し、はてさて、買っておくべきかどうか悩むところである。
Hの希望で夕食はボンゴレ ビアンコ。
やたらと貝が大きいため、"貝だらけパスタ" に見えるが、貝は13個ほど... ちょうど良い量かな...
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裏庭には寒梅が咲き始めた。
例年は7月に入ってから咲き始める寒梅だが、もう咲いているということは、今年は寒くなるのが早いということなのだろうか?
アトリエに降りて行き、ベンチバイスに革を取り付けた。
これまで板と板の間に作業する物(主に板)を挟んで固定していたのだが、かなりきつく締めないと作業途中にずれてしまい、きつく締めすぎると今度は緩める時に大変になるという、老体には嬉しくない状況だったため、雲の上のお師匠さんがしているように、革を付けなくてはとずっと考えていたのである。
革は挟む部分の外側に留め付け、革を外側に垂らせば革無しでも使えるようにしておいた。
日本から買って帰った毛引き(マーキング ゲージ)は松井精密工業のもので、日本の経験を積んだ家具職人推奨のもの。
これまで西洋の、ピンやら、ごく薄いカッターやら、ホイールが付いたマーキング ゲージを使って来たが、どれも私にはイマイチの使い心地で、特にピンの付いたものは板をガリガリ削る感が拭えず、記した線に沿って鑿で慎重に削ったとしてもおよそシャープとは言い難い仕上がりになるような "気分" になってしまうのだ。実際にはそんなに気にすることはないのかもしれないが、そのダル(dull)な感覚というのは、作業をする上で邪魔になりはしても、益にはならないだろう。
また、西洋のマーキング ゲージは印を付けたい板に添わせるのに安定しない作りのものがほとんどで、板に添わせたつもりで線を引いていても、板の繊維に逆らえず微妙にズレてしまっていたということが幾度もあった。
その点、この日本の毛引きはよく考えて作られている。
板に当たる面は広く、また、柄は人差し指と中指の間に挟んで持つのに適した厚みとなっており、手全体を使って毛引き本体を包み込むことによって、ぐらつきが抑えられる仕組みになっている。
試しに側にある携帯電話やら本を片手で持ってみるとよくわかる。(重量のある本を持ってみると更によくわかる)
指だけを使って手に取った物を支えた場合と、物を包み込むように掌に当てて持ち、5本の指それぞれの機能を全て使って支えた場合とでは安定度が明らかに違うことは、誰でもわかることだろう。
そう、日本の毛引きを使った場合、印を付けている時にズレる可能性がほとんどなくなるのだ。
刃は流石に日本の刃物だけあって恐ろしくシャープで、なまくらになったらもちろん研ぎ直せる。だが、半永久的に使い続けられるわけではなく、直角に折れ曲がった部分が極端に短くなってしまったら新しい刃と交換しなければならない。交換したくなったときに果たして寸分違わぬものが手に入るかどうかは甚だ疑問である。
... と考えていくと、後々のことを考慮に入れた場合、このような鎌毛引きではなく、割り毛引きと呼ばれているもののように、柄に直接ブレードが刺さっているものの方がいいようにも思えるが、それだと同時に二重線を引くことができないというマイナス要素が付いてくる。ほぞ穴を掘る際の印付けに関しては、この2枚刄が非常に便利なのである。
さて、講釈はこれくらいにして...
例によって安い Pine(マツ材)を買って来たので、自分用の棚作りに取りかかるとしよう。
5.6.18
真冬並みの気温
ここ数週間オークランドの最低気温は4℃だの5℃だのとなっていた。
その気温だとさすがに耐えられずに夕食時ガスストーブをつけ、バスルームには電気ヒーターを運び込み、完全な真冬の装備をしなければ過ごせない。
私は同居人からもらった風邪で喉をやられ、一晩高熱にうなされ、微熱が数日続き、激しい咳のおかげで喉が更に痛くなり、腹筋まで痛くなった。
この歳になると、風邪は命取りになる可能性が高くなると、そんなことが頭に浮かび、「たかが風邪で死にたくはないよな...」と、ベッドの中で考えていたりもした。
症状が悪くなったのは週末から Queen's Birthday で祭日となった月曜にかけてだったため、病院にも行かず、同居人Tの買った GEES LINCTUS を飲み、Hがロンドンで買ってきた強いのど飴を舐め、姉が台湾で買ってきた緑油精なるものを鼻の下に少量つけてしのいでいたが、高熱が出た際には我慢することなく解熱剤を飲み、ようやく快方に向かっているところである。
3週間ほどのヨーロッパ旅行から無事帰宅した同居人Hは先週から職場復帰し、今年からフリーランサーとなった同居人Tには今のところ順調に仕事が入ってきている。
こちらの大学を卒業したのにも関わらずなかなか職にありつけなかった頃のことを思うと、『職歴』がどれだけ重要なポイントを占めているかが良くわかる。
Tはこれまでに、NZ最王手のスーパーマーケットやら、最王手のスポーツ用品店のTVコマーシャル、世界中で名の知れた飲料水メーカーのNZ版コマーシャル等々いくつもの仕事をこなしてきたため、履歴書に添付されたショーリールを見たほとんどの人は「おー、あれはこいつがやっていたのか」とまず最初に思うのだ。あまり知られていないブランドのTVコマーシャルを見せられたのとはインパクトの大きさが違う。
派遣会社に登録申請した際にも、申し分の無い職歴だと言われたのは言うまでもなく、誰かの紹介で、その業界では名の知れた会社に履歴書を送っても、ほとんど撥ねられることはなくなった。
要するに、最初の仕事(職場)にありつけさえすれば、力があれば先は開けるのだ。
だが、その『最初の仕事/職場』をコネ無しにゲットするのはNZでは非常に難しく、特に英語圏で生まれ育っていない人種にとっては、自分の "名前" が職探しの最も大きな障壁となり、履歴書を送ってもまず最初に書かれた名前で撥ねられる(まず読み辛い+英語力があるかどうかがわからない+生活習慣やら感覚の違いがわからない+それらを理解するのが面倒等々の理由)。
どんなに有能であっても、名前で撥ねられたのでは先に進みようがない。
コネを作ることに長けている人は、様々な場所で出会う人、出会う人に愛想を振りまき、積極的に話しかけ、"facebook friend" になり、電話番号を交換したりなどして、いとも簡単に仕事にありつくのだが、そのような社交的な人が『=仕事ができる人』とは限らないということは、見るからにその仕事に向いていないように思える人がかなり多く存在することからも、容易に想像できるだろう。
我が家の同居人TやHは、Tの大学時代の友達の紹介で大手広告代理店に入社することができたことは以前書いただろうか... その友達もやはり友達の紹介でその会社に入っている。
多くの企業は、公募しはしても、"社員の知り合い" に入社希望者が居たらそちらを優先するようで、有能かどうかなどあまり問題ではないというのは事実だ。
Tの友達は、自分が昇進/昇給するためにそのポジションを引き継ぐ人を探す必要があり、Hは正に適任であったため紹介された。その当時は、引き継ぐ人を探して来たら会社から $500 の報酬までもらえたので、その友達にも大きなメリットがあり、紹介された側も勿論有り難く、また会社にとっても、求人広告を打ったり数多くの面接をする手間やら経費やらを省け、一石二鳥どころではないメリットがあったのだ。
企業の採用事情というのは、まぁ何処もそんなものなんだろう。
そんなわけで、Hは一応面接には出向いたものの、他に候補者も無く、いとも簡単に採用されたのだった。
そして、自らの頑張りでトントン拍子に昇進/昇給し続け、最近では、広告関係者の集まる授賞式に出席を要請されるするような立場になっている。着ていくドレスの数も増えた。
しかし現在、その "かつての" 大企業は、長いこと新たなクライアントをゲットできずにおり、これまでのクライアントも一つ、また一つと失い続けているような有様だ。
先行きが非常に怪しくなってきているため、他の社員と同様 Hも昇給はストップしたままで、そのくせ深夜まで残業させることは躊躇なく(残業手当などもちろん出ない)、そろそろ職場を変える時かなと、他の会社を探しているのも頷ける。
長く降り続いた雨も今朝は止み、今の気温は16℃と出ているが、依然として風が強い。
風邪はだいぶ良くなってきたが、本調子ではないため、今日も片道30分近く歩いて郵便局まで行くのは諦めることにした。
週末に、Tの友達のお母さんが作って持たせてくれた大量のマレーシアン チキン カレーは、さすがにレストラン経営者の作るものだけあって、ピリ辛で非常に美味しかった。
一昨日も食べ、昨日の夕食にもなり、今日の昼に食べてもまだ 3食分(3人分 × 3)は残っている。
Tの別の友達がくれたボックス型冷凍庫に入れ、残りはまたカレーが恋しくなった頃に食べるとしよう。
調子が悪くなる前に焼いたZaatar Bread はよく膨らんで美味しかった。
寒い時に部屋でパン生地を発酵させる際には、以前は大きな発泡スチロールの箱に湯たんぽを入れて、"暖かい部屋" を作っていたのだが、最近は横着をして、水道から熱々のお湯を注いだボールの上に、発酵させる生地を入れたコンテナを置いておくだけ。
それだけで案外うまくいくものだ。
多分、保冷/保温バッグやら、クーラーボックスも発酵に使えるに違いない。
その気温だとさすがに耐えられずに夕食時ガスストーブをつけ、バスルームには電気ヒーターを運び込み、完全な真冬の装備をしなければ過ごせない。
私は同居人からもらった風邪で喉をやられ、一晩高熱にうなされ、微熱が数日続き、激しい咳のおかげで喉が更に痛くなり、腹筋まで痛くなった。
この歳になると、風邪は命取りになる可能性が高くなると、そんなことが頭に浮かび、「たかが風邪で死にたくはないよな...」と、ベッドの中で考えていたりもした。
症状が悪くなったのは週末から Queen's Birthday で祭日となった月曜にかけてだったため、病院にも行かず、同居人Tの買った GEES LINCTUS を飲み、Hがロンドンで買ってきた強いのど飴を舐め、姉が台湾で買ってきた緑油精なるものを鼻の下に少量つけてしのいでいたが、高熱が出た際には我慢することなく解熱剤を飲み、ようやく快方に向かっているところである。
3週間ほどのヨーロッパ旅行から無事帰宅した同居人Hは先週から職場復帰し、今年からフリーランサーとなった同居人Tには今のところ順調に仕事が入ってきている。
こちらの大学を卒業したのにも関わらずなかなか職にありつけなかった頃のことを思うと、『職歴』がどれだけ重要なポイントを占めているかが良くわかる。
Tはこれまでに、NZ最王手のスーパーマーケットやら、最王手のスポーツ用品店のTVコマーシャル、世界中で名の知れた飲料水メーカーのNZ版コマーシャル等々いくつもの仕事をこなしてきたため、履歴書に添付されたショーリールを見たほとんどの人は「おー、あれはこいつがやっていたのか」とまず最初に思うのだ。あまり知られていないブランドのTVコマーシャルを見せられたのとはインパクトの大きさが違う。
派遣会社に登録申請した際にも、申し分の無い職歴だと言われたのは言うまでもなく、誰かの紹介で、その業界では名の知れた会社に履歴書を送っても、ほとんど撥ねられることはなくなった。
要するに、最初の仕事(職場)にありつけさえすれば、力があれば先は開けるのだ。
だが、その『最初の仕事/職場』をコネ無しにゲットするのはNZでは非常に難しく、特に英語圏で生まれ育っていない人種にとっては、自分の "名前" が職探しの最も大きな障壁となり、履歴書を送ってもまず最初に書かれた名前で撥ねられる(まず読み辛い+英語力があるかどうかがわからない+生活習慣やら感覚の違いがわからない+それらを理解するのが面倒等々の理由)。
どんなに有能であっても、名前で撥ねられたのでは先に進みようがない。
コネを作ることに長けている人は、様々な場所で出会う人、出会う人に愛想を振りまき、積極的に話しかけ、"facebook friend" になり、電話番号を交換したりなどして、いとも簡単に仕事にありつくのだが、そのような社交的な人が『=仕事ができる人』とは限らないということは、見るからにその仕事に向いていないように思える人がかなり多く存在することからも、容易に想像できるだろう。
我が家の同居人TやHは、Tの大学時代の友達の紹介で大手広告代理店に入社することができたことは以前書いただろうか... その友達もやはり友達の紹介でその会社に入っている。
多くの企業は、公募しはしても、"社員の知り合い" に入社希望者が居たらそちらを優先するようで、有能かどうかなどあまり問題ではないというのは事実だ。
Tの友達は、自分が昇進/昇給するためにそのポジションを引き継ぐ人を探す必要があり、Hは正に適任であったため紹介された。その当時は、引き継ぐ人を探して来たら会社から $500 の報酬までもらえたので、その友達にも大きなメリットがあり、紹介された側も勿論有り難く、また会社にとっても、求人広告を打ったり数多くの面接をする手間やら経費やらを省け、一石二鳥どころではないメリットがあったのだ。
企業の採用事情というのは、まぁ何処もそんなものなんだろう。
そんなわけで、Hは一応面接には出向いたものの、他に候補者も無く、いとも簡単に採用されたのだった。
そして、自らの頑張りでトントン拍子に昇進/昇給し続け、最近では、広告関係者の集まる授賞式に出席を要請されるするような立場になっている。着ていくドレスの数も増えた。
しかし現在、その "かつての" 大企業は、長いこと新たなクライアントをゲットできずにおり、これまでのクライアントも一つ、また一つと失い続けているような有様だ。
先行きが非常に怪しくなってきているため、他の社員と同様 Hも昇給はストップしたままで、そのくせ深夜まで残業させることは躊躇なく(残業手当などもちろん出ない)、そろそろ職場を変える時かなと、他の会社を探しているのも頷ける。
長く降り続いた雨も今朝は止み、今の気温は16℃と出ているが、依然として風が強い。
風邪はだいぶ良くなってきたが、本調子ではないため、今日も片道30分近く歩いて郵便局まで行くのは諦めることにした。
週末に、Tの友達のお母さんが作って持たせてくれた大量のマレーシアン チキン カレーは、さすがにレストラン経営者の作るものだけあって、ピリ辛で非常に美味しかった。
一昨日も食べ、昨日の夕食にもなり、今日の昼に食べてもまだ 3食分(3人分 × 3)は残っている。
Tの別の友達がくれたボックス型冷凍庫に入れ、残りはまたカレーが恋しくなった頃に食べるとしよう。
調子が悪くなる前に焼いたZaatar Bread はよく膨らんで美味しかった。
寒い時に部屋でパン生地を発酵させる際には、以前は大きな発泡スチロールの箱に湯たんぽを入れて、"暖かい部屋" を作っていたのだが、最近は横着をして、水道から熱々のお湯を注いだボールの上に、発酵させる生地を入れたコンテナを置いておくだけ。
それだけで案外うまくいくものだ。
多分、保冷/保温バッグやら、クーラーボックスも発酵に使えるに違いない。
21.5.18
休日も働く日本の郵便局
先週木曜日に日本に送った郵便物が、なんと3日後の日曜日に着いていたことを知って驚いた。
日本では日曜日にも配達するのかと姉に聞くと、一般郵便物は配達しないが、クーリエは年中無休で配達するとのこと。
"親方日の丸" ではなくなったのは、おそらく良いことだったのだろうと、今更ながら思った次第である。
NZ Post は民営だが、労働に対する姿勢が日本とは大きく違い、休みの日に働くなどあり得ないことだ。
当然のことながら、お客様は神様ではなく、利用してくれる人が居るおかげで商売が成り立っていられるんだという認識さえ欠如しているようにしか思えない。
ライバルとなる運送会社がいくつも出て来ても、カスタマーサービスの質を向上させようともせず、その結果、設置されているポストの数を大幅に減らし、単独で建っていたポストショップを廃止して、デイリーやら文房具屋の一角を借りて業務をするという具合になって来ている。
雇っている配達員は、荷物を遠くから放り投げて行ったり、雨の日に駐車場の車の脇に置き去りにしたり、配達に来ていないのに(来ていないので不在通知は無く)「配達したけど居なかった」と携帯にメッセージだけ送ってよこす輩だったりする。
ポストショップで働くおばちゃんは、客が列を作っているのをそっちのけで知り合いと歓談...
荷物が間違った住所に配達されることは日常茶飯事。我が家の玄関先に置かれた全く違う住所宛の荷物は、近所だったら届けに行くが、近所でない場合はポストショップまで持って行かなければならない。
同居人H宛の荷物は全く違う住所に配達され、行方不明のまま迷宮入り。
これが普通なのか???と、管理が徹底されている日本から来た私たちはガッカリするのだが、世界の多くの国ではこれを凌ぐほどにずさんな管理のポストショップがあるようで、荷物が間違いなく届くことに驚くほどの国もあるようだ。
国によって価値観やら責任感やら倫理に対する一般的な考え方が全く違ったりするのは何故なのだろう? 同じ "人間" じゃないか...
この世には不思議なことだらけだ。
日本では日曜日にも配達するのかと姉に聞くと、一般郵便物は配達しないが、クーリエは年中無休で配達するとのこと。
"親方日の丸" ではなくなったのは、おそらく良いことだったのだろうと、今更ながら思った次第である。
NZ Post は民営だが、労働に対する姿勢が日本とは大きく違い、休みの日に働くなどあり得ないことだ。
当然のことながら、お客様は神様ではなく、利用してくれる人が居るおかげで商売が成り立っていられるんだという認識さえ欠如しているようにしか思えない。
ライバルとなる運送会社がいくつも出て来ても、カスタマーサービスの質を向上させようともせず、その結果、設置されているポストの数を大幅に減らし、単独で建っていたポストショップを廃止して、デイリーやら文房具屋の一角を借りて業務をするという具合になって来ている。
雇っている配達員は、荷物を遠くから放り投げて行ったり、雨の日に駐車場の車の脇に置き去りにしたり、配達に来ていないのに(来ていないので不在通知は無く)「配達したけど居なかった」と携帯にメッセージだけ送ってよこす輩だったりする。
ポストショップで働くおばちゃんは、客が列を作っているのをそっちのけで知り合いと歓談...
荷物が間違った住所に配達されることは日常茶飯事。我が家の玄関先に置かれた全く違う住所宛の荷物は、近所だったら届けに行くが、近所でない場合はポストショップまで持って行かなければならない。
同居人H宛の荷物は全く違う住所に配達され、行方不明のまま迷宮入り。
これが普通なのか???と、管理が徹底されている日本から来た私たちはガッカリするのだが、世界の多くの国ではこれを凌ぐほどにずさんな管理のポストショップがあるようで、荷物が間違いなく届くことに驚くほどの国もあるようだ。
国によって価値観やら責任感やら倫理に対する一般的な考え方が全く違ったりするのは何故なのだろう? 同じ "人間" じゃないか...
この世には不思議なことだらけだ。
16.5.18
ストレスフルな日々
一日中外壁のペイントを削る騒音にさらされ、アトリエへの通路も塞がれ、作業もできず、いつになったらこの作業が終わるんだと、苛立つこと約3週間。
そもそも、外壁を塗り替えるプロジェクトは昨年の冬、かれこれ10ヶ月近くも前に話があったもので、こんなにも長い時間をかけなければできないものだとは想像だにしていなかった私たちは、長引く非常に居心地の悪い状況にただでさえウンザリしきっていたのに、それに輪をかけるようにやって来たおよそプロとは思えないような集団の全くもって手際の悪い作業に、日々腹立たしい思いをさせられている。
日本から買って来た幾つかの木工工具の使い心地をみたくとも、それさえもできやしない。
外壁のペイントに来ている業者に、家の要補修箇所はそのままでペイントしてしまうのかと聞くと「そうだ」と言う。それをこの家の大家は承知しているのかと聞くと、承知しているというので、それでは私の出る幕ではないので、続けていただいて結構ですと言うと、翌日から別の補修業者が来て補修を始め驚いた。
最も驚いたのは、これまで入っていた窓を取り払って、何処かから調達したらしい、薄汚く、その上デザインの違う中古品を持って来て嵌めて行ったことだ。ただ単にサイズが合っているというだけ。
その補修業者は英語圏の人ではなく、英語での会話がほとんどできないに等しく、あちらの言いたいことは理解できず、こちらの意思も伝わらず...
おそらくその窓は仮のものだろうという私の憶測は木っ端微塵に打ち砕かれた。その業者が何日経っても交換に来ないことを不安に感じるようになり、その木枠にペイントを施し始めた業者に、「その窓、デザインが違うんだけど、もしかしてそのままその窓を使うってことかな?」と聞くと、それしかサイズが合うものがなかったんだとの返事が帰って来た。
これまで入っていた木枠は傷んでいたと言うので、だったら木枠の板を変えるだけでよかったんじゃないのかと聞くと、木枠を修理するのには余分にお金がかかると...
木枠を修理する技術の無い人たちは、廃物を再利用することしか考えなかったのだ。
大家はそれを承知しているとのこと。
2018年5月、この家の一箇所に誠にチグハグな窓が入ったことをここに記しておくことにしよう。
余分なペイントが窓枠の周囲にべったりと張り付き固まってしまっていて、全ての窓が開けられなくなっていたのは、私が内側から木枠をハンマーで慎重に叩き、貼り付いていたペイントを無理矢理剥がして開けられるようにした。窓どころではなく、裏口のドアも開かなくなっている始末だが、ペインターは貼り付いているペイントにナイフでスコアを入れることさえせず、「どうにもならない」と繰り返すだけだった。
何も考えず無闇矢鱈と塗りたくって、開けられなくなった窓をそのままにして終了する気だったなんて、信じられるか? ペイントを専門にしている業者が、窓枠の外に付着した塗料で窓が桟に張り付いてしまうことをこれっぽっちも考えていないんだぞ?!
お粗末極まりないじゃないか。
しかも、驚くことに、蝶番まで壁と同じ色のペイントで塗ってしまっていた。蝶番がくっついてしまうことは考えなかったのか???
... お話にならない...
ここNZでは、ほとんどの業者は専門分野以外の作業をしない。出来ないのか、してはいけないのかわからないが、ペインターはただ単にペイント作業を行うのみで、私から見ても超簡単な補修箇所ですら触ることはない。
直径 3 cm 未満の穴が空いていても空いたままペイントして良しとする。
だが、そんなことより何より、そのたった一つしかしなくていいことすら完璧に出来ないのだ。
しかも、丹精込めて綺麗に整えた裏庭は完全に荒らされ、長男がこちらに来た折に記念にと植えて行った大切な林檎の木には足場にする重たい鉄の棒がのしかかり、枝は数カ所折れ、既にぐらついてしまっていて、枯れかけている有様だ。
「あなた達は責任という言葉を知っているのか?」
見るも哀れな姿になってしまった林檎の木を見て、思わず悔し涙が溢れた。
私にとっては『有り得ない』ことの連続で、『もうお引き取りいただきたい』と声を大にして言いたい衝動と戦い続ける毎日... 体にいいわけはない。
かつて、「私の夫は大工です」という女性に、「それはいいですね。家で色んな物を作ってもらえるし、修理もしてもらえる」と言うと、「夫は階段しか作りませんから、他のことはしません」との返事。『しない』と言うよりも、『出来ない』のだそうだ。
階段しか作れない大工なんているのか??? 階段しか作らない人を大工と呼ぶのか???と、私は(申し訳ないが)その人の "腕" を思わず疑ってしまったものだ。
大工に限らず、この国の "プロフェッショナル" の質は総じて恐ろしく低い。
日本では到底通用しないだろうレベルの "プロフェッショナル" の人たちは、ここNZに来て仕事を探せば難なく職にありつけるに違いない。
英語がたいしてわからなくとも、それを自分が気にしなければ大丈夫。依頼主がどんなに苛立つ思いをしようが、そんなことは自分の知ったことではないと聞いた端から無視できるような無神経な人だったら、十分やっていけるだろう。
アクセントカラーだった緑色も白く塗られてしまい、この家はのっぺりとした白一色になってしまった。
大家が修理代金をケチったからなのか、はたまたペイント業者のセンスが悪かったせいなのかわからないが、もうどうでもいい。
早く終わってくれと、ただただ願うのみだ。
そもそも、外壁を塗り替えるプロジェクトは昨年の冬、かれこれ10ヶ月近くも前に話があったもので、こんなにも長い時間をかけなければできないものだとは想像だにしていなかった私たちは、長引く非常に居心地の悪い状況にただでさえウンザリしきっていたのに、それに輪をかけるようにやって来たおよそプロとは思えないような集団の全くもって手際の悪い作業に、日々腹立たしい思いをさせられている。
日本から買って来た幾つかの木工工具の使い心地をみたくとも、それさえもできやしない。
外壁のペイントに来ている業者に、家の要補修箇所はそのままでペイントしてしまうのかと聞くと「そうだ」と言う。それをこの家の大家は承知しているのかと聞くと、承知しているというので、それでは私の出る幕ではないので、続けていただいて結構ですと言うと、翌日から別の補修業者が来て補修を始め驚いた。
最も驚いたのは、これまで入っていた窓を取り払って、何処かから調達したらしい、薄汚く、その上デザインの違う中古品を持って来て嵌めて行ったことだ。ただ単にサイズが合っているというだけ。
その補修業者は英語圏の人ではなく、英語での会話がほとんどできないに等しく、あちらの言いたいことは理解できず、こちらの意思も伝わらず...
おそらくその窓は仮のものだろうという私の憶測は木っ端微塵に打ち砕かれた。その業者が何日経っても交換に来ないことを不安に感じるようになり、その木枠にペイントを施し始めた業者に、「その窓、デザインが違うんだけど、もしかしてそのままその窓を使うってことかな?」と聞くと、それしかサイズが合うものがなかったんだとの返事が帰って来た。
これまで入っていた木枠は傷んでいたと言うので、だったら木枠の板を変えるだけでよかったんじゃないのかと聞くと、木枠を修理するのには余分にお金がかかると...
木枠を修理する技術の無い人たちは、廃物を再利用することしか考えなかったのだ。
大家はそれを承知しているとのこと。
2018年5月、この家の一箇所に誠にチグハグな窓が入ったことをここに記しておくことにしよう。
余分なペイントが窓枠の周囲にべったりと張り付き固まってしまっていて、全ての窓が開けられなくなっていたのは、私が内側から木枠をハンマーで慎重に叩き、貼り付いていたペイントを無理矢理剥がして開けられるようにした。窓どころではなく、裏口のドアも開かなくなっている始末だが、ペインターは貼り付いているペイントにナイフでスコアを入れることさえせず、「どうにもならない」と繰り返すだけだった。
何も考えず無闇矢鱈と塗りたくって、開けられなくなった窓をそのままにして終了する気だったなんて、信じられるか? ペイントを専門にしている業者が、窓枠の外に付着した塗料で窓が桟に張り付いてしまうことをこれっぽっちも考えていないんだぞ?!
お粗末極まりないじゃないか。
しかも、驚くことに、蝶番まで壁と同じ色のペイントで塗ってしまっていた。蝶番がくっついてしまうことは考えなかったのか???
... お話にならない...
ここNZでは、ほとんどの業者は専門分野以外の作業をしない。出来ないのか、してはいけないのかわからないが、ペインターはただ単にペイント作業を行うのみで、私から見ても超簡単な補修箇所ですら触ることはない。
直径 3 cm 未満の穴が空いていても空いたままペイントして良しとする。
だが、そんなことより何より、そのたった一つしかしなくていいことすら完璧に出来ないのだ。
しかも、丹精込めて綺麗に整えた裏庭は完全に荒らされ、長男がこちらに来た折に記念にと植えて行った大切な林檎の木には足場にする重たい鉄の棒がのしかかり、枝は数カ所折れ、既にぐらついてしまっていて、枯れかけている有様だ。
「あなた達は責任という言葉を知っているのか?」
見るも哀れな姿になってしまった林檎の木を見て、思わず悔し涙が溢れた。
私にとっては『有り得ない』ことの連続で、『もうお引き取りいただきたい』と声を大にして言いたい衝動と戦い続ける毎日... 体にいいわけはない。
かつて、「私の夫は大工です」という女性に、「それはいいですね。家で色んな物を作ってもらえるし、修理もしてもらえる」と言うと、「夫は階段しか作りませんから、他のことはしません」との返事。『しない』と言うよりも、『出来ない』のだそうだ。
階段しか作れない大工なんているのか??? 階段しか作らない人を大工と呼ぶのか???と、私は(申し訳ないが)その人の "腕" を思わず疑ってしまったものだ。
大工に限らず、この国の "プロフェッショナル" の質は総じて恐ろしく低い。
日本では到底通用しないだろうレベルの "プロフェッショナル" の人たちは、ここNZに来て仕事を探せば難なく職にありつけるに違いない。
英語がたいしてわからなくとも、それを自分が気にしなければ大丈夫。依頼主がどんなに苛立つ思いをしようが、そんなことは自分の知ったことではないと聞いた端から無視できるような無神経な人だったら、十分やっていけるだろう。
アクセントカラーだった緑色も白く塗られてしまい、この家はのっぺりとした白一色になってしまった。
大家が修理代金をケチったからなのか、はたまたペイント業者のセンスが悪かったせいなのかわからないが、もうどうでもいい。
早く終わってくれと、ただただ願うのみだ。
30.4.18
早稲田界隈
"学生の街" には多くの古本屋が今なお残っていた。
おそらく一昔前ならその一件一件に足を止め覗いてみただろうなと思いながらも、立ち寄る事なく通り過ぎたのは、度重なる引越しで、書籍類が相当なお荷物になると痛感してしまったからだ。書籍類というものは、終の住処を持たない者にとっては "痛い" 所持品である。
時代がこんなに電子化されていなかったなら、何も考える事なく本を買い集めていたであろうが、今はそんな時代ではない。
「木組み博物館というのがこの近くにあるから、行ってみるといいかもよ」と息子に教えられ、脚を引きずりながら9分程度で行ける場所に何十分もかけてたどり着いた。
「ごく普通の建物だから、気付かずに通り過ぎるかも」と言われていたので、注意して歩いていたのだが、案の定通り過ぎてしまっていたのを Google Map に教えられた。
博物館入口はとても質素で、本当にここでいいのかしらと思わせる風情だった。
受付けは3階。リフト(エレベーター)があったのは有り難かった。
私の少しだけ踏み込んだ質問には、館長が直々に、丁寧に答えてくれるなどし、非常に楽しく有益な時間を過ごすことができた。
大規模な博物館ではないが、第二展示室には樹齢500年を超えるという大きな屋久杉のベンチが中央に置かれていて、その美しさは圧巻だった。
光り輝いている部分は、元々は独立した2本の樹がくっついて成長した部分だ。なぜこのように光を放つようになるのか... 自然というのは、私のような凡人には想像もつかないほど奥深い。
私にとってはデパートを見て回るよりも遥かに楽しかったと、お礼を述べ、そこを訪れた記念にと、トートバッグを一つ購入して家路に着いた。(入館無料)
おそらく一昔前ならその一件一件に足を止め覗いてみただろうなと思いながらも、立ち寄る事なく通り過ぎたのは、度重なる引越しで、書籍類が相当なお荷物になると痛感してしまったからだ。書籍類というものは、終の住処を持たない者にとっては "痛い" 所持品である。
時代がこんなに電子化されていなかったなら、何も考える事なく本を買い集めていたであろうが、今はそんな時代ではない。
「木組み博物館というのがこの近くにあるから、行ってみるといいかもよ」と息子に教えられ、脚を引きずりながら9分程度で行ける場所に何十分もかけてたどり着いた。
「ごく普通の建物だから、気付かずに通り過ぎるかも」と言われていたので、注意して歩いていたのだが、案の定通り過ぎてしまっていたのを Google Map に教えられた。
博物館入口はとても質素で、本当にここでいいのかしらと思わせる風情だった。
受付けは3階。リフト(エレベーター)があったのは有り難かった。
受付けにはとても感じの良い女性が二人居て、明るく和やかに案内/説明をしてくれた。
展示物の多くは実際に手に取ってみることができ、木組みの組み方がどのようになっているのかがよくわかるようにしてくれてあった。
展示物はどれもきっちり、美しく組まれていて、それらをつくった職人さんの腕の良さに感服したのは、私だけではあるまい。
私の少しだけ踏み込んだ質問には、館長が直々に、丁寧に答えてくれるなどし、非常に楽しく有益な時間を過ごすことができた。
大規模な博物館ではないが、第二展示室には樹齢500年を超えるという大きな屋久杉のベンチが中央に置かれていて、その美しさは圧巻だった。
光り輝いている部分は、元々は独立した2本の樹がくっついて成長した部分だ。なぜこのように光を放つようになるのか... 自然というのは、私のような凡人には想像もつかないほど奥深い。
私にとってはデパートを見て回るよりも遥かに楽しかったと、お礼を述べ、そこを訪れた記念にと、トートバッグを一つ購入して家路に着いた。(入館無料)
脚のむくみとの格闘
日本滞在は17日間...
新宿と静岡、2箇所に滞在するのには少々短かったかも知れない。
日本到着と同時に脚はパンパンにむくんでしまい、膝の下の骨まで痛み出したが、すべき事を完了して帰らなければならず、痛みを押して歩き続ける毎日だった。
東京の暮らしは脚を痛めている者にとっては容易ではなく、地下鉄の駅にエスカレーターが無いのを見ると気が萎え、道路に埋め込まれた点字ブロックの僅かな段差を踏む度に脚を微妙にぐらす結果となり、堪え難い激痛が走った。
あの点字ブロックというものは、本当に視覚障害を持つ人たちの助けになっているのだろうか? 靴底から伝わる感覚で安全に歩行できる場所やら注意を要する危険箇所を判断しなければならないのであれば、当然履物は厚底であるはずもなく、私のように膝やら脚やらを痛めていたら、その凸凹箇所を歩かざるを得ないというのは拷問以外のなにものでもないように思えてならない。視覚障害を持つ人々が何の心配もなくスムーズに歩け、尚且つ全ての人が安全に歩行できる "新時代" の歩道を設計する人が現れないものだろうかと、そんな事を考えながら歩いていると、目につくのは杖をついていたり、歩くスピードが極端に遅い老人ばかりになってしまった。
とは言え、日本滞在はもちろん不便なことばかりではなく、新築の実家や息子の家の電気は勝手に点いたり消えたりし(人感センサー)、トイレは当然のごとく最新式のウォシュレットで、快適そのもの。
毎日の入浴はきめ細かな泡風呂につかり、この上なく美味しい料理に舌鼓を打つのだ。
スーパーマーケットに並ぶお惣菜はどれも美味しそうで、色とりどりのスイーツがこれでもかと言わんばかりに整列している。デパートで売られている高級スイーツは確かに美味しいが、そんなに高いものでなくてもスーパーマーケットの物で十分だ。そんなに美味しいものはここNZには無いと胸を張って断言できる。
ホームセンターと呼ばれるDIYショップに行けば、ありとあらゆるものが揃っているように思えてしまうほど、品揃えがハンパではない。
洗濯用洗剤の香りがどんなかわかるよう、棚には香りのサンプルが備え付けられていたり、犬を乗せるための専用のシートが敷かれたカートがあったりと、「そこまでやるか?!」と思えるほどの "気配り" (ややもすれば過保護)に驚きの連続だった。
ただ、あまりに便利過ぎて、自分で何かを考えたり、生み出したり、作り出したり、工夫したりする必要がほとんどないというのは、果たして良いことなのだろうかと、心配になった。そのような生活の中で生まれ育つ子供たちは、一体どんな大人に成長するのだろう?
日本と比べたら、何もないに等しいようなNZ。おかげで私も同居人たちも、他人に頼むことなく多くのことを自分たちの手で行えるようになったが、今朝シャワーを浴びながら、今年の暮れか、来年の春先にこちらに遊びに来たいと言っている母と姉が、この、日本とはあまりにギャップのある一昔前のような家の設備に居心地悪く感じはしまいかと心配になってしまった。
NZは依然として私と同居人たちにとって住み易い国ではあるが、旅の疲れも取りきれないまま、NZ帰宅直後にやって来た外壁清掃&塗装業者の対応に追われる羽目となり、高圧洗浄によって全ての窓(木枠)から水が部屋に流れ込むのを拭き取って回らざるを得ない状況に振り回され、裏口やらガレージのドアを完全に塞いで足場を組んで行かれたりすると、「住んでいる人のことを考えろ!」「少しは頭を働かせたらどうだ?!」と怒り心頭に達してしまうのも、これまた事実である。
新宿と静岡、2箇所に滞在するのには少々短かったかも知れない。
日本到着と同時に脚はパンパンにむくんでしまい、膝の下の骨まで痛み出したが、すべき事を完了して帰らなければならず、痛みを押して歩き続ける毎日だった。
東京の暮らしは脚を痛めている者にとっては容易ではなく、地下鉄の駅にエスカレーターが無いのを見ると気が萎え、道路に埋め込まれた点字ブロックの僅かな段差を踏む度に脚を微妙にぐらす結果となり、堪え難い激痛が走った。
あの点字ブロックというものは、本当に視覚障害を持つ人たちの助けになっているのだろうか? 靴底から伝わる感覚で安全に歩行できる場所やら注意を要する危険箇所を判断しなければならないのであれば、当然履物は厚底であるはずもなく、私のように膝やら脚やらを痛めていたら、その凸凹箇所を歩かざるを得ないというのは拷問以外のなにものでもないように思えてならない。視覚障害を持つ人々が何の心配もなくスムーズに歩け、尚且つ全ての人が安全に歩行できる "新時代" の歩道を設計する人が現れないものだろうかと、そんな事を考えながら歩いていると、目につくのは杖をついていたり、歩くスピードが極端に遅い老人ばかりになってしまった。
とは言え、日本滞在はもちろん不便なことばかりではなく、新築の実家や息子の家の電気は勝手に点いたり消えたりし(人感センサー)、トイレは当然のごとく最新式のウォシュレットで、快適そのもの。
毎日の入浴はきめ細かな泡風呂につかり、この上なく美味しい料理に舌鼓を打つのだ。
スーパーマーケットに並ぶお惣菜はどれも美味しそうで、色とりどりのスイーツがこれでもかと言わんばかりに整列している。デパートで売られている高級スイーツは確かに美味しいが、そんなに高いものでなくてもスーパーマーケットの物で十分だ。そんなに美味しいものはここNZには無いと胸を張って断言できる。
ホームセンターと呼ばれるDIYショップに行けば、ありとあらゆるものが揃っているように思えてしまうほど、品揃えがハンパではない。
洗濯用洗剤の香りがどんなかわかるよう、棚には香りのサンプルが備え付けられていたり、犬を乗せるための専用のシートが敷かれたカートがあったりと、「そこまでやるか?!」と思えるほどの "気配り" (ややもすれば過保護)に驚きの連続だった。
ただ、あまりに便利過ぎて、自分で何かを考えたり、生み出したり、作り出したり、工夫したりする必要がほとんどないというのは、果たして良いことなのだろうかと、心配になった。そのような生活の中で生まれ育つ子供たちは、一体どんな大人に成長するのだろう?
日本と比べたら、何もないに等しいようなNZ。おかげで私も同居人たちも、他人に頼むことなく多くのことを自分たちの手で行えるようになったが、今朝シャワーを浴びながら、今年の暮れか、来年の春先にこちらに遊びに来たいと言っている母と姉が、この、日本とはあまりにギャップのある一昔前のような家の設備に居心地悪く感じはしまいかと心配になってしまった。
NZは依然として私と同居人たちにとって住み易い国ではあるが、旅の疲れも取りきれないまま、NZ帰宅直後にやって来た外壁清掃&塗装業者の対応に追われる羽目となり、高圧洗浄によって全ての窓(木枠)から水が部屋に流れ込むのを拭き取って回らざるを得ない状況に振り回され、裏口やらガレージのドアを完全に塞いで足場を組んで行かれたりすると、「住んでいる人のことを考えろ!」「少しは頭を働かせたらどうだ?!」と怒り心頭に達してしまうのも、これまた事実である。
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