12.7.15

○○教室

ステンドグラスを本業としている人の多くが継続して教室経営をしているか、はたまた一日体験教室なるものを開催したりして、その道で食べていけるよう努力している。また、生徒の利便性を考えて、教室で作業に必要な材料を提供してもいる(売っている)。
ある"先生"は仕入れ値にかなりのマージンを吹っかけて売り、またある先生は適度なマージンを取って売る。何れにしても、物を右から左に動かす事で収益を得る事に変わりはない。

ある講師は生徒が自分の教室で購入した物でないガラス等を使うのを喜ばず、また別の講師はパティーナ(ハンダを染める薬液)を小分けする際に稀釈して収入を増すよう努力していたが、それを喜んでいる生徒を私は見たことが無かった。
ランプベースが1脚何万円もしても、ランプシェードを製作した生徒は限られた選択肢の中で選ばざるを得ないのだ。しかも、豪華なティファニーのレプリカなんぞを作ってしまったひには、チンケなランプベースでは釣り合いが取れず、問屋価格でも高価なのに、それに講師のマージンを乗せた目が飛び出るほどの金額を支払わざるを得なくなる。高価なガラスを惜しみなく使い、時間を惜しまず使い、ギョッとするような金額のランプベースに据え付け… 「一体幾らそれにつぎ込んだんだ?」と誰かから言われる前に、私は自分自身に問いかけそうな気がする。


長引く不況も手伝って、正に贅沢品でしかない装飾を施した窓やらドアやら、はたまた高級なランプやらが飛ぶように売れる又は途切れる事無く発注があるはずもなく、当然定期収入は見込めず… 
技術だけを売っていたのでは生き残れない。生き残るには上記のように『物を右から左に動かすだけで収入を得る』ような"経営戦略"を立て、講師兼商売人になり切らないとならない。
それが上手にできたら、私もその道で食べていけたかも知れないが、短期間運営した教室において、私はそうはできなかった。

私は商売には向いていない。
しかも、私は皆で寄り集まって同じ物を作ることに興味が無い。
○○教室と銘打っているもののほとんどが、"同じ物を作る"ようできている。基本の技術を学ばせるために、一々生徒の希望に合わせて作る物を変更していたのでは、時間ばかりかかって大変になってしまうからだ。

私の雲の上のお師匠さんも、やはりカリキュラムを組み、それに沿って教室で教えるという方法を取っている。特別ブックケースが欲しくなくてもブックケースを作り、別に椅子が欲しくなくても皆と同じ椅子を作り、そのサイズのダブ テイル ジョイントの箱を何に使うか予定が無いまま、やはり皆と同じように箱を作る。
私はそのような光景を見る事すら好きではなく、皆なぜ同じ事をしたがるのだろうかと疑問ばかりが頭の中に渦巻いてしまう。

雲の上のお師匠さんは職人兼講師で、アーティストではない。
木工の世界でアーティストだと思えるのは、今のところ一人しか知らないが、その人の生き方に特別興味が湧かないのは、きっとその人の『人となり』或は『独特な世界』が自分に合っていない(異様に映る)からだろうと思う。誰とは書かないが。


私は自分の技術だけで食べていける何らかの道を見つけることができるのだろうか…




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