22.9.15

運命を変えた顎関節症

ランチにシリアルを食べようと用意したのだが、大振りのティースプーンですくったシリアルを口に入れようとした瞬間、顎関節に痛みを覚えた。毎日、朝と夕の食事中くらいしか言葉を発していないためだろうか、口を大きく開けることができなくなってしまっているのだ。


若かりし頃、『安定している』という理由だけで地方公務員試験を受けるように勧められ、受かってしまった私の配属先は、市が運営する総合病院の医事課だった。
新参者には、まずは受付嬢のポジションが与えられ、午前中だけで何百人という来院者の応対をしたり、カルテの搬送をしたりと、息をつく暇もないほど忙しく、公務員にしては珍しくあくせく働き続けていたが、中には公務員らしく全くあくせくしない御局様と表現するに相応しい年配の"流れ者"ももちろん居て、私よりも後に配属されてきたのにも関わらず、面倒な仕事は全て最年少の私に回してくれ、完全に『自分のペース』でしか動かなかった。
仕事にもすっかり慣れた頃、私は顎関節に激痛を覚え、仕方なく耳鼻科を受診すると、しゃべり過ぎに寄る顎関節症と診断され、しばらく大きな声を出して(=大きく口を開けて)しゃべらないようにという指示が出された。元々オシャベリではなかった私は、毎日の患者の応対で顎関節をひどく悪くしてしまい、ご飯を食べるのも大変なほど口が開けられなくなってしまっていたのだ。
事実上、受付業務に携われない状態になってしまった私は、上司の配慮に寄り、医事課の中で異動することになった。私の次の仕事は入院会計事務。一日中喋り続けていなくてもいいポジションで、しかも、ほぼ一日中座って仕事ができる環境となったが、一人で幾つもの科を担当しなければならず、覚えることも沢山あった。

私の運命を変えた顎関節症…

入院会計を担当するようになってからどれくらい経っていただろうか…
ある日、入院患者に請求書を渡しに行くと、年若かった私に向って「オバサン」と話し掛けてきた患者がいた。
「それ、私のことでしょうか?」
その会話から、私の新たな人生が始まっていたことを、その時私は知る由もなかった。


顎関節症気味になると、その時の病院の様子が頭に浮かんでくる。


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