30.12.15

同居人H 初めてのアメリカ本土

一昨日、予定では早朝5時に家を出発するつもりだったが、のんびり支度をしていた同居人H… 20分近く遅れて出発。(焦ることを知らない子)
空港まで車で20分程度しかかからないのは有り難いことだとつくづく思う。

空港に着くと、Hと一緒に旅行する友達2人と見送りの一家族は空港の入り口で待ってくれていた。

一緒に行ったのは、香港出身で小さい頃こちらに移住したという男の子と、生粋のニュージーランダーの女の子。
香港出身の子は、海外旅行はもう何度も経験していて、昨年はヨーロッパ旅行にも行ったりしているようなので、特別緊張感は漂っていなかったが、今回が生まれて初めての海外旅行というニュージーランダーの子はご両親と兄弟が揃って見送りに来ていて、特にお母さんの緊張感は相当なものだった。

初めての海外旅行が近場のオーストラリアとかパシフィック アイランドとかだったら、さして不安も無いだろうが、アメリカ(サンフランシスコ&NY)というのは、距離的にも治安の面でも心配な要素が増大するというのはよくわかる。ましてや、こんなご時世だ。世界中、何処で何が起こっても不思議ではなくなってしまった今の時代にあって、災難が降り掛かる可能性の比較的高いと思われる地域への旅行というのは、もしかしたら、旅行する本人たちよりも、見送る側の方が不安が大きくなるのかも知れない。

機体が行方不明になったままのマレーシア エアライン…
ある日突然家族が何処かに消えてしまって、何の手がかりもつかめないまま生活をし続けなければならない残された家族の悲しみ、苦しみ、また一生落ち着くことの無い気持ちの不安定さを、どれほどの人が理解できるのだろう。おそらく、家族が行方不明という状況に陥ったことの無い人々にはその辛さが本当にはわからないだろう… 旅立つ人を見送る度にそんなことが脳裏をよぎる。

私は死んだ人の霊の存在を信じてはいないのに、気付くと心の中で考えてしまっている。
「肉体を身につけている私は、ずっとあの子の隣りに居て守ってあげることなど不可能だけれども、彼の人は何処でも、いかなる場合でもあの子の傍に居てあの子を危険から守っていてくれるに違いない。そうできるに違いない。」

また、神に祈り続けてもいる。
目に見えるものの力は限られているが、見えないものの力は計り知れなく大きく、正に人知を越えた力で救ってくれるに違いないと。


同居人Hは、経由地に着く度に携帯電話からメッセージを送ってくれていたので、飛行機のトラブルもなく無事目的地に着いたのを確認できてホッとした。Wi-Fiが繋がりさえすればどこででも連絡が取れる時代になったことは、本当に有り難いことだ。

運賃節約のため、オークランド→シドニー(オーストラリア)→LA(USA)→サンフランシスコ(USA)を丸々一日かけて移動したせいで、到着日の昨日は疲れでグッタリしてしまい、しばらく横になって疲れを取った後ディナーに出かけたよと、途中で写真を撮って送って来てくれた。

「全てがスケールが大きくて圧倒される。」
アメリカ本土上陸の最初の感想は、やはりその"大きさ"だった。

のどかで、こじんまりしたラブリーなNZから一歩も外に出たことのなかった友達は、おそらく同居人Hよりももっともっと興奮していることだろう。

NZとの時差は −21時間。

楽しい旅行ができますように。そして無事に戻ってこれますようにと、私達はしばらく祈り続けることになる。


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