29.1.16

The Best Flush Trim Saw Ever


木工を始めたばかりの頃、手当り次第に木工関係のサイトを見ては、様々な技術を学んでいたのだが、ある日本人のHPに、埋め込んだ木釘の出っ張りをカットするための手作り工具が出ていて、お〜これは使い易そうだと早速作ってしまったのがこれ。

ブレードはわざわざこのようにカットしたのではなく、たまたま日本からこちらに遊びに来ることになっていた家族に頼んで、ホームセンターのような所で手頃な大きさの鋸の替刃を買って来てもらった物(そのまま)で、上記のHPの説明通りに、削り取る面に接する方の歯のアサリを取り、その辺りに転がっていた木片(多分薪用の板切れだった気がする)を持ち易い形にし、ただ単に替刃をエポキシ グルーで接着しただけ。

形を工夫するでもなく、色を塗るでもなく、良い板を使うでもなく、ただ使い易ければいいだけという、味も素っ気もないものだが、これは実に使い易い、かなりな優れものである。


もちろん、鋸でカットしただけでは極わずかな出っ張りが残るため、シャープに研いだ鑿や鉋で段差を削り取って綺麗にしなくてはならない。
サンドペーパーやサンダーを使って平らに均すこともできるが、私は通常鑿を使って平らにしている。





さて、最近オークションで落札した鉋の内の一挺が届いたので、上記の作業をする合間に、底を平らにし、ブレードを研ぎ直し(刃こぼれがあったため、それを綺麗さっぱり失くすのにけっこうな時間を要した)、使ってみると、かなり使い勝手が良く、大当たりな買い物だった。
削る幅を固定するためのフェンスと、削る深さを固定するストッパーはこの鉋に無くてはならないもので、それらが付属していなかったらこれを買う意味が無いと思えるほど重要だと思えた。


私はツールコレクターではないので、使うために色々な道具を買っている。
使い辛かったら直してしまうし、貼ってあるロゴが外れようが、傷になろうが、一向に構わない。
ツールは飾っておくためにではなく使うために作られたのだ。使える限り使い、もうこれ以上使えないという状態になったら、よく働いてくれたことに感謝し、役目を終えた輝かしいツールを、もしかしたら記念に飾っておくようになるかも知れないが、それはまだまだ先の話だ。

この、いまだにステッカーが貼り付いたままの鉋は、たいして使われもせずお蔵入りになっていた物か、はたまたヴィンテージ ツール マーケットを彷徨い続けていた物かどうかわからないが、これからしばらくは私のアトリエで大いに活躍してくれるに違いない。



25.1.16

珍しく熱帯夜のオークランド


午前中、車輪の付いた小さなキャビネットを作るべく、枠を組み立て、その枠組みを接着しグルーが乾くのを待つ間、大好きな鉋がけをしていた。

今回は父が使っていた日本の鉋をスーパー シャープに研ぎ直して使ったところ、ブレードのフルサイズの鉋屑が、シャーッ シャーッとすこぶる気持ちのよい音を立てて出てきた。


このKwilaという板、先日『肌理が荒い』と書いたが、この出てきた鉋屑を見れば、どれほど荒いかがよくわかるだろう。
鉋屑は柔らかくなく、カサカサでパサパサ。だが、削った表面はツルッツル。
鉋をかけると裂ける部分は、調べたところ、黄色っぽい mineral deposits(鉱床?)が滲み出している部分で、この黄色い deposits は水溶性なため、それが溶け出すのが原因で色が落ちるとのことだった。素晴らしい強度と安定性に加え、腐り難く、虫の害も受け難いので、床材として最適であり、また、家具などにもよく使われているらしい。


削りながら、木によって色々な表情があって面白いなと思ったり、それぞれに全く異なる香りを嗅いで、ほう〜、この木はこんな香りがするんだ… と新たな発見をするのも、また楽しみである。
もし私が機械のみで作業していたとしたら、おそらくそんな楽しみも無かっただろうし、木の特色も深く知ることはなかっただろう。

知識が増えてくると、これまで全く見えていなかったものが、次第に見えるようになってくる。

例えば、カラフルな板を使ってとても美しいまな板を作っている人がいるのだが、あのパープルの板は色落ちしないのだろうかとか、オイルの中にしばらく浸けておいたら、色落ちを防げるのだろうかとか…
最近はただビデオを観て「凄いな〜」と感心しているだけではなく、疑問に思うことがけっこうあったりすることに気付くようになってきたのだ。


さ〜て、私はこの先、どれほどの数の木に触れることができるのだろう… 
車で行ける範囲に、超良心的な材木屋さんが居ないかなぁ…



一番欲しい車

同居人Hが一番欲しかった車、フォード エスコート。

私の母に「Hが40年前の車を買ったよ」と話したら、動くのか?と聞かれたほどだが、給油に行くと決まって、知らない人から「NICE CAR!!」 と声を掛けられ、「おー!!! エスコートだー!!!」と指を指されることばかりで、「私、目立ちたくないんだけど… 何だか居心地悪い…」とHはつぶやいていた。
まぁ、目立つと言っても、スーパーカーとか、1台何千万円もするような車の"煌びやかさ"で目立っているのとは全く違い、ほのぼのとした目立ち方だから、私はいいと思うのだが。:)


同居人が撮った写真を見せてくれた。
明らかに今どきの車と違っていて、思わず笑ってしまった。すごく華奢で、威張っていなくて、実に可愛い車じゃないか。

今どきパワステもパワーウィンドーも装備されておらず、ウィンドーウォッシャー液を出すボタンは左の足下にあるような車だが、そんなのは御構い無しに、特に年配の人たちからは『古き良き時代』を思い起こさせる車として、いまだに愛されているというのがよくわかる気がした。

車好きな同居人Tの一番欲しい車は、初代のフェアレディZ。彼の人が18歳の時に買ったという車で、私が一番欲しい車は、カペラ ロータリー クーペ GSII。これもやはり彼が乗っていた車だった。
どちらも古いのに、生き残っている物は手が出せないほど高くなってしまっているのが、返す返すも残念である。



23.1.16

山盛りのカートの荷物と共にカフェに寄る

野菜がほとんど無くなったので、約2週間に1度の食料品の買い出しに、重い腰を上げて渋々行った(グロッサリー ショッピングが本当に嫌い)。

いつものように、一人で黙々と買い物をし、鮮魚売り場で「その鮭のフィレを3枚ちょうだい」と言葉を発した以外は、会計の際にレジの人とお決まりの挨拶をし、ありがとうと言っただけで帰るはずだったのだが…

会計が終わる前に肩をポンと叩かれ、振り返ると12年来の知り合いが笑顔でそこに立っていた。

彼女は私が支払いを済ませるのを待っていてくれ、久しぶりだからそこのモールの中にあるカフェでちょっとお茶でも飲んで行かないかと誘ってくれた。
買った冷凍食品だけカフェの冷凍庫に入れてもらい、要冷蔵食品はまぁ少しの時間だったらいいか…とカートに乗せたまま、久々に会った彼女とのんびり話をしてきた。

その中で、私がかつて半年ほど働いたアンティーク修復スタジオのボスの話が出た。
つい最近、彼が彼女の家に遊びに行った折り、以前私が彼女にあげた透かし彫りを施した鍋敷きを見せたのだそうだ。彼は私が木工の世界に足を踏み入れていることは想像だにしていなかったらしく、驚いた様子で、「さすがに丁寧な細かい仕事をしているねぇ」と、しげしげと眺めていたと言っていた。

彼の仕事は順調に行っているのかと聞くと、修復の仕事は今はほとんど無く、中国とNZを行ったり来たりして、骨董品の仕入れ/販売が主な仕事になってしまっているようだとのこと。

彼は素晴らしい腕前の修復師で、おそらくNZで彼の右に出る者はいないだろうと思われるほど、完璧な仕事をしていたので、それを聞いて何だかとても悲しい気持ちになった。
物を右から左に動かすのは彼でなくてもできるが、彼にしかできないと思われるほど素晴らしい技術を、遺憾無く発揮することが適わないようになってしまっているというのは、何とももったいないことだ。

修復スタジオで働かせてもらっている時、彼は自分がどんなにその仕事が好きかをよく話して聞かせてくれていた。手先の器用さはもちろんのこと、色の感覚もぴかいちで、彼の最後の色付けが終わると、その下地の修復までを担当した私でさえ、どこが破損していたのかわからなくなるほどだった。素晴らしい技術だと絶賛すると、彼は子供のように嬉しそうな顔をし、いつも、「ありがとう」とお礼を言うのだ。
真面目で優しく、本当によく働いていたボスだった。

彼がまた山ほどの修復作業を楽しめる日が来るといいなと、そう願ってしまった一日だった。


21.1.16

handy chopping board

薬味やハーブを切るだけとか、ベーコンを数枚切るだけとかいう時に、通常使う大きなまな板を一々出して、ほんの少し切っただけでまた洗って仕舞うのが厄介に思えて仕方なかったので、小さなまな板を作ろうとかねがね思っていた。


昨年買っておいた分厚いハード ウッド(kwila)の端切れ板を、つい先日購入したばかりのバンドソーで適度な厚さにカットし、表面をきれいに鉋がけし、縁も鉋を使って丸みを付け、出来上がり。

この板はずっしりと重いのだが、肌理は驚くほど荒く、鉋屑はまとまりの無い形に細く裂けてしまうので、削り屑を見るとド下手な鉋がけのようにしか見えないが、肌理が荒い割には、鉋がけした表面はツルツルだった。

サラダ油を塗って乾かし、夕食の準備に使ってみようと洗ったところ、かなりの色が出て驚いた。
洗った板を立て掛けておくと、赤茶色の雫がポタポタと落ちていたので、乾いては洗い、乾いては洗いを繰り返しているところである。(出て来る色は段々薄くはなっているので、その内に色が出なくなるだろうとは思うが…)

サイズは 30cm × 13.5cm、すこぶる使い易いサイズなので、きっと重宝することだろう。


さて、アトリエの片付けは、やる気の無さも手伝って一向にはかどらず、フルサイズで購入してあった板ガラスはその場所に納まり切らずに飛び出したまま…
安全な状態ではないので、飛び出しているガラスを取りあえず適当にカットしておかないとならないなと思いつつ、ガラスカットする場所も未だ確保できずにいる。
厚手の紙で覆ってあるのは鏡と特殊加工してある高級ガラス。傷がつくと使い物にならないガラスは、カットする際にも非常に気を使い、作業台の上にガラスの粉が落ちていないかどうかを、一カ所カットする毎に神経質に確認しながら作業をすることになる。



ベランダのザクロの成長は目を見張るほどだ。
今週末にはしっかり植え替えられることだろう。








18.1.16

梅ジュース完成



ほぼ1ヶ月漬けたままにしておいて出来上がった梅ジュース。
昨年庭でできた梅で、これだけのジュースと、ピクルスの瓶に溢れるほどの梅ジャムができた。

梅ジュースは、通常は4倍に薄めて飲むようだが、私達は5~6倍に薄めた方がサッパリしていて好きだ。

漬けておいたジュースは、梅の実を取り除き、沸騰させない程度の温度で熱を加えた後、冷ましてから冷蔵庫で保存すると、約1年はもつらしい。
ということで、写真は室内で冷ましているところである。



苦みが少々気になる"不評な梅ジャム"は、私がランチにパンに塗って食べたり、お湯で溶かしてホットドリンクとして使う以外は誰も手を付けず、おそらく、この先一生作ることはないと思われる貴重な(?)ものだ。





さて、1ヶ月ですっかりエキスが滲み出し、シワシワになった梅の実は、梅ジャム以外に何か使い道があるのだろうか? 



17.1.16

若干のめまい

ひどい目眩ではないが、長く起きていられない状態が3日間続いたため、アトリエで作業することは敵わず、今日になってようやく片付けの続きができるようになった。

色ガラスを安全に立てておくための棚を作り、部屋の端に据え付け、ストックの約1/10ほどのガラスをそこに立てたところで疲れてしまい、作業は明日に持ち越し。


ブルームーン の種から育った薔薇は二本とも真っ赤だった。
蕾ができてから既に1ヶ月経過している極小の薔薇は、未だ満開にはなっておらず、次にできた蕾に追い抜かれそうな気配だ。
ひょろ長い薔薇の方は、葉に黒点が付き始めていたため、同居人Tが取り去ってくれたようで、何だか間が抜けている。




同居人Hがアメリカに出発する前に植えて行った柘榴(ザクロ)の種は元気に育っている。
そろそろ植え替えなくては… と言っていたHは、明日から仕事だというのに風邪でダウン… 早く良くなるといいね。





16.1.16

帰って来たクーリエのおじさん

今朝、ドンドンドンと玄関のドアを叩く音が聞こえ、出てみると、しばらく前までこの家の辺りの担当だったインディアンのクーリエのおじさん(多分私より若い)がニッコリして立っていた。

Good morning! How are you?

どこででも、例え見知らぬ人にでもそうやって挨拶する国だが、馴染みの顔がそこにあると、同じ言葉でも、上っ面だけの挨拶ではなくなるのだ。

私が同じことを聞き返すと、おじさんは「肩を怪我して手術したんだ」と、肩を出して傷跡を見せてくれた。

転倒して肩(腕の付け根)を打ち、骨が折れて、手術してボルトを入れてあるんだと言っていたが、運転できる状態ではなかったので、しばらく休んでいたとのこと。
そりゃぁ大変だったろう、もう大丈夫なのかと聞くと、まだ痛むけれども、何とか仕事はできるようになったと言って、仕事に戻って行った。

気をつけてね!と見送りながら、あぁ、みんな頑張って生活しているんだよな… としみじみ思った。

真面目にコツコツ働いている人が得られるものは有り余るほどのお金ではないだろうが、(金目な男性を見つけて)ランボルギーニを購入したことを写真付きで公表して回るような知り合いに比べたら、明らかに、確かな信頼を勝ち得ることができるよなと、何だか嬉しい気持ちになった。



14.1.16

同居人H 無事帰る

昨年末からアメリカ本土に旅行に行っていた同居人H。
今週始め、30時間を有に越える乗り継ぎ移動の末に、無事オークランドに戻って来た。

こちらを出発してからずっと、移動先やら目的地に到着する度に携帯電話からメッセージを送ってきてくれていたので、無事に旅をしているのが確認でき、ほぼ安心して待っていられたのは何よりだった。いい時代になったものだと、その方面の技術の進歩に関しては有り難く思う自分がいる。

海外に行って帰って来るとホッとするNZ。
同居人Hに言わせると、「NZはバッグの口を締めないで持っていられる国」なんだそうだ。まぁ、地域にもよるが、おしなべてNZは危険度が低いと言えるだろう。

NYのJFK空港に降り立った途端、驚くほど沢山のオーソドックス ジューイッシュに遭遇し、「生で見たの初めて!」と興奮して知らせて来たり、「ホットドッグ美味しくない」と食べかけの写真を送って来たり… 

サンフランシスコでは知名度の高い高級レストランにも行ったのだが、高かった割に料理はさして美味しくもなく、一番美味しかったのは飛行機の中で出てきたアボカド入りハモスだったとか…

セキュリティ チェックがハンパじゃない入国審査… それでも、中にはフレンドリーな入国管理官が居たらしく、わざわざ日本語で質問して来たりしたのを、疲れでぼ〜〜っとしていたHは、意表をつかれたのも手伝ってうまく聞き取れず、珍紛漢紛な受け答えをして笑われていたらしいが、Hの後で審査を受けた友達にその入国管理官は「あの子、あなたの友達? 彼女クールだね」と言っていたと聞いて、Hは大笑いしたのだそうだ。
H曰く、入国審査の前に各個人はキオスク(小さなブース)で幾つかの質問項目にチェックを入れ、その場で顔写真も撮られ、それが印刷されたものを持って審査を受けることになっていたのだが、長時間のフライトでヘトヘトで、しかも寝て起きたままのような、決して小綺麗なメイクとは言えないボサッとした感満載の面持ちで、「えっ、ここで写真撮るの?」と半ば半信半疑状態のまま撮られてしまった『ボサッとしたマヌケ顔』の写真を提出した上に、珍紛漢紛な日本語で返事をしていたんだよと、その時の表情付きで話をしてくれたのを聞いて、私も思わず吹き出してしまった。

気持ちの良い対応をしてくれる入国管理官が居た一方、NYで立ち寄ったショップスの店員は大方が態度が良いとは言えず、ムカッとくることも多々あったとか。
客商売で態度が悪いのはいただけない。きっとオーナーが横柄なのだろうと推測できる。
職場にしろ、個人の生活の場にしろ、関わる人々の性格の良し悪しは侮ることはできないのだ。

同居人TはHよりも一足早く今週から仕事が始まったため、空港まで迎えに行くのは私の役目となり、車の運転が全くもって好きではない私は、前日にルートのチェックを入念にし、無事に空港までたどり着けるかどうかと、心配と緊張感に支配され続けていた。

たかが 25〜30分程度の運転で神経を使い果たしてしまったのに追い討ちをかけるように、私に大きな影響を及ぼす可能性のある人の言動が、私に究極の選択を促しているように思え、頭の中は混乱状態のまっただ中。
私はただ波風の立たない平穏な暮らしの中で生涯を終わりにしたいだけ。ただそれだけしか希望は無いのに、そんなささやかな夢に向って生活していてはだめなんだろうか…


木工関連の道具が増えて来て使い辛くなってしまったアトリエの片付けを早急にしなければならないため、昨日は幾つかの整理棚と作業台を作るために必要な板を買いに行ったり、食材を調達しに行ったりと出掛けなければならず、疲労がたまってしまっていたのだろう。今朝起きると眩暈がし、やっとの思いで朝食の支度をした後横になって休んでいたら、同居人が仕事に出る時にはもう眠りに落ちてしまっていた。その後も起き上がれず、お昼も食べずに夕方まで眠り続け、起きて夕食の支度をしている時に、日本に居る姉からLine にメッセージが届いた。
メッセージとともに、私が高校生の時に両親が建てた家を取り壊している写真も送られてきた。

父がこの世を去ると間もなく、耐震構造ではない昔の家は取り壊し、新しく建て直すよう官公庁から要請が出ているとのことで、姉は仕事の傍ら家の設計に取り組み始めた。その為に、私は父の葬儀の後、実家の物置小屋に置かせてもらっていた私達家族の想い出の品々を、身を切られる思いで処分して来たわけだが、父と二人して貧乏時代を乗り越え、苦労してお金を貯め、ローンを組むことなく、土地を買いそこに家を新築した母の惜別の思いは聞くに忍びなく、近くに居たら少しは悲しみを軽減してあげられたかも知れないと思うと、ただただ申しわけなく、また母が気の毒に思え胸が詰まった。

そうやって、記憶に刻み込まれていたものが次第に姿を消して行き、これまでその存在すらなかったものが自分の生活の中に入り込んで来る。
そして、その内に自分も消え、その存在すら忘れ去られる時が来る。

幾度となく方丈記 が頭の中を駆け巡った。


10.1.16

さて、木工に於いてはどうだろう…

私の頭の中にはいつも、かつて祖父が父に助言したという言葉がこびりついていて、どうしてもそれを払拭することができないでいる。

祖父が父に言った言葉…
「お前は仕事が丁寧過ぎるから、仕事に見合った収入を得るのは難しい。それ(木工)を仕事にしない方がいい。会社勤めをして安定した生活を送れ」

60年以上も前に、祖父はその当時の生活水準に照らし合わせた上でそう言ったのだ。

私はその話を『雲の上のお師匠さん』にしたことがある。そして、「あなたならこの祖父の言葉と、父がその助言に従ったことを理解できるだろうと思う」と付け加えたのだが、木工一筋に歩んできた彼には、もしかしたら理解できない(理解したくない)事柄だったかも知れない。彼は困難な時代をガッツで乗り切って来た人だから… 
だが、雲の上のお師匠さんはきっと、私の仕事ぶりを垣間見て思ったことだろう。
「あぁ、それじゃ生活できないよ…」と。


今でも昔ながらのハンド ツールのみで家具、調度品を作り続けている人がいる。そのような人にとっては電動工具などは全くもって不要な物で、神経を使って機械をセッティングしても毎回寸分の狂い無く動いてくれるとは限らない物体を、とても頼る気にはならないというのは、この1年半でよくわかった。

私は電動工具はあまり好きではないし、上手に使いこなせてもいない。だが、例えば買って来た板の厚みを薄くして使いたい時など、鋸、或は frame saw のようなものを使って時間をかけて作業しているのを見たりすると、そこまでする必要があるのだろうかと思ってしまう時がある。また、板厚を半分近くするのに、鉋や planer/ thicknesser で果てしなく削り続けて厚みを減らしているのを見ると、「もったいない」と思ってしまう。削って薄くしたら、半分はゴミとなるだけだ。
frame saw で薄くしても、バンド ソーを使って薄くしても、はたまたテーブル ソーのような物を使っても、最終的には切ったそのままのざらついた板を使うことはなく、機械に頼らない人たちは表面に仕上げ鉋をかけ、機械に頼る人々は、電動サンダー(ドラム サンダー)を使ったり、planer/ thicknesser (電動鉋)を使ったりして表面を綺麗に均すことになる。
仕上げ鉋をかけてしまえば、最初に何を使って板を切ったかなどわからなくなるではないか。違いがあるのか?しかも、そもそも買って来た板自体、機械で加工されているじゃないか...


ステンドグラスの仕事をしていた時にも、私は小さなガラス片を捨てることなく取っておいた。極細かいガラス片は万華鏡を作る時のオブジェクトなどに使え、少し大きめの端ガラスは細かいデザインのものに使ったりできる。




洋裁においても、端切れを取っておいて、パッチワークの材料としたりしたのだ。
そんな私が、削って、削って、削り続けて、材料の半分近くを無駄にすることなどできっこない。

材料の無駄を極力減らすためにもし電動工具が必要であれば、、私はそれを選ぶに違いない。


-----------------------------------------------------


電動機械を利用せず何倍もの時間をかけて丁寧に作られた物は、確かに価値があるだろうが、それを理解してそれ相応の金額で購入したいと思う人が今の世にどれだけいるだろう…
もちろん、高名な家具職人が作った物であれば、その"名前の価値"に飛びつく裕福層が居るのはわかり切ったことだが、一般庶民が、例えその高名な人と同等な仕事をしたとしても、間違いなく同じ金額では売れない。
同じか、それ以上の時間をかけて丁寧に作っても、無名な職人の作った物の比較対象となるのは、所詮大量生産のMDFでできたような組み立て家具の値段だったりするわけだ。
それ故、その道で生活して行くためには、品質を落とさず、制作時間を極力減らす工夫が必須となるのだと私は思った。


2013年5月末、私は生まれて初めてスクロールソーを買い、それからずっと透かし彫りを施した作品を作り続けて来たが、しばらくすると、スクロールソーだけで作られた物が私にはとても安っぽい物のように見えてしまい、本格的な木工技術をマスターしなければ、胸を張って人様の前に出せる物を作れないなと思うようになった。
そこで、同居人が呆れるほど、YouTubeで木工関係のビデオを飽きることなく見続け、練習し、どの方法が最も自分が納得できるのかを考えた。

透かし彫りに関しては、スクロールソーを使えば、繊細な透かし彫りを0.5mm以下の誤差でパターン通りにカットして行くことができるようになる。が、同じ程度の仕事をコーピングソー或はフレットソーを使って、どの程度綺麗にできるものなのだろうか?また、以下のような周囲との接点があまり無い箇所のカットはハンドカットで失敗無くできるのだろうか? それらのカットはスクロールソーを使っても、かなりな神経を使うのだ。



コーピングソー或はフレットソーは、ブレードのテンションをスクロールソーほどには強く張れない。近年になって新しく出たものの中には、ブレードをかなり強く張ることができるようになっているものがあるようで、素晴らしく使い易い物のように見えたが、従来の物に比べ桁違いに高価で、気軽に試しに買ってみましょうかという次元の物ではない。
また、手で持って作業するため、どうしてもフレームサイズに限りがあり、フレームが邪魔してカットできない(刃が届かない)部分が出て来る。
スクロールソーを手放して、ハンドツールのみで仕事をするとなれば、製作に制限を課すことになるのは明らかだ。

CNCマシンのような、人間はプログラミングに携わるだけで、実際に自分で切ったり彫ったりすることのない作業には、私は全く興味は無いが、電動工具を使わずハンドツールのみで仕事をするのは、私にはおそらく無理だろう。

---------------------------------------------------


電動工具を使うか否かに関わらず、最終的に仕上がった物が美しいかどうかは、組み立てたときのジョイント部分の正確さと、表面の滑らかさ、そして木目の美しさが大きなポイントを締める。(凝った装飾がふんだんに施された物を美しいと見る人もいれば、シンプルなスッキリしたデザインを美しいと見る人もいるのはもちろんだが、何れにしても、ジョイント部分が綺麗でなければ美しいとは感じないだろうし、表面がザラザラだったらその価値は下がるだろう。"シャビー チック"と呼ばれる物は別として)
高級板をおいそれとは買えない私は、いまだ木目の美しさを語る段階には達していないが、ジョイント部分の正確さと仕上げの美しさは、努力次第でなんとかなる。

最終行程で細かい手仕事を省けば、当然仕上がりは雑なものとなるというのを悟った私だが、2014年3月の時点まで木工用のハンドツールをほとんど持っていなかったことは、以前ここに書いたことがある。
ハンドツールを揃えなければならないが、高品質な新品の道具にはもちろん手が出せず…、インターネット オークションに売りに出された中古の鑿や鉋を買い始める他に方法は無かった。
実際に見ていないツールを購入するというのは、一種の賭けだ。お金を払い、届いたツールが予想を遥かに超えて良かった場合はいいが、予想を遥かに下回った場合の口惜しさは例えようが無い。
幾つかの失敗を経験しても尚、自分が思う通りの綺麗な仕事をするためには、たった一挺の鉋や、鑿や鋸では当然足らず、見つけては買い、見つけては買い… ツールを探す日々はいまだに続いている。

電動ドリルに取り付けて使う forstner drill bit があまりにも切れ味が悪く、大きめの穴をあけるのにかなりなストレスを感じ、仕方なく昔ながらのハンド ドリルも買った。
この中古のハンド ドリルのセットは、程度の良さそうなforstner bit 1本を買うよりも遥かに安かったが、まだ bit の数が足りず、長い間、オークションに古いbits が出て来るのを待たなければならなかった。


何ヶ月も待って、ようやく最近、運良く大きな穴を空けるための bits がオークションに出されていたのを見つけた。
ラッキーにも、私が購入できる価格で落札できたのだが、ドリル本体も付いてきたため、送料は当然増している。まぁ、それでも 25本の bits だけでも$34 + 送料 $8.50(合計 ¥3,300強)で購入できたら安いものなんだろうな… と、いつもそんなことを思いながら落札するのである。



嬉しいことに、古い道具は状態は良くはなくとも、元々の品質が良い物が多く、修理したり錆を落としたりして使い続けることができるという点で、今のDIYショップで売られているようなチープな道具類に遥かに勝っているように私は思う。

オークションで古い道具を売っている人の大多数は、自分が売りに出している道具類のことについてさほど詳しくはなく、刃物の本当のシャープさがどんなものかも知らない場合が多いので、説明に「シャープ」と書かれていてもおそらくシャープではなく、「すぐに使える良好な状態」と書かれていても、ほぼ手を加えなくてはならないということを踏まえて購入しなければならない。

自分で直すことができるというのは大きな強みである。
実際、自分で直せなければ、中古のツールを買うことはなかったわけだが… 

--------------------------------------------------------


ソーイング、ステンドグラスから木工に至るまで、昔の道具類と現在の道具類の変遷を見てきて思うのは、総体的に、道具類の質は確かに落ちているということ。技術的に進歩していて然るべきなのに、使っている素材はどんどん粗悪になってきていて、企業の『金銭至上主義体質』がはっきり見て取れるようになってしまっているのが現状だ。
せいぜい数年使えればいい(とは言っても、品質が悪いので最初から素晴らしい使い心地ではなく、手直ししても使い心地がよくなる見込みはゼロである)。壊れたら迷わず使い捨て。どんどん新しいものに買い替えて行く方がいいという風潮になってしまっている現代の生産システムでは、この先質の良い物が増えて行く見込みはほぼ無いに等しい。
そして、多くの人は気にも留めなくなって来ている。道具が悪ければ、間違いなく良い仕事はできないことを。

もちろん中には品質向上に向けてずっと取り組み続けている企業や個人も居るのだが、そのような高品質の物は多くはない。一度に多くは生産できないことに加え、価格競争で粗悪品に負けて、大多数が手を出せない(出さない)物になってしまっている。売り上げが充分無ければ生き残れず、そしてその内にその業界から姿を消すことになる。

少し前、ここで刃物鍛治職人のビデオを紹介したが、その人のように、技術の向上、品質の向上を純粋に追い求め続けている人々が製作した物は、素晴らしいの一言に尽きるが、一般には滅多に知られることは無く、また、もし見つけたとしても、おそらく私には手が届かない価格に違いない。例え50年使い続けられる物だとわかってはいても、おいそれと手を出せない。
「道具は質の良い物を使わなければだめだ」と、父がよく言っていたが、その道具を使ってどれだけ頻繁に、またどれだけの期間その仕事をし続けるかを、まず私達は考えてしまう。そして、安いものに手を出してしまい、予想を遥かに超えた品質の悪さに失望することになる。そこでようやく、『安物買いの銭失い』という諺が現実のものとなるのだが、それでもやはり、何の迷いもなく高価な物を購入できるほど、生活に余裕が無いのが、多くの人の現状だ。

昔、多くの企業は、質の向上を求めつつ、尚かつ安価に、そして大量に生産できる方法はないものかと探求し続けていた。手仕事で作っていたものを機械化し、高品質の物を開発することに誇りを持っていた。
しかし今はどうだ… 品質を落とせるだけ落とし、収益を上げることだけしか頭に無いような企業の何と多いことか。

時代が変わってしまったのだ。
物を大切にする時代は過ぎ去ってしまった。

とびきり安い人件費で、安い材料を使って作られた、『低品質だが購入可能な金額の物』がブランド名を確立してしまった世の中にあって、一つ一つ膨大な時間をかけて製作したものを売っているだけで、ただそれだけで生き延びるのは容易なことではない。


そのような世の中で、私はどのようなやり方をすればいいのだろう?

趣味で物作りを楽しんでいるというのであれば、全て手作業で作品を仕上げるのはこの上なく面白い。いくらでも時間をかけられ、納得できるまでコツコツと作業を続け、そうして一つの物を仕上げたときの満足感は、例えようも無いほど大きい。だが、無名な職人がそのように時間を使っていたら、間違いなく生活の糧は得られない。

教室経営もせず、オンライン講座も開設せず、YouTube 等で広告収入も得ることなく、丁寧に作った物を売るだけで生活するにはどうしたらいいのか… そんなことを考えて、考え続けて、人生を終えそうな気がする。



8.1.16

ピンキングばさみとロックミシン



手縫い針と糸があれば洋服を縫える。ミシンが無くても。
でも、おそらく仕上がりがきれいにはできないだろう。一着全てを手縫いで、しかも縫い目を均一にして縫える人がどれほど居るだろうか? 薄い木綿のような縫い易いものならまだしも、厚手のウールや、つるつる滑る裏地を縫い目を揃えて手で縫うのは至難の業だ。
そう考えると、洋裁にミシンは欠かせないものだという結論に達する。



私が高級洋裁店で縫子をしていた時、そのスタジオでは縫い代の始末をピンキングばさみで切っただけで良しとしていた。
私の姉はその当時でもロックミシンを持っていたので、そんなにお高い店で売るものなのに、ピンキングばさみで切っただけのほつれ易いもので大丈夫なのかと疑問に思った私は、そこの責任者である人(元洋裁学校の校長)に、ロックミシンは使わないのですかとついつい聞いてしまった。
そこでは使っていないけれども、あなたはロックミシンも使えるの?と聞かれたことを覚えている。
そう、ロックミシンがまだまだ一般に普及してはいなかった時代は、プロもピンキングばさみで端の始末をしていたのだが、おそらく今の時代、ピンキングばさみを持っている人の方が少ないのではないだろうか。私はもちろん持ってはいるが、もう何十年もそのハサミを使っていない。なぜなら、鋏でカットしただけの端は当然ほつれ易いからだ。

ピンキング鋏もロックミシンも使わず、別の方法で端の始末をすることももちろんできる。
端から数ミリを折り返し、その上からステッチをかけてほつれを防ぐという方法である。
だが、その折り返した布一枚分の厚みは、アイロンがけをした際にけっこう表にひびくのである。

全ての縫い代の端を、縫い針と糸を使って細かく細かく手で縢ることもできなくはないが、そんな気の遠くなるような作業をしたとしても、出来上がりが綺麗にはならない場合の方が多いのでは、そんなところに時間をかける意味が無い。



日本で使っていた職業用ミシンとロックミシンはこちらには持って来なかったため、ここで永住権を取った後に新品のジューキの職業用ミシン(直線縫いのみのミシン)と、中古のベビー ロックを買った。
このベビー ロックは私が日本で使っていたものと同じ機種で、非常に古い物である。
古い機械なので、本縫い機能は付いておらず、ニット製品を縫う時には不便だなと思うのだが、着る物全てを作るわけではないし、ソーイングを職業にしているわけでもないので、この程度の性能で十分だと今でも納得して使っている。

余談だが、私がなぜ直線縫いしかできないミシンをわざわざ購入するのかというと、ジグザグ縫いができるミシンは、どうしても縫い目がぶれるのを免れられないからなのである。
若い頃、家にはジグザグ ミシンがあったが、ジグザグ縫いで端の始末をしてもロックミシンのように綺麗にはできず、若干攣り気味になってしまったり、飾り縫いとして使っても、やはり綺麗に仕上がることはなかった記憶しかないため、私はジグザグ縫い機能をほとんど使ったことはない。今発売されているミシンの性能がどの程度か全くわからないので、私がここに書いたことは、もしかしたら的を得ていないかも知れないが、それでもやはり、直線縫いしかできないミシンの縫い目の綺麗さには敵わないだろうなと想像できる。なぜなら、針を左右に動かす構造にはなっていない(構造的に左右にぶれないようになっている)ことに加え、直線縫いしかできないミシンの針板には、ミシン針が垂直に通るだけの小さな針穴しか空いておらず、針が布を貫通する際の圧力で布が穴に入り込んでしまうのを防ぐことができるからだ。

話が骨子から少し逸れてしまった…


これまで、綺麗で尚かつ丈夫な物を作るという理念のもとに物作りをしてきて、それに必要な道具を揃えて来たわけだが、最近よく考えるのは、その『必要だ』と思い込んでいた物が本当に必要だったのだろうかということ。また、それとは逆に、技術の進歩が無ければお粗末なままで終わるしかなかった物/事が確かにあるということ。ただ、その『技術の進歩』というのが、純粋に品質そのものの向上を目指したものであったったならと付け加えておかなければならないかも知れないが。


本職だったステンドグラス製作に於いて、電動グラインダーは必要不可欠なものだった。
込み入ったデザインでなければ、また、高価かつ特殊なガラスを使わなければ、昔の、砥石でガラスの不要部分を削り取るという作業で充分対処できたかも知れないが、ハンドカット+砥石だけではどうにもならない種類のガラスを使うようになると、やはり昔の方法ではラチがあかなくなる。

昔の半田ごてというのがどのようなものか、実際には手にしたことはないのだが、火をおこし、そこに鉄でできた半田ごてを差し込み、熱しては使い、冷めたら熱しを繰り返して作業するのは、今の私のアトリエ内では無理であるように思う。
そう考えると、エレクトリック半田ごても必要不可欠なものの中に入ってくる。

木工に於いてはどうだろう…


4.1.16

暑さのせい...

カラーボックスもどきの簡単な棚を作っていたのだが、作業中、多分暑さのせいでだと思うが、気分がすぐれなくなり、顔面蒼白になってしまった。
24℃程度でめげていては、とても日本で再び生活することはできない。
南の島に住むのも、もう無理かもな…

南の島…

ある日、かつて『天敵』と呼んでいた人とつまらない話をしていた際、「今一番したいことは?」という問いに、「ある小さな島に行って、一人でひっそり暮らしたい」と答えたことがある。

その島はここNZからそんなに遠くはない所にあり、1週間に1度しか飛行機が運行しないような、銀行のATMが島に一機しか無いような、そんな島だった。
天敵は、「そんな遠くに行かなくても、この周辺にも離れ島がいっぱいあるじゃないか」と、幾つか候補を挙げてくれていたが、その辺りの島には別段興味もなく、「いや、私はあの島に行ってみたいんだ」と言い張っていた。

天敵とはその後しばらく会うことはなく、1年以上音沙汰無しだったが、ある日突然電話が入り、「お前、写真撮るの上手?」と聞いてきた。
「写真を撮るのは好きだし、下手だと言われたことはなかったけど…」と返事をすると、天敵の経営する会社で扱う商品のカタログを新しくするので、商品の写真を撮って欲しいとのこと。

何日かかけて撮りに行った。
私が写真を撮っている間にも世間話に花を咲かせている天敵… 
彼が新しく扱うようになったハチミツは、このハチミツ王国NZ産のものではなく、なんと私が「住みたい」と言っていた島のものだったので、どうしてまたその島のものを扱うようになったんだと、ついつい聞いてしまった私に、彼は答えた。
「旅行に行ったら、すごくいい島だったんだよ」と。
元々商売熱心な彼は、そこで取引先を見つけ、新しい商品を見つけて帰って来たんだそうだ。


「家も買ったんだ」

私は心の中で叫んでいた。
「何故私が独りになる邪魔をするんだ」と。
そして急に、もうその島に行く気が無くなってしまった。


天敵と連絡を取らなくなってかれこれ3年になる。
彼はまだあの島に家を持っているのだろうか…

顔面蒼白でベッドに横たわっていた時、急にあの喧嘩ばかりしていた日々がフラッシュバックし、何故だか、当時を懐かしく思ってしまった。



1.1.16

臼屋の娘 電子レンジで餅作り in NZ

お高いサトウの切り餅を買わなくなって、もう何年経つだろう?

臼屋の娘は、今年も餅作りからスタートだ。

まず、一晩水に浸けておいたもち米の水気をあらかた取り、フードプロセッサーで粉砕する。米が砕かれてフードプロセッサーの動きが重く感じるようになったら、少しずつ水を加え、ドロドロの状態になるまで回し続け、なめらかになったものを耐熱容器に移し入れ、電子レンジで1分程度加熱。


取り出してささっとかき混ぜ、更に1分加熱。
加熱しては取り出しかき混ぜるという作業を、今回は分量が多かったので(もち米4カップ分)5回ほど繰り返し、合計5分30秒加熱して餅の出来上がり。


オーブン ペーパーで出来上がった餅を挟み、やや厚めに平らに延ばし、冷めるまで置いておく。


作り方は邪道だが、紛れもない餅である。

日本の風習/各種行事にはとんと疎い私だが、『正月はお雑煮』というのは、この季節が正反対のNZに来てもやはり止められず、真夏のお雑煮を楽しんでいる。

私は臼屋の娘。
新しい年の始まりにお餅は欠かせない。:)


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...