23.1.16

山盛りのカートの荷物と共にカフェに寄る

野菜がほとんど無くなったので、約2週間に1度の食料品の買い出しに、重い腰を上げて渋々行った(グロッサリー ショッピングが本当に嫌い)。

いつものように、一人で黙々と買い物をし、鮮魚売り場で「その鮭のフィレを3枚ちょうだい」と言葉を発した以外は、会計の際にレジの人とお決まりの挨拶をし、ありがとうと言っただけで帰るはずだったのだが…

会計が終わる前に肩をポンと叩かれ、振り返ると12年来の知り合いが笑顔でそこに立っていた。

彼女は私が支払いを済ませるのを待っていてくれ、久しぶりだからそこのモールの中にあるカフェでちょっとお茶でも飲んで行かないかと誘ってくれた。
買った冷凍食品だけカフェの冷凍庫に入れてもらい、要冷蔵食品はまぁ少しの時間だったらいいか…とカートに乗せたまま、久々に会った彼女とのんびり話をしてきた。

その中で、私がかつて半年ほど働いたアンティーク修復スタジオのボスの話が出た。
つい最近、彼が彼女の家に遊びに行った折り、以前私が彼女にあげた透かし彫りを施した鍋敷きを見せたのだそうだ。彼は私が木工の世界に足を踏み入れていることは想像だにしていなかったらしく、驚いた様子で、「さすがに丁寧な細かい仕事をしているねぇ」と、しげしげと眺めていたと言っていた。

彼の仕事は順調に行っているのかと聞くと、修復の仕事は今はほとんど無く、中国とNZを行ったり来たりして、骨董品の仕入れ/販売が主な仕事になってしまっているようだとのこと。

彼は素晴らしい腕前の修復師で、おそらくNZで彼の右に出る者はいないだろうと思われるほど、完璧な仕事をしていたので、それを聞いて何だかとても悲しい気持ちになった。
物を右から左に動かすのは彼でなくてもできるが、彼にしかできないと思われるほど素晴らしい技術を、遺憾無く発揮することが適わないようになってしまっているというのは、何とももったいないことだ。

修復スタジオで働かせてもらっている時、彼は自分がどんなにその仕事が好きかをよく話して聞かせてくれていた。手先の器用さはもちろんのこと、色の感覚もぴかいちで、彼の最後の色付けが終わると、その下地の修復までを担当した私でさえ、どこが破損していたのかわからなくなるほどだった。素晴らしい技術だと絶賛すると、彼は子供のように嬉しそうな顔をし、いつも、「ありがとう」とお礼を言うのだ。
真面目で優しく、本当によく働いていたボスだった。

彼がまた山ほどの修復作業を楽しめる日が来るといいなと、そう願ってしまった一日だった。


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