14.1.16

同居人H 無事帰る

昨年末からアメリカ本土に旅行に行っていた同居人H。
今週始め、30時間を有に越える乗り継ぎ移動の末に、無事オークランドに戻って来た。

こちらを出発してからずっと、移動先やら目的地に到着する度に携帯電話からメッセージを送ってきてくれていたので、無事に旅をしているのが確認でき、ほぼ安心して待っていられたのは何よりだった。いい時代になったものだと、その方面の技術の進歩に関しては有り難く思う自分がいる。

海外に行って帰って来るとホッとするNZ。
同居人Hに言わせると、「NZはバッグの口を締めないで持っていられる国」なんだそうだ。まぁ、地域にもよるが、おしなべてNZは危険度が低いと言えるだろう。

NYのJFK空港に降り立った途端、驚くほど沢山のオーソドックス ジューイッシュに遭遇し、「生で見たの初めて!」と興奮して知らせて来たり、「ホットドッグ美味しくない」と食べかけの写真を送って来たり… 

サンフランシスコでは知名度の高い高級レストランにも行ったのだが、高かった割に料理はさして美味しくもなく、一番美味しかったのは飛行機の中で出てきたアボカド入りハモスだったとか…

セキュリティ チェックがハンパじゃない入国審査… それでも、中にはフレンドリーな入国管理官が居たらしく、わざわざ日本語で質問して来たりしたのを、疲れでぼ〜〜っとしていたHは、意表をつかれたのも手伝ってうまく聞き取れず、珍紛漢紛な受け答えをして笑われていたらしいが、Hの後で審査を受けた友達にその入国管理官は「あの子、あなたの友達? 彼女クールだね」と言っていたと聞いて、Hは大笑いしたのだそうだ。
H曰く、入国審査の前に各個人はキオスク(小さなブース)で幾つかの質問項目にチェックを入れ、その場で顔写真も撮られ、それが印刷されたものを持って審査を受けることになっていたのだが、長時間のフライトでヘトヘトで、しかも寝て起きたままのような、決して小綺麗なメイクとは言えないボサッとした感満載の面持ちで、「えっ、ここで写真撮るの?」と半ば半信半疑状態のまま撮られてしまった『ボサッとしたマヌケ顔』の写真を提出した上に、珍紛漢紛な日本語で返事をしていたんだよと、その時の表情付きで話をしてくれたのを聞いて、私も思わず吹き出してしまった。

気持ちの良い対応をしてくれる入国管理官が居た一方、NYで立ち寄ったショップスの店員は大方が態度が良いとは言えず、ムカッとくることも多々あったとか。
客商売で態度が悪いのはいただけない。きっとオーナーが横柄なのだろうと推測できる。
職場にしろ、個人の生活の場にしろ、関わる人々の性格の良し悪しは侮ることはできないのだ。

同居人TはHよりも一足早く今週から仕事が始まったため、空港まで迎えに行くのは私の役目となり、車の運転が全くもって好きではない私は、前日にルートのチェックを入念にし、無事に空港までたどり着けるかどうかと、心配と緊張感に支配され続けていた。

たかが 25〜30分程度の運転で神経を使い果たしてしまったのに追い討ちをかけるように、私に大きな影響を及ぼす可能性のある人の言動が、私に究極の選択を促しているように思え、頭の中は混乱状態のまっただ中。
私はただ波風の立たない平穏な暮らしの中で生涯を終わりにしたいだけ。ただそれだけしか希望は無いのに、そんなささやかな夢に向って生活していてはだめなんだろうか…


木工関連の道具が増えて来て使い辛くなってしまったアトリエの片付けを早急にしなければならないため、昨日は幾つかの整理棚と作業台を作るために必要な板を買いに行ったり、食材を調達しに行ったりと出掛けなければならず、疲労がたまってしまっていたのだろう。今朝起きると眩暈がし、やっとの思いで朝食の支度をした後横になって休んでいたら、同居人が仕事に出る時にはもう眠りに落ちてしまっていた。その後も起き上がれず、お昼も食べずに夕方まで眠り続け、起きて夕食の支度をしている時に、日本に居る姉からLine にメッセージが届いた。
メッセージとともに、私が高校生の時に両親が建てた家を取り壊している写真も送られてきた。

父がこの世を去ると間もなく、耐震構造ではない昔の家は取り壊し、新しく建て直すよう官公庁から要請が出ているとのことで、姉は仕事の傍ら家の設計に取り組み始めた。その為に、私は父の葬儀の後、実家の物置小屋に置かせてもらっていた私達家族の想い出の品々を、身を切られる思いで処分して来たわけだが、父と二人して貧乏時代を乗り越え、苦労してお金を貯め、ローンを組むことなく、土地を買いそこに家を新築した母の惜別の思いは聞くに忍びなく、近くに居たら少しは悲しみを軽減してあげられたかも知れないと思うと、ただただ申しわけなく、また母が気の毒に思え胸が詰まった。

そうやって、記憶に刻み込まれていたものが次第に姿を消して行き、これまでその存在すらなかったものが自分の生活の中に入り込んで来る。
そして、その内に自分も消え、その存在すら忘れ去られる時が来る。

幾度となく方丈記 が頭の中を駆け巡った。


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