29.9.16

Ancient Kauri


国内のインターネット オークションで落札した『Ancient Kauri 』のブロックが麻の袋に入って届いた。
これは沼地から掘り起したもので、およそ3860年間埋まっていたものだと書いてあった。

中にはぶ厚い板が幾つも入っていて、まるでお楽しみ袋を開いたかのような感じで、ワクワクしながら袋から取り出した。


写真で見るとけっこうなサイズの切れ端に見えるが、どれもそんなに大きくはなく、写真の一番右上に乗っている細長い板で作れたのは、たった2個の Lucet 。(板厚を半分にして2個作った)


Lucet のサイズは 14cm × 4.7cm 。板の横幅はギリギリの 6cm あるかどうかという程度だったので、その他の板で作れる物はせいぜい宝石箱くらいだろうと想像できる。

これらの板は充分乾かしてあるということだったが、サンドペーパーで削ると、ペーパーの目が瞬く間に詰まってしまうほど樹脂分が多く含まれていて、なかなか作業が進まなかった。



粘り気のある板かと思えば、その一方で、間違って逆目で鉋をかけてしまうと、鉋の刃に引っかかった部分がいとも簡単に塊で裂けてしまい、裂けた部分はボソッとしていた。
その裂け目を見るといかにも脆そうな感じを受けるのだが、製品として出来上がったものは非常に堅牢で、強い力を加えてもびくともせず、手にしっとりと馴染み、温かみのあるソフトな感触なのである。

とても木目が細かく、一度のサンディングで信じられないほどツルツルになり、香りも悪くなく、細工もし易い。
何かを作るのが非常に楽しみになる板だと思った。



21.9.16

歯磨き粉探して三千里...

同居人Hはあと数週間で日本に一人旅をすることになっている。

日本生まれ、日本育ちの100%日本人なのだが、13歳から英語環境にどっぷり浸かっているため、日本語能力が著しく劣ってしまっていて、難しい日本語の言い回しはほとんどわからない。

日本に居た期間よりも長く英語環境に居て、しかも一日の大半を英語のみで過ごしているのだから無理もないのだが、今回一人で日本に行くことになって、改めて、「マズイ、日本語わからないかも…」と、漢字の読みなどを勉強している。(しかし、いまだ小学生レベルだ)

そんな同居人Hに持たせるお土産の一つにプロポリス入りの歯磨き粉がある。姉夫婦からの唯一のリクエストだ。特に歯槽膿漏を患っていた義兄は、私が以前お土産で持って行ったNZのプロポリス歯磨き粉を使ったら歯槽膿漏が完治したというので、『医者の処方薬よりも効果が期待できる歯磨き粉』が来るのをとても楽しみにしている。

その歯磨き粉だが、4、5年前には1個 NZ$4.00台で買えたのが、今は高い店で$14.00、最も安い店でも税抜きで$6.55(税込みだと$7.53) もするようになっているのをインターネットで見て、かなりショックを受けた私…。

散々探した末に、もう今は$7以下では買えないんだと観念し、仕方なく、先週末その最も安い店に行ってみたところ、ウェブサイトにはダウンタウンに店があると書かれていたのに、その場所にあったのは違う名前の店だった。しかも、定休日だったのかドアは閉まっていた。

倉庫に取りに行くこともできるとあったが、我家から遥か遠く離れているため、インターネットで注文して送ってもらおうとするも、そこのウェブサイトは中国語で表示されているのみで、Google 翻訳を使って翻訳しなければならなかった。
更に、クレジットカードで決済できるかと思いきや、特殊な "中国版ペイパル" のようなものしか受けつけないようで… 銀行振込という手段もあったのだが、書いてある事がよく理解できず断念した。

そうだ、2週間ほど前に行った中国系の八百屋の隣りにあった健康食品を扱う店では、確か$7台だったな… と思い出し、今日行ってみると、ドアが閉まっていた。

仕方なく、八百屋のレジの中国人のおばちゃんに、「歯磨き粉買いに来たんだけど、隣りの店閉まってるのよ。今日休み?」と聞くと、「あっちに行ったよ」と指さすので、店の外に出て"そっち"の方を見てみたのだが、それらしい店などない。
そこで、もう一度聞きに行くと、買い物客の中国人のおじちゃんが、ドアに貼ってある紙を見ろと言うので、また外に出て、中国語で書かれた張り紙を前に立ちすくんでしまった。

何て書いてあるのかわかんないよ…

知っている漢字がないかなと、一生懸命に文面を目で追っていると、買い物にやって来た子供連れの中国人の女性が、親切にも英語に訳して教えてくれた。
そこでようやく店が『引っ越した』んだということがわかった。
その女性に教えてもらっている時、先ほどの買い物客のおじちゃんがやって来てくれて、「わかったかい?」と簡単な英語で声を掛けてくれた。「やっとわかった。ありがとう」とお礼を言うと、笑顔で手を振って去って行った。みんな優しかった。

引っ越した先は私のGP(家庭医)がある近くで、その八百屋からほど近い所だったため、ちょこっと八百屋で買い物をしてから、その方向に車を走らせた。

その店はすぐに見つかったが、引っ越したばかりのようで、荷物がまだ段ボールに入ったままのものも多く、店内はガランとしていた。
2人の中国人女性が働いていたので、「歯磨き粉探しているんだけど… ここ、前に八百屋の隣りにあった店?」と聞き、ようやく歯磨き粉をゲットできた。

歯磨き粉は1個$8.00ということだったが、「2ダース買ったら安くなる?」と一応聞いてみたら、安くしてくれた。(これまで私は値切って買ったことはないのだが、「中国では値切るのは当たり前なんだから、取りあえず安くなるか聞いてみるんだよ!」と、同居人Hから促されていたので、試しに聞いてみたというわけだ)

結局、行った甲斐があって、1個$7.50の、調べた限りでは最安値で購入でき、満足して帰って来た。



あぁ、それにしても、歯磨き粉を買うだけでこんなに時間がかかるなんて…

全く同じ商品なのに、販売店によって値段の開きが大き過ぎ、倍近くも値段を釣り上げている所があるというのは驚くばかりだった。

かつて、インターネットで価格をチェックすることができなかった時代には、近場の数件の店を回って、何度も行ったり来たりし、より安い店で買うということしかできなかったのだが、今は国内全域(更には世界全域)に渡って検索をかけ、ターゲットを絞って買いに行く/或は注文することができるようになった。ただ、その情報が最新のものであったらの話だ。その情報が更新されていなければお話にならない。
また、インターネット上で得られる情報というのは、100%信用できるものばかりではないということを踏まえた上で活用しなければ、思わぬ落とし穴に塡まるということを、決して忘れてはならない。

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ようやく『必需品』をゲットできてホッとし、家に帰って来てからベンチ作りの作業の続きを少しした。


シューティング ボードは日本の鉋用に新しく作り直し、その後、相欠き先ほぞ継ぎ(Mortise-and-interlocked-tenon joint)の練習をした。

本で見取り図しか見ていないので、まずは要らない板で練習し、どのようにしたら効率良く、尚かつ綺麗に仕上げられるかを考えた。



継手を綺麗に仕上げられるようになったら、作業がさぞかし楽しいことだろう。


16.9.16

shooting plane は要らない


シューティング ボードを使う際には、これまで西洋鉋(stanley #4 or #5)を使用していたのだが、私にはどうにもそれらが使い辛く、途中で掌が痛くならないようシリコン シーラントでパッドを作ってみたものの、やはり使い辛いことに変わりはなかった。多くの人が使い辛いと感じたために、shooting plane なるもの(シューティング ボード専用の鉋)が Veritas やら Lie-Nielsen から発売されたのだろうが、"それ専用(=それしかできない)"なのに、恐ろしく高価だ。

今回、日本の鉋を使い、西洋鉋用のシューティング ボードで削ってみたところ、これが想像を遥かに超えて使い易く、何故今まで使わなかったのだろうと、自分のバカさ加減に呆れてしまった。
私は日本の鉋用のシューティング ボードは作ってなかったので、取りあえず、板が動かないよう西洋式のシューティング ボードのストッパーに押し当て、手で押さえただけで削ったのだが、そのような状態であっても、非常に使い易いと感じるほど安定していて、掌も全く痛くならず、正確に素早く直角面を削り取ることができたのだ。

お高い shooting plane の購入を考えている人に、是非とも日本の鉋の存在を教えてあげたいものだ。

今後はもう西洋鉋を使わず、シューティング ボードは日本の鉋用に作り直すことにしよう。




そのようにして、正確にサイズを揃えた slats(細長い板)の両端にほぞを作り、仮組み立てをして、次の作業に入った。



先日購入した bench vise のおかげで、快適に作業ができて何よりだ。

15.9.16

マーキング ゲージ考

今年4月に Veritas Dual Marking Gauge を買ったのだが、シャフト クランプを買うのを忘れていた。
追加で注文しなくちゃと思っている内に、その店のウェブサイトが一新し、シャフト クランプが消えてしまっていたので、ネットで注文できず…

今回ほぞ&ほぞ穴の印付けをする際に、そのマーキング ゲージを使おうと思ったのだが、シャフト クランプが無いと非常に面倒なことがわかり、昨日、仕方なく、そこのウェブサイト上で、「このマーキング ゲージ用のシャフト クランプってまだある?」と質問しておいたところ、すぐにemailで返事をくれ、「あるよ。値段は$○○で、送料は$○○」と書いてあったのだが、代金の振込先を教えてとemailを送ると、「電話してきて。その方が早いから。品物は僕の机の上にもう用意してあるから、すぐに送れるよ」という返事が来た。

この国の人って、一々emailでやり取りするよりも、電話でチャチャッと用事を済ませる方が好きなんだよね… (例外ももちろん居るだろうが)

で、人と話すのがあまり好きではない私は、「はぁ… 電話か… 」と渋々ながら電話する羽目に… 。電話する以外に選択肢が用意されてはいないのだから仕方がない。

電話をかけると、気の良さそうなおじさんが出て(十中八九私よりも若いだろうと思われるが)、emailを送ってくれた本人のようだったので、取りあえず私の名前を言うとすぐにわかってくれ、あたかも旧知の仲の如く非常に明るく、和やかな雰囲気で話が始まった。
そういう雰囲気作りに長けている人って得だなと思いながら、クレジット カードの情報を電話で伝えて、注文終了。
明日の朝には荷物(と言ってもシャフト クランプ一つだけ)が届くはずだよと言うので、ありがとうと言って電話を切った。

電話をかけるのは好きではないが、まぁ簡単といえば簡単だ。


小さな小さなシャフト クランプは予定通り今朝届いた。



これでようやくほぞ穴の印付けに難儀をしないですむようになった。
だが、使ってみると、このマーキング ゲージよりも、昔から有る Mortise Marking Gauge の方が機能的に優れているように感じてしまった。


この写真の下側に付いているネジでほぞ穴の間隔を決め、固定し、ほぞ穴の位置を決めるのは中央に写っているネジを緩めたり締めたりして行うわけだが、ほぞ穴の間隔を最初に固定しておけるというのは非常に使い勝手が良く、ほぞ穴を空ける板の厚みが少々変化しても、ほぞ穴の間隔を変えること無く、板の厚みの中央に穴を空けられるよう微調節することができるようになっている。

ただ、私の持っているこの Mortise Gauge は非常に古いもののようで、長年の使用によって写真中央のネジで押される部分の真鍮のバーが傷んでしまっていて、しっかりネジが締まらない部分ができてしまっている。このネジを少し長いものに交換するか、真鍮のバーを交換するかしないと満足に使えない状態だ。


このまん中の一番大きなネジを緩めたり締めたりするのにドライバーを使わなくてはならないのは少々面倒なので、若干長めの『手で締められるネジ』を購入して取り替えるのが最も楽でいい方法かも知れない。



持っているマーキング ゲージはVeritas も含めて5本になった。
ピンが付いているもの、小さな刃が付いているもの、ほぞ穴用のもの、wheel が付いているもの、そして、(写真には写っていないが)鉛筆が刺してあるものなど、用途に応じてどれも良く使っているのだが、薄い板を切れるほどの鋭い刃の付いた日本の『毛引き』を持っていないので、いつか作ってみたいなと思っている。



14.9.16

Record Bench Vise は最高!

先週末、同居人に手伝ってもらって、ようやく取り付けられた Record bench vise を使って作業を始めたのだが、午前中の作業を終えた段階で、挟んであった板にことごとく凹んだ傷ができているのを発見したため、挟む部分をしっかり見てみると…

挟む部分に取り付けられていた板(パッド)に深い傷が付いていた。




このまま使い続けたら、せっかく鉋をかけスベスベにしてある板が全て台無しになってしまうので、一旦作業を中断し、このパッドを外して鉋をかけることにした。


おそらくハードウッドだと思うのだが、何の木かわからない。
削っている時の木の香りがお線香臭いような、変な香りで、全く良く無く、こんなに鉋がけが楽しくない木は初めてだなと思いながら、臭いを我慢して削っていた。
不思議と、削り終わった板はほとんど臭わず、ホッとした。

パッドの板を取り付ける前に角を面取りし、板を保護するために薄くビーズワックスを塗っておいた。

bench vise に取り付け直す際、板厚が減少したために、一方のパッドを固定していたボルトの長さが合わなくなったため、3mm厚に削ったマツ材を張り付け、厚みを調節。



その後はスムーズに仕事ができた。
このクイック リリース機能の付いたバイスはすこぶる使い勝手が良く、40年以上も前に作られた物であろうに、今でもエクセレントなコンディションである。




板にマスキングテープを貼り、穴をあける方向を間違えないよう、何処に使用するのかをしっかり記入しておく。(表裏を間違えることも無くなる)
板に直に鉛筆で印を付けると、最後に消しゴムで消したり、仕上げ鉋をもう一度かけ直したり、サンドペーパーで削り取ったりしなくてはならなくなるが、この方法だと後で剥がすだけでOKで、しかも見易いのだ。

ほぞ穴(mortise)をあけるのに使うのは父から譲り受けた鑿。
鑿も鉋も使用する前に研ぎ直す。

まだスピードを競える段階ではないが、ほぞ穴をあけるのにも段々慣れてきて、大きな失敗をすることもなく、『悪戦苦闘しなくなった』という程度には進歩したかなという感じである。

9.9.16

寒波再び / 木を守り人命を軽んじるような政策への苦言

昨日から気温が下がっているNZ。ここオークランドも強風と気温の低下で凍えるような日々となっているが、昨日南島はもちろんのこと、首都ウェリントンでも雪、雹、強風で数々の被害が出たらしい。

この国で車を運転していると、車道にまで張り出した、民家に隣接する大木の曲がった幹やら無数の枝々を頻繁に目にする。それらを見る度に、私は強風で倒れはしないかと心配になるのだが...

NZでは、自宅の敷地内に植えられている木でさえも、行政府の許可無しに丈をつめたり切り倒したりしてはならないことになっているため、ほとんどの家の傍らに立つ木は大きくなるばかりで、手入れがされているという感じではないのが現状だ。
古い大きな木が荒天で倒れ、下に置いてあった車を押しつぶしたり、道路を塞いだり、倒れた方向が家側で家の一角が崩れてしまったりという被害が毎年のように出ているのに、それでも依然として見るからに危なそうな木に何ら対策を施すことなく、そのような大きな木が植わっている近くに住む住民は、昨日、今日のような荒天になると、怯えて過ごすことになってしまうのだ。

昨夜もクライストチャーチのある地域で大木が倒れ、完全に道を塞いでしまっている様子がビデオに映し出されていた。

このイメージは stuff.co.nz website より抜粋したもの

この木の下敷きになった車があったのかどうかはわからないが、こんな大木が車を運転している時に目の前に倒れてきたらと考えると、恐怖で背筋が凍り付いてしまうのは、私だけではないだろう。
この木がもし反対側に倒れていたとしたら、民家を直撃し、取り返しのつかない事態がその一家を襲っていたかも知れないのだということを、"お役人"はもっともっと深く考えなくてはいけないと、私はこのような報道を見る度に憤りを覚えてしまう。

木を守ることよりも、人々の安全な生活を確保することの方が遥かに大事だろうが...


8.9.16

Record Joiners Vise 52 1/2 RD 664709

3日前、念願の Record Bench Vise を幸運にも落札でき、届くのを楽しみにしていたところ、昨日既に玄関先に配達されているのを発見し、あぁ、無事に届いてくれてよかったとホッとした。

梱包は想像していたよりも簡単な、硬めのエアー バブルの入った梱包素材で包まれていただけの状態だったが、しっかりと固定されており、輸送段階でviseが壊れる危険性はほぼ無いだろうと思えた。こんな何十キロにもなる鉄の塊を投げられる人などそうはいないだろうから、落とさない限りダメージを受けるはずはなく、誤って落としたとしたら、持っていた人の足の骨が折れる危険性の方が遥かに大きくなる。然るに、必然的に丁寧に(慎重に)取り扱うことになり、この程度の包装で充分だということになる。

風邪の症状が少々悪化し、昨日も一日中寝たり起きたりしていたのだが、玄関先に届いた荷物をそのまま置いておくことはできず、家の中に入れようと持ち上げると、たまらなく重たく、これ、私の作業台に取り付けて大丈夫かな…と少々心配になったが、出品者に無事届いた旨を知らせないとならないと思い、取りあえず荷物の状態を確認するべく、包装を外した。


驚くことに vice screw はまるで新品同様で、他の部分にも取り立てて言うほどのひどい錆は無く、古いものとは思えないほど良好な状態に見えた。この RD 664709 という番号が付されている vise は、1938年の Record のカタログには載っていたが、1970年半ば頃にはもう製造されなくなっていたと、あるフォーラムに投稿されているのを見たことがある。それが正しければ、最も新しい物でも、製造されてから既に40年以上も経っているということになるが、全く信じられないほどの状態の良さだ。(ある時点で、このvise screw 部分だけ部品交換したのかも知れないとさえ思える)





体調がすぐれないため、まだ実際に使ってみることはできず、見た感じでしかものを言えないが、クイック リリース機能もしっかり連動しているようだし、板を挟む部分に取り付けられた分厚い板もまだ新し目で、がたつきも無く、おそらく何の問題も無く使えるだろうと思う。



見ず知らずの人との個人的な取引となるインターネット オークションでの買い物。
実際に見ていない中古の品物を買うというのは一種の賭けである。特に、載せられている写真がたった1枚、正面から取ったものだけで、「エクセレント コンディション」とだけ書かれていた今回のケースでは、出品者の過去の取引は2件だけということもあり、おそらく入札を思い止まる人がほとんどだったのだろう。多くの人が注目していたのにも関わらず、入札したのは私一人だけだった。
出品者が様々な角度から撮った写真を載せていたとしたら、もっと高額になってしまっていたに違いない。(私にとっては非常に有り難い結果となったが、出品者はあの金額で満足だったのだろうかという思いが頭をよぎった)

過去数ヶ月間に何度かこれと同じような vise を手に入れようと入札を繰り返しながらも、価格が上がり過ぎて断念せざるを得なかった私… 今日届いた物を見たら、過去に、手を加えなくてはならないほどひどく錆の出ていた vise を、今回よりも高い金額で落札していなくてよかったと、心からそう思えた。



6.9.16

責任感の欠如 道徳心の廃退

久々に風邪を引いてしまったため、アトリエに降りて行かない日が続いている。

ひどい症状ではないので、朝はいつもの時間に起き、同居人たちのために朝食の用意をし、仕事に送り出した後は一日中寝たり起きたりしているのだが、病気の時というのは、よくもまぁこんなに眠れるものだと呆れるほど、眠ってばかりいる。


8月半ばに国内のインターネット オークションで落札したカービング用の鑿のセットがいつまで経っても届かず、出品者に問い合わせ、NZ Post に届いていない旨を報告してもらい、ようやくNZ Post から届け出用の用紙が届いたのが報告を出してから1週間後の昨日…
届け出用紙に付いてきた手紙の日付は8月30日となっていて、届け出用紙は5日以内に投函するか、faxで送付するか、またはemail に添付してカスタマーサポートセンターのアドレスに送るようにと書いてあった。手紙が届いた時点で既に6日(4営業日)過ぎてしまっているのに、5日以内に返送しろと書いてあるので、取りあえずすぐにfaxを送るも、しっかり受け取ったかどうかの確証が無く、仕方がないので、emailに「念のために、ここに添付して送っておく」と書き添えて送信したところ、「(送信したアドレスが)オリジナルのemail アドレスでなければ受けつけられない」という全く意味不明な、機械的に処理されたと思われる自動返信メール(?)が届き、どうしようもなく最低な対応に苛立ち、他に成す術が無いので、仕方なく返信用封筒に入れた届け出用紙を投函しに車を走らせた。(私のオリジナルのemail アドレスって、一体何を指して言っているのだ?)

NZ Post 側の過失で紛失したとしか考えられないのに、『ご迷惑をおかけして、申しわけありません』というような遜った(へりくだった)態度は一切見せず、その横柄で怠慢な対応振りには、ほとほと嫌気がさした。

宛名がしっかり書かれている荷物を、どのようにして紛失させるのだ??
どこかで悪意が働いているとしか思えないのは私だけだろうか?

そのカービング用の鑿3本の内の1本は、私がこの2年間探し続けて、ようやく落札できた貴重なものだったのに、よりによってそれが届かないとは、何と不運なことよ…

出品者が、私の「荷物をまだ受け取っていません」というemailでの問い合わせに誠実に対応してくれていたのだけは救いだったが、手に入らなかったことについては、本当に残念で仕方がない。

それに費やした費用は返金されても、それを獲得するのに費やした時間と労力は弁償されず、この先同じ金額で同じ物を手に入れる可能性はほとんど無いに等しいと思われることなど、NZ Post 側は考えることもなく、代金を返済しただけで責任を取ったと簡単に考えるのだ。

不完全な人間なので、単純ミスで仕分けの段階で間違えたり、配達の段階で間違えたりすることもあるというのはもちろん理解できるが、もし間違ったアドレスに配達されていたとしたら、自分の物ではないものを間違って受け取って、返却しない人がいるということなのか?
はたまた配達が面倒だからと勝手に破棄してしまったり、配達物をちょろまかす配達員、或は仕分け部署のスタッフが存在するということなのか?

もしこの一つの荷物の配達に関わった全ての人が正直者だったとしたら、必ず荷物は見つかるはずであると思っていたが、ほぼ1ヶ月経とうとしている今は、もうその希望も無くなったように思う。

嘆かわしく、更に腹立たしいと思うのは、そういう人物が何食わぬ顔で何処かに存在していて、自分に危害を加えるわけでも迫害しているわけでもない赤の他人の、当然受けるべき権利を、好き勝手に阻害していることだ。


3.9.16

Traditional Carpentry in Southern China-03 Tools 第三篇 工具



生まれて初めて中国の伝統的な木工工具を見た。

平鉋の形は日本と同じようなのに、持ち手が付いていて、ブレードは西洋式鉋のように長く(まるでスタンレーのブレードのようだ)、飛び出ている。この鉋の形には、ブレードの中央に穴を空ける必要など無いと思うのだが、なぜこのテのブレードを使っているのだろう? と、疑問に思うと同時に、意表をつかれたのは、西洋式鉋と同じように押して削るようになっていることだった。私にはこの持ち手だけ持って削るのが非常に不安定な感じに見えるのだが(実際に削っているのを見ると、鉋の前方が浮いている)、使ってみたらどうなのだろうか?

墨壺は日本と同じようにして使っていた。竹の先端を平らに鋭く削り、それに墨を付けて墨付けをしていた父や祖父の姿が重なって見えた。

鑿は日本の物とはずいぶん違う感じを受けた。ほぞ穴専用の鑿は無く、エッジをベベルにカットされた鑿も無い。また鑿尻が花のように広がっていて、叩き難くはないのか?と思ってしまった。

bow saw と呼ばれる物は、西洋式の物とほとんど同じようだが、中央に渡した梁は弧を描いている。おそらく使用するにあたっては、何ら変わりはないだろう。

そういえば、普通の鋸を見て無いような気がするな…


色々な発見があって、非常に興味深いビデオだった。


それにしても、柱や梁などに貼付けられた文字の達筆なこと!!!
私は幼少時代書道を習っていたので、この見事に美しく、しかもダイナミックな字を見て、あぁ、こんな風に書けたらいいなぁと、また書道を始めたくなった。




進寸退尺

国内のインターネット オークションに出ていた Record compass plane。入札しようかどうしようかとしばらく悩んでいた私…
$150以上もの金額を出して手に入れるほどの物ではないと思うに至ったのは、父の仕事を思い出したからだ。

おそらく時間はかかるだろうが、そのようなツールに頼らなくとも、持っている簡単な道具類で充分代用できるはずで、その一見便利そうに見えるツールを使わざるを得ない場合が実際にはどれだけあるのかと言えば、こと 私の今後の作業においては、ほぼ無いに等しいだろうと思う。


例えば板のエッジを正確に直角に削る時。
父や祖父は日本の鉋しか使わず、それでもいつでも見事に正確な面を作れていたのに、私はまだ不正確な場合があるため、楽をしてエッジ ガイドの付いた西洋鉋を使ったりしてしまう時がある。



また、凹面を作る際、父や祖父はもちろんルーター プレーンなど持っていなかったので、単なる鑿を使って狂いの無い仕事をしていたが、私はいまだルーター プレーンのお世話になっていたりする。

鑿だけでできないことはないのに、鑿だけで正確に深さを揃える自信が無いのだ。いや、自信が無いというより、根気強さを失いかけているのだ。



私は木工を始めるにあたって、西洋式のツールを先に手に入れ、西洋人のお師匠さんの技法に倣ったため、便利なツールは必需品で、それらが無ければ正確な仕事をするのは不可能じゃないかと思い込んでいたが、実はそんなツールがなくても感覚を研ぎ澄ませ、鍛錬すれば本当に簡単な道具で同じように美しい仕事ができるのだということがわかってきた。
ただ、そこまで技術が到達するのにはかなりな時間がかかるので、どうしても『楽をしたい』という気持ちに負けてしまうというわけだ。


最近、YouTube で観る木工関係のビデオは、ほとんどが日本の大工やら指物師のものとなってきた私 。これまでは、正確を期すために、一回でピタッと継手/組手が仕上がるようにではなく、同じ箇所を時間をかけて何度も何度も削り直してピッタリにしていく、雲の上のお師匠さんの作業の仕方に倣っていたが、そのやり方ではいつまで経っても一発で確実にピタッと収められるような技術は磨けないだろうと思うようになった。

日本の木工に携わる職人の技術は世界一だとよく耳にするが、実際そうだろうと思うのは、便利道具が西洋ほど発達しなかったということからもわかるような気がする。先人たちは便利道具を必要としなかったのだ。無くても出来るから。

楽をして綺麗に仕上げようとするのではなく、腕を磨いて綺麗に仕上げるようにする。また、前述したように、一発でピタッと収まるほどの精度で仕事をするよう心掛けなくては、いつまで経っても熟練することはない。

失敗しないよう石橋を叩いて渡るような作業の仕方も時には必要かも知れないが、卓越した技術というのは、そのようなものとは正反対の局面から生じる産物のもののように思えて仕方がない。


失敗を恐れていてはダメだと、改めて自分に言い聞かせた。




1.9.16

切っては削り、切っては削り...

マーキング ゲージは幾つか持っているのだが、私はこれ(Veritas)が一番使い易くて好きだ。




板厚を揃える際には、これを使って線を引き、その線まで鉋で削って行く。


マークした線に限りなく近付くと、線を入れた部分が細くペラッと剥がれて来るので、それ以上に削り過ぎてしまうのを防ぐことができて、非常に便利だ。


板の幅を均一に、また直角に仕上げたい時にも、同じようにしてマークを入れて削るのだが、今回は削り幅が大きかったので、荒削り用の鉋を使って、まず余分な部分をあらかた削り取っておいた。


削り取る部分の厚みが 1mm以下になったら、仕上げ用の鉋に代えて、マークした線を誤ってガサッと削り取ってしまわないように注意しながら削る。
下の写真では、片方の縁の部分がマークした線に達しそうになっているのがわかるが、反対側の縁はそれよりも若干削りが浅いために、線を引いた部分の繊維が剥がれてきていない。


そこで、鉋を持つ手の力の入れ具合を微妙に変え、均等に削れるように感覚で微調整を加えながら削るようにすると、下の写真のように、両端から細い削り屑が同時に剥がれて来るようになる。


この状態になったら、定規で測らなくとも、板の幅は均等且つ直角に削れているということがわかる。



ずっと以前、激安で手に入れたクロス カット ソー(押して切る日本製の鋸)で板を切り、シューティング ボードを使って鉋でサイズ通りに削ったり、


ベンチの足にする角材を切ったりし、作業している時には他の事は何も頭になく、久々に集中して仕事ができて楽しかった。



鋸の使い方はマシにはなってきたが、まだまだ修行が足りないなと痛感した。




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...