国内のインターネット オークションに出ていた Record compass plane。入札しようかどうしようかとしばらく悩んでいた私…
$150以上もの金額を出して手に入れるほどの物ではないと思うに至ったのは、父の仕事を思い出したからだ。
おそらく時間はかかるだろうが、そのようなツールに頼らなくとも、持っている簡単な道具類で充分代用できるはずで、その一見便利そうに見えるツールを使わざるを得ない場合が実際にはどれだけあるのかと言えば、こと 私の今後の作業においては、ほぼ無いに等しいだろうと思う。
例えば板のエッジを正確に直角に削る時。
父や祖父は日本の鉋しか使わず、それでもいつでも見事に正確な面を作れていたのに、私はまだ不正確な場合があるため、楽をしてエッジ ガイドの付いた西洋鉋を使ったりしてしまう時がある。
また、凹面を作る際、父や祖父はもちろんルーター プレーンなど持っていなかったので、単なる鑿を使って狂いの無い仕事をしていたが、私はいまだルーター プレーンのお世話になっていたりする。
鑿だけでできないことはないのに、鑿だけで正確に深さを揃える自信が無いのだ。いや、自信が無いというより、根気強さを失いかけているのだ。
私は木工を始めるにあたって、西洋式のツールを先に手に入れ、西洋人のお師匠さんの技法に倣ったため、便利なツールは必需品で、それらが無ければ正確な仕事をするのは不可能じゃないかと思い込んでいたが、実はそんなツールがなくても感覚を研ぎ澄ませ、鍛錬すれば本当に簡単な道具で同じように美しい仕事ができるのだということがわかってきた。
ただ、そこまで技術が到達するのにはかなりな時間がかかるので、どうしても『楽をしたい』という気持ちに負けてしまうというわけだ。
最近、YouTube で観る木工関係のビデオは、ほとんどが日本の大工やら指物師のものとなってきた私 。これまでは、正確を期すために、一回でピタッと継手/組手が仕上がるようにではなく、同じ箇所を時間をかけて何度も何度も削り直してピッタリにしていく、雲の上のお師匠さんの作業の仕方に倣っていたが、そのやり方ではいつまで経っても一発で確実にピタッと収められるような技術は磨けないだろうと思うようになった。
日本の木工に携わる職人の技術は世界一だとよく耳にするが、実際そうだろうと思うのは、便利道具が西洋ほど発達しなかったということからもわかるような気がする。先人たちは便利道具を必要としなかったのだ。無くても出来るから。
楽をして綺麗に仕上げようとするのではなく、腕を磨いて綺麗に仕上げるようにする。また、前述したように、一発でピタッと収まるほどの精度で仕事をするよう心掛けなくては、いつまで経っても熟練することはない。
失敗しないよう石橋を叩いて渡るような作業の仕方も時には必要かも知れないが、卓越した技術というのは、そのようなものとは正反対の局面から生じる産物のもののように思えて仕方がない。
失敗を恐れていてはダメだと、改めて自分に言い聞かせた。
$150以上もの金額を出して手に入れるほどの物ではないと思うに至ったのは、父の仕事を思い出したからだ。
おそらく時間はかかるだろうが、そのようなツールに頼らなくとも、持っている簡単な道具類で充分代用できるはずで、その一見便利そうに見えるツールを使わざるを得ない場合が実際にはどれだけあるのかと言えば、こと 私の今後の作業においては、ほぼ無いに等しいだろうと思う。
例えば板のエッジを正確に直角に削る時。
父や祖父は日本の鉋しか使わず、それでもいつでも見事に正確な面を作れていたのに、私はまだ不正確な場合があるため、楽をしてエッジ ガイドの付いた西洋鉋を使ったりしてしまう時がある。
また、凹面を作る際、父や祖父はもちろんルーター プレーンなど持っていなかったので、単なる鑿を使って狂いの無い仕事をしていたが、私はいまだルーター プレーンのお世話になっていたりする。
私は木工を始めるにあたって、西洋式のツールを先に手に入れ、西洋人のお師匠さんの技法に倣ったため、便利なツールは必需品で、それらが無ければ正確な仕事をするのは不可能じゃないかと思い込んでいたが、実はそんなツールがなくても感覚を研ぎ澄ませ、鍛錬すれば本当に簡単な道具で同じように美しい仕事ができるのだということがわかってきた。
ただ、そこまで技術が到達するのにはかなりな時間がかかるので、どうしても『楽をしたい』という気持ちに負けてしまうというわけだ。
最近、YouTube で観る木工関係のビデオは、ほとんどが日本の大工やら指物師のものとなってきた私 。これまでは、正確を期すために、一回でピタッと継手/組手が仕上がるようにではなく、同じ箇所を時間をかけて何度も何度も削り直してピッタリにしていく、雲の上のお師匠さんの作業の仕方に倣っていたが、そのやり方ではいつまで経っても一発で確実にピタッと収められるような技術は磨けないだろうと思うようになった。
日本の木工に携わる職人の技術は世界一だとよく耳にするが、実際そうだろうと思うのは、便利道具が西洋ほど発達しなかったということからもわかるような気がする。先人たちは便利道具を必要としなかったのだ。無くても出来るから。
楽をして綺麗に仕上げようとするのではなく、腕を磨いて綺麗に仕上げるようにする。また、前述したように、一発でピタッと収まるほどの精度で仕事をするよう心掛けなくては、いつまで経っても熟練することはない。
失敗しないよう石橋を叩いて渡るような作業の仕方も時には必要かも知れないが、卓越した技術というのは、そのようなものとは正反対の局面から生じる産物のもののように思えて仕方がない。
失敗を恐れていてはダメだと、改めて自分に言い聞かせた。
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