2.3.13

生きている意味

数日前、苺とチェリーを買いに行った折り、マフムートに「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」... と言うと、彼は「なんだい?」と、とても穏やかな笑顔でこちらを見ていた。

「ねぇ、マフムート、アラーがあなたに約束したパラダイスは本当に来るって信じてる?」

突拍子もない質問にもかかわらず、彼は満面の笑顔で答えてくれた。

「もちろんだよ。その希望がなかったら生きている意味がないだろ?」

その言葉を受けて、その通りだと思っているのが彼にわかるように、私は大きく頷いた。そして次に私の口から出た言葉は、「私はもう既に地獄に居るのよ。それにこの先も楽園に入れる見込みはないんだよね、私イスラム教徒じゃないからさ」というものだった。

マフムートは胸を数回軽くたたく仕草をし、「そんなことはない。ここ(心/heart)がきれいな人は皆楽園に行けるに決まってる」と言った。

ほぼ同じ年月を生きて来た者同士の真面目な会話だった。

私は「ありがとう」と笑顔で彼に挨拶して帰る道すがら、(でもね、コーランにはアラーの名を唱える者、アラーに従う者だけが楽園に行けるって書いてあるのよ... だから、私はもう既に地獄に居るって感じてるのに、この上もっとひどい地獄行きが待っているだけだって考えるのが順当だと思うよ)と心の中でつぶやいていた。



キリスト教でもやはり、聖書に書かれていることに従う者にだけ楽園行きが約束されている。
私は聖書を熱心に勉強している人にもこの冒頭の同じ質問をしたことがあるが、答えの根幹をなすものはマフムートと同じであったものの、こちらは、心がきれいでありさえすれば誰でも楽園に行けるというわけではなく、神の御意志を行う者のみが楽園を享受できると、厳格な姿勢を崩さなかった。それ故に、もう一度聖書の勉強に戻るようにと、私を見限る/見捨てることなく、度々手を差し伸べに来てくれているのである。

おそらく、コーランを熱心に勉強した人であれば、やはりアラーの御意志に適う者のみが是認されると言うことだろうし、私が興味を示したならば真摯に諭そうともしてくれることだろうが... 

厳格さが人を癒すかといえば、そうばかりでもないと今は思うようになってきた。どうしようもなく落ち込んでしまった人間には、ゆるい基準というのは一時的にでも救いになるものなのだ。例えそれではダメだろうと頭で理解していてもだ。


とにもかくにも、私はそのどちらの宗教にも属さず、属そうとも思わないから、やはり地獄行きだなと思った次第である。

もし仮に、私達の触れ得る宗教というものが真実に神の意志を伝えているものであったならの話だが...

26.2.13

客商売 その2

昨日、つい先頃までいっしょに働いていた(といっても、たった2ヶ月間だったが)パメラから電話が来た。
「あなた知ってるかしら、私達が居た店の向い側の店でアシスタントを募集してるのよ。もしまだ次の仕事が見つかっていないようだったら、この仕事はあなたにピッタリだと思うんだけど、興味ない?」と...

私はその店のオーナーともスタッフとも8年来の知り合いで、オーナーがどんな人材を必要としているのかをよく知っているので、パソコンのスキルに関しては問題無いだろうけれども、接客、ことにエクセレントな英語を喋れるかということについては、残念ながら私はまったく自信が無いとパメラに伝え、私なんかよりもパメラの方がずっとその仕事に向いていると思うと付け加えた。
しかし... しかしだ。あの人間的にとてもできたオーナーは、どういうわけだか若いネイティブしか雇う気が無いというのも、私はよく知っている。

高級品を扱う店であるのに、いかにも『今どきの若い女の子』という感じの子を雇うというのはいかがなものかと、私などは慰問に思ってしまうのだが、あのすこぶる頭のキレるオーナーがあえてそうしているということは、おそらく品格のある年配の店員よりも、キャピキャピした若い女の子を"客が"欲しているということなのだろうなと、ついつい邪推してしまった。

日本のように、『若い子だったら安くこき使える』というような考えではないことは、給料の額から容易に理解できる。店員の仕事にしたら出し過ぎでしょうと思われるほどの給料なのだ。

ある程度のお金持ちが客層であることを考えると、そのお金持ちの(特に男性)を喜ばせるのに必要なのは、薹が立ったようなおばさんではなく、若くて見栄えのいい子ということになるのだろうなと、そんなことを考えてしまった。

一般的に、商品を売るのに何の技術がいるわけでもなく、ふさわしい品格も必要ではなく、ただ若くて綺麗なだけでいいというのは、まぁ客商売を営む側からすれば、御託をこねる年増のスタッフよりも確かに使い易く、気楽であるというのはわかるが、果たして、そういう基準で選ばれた方は嬉しいのだろうか? 「あなたの頭の中身はまったく問題じゃないから安心してね」と言われているようなものだぞ...

幸いにも、前述のオーナーは理想が高く、若くて見栄えがいいだけでは満足せず、頭の回転も早いことを選考基準としているようで、その点に関しては私の彼に対する認識を大きく覆すものではなかったが、それにしても、やはり、扱っている商品に対して店員が若過ぎるのではないかという違和感は依然として私の中に残っている。


さて、電話をくれたパメラだが、彼女はいまだに、働いていた店のオーナーだった人からホリデイ・ペイ(休日出勤分の割り増し賃金)を受けとっていないようで、こんなにラチがあかないと労働調停に持って行かざるを得なくなるかも知れないと嘆いていた。
難儀なことである。

パメラ自身も次の仕事を探している身であるのに、いつも私のことを気にかけてくれていて、事ある毎に声を掛けてくれる。本当に心の温かな良い人である。
働きに出た一番の収穫は彼女と知り合いになれたことだったなと、つくづく思った。



20.2.13

客商売

昨年11月後半から始まったブティック勤めは、たった2ヶ月で幕を閉じた。

店のオープン当初から働いていたパメラでさえ、閉店に関することはオーナーから何も話を聞いておらず、毎日のように店を物色に来ていた中国人バイヤーが「ここを買うことに決まったら、2月から商売を始める」と言っていたことを、別のスタッフがオーナーに「どうなっているんだ?」と問いつめたことが発端となって、遅ればせながらのオーナーからの閉店宣言と相成ったわけなのだが、先月第2週目には1月末をもって閉店と言っていたのが、第3週目に入ると突然第4週目終了時に閉店すると予定を変更... スタッフはそれに伴って全員解雇というお粗末極まりない結果となった。

お粗末なのは経営者の技量である。
労働法も何も理解しておらず、経営の「け」の字も知らなかったような英国出身のタレントは、英語が読めなかったわけでもあるまいし、弁護士やら税理士なども当然雇っていたであろうに、法的なことは何一つ承知しておらず、英語が母国語ではないイラン人スタッフやら日本人スタッフ(私)から労働法に違反していると指摘され、反論する余地がなかったのである。

私はお世辞にも客商売に向いているとは言えない性格なので、あの仕事に関しては全く執着も無く、長く続けていたら間違いなく対人関係に支障をきたすようになっていたであろうと思うと、まぁ、ちょうどいい具合に無くなってくれたという状況であったのだが...、他のスタッフのことを考えると手放しで喜んでも居れず、私が知りうる限りの労働法と照らし合わせて、他のスタッフが不当な扱いをされないように情報を提供して終わりとしてきた。


ブティックの仕事を終了し、その後は友人からの頼まれ仕事(グラフィックデザイン)をしていたが、これは仕事というより奉仕だ。報酬は挽きたてのイタリアン&アラビックコーヒーと、瓶詰めのきゅうりのピクルス、それにイスラエルのケーキ。別に何も要らなかったのだが、持って行けというので有り難く頂いてきた。
デザイン関係の仕事は性に合っているのだが、この友人は忙し過ぎるからなのか時々自分で言ったことを覚えていないことがあり、「ここは変えてくれって言ったのに変わっていないじゃないか」と言うので、「そこはそのままでいいと言ったじゃないか。それに、なぜ変える必要があるんだ?」と反論したりなどして、私の意見を通した形になった(笑)
こんなコロコロ意見の変わる人の元でなんて、とてもじゃないが働けない。根はいいヤツなんだが...


単発で寿司屋の手伝いもしたが、寿司を巻くのは何のストレスもなくできるのに、接客は本当に嫌だと思った。
1パック(4個入り)幾らと表示して売られている巻き寿司を、1パックくれという客も居るんだということにも驚いたし、何を買うわけでもないのに、自分が家から持ってきたお弁当を店に備え付けてある電子レンジであたためてくれと要求しに来る輩も居るんだというのを聞いて、何だかゲンナリしてしまったりしながら、それでも引き受けたからにはお終いまでやらなくちゃと頑張って笑顔で接客していたものの、段々に言葉数は少なくなり、精神的に疲れ切って平常心ではいられなくなってきてしまっていた。

私は接客業に携わると人間嫌いになってしまう。
できることなら、一人で黙々と作業をしていられるような仕事がいいなとつくづく思った。



4.2.13

恵方巻きってのがあったんだ...

日本の各種行事にめっぽう疎い私は、この歳になるまで「恵方巻き」なるものの存在を全く知らなかった。

その存在を知ったのは昨日。9年来の知人からのemailに節分の豆まきの話題とともに書かれていたのを見て、これは何ぞや?と辞書を引いてようやくわかったのだが... まず読み方がわからない。
コンピューターというのは全くもって便利なもので、コピー&ペーストで難無く調べることができたものの、まず「えほうまき」と読むことに少々違和感を感じ、更に、その呼び名については1998年にセブン・イレブンが商品名として採用したところから始まっているらしいというのを読んで、な〜んだ、昔からあったものじゃなかったんだと、一気に「恵方巻き」などどうでもよくなってしまった。

私は諸々の行事自体にも興味が無いが、各種行事に付け込んだ商売に振り回されるのもまっぴらご免だなと、尚更強く思った一日であった。


5.1.13

冒涜(ぼうとく)という言葉の意味を知っているか

Albert Camus はそれほど多くの作品を世に出したわけではなく、また、彼のものとされている出版物の中には本人の承諾無しに出版されてしまったものがいくつかある。



この『幸福な死』の『刊行者のことば』を最初に読まなかったら、私は自分の意に反して故人の尊厳を踏みにじり、この本を読んでしまうという罪を犯してしまったに違いない。



ここにその刊行者のことばを書き写しておく。


刊行者のことば
《Cahiers Albert Camus》の刊行は、この作家の家族ならびに刊行者によって決定された。それは数多くの研究者、学生、さらには広く一般に、彼の仕事と思想に関心を寄せるあらゆる人びとの要望に応えるためである。
 この刊行を始めるにあたって躊躇がないわけではない。自らに厳格であったアルベール・カミュは、なにひとつとして軽々しくは出版したことがなかった。それではなぜいまになって、放棄された小説、講演、彼が自分では『時事論集』に収録しなかった論文、記録、さらには反故までを、読者にゆだねようというのだろう?
 理由は簡単だ。一人の作家を愛していれば、あるいはその作家を徹底的に研究しようとすれば、人びとはしばしば彼についてのすべてを知りたがるものだ。カミュの未刊行作品を保持している人びとは、かかる正当な要望に応えなかったり、さらには、たとえば『幸福な死』や『旅行記』を読むことを切望している人びとにそれを許さぬことは、間違ったことであると考えている。
 研究の必要上、ときとしてはカミュの存命中から、まだあまり知られていなかったり発表されていなかった彼の青春時代の書きもの、あるいはより後期のテクストを探索していた研究者たちは、これらの作品を読むことによって、作家のイメージがよりその含蓄を増し、かつ豊かになるばかりであると信じている。
 《Cahiers Albert Camus》の刊行は、ジャン=クロード・ブリスヴィル、ロジェ・グルニエ、ロジェ・キヨ、ポール・ヴィアラネーにゆだねられている。
 《Cahiers》は、現在では知ることが困難な未発表作品やテクストの刊行だけに限られるものではない。それは、アルベール・カミュの業績に新しい光りを投げかけると考えられる諸研究をも収録することになるだろう。


故人の尊厳を傷つけることを正当化したこの見苦しい "言い訳" の中に、カミュへの深い愛情を感じる人がどれほどいるのだろうか?

カミュの厳格さについて知るには、本人と面識がなくとも『ペスト』を読むだけで充分であるし、作品を世に出すまでに至っていないと本人が評価を下した作品を、上記のような "作者以外の者たちの利益" のために利用するなどということが許されていいはずはないじゃないかと、私はこの "言い訳" を読んで非常に腹立たしく思った。

人一人の尊厳が、このようにまことしやかな口実をつけられて踏みにじられるということは、断固としてあってはならないことだ。

異論を唱える者がいたら、自分自身に問いかけてみるといい。
「自分が死んだ後、世に出したくなかった(他人に見られたくはなかった)自分に属するものが、遺族やら研究者やら自分を愛すると宣う者たちに寄って勝手に取り沙汰され、ああでもない、こうでもないと好き勝手に評価されもてあそばれるのを幸せだと思うか?」と。

これはカミュに対する冒涜であって、愛情などでは断じてない。


4.1.13

真夏なのに16℃

昨日の朝は15℃だったオークランド。今日も冬並みの寒さだ。数年前の元旦に雹が降ったのに比べればかなりマシだと言えるが、ようやく真夏(といっても、気温は25〜27℃前後)になったかと思っていたら急に冷え込むというのを繰り返しながら、毎年扇風機を2,3回(2,3日ではない)回す程度で終わってしまうというオークランドの夏...
ここに来てから熱帯夜を経験したのは1回しかなかったように記憶している。大概夜は涼しく、一年中同じ掛け布団で過ごせるのは非常に経済的でもあり、収納場所もいらないというのは嬉しい限りだ。

さて、昨日はブティックの仕事始めだったが、概ね静かな仕事始めだった。午前中勤務のパメラから仕事を引き継ぐ時、昨年暮れに店を物色に来た中国人の女性がまた現れたのを除けば...。

彼女はその近辺で売りに出されている物件を見て回っていると言っていたが、私は働き出したばかりで店のことについては何も知らず、何を聞かれてもお役には立てないと言っておいたが、何しろ英語があまりわからないようで、中国語で書いてくれた方がまだ理解し易いかも知れないと言っても、それさえも通じず...

その女性、パメラには自分は私の友達だと言い、昨日は一緒に来た連れに向かってパメラを友達だと紹介していた。パメラは苦笑いしていた。多分ちょっとした顔見知りに対しても『友達』という英単語しか思い浮かばないのだろう。或は、中国では顔見知りは全て友達と呼ばれているとか?

パメラが私に、「あなた、あの人たちが何を喋っているのかわかる?」と聞いてきたので、私は中国語は全くわからないと言うと、「マンダリンかしらね?」と更に聞かれ、「私にはマンダリンとカントニーズの区別もつかないよ」と笑って答えた。
中国人の友達は何人かいるのに、中国語については何も知らないというのは、その国に対して興味が無いという一語に尽きる。

まだ自分のものではない店に、何を買うわけでもないのに大きな顔をして入って来て、所有者に了解を得たわけではないのにメジャーを使ってサイズを測り始め、勝手に写真を撮りまくり、挙げ句の果てにはお客さんが入っている試着室のカーテンを無造作に開けてしまうというとんでもない行儀の悪さを披露してくれたその人たちに、パメラも私も心底腹を立て、お引き取り願いたいと言っても言葉がわからないのか笑っているだけで、始末に負えなかった。

私はパメラに言った。『世の中は金がものを言うんだ』と信じて疑わないような人は好きになれないと。
パメラは大きく頷いていた。

もちろん、中国に限らず、どこの国にも礼節をわきまえない人もいれば立派な行いをする人もいるのは重々承知しているが、この不景気な時代に他人の弱みを突いてのし上がろうという"元気のいい"国はそう多くはなく、中国がその内の一国である事は間違いのない事実であろうし、世界の市場に参入するのに相応しい知識を身につけている野心家ばかりではないのも事実であるように私は思った。

そのような行儀の悪い輩のおかげで、真っ当な中国人が十把一絡げに非難されるというのもこれまた気の毒なことである。





1.1.13

昔日の光景

年の瀬の風景を思い出していた。

いつでも忙しく動き回っている母が、殊更忙しく動き回る日...

その昔『臼屋』と呼ばれていた我家には、父が作ったそれはそれは形の美しい臼と杵があって、それは年に一度、お正月のお餅を搗く為にだけ出される以外は納屋にしまわれていた。

お正月を目前に控えた日の朝、家の外には簡易かまどが用意され、薪をくべ、母が前日の夜から浸けておいたもち米を蒸籠で蒸し始める。
「餅搗きだぞ〜」と叩き起こされた子供達は、寒いので火の周りに集まり、薪をくべるのを手伝う子あり、その周りで遊び始める子あり...

もち米の入った蒸籠から蒸気が出始め、いい香りがしてくると、まだかまだかという思いで気が急き始める。炊きあがったかどうかをみるのは母の役目だった。

用意された臼の中を水で湿らす。餅が臼にこびりつかないようにする為だ。
そして炊きあがったもち米を一気に臼に投入し、水で湿らせた杵でトントントンと搗き始めるのは父の仕事であった。
米粒が飛び散らないように、静かに搗き始める。そして、ある程度粘りが出てくると、今度は本格的に杵を振り上げ、リズムを取って搗く、ひっくり返すを繰り返す。もちろん、餅になりかけの米の塊をひっくり返すのは母の役目で、脇で見ている私達は、「わざとリズムを狂わせて手を打ったらたまらんだろうね」とかジョークを言い、母は「冗談じゃない!」と言いながら、搗いている父も、また母も大笑いしながらリズムを刻んでいた。

杵はかなりな重さがあり、二臼、三臼ほど搗くと体力を消耗してしまった父は、私の連合いにバトンタッチしたが、母はずっと介添え役に徹していた。
私はというと...、傍でずっと写真を撮っていた記憶しかない。

一臼搗き上がると、熱々の餅を木で作られた大きな薄い箱に伸ばして行く。箱には予め片栗粉を薄くひいてある。(その作業は私と姉の仕事だったような気がする)
そしてまた、次のもち米を蒸かし始める。

何臼か搗く内の一つは鏡餅用として、薄い木の箱の上で3種類ほどの大きさに丸める。できるだけ高くなるように丸めるのだが、熱い餅はすぐにダレてしまって、見る見るうちに平らになってきてしまう。だが、冷めて来た餅はもう一度丸め直すことはできず、買って来た鏡餅のようにこんもり仕上げることはできなかった。

また、搗いた餅の一部はその日の昼に食べる『おはぎ』となった。この搗き立ての餅は格別な美味しさで、丸々半日かかってようやくありつけたご褒美のようなものだった。
ちなみに、おはぎの餡を作るのもまた、母の仕事であった。


月日が経ち、私の連合いが餅を搗く風景はもう見られなくなり、私達はNZに引っ越してしまい、父や母は年老いて、もう餅搗きをするほどの体力は無くなってしまった。

それでも『臼屋』と言われていた私の実家から餅の姿は消える事なく、母は機械を使って今でもお正月のお餅を作っていると言う。

NZで餅つき機を手に入れる事などできない私は、まったく邪道ではあるが、一晩水に浸した韓国産もち米をフードプロセッサーにかけてドロドロにし、それを電子レンジにかけて餅を作るという方法で、やはり今でも元旦に食べるお雑煮を用意している。
味も食感も、杵つき餅に敵うはずもないが、気分だけはお雑煮を食べているという感じになれる。

夏のお正月。セミの声を聞きながら、熱いお雑煮を食べる私達は、やはり日本人だよなと思った。


目の中に焼き付いている昔日の光景は、ツヤのある美しい形の臼と、水を張った大きなブリキのバケツに入った杵、そして白い蒸気を出す蒸籠と釜、笑顔の家族...

もうその時代が戻って来る事はないのを心から寂しく思った、2013年の年明けであった。



25.12.12

キリスト教国でクリスマス・イヴを過ごす

一昨日の夜、愛車が突然動かなくなった。
同居人の知り合いの修理工場に預けて原因を調べてもらうと、エンジンが逝ってしまったとのことで、運悪くクリスマス・イヴの昨日は修理工場は半日営業したものの、その後はクリスマス休暇に突入...

ということで、1月3日過ぎまでは小さな小さな 2-seater convertible のみが我家の足になった。



昨日は朝から夕方までブティックの仕事が入っていたので、同居人に店までチッコイ車で送ってもらい、店の奥の真っ暗な炊事場にある電気のメインスイッチを入れると、私の名前が書かれたプレゼントとグリーティングカードが置かれていて驚いた。粋なことをするものである。


イヴにはおそらく客もそう来ないだろうと見積もって、頂き物の iPad mini を持参し、冷房の効いた店内で読書三昧を決め込もうと思っていたのだが、客はチラホラとやって来て、客が居なくなったかと思うと周りの店の店員さんたちが油を売りに来たり、友達から電話が来たりと、読書に耽れる環境ではなく、読んだのはたった3ページほどだった。



読書はできなかったものの、iPad mini は今日も良い仕事をしてくれて、私がステンドグラス職人だというのを聞きつけた近くの店の店員さんが、ぜひ家にステンドグラスの窓を入れたいとやって来てくれた時には、これまで作った作品を見せるのに非常に役立った。




iPad mini のいいところは、それでいかにも"営業しています"というサイズではなく、明らかに自分の楽しみ用に持っていますというサイズなのに、画面は適度に大きく、写真はとても綺麗で、iPhone に入れた写真などとは全くもって比較にならないほど迫力が有り、説得力もあるところだ。

ステンドグラスの製品は高すぎるので、手を出せる人ばかりではないというのを重々承知しているため、私は営業目的で写真を見せることはないが、「これまでどんな仕事をしてたの?」と聞いて来る人や、手作りが好きだという人がいると、言葉で説明してもわからない場合が多いので写真を見せ、そして驚かれる。
作業途中の写真などは、この仕事がいかに大変かを伝えるいい手段だ。恐ろしく時間がかかり、危険でもあり、とても安価には手に入らないというのが、ほんの少しはわかってもらえるようになる。(実際に作業してみると、説明されて想像したよりも遥かに大変な作業だということがわかるようになるというのは、これまで教えた生徒さん全てが口にした言葉である)


このサンタたちはステンドグラス用のフリーの型紙を利用して作ったもので、売り物ではなくお世話になっているお寿司屋さんの奥さんへのプレゼントに作ったものだったが、「こういうのって、作るのにどれくらい時間がかかるんですか?」と聞かれ、「丸2日(朝9時頃から夜7時過ぎまで)かかりました」と答えたらえらく恐縮されてしまった。
自分でデザインをすればもっともっと時間がかかったが、今回は楽をしてデザイン時間無しなので、その程度しか時間がかからず、私としてはいとも簡単な作業だったよと笑って答えたものの、こんな丁寧な仕事をしていたら生活費など稼げるわけないよなと再確認もしてしまった。

Shop assistant の仕事は言葉の心配さえ無ければ楽な仕事である。
たまに非常識な客も来たりはするが、それでも大方は気の良いおばちゃんたちで、別にすごく困るという事も無い。
自分で経営しているのでなければ、売り上げを気にする事も無く、いつものようにニコニコ応対しているだけで日本円にして時給¥1,000以上の報酬を得られるのだ。
自営業の期間が長かったので、例え売り上げが少なくても決まった報酬を得られる勤め人というのは、気が楽でいいなとつくづく思った。

昨日は、全く親しいわけではない筋向かいの美容院を経営する女性(ロシア人)が、何故だか私にと言ってチョコレートとカレンダーとボールペンをプレゼントしてくれたのも大きな驚きだった。

彼女の店の外を通る度に手を振って挨拶してるのが気に入られたのかな?(笑)

また、毎度の事であるが、初めて会った日本人の女性から「あなた、全然日本人らしくありませんね」と言われ、話を始めると、今度は「あなた、どちらの出身?東京?... とてもきれいな日本語を話されるから、東京の方かと思いました」とも言われた。

そう言われてパッと頭に浮かんだのは、まだ長男が小学生だった頃の事...
友達と一緒におもちゃ屋に行った時、やはり今の私と同じように「あなたは東京から来たの?」と自分だけ聞かれたらしい。

その長男は、私の実家に行くと、慣れない方言を駆使して喋ろうとするので、私達は聞いていてとても違和感を覚えるのだが(笑)、普通に喋ると今度は私の両親やら姉やらがひどくよそよそしく感じるだろうなとも思えるし、難しいところである(笑)



16.12.12

公園の駐車場にて

最近急激に出掛ける事が多くなり、少し社交的にはなってきたものの、今朝目覚めてひどく疲労感を覚え、今日はどこにも出ず一日ずっと家に居ることにしようと決めた。

ここセントラル・オークランドはここ数日気持ち良く晴れている。日中はもう半袖一枚で充分な暖かさとなった。

近くの公園に来る寿司キャラバンの一家とはもうすっかり友達になり、最近そこによくランチを買いに来る Christmas Tree を運ぶ青年とも顔見知りになってしまい、先日寿司作りの助っ人を頼まれた時に、その青年から「アンタ、今日はここで働いてるんだ!」と驚かれた。
少々ラテン系の顔立ちのように思えるその青年は、一日に何度か大きなトラックでその公園にやって来るようで、顔を見る度に手を振って挨拶をして行く。
Christmas Tree は一日に200本以上も売れることがあるらしく、「大きい木は1本$50.00ほどするから、1日に$10,000.00以上の売り上げですよ... すごいですね」と、寿司屋の人は驚いていた。(本日のレートでは、日本円にして70万円以上)
季節ものなので、このクリスマス前の数週間しか稼げないものの、この数週間で一年分を稼げるとしたら、こんなにいい商売はないなと、傍で見ていると思ってしまうが... 実際はどうなんだろう?

『隣りの芝生は青く見える』

楽な商売なんてそうそうあるものではない。
Christmas Tree を育てるのにはまず広大な土地が必要で、何百本も育てるのには時間もお金もかかり、木を切るのに人を雇い、運ぶのに大きなトラックが必要になり、ガソリン代もハンパじゃなくかかり、木をトラックに積み込む人&運ぶ人を雇い、売る人を数人雇い、販売する場所代を払いなどしていれば、あっという間に多額の経費が飛んで行ってしまうのだ。そう考えると、「いい商売かな??」と疑問符が幾つも付いてくるようになる。


友達は7年間続けたベーカリーを先月手放した。それも、信じられないほど安い価格で手放したのだ。よほど資金繰りに困っているとしか考えられない。
母体であるインポート・ビジネスに支障をきたさなければいいのだが...

奇遇にも、苺売りのマフムートはそのベーカリーの持ち主だった私の友と20年来の知り合いだということで、時々ベーカリーに買いにも行っていたそうだが、彼がベーカリーを閉めた事はその時まで知らず、話を聞いてとても驚いていた。
「母体のビジネスは上手くいってるの?」と、やはりマフムートも案じていた。

皆一生懸命に生きている。
その人の行き着く先は『死』なのか『楽園』なのかわからないが、取りあえず皆、『今』を精一杯生きているのだなと思った。



6.12.12

深夜 イカ刺しを楽しむ

つい最近、家から車で5分ほどの桟橋でイカが釣れるというのを知った同居人は、毎晩のようにイカ釣りに出掛けるようになった。

イカ釣り初心者なので、深夜に釣りを楽しむアジアンのおじさんたちの中に入って、どのようにすれば釣れるのかを毎夜観察し、ついに昨晩、中ぐらいの大きさのイカを釣り上げてきた。
昨晩はもう一人の同居人が不在だったため、2人で食べるんだったら1杯で充分だなと思った同居人は、これだけ釣って帰って来たのだ。(欲深くない性格(笑))


釣り上げてから30分程度しか経っていないイカは、透き通っていてとても綺麗だ。

同居人は塩水でイカを洗い、内蔵を取り除き、皮を剥ぎなどして、超新鮮なイカ刺しを作ってくれた。

ちなみに、私自身もイカを捌いた経験はあるものの、イカの目にはからっきし弱く、あのギョロッとした目を見た瞬間 「ギャ〜〜ッ!! 」と持っていたイカを放り投げた過去を持つので、それをよく覚えている同居人は、言わずもがな、自分が捌く義務があることを承知していて、釣って、捌いて、後片付けまでしてくれた。



NZは潮の臭いがほとんどしないためか、釣り上げたイカもほとんど臭わず、こんなに美味しいイカ刺しは生まれて初めてだなと感動ものだった。


深夜、これ以上ないというほど新鮮なイカ刺しを食べながら、「こういうの、最高の暮らし方だよね」と、しみじみと話していた。



2.12.12

友達のサタデー・マーケット

昨日午前中に、友達の奥さんからぜひ来てねと言われていたサタデー・マーケットに行って来た。
マーケットと言っても、友達がインポートした商品を事務所&倉庫の駐車場で売っているというだけで、あとは野菜や果物、パンやピザ、サモサなどを外の窯で焼いていたり、コーヒーを飲めたりするくらいの、ごく個人的なマーケットである。

友達はイスラエリ。8年来の喧嘩友達。
そして、サモサを作って来たのはパレスティニアン(パレスチナ人)とロシアンのカップルだった。
私はそのパレスティニアンとサモサが焼ける間少し話をしていたのだが、私が日本から来たとArabicで言うと、彼は、「アラブ人は日本人をとても尊敬しているんだよ」と話し始めた。
その理由はとてもシンプルで、「日本はアラブに対して戦争を起こさなかった国だから」という、ただそれだけのこと... しかし、ただそれだけのことが非常に重要だと思えるような環境で暮らして来た(また、今でも暮らしている)人々のことを考えると、な〜んだ、それだけのことかとは笑い飛ばせなくなる。

パレスティニアンの彼がどうしてイスラエリと仕事をしているのか...、
聞いてはみなかったが、おそらくかなりな葛藤があったに違いない。反対する人が居なかったとは考え難い。現に、この国でもイスラエルの製品をボイコットしようという運動があったり、テニスのトーナメントに出場するイスラエル人選手に向かって、拡声器まで使って罵声を浴びせ、出場を辞退させようと目論む輩も出て来たりするほど、イスラエルに関わる全てを憎む人たちが存在するのだから。

しかし、Quranに照らし合わせてみれば、このサモサを持って来たパレスティニアンの行為の方が正しいのだ。(Surat Fussilat 41:34)私はそう解釈している。


友達が開いたこじんまりしたマーケットの雰囲気は温かく、私にとっては悪くない場所であった。

またサモサを買いに行こう。



日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...