9.4.13

「日本人とは?---宛名のない手紙 --- 岸田 国士著」より抜粋

家のものが小豆をすこしほしいと言って近所の農家へ相談に行く。一升ぐらいならというので、それではと値段をたづねると、いくらでもいいと言う。しかし、いくらでもいい筈はないので、強いて言わせようとすると、ほかではどのくらいだろうかと逆に問うてくる。それから、先日町から来た衆が何十円とかならいくらでも買うと言ったが、そんなに高くとる気はないと言う。どうしても、これくらいとは言わぬので、その町から来た衆のつけた値を払う。けっきょく、いらぬというものを無理に受けとらされたかっこうがしたいのである。
「頭かくして尻かくさず」のこれほどぴったりした例はないのであるが、これもまた、われわれ日本人の痛ましいすがたである。


つくづく思うことは、われわれ日本人は、決して人並みの「人間らしさ」を持っていないわけではない。ただ、それがそのままのかたちで現れていないのである。それがそのままのかたちで現れることを阻む「何か」があるのである。その「何か」とはなんであろうか?
 前回の手紙で述べた「悲しき習性」ということにも関係がある。つまり、「自己中心」の物の考え方である。同情とかいうようなものさえ、自分本位の感情を出ないからである。従ってそういう感情のおおやけの表示が、どんな反響を呼ぶかということ、自分がその結果どんな立場に立つかということしか考えないのである。一対一の対決を余儀なくされた場合の利不利を直感するからである。結局、事面倒になるおそれのあることは差控えるくせがついてしまっているのである。「さわらぬ神に祟りなし」である。


ところで、これは、煎じつめれば、必ずしも個人の罪ではなく、お互がそういう習性を身につけるに至った原因が、やはり、そういう性格の「周囲」にあるのであって、よほど運がよくなければ、個人の正しい考えや行動が、「周囲」の支持を公然受けることはむづかしいという実情をわれわれは身に沁みて知っている。いつかそれが自然の身構えになっていることは、誰よりもわれわれ自身がよく心得ているのである。

言わば、直接個人の利害に係ること以外、まったく無関心とも見える周囲の眼を感じながら、われわれは自分の行動を律しなければならぬ時がある。それと同時に、人々の注意をひくということの意味が、われわれの間では、不自然に誇張されている。つまらぬことで人の眼をみはらせようとするものがあるかと思えば、別に恥ずべきいわれもないのに、むやみに人の間で目立つことをおそれるものもいるのである。そして、いづれもその極端なものは、人間の「人間らしい」すがたを失っているのである。


・・・・不幸にして、われわれの祖先は、道徳的にも驚くべき形式主義者であった。秩序を保つための形式が、成長を遂げるべき本来の精神を扼殺(やくさつ)したのである。


要するに、われわれの周囲を取り巻くものは、それぞれに「一個の人間」であるのに、われわれには、その「人間」という実体がぴんと来ず、それらは、なるほど「人間」の仲間かも知れぬが、むしろそんなことよりも、肩書であり、商売であり、旧知であり、未知で有り、時には好感がもてるもてないであり、更に肉身であり、恩人であり、仇敵であり、競争相手であり、泥棒であり、馬の骨であり、女ならば、人妻か処女か、素人かくろうとか、(この言葉に注意せよ)それが一切である。

かかる対人意識は、表面的には、それで別に差支えないと思われるかも知れぬが、人間同士の接触がこれですべてをすましているという現象は、決して他の国にはみられぬものだと私はひそかに考える。
この由々しいことが、どうして今日まで問題として取り上げられなかったであろう? それが封建的、非民主的な所以だと言ってしまえばそれまでであるが、決してそれだけでは問題の核心にふれてはいない。なぜなら、封建制を批判し、民主主義を唱えた多くの日本人が、やはり、かかる対人関係をもち、自ら省みるところがまだまだ足りなかったように思われるからである。
日本人の不幸の多くと、日本の社会の病弊のほとんどすべては、この、われわれの対人間意識の「不健全」に基くと言い切ることはできないであろうか? 私は、そのことをますます強く信じるようになった。


・・・それはわが戦国時代の歴史に材をとったある注目すべき映画の一場面である。
主人公である一武士が敵手に捕えられ、取調のため縄付きのまま白洲に引き立てられて来たところである。彼は、まず水を飲ませてくれと申出る。許されて、番卒が柄杓で差出す水に口を当てて飲む。いく口か飲んで、ほっとする途端、番卒は、柄杓に残った水を、この捕虜たる武士の面上にぴしゃりとひっかけるのである。まことに無造作なひとつの科である。ああ、なんという描写! なんという写実主義!
 私はこの場面だけで、この映画を再び見る気はしないのである。
 なぜなら、それがなんということなしに、その番卒の特別な役柄という風にはとれないからである。つまり、劇中の一人物の効果的な所作という解釈はできず、日本の下級武士は、抵抗力を失った故に対し、日常茶飯事の如くこういう取扱いをしていたのだ、という印象しか与えぬからである。が、それだけならまだいい。私がその時感じた不快感を率直に述べるなら、今の時代にもわれわれの同胞のなかに、この類いの人間はざらにいるのだ、という証拠を見せつけられるようであった。しかも、何よりも心淋しく思うのは、作家も俳優も、そこまでのことは気がついていないらしいということである。
 私は断言するーーこの映画を一外国人に見せたとする。この場面が必ず与える衝撃は、彼にとってどんな残忍な描写にも劣らず「胸糞のわるい」ものに違いない。しかも、これが日本人だという事情を決して見逃さぬであろう。それは、悪魔の行状ではもとよりない。最も卑小な人間の最もけちくさい快楽の表現である。半身は機械、半身は獣とみられるかの奴隷の舌なめずりである。
 これは、拷問や虐殺の非人間的なるより以上に、救いようもなく非人間的である。


この映画は、たまたま私の記憶に深くとどめられたものであるが、日本の数多くの映画や芝居や、その他の演芸、読物などについて注意するがよい。作者がことさら悪玉乃至は冷ややかな世間の代表として描きだしている人物にしても、その悪玉ぶり、世間の代表ぶりが、実に日本独特のものであり、一方の善玉の美挙快挙にもかかわらず、これを善玉たらしめるわれわれの社会の底知れぬ「いやらしさ」「日本人の軽薄な非人間的一面」を、作者の意図とは関係なく、おのづから告白するために登場したかたちになっていること、常にまったく型の如くである。時に善玉といえども、油断がならぬ。


日本人は「話せばわかる相手」だと、日本人自身は考えているらしい。それは同胞意識が強いためか、人間として「ものわかりがいい」という自慢なのか、私には、どうもよくその意味がわからないのである。おそらく、それは、「泣き落しが利く」というような場合が多いこと、「わかってもわからなくても、ともかく一応わかったことにしておく」という礼節がひろく行われていることを、自分本位に都合よく言いかえた言葉ではないかと思う。
「話せばわかる」ということは、なるほど、「話してもわからない」よりは有り難いに違いないが、私の観察によると、「話せばわかる」という意味の裏に、「話さないとわからない」絶望感のようなものが含まれていそうに思われてしかたがない。


「こういうつもりだった」ーー「いやそういうつもりではなかった」というような言葉のやりとりは、われわれの耳には、もう馴れっこになっている。これほど、相手を、そして同時に、自分を馬鹿にした話はない。
 契約は双方の利益と立場とを、双方がはっきり認め合い、完全な合意の上で、第三者にも対抗し得る共同の権利と義務とをひと通り成文化したものでなければならない。
 ところが、この契約の精神がいまだに理解されず、或は、故ら理解しようとせず、うやむやにしておく方がなにか相手を信用したことになりそうな気がし、ことに一方は、契約によって拘束を受けることのみをおそれ、他方は、強いて恬淡(てんたん)を装うことをもって得策と考え、えてして契約書というものは無用視されている現状である。
 しかも、たまたま契約書を取り交わす段になり、多くは企業者側で用意している印刷の契約書なるものを見ると、まづ型の如き法律的用語をもって双方の権利と義務とを箇条書にしてあるのはよいとして、その全文にわたり、注意して読めば読むほど、企業者としては当然の義務を掲げているに過ぎないのに、協力者側に対しては、著しい権利の譲渡を迫っているものが少なくない。もちろん、草案であるから、企業者側の希望的条件とみなければならぬが、それにしても、そんな虫のいい条件を協力者に黙って承諾させようと思っている腹が私には呑み込めないのである。
 そこには、なにか、企業者というものの、ややもすれば横暴な性格が顔を出し、若干の例外を除いての協力者の弱点につけ入る非人間的態度を見逃し得ない。・・・


 すべて契約を盾にとるのはよろしい。契約とはそうあるべきものだからである。しかし、契約がないのを楯にとって自己の立場を不当に有利ならしめようとはかるのは、人間のさもしさである。契約がないということは、特別な契約以上に、「人間」の本性と社会の常識とに従って事を運ぶ暗黙の理解があったとみなければならぬからである。
 契約が無いことを楯にとって恬然としているくらい、「人間」のずるさをむきだしにしたものはない、と私は思う。
 それは、法律を防御的にでなく、攻撃の武器として使う高利貸や悪質官吏に似ている。こういう人物が横行する社会を「不気味な社会」というのである。


 歪められた「対人意識」が瞬間俟々々に顔をのぞかせるわれわれ日本人の社会生活を、なににたとえたらいいか? 重ねて言うけれども、ただその部分だけをじっと見つめていると、私は、自分もそこに生い育ったのだという事実をはっきり感じながら、なんとしても「お化けの国」に住んでいるような心細い幻覚にとらわれるのである。


7.4.13

面白いほど膨らむピタパン

これまではスーパーマーケットで袋入りのピタパンを買っていたのだが、Pizza Maker なるものを手に入れた為、これからは家でピタパンを焼くことにした。


私のパン作りは、手で捏ねるという作業をフードプロセッサーで行うため、あっという間に一次醗酵に入る。


一次醗酵にはプラスティックのコンテナを使っている。もしその日の内に一次醗酵を終えたパン生地を使わない場合は、コンテナに入れたまま冷蔵庫に放り込んでおくことができるので、非常に便利だ。冷蔵したパン生地は2週間はもつので、沢山仕込んでおけば、好きな時に一次醗酵済みのパン生地を「 成型〜二次醗酵〜焼く」ことができ、割と手軽にパン作りに取りかかることができるのではないだろうか。


これは初回に作ったピタパンだが、100%全粒粉である。別に取り立てて健康志向というわけではなく、ただ単に、初めてピザ用オーブンを使って焼くので、失敗しても惜しくない粉を使ったというだけだったのだが...。 そう、全粒小麦粉が使うアテもなく残っていたのである。 ちなみに我家では、全粒粉のピタパンは不評で、普通の小麦粉で作ったものは焼けるハシから無くなっていくほど好評だった。

*材料
・全粒小麦粉(または普通の小麦粉)500g
・粒子の細かい塩 10g
・インスタント・イースト 小匙1杯
・水 1 1/4 カップ
・植物油 大匙1杯

(*小麦粉は、プロテイン含有量が 8〜12%のものが適しているらしい)

*作り方
1. 材料を混ぜて捏ね、3時間半〜4時間ほど常温で醗酵させる。
2. 一次醗酵を終えたパン生地を、軽く打ち粉をした作業台の上で12等分し(大きく作りたければ数はそれよりも少なく、小さく作りたければそれよりも多くしても一向に差支えない)、ボール状に丸める。→ 表面が乾かないように、布やサランラップ等で覆って10分間放置。
3. 一つずつ伸し棒で薄く伸ばしていく。→ 12等分した場合の直系は約18cm, 3mm厚くらいを目安に。
 (伸ばした生地も表面が乾かないよう、布/サランラップ等で覆っておく)
4. 平らに伸ばした生地は5分ほど休ませてから、260℃に温めたピザ用オーブンで3〜5分焼く。

ぷく〜っと膨らんだら焼き上がりだと思っていい。

通常、パンは焼き上がったら常温で充分冷ましてから切ることとされているが、このパンは焼きたてを食べるのが一番である。
余ったらビニール袋に入れて冷凍保存し、トースターでこんがり焼いて食べるのも美味しい。(本場イスラエル人はこんがり焼いたりしないようだが(笑)、日本人には焼いたお餅を想像させる味で、なかなか美味しいのである)



さて、最後になったが、私が使っている、ピタパンを焼くのに非常に適しているピザ・メーカーのデモ・ビデオを見つけたので、(会社の回し者ではないけれども)、ここに載せておくことにした。



22.3.13

@ my studio

今日、スタジオで仕事をし始めるとすぐに頭がクラクラし、気分が悪くなったので、しばらく休憩室のソファで横になっていた。

開け放した入り口のドアの向こうには、ハーブガーデンの生い茂ってしまったパイナップルセージの赤い花が見え、やせた梅の木が見え、かすかに水色の空が見えていた。

もしかしてこのまま逝ってしまうかもしれない...、そんな思いが頭をよぎった。
そこで、持っていたiPhoneで『最後に私が見ていた風景』になるかもしれない写真を、横になったまま撮っておいた。

撮った写真を確認すると、外が明る過ぎて色がとんでしまっていた。何枚か撮り直してみたものの、何度やっても同じように太陽の光りで屋外が白とびしてしまうばかりで、「今見ている風景」にはならなかった。

しばらくiPhoneと格闘している内に、頭のクラクラは治まり、起きて仕事ができるようになった。

これは、『最後の一枚』になりそびれた写真。



13.3.13

A message from Korea

韓国に居る友達からfacebookにメッセージが届いた。

「友達」と言っても年齢が親子ほども違うのだが、NZに来て初めて入った語学学校でのクラスメイトで、その時彼はソウル大学に在籍する学生だった。

彼はとても気だてがよく、すこぶる行儀のいい青年で、頭脳明晰であるのをひけらかすこともなく、終始笑顔を絶やすことがなかったが、ある日年下の韓国人の男の子が、私に「ハーイ○○!」と呼び捨てで名前を呼び挨拶したことに対して、「無礼なヤツだ」と本気で怒ったことがあった。
韓国は日本以上に年齢差というものを重要視するようで、年上の私に向かって呼び捨てというのは彼にとっては許されざることだったのだろう。とは言っても、ここはNZ。社長に対してだろうが先生に対してだろうが呼び捨てが当たり前の国なのだから、私は呼び捨てでいっこうに構わないし、○○-sang (○○さん)と呼ぶ必要はないよと私は彼の怒りを笑い飛ばした。

同じクラスで丸一日中時間をともにしていても全く親しくならない人というのがいて、顔は思い出せても名前は覚えていないというのはまだマシな方で、顔すら覚えていない人も実際沢山いたのだが、彼は仲の良いクラスメイトの中の一人だったので、語学学校を去った後も折りに触れてemailで連絡を取り合っていた。
近年はfacebookがemailの代わりとなり、相手の投稿を見て近況を知り、そこにコメントを残したりして繋がっているような気になり、そして、ついにはメッセージもemailではなくfacebookを介して伝えられるようになった。

「ハーイ、○○ sang」... (相変わらず行儀がいい)

彼は大学卒業後映画製作会社に就職し、VFX (Visual effects) 製作の仕事をしている。仕事場はシンガポールであったり、オーストラリアであったりと、忙しく飛び回っていて、多国籍なメンバーとともに生き生きと生活しているのがよくわかるが、かなりなハードワークだというのも同時に伝わってくる。
彼の以前関わった仕事に The Forbidden Kingdom という映画があった。就職して最初の大きな仕事だったのだろう、彼は自分の仕上げた作品をemailに添付して送ってくれたので、映画を観てその場面が映るのを今か今かと画面に釘付けになって観たものだ。そして、エンドロールに彼の名前を見つけて、自分の子供のことのように喜んでしまったよとemailを送ると、エンドロールまで見てくれたんだと、かえって恐縮されてしまったこともあった。

そんな息子のような彼からfacebook経由で届いたメッセージには、彼の弟さんがNZで永住権を取り、ご両親を呼び寄せることにしたので、ご両親は今年5月にはこちらに引っ越してくることになることや、自分もできればNZの映画会社で働き、移住してきたいという希望がある事などが書かれていて、またこちらに来ることが決まったら必ず連絡するから、ぜひ会って話をしようねと書き添えられていた。
そして、引き続きfacebookで人生をシェアしたいと書いてくれてあった。「こんなおばさんと?何で?」とかなり疑問ではあるが、短い期間ではあっても一応クラスメイトだったんだもんなと、気を取り直し、放置状態だったfacebookに時々は何かをupしなくちゃなと思った次第である。




ところでダニエル、
facebookにupしたこのレモン バター クリームを挟んだバター クッキーだけどさ、サクサクでイケルじゃん!と思って、続けてもう一つ食べると何か微妙に気持ち悪くなるんだよ(笑)

一言で言うと、「くどいクッキー」ってとこかな。



2.3.13

生きている意味

数日前、苺とチェリーを買いに行った折り、マフムートに「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」... と言うと、彼は「なんだい?」と、とても穏やかな笑顔でこちらを見ていた。

「ねぇ、マフムート、アラーがあなたに約束したパラダイスは本当に来るって信じてる?」

突拍子もない質問にもかかわらず、彼は満面の笑顔で答えてくれた。

「もちろんだよ。その希望がなかったら生きている意味がないだろ?」

その言葉を受けて、その通りだと思っているのが彼にわかるように、私は大きく頷いた。そして次に私の口から出た言葉は、「私はもう既に地獄に居るのよ。それにこの先も楽園に入れる見込みはないんだよね、私イスラム教徒じゃないからさ」というものだった。

マフムートは胸を数回軽くたたく仕草をし、「そんなことはない。ここ(心/heart)がきれいな人は皆楽園に行けるに決まってる」と言った。

ほぼ同じ年月を生きて来た者同士の真面目な会話だった。

私は「ありがとう」と笑顔で彼に挨拶して帰る道すがら、(でもね、コーランにはアラーの名を唱える者、アラーに従う者だけが楽園に行けるって書いてあるのよ... だから、私はもう既に地獄に居るって感じてるのに、この上もっとひどい地獄行きが待っているだけだって考えるのが順当だと思うよ)と心の中でつぶやいていた。



キリスト教でもやはり、聖書に書かれていることに従う者にだけ楽園行きが約束されている。
私は聖書を熱心に勉強している人にもこの冒頭の同じ質問をしたことがあるが、答えの根幹をなすものはマフムートと同じであったものの、こちらは、心がきれいでありさえすれば誰でも楽園に行けるというわけではなく、神の御意志を行う者のみが楽園を享受できると、厳格な姿勢を崩さなかった。それ故に、もう一度聖書の勉強に戻るようにと、私を見限る/見捨てることなく、度々手を差し伸べに来てくれているのである。

おそらく、コーランを熱心に勉強した人であれば、やはりアラーの御意志に適う者のみが是認されると言うことだろうし、私が興味を示したならば真摯に諭そうともしてくれることだろうが... 

厳格さが人を癒すかといえば、そうばかりでもないと今は思うようになってきた。どうしようもなく落ち込んでしまった人間には、ゆるい基準というのは一時的にでも救いになるものなのだ。例えそれではダメだろうと頭で理解していてもだ。


とにもかくにも、私はそのどちらの宗教にも属さず、属そうとも思わないから、やはり地獄行きだなと思った次第である。

もし仮に、私達の触れ得る宗教というものが真実に神の意志を伝えているものであったならの話だが...

26.2.13

客商売 その2

昨日、つい先頃までいっしょに働いていた(といっても、たった2ヶ月間だったが)パメラから電話が来た。
「あなた知ってるかしら、私達が居た店の向い側の店でアシスタントを募集してるのよ。もしまだ次の仕事が見つかっていないようだったら、この仕事はあなたにピッタリだと思うんだけど、興味ない?」と...

私はその店のオーナーともスタッフとも8年来の知り合いで、オーナーがどんな人材を必要としているのかをよく知っているので、パソコンのスキルに関しては問題無いだろうけれども、接客、ことにエクセレントな英語を喋れるかということについては、残念ながら私はまったく自信が無いとパメラに伝え、私なんかよりもパメラの方がずっとその仕事に向いていると思うと付け加えた。
しかし... しかしだ。あの人間的にとてもできたオーナーは、どういうわけだか若いネイティブしか雇う気が無いというのも、私はよく知っている。

高級品を扱う店であるのに、いかにも『今どきの若い女の子』という感じの子を雇うというのはいかがなものかと、私などは慰問に思ってしまうのだが、あのすこぶる頭のキレるオーナーがあえてそうしているということは、おそらく品格のある年配の店員よりも、キャピキャピした若い女の子を"客が"欲しているということなのだろうなと、ついつい邪推してしまった。

日本のように、『若い子だったら安くこき使える』というような考えではないことは、給料の額から容易に理解できる。店員の仕事にしたら出し過ぎでしょうと思われるほどの給料なのだ。

ある程度のお金持ちが客層であることを考えると、そのお金持ちの(特に男性)を喜ばせるのに必要なのは、薹が立ったようなおばさんではなく、若くて見栄えのいい子ということになるのだろうなと、そんなことを考えてしまった。

一般的に、商品を売るのに何の技術がいるわけでもなく、ふさわしい品格も必要ではなく、ただ若くて綺麗なだけでいいというのは、まぁ客商売を営む側からすれば、御託をこねる年増のスタッフよりも確かに使い易く、気楽であるというのはわかるが、果たして、そういう基準で選ばれた方は嬉しいのだろうか? 「あなたの頭の中身はまったく問題じゃないから安心してね」と言われているようなものだぞ...

幸いにも、前述のオーナーは理想が高く、若くて見栄えがいいだけでは満足せず、頭の回転も早いことを選考基準としているようで、その点に関しては私の彼に対する認識を大きく覆すものではなかったが、それにしても、やはり、扱っている商品に対して店員が若過ぎるのではないかという違和感は依然として私の中に残っている。


さて、電話をくれたパメラだが、彼女はいまだに、働いていた店のオーナーだった人からホリデイ・ペイ(休日出勤分の割り増し賃金)を受けとっていないようで、こんなにラチがあかないと労働調停に持って行かざるを得なくなるかも知れないと嘆いていた。
難儀なことである。

パメラ自身も次の仕事を探している身であるのに、いつも私のことを気にかけてくれていて、事ある毎に声を掛けてくれる。本当に心の温かな良い人である。
働きに出た一番の収穫は彼女と知り合いになれたことだったなと、つくづく思った。



20.2.13

客商売

昨年11月後半から始まったブティック勤めは、たった2ヶ月で幕を閉じた。

店のオープン当初から働いていたパメラでさえ、閉店に関することはオーナーから何も話を聞いておらず、毎日のように店を物色に来ていた中国人バイヤーが「ここを買うことに決まったら、2月から商売を始める」と言っていたことを、別のスタッフがオーナーに「どうなっているんだ?」と問いつめたことが発端となって、遅ればせながらのオーナーからの閉店宣言と相成ったわけなのだが、先月第2週目には1月末をもって閉店と言っていたのが、第3週目に入ると突然第4週目終了時に閉店すると予定を変更... スタッフはそれに伴って全員解雇というお粗末極まりない結果となった。

お粗末なのは経営者の技量である。
労働法も何も理解しておらず、経営の「け」の字も知らなかったような英国出身のタレントは、英語が読めなかったわけでもあるまいし、弁護士やら税理士なども当然雇っていたであろうに、法的なことは何一つ承知しておらず、英語が母国語ではないイラン人スタッフやら日本人スタッフ(私)から労働法に違反していると指摘され、反論する余地がなかったのである。

私はお世辞にも客商売に向いているとは言えない性格なので、あの仕事に関しては全く執着も無く、長く続けていたら間違いなく対人関係に支障をきたすようになっていたであろうと思うと、まぁ、ちょうどいい具合に無くなってくれたという状況であったのだが...、他のスタッフのことを考えると手放しで喜んでも居れず、私が知りうる限りの労働法と照らし合わせて、他のスタッフが不当な扱いをされないように情報を提供して終わりとしてきた。


ブティックの仕事を終了し、その後は友人からの頼まれ仕事(グラフィックデザイン)をしていたが、これは仕事というより奉仕だ。報酬は挽きたてのイタリアン&アラビックコーヒーと、瓶詰めのきゅうりのピクルス、それにイスラエルのケーキ。別に何も要らなかったのだが、持って行けというので有り難く頂いてきた。
デザイン関係の仕事は性に合っているのだが、この友人は忙し過ぎるからなのか時々自分で言ったことを覚えていないことがあり、「ここは変えてくれって言ったのに変わっていないじゃないか」と言うので、「そこはそのままでいいと言ったじゃないか。それに、なぜ変える必要があるんだ?」と反論したりなどして、私の意見を通した形になった(笑)
こんなコロコロ意見の変わる人の元でなんて、とてもじゃないが働けない。根はいいヤツなんだが...


単発で寿司屋の手伝いもしたが、寿司を巻くのは何のストレスもなくできるのに、接客は本当に嫌だと思った。
1パック(4個入り)幾らと表示して売られている巻き寿司を、1パックくれという客も居るんだということにも驚いたし、何を買うわけでもないのに、自分が家から持ってきたお弁当を店に備え付けてある電子レンジであたためてくれと要求しに来る輩も居るんだというのを聞いて、何だかゲンナリしてしまったりしながら、それでも引き受けたからにはお終いまでやらなくちゃと頑張って笑顔で接客していたものの、段々に言葉数は少なくなり、精神的に疲れ切って平常心ではいられなくなってきてしまっていた。

私は接客業に携わると人間嫌いになってしまう。
できることなら、一人で黙々と作業をしていられるような仕事がいいなとつくづく思った。



4.2.13

恵方巻きってのがあったんだ...

日本の各種行事にめっぽう疎い私は、この歳になるまで「恵方巻き」なるものの存在を全く知らなかった。

その存在を知ったのは昨日。9年来の知人からのemailに節分の豆まきの話題とともに書かれていたのを見て、これは何ぞや?と辞書を引いてようやくわかったのだが... まず読み方がわからない。
コンピューターというのは全くもって便利なもので、コピー&ペーストで難無く調べることができたものの、まず「えほうまき」と読むことに少々違和感を感じ、更に、その呼び名については1998年にセブン・イレブンが商品名として採用したところから始まっているらしいというのを読んで、な〜んだ、昔からあったものじゃなかったんだと、一気に「恵方巻き」などどうでもよくなってしまった。

私は諸々の行事自体にも興味が無いが、各種行事に付け込んだ商売に振り回されるのもまっぴらご免だなと、尚更強く思った一日であった。


5.1.13

冒涜(ぼうとく)という言葉の意味を知っているか

Albert Camus はそれほど多くの作品を世に出したわけではなく、また、彼のものとされている出版物の中には本人の承諾無しに出版されてしまったものがいくつかある。



この『幸福な死』の『刊行者のことば』を最初に読まなかったら、私は自分の意に反して故人の尊厳を踏みにじり、この本を読んでしまうという罪を犯してしまったに違いない。



ここにその刊行者のことばを書き写しておく。


刊行者のことば
《Cahiers Albert Camus》の刊行は、この作家の家族ならびに刊行者によって決定された。それは数多くの研究者、学生、さらには広く一般に、彼の仕事と思想に関心を寄せるあらゆる人びとの要望に応えるためである。
 この刊行を始めるにあたって躊躇がないわけではない。自らに厳格であったアルベール・カミュは、なにひとつとして軽々しくは出版したことがなかった。それではなぜいまになって、放棄された小説、講演、彼が自分では『時事論集』に収録しなかった論文、記録、さらには反故までを、読者にゆだねようというのだろう?
 理由は簡単だ。一人の作家を愛していれば、あるいはその作家を徹底的に研究しようとすれば、人びとはしばしば彼についてのすべてを知りたがるものだ。カミュの未刊行作品を保持している人びとは、かかる正当な要望に応えなかったり、さらには、たとえば『幸福な死』や『旅行記』を読むことを切望している人びとにそれを許さぬことは、間違ったことであると考えている。
 研究の必要上、ときとしてはカミュの存命中から、まだあまり知られていなかったり発表されていなかった彼の青春時代の書きもの、あるいはより後期のテクストを探索していた研究者たちは、これらの作品を読むことによって、作家のイメージがよりその含蓄を増し、かつ豊かになるばかりであると信じている。
 《Cahiers Albert Camus》の刊行は、ジャン=クロード・ブリスヴィル、ロジェ・グルニエ、ロジェ・キヨ、ポール・ヴィアラネーにゆだねられている。
 《Cahiers》は、現在では知ることが困難な未発表作品やテクストの刊行だけに限られるものではない。それは、アルベール・カミュの業績に新しい光りを投げかけると考えられる諸研究をも収録することになるだろう。


故人の尊厳を傷つけることを正当化したこの見苦しい "言い訳" の中に、カミュへの深い愛情を感じる人がどれほどいるのだろうか?

カミュの厳格さについて知るには、本人と面識がなくとも『ペスト』を読むだけで充分であるし、作品を世に出すまでに至っていないと本人が評価を下した作品を、上記のような "作者以外の者たちの利益" のために利用するなどということが許されていいはずはないじゃないかと、私はこの "言い訳" を読んで非常に腹立たしく思った。

人一人の尊厳が、このようにまことしやかな口実をつけられて踏みにじられるということは、断固としてあってはならないことだ。

異論を唱える者がいたら、自分自身に問いかけてみるといい。
「自分が死んだ後、世に出したくなかった(他人に見られたくはなかった)自分に属するものが、遺族やら研究者やら自分を愛すると宣う者たちに寄って勝手に取り沙汰され、ああでもない、こうでもないと好き勝手に評価されもてあそばれるのを幸せだと思うか?」と。

これはカミュに対する冒涜であって、愛情などでは断じてない。


4.1.13

真夏なのに16℃

昨日の朝は15℃だったオークランド。今日も冬並みの寒さだ。数年前の元旦に雹が降ったのに比べればかなりマシだと言えるが、ようやく真夏(といっても、気温は25〜27℃前後)になったかと思っていたら急に冷え込むというのを繰り返しながら、毎年扇風機を2,3回(2,3日ではない)回す程度で終わってしまうというオークランドの夏...
ここに来てから熱帯夜を経験したのは1回しかなかったように記憶している。大概夜は涼しく、一年中同じ掛け布団で過ごせるのは非常に経済的でもあり、収納場所もいらないというのは嬉しい限りだ。

さて、昨日はブティックの仕事始めだったが、概ね静かな仕事始めだった。午前中勤務のパメラから仕事を引き継ぐ時、昨年暮れに店を物色に来た中国人の女性がまた現れたのを除けば...。

彼女はその近辺で売りに出されている物件を見て回っていると言っていたが、私は働き出したばかりで店のことについては何も知らず、何を聞かれてもお役には立てないと言っておいたが、何しろ英語があまりわからないようで、中国語で書いてくれた方がまだ理解し易いかも知れないと言っても、それさえも通じず...

その女性、パメラには自分は私の友達だと言い、昨日は一緒に来た連れに向かってパメラを友達だと紹介していた。パメラは苦笑いしていた。多分ちょっとした顔見知りに対しても『友達』という英単語しか思い浮かばないのだろう。或は、中国では顔見知りは全て友達と呼ばれているとか?

パメラが私に、「あなた、あの人たちが何を喋っているのかわかる?」と聞いてきたので、私は中国語は全くわからないと言うと、「マンダリンかしらね?」と更に聞かれ、「私にはマンダリンとカントニーズの区別もつかないよ」と笑って答えた。
中国人の友達は何人かいるのに、中国語については何も知らないというのは、その国に対して興味が無いという一語に尽きる。

まだ自分のものではない店に、何を買うわけでもないのに大きな顔をして入って来て、所有者に了解を得たわけではないのにメジャーを使ってサイズを測り始め、勝手に写真を撮りまくり、挙げ句の果てにはお客さんが入っている試着室のカーテンを無造作に開けてしまうというとんでもない行儀の悪さを披露してくれたその人たちに、パメラも私も心底腹を立て、お引き取り願いたいと言っても言葉がわからないのか笑っているだけで、始末に負えなかった。

私はパメラに言った。『世の中は金がものを言うんだ』と信じて疑わないような人は好きになれないと。
パメラは大きく頷いていた。

もちろん、中国に限らず、どこの国にも礼節をわきまえない人もいれば立派な行いをする人もいるのは重々承知しているが、この不景気な時代に他人の弱みを突いてのし上がろうという"元気のいい"国はそう多くはなく、中国がその内の一国である事は間違いのない事実であろうし、世界の市場に参入するのに相応しい知識を身につけている野心家ばかりではないのも事実であるように私は思った。

そのような行儀の悪い輩のおかげで、真っ当な中国人が十把一絡げに非難されるというのもこれまた気の毒なことである。





1.1.13

昔日の光景

年の瀬の風景を思い出していた。

いつでも忙しく動き回っている母が、殊更忙しく動き回る日...

その昔『臼屋』と呼ばれていた我家には、父が作ったそれはそれは形の美しい臼と杵があって、それは年に一度、お正月のお餅を搗く為にだけ出される以外は納屋にしまわれていた。

お正月を目前に控えた日の朝、家の外には簡易かまどが用意され、薪をくべ、母が前日の夜から浸けておいたもち米を蒸籠で蒸し始める。
「餅搗きだぞ〜」と叩き起こされた子供達は、寒いので火の周りに集まり、薪をくべるのを手伝う子あり、その周りで遊び始める子あり...

もち米の入った蒸籠から蒸気が出始め、いい香りがしてくると、まだかまだかという思いで気が急き始める。炊きあがったかどうかをみるのは母の役目だった。

用意された臼の中を水で湿らす。餅が臼にこびりつかないようにする為だ。
そして炊きあがったもち米を一気に臼に投入し、水で湿らせた杵でトントントンと搗き始めるのは父の仕事であった。
米粒が飛び散らないように、静かに搗き始める。そして、ある程度粘りが出てくると、今度は本格的に杵を振り上げ、リズムを取って搗く、ひっくり返すを繰り返す。もちろん、餅になりかけの米の塊をひっくり返すのは母の役目で、脇で見ている私達は、「わざとリズムを狂わせて手を打ったらたまらんだろうね」とかジョークを言い、母は「冗談じゃない!」と言いながら、搗いている父も、また母も大笑いしながらリズムを刻んでいた。

杵はかなりな重さがあり、二臼、三臼ほど搗くと体力を消耗してしまった父は、私の連合いにバトンタッチしたが、母はずっと介添え役に徹していた。
私はというと...、傍でずっと写真を撮っていた記憶しかない。

一臼搗き上がると、熱々の餅を木で作られた大きな薄い箱に伸ばして行く。箱には予め片栗粉を薄くひいてある。(その作業は私と姉の仕事だったような気がする)
そしてまた、次のもち米を蒸かし始める。

何臼か搗く内の一つは鏡餅用として、薄い木の箱の上で3種類ほどの大きさに丸める。できるだけ高くなるように丸めるのだが、熱い餅はすぐにダレてしまって、見る見るうちに平らになってきてしまう。だが、冷めて来た餅はもう一度丸め直すことはできず、買って来た鏡餅のようにこんもり仕上げることはできなかった。

また、搗いた餅の一部はその日の昼に食べる『おはぎ』となった。この搗き立ての餅は格別な美味しさで、丸々半日かかってようやくありつけたご褒美のようなものだった。
ちなみに、おはぎの餡を作るのもまた、母の仕事であった。


月日が経ち、私の連合いが餅を搗く風景はもう見られなくなり、私達はNZに引っ越してしまい、父や母は年老いて、もう餅搗きをするほどの体力は無くなってしまった。

それでも『臼屋』と言われていた私の実家から餅の姿は消える事なく、母は機械を使って今でもお正月のお餅を作っていると言う。

NZで餅つき機を手に入れる事などできない私は、まったく邪道ではあるが、一晩水に浸した韓国産もち米をフードプロセッサーにかけてドロドロにし、それを電子レンジにかけて餅を作るという方法で、やはり今でも元旦に食べるお雑煮を用意している。
味も食感も、杵つき餅に敵うはずもないが、気分だけはお雑煮を食べているという感じになれる。

夏のお正月。セミの声を聞きながら、熱いお雑煮を食べる私達は、やはり日本人だよなと思った。


目の中に焼き付いている昔日の光景は、ツヤのある美しい形の臼と、水を張った大きなブリキのバケツに入った杵、そして白い蒸気を出す蒸籠と釜、笑顔の家族...

もうその時代が戻って来る事はないのを心から寂しく思った、2013年の年明けであった。



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