22.9.13

Name in Hebrew

政治的なこと、宗教的なこと等々抜きにして、最も感覚的にギャップ(隔たり)を感じる国から来た友達が私に付けてくれた名前...

その名前をその国の文字のまま透かし彫りにした手鏡を作って、facebookにupした。
おそらく、それを見たイスラム教徒の多くは離れて行くことだろう。



私達は何を基準にして物事の善悪を判断しているのか...

自分の身辺に起こったことが独自の判断基準になっているのならいざ知らず、日常的に目にしたり耳にしたりする極めて"定かでない"情報(真しやかになされる報道)によって、非常に偏った意見を持たされてしまっている危険性が全く否定できない世の中にあって、何を信じろと言うのであろうか。

生きるのに困難な時代になると、宗教というものが勢力を拡大するというのは言わずと知れたことだが、私には宗教というものがどうにも無用な敵対心を煽るものにしか映らず、全ての悪の根源がそこに根ざしているように思えてならないのだ。
かといって、『無宗教』を声高に叫ぶ気にもならないのは、『無宗教』という名を盾に、したい放題を働くことを正当化する輩が鼻についているからなのかも知れない。

昔、聖書を熱心に勉強する人たちと共に居たことがある。
誠実を絵に描いたようなその人たちは、常に穏やかで、戦闘的なところなど一つも無く、お金に対する執着も無く、ありとあらゆる権力に媚びることも無く、すこぶる礼儀正しい集団であったが、私は最終的にバプテスマを受ける気持ちにまで至らず、次第にその集団とは距離を置くようになってしまった。

どの宗教団体にも言えることだが、自分達の神の教え以外は受けつけることは無い。(当たり前のことだが)
その差別化するという行為が、私にはどうにも受け入れられなくなったのは、ここに来て様々な国から来た人たちと暮らすようになってからだ。

聖書を勉強している人たちがあれほど忌み嫌っていた"教会のクリスチャン"の中にも、素晴らしく善良な人が居て、ムスリムの中にも誠実で何の欲にも支配されていない人が確かに存在している。ムスリムとの終わらない争いに嫌悪感を抱き、国を出てきたジューイッシュも居る。

そんな人たちと腹を割って話しをするようになった時、私は何を教わってきたのだろうと思った。

この世に存在する"人が作り上げた"宗教というものは、人を戦闘に向かわせる為に作り上げられたもののように思えてならない。

誰かの悪意によって作り上げられたものに振り回され続けることを阻止できるほどの、偉大なるパワーを持った何ものかが、この先現れると確信できる人は幸せである。しかし、そのパワーが宗教の名の下に発揮されることがないようにと、私は心から願っている。



5.8.13

梅は咲いた... 桜はまだかな?


腰を痛めてほぼ寝たきりの生活が2週間続き、その後はターメリック+鎮痛剤の効果が現れている時間だけ起きていられるという生活を送っていた。

ようやく鎮痛剤を服用しないでも動くことができるようになったので、晴れた先週末裏庭に下りてみると、チラホラと梅が咲き始めていた。

今朝の外気温は12℃。日中の予想最高気温は16℃と出ている。
厚着をすれば暖房無しで過ごせる暖かさだ。

さて、今日も木工の続きをしよう...



11.7.13

磨いては塗り、磨いては塗り...

木工に熱中していたら7月も半ばに差し掛かってしまっていた。もうすっかり冬本番となっているNZ。今日は日中も気温が上がらず、一日中暖房が必要だった。


毎日々こんな細かな粉の舞うスタジオで作業していた為か、はたまた偶然か、一昨日から左目の白目が内出血し、少々異物感を覚えているが、ネットで調べたら、このような症状は網膜下出血といわれているそうで、治療の必要も無く、放置しておけばその内に治るとのこと。あ〜そうなんだと、いつも通りスタジオに隠って作業をした。

最近は機械に振り回されることもなくなり、細かな透かし彫りも難無く切ることができるようになってはきたが、こと合板に限っては、ステインを使用しての仕上げに恐ろしく時間がかかり、透かし彫り → サンディング → ステイン → 乾燥 → サンディング → ステイン → 乾燥 → ステイン → 乾燥 と、何だか一日中ずっとそんなことをしているだけで終わってしまっているように感じる。

表面、裏面、及び周囲はもとより、透かし彫りの部分もラフな仕上がりにならないように若干サンディングが必要な箇所がどうしても出てくる。細かな部分のサンディングは竹串にサンドペーパーを巻いたもので行っているが、竹串さえも入らないような細い隙間にはサンドペーパーを半分に折って差し込み、細い部分がポキンと折れてしまわないように注意深くサンドしなければならない。



左はビクトリアン デザインのフリーパターンで作ったオーナメントで、これは無垢のマツ材で作ったため、透かし彫り部分のサンドはほとんど必要なく、とても楽に出来上がった。



片や、こちらは合板で作った羽根であるが、この写真を撮る前に一度目のサンディングを終え、写真を撮った後にアンティーク オークで全体をくまなくステイン(&拭き取り)。そして、充分に自然乾燥した後二度目のサンディングをし、表面を二度目のステイン(拭き取らず)。翌日裏面の二度目のステイン(拭き取らず)。

そして、裏面が乾いた後に、透かし彫り部分と周囲のステインをし、今回はマット仕上げにするため、そのまま乾かして終了となる。


ちなみに、表面/裏面/周囲のサンディングに電動のサンダーを使うことは可能だが、細かな線が引っかかって折れたりでもしたら、これまでの作業が水の泡... ということになりかねないので、私は手で丁寧にサンドすることにした。
内側の透かし彫り部分は電動工具を使わず(使えず)、これまた手でサンドしたが、一番細い隙間はサンドペーパーを二つに折ったものが入らないほどの細さで難儀をした。


板からこの羽根を切り出すのに2時間半強かかり、その後の仕上げにそれ以上の時間がかかっているが、はてさて、幾らで売れるのだろうか?


12.6.13

ただいま練習中


私の父と祖父は大工仕事の達人だった。
パワーツールなど使わなくとも、見事なまでに美しい家具/調度品を作り上げることができた。
私はその傍らで、いつまでも飽きることなく作業を見ていて、「すごいなぁー、かっこいいなぁー」と、ただただ目を丸くして見入っていたものだ。

写真にも納まっていない、そんな幼い頃(小学校に上がる前)の記憶が、木の香りを嗅いでいると蘇ってくる。


先月末、遥か昔から欲しかった scroll saw を購入した。
何件か店をハシゴし、これだと決めたものは、中古の EXCALIBUR EX-21 。
私の主要目的である透かし彫りをする際、ブレードを頻繁に取り外し/取り付けたりする為、その都度一々テンションを調節しなければならないタイプのものは論外だったが、国内で売られている物のほとんどがそのような不便な作りで、たった2機種が条件を満たしているだけだった。

この機械、中古と言えどもここNZでは結構な値段で、アメリカで新品が買えるほどではないかと思われるほどだったが、何せ超品薄のNZでは他に選択肢は無く、そこに居合わせたどこぞの学校の先生が、もう一つの機械もとてもいい機械だが、これはエクセレントだよと褒めちぎっていたのも手伝って、悩みに悩んだ末、清水の舞台から飛び降りた気分で「買う」と決めたのだが、購入を決めた直後に、一旦店を後にしたその先生がこの中古の EXCALIBUR EX-21 を買いたいと言って戻ってきたため、店の店員は皆で「残念だったねぇ〜、一足遅かったよ」と大笑いしていた。

この機械は私の所に来ることになっていたんだろう(笑)

このスクロール・ソーというもの、もっと簡単に操れるものだと高をくくっていたのだが、最初の内は木の堅さとブレードの太さ、そしてスピードに慣れておらず、所々型紙の線から微妙に外れ、「どうしたら上手く切れるんだ?」と首を傾げる日が続いた。
夜はベッドの上でYouTubeのビデオを見て勉強し、ようやくほぼ満足できる仕上がりになってはきたものの、まだ板の節目部分に当たるとブレードが微妙によけてしまうのを上手くコントロールできず... 

写真のチェスの駒は、縦3.5cm、台座2.2cm × 2.2cm 。このような3Dのものも作ることができるというのは面白い。(ちなみに、これは同居人がペンダントにするそうだ)






5.6.13

焼きたて Za'atar Flatbread は最高!


のんびりパン作りをする余裕のない時、或は明日の朝食用のパンがないと夜になって気付いた時などには、捏ねないで簡単に美味しいパンが作れるArtisan Bread in Five Minutes a Day の本が非常に役に立つ。

夜、プラスチック製のコンテナにぬるま湯とイーストと塩、粉を入れて木べら等(私はDanish Whisk を使っている)で5分ほど混ぜ、常温に2時間ほど放置した後冷蔵庫に放り込んでおけば、翌朝には一次醗酵済みのパン生地が出来上がっている。

コンテナからグレープフルーツ大程度のパン生地を切り出し、簡単に丸めて、バゲットなどにする場合は二次醗酵は40分ほど。このようなフラット・ブレッドの場合は、二次醗酵は20分程度で充分な為、先にオーブンを230℃にセットしておく。

パン生地を簡単に丸めた後、オリーブオイルを塗ったクッキーシート(又はベーキングペーパー)の上に乗せ、パン生地の上にもオリーブオイルを少量垂らし、 1cm 厚程度に延ばして指で凹みをつけ、Za'atar Mix をふりかけて、オーブンが設定温度になるのを待つ。

オーブンの一番下に耐熱性の容器を置き、そこに熱湯を1カップ程度注いで、蒸気を出すようにしてから、二次醗酵済みのパン生地をオーブンに入れる。

焼くこと15分程度。(生地の厚さによって若干時間が違ってくる)外側はこんがりパリパリ、内側はモチモチのこのパンは、焼きたてを食べるのが一番だ。

多分、日本では Za'atar (ザータル)は手に入り難いのではないかと思うが、これはオレガノ、タイム、バジル、マジョラム等の乾燥ハーブ類とスパイスをミックスしたもので、私の使っている Za'atar Mix はそれに胡麻や塩を加えてあり、これぞ『正に中東の味』なのだが、これが何とも言えず美味しいのである。



24.5.13

サフランといえばイラン

NZ国内のインターネットオークションでサフランを手に入れた。


サフランは超高級香辛料で、スーパーマーケットで売られているもののほとんどが 1g 以下であり、私がこれまで買っていたものは 0.5g で NZ$9.90 もしていた。(日本円にして820円強)

中東/北アフリカ料理が好きな私は、サフランを使う度に「地元の人って、こんな高いスパイスを毎日使っているの?」と不思議でならなかったが、その収穫から製造工程までを考えると、決して安くは手に入れられないだろうこともよく理解でき、一体相場は幾らくらいなのだろうとかねがね疑問に思っていた。

インターネットオークションで探してみると、何人かがイラン産のサフランを売っていて、価格は 4.6g でおおよそ NZ$25.00〜$30.00 ほど。重さは9.2倍。同じ量だけスーパーマーケットで買うとなると、NZ$91 以上になってしまう。
歴然とした差を見た上で、まだスーパーマーケットで買おうと思う人がいるのだろうか?
確かに1本1本の長さは短く、より選った一級品ではないというのはわかるが、私は煮込んだり炊き込んだりしてしまうので、別に長さにこだわる必要も無く、迷わず(おそらくイラン人であろう人から)サフランを購入した。

移民の国では、世界中の色んなものが安価で手に入り易いというメリットがある。
ここでは英語さえできればそういった恩恵に与ることができるのだ。


これで、これからはサフランをケチらなくてもよくなった。




22.5.13

あ〜 やだやだ

かなり以前のことになるが...

同居人の(こちらで唯一の)日本人の友達がひょっこりやって来た。
以前はよく彼が遊びに来ると一緒にイタリアン・レストランに繰り出し、のんびりと世間話に興じるのが常であったが、昨年11月に一人目の子供が産まれると、さすがに彼だけディナーに出てくるわけにもいかなくなったようで、何かの用事で街中に出てきた際にちょこっと寄るという程度の付き合いになってしまった。

彼は案の定疲れ切った顔をしていた。
中国人の奥さんには出産前からご両親がサポートに来てくれていて、既に半年間、たいして広くもない借家に同居しているらしいのだが、産後の肥立ちがよくないというわけではないのに、未だ奥さんは子供の面倒をみる以外家事はほとんどせず、彼が仕事から帰ってくるとやれ掃除をしろ、食事を作れ、洗濯をしろ、子供をお風呂に入れろだのと、次から次に要求してくるというのだ。ひどい時には、仕事中に「家に帰ったら洗濯してよね」と携帯にテキストメッセージまで送ってくるらしく、それを聞いた私は彼女の凄まじい執念を恐ろしくさえ感じた。
何でも、彼女の友達の家庭では男性がほとんど全ての家事を行うのは当然のこととなっているらしく、こんなに何もしてくれない夫(実際にはけっこう積極的に家のことをしているように私には思えるが)など言語道断だと毎日々とがめられているのだとか...  すっかり意気消沈してしまった"日本男児"は、「こんな筈じゃありませんでした」と、やり場のない憤りを繰り返すばかりだった。


奥さんは夜の授乳で充分な睡眠が取れないのに昼間も眠られず、疲れが溜まり過ぎていて家事などできないと主張しているらしいのだが、出産、子育てを3度ほど経験した私には、「昼間も眠られない」というのはかなり誇張があるように思え、「家事ができないほど疲れているんだったら、普通眠気には勝てないでしょ。しかも、昼間も家事は全てお母さんがやってくれているみたいだし...、授乳とオムツ替え以外に何もしていないんだったら、寝る時間は腐るほどあると思うけどね」と、意地悪な姑のようなことを言ってしまった。

中国、殊に上海では、女性は家事をしないのが美徳とされていると、以前上海出身の(決して若くはない)ご夫婦から聞いたことがあるが、外に働きに出ている夫が家のことも全てやるのが当たり前で、"奥方"は夫が働きに出ている間家でゴロゴロしながらTVを観たり、ショッピングに出掛けたり、友達とランチを食べに行ったりして優雅に過ごしているというのを得意げに聞かされ、「あなたも上海の男性と結婚するといいわよ!」と勧められた時には、「いや、私はそんなのは気の毒で見ていられないし、申しわけなくなってしまって、かえって居心地悪く感じると思うよ」と、思わず反論してしまったことがあったが、上記の日本男児のパートナーは上海出身ではないし、子供が産まれる前は家事もこなしていたというから、もしかしたら育児ノイローゼから来るものなのかも知れないなと思えなくもない。

だが、相手に対する思いやりというのは何処に行ってしまったのだろうか?

夫である日本男児は、毎日々朝早くから、家族の為に好きでもない(実際、彼はもうずっと以前から職場の人間関係に嫌気がさし、辞めたいと口癖のように言い続けている)仕事に出掛けて行き、生活するためのお金を稼いできてくれるのだということを、有り難いとは思わないのだろうか?
彼女の親はそんな娘のイライラに対してどのように反応しているのだろう?

日本男児の近況報告を聞き、どうしたものかと話し合っていると、結婚というものがどれだけ面倒なものなのかがまざまざと見えてくる。

私は彼らの結婚の儀の立会人として署名した立場であるのに加え、人生の大先輩でもあるのだが、(現時点で)人生の 4/5 ほどをあの封建的な日本で過ごしたせいでか、どうしても、外で働いてきてくれた人に対して家の中でも身を粉にして働くのが当然だという主張には同意できず、何の助言もできないまま、ただただ、「あ〜、やだやだ」という言葉しか頭に浮かばなかった。

彼は今頃どうしているのだろうか?
お互いに納得がいく解決策を見出してくれているといいのだが...



二人並んで、ここで婚姻届にサインしたんだよなぁ...



全く関係ない話しだが...

たった今、同居人H(娘)が友達と近くにお茶を飲みに行くというので、「お土産買って来て〜」と冗談半分に頼むと、何が欲しいのか冗談半分に聞いてくれた。

「豆腐!」と答えたら吹き出していた。

そして、「わかったよー。(豆腐を)誕生日プレゼントにしてあげる」と言われた。

幸せな家族である。





19.5.13

仕事か趣味かと聞かれたら...

『あなたは前世では日本人であったに違いない』とfacebookにメッセージを送ってよこした人から、久しぶりに短いメッセージが届いた。

「ぼく達、いつ会える?」と。

何とも唐突な質問に笑いながら、私はこう答えた。
「今作っている蝶が、羽根を羽ばたかせて標本箱から出た時に」と。

すると彼は、
「羽ばたかせるようにリクエストする」と、すぐに返事をよこした。

私はそれに対して何と答えようかとしばらく考えていたが、どうにも答えが見つからず、
「 :) 」とだけ打って返信した。

『今作っている蝶』はガラス製だから物理的に飛ぶわけは無い。しかも、標本箱入りだ。だが、見る人の感性によっては羽ばたいて見えるかも知れない。まるで絵に描かれた情景が浮かび出て、あたかも目の前に実在するかのような錯覚に陥る瞬間と同じように。

こちらで知り合ったある日本人の女性は、先日私のアイコンとも言える桜のランプを見た瞬間鳥肌が立った。彼女はそれを見て何かを感じたのだ。

前述の男性はヨガや瞑想といったスピリチュアルな世界に住んでいるらしく、彼もやはり私の作品を見て、By chance tripped by this profile; and stand speechless by the works exhibited here. The sense of depth and expression is very special. と最初のメッセージに書いてきた。
彼もまた、私が掲載した作品の写真を見て、その『深いところ』を見てくれたのだ。


私は奇を衒ったものをあえて作ろうとは思わない。奇想天外なものには興味が無く、これで金儲けをしてやろうという気も、有名になりたいという気もなく、ただただ自分の思いをどのようにして表現しようかと、そんなことばかりを考えて作っている。

少し前、マフムートに、グラスワークは仕事か趣味かと聞かれて、「仕事というのは収入が伴うものという定義がなされるべきものならば、私の作業は単なる趣味と言う他はない」と答えたのだが、その通りなのだ。

この作品を作るのに諸経費が幾らかかり、時間がどれほどかかり、幾らで売れると金勘定ばかりしていたら、とてもじゃないが作品作りなどしていられない。
また、他人にどう見られるかをいつもいつも気にして、『世間に認められなければならない』といういわば強迫観念のようなものに縛られながら、自由な発想の作品がどうして作れよう。

私は自分の感性で作りたいものを作る。だから、この制作活動を"仕事"にはしない。

これは私の"生き方"だ。

生活の糧を得る為の "仕事" とは別物だ。






11.5.13

口から出るものが人を汚す

昨日、聖書を熱心に勉強する団体の人たちが来てくれた。
初めて我家に来てくれた人は名前を名乗ってくれたのだが、全く覚えていない。大変失礼なことに、最初から覚える気が無かったとしか言いようがないほど記憶にない。

それはさておき、せっかく来てくれたのだから、お茶の一杯でもと、裏庭にあるアトリエに招き、ハーブガーデンで栽培しているミントを摘んできてミントティーを入れた。

「お砂糖を入れた方が美味しいと私は思う」と前置きをした上で、お砂糖は入れるかと尋ねた。お二人は私の助言に従って甘くしたミントティーを口に含み、砂糖入りの方が絶対に美味しいと想像できると言って、ほんのり甘いミントティーをたいそう喜んでくれた。

ミントティーなるものをよく飲むのかという質問から話が始まり、もっともっと美味しい本場のミントティーを飲める所があるという話に発展し、いつものことながら、私のお気に入りの北アフリカ料理店を紹介すると、その店が入っている中国系のフードコートはあまり清潔なイメージがないという話になった。
私のイスラエル人の友達も同じことを言っていた。

まぁ、確かに綺麗なイメージはない。近くのテーブルでホームレスらしき人が食事(誰かが食べ残していったもので)をしていたりするのは日常茶飯事だし、雀も残飯に集まってきたりしているのを見ると、ウッと思う人がいるのも頷けなくはないが、そういった光景を見ることはまず無い普通のレストランに入って、掲示が義務づけられている市の衛生管理基準のグレードが 「C 」とか 「D」とかになっているのを見たりした日には、フードコートの衛生云々どころではないなと私は思ってしまうのだ。

以前日本人経営のラーメン屋に入り、料理を注文した後で、グレード「D」というのを目にした時には、オーダーをキャンセルして店を出ようかと思ったが、気弱にもそれはできず(オーダーする前に確認しなかったこちらが悪い)、頭の中は「D」という文字でいっぱいになり、キッチンがどれほど不衛生かを想像しながらラーメンを食べる羽目になった。
また、数年前まではよく行っていた美味しい中華料理店のグレードが、気がつくといつの間にか「E」になっていた時には、「食べて大丈夫かな?」とかなり心配になったものだが、その店はもう無くなってしまい、あまりの不衛生状態が続き営業許可が下りなくなったのか、はたまた別の場所に移ったのかわからないまま終わってしまった。

あの掲示はぜひ店に入る前に確認できるように、掲示場所を限定して頂きたいものである。


ホームレスやら雀が集まっては来るものの、上記のフードコート内の私のお気に入りの店はグレード「A」であり、某日本のラーメン屋や某中華料理店(複数)等々に比べて、よほど衛生に気を配っていることは火を見るよりも明らかだ。しかも、注文する前に確認できる。
それにもかかわらず、やはりそのフードコートは『汚い』というイメージが強烈に定着してしまっている様子の彼女達は、そんな所で食事をして大丈夫なんですか?と繰り返し聞いてきた。

私は笑顔で答えた。
「(聖書には)口に入るものではなく、口から出るものが人を汚すと書いてありますから」と。


私は今度の誕生日にも、去年と同様そこに食事に行くことに決めている。
どんな気取ったレストランよりもそこがいい。




4.5.13

君は言うことを聞かない人だ... か

「まったく君という人は、言うことを聞かないんだから...」と笑われたことがある。

買い物に行って現金の持ち合わせがなかったので、不本意に『ツケ』で買って来てしまい、家に戻ってすぐにとんぼ返りし支払いをした時のことだ。
彼は「いつでもいいから... もっと言えば、払わなくてもいいくらいだ」と言ってくれたのだが、私はその厚意に甘えもせず、借りたものはできる限り早く返すというポリシーに則って行動しただけで、別に特別なことをしたわけでもなく、悪いことをしたわけでもない。あなたにとっては、私が『言うことを聞かない人』でよかったじゃないかと内心思いながら、私も笑って支払いを済ませた。

ある友人はマッサージ師の資格を持っていて、過去にその仕事に従事していたということで、頼んでもいないのにマッサージしてくれるというので、「ごめん、私はマッサージ嫌いなのよ」と断固として譲らなかった。
マッサージよりもはるかに効き目がある塗り薬も持っているし、マッサージなんて所詮一時的なものだと思い込んでいるので、無料だと言われても受けるつもりは更々無い。

少し前、私のステンドグラスの仕事用に作ったfacebookのページにメッセージが届き、私を日本人だと想像してか、日本をべた褒めするような言葉の羅列に加え、東京に知り合いがいたらぜひ紹介して欲しいとか書いてよこした。私は日本には住んでいないし、残念ながら東京には知り合いは居ないと返事を送った(事実である)。
「日本に住んでいない」+「東京に知り合いは居ない」という言葉だけで相手は私を日本人ではないと判断したのか、「あなたは日本のことをとてもよく知っている。察するに前世では日本人だったに違いない」と返事が来た。
私は、「前世というものが存在するとしたら、私はおそらく日本人ではないと思うよ。私は典型的な日本人の感覚を持ち合わせていないからね」と答えた。その後はメッセージが来なくなった。きっと彼は『典型的な日本人』が好みなのだろう(笑)
まぁ、メッセージは来なくなったが、時々更新するページは見てくれているようで、今でも気に入ったものには Like してくれたりしている。


つい先頃GP(家庭医)から電話があった。
「あなた、最近乳がんの検査受けた?受けてなかったら受けなくちゃダメよ」

これまでも幾度となく乳がん及び子宮がんの検査を受けるよう強く勧められたが、全て断ってきた。今回も受ける気はないと断ると、どうしてだとしつこく聞いてきた。
「癌になっても治療して長生きしたいと思わないからだ」と答えた。
要するに、私には長生きしたいという欲望が全く無いのだ。もっといえば、既に長生きし過ぎたと感じているくらいなのである。

病気によっては寝たきりになって家族に負担をかける可能性が高いものがある。そういう類いの病気については、家族のために治療を受けることにしているが、それ以外で自分の身に起こることについては単に寿命だと思えばいいと認識している。


思うに、私はやはり『言うことを聞かない人』なのだろう。
でもまぁ、これが私の生き方だ。

18.4.13

私にはできないこと

少し前にも書いたが、日本でもパック詰めされた寿司を目の前にして「(1パックの)半分だけ買って行こう」と考える人が居るのだろうか...

以前、八百屋で陳列されているバナナの房から1本だけ捥いで買って行く人を見たが、まぁそれは一房いくらとなっていたわけではないので、有りかな?と後に思うに至ったものの、その行為を見た瞬間はやはり「えっ!?」と目を疑ってしまった。

苺売りの移動販売のおじさんは、お客に旬の苺やらサクランボを一粒サービスで手渡してくれていたが、「えっ... これ、ここで食べるの? 洗わないで??」と躊躇したのは私くらいなもので、他の客(大方が西洋人)は皆一様にすぐに口に放り込むのである。ベビーカーに乗った小さな子供も手渡されたものをそのまま食べている。そんなのを見ていると、日本人は過度に神経質なんだろうなとは思うものの、私はまだその習慣に少々抵抗があって、その場で食べたことはほんの数回しか無い。(苺狩りなどで洗わないで食べるのは平気なのに、流通の段階で複数の人の手を経ていると思うと、やはり簡単にでもすすぎたいよなと思ってしまう)
ふと思った。皆もしかして、家に帰ってからも洗わないで食べているのだろうか?
我家は自宅の庭でとれた苺でさえも洗ってから食べているぞ...

そういえば、少し前にイスラエル人の友人からの頼まれ仕事を届けに行った時、移動販売のおじさんのところでブルーベリーを買って差し入れしたのだが、彼もやはりすすぎもせずそのまま食べていた。


街中を素足で歩いている人を見た時には、「何で??」と思ったが、以前住んでいた家の近所の人は、見ず知らずの隣人の家(我家)を訪問する時にも素足だった。
この国では素足で歩くことに違和感を感じない人が相当数存在している。

にわか雨が多いこの国では、雨が降ってきても洗濯物を取り込むことはせず、干しっ放しにしておいて、次に乾いた時に取り込むようにしている人が多い。
これは、私にはとてもできない。

私にはとてもできないことがもう一つ。
食器洗いの洗剤が付いたまま、洗い流さないで布巾で拭いてお終いにする食器洗いの方法は、どうしてもマネをする気になれない。
多くの家がビルトインの大きな食器洗い機を備えているため、そうやって手で洗っている家はそんなには多くないのかもしれないが、こちらに来てからそのテの話はよく聞いた。


ここは移民の国。
ある国ではとても非常識なことが、別のある国ではごく普通のことで、容易に理解し合えないことも多くあるのだが、皆幾ばくかの違和感を覚えながらも、それでも大きな波風を立てずに暮らそうとしている。

私はと言えば、そんなやや潔癖性気味の日本という国で生まれ育ちながら、上記のこと以外はほぼ日本人らしいところもなく、最近わけあってこちらの日本人社会に触れる努力をしてみたものの、やはり『触らぬ神に祟りなし』だったなと再確認するに至ったのみで、この先虚しい努力は決してするまいと深く深く肝に銘じて、一連の活動に終止符を打った。


私にはとてもできないこと...

人生を終える時、私はおそらくこう言うに違いない。

「最もできないことだと思ったのは、日本人社会で暮らすことだった」と。



日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...