25.5.14

秋生まれ


自分が秋生まれだなんて思ってもみなかった。

NZは今が秋真っ盛り。朝晩は10℃前後になり、日中はもう20℃を切っている。
肌寒い日には電気ストーブをつけたり、電気毛布で短時間ベッドを温めたりなどして、やせ我慢をしない生活を送るようになったのは、やはり歳のせいなのだろうか?

写真は、数ヶ月前にスクロール ソー アーティストから購入したパターンでトレイを作り、渋めの着色をしたまま放っておいたもの。

もうすぐ辺りはこんな色の葉っぱでいっぱいになる。



11.5.14

Happy Mother's Day

私の母は、どんなに膝が痛くてもいつものように全ての家事をこなし、買い物にも行き、年老いた父を病院に連れても行き、どんなに歯が痛くても(自分はお粥しか食べられなくても)家族の為に三度の食事の支度をし、朝から晩までずっとずっと働き続けている。

我慢強さでは、私は到底母には適わない。

母は今年82歳になる。
あの歳で車を運転し、パソコンを使って写真を添付したメールを送って来れるようになるなんて、一昔前には考えてもみなかっただろう。
実の親ながら、たいしたものだと感心するばかりである。


私は母の為に何をしてあげただろう?
何の役にも立っていないばかりではなく、今でも世話になりっ放しじゃないか。
あぁ、何と情けないことよ...


どうか、大きな病気をせず、まだまだ元気でいてくれますように。




7.5.14

新しい家に行った作品

今日、お気に入りの一つだったステンドグラス作品を手放した。


これは多くの人に「リフレクションが素晴らしく美しい」と言ってもらった写真だが、購入してくれた方はこの写真を見たことはなく、スタジオを訪れてくれた際に一目惚れし、海辺の家に引っ越された後に引き取りに来られたのである。

私は、この作品はステンドグラスを施した側からではなく、このように波打ったガラスを通して見た方が美しいと思うと助言した。彼女もまた同意見で、「本当に綺麗だわ」とずっと反射した部分に見入っていた。

ステンドグラスっていいなと、今日改めて思った。


5.5.14

商品写真の撮り方

もちろん「買わなくちゃ!」と思わせるような魅力的な写真でなくてはならないが、かといって、本物を手に取った人が「な〜んだ、こんな物だったのか」とガッカリするほど実物よりもはるかに素晴らしい物に見えてはいけないのだ。その兼ね合いがけっこう難しい。

先週、国内のインターネット・オークションに出品していた Trivet (鍋敷き)が売れた。
落札者は遠く離れた場所に住んでいるため、もちろん私の手作り品を実際に目にしたことはなく、オークションに掲載されている一作品たった一枚だけの写真を見て購入を決断してくれたのだが、なんと同時に3点も購入してくれ、商品が手元に届くのを楽しみにしているとメッセージを送ってくれた。

私は鍋敷きには無垢の板ではなく合板を使っていて、それはしっかり商品説明の欄に書かれており、更に、中には合板とは何ぞや??という人もいるだろうと思い、合板についての説明文をwikipedia から抜粋し載せてもいるのだが、特にステインしてある商品については板の断面までは写真に鮮明に写らない場合の方が多く、どれだけの人が仕上がりに納得してくれるか、非常に気になっていた。

そこで、落札者へのお礼のemailには、使用材料と工程の大まかな説明を付け加えておいた。
合板は無垢の板と比べて熱にも水にも強く、鍋敷きとして使用するのに向いているのだが、断面が幾層にもなっているのが見えてしまうのが難点だということ。それでも自分が納得できるまでサンディングと着色を繰り返し、表面はかなり滑らかに仕上げてあること。また、デリケートな透かし彫り部分については、表面と同じように充分な処理を施すと果てしなく時間がかかってしまい、商品の価格がとんでもなく跳ね上がってしまうので、2〜3度の処理で良しとしていること。そして、もし商品が手元に届いて気になる部分があったら、どんなことでも構わないので、連絡をいただけると有り難いとも書き添えた。

通常は1〜3日で配達されるのだが、3日目がちょうど週末となってしまうので、もしかしたら配達は週明けかなと思っていたのだが、土曜日の午前中に届いたようで、オークションサイトに素晴らしいフィードバックを送ってくれてあった。
そして更に、ご丁寧にemailも送ってくれ、「写真で見てはいたけれども、実物は写真よりももっと素敵で、嬉しくて、emailでお礼の気持ちを伝えたかった」と書かれていた。

有り難く、またこの上なく嬉しい取引であった。


私が撮って載せた写真はきちんと役割を果たし、実物をほんの少し引き立てるのに成功したようだ。:)






4.5.14

イスラミック ランプ 再び

イスラム教徒でもなんでもないのに、時々思い出したようにイスラミック パターンで作品を作っている。

前回作ったランプは完全に『ステンドグラス屋』のランプで、おそらく木工に携わる人はこうは作らないだろうと思える作りだったが、今回作ったランプは、木工を少しかじった人が作りそうな組み立てになっていて、自分で言うのも何だが、少しは木工の技術が進歩したなと感じてもらえる作りになっている。

木枠の透かし彫り模様が命のランプであるが、それでも、やはり『ステンドグラス屋』として、ガラスの選択には細心の注意を払い、用意した装飾木枠の色柄にしっくりくるかどうかを熟慮し、光らせても光らせなくても違和感が無いようにと考える。

今回透かし彫り部分のバックに使ったガラスは、何故あんなに高価だったのかいまだにわからない磨りガラスで、中の電球がはっきりと見えないように考慮しての選択だったのだが、両サイド(四方)にはやや黄色みをおびた琥珀色の、凹凸のある透明ガラスを入れている。
チラッと見ただけだと、ただ透かし彫りを施したランプにしか見えないのだが、灯りを点して壁に映った光を見ると、注意深い人は「あれっ?」と思うことだろう。

このランプは上下の台が外れるようになっていて、下の台を外すと電球を交換でき、上の台を外すとガラスを交換できる仕組みになっている。
何故ガラスを交換するのに下を外すだけではダメなのか… それは、中に仕切り板を取り付けてあり、ガラスはその板の上に乗っている状態であるためで、その仕切り板はこのボックス型をしっかり固定しておくための支えとして機能しているのと同時に、電球の光りの漏れを少しだけ防いでもいるのである。

そのように、細部にこだわって作ったランプであるが、「完成度は?」と同居人に聞かれて、「60%かな」と答えた。あるいはそれ以下かもしれない。

まだまだ父親の技術の足下にも及ばないなと思った。
「もうちょっとだな」と言う父の声が聞こえるようだ。



24.4.14

義援金 & 寄付金

総額幾らの義援金/寄付金が、誰それの元に届けられたという記事は珍しくはないが、その『総額幾ら』かを数える人は何を思いながら数えているのだろうと、ふと思った。

果たして数える必要があるのだろうか? 数えて『義援金が足りない』と更に募金活動に専心するための資料とするのか? 反対に『多過ぎた』と感じる場合は無いのだろうか?

そもそも寄付というものは見返りを期待しない善意でなされるはずのものであるのに、善意でなされたものについてわざわざ集計を取り、「幾ら幾らのお金が集まりました」と世間に公表することに、何ら違和感を感じないものなのだろうか?

以前勉強していた聖書にはこうあった。

人に注目されようとして自分の義を人の前で行うことがないようによく注意しなさい。そうでないと、天におられるあなた方の父のもとであなた方に報いはありません。ゆえに、憐れみの施しをするときには、偽善者たちが人から栄光を受けようとして会堂や街路でするように、自分の前にラッパを吹いてはなりません。あなた方に真実に言いますが、彼らは自分の報いを全部受けているのです。しかしあなたは、憐れみの施しをする際、あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。あなたの憐れみの施しがひそかに[なされる]ためです。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたの父が報いてくださるでしょう。(マタイによる書 6:1-4 )

自分の前にラッパを吹く人(或は団体)を、日常生活であまりにも多く目にし過ぎているせいで、それを『偽善』と呼ぶ方がかえって悪人扱いをされそうな気がするが、少し前、こんなにも沢山のお金が集まったと得意げに公表し、笑顔で会見している(或は写真に納まっている)人々をインターネットを介して観た時、私にはどうしてもその人たちが常日頃素晴らしく善良である人のようには見えず、ただ『お祭り騒ぎが好きというだけの人』にしか見えなかったのである。

その人たちは誰に対しても優しい態度を取ることができるのか… おそらくできないであろう。誰にも知られないように善意を行うことができない、或はそうしようとしない人の本性がそこにはっきりと現れているように思えてならないのだ。
そのような人たちの多くは、おそらく一人では何も行動できないに違いない。

世の中は、自分の前にラッパを吹くことをしない人々をあまりにも安易に冷酷な人だと決めつけるきらいがある。そして、羊の皮を被った得体の知れないものが大腕を振って闊歩し、真の羊はひっそりと隠れるように暮らすしか術が無くなっているのではないか...

あぁ、嘆かわしいことよ…

"人に注目されようとして自分の義を人の前で行う"人々よ、どうか、そのようにしない人々を非難だけはしてくれるな。



15.4.14

盆栽事始め


ボサボサに伸びてしまっている庭の梅の木があまりに凄まじかったので、自己流で枝を切ったのは先月だっただろうか?(定かでない)

はらった枝の曲がり具合が面白くて、「これ、ネックレスとかを引っ掛けておくのに使えるかもね」と捨てずに取っておいた1本だったのだが、たまたま新しく買ったノミをシャープに研いだ直後だったので、切れ味を試すべく枝の切り口を斜めにカットしてみると、小気味いいほどスパッと切れて、それを見た瞬間、昔庭に植えたブルームーン(薄紫の薔薇)を剪定した際に挿し木を試みた時の記憶が蘇ってきた。

挿し木をする際には、切れ味のいいナイフで切り口を斜めにカットすること。

それから数週間、手元にあったサルサソースの空き瓶に水を張り、そこに無造作に枝を突っ込んだまま、光りが差し込まないスタジオのキッチンの窓際に置き、時々水を換えては「全然根っこが出て来ないなぁ」と、私は切り口ばかりを見て過ごした。

先々週末、庭のベジガーデンを手入れしようと同居人と一緒に裏庭に下りて行き、作業を終え私がスタジオのキッチンで手を洗っていると、同居人が入ってきて「お〜、何か刺してある」と声を掛けてきた。
私は、「あぁこれね… ほれ、ちょっと前に梅の枝を剪定した時にジュエリーを引っ掛けておくのに使えそうだねって言って取っておいた枝、水に浸けておいたら根っこが出て来るかなぁって思って浸けておいたんだけど、全然出て来ないよ」と返事をした。

「葉っぱ出てるよ」と言われて、「えっ??」と見上げると、可愛い葉っぱが数カ所から出ていてビックリした始末である。
薄暗かったせいもあるのだが、葉っぱが出るということを全く想定していなかった私はそれには気付かず、水の中ばかりを気にしていたのだ。

この可愛い枝振りを見た同居人は、その時盆栽に目覚めてしまい、しっかり根付いたら会社の机の上に置くんだと言って、インターネットで盆栽の心得を調べ始めていた。
思いもかけないところから趣味というものは始まるものなんだね。

24歳女性、盆栽にハマるの巻。


23.3.14

鉋との格闘の日々


国内のインターネット・オークションで落札した古いStanley #4 Plane 。
日本でよく使われている木製の鉋(カンナ)とは違い、こちらは主に押して削ぐタイプである。(時には引いて使うこともあるが)

送られて来た鉋の刃を研ぐことから始めた。例によって雲の上のfacebook friendであり、インターネット上のお師匠さんでもある人の懇切丁寧な刃の研ぎ方を倣って、でき得る限りシャープに研いだ。
そして次に鉋の底を平らにするために、#120と#240のサンドペーパーで磨いた。この鉋は中央が必要以上に凹んでいて、かなり長いこと磨かないと平らにならなかった。
私のお師匠さんは、底を一旦平らにした後、両サイドを5〜6ミリほど更に削って、板を削っている最中に両サイドのエッジで板を傷つけるのを回避するよう奨めていた。
また、前方の数ミリも若干削り、後方の縁もスムースにしておくようにとのことだったので、その通りに仕上げをした。40年以上も家具職人として非常に美しい仕事をして来た人の言うことだ、間違いはないに決まっている。

準備は整ったものの、これまでの人生で一度も鉋掛けをしたことなどない私は、見よう見まねで(しかもインターネットのビデオでだ)始めてみるしかなく、少し削っては平らになっているか調べ、また、板の側面と直角になっているかにも注意を払いつつ、削る深さを微妙に変えたりなどして、ようやく少しコツをつかんで来たところである。

納得いくまでやり続けないと気が済まない性格に生れついてしまったため、他のことには集中できず、ずっと、どうしたらうまく鉋を操れるようになるのだろうかと、この3日間考えっ放し… 幸いなことに、雲の上の友達/お師匠さんは数多くのとても役立つビデオを一般に公開してくれている為、夕食が済むと毎晩ビデオを見て勉強しているのだが、頭で覚えたことを、言うならば『感覚で覚える』までに身につけるのには、まだもう少し鍛錬が必要で、この程度ではまだ良しとできないなと、今日も練習を終える時にそう思った次第である。

日頃使わない腕の筋肉を使うため、腕がダルくてたまらない。
しかも、鉋を握っている右手の人差し指が微妙に鉋本体と当たる部分があって、そこが水ぶくれになりつつあり、少々腫れてもいる。

でも、鉋掛けは思った以上に楽しい。



11.3.14

新しい友達?

仕事に使わなかったら全く必要なかった Facebook のアカウントだが、それでも数少ない知り合いといまだにささやかながら繋がっているため、時には語学学校時代の友達やブログで知り合った友達(と言っても、皆はるかに年下だが)からemailではなくFacebookを介してメッセージが来たり、私は気が向けばこんなものを作ったよと、焼きたてのパンとかクッキー、ケーキやピザの写真、はたまた仕事の写真やらをアップしてみたりもして、年に数回はソーシャル・ネットワークというものを使っているかなという状態である。

その程度しか使っていない個人の Facebook に、先頃珍しくフレンド・リクエストが来ていた。
全く会った事のない、言うならば雲の上の存在の人からだった。
その、雲の上の存在の人からフレンド・リクエストがくることなど、全くもって予想外で、本当に本人からか?と、一瞬疑ってしまったほどである。

彼は木工の世界では抜きん出て有名な人なのだが、長くガラス関係の仕事をしていた私は木工の世界のことなど知る由もなく、ある日偶然 You Tube で彼の卓越した技術を見た時、私はまるで父を見ているかのような郷愁にかられ、それからというもの、彼の技術を何度も何度も繰り返し見ては、知識として頭に詰め込み始めたのである。
彼の仕事用の Facebook page では、作業風景に加え、彼の人となりも垣間見えたりし、写真に加えて気取らない人柄が滲み出ている文章を読むのもまた楽しみになっていた。そう、ただの一般フォロワーとして、優れた技術に感服し、楽しんでいたのである。
私としてはそれで充分だったのだが…  
なぜフレンドリクエストが来たのかいまだにわからない。

木工については超初心者の私が持っている道具といえば、リョービの格安テーブル・ソーと、中古の Excalibur スクロール・ソー、マキタの小型電動ドリルとリョービの卓上ボール盤(卓上穴あけ機)、それにボッシュのサンダー件マルチツールセット(?)くらいなもので、サンディングのほとんどはサンダーを使わず、サンドペーパーで腕がダルくなるまで磨き続けることの方が多い。カンナもノミも持っていないので、シャープ且つ吸い付くような滑らかな表面に仕上げることなどは到底期待できない。
木工を仕事としている人の中には、板をカットする段階でさほど厳密に正確である必要はないという人が多くいるが、そのような人々は、強力なサンディングマシンで図面通りになるまで削って形を整えるのだ。しかし、サンディングで吸い付くようなシャープな面を作るのは不可能に近いように思えて、私はどうにも納得できる仕上がりにならないことに苛立ち始め、どうにかならないものかと考えあぐねていた。

雲の上の人は、公開しているビデオの中で、仕上げをカンナで軽く削ってピッタリになるように、コンマ何ミリという誤差を残してノコギリで板をカットしていた。(またはシャープに研がれたノミで誤差を削ぎ落としていたりもしていた)
「そうだ、そうしなければならなかったんだ」と、テーブルソーで切っただけのざらついた断面をピッタリつなげようとして長い間苛立たしい思いをしていた私は悟った。

実家の近くに住んでいたら、迷わず父に聞きに行っただろうが、そうもいかない今は彼のビデオとウェブサイトに載せられている説明だけが頼りだ。

ビデオで作業を見ることのできる You Tube には電動工具を使いこなす人の方がはるかに多く、中にはジグまで数多く手作りし、そんな方法があったのかと目からウロコの木工技術を披露してくれる人も何人かいるのだが、かつてアンティーク修復工房でほぼ誤差のない仕事ができるよう訓練を受けた私には、どの方法も満足できるものではなかった。
日本の伝統工芸師、或は宮大工のようなとびきり繊細な仕事をする人のビデオもYou Tubeにアップされてはいるが、そのような人はただひたすら作業をしている姿のほんの一瞬しか映されることは無く、そこから技術を学ぶことは非常に難しい。

雲の上の人は惜しげも無く昔からの工法を一般大衆に教えている。しかも教え方がとても上手だ。年期の入っていない人々がどのようにしたら完璧に綺麗なものを作ることができるかを、これ以上無いと思えるほどに丁寧に教えてくれている。
穏やかな口調と、超有名人なのに何もひけらかすことの無い真摯な態度は、見ていてとても気持ちがいい。




30.1.14

インターネット・オークションでの一齣

ステンドグラスで製作するのは無理があると諦めていたデザインがあった。

そのデザインを透かし彫りで作り、大好きなアンバーの色ガラスを合わせてみると、ずっと作りたかったものの形が見えてきた。

透かし彫り部分は先週出来上がっていたのだが、その他の部分をどのように組み立てようかと考えながらの作業で、なかなか仕事が進まない。


昨日、インターネット・オークションに長い間出していたイスラミック幾何学模様の装飾兼鍋敷きに質問が来た。
$40で出品していたものだが、$20で売らないか?というオファーだった。
$35だったら「う〜ん、どうしようかな…」と思っただろうし、$38だったら多分売っただろうが、半額は論外である。
どこの国の人だろうとプロファイルを見ると、典型的なイスラム教徒の名前だった。そこで、オファーを受けようかどうしようかとしばし考えた。難民としてこの国に来た人かも知れないと思ったからだ。

オークション・サイトには個人の取引記録(feedback)が載っている。相手が安全な取引相手かどうかを見る為には大変有効なもので、それを見てでき得る限り用心深くしていれば、売るにしても買うにしても、思わぬ落とし穴にハマらないで済むことも多い。
例えネガティブな(マイナス)評価が付いていたとしても、双方の『言い分』とフィードバックの履歴を見れば、大概の場合どちらの言い分が正しいかがわかってくるものだ。

その半額に値切ってきた人の評価は、100%ポジティブだったので、どうしようもない人では無さそうだと思った。どうしようもないと一括りで表現したが、その表現の中には「約束を守らない」とか、「行動が極めて遅い」とか、「(売り主の場合)平然と偽りの記述をしている」とか、色々な要素が入っている。

これまですんなり取引が行われた人については、ざっとfeedbackに付いている評価のマークを見る程度だったが、今回はその人がどんな物を購入しているのかを少し見てみることにした。私のように、安いものばかりを買っている人だったら、$20でいいにしようかなという思いもあったのだ。

購買履歴から、その人は私よりもずっと生活に困っていないように思えた。
そこで、その人のオファーへの返事をどのように書こうかおおよそ決まった。

返事にはこう書いた。

「残念ながら、オファーを受けることはできません。なぜなら、私はこの作品の透かし彫りと最初のサンディングに4時間かけ、それに色を付け、乾かし、サンディングし、重ね塗りし、磨き上げるまでに数日間に渡り更に多くの時間をかけたからです。これは手間のかかる仕事で、私は全ての作品を丹誠込めて作っていますので、いくら頑張っても政府の決めた最低賃金を稼ぐなどということは夢のまた夢でしかありません。ですから、どうぞ私に対して値引き交渉などしないでください。何はともあれ、興味を持ってくださってありがとう。」

昨夜、同じ人から今度はBuy Now価格は幾らかという質問が来ていた。
すぐに出品価格と同じ金額をBuy Now価格としてセットし、Buy Nowを付けた旨を返事しておいたところ、今朝、email boxにその人が落札してくれたという通知が来ていた。

きっと良い人なんだろうなと思った。




日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...