12.3.15

夏も終わりに近付いたある日の出来事

NZ帰国後1週間以上に渡って、毎回々切羽詰まって片付けをしている夢で起きるようになってしまっていた。およそ12年前の3月にこちらに引っ越して来た直後と全く同じだった。

最近は少しマシになり、寝起きがどんより曇っている状態からは脱したように思うが、今度は日本に居る間に首の後ろにできた湿疹が日に日に悪化し、強い痒みに絶えきれず、GP(家庭医)の受診を余儀なくされた。
GPにかかるのはおよそ1年半振りで、これまで何年にも渡って高血圧の治療をそこで受けていたのだが、体重の減少とともに高血圧が嘘のように治ってしまい、薬も飲まなくなって久しい旨を伝えると、非常に喜んでくれ、その後、今回の皮膚疾患を診てもらったのだが、湿疹は強いストレスが原因であることも珍しくはなく、今回の父の看病から葬式までのことを話すと、おそらくストレスが症状を悪化させたかもしれないねと、ねぎらいの言葉をかけてもくれた。とても優しいインド人のドクターである。

GPに行くと必ず処方してもらう鎮痛剤は、まぁ言うならば常備薬のようなもので、薬局でも同じものを買えるのだが、処方箋で買った方が断然安上がりだからと、ドクターが沢山処方してくれたため、何と300錠もの鎮痛剤がたったのNZ$5.00(日本円にして約450円弱)という値段で買えた。

ステロイド系の塗り薬はすぐに痒みを止めてくれ、非常に楽になったため、家に戻り、今度は歩いてネスプレッソのカプセルを買いに出掛けた。
日本に居る間に痛めてしまった膝の関節は最近になって痛みも無くなり、行って帰って来れるかなと少し心配ではあったが、若干痛みはしたものの、何とか家に帰り着くことができてほっとした。

また今日は、近所の公園に来ている苺売りのトルコ人の所にも寄り、珍しくお客が居なかったため、長いこと話し込んでしまった。
色々なことを話した。父のこと、日本のこと、仕事のこと…
彼はあと半月もすると今年の苺の販売を終了し、冬の間はその公園には来ない。
次の夏には、私はどんなニュースを彼に伝えることができるだろうか…


昨日、仕事用のFacebook pageを閉じ、個人用のfacebookアカウントも消した。
元々そういう類いのものには全く興味も無く、仕事だと割り切って仕方なしに続けていたものであったことに加え、ここに来て自分のスタジオ名がこれからの仕事にそぐわない気がしてきていたため、若干後ろ髪を引かれはしたが、心を鬼にして削除してしまった。
そのことによって、ある人の心から私の存在は徐々に薄れ、私たちはまたその内に知らない者同士に戻るだろうことも受け入れた上で。



9.3.15

感覚の鋭さ

数年前、ある億万長者の家庭で優雅な生活を送る奥方と話をする機会があった。
海外生活で言葉に不自由は無いのかと聞かれ、まだまだ言いたいことの半分も言えないと答えると、「あ〜そうなんだ〜。まだそんなに喋れないのね。」と勝ち誇ったような、満足そうな笑顔で反応が帰って来た。一般的には、それでも海外で何年も暮らしているのだから、それなりに困らない程度の会話はできているのだろうと相手を持ち上げる会話に発展するものだと思い込んでいたが、そのような思い込みを粉々に打ち砕いてくれる人も居るんだと、私は新鮮な驚きを経験し、ちょっと笑えた。

あ〜、この人は、相手の言いたいことがどれほどのレベルの語学力を必要としているかを推し測ることなど、おそらく無いのだろうな… この歳になっても相手の気持ちを思いやることなく暮らして来れたというのは、ある意味すごいことだなと、私は反論する気も失せ、彼女の口から出て来る無作法極まりない言葉の数々を、ただただ呆気にとられて聞いていた。
ちなみに、億万長者の奥方に納まる前は、学校の先生をしていたというから、驚きである。このような性格の先生に受け持たれた子供達は本当に気の毒だったなと、心の底から憐れみを感じてしまった。

こちらに来て知り合いになった日本人女性の一人は、正に才女と言うに相応しく、国連の機関で働いた後も、こちらの国の機関で働くような、トップレベルの人物であったが、物腰は驚くほど低く、自分はまだまだ『ネイティブの仕事を処理するスピード』には敵わないと感じていると話してくれたことがあった。
誰が見ても、彼女が仕事ができない人であろうはずはなく、そこいらのネイティブ以上に頭脳明晰であろうことは疑いの余地がなかったが、彼女自身が満足できるレベルというのが恐ろしく高いものであるが故に、そのような自己分析の言葉が出てしまうのだというのがよく理解できた。穏やかなとても良い人だった。


人々の感覚の違いというものは計り知れなく大きいということを理解することができない人は、他人の言葉を自分の極々限られた識別力に照らし合わせ、自分の中でいとも簡単に完結してしまい、またその浅はかな認識に基づいて誰かれ構わず吹聴して回るふしがある。また、そのような人に限って非常に社交的で、あっけらかんと物事の表面だけをさも一大事であるかのように大げさに脚色し、周囲からの軽薄な賛同を得ると、自分があたかも人気者であるかのように錯覚しがちであるように思えてならない。

何と愚かなことか…

そのような人間がのうのうと人生を謳歌し、何食わぬ顔で害になる事柄を行い続け、楽に生きて行けるこの世の中… そんな世の中にあって、寡黙で、明らかにこの世に馴染んでいそうもない人を見ると、とてもホッとした気持ちになる。




3.3.15

父の代わりに包丁を研ぐ

日本滞在1ヶ月…

今回の帰省中にしなければならないことが幾つかあった。
その内の一つに、実家に預けっ放しになっていた我家の想い出の品々を処分するという作業があり、月の半分はそれに没頭せざるを得なかった。
実家の薄暗い物置小屋に置かせてもらっていた荷物の内、こちらに送らないものについては一つ一つ写真に収めてゆき、家族の想い出の品は本人に確認をとった上で要る物と要らない物を仕分けて行った。
経営していた会社の書類は保存を要する期間を越えていたため、全て処分することができたが、その量は膨大であったため、保存していた幾つかのケースを空にするのにかなりの時間を要した。
亡き人の想い出の品はやはり捨てることはできず、ほとんどをこちらに送ることとなったが、私個人のものは日記も含めほぼ全てをゴミとして捨ててきた。

家族5人の想い出の品々は、私が抱えて運べる最大限の大きさの段ボール箱2つに何とか収めることはできたものの、重量はかなりあったため、格安のSAL便を使ってこちらに送るのに4万円弱かかってしまった。痛い出費ではあったが、他人には完全にゴミとしか映らないだろう想い出がいっぱい詰まった品々を捨てることができなかったのは、『安住の拠り所(実家)』を子供達に提供してあげることのできない親としての不甲斐なさを心から申しわけなく思い、せめてわずかばかりでも郷愁に浸れる物を取っておいてあげたかったからに他ならない。


父の遺品である鋸、鉋、鑿、錐などの工具類はスーツケースに詰め持ち帰った。
空港でスーツケースを開けられること無く、すんなり出入国できたのは有り難かったが、開けられ、質問を受けるのを想定していたので、肩すかしを食ったような気分だった。
現金の持ち出し/持ち込みに関しては、税関に馬鹿正直に申告した後、関税がかかるのかとオフィサーに聞くと、日本/NZのどちらの税関でもかからないというので安堵した。
金銭については、その出所を明確に説明できれば何ら問題はないが、英語での受け答えと英文書類への記入ができることを前提にしているため、自信のない人は質問に適当に答えたりせず、まず先に日本語を話せるスタッフを呼んでくれるよう頼むべきである。スタッフを探すのに時間がかかりはしても、イイカゲンな受け答えで不審を抱かせ、懲役刑或は罰金を課されることを思えば待つ時間など短いものである。
ここNZは特に『正直は最善の方策』な国なので、食料品にしても木工品にしても、携行しているもの全てに関して嘘偽り無く申告するべきであることをここに付け加えておく。


NZ帰国日の一昨日は疲れで何もできず、昨日になっても何もできず…
昨日午後になってようやく、父から譲り受けた工具類をスタジオに持って行き、取りあえず鋸の切れ味を試してみると、何年も使っていなかったであろうはずなのに、信じられないほどシャープに研がれた刃はいまだ健在で、驚くほど綺麗な切り口に感動せずにはいられなかった。
改めて父親の偉大さを実感した瞬間であった。


日本への置き土産は、日常使う包丁を研いでおいたことくらいだろうか…
父の使っていたすり減った砥石を使い、丁寧に丁寧に研いではきたが、父の研いだものほど切れ味は長持ちしないに違いない。それでも姉は鶏肉までもがスッと切れると喜んでくれていた。

この先、これまでのスタジオ名を引き続き掲げて仕事をしようかどうしようかと考えている。
おそらく、私の仕事はこれまでとは違ったものになっていくだろう。


21.2.15

世の中にさらぬ別れのなくもがな 千世もといのる人の子のため

父が85年の生涯を閉じた。

真面目で、欲深くなく、質素に生きた父の遺品は驚くほど少なく、大事にしていた大工道具のほとんどは私が引き継ぐことになった。

もう長く生きられないと悟った父は病床で刃物の研ぎ方を私に丁寧に教えてくれた。私は雲の上のお師匠さんのおかげで刃物は既に父が言った通りに研いでいたため、うん、うんと頷きながら聞くことができた。

勉強家だった父は、西洋の鉋と日本の鉋の違い、鋸の違いなどをよく知っていた。歳が多くなってからはほとんど何も作っていた風ではなかったが、それでも台所で使う包丁を研ぐのは父の役目だったようで、外の流しに砥石もあるから、それも持って行けと私に言った。西洋のオイルをしみ込ませて使う砥石は、どうも私は使い辛くて好きではないと言うと、父は深く頷いていた。

荼毘に付される父を身を切られる思いで見送ったのは言うまでもないが、それ以上に辛かったのは棺に入れられた父が家から担ぎ出され、車に乗せられて家を後にした時だった。

人間いつかは必ずこの世におさらばする時が来る。
できることなら避らぬ別れに心を痛める回数を極力減らしたいものだと、知人の数を意図的に減らし、誰とも親しくならないように努めて生活してきたというのに、どこからともなく根性の腐っていない人が私の前に現れ、離れようと試みてもなかなか離れて行ってくれない。

離れなくては…

もう悲しむのはウンザリだ。



26.1.15

スラッシュの入れ方のコツをつかんだ日


最近は朝フラット・ブレッドを焼くので、前ほど頻繁にバゲットを焼かなくなっていたが、オークランドはオークランド・デーで先週末から今日まで3日休みが続いたため、久々にバゲットを焼いてみた。
醗酵が上手くいって、よく釜伸びしたのに加え、スラッシュの入り方がこれまで焼いたバゲットの中で最もよくできていて、ようやくスラッシュが合格点に達したと思った一本だった。

今日はひよこ豆を茹で、ハモスを作った。ひよこ豆の皮を一つ一つ剥がすのは大変ではないのだが、途中で面倒だなと思いつつ作業していた。
庭で生っていたレモンをとってきて半個分のレモン汁を入れ、塩を少しずつ足しながら味見をし、結局レモンは1個分丸々入れてしまい、茹で汁も適当に足して行って、ちょうどいい柔らかさにし、完了。
ハモス作りも久々だったが、自家製ハモスはやはり美味しい。


暑い


最近は暑くて、雨もほとんど降らず、頻繁に庭に水やりをしなければならないため、来月の水道代が跳ね上がりそうで恐ろしい。

苺はいつも野鳥や蟻に美味しいところを持って行かれ、満足に食べられたためしがない。
充分赤くなるのを待っているのは人間だけではなく、人間よりも頻繁に偵察に来る鳥やら蟻がいつもいつも勝利を収めてしまうのだ。
そこで、この写真を撮った後、目の粗いネットを張っておいたところ、幸運にも全く被害が無く、今日は真っ赤な苺を2つ収穫することができた。こちらの苺にしては甘かったが、日本の苺に比べると(真っ赤なのに)実が硬く、更につぶつぶが非常に硬い。家庭菜園だから硬いのではなく、一般に店で売られている苺全てが硬いので、この国にはこの種類のものしか無いんだろうと思う。
それにしても、日本の苺はなぜあんなにも甘くて柔かなんだろうか?
他の国々の苺は日本のもののように美味しいのかな?



今年のブルーベリーは例年に比べて甘味が強く、仕事の合間に庭に出てつまみ食いを楽しんでいるが、一時に一斉に熟すことのない我家のブルーベリー… 一度にせいぜい3粒収穫できればいいところだ。これではいくら目にいいと言われるブルーベリーでも、効果を期待できそうにもない。


リンゴもずいぶん大きくなってきて、細い枝が実の重みでかなり撓(しな)っている。
2012年11月、家族皆で園芸店に行き、苗木を買って来て、出来上がったばかりのガーデンに植え、うまく根付いてくれるようにと祈りつつ、毎日成長を眺めてきた。
2年が経過し、元気に育っているこの木を見る度に、日本に住む子供のことを思い浮かべる。

充実した生活を送っているだろうか…
しっかり食事をとっているだろうか…
病気で寝込んだりしていないだろうか…

こちらに来てからほとんど日本に帰っていないなと、心の中で親不孝を詫びるとともに、子不幸も詫びなくてはなと、今日リンゴの木を見ながらふと思った。



21.1.15

どちらがいい?

裕福だと思われてくっついて来られるのと、貧乏だと思われて同情を示されるのとどちらがいい?

私はどちらも嫌だが、強いて言えば後者の方がまだマシかなと思っている。

同情を示されるのは見下されている感を拭えなくて苛立を覚えるけれども、同情を示す側の人は少なくともコバンザメの如く『美味しい汁を吸おう』と思っていないのは確かで、金銭的な醜さは裕福な人にまとわりつくのが大好きな人と比べるとほぼ無きに等しい。

裕福層にしか興味の無い人々の心は完全に金銭に蝕まれていて、実に醜く、浅はか極まりない。
金銭的に恵まれていた一時期に、どこからともなく寄って来た人々は、長い人生に於いて最も "どうでもいい" 存在の、己の欲だけを身にまとった強欲極まりない人間だった。

そのような吐き気を催す存在が目の前から消えたことは、何にも増して喜ばしいことであるが、まだマシな存在の『同情を寄せるのを喜びとしている』グループが、日々畳み掛けるように『プライドを捨てて私達の善意を受け入れなさい』と精神的に圧迫して来るのに対して眩暈を覚えるようになってしまった今日この頃である。

裕福なのも貧乏なのも精神的によろしくない。



14.1.15

木製品の価値

時間をかけて丁寧に透かし彫りをし、オイルを塗りサンディングを繰り返し、ビーズワックスで磨き、表面をツルツルに仕上げた作品を、とある人のパートナーに差し上げたら、その人は何のためらいも無くそれに金と銀のスプレーペイントを施し、見違えるほど素敵になったと喜び、私にもそうするようにと熱心にすすめてくれた。

スプレーするんだったら、安っぽいプラスチックの大量生産品で充分だと思った。

何の温かみも無くなってしまっただろうと思われる、繊細な透かし彫りを施した木製品…
プラスチック化してしまった木製品には、もう価値は無いように思われた。

人の価値観というのはそれぞれだし、差し上げたものをどう使おうが私の知ったことではないが、何だかとても悲しく思った一件であった。


10.1.15

コリント人への第二の手紙 4章18節


「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠だからです。」

私はまた一人の親切心に溢れる人を寄せ付けないようにしてしまったのかも知れない。これは温かみのある木で作らずに、冷たいガラスで作った方がよかったのかなと、今になって思った。

今日の明け方早く、仕事用の Facebook pageに、ある特定な個人に向けてのメッセージを投稿した。今年に入って作った二つのハート型のオーナメントとともに。

ハートの形をしていれば心温まるものという概念を打ち消すかのような、かなりシビアな内容で、それを読んだ相手がどのような受けとり方をするのか、正直なところ予想がつかないでいるが、それは私に関する紛れもない真実で、誰にもどうすることもできない事実なのだ。

私は過去に縛られて生きているわけではない。私は現実に縛られて生きているのだ。過去から引き続いて永遠にどうにもならないような現実に縛られて生きているのだ。
過去にケリのついた事柄をいつまでもいつまでも穿り返して生きるような性格ではなく、1%も無いように見える可能性を捨て去ることができないで、必死にもがいているのが私なのだ。

私は望みを捨てていない。おそらくそれは最期に息を引き取る瞬間まで続くだろう。

見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠です… 


4.1.15

今年はどんな年になるんだろう...

2015年、最初にデザインしたのは、ハート型のオーナメント。


新年早々に作り始めて、今日facebookにアップする為に、重ね塗りしなくてはならないシェラックが早く乾かないかなと2日間気をもみ、ようやく作り終えたら、今度は撮影場所を探して家、スタジオ、裏庭をウロウロする羽目になった。



使ったガラスはお気に入りの一枚で、何年も使わずにとっておいたもの。



まだらに入った模様と色の美しさを損ないたくなかったので、サンドブラストは裏側から施したが、もしかしたら全然目立たないかも知れないなという一抹の不安を抱きながらの作業だった。



撮影場所を探し回ったのは、サンドブラストした文字が背景の色と光りと陰に大きく左右され、くっきりと浮かび上がらせるのが非常に困難だったからである。

実際、この透き通ったガラスの美しさを残しながら文字を浮かび上がらせるのは至難の業だった。
使ったカメラは3台。その内の一台はiPhone内蔵のカメラだったが、それが一番実際の色合いに近く、透明部分がしっかりと写り込んでいた。ただ、ガラスの質感を優先させると、どう撮っても文字が浮かび上がらない...



最終的には少々妥協して、文字がはっきりと読めるということを優先し、まぁまぁ許せるかなと思える一枚を選んだが、上の2枚の写真に見られる透明部分がほぼ消えてしまって、緑色に染まってしまっているのが返す返すも残念である。下の写真はNikon のデジタル一眼で撮ったもの。さすがに奥行きのある写真にはなっているが、これではガラスの表情は全くと言っていいほどわからない。



まぁいいか…

投稿し終えると、一生懸命に作ったのも、時折激しい目眩に襲われながら撮影場所を探し回ったのも、もう何の価値もなくなってしまったかのように思えた。
去年起こったことが全てどうでもいい事になってしまい、私はまた元の私に戻ったように感じ、気持ちが落ち着いた。

さて、明日からは新しい作品(商品)作りに励まなくては。







日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...