30.6.15

寒梅がもう咲いている



ひどい写真だ。


今日アトリエに行く時、庭の梅の木に白い小さな花が咲いていることに気付いた。
葉はほとんど出ていないのに、蕾は数えきれないほど沢山ついている。

例年8月に入ってようやく咲き出す我家の寒梅は、今年は1ヶ月以上も早く咲き出したが、こんなに寒い時期に花が咲いては、その後実を付けても大きくならないのではないだろうかと、全く植物に疎い者同士(私も含めて)で心配しはじめた。

同居人の『梅干し作り』の夢は、今年も期待薄だな…




サンディング 〜 セカンド コート & 安物買いの銭失い



 下塗りしたものを目の細かいサンドペーパーで隈無くサンディング。電動サンダーは使わず手で軽く行う。(私は電動サンダーは好きではない)
非常に細かいダストが部屋中に飛び散り、掃除した棚があっという間に埃まみれになる。

掃除機で大雑把に埃を吸い取り、その後布で綺麗に拭き取る。そして2回目のコート。


一時に全体を塗ってしまうことができないので、塗った箇所が乾いたらひっくり返して別の面を塗ることを一日中繰り返していた。


買って来たばかりの下ろしたての刷毛は、無惨にも水洗いしたらこの始末… まさか一度しか使えないとは思わなかった。
また、安いクランプはこんな具合… もうこういうのは買わない。





28.6.15

一度目の塗装(下地塗り)




何とも露出不足な写真だが、最近、何故だかクッキリし過ぎている写真よりも、靄がかかったような写真の方が好きになってきて、わざわざ露出不足になる条件で撮ったりしている。

天板をサイズ通りに切り出し、鉋がけは終わったものの、天板の周囲をシンプルなままにしておこうか、はたまた飾り彫りを施そうかと、いまだに悩んでいるため、取り付ける前にペイントに突入してしまった。
色は、以前注文して作ってもらったアンティーク オークっぽい色。意図してムラに塗っている。

けっこう重いのだが、作業台の上に何とか持ち上げることができたので、屈んだ体勢でペイントせずに済んでかなり楽だった。
一番下になる段には同居人のハーフブーツが入るよう高さを 25cm 取り、その他の段は 15cm の高さにしてあるのだが、15cm 間隔の棚板を塗っている時、大きな刷毛の長い柄が邪魔になって非常に塗り辛く、何度も「短く切ってしまおうかな」と考えたが、短くしてしまったら、それはそれで使い辛いように思え、仕方なくそのまま使い続けた。
約半分塗り終えたところで本日の作業は終了。

連日の作業でもう身体が悲鳴を上げている状態なため、夕食の支度を機に、今日はこれ以上頑張らずに身体を休めることにした。



27.6.15

肉体労働者


"クランプの君"を待つこと無く、今日同居人に手伝ってもらって本組み立てをした。二人で作業するのは予想以上に楽で、あっという間にグルーを付け固定し終えた。

その後は天板の鉋がけ。
今回は私が購入した中古西洋鉋で行ったが、シャープに研ぎ直したばかりの刃はさすがに気持ちよく削れて、鉋をかけることに何の苦痛も感じなかった。

夢中になって鉋がけをし終わり、夕食の支度に向うと、腕はダルいは、身体はクタクタだわで、しばし動けず…

数分休んでから、頑張って身体を動かし、夕食の支度をし、ワインを飲みながら夕食をとった後は、ベッドに入ってグッタリ。


同居人に手伝ってもらっている時、同居人が口ずさんだ曲がまだ頭にこびりついて離れない。新しい、今売れているような曲ではなく、少々時代をさかのぼるような、今の若い人が好んで聴くような曲には思えない曲で、それは昨年、ある人が私に贈ってくれた、いわば非常に思い入れの深い曲だったので、思わず何故その曲を知っているのかと聞いてしまったほどだった。
夜になって、同居人に、何故あの歌を歌っていたのかと聞いてみると、その時急にその曲が頭に浮かんだだけだと言っていた。

今でもまだ時々、何故なんだ?と思う暗示のような事柄が起こることがある。
私の人生は呪われているのか、はたまた祝福されているのか… 
全くわからない。










26.6.15

Dry Fit


夕方4時半に、ようやく仮組み立てまでこぎつけたが、クランプが完全に足りない。

クランプの君はいつ来るのかな… 早く来ないかなぁ〜と、待ちわびることになってしまった。

明日は天板の鉋がけしかできないかも知れない。




Mortices & Tenons 仕上げ


差し込む側を作るのは比較的簡単だったが、接着部分を寸分の狂い無く合わせるのは、今の私の技術では至難の業で、32カ所の内全く狂い無く合わせることができたのはほんの数カ所のみで、1ミリ以下ではあるが合わない箇所を鉋で合わせて行く作業に少々時間がかかった。

昨日のビデオの人のように、鑿で大雑把に切り取っただけの見苦しく汚い仕上がりの溝に、ピッタリではない(スカスカなサイズの)板をはめ込んで、「グルーとスクリューで固定すれば全然問題無い」と平然と言い切り、正々堂々とお粗末なビデオを公開できる 人、更にはあのビデオを公開することを良しとした"Woodworker's Journal" の判断基準に照らし合わせてみたら、きっとこれでも十分満足のいくものに違いないと、自分の技量の無さを慰めながらせっせと且つ慎重に、薄く薄く削って行った。



接着部分を合わせているとき、いつも思い出すのは、かつて働いていたアンティーク修復工房での経験だ。(私は陶磁器の修復を一から学んだ)
指先の腹で接着部分(或は修復部分)に段差が無いか確かめ、更には軽く爪でなぞってみる。
人間に備わった感覚というのは驚嘆すべきもので、指先、更には爪の末端までみごとに伝わっていて、目で見ただけでは見落としてしまいそうなほどほんのわずかな誤差を的確に見つけられるようになっている。

その誤差をそのままにして気になるか気にならないかが、最終的に美しい仕事ができるかできないかにかかってくるということを、ただ単に物を購入するだけの人はおそらく考えてはいないだろう(私もかつてはそうだった)。


今日も鉋がフル活躍しそうだ。


25.6.15

信じられないほどひどいビデオ




観るも無惨な、お粗末過ぎるデモンストレーション。
おそらく、そこにコメントしている人々の方が何百倍も綺麗な仕事ができるに違いない。



24.6.15

ようやく組み立てに入った


全ての tenon を切り終え、今日ようやく組み立て&接着に取りかかった。

一度に16カ所、板を差し込んで接着しなくてはならない。
乾きの遅い接着剤を使ったものの、差し込む部分が緩ければ比較的楽に入るだろうが、でき得る限りタイトに仕上げたため、全てを一気に合わせるのに難儀をし、「あ〜、もう一人居たら楽なんだけどなぁ〜」と泣き言を漏らしながらの作業になった。(これだけで神経を使い果たしてグッタリした)
接点が直角に接しているかもチェックし、歪みが無いか確かめながらクランプで締めていき、そのまま明日の朝まで置いておく。

明日もまた同じ作業をし、上の写真のようにクランプで留めている間に、接着し終わったものに仕上げ鉋をかけ、天板を用意。
全てを組み上げると、今度はペイント作業が待っている…

あぁ、あと何日かかるのかな…


23.6.15

この冬一番の寒さ

今朝、目覚める前に日本にまた行っている夢を見た。夢の中でも父はもうそこに居なかった。
私が今年1月末から2月末まで滞在していた時のように、ひどく寒い朝の風景...
姉夫婦は仕事に出かける前で、暖房の効いた居間に居た。
母は玄関先で何かをしている様子がガラス戸に映っていた。
夢では、私は前日に実家に着いた設定で、その日はゴミ収集車が来る日だったが、私は長旅で疲れているだろうから、ゴミ出しを手伝わなくていいと姉が気を使って言ってくれていた。
私は、「大丈夫だよ」と言って、おそらく外でゴミ出しの準備をしているだろう母の所に行くところで目が覚めた。

夢の中で震えるほど寒いと感じたのは、実際に寒かったからだというのが、布団から出る前にわかった。
本日のオークランドは一気に冷え込み、午前中は3℃と出ていた。

この寒い中、広々とした山の上の牧場から迷子になった(脱走した?)4頭の牛を探して、私の新しい友達(国内のインターネット オークションでアルミニウム バー クランプを出品していた人)は今日も走り回っていたのだろうか… 
昨日届いたメールに添付されていた見渡す限りの山、山、山の写真…、行方不明の牛たちはそのどこかにいるはずだと書かれていたが、写真を見ただけでこれは難儀なことだとため息が出た。

その"バー クランプの君"は、来週オークランドを通過してもっと北の方に向かう用事があるらしく、その時に私のところに寄るよとメールに書いてよこした。
どんな人か全く想像もつかないのだが、彼の父親はものすごく丁寧な仕事をした大工だったと聞いているので、牛の話やら木工の話やら、色んな話が聞けそうで、ちょっと楽しみである。

オークションでクランプを買わなかったら一生縁が無かっただろうと思われる人との交流… 

私の人生は、この先どのように展開することになっているのだろうか。



19.6.15

32もの穴掘り

昨日は雲の上のお師匠さんのやり方で行ったが、どうしてか彼のように綺麗にできなかったため、今日は自分なりのやり方に変更。
随分マシになってきたが、まだまだ修行が足りないなと実感するばかりである。

120cmの長さの板1本につき8カ所の穴を掘る。合計32カ所…
まだ2本目に入ったばかりだ…

1枚目の写真の左上に写っている小さな板は、掘った穴の深さを測るためのゲージで、薄い端板に鉛筆で線を書いただけの超簡単なものだが、これが非常に使い勝手が良い。




全ての穴を掘り終えた後、そこに差し込む板の加工に入る。
それができたらあとは天板を切り出し、ようやく組み立てることができるようになる。
何とも長い道のりだ...




18.6.15

Mortice-and-tenon


Mortice-and-tenon、日本語で何と言うのかわからない。

電動工具を使わず、父から譲り受けたノコギリとノミを使い、手作業で一つ一つ組み立てているが、まだ上手ではないし、早くもできない。

一日中集中して作業しているので、夕方には疲れ切ってグッタリしてしまい、次に作る物はもっと簡単な物にしようなどとついつい思ってしまう。
でも、これを作り終える頃にはMortice-and-tenonのコツをつかんで、きっともっと効率良く綺麗に仕上げられるようになっているだろうし、これは木工の基本中の基本なのだから、何が何でもマスターしなくてはお話にならないじゃないかと、自分を奮い立たせて頑張っている。


お師匠さんのFacebook page、削除されたと思っていた過去の投稿が、いつからかわからないがハイライトされて戻って来ていた。
色々なことを懐かしく思い出し、心が震えた。




15.6.15

クランプが足りない...


合板の端に1.2cm幅に切った無垢の板を張り付け、パッと見無垢に見えるように(& 合板の幅が予定していた寸法に足りなかったので、サイズ合わせも兼ねている)クランプで留めているところであるが、クランプが足りないので、全くもって作業がはかどらない。
一旦乾けば強力だが、乾きの遅いボンドを使っているために、この冬の寒い時期には最低でも4時間ほどクランプで留めておかないとならず、また追加でクランプを買わなくてはならないなと思いはじめた。

クランプを売ってくれた人とは、珍しくいまだにメールのやり取りが続いている。
かつては牧場主だったという彼は、今は一人で住んでいるらしく、庭にはリンゴの木が2本あり、食べきれないほど沢山の実を付けるので乾燥させて保存しているのだが、今年は何とかいう病害虫の被害を食い止めるべく早めに収穫したので、いつもだったらもっともっと甘くて美味しいのに、ちょっと残念だというメールが来たり、この間は今手伝いに行っている牧場の牛の話をしてくれたりと、これまでに無く新鮮な未知の世界の話が聞けて、これがけっこう面白い。

そんな顔も知らない彼が、来月か再来月にはこちらに来る用事があるので、私に会いに来ると言っていた。
もう何年も国内のインターネット オークションを利用しているが、取引した相手がプライベートで会いに来るというのは初めてである。
彼は山のようにクランプの在庫を抱えているらしいので、また数本購入し、来る時に持ってきてもらうことにしよう。送ってもらっても、今回のプロジェクトには間に合いそうも無いからな…







14.6.15

ヘトヘト


土曜も日曜も無く、作業作業の毎日。

昨日は棚板を買いに行った。
無垢の板を使うとなると、最も安い板でも棚板分だけでNZ$170以上になってしまうため、断念して合板を買い、断面に薄く切った無垢の板を貼付けて、『無垢っぽく見せる』ことに決定。
合板を買う際、切り売りされていたものでも車に入れるのに苦労しそうだったので、半分に切ってもらえるかと聞くと、担当のアイランダーのおじさん(きっと私よりも若いと思われる)が、「それ2枚買って半分ずつに切るんだったら、裏にある倍の大きさの板を4枚に切った方が断然安いよ」と教えてくれたため、お願いした。(2400 × 1200 × 12mm厚 のサイズで、NZ$34.48)
大きな板は、表は綺麗だが、裏が少々グレードが落ちる程度で、シューラックにするのには全く問題無かったため、何と半額の値段で必要な分をゲットできラッキーだった。
レジの所に居た西洋人の店員は見るからにやる気の無さそうな青年で、非常に親切に対応してくれたアイランダーのおじさんとは月とスッポンであった。

今日は買って来た合板を寸法通りに切り揃え、鉋をかけ、スタジオにストックしてある無垢板を薄く切っただけで一日が終わってしまった。

地味な仕事だなと思った。


11.6.15

気が遠くなる下準備


自分で起こした設計図に従って板を切り、全ての面が直角に接しているよう、シューティングボードを使って鉋で削り整えて行く。
鉋で削れるのはコンマ何ミリという薄さであるため、全ての板のサイズを揃えるのにえらく時間がかかり、この作業だけで疲れ切ってしまった。

もう若くはないなと、改めて痛感した次第である。


作っているのは自宅用のシューラック。本棚にもなり得る。


8.6.15

今日の作業


9cm × 120cm のパイン材 4 本分の鉋がけ。鉋屑は休憩の度に庭の植木の根元に撒きに行ったため、山のような鉋屑は写っていないが、作業中、私は鉋屑に埋もれている。

父の鉋の刃はいまだに研いでいないが良く削れる。
最近日本の鉋の方が扱い易くなり、頻繁に使うようになったため、そろそろ研ぎ直さないとならないなと思いつつも気が咎めるのは、自分がまだまだ父親のようには完璧に研げないという思いがあるからに他ならない。


最近国内のオークションで購入した手のひらサイズの Stanley Rule & level Co block plane no.103 
もちろん、速攻で(何段階にも角度のついたひどい状態の)この刃を研ぎ直し、本体の底を平らにし、スーパー シャープな使える鉋に仕上げたが、刃を研ぎ直しながら、一体どんな人がこれを使っていたのだろうという疑問が湧いてきた。
刃を研ぐ角度もまちまち、底も平らでない鉋では、どう考えても見事な仕事はできなかったであろう。





また、同じオークションで購入した Gouge Chisel の刃もこれまたひどい状態であった。
これは刃先の幅が 32mm と広く、オリジナルではないらしい少々朽ち果てた感の漂う柄が付いていた。何故かとても温かい感じがして、柄は取り替えるのをやめることにした。





一番上の写真に小さい鉋が写っているが、今日の作業を終えて夕方家に戻る時、棚に片付けた鉋を見て思わず笑ってしまった。
まるでオモチャのようなサイズの、何とも可愛い鉋であることよ。


7.6.15

車の税金引き下げ


今年7月1日から車の税金が安くなる。
車のタイプによって$40 〜 $170という大きな開きがあるが、ACC levy の負担額が引き下げられたためである。
安全だと認定された車は負担額が低いということで、我家の車にかかるACC levy はかつては$198.65 だったのが $68.46 と $130.19 も安くなり、ライセンス料及び発行手数料、消費税等々と合わせると、以前は$287.75 支払っていたのが、今回は$134.95 と、なんと $152.80 の大幅な値下げに思わず顔がほころんでしまった。

税金が半額以下に引き下げられるなどということは、日本ではあるのだろうか?

電気料や上下水道料金も下がってくれれば更に有り難いのだが…


冒頭のチラシの裏には、7月1日以前に税金を支払う義務のある人への助言… 
もちろん、7月に入る前に更新が必要な人は手続きをしなければならないのは当然だが、"間もなく安くなる事を考慮に入れて、(7月1日前の段階で)必要以上に支払わないように" というアドバイスが書かれていた。
おそらく、これを書いてないと後に苦情が殺到するだろうことを踏まえて書かれていることと思うが、通常3ヶ月、6ヶ月、12ヶ月の単位で払い込みを受け付けているところを、3ヶ月未満の払い込みも受け付けているようで、書類に記入する等の手間はかかるようだが、悪くない対処の仕方であるように思った。




5.6.15

刃が命


父の使っていた鉋や鑿、あるいはナイフ等に使われている刃のほとんどが、このようにラミネートされたもので、非常に切れ味がいい。

日本の刃物と西洋の刃物の違いについては、ここにわかり易く書かれていたので、あえてここには転記しないが、少し前、雲の上のお師匠さんのブログに、昔のある期間、スタンレーでもラミネートした鉋の刃が使われていたことと、昔の西洋の木製鉋には通常ラミネートされた刃が使われていたことが書かれていたので、包丁に関してはどうかわからないが、鉋の刃に関しては、ラミネートして作ることは日本に限った事ではなかったことをここに付け加えておくことにしよう。

ちなみに、私の使っている和包丁は木屋のもので、砥石で研いで使っている。世の中には便利な包丁研ぎの道具が出回っているが、特にチープな包丁研ぎはかえって包丁の刃をボロボロにしてしまうので、使わない方がいいように思う。
切れ味は、やはり砥石で研いだものには到底敵わない。



1.6.15

幼なじみ

そういえば、父のお葬式の日、久しぶりに幼なじみに会った。「久しぶり」と書いただけではどれだけ時間が経っていたのかピンと来ないだろうが、最後に会った時から30年近く経っていた。
30年経っても姉はあまり変わっていないように思えるが、幼なじみの彼は髪型が変わっていた。(変わり果てていたと書いた方がいいほどだ)それでも、昔はジャニーズ系の整った顔をしていたので、顔自体はそこまで変わり果ててはおらず、声は昔のままだった。
彼はその昔TVに出るほど売れた時期もあったフォークデュオの内の一人で、今でも色々なところに出没しては歌を歌っているらしい。
彼の家は私の実家の隣りにあったが、我家とは正反対で、とても裕福な家柄であったため、幼少時代からバイオリンを習い、小学校に通っていた頃は皆の前でよく披露していたのを覚えている。上手か下手かなど、その当時は考えてもみなかったのでわからない。

高校時代、私は同級生のブラスバンド部の男の子二人を彼に会わせる機会があったが、物腰の穏やかな、背の高い、ハンサムな2歳年上の彼と話をした同級生たちは、しばらくの間「カッコいいなぁ〜」と憧れを持って話していたのを覚えている。そう言う同級生たちも端整な顔立ちの子達だったのに、スマートさで負けたと思ったのかも知れない。

裕福な家に生まれ育ったお坊ちゃんだったが、性格はすこぶる良く、あの家族の中で唯一威張った態度を見せたことのない素直な子として、我家の誰もが親しみを込めて名前を呼んでいた。

そんな彼の実家、実に大きな家はまだ私の実家の隣りにあったが、彼の両親は既に亡くなり、一番上のお兄さんは若くして亡くなり、お姉さんは結婚して家から出ており、幼なじみの彼もとうの昔に結婚して姓が変わり、家を出てしまっているために、誰も住んでいない家となっていると、私は母から聞いた。

そう、幼なじみの彼はもうそこには住んでいないので、"隣組"としてお葬式の手伝いに出る義務などなかったのだが、いまだ優しい彼は、父のお葬式の受付やら何やらを手伝いにきてくれていて、改めて良い人だなと再確認してしまった。


父のお葬式では、もっと長い間会っていなかった従姉妹たちと顔を合わせたが、私は従姉妹たちとの繋がりがそんなに強いわけではなかったので、幼なじみほどには特別懐かしい気持ちも湧いて来なかった。


夫を亡くし、翌月60年来の友達を亡くし、2ヶ月後に実の姉を亡くした母は、次々に押し寄せて来る別れに疲労困憊し、一時立ち上がれないほどの高熱に襲われ、一週間の入院治療を余儀なくされたようだが、今は少し落ち着いてきたようでほっとした。

歳を取るというのは残酷だなと、しみじみ思った。



『教わる』or『学ぶ』

雲の上のお師匠さんはとても優しい人で、自分が長年苦労して築き上げてきた木工に関するノウハウを、懇切丁寧に世界中の人々に教えてあげている。

彼が時間をかけて作ったビデオやら本やらブログやらを見て、多くの人はいとも簡単に職人の技を習得できるようになるのだが、彼のフォロワーの内の幾らかの人は彼の生活の糧になる購読料/受講料などを支払って技術を買ってはいるものの、数多の人はそれらを無料で入手することを望み、また要求していたりもする。欲深さというのか、虫の良さというのか、そういうものを雲の上のお師匠さんは感じたりしないものなのかなと、度々思うことがある。

彼は善良な人なので、質問を受ければ極めて真摯に一つ一つに回答し、人々にわかり易いように図解したり、写真を撮ったり、わざわざビデオを撮り、編集したりし、できうる限りの努力を惜しまない。
では、質問した側はどうかというと、彼以上に頭を使って考え、試行錯誤している人が多いようには、私にはどうしても思えない。『おんぶに抱っこ』状態とでも言おうか、お師匠さんがアップしている写真を見れば、どのような作りになっているのか察しがつくだろうにというようなものまで、やれサイズを教えてくれだの、作り方を丁寧に教えてくれだのと、何の努力もしないで要求だけをコメントして来る輩まで居る始末だ。

『教わる』ことに馴れっこになっている人というのは、創造性に欠けるのか、はたまた自分で時間をかけて考えるのが面倒なのか、速攻で『聞く』という体勢に入るのが習わしになっているように感じる。

私がステンドグラスを勉強し始めた頃、私の周りの教室生たちはこぞってティファニーのレプリカランプを作っていた。5年以上教室に通っていた人も多く、さすがに高級なガラスをふんだんに使い、見た目は立派なものが出来上がっていたが、それらは所詮 "コピー" でしかない。どのようにして作るのかと言えば、既製のパターンを使い、既製のモールドを使い...、考えるのはどのガラスを使うかということだけ。色彩感覚の良い人は選ぶガラスで個性を発揮しようとするが、たとえ色彩が調和がとれたものであったとしても、ガラスの質感が薄っぺらなものでは安っぽくし上がってしまうのを免れない。結局、どれだけ高級なガラスを使うかということだけに焦点が行ってしまうのだ。

私にステンドグラスを教えてくれた先生が、「多くの生徒は自分でデザインしたがらないのよ。本当はデザインすることが最も大切で、最も楽しい作業なのにね...」とぼやいていたのをよく覚えている。
長年教室に通っていた生徒が、独立して自分の教室を持ちたいと先生に相談したところ、先生は良い返事を返さなかったこともあった。そんな先生が、たった半年しか教室に通わなかった私に、自分で教室を開きなさいと言ってくれたのは異例中の異例だったらしく、何故ティファニーのレプリカを一つも作らず、それらを作る事に興味も示さなかった私が教室を開けるのだと憤慨した人も多かったに違いない。

私はたんなる『お稽古事』としてステンドグラスを学び始めたわけではなかったので、取り組み方は明らかに優雅な奥方たちの楽しみとは違っていたし、また、何年もかけて教室で習うことでもないと思っていたのも事実だ。一人の先生に教えられた事だけをやっていたわけでもなかった。何件ものステンドグラスショップに出向き、ガラスやらその他の必要材料を購入しながら、様々な人の色々なテクニックを見聞きし、自分が納得できる方法を選別し、更には自分なりのやり方に変えて行った。

貧乏な家で生まれ育った背景がある人は、何とかして自力で習得し、事を成し遂げようと試みることが多い。私の家族のほとんどはそのような人たちで、雲の上のお師匠さんもまたそのような人であることがよくわかる。

彼が、『おんぶに抱っこ』の人たちを今後どのように扱うようになるのか、楽しみながら見ていることにしよう。


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...