26.6.15

Mortices & Tenons 仕上げ


差し込む側を作るのは比較的簡単だったが、接着部分を寸分の狂い無く合わせるのは、今の私の技術では至難の業で、32カ所の内全く狂い無く合わせることができたのはほんの数カ所のみで、1ミリ以下ではあるが合わない箇所を鉋で合わせて行く作業に少々時間がかかった。

昨日のビデオの人のように、鑿で大雑把に切り取っただけの見苦しく汚い仕上がりの溝に、ピッタリではない(スカスカなサイズの)板をはめ込んで、「グルーとスクリューで固定すれば全然問題無い」と平然と言い切り、正々堂々とお粗末なビデオを公開できる 人、更にはあのビデオを公開することを良しとした"Woodworker's Journal" の判断基準に照らし合わせてみたら、きっとこれでも十分満足のいくものに違いないと、自分の技量の無さを慰めながらせっせと且つ慎重に、薄く薄く削って行った。



接着部分を合わせているとき、いつも思い出すのは、かつて働いていたアンティーク修復工房での経験だ。(私は陶磁器の修復を一から学んだ)
指先の腹で接着部分(或は修復部分)に段差が無いか確かめ、更には軽く爪でなぞってみる。
人間に備わった感覚というのは驚嘆すべきもので、指先、更には爪の末端までみごとに伝わっていて、目で見ただけでは見落としてしまいそうなほどほんのわずかな誤差を的確に見つけられるようになっている。

その誤差をそのままにして気になるか気にならないかが、最終的に美しい仕事ができるかできないかにかかってくるということを、ただ単に物を購入するだけの人はおそらく考えてはいないだろう(私もかつてはそうだった)。


今日も鉋がフル活躍しそうだ。


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