1.6.15

幼なじみ

そういえば、父のお葬式の日、久しぶりに幼なじみに会った。「久しぶり」と書いただけではどれだけ時間が経っていたのかピンと来ないだろうが、最後に会った時から30年近く経っていた。
30年経っても姉はあまり変わっていないように思えるが、幼なじみの彼は髪型が変わっていた。(変わり果てていたと書いた方がいいほどだ)それでも、昔はジャニーズ系の整った顔をしていたので、顔自体はそこまで変わり果ててはおらず、声は昔のままだった。
彼はその昔TVに出るほど売れた時期もあったフォークデュオの内の一人で、今でも色々なところに出没しては歌を歌っているらしい。
彼の家は私の実家の隣りにあったが、我家とは正反対で、とても裕福な家柄であったため、幼少時代からバイオリンを習い、小学校に通っていた頃は皆の前でよく披露していたのを覚えている。上手か下手かなど、その当時は考えてもみなかったのでわからない。

高校時代、私は同級生のブラスバンド部の男の子二人を彼に会わせる機会があったが、物腰の穏やかな、背の高い、ハンサムな2歳年上の彼と話をした同級生たちは、しばらくの間「カッコいいなぁ〜」と憧れを持って話していたのを覚えている。そう言う同級生たちも端整な顔立ちの子達だったのに、スマートさで負けたと思ったのかも知れない。

裕福な家に生まれ育ったお坊ちゃんだったが、性格はすこぶる良く、あの家族の中で唯一威張った態度を見せたことのない素直な子として、我家の誰もが親しみを込めて名前を呼んでいた。

そんな彼の実家、実に大きな家はまだ私の実家の隣りにあったが、彼の両親は既に亡くなり、一番上のお兄さんは若くして亡くなり、お姉さんは結婚して家から出ており、幼なじみの彼もとうの昔に結婚して姓が変わり、家を出てしまっているために、誰も住んでいない家となっていると、私は母から聞いた。

そう、幼なじみの彼はもうそこには住んでいないので、"隣組"としてお葬式の手伝いに出る義務などなかったのだが、いまだ優しい彼は、父のお葬式の受付やら何やらを手伝いにきてくれていて、改めて良い人だなと再確認してしまった。


父のお葬式では、もっと長い間会っていなかった従姉妹たちと顔を合わせたが、私は従姉妹たちとの繋がりがそんなに強いわけではなかったので、幼なじみほどには特別懐かしい気持ちも湧いて来なかった。


夫を亡くし、翌月60年来の友達を亡くし、2ヶ月後に実の姉を亡くした母は、次々に押し寄せて来る別れに疲労困憊し、一時立ち上がれないほどの高熱に襲われ、一週間の入院治療を余儀なくされたようだが、今は少し落ち着いてきたようでほっとした。

歳を取るというのは残酷だなと、しみじみ思った。



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