26.5.24

従姉妹の死

 今年 3 月、亡き父の誕生日に、九州に住んでいた父方の叔父(父の一番下の弟)が食道癌で亡くなったと知らせを受けた。叔父は母よりも 10 歳年下で、急の知らせに母が一番驚いた様子だった。

叔父は貧しい家に産まれたものの、頭脳明晰で、奨学金を受け東北大学工学部に入学。そして主席で卒業したとのこと。その後は新日本製鉄に入社し、必死で語学を学び、様々な国に単身で技術提携に行っていた時期もあった。
日本に帰って来ると、次は工場長の職が待っていて、エリートコースにしっかり乗ったかのような人生を歩んでいたが、退職後は、難病に冒され植物状態となってしまった妻の世話を、文句も言わず 15 年に渡り一人で行い、妻が亡くなって数年後に、自分自身の命も尽きてしまったのだ。

叔父がどれだけ勉強家であったかは、使っていた英語の辞書を見るだけでよくわかった。
その、表紙がボロボロになった辞書の全てのページ、全ての単語に赤線が引かれ、確かに覚えた単語は塗り潰されていたのだ。貧しかったが故に、一冊の辞書はとても貴重で、その辞書を何度も何度も繰り返し勉強することしかできなかったのだろう。

私なんぞは、そこまでの根性も勉強に対する情熱も無く、持っている辞書は売りに出せるほど綺麗なままだ。


そんな叔父の最期から 2 ヶ月半が経ち、今度は私と同い年の従姉妹が、(奇しくも私の誕生日当日に)大動脈解離で亡くなったと、母から LINE を通して知らせが入った。

従姉妹とは同じ高校に通っていたにも関わらず、特に仲が良かったわけでもなく(仲が悪かったわけではないが)、いつも一緒にいる仲間というわけではなかった。
私の父の葬儀にも参列してくれていたが、一瞬挨拶を交わしただけで、昔話に花を咲かせるでもなく、近況報告するでもなく、他の従姉妹の方が多く話をしていたほどだった。

そんな、ただ血の繋がった親族というだけだったような存在だが、同い年の従姉妹が亡くなったというのはやはりショックで、数えるほどしかない、その子と一緒の空間に居たシーンが幾度となく蘇ってきて、訃報を聞いた夜はなかなか寝付くことができなかった。


人の一生というのは予測できるものではない。
自分の人生なのに、自分ではどうにもできないことに振り回され、歯痒く、口惜しい思いをし続けて一生を終えることになる人を、神はそれで良しとしているのかと、苛立ちを覚えたことは数知れず...

私が学んだ聖書に描かれている神は、全知全能であるのにも関わらず、何故人間の従順さを試さなくてはならないのか...  
人間の心の中まで見透かせる能力を持っているのなら、わざわざ "試す" 必要がどうしてあろうか...


10 代、あるいは 10 歳以下から片親だけで育った私の子供たちは、思いやりのある大人になった。
それを心からありがたく思いながらも、時々ふと、『私は産まれて来なければよかった』という思いが頭をよぎる。子供達を産んでおきながら、甚だ不謹慎な話だ。

私がこの世に産まれて来ていなかったら、彼の人に出会うこともなく、彼の人の人生もあんなに早く終わっていなかったかも知れないと、どうしても考えてしまうのだ。

もう誰とも関わりを持ちたくない。誰の運命にも関係したくない。
誰の運命も左右することなく、人生を終えたい。

彼の人を失ってからというもの、私の神への疑問は増大するばかりで、それこそ神への冒涜だと、熱心な信者からは非難されるに違いない。

この世に産まれる前のことも、死んだ後のことも、今生きている世に於いてはわかる術もない。

何の為に生まれてきて、何のために生きているのか、真の答えを出せる人などいるはずはない。答えを出せる人がいたとしても、それは完全なるその人の "勝手な思い込み" 以外の何物でもないだろうなどと、世の中の敬虔な信者たちから顰蹙を買うようなことを頭の中で思い巡らし、結局何の答えも見出せないまま、私はこの世から消えていくことになるのだろう。

その最期の日がいつ来るのかも、全く予想できず、ほぼ当たらないだろうと思いつつ買っているロトに、思いとは裏腹の大きな期待を抱いて生活するしかない現状...

同い年の従姉妹は死んでしまったのに、私はまだ生きている。病院にかかることもなく...





19.5.24

老化防止策



先日コスコに買い物に行った折り、棚の上からベーキング ソーダを取ろうとしたが、力が入らず、きっちりと詰まった中から抜き出すことができなかった。


また、スパゲッティも重くて取れず、いつも一緒に行ってくれる T に全部頼まなければならない羽目になった。

かつては業務用の冷蔵庫を一人で動かし、キッチンの模様替えをしていたような私なので、たとえ 6kg 強のベーキング ソーダであろうが、500g x 8 袋 = 4kg のパスタであろうが、単独で置いてあれば片手でも何とか持ち上げられるが、ぎっしりと詰めこまれた中から引き出すことはできず、コスコに行って、年老いて腕力が著しく衰えてしまったことを実感することとなってしまった。

歩きに行った方がいいかな...

最近よくそう思うのだが、毎日歩いて仕事に出ていた大家さんの奥さんも、かつて、健康のためにと雨の日以外は歩きに行っていた私の母も、膝をひどく痛めてしまったことを考えると、歩きに出ることを躊躇ってしまうのだ。


色々なところが衰えて来てはいるものの、長時間出歩くこともなく、長時間立ちっぱなしで作業することもなくなってきている私の膝は、まだ健在のように見える。

スーパーマーケットやら、コスコに行く以外出歩かない。そんな、月に数回しか出かけることのない私の老化防止策は、VR のみと言っても過言ではないだろう。

家に居ながらにして、反射神経、膝、腕、肩等の関節をそこそこ鍛えられるという、年寄りにはもってこいの "運動器具" で、場所を取る高価で大きなマシンも要らず、腕を振り回してぶつかる物がない程度のスペースがあればできるのである。

一つの運動だけでは飽きてしまう私は、いつも First Parson Tennis(テニス)、Beat Saber、FITXR(ボクシング)、を数分ずつ交代でやっているが、息が上がるのは Beat Saber とボクシングで、テニスはただ楽しみでやっているという感じである。それでもアーケードゲームはアドバンスでランク 1 位を取れる。汗だくで、息も絶え絶えにやっているボクシングでも、スコアは 1 位か 2 位をキープしているので、まだボケてはいないようだと安心する。

初めて VR を手にした時には、1 時間近く遊んでも体がついていけたのだが、しばらく VR をサボり久々にやってみると、ボクシング 10 分がかなりキツくなっていて、特に足がヘロヘロになり、呼吸数が異常に多くなり、まずいかな...と思うほどの状態になってしまっていた。

もちろん、止めようと思えばいつでも止められる。(死ぬかなと思えるほど無理をするものではない)
若い頃、一斉に同じことをするよう強要された体育の時間と違い、自分のその時点での限界以上に頑張る必要などなく、自分でコントロールしながら行えるというのは、老体にはもってこいだ。

とは言っても、せっかくこの自然の美しい NZ に住んでいるのだから、時々は外に出かけて、自然に触れる機会をもう少し多く作った方がいいかも知れない。


あぁ、でも一人で始めたら、絶対に長続きしないだろうな...




18.5.24

子供が出て行った大家さん宅

大家さんの家は我が家の隣にあり、息子さんたちが住んでいた頃は彼らの友達が度々出入りし、常に賑やかな雰囲気だったが、2 人の息子さんが結婚し、市内の他の場所にそれぞれ家を買って引っ越してしまったようで、最近は夫婦 2 人だけで、非常にひっそりとした家になってしまった。

大家さんのご主人は数年前にパーキンソン病を発症し、手の震えから始まり、最近では歩行も困難になって来ているようで、小刻みにしか足を踏み出せなくなっている様子を見ると、何だか痛々しく、息子さんたちが出て行った事へのストレスがだいぶ大きいのだろうなと、察する次第である。

大家さんは、最近事あるごとにやって来ては T に色々仕事を頼むようになった。
多分、彼のパーキンソン病の症状が悪化して来ているためだろうが、庭木の剪定やら草取りやらは、いつの間にか T と私の仕事になってしまっている。
結構な金額の家賃を払っているのに、本来は大家さんが(業者に頼むなりして)やるべき作業を、文句も言わず引き受ける T を大家さんは大層気に入っていて、"自分の息子同様に" 扱うのは、高額な家賃を支払いキツキツな生活を余儀なくされている身としては決して喜ばしいことではないのだが、他に引っ越すのに適した場所も家も無く、仕方なく受け入れるしかない状態でいる。

そんな大家さんが、最近家財を売りに出すようになった。

奥さんに引っ越しを考えているのか尋ねると、「息子たちが出て行って、夫婦二人には家が広過ぎ、夫も歩行が困難になって来ている上に、自分自身も膝を痛めていて、二階への登り降りが苦痛になっている」とのこと。35 年以上も住んでいる家で、他に移るのは非常に残念だけれども、こんな状態なので、階段の無い平屋で良いところを探していると... それに、息子たちと住めば嫁とのいざこざも皆無とは言えなくなり、面倒なので二人で暮らしたいとのことだった。

歳が多くなってくると、健康問題は生きていく上での大きな障害となる。
生まれてからこのかたお金には困らない生活を送り続けてきただろう大家さん夫婦も、健康でなければその優雅な生活を維持できないのだ。

だがしかし、この安全と言われている地域から他に移るのは至難の業だろう。


近年、地震やそれに伴う津波、大洪水による甚大な被害やら、竜巻による大惨事等々、天災と呼ばれる類のものが世界各地で頻発している。

地震や竜巻に関しては、どの地域に住んでいようが、直撃されたらお終いだ。だが、津波、大洪水に関しては、免れることが可能な場所が確実にある。

通常海岸沿いの家は高級住宅地とされていて、ここ NZ も例外ではないが、津波はもとより、大雨と満潮時が重なったら悲惨なことになる可能性は大で、現にミッションベイ(タマキ ドライブ)などでは、私が知る限りでも数回浸水の被害が出ている。

山を背にして建っている家は地滑りによる被害が想定される場合があり、その山(丘)の上に建っている家は崖崩れで自分の敷地の一部が崩落してしまう危険性が否定できない。

昨年 1 月、豪雨に見舞われたここオークランドでは、超高級と言われているエリアでさえも、死者を出すほどの被害があった。
海、河川の近辺やら、低い土地、或いは切り立った崖の上/下に家を構えるのはリスクが大きいことを、多くの人は嫌というほど思い知らされたわけだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる人々は、過去に崖崩れが起こっていた地域に、何の対策も施さないまま、新しく住宅を建設していたという事例が報道され、その全くもって愚かな判断が、おそらくこの先も繰り返されて行くに違いない。
しっかりした対策が取られないのは、ひとえに金銭が絡んでいるからに他ならない。
この先起こるかどうかわからない天災を考慮に入れた上で、人命重視の対策を取るかどうか...
思慮深さが試されるところだ。


急坂の多いオークランド。家が高台に建ってはいても、斜面に沿って建てられている場合は、駐車場もしくは階下に水が流れ込むことも懸念される。

また、天災の被害以外でも、車の出し入れが大きなストレスとなるほど急なドライブウェイを下った先に家があるという場合がある。かつて、T の台湾人の友達がそのような所に家を買ったことがあったが、大きな荷物の搬入時には運送の車が家の前まで入れず(下ることはできるが、下ったら最後、大きなトラックは自力で登ることが不可能と思えるほどの急坂)、大きな荷物を歩いて運ばなければならなかったという、笑えない話を聞いた時には、そんな所は絶対にゴメンだなと思った。しばらくしてその友達は別の場所に家を買い、その家は売った。
そのように恐ろしく急な坂の下にある家というのは、T の友達が以前買った家のみならず、至る所に見られる。そのような場所にある家を買う人がいるということ自体が驚きである。

様々な可能性を想定して、"どこに住んでいたとしても免られない災害" を除けば比較的安全という地域の一つである(今住んでいる)ここは、他と比べて犯罪も少なく、物騒な事件も、私たちが住み始めてからこれまで起こってはいない。
大家さんたちは、そんな地域から、どこに引っ越そうと考えているのだろうか?

引っ越してしまったら、おそらく今の家は売るのではなく、借家とするに違いない。
これから少なからず色々なことが変わって行くのだろう。

この先も平穏でいられることを、ただただ願うのみである。




8.5.24

在留証明書をもらいに領事館へ...

珍しく、日本年金機構から現況届の用紙が届いた。多分初めてか、あっても過去一回届いた事があったかどうかという程度の朧げな記憶しかないほど、滅多に届かない通知である。

いつも通知が届かないので、『現況届未着』と書き添えた上で在留証明書を送付していたのだ。

領事館での申請には、住所が証明できる書類と、日本の年金事務所から送られてきた私の住所が書かれた封書を提出するだけでこれまでは事足りていたのだが、今回はスタッフが変わったせいか、申請書、現況届用紙、年金事務所から送られてきた封書等を揃えて出してから数十分後になって、今度はパスポートを出せと...
パスポートは持っていないが、NZ の運転免許証は持っていると言うと、窓口の職員は渋々受け取り、次にはパスポートを持って来るようにと冷たく言われた。
そして、それから待つこと更に数十分...

私の後から何らかの申請に現れた人々は、全て要件を済ませて帰ったというのに、私は誰もいなくなった部屋でずっと待たされ、 1 時間近く経ってようやく名前を呼ばれた。
時間がかかったことを詫びるでもなく、『次からはパスポートを持って来てください』と、完全な上から目線で、ニヤリと笑いながら、在留証明書と提出した書類を渡す職員を見て、無性に腹立たしくなった。

私が書いた在留証明申請書を本人確認して、ただハンコを押すだけの作業が、そんなに難しいか?
しかも今回はきちんと、日本から届いた "現況届" まで提出し、その現況届には日本語での氏名表記まであるのに、それと同じ日本語名が書かれている申請書を提出したことに何か不備があるとでもいうのだろうか?

私が部屋に入って直ぐに、二人組の日本人男性が窓口に行き、(多分)地位のある人に面会を求めていた。
窓口の女性職員は、初めはアポイントがあるかどうかを尋ね、無ければ面会はできないと言っていたが、男性たちが email でのやり取りがある旨を告げると、部屋の奥に入って行き、間もなく背の高いショートヘアの女性が現れた。
その背の高い女性職員と来客の男性たちとの面談(歓談)は 30 分以上にも及び、男性たちは帰りがけに手土産と思しき物を女性職員に手渡した。

「日本人らしいな... でも、国家公務員って、ギフトを受け取っていいんだっけ?」と、一緒にいた T が私に言った。
中身が何にしろ(だだの菓子折りか、金品/賄賂だったのか知る由もないが)、公的な立場にある人が、ましてや職場で何がしかを受け取るのは相応しくないように思えて仕方がない。

もしかしたら、その女性職員が私の申請書に目を通すことになっていたせいで、手続きが遅れていたのかと勘繰れなくもないねと、長時間待たされて非常に不機嫌になってしまった私は、車を停めてある "心臓破りの坂" の上を目指して、息も絶え絶えに、カタツムリのようなスピードで登って行かざるを得なく、領事館に足を運ぶのはもうウンザリだと心底思った。

オークランドの市中、メイン通りは、多くもない歩行者のために歩道を広げ、片側 1 車線のみの車道に縮小されているのに加え、一般車の乗り入れ禁止区間を不明に作り、全くもって意味不明な道路の作りとなってしまっていた。

一体何をしたいのか、何を目的に変革したのか、さっぱりわからないという、多くの市民の怒りの声は全く聞き届けられていない現状である。


余談ではあるが、ここ NZ には、首都ウェリントン、クライストチャーチ、オークランドの 3 箇所にしか日本国大使館又は領事館は無く、大使館/領事館から遠く離れている地域に暮らす人々は、お金も時間もかけて遠路遥々出向かなくてはならないことを考えると、私はまだ恵まれている環境だと言えるが、遠路遥々出向いてあのような "親方日の丸" な対応をされたら、更に腹が立つことだろう。




28.4.24

入院 1 ヶ月を超えた母

入院時の見立てでは約 1 ヶ月の入院とのことだったが、やはり高齢なせいか、筋肉の衰えは否めなく、リハビリの成果も若い人ほど顕著では無いようだ。

それでも、ベッドから車椅子には自力で乗り移れるようにはなったようで、これだったら、退院しても車の乗り降りはできそうだというので、少しは安心したのが数日前...

一昨日来た連絡によると、退院はゴールデンウィーク明けになりそうだとのこと。
外出時は車椅子を使わざるを得ないだろうが、家の中では歩行器で動き回れるだろうとのことで、90 歳を超えても一生懸命頑張っている母の姿を想像したら、何だか可哀想で泣けてきた。


実家は、父が亡くなった後すぐに耐震構造の家に建て替えたのだが、バリアフリーにはなっておらず、車椅子用のスロープも無く、玄関の上がり框の段差も、車椅子には適さないため、裏庭に面したベランダに昇降機を取り付けて、そこから車椅子ごと家に入れるように考えているとのことだったが、長く地元の建設会社の IT 部門で勤務した姉のことだから、工事の依頼に関しては何の問題も無く、即座に対応してもらえるに違いない。
色々と新たにやらなければならない事が出てきてはいるが、姉だったら抜かりなく、また手際良く事を進められると確信できる。

母が入院中にも脳トレができるようにと、入院直後に『間違い探し』の本を買いに行き(寝ていてはタブレットでパズルゲームを操作し辛いだろうとの思いから)、毎日少しずつでも頭の体操をするようにしてくれてある。



入院直後からしばらくの間は何もやる気が起きない状態だったらしい母も、姉が毎日面会に行き、刺激を与えてくれているおかげで、きついだろうリハビリも頑張り、歩行器で歩けるまでになったのだ。

姉が本当によく面倒を見てくれていることに、ただただ感謝するばかりである。





19.4.24

19 年物冷蔵庫ついに死亡

数日前、ここに引っ越した際に購入した三菱製の冷蔵庫付近から変な音がしていた。どこから音がしているのかと気にはしていたが、一昨日、氷を出そうとして溶け始めているのを発見...

19 年ももったのだから寿命だろうと考え、急遽、手頃且つ容量の大きな冷蔵+冷凍庫をネットで探し始め、目星をつけると、次に、市内でその機種を取り扱っている店を探した。
ほとんどの家電専門店では、Price Much Guarantee (他店で全く同じ商品が安く売られていることを提示すれば、それと同等もしくはそれよりも安く販売してくれるというサービス)をうたっているため、まず先にネットで価格を調べておけば、ほとんどどこの店でも今現在の最低価格で購入できることになる。あとは配送料金と配達日でどこの店で買うかを決定すればいいだけだ。

実際に商品を置いてあるらしい店は極々限られていて、回ったのはたった二件だけ。
その内の一件 Noel Leeming は、希望する機種はあったものの(Webサイト上には、その店には在庫無しと書かれていたが)、配達日は 2 〜 3 週間後というので、それではお話にならないと、上位機種ではあるが $500 以上も高いものを買わざるを得なくなり、対応のすこぶる良かった Harvey Norman で、特売価格よりも更に $70 ほど値引きしてもらった上で、翌日配送してもらうことになった。配達、設置と、これまで使っていた冷蔵庫の撤去代等を含めると $2,000.00 近い出費となってしまったが、翌日配達は願ってもないサービスで、何より他に選択肢は無く、泣く泣く注文確定となったわけだが、正直ため息しか出なかった。

さすがに翌日配送は予想していなかったため、急いで家に戻り、慌てて設置場所の掃除...

あんなに狭い空間にこんなにも物が入っていたのかと驚きながら、使っていない部屋に取り敢えず一時収納したが、新しい冷蔵庫を入れた途端にまたこのゴチャゴチャを元の位置に戻すのかと思うと気が重く、また、これまで冷蔵庫の上に棚を設置し、フライパンなどを収納していたのが、今回は冷蔵庫の高さが高過ぎて、踏み台を使わなくては手が届かない事がわかり、対策を考えざるを得なくなった。( T は踏み台昇降運動だと思ってやればいいと笑っていたが、やはり面倒臭い)

高い棚の中の物を簡単に取り出すためにはプル ダウン式にするのがいいだろうと、兼ねてから思っていたが、売られている出来合いのものは値段が張りすぎる。
自作するのはそう大変そうでもないが、他にもっと楽な方法はないものだろうかと、狭いキッチン&ダイニングを眺めながら考えている真っ最中である。



ちなみに、これまで日本製以外の冷蔵庫は買った事がなかったので、今回買った LG がどれだけの期間使えるのか少々心配ではあるが、この LG の420ℓは、棚板の一枚が半分スライドして、奥行きが半分になるようになっていて、これがすこぶる使い勝手が良く、コスコで買う Real Mayo やら、背が高く尚且つドアポケットに入らないほど太い瓶類、古いタッパーウェアのレタスキーパー等々が余裕で立てて入り、しかもその奥に置いた物も見易く取り出し易いというのが、何より嬉しい点だ。


耐久年数に若干の不安はあるものの、まぁ日本に居た時に使っていたシャープ製の洗濯機は買って間もなくからしょっちゅう壊れていたので、日本製だからといって安心はできないこともよく承知しており、比較的評判の良い他メーカーでも、電化製品というのは個々に当たり外れがあることは重々理解しているため、運良く性能の良い物に当たってくれているのを、ただただ願うのみである。

ついでだが、これまで使っていた三菱製の冷蔵庫よりも数年前に買ったデロンギのオーブントースターはいまだ健在で、流行りのエアー フライヤーに買い替えられないでいる。
また、ここに引っ越す際、冷蔵庫と同時期に買い揃えた電子レンジも、洗濯機も、衣類乾燥機も、まだ何とか使えているが、恐らく、いつ壊れてもおかしくはない状態だろう。

H たちの犬が怪我をし、手術をした際の費用が $3,000 を超えていたことを考えると、まぁ何年も使えるだろう物だしな...と、思わぬ出費で受けたショックを、無理やり笑い飛ばしている今日この頃である。





13.4.24

若干焼き過ぎのショートブレッド

買い置きのお菓子が無くなっても、卵やら野菜類が無くならない限り買い物には行かない私...

口寂しい時には、家にある材料でお菓子を作ってよしとする。

数日前にはマドレーヌを焼き、そして今日はショートブレッドを焼いたが、どちらも楽にでき、面倒だと思う前にオーブンに入れることができるという点では、バスク チーズケーキと大差はない。



ショートブレッドを焼いたのは何年ぶりだろうか?
ボソボソの生地を型に押し込みながら、この生地ってこんなボソボソだった?と、遥か昔の記憶を辿ってみても何も覚えていなかった。

焼き上がると型に入れたまま冷まし、冷めたところでショートブレッドを慎重に切ってみたものの、やはり綺麗には切れず...

切りながら、ポロッと崩れた小さなピースを食べてみると、サクサクとしていて、非常に美味しかったので、形はどうあれ、とりあえず満足した。


焼き上がったショートブレッドを切り分けるのは少々面倒なので、次回は切らなくてもいい方法を考えよう。


さて、甘い物が続いたので、次はコーヒーゼリーを作ることにしようか...
コーヒーゼリーは、朝コーヒーを淹れる際に、用意したカップ分だけ多めに作ればいいだけで、水でふやかした粉ゼラチンを混ぜてカップに分け入れ、粗熱が取れたら冷蔵庫に入れて数時間待てば出来上がるという超簡単さ。(コーヒー液には砂糖など入れない方がすっきりしていて美味しい)
作り置きの自家製シロップ(砂糖+水を適度に煮詰めたもの)と冷凍してある生クリームのキューブを事前に解凍しておけば事足りるのに、何故日本では自分で作らず、スーパーマーケット等で買っていたのだろうか? 多分、物が有り余るほどある日本では、別に時間をかけて自分で作ったりしなくても、比較的安価で何でも手に入るからなのだろうが、こんな簡単なデザートまでも買っていたんだなと思うと、今更ながら、自宅で作らなかった自分に呆れるばかりである。



 

7.4.24

NZ は本日 Daylight Saving(夏時間)終了

 本日午前 3:00 に時計の針を1時間巻き戻し、午前 2:00 となったNZ。

携帯電話も、パソコンも、はたまたデジタル式時計までも自動的に時間が変わっており、壁掛け時計が無かったら時間が変わっていることに気付かないかもしれない。

我が家にはキッチン&ダイニングとバスルームにそれぞれ 1 個ずつ壁掛け時計があるだけで、毎回時計の針を動かすのは、背伸びをしなくても時計に手が届く同居人 T の役目だ。私はもうう何年も前から背伸びをしても届かなくなっている。(明らかに背が縮んだということだ)

これから約半年間に及ぶ秋から冬にかけての時期は、例年雨ばかりの季節となっているが、今年はどうなることやら...

冬の時期は暖房等で光熱費が嵩むため、政府は年金受給者や生活困窮と認められた者に補助金を支給してくれることになっている。もちろんそれで光熱費を全て賄えるわけではないが、無いよりはよほど良いと感謝するしかない。


サマータイムの無い日本からこちらに来た当初は、このデイライト セイビングの始まりと終わりには少なからず困惑したものだが、21 年も経つと何の違和感もなくなるものだ。

今日から日本との時差は 3 時間。(これまでは差は 4 時間)
電話することは滅多にないが、LINEでやり取りするのにも、この 1 時間の差は結構大きい。





3.4.24

NZ 老齢年金額支給 増額

 今年も年金支給額が増額となった。


支給額は独身で一人暮らし、独身で 18 歳以上の同居人がいる、受給資格有りのパートナーと同居している、受給資格無しのパートナーと同居している等の分類はあるものの、年齢には関係なく、65 歳以上であれば、それぞれの分類において一律に支払われることになる。

私の場合、これまでは日本円にして月 15 万円強だった支給額が、この 4 月から 17 万円強となった。もちろん、日本年金機構から支給される額を、変更がある都度申告しているので、その額が NZ ドルに変換されて差し引かれることになるわけだが、(為替レートの関係で若干差は出てくるものの)日本の年金と NZ の年金を合算して、概ね NZ の固定支給額である月 17 万円強は支給されるということで、日本に住み続けていたら『到底生活できないレベルの年金』しか受け取ることができなかったことを考えると、非常に有り難いことだと感謝せざるを得ない。

昨年末の選挙で政権が変わったことが影響しているのかどうかはわからないが、年金受給資格に合致しているかどうかを判断する基準は、今年 7 月 1 日から改定されるとのこと。
既に年金受給資格がある者には適用されないので、私には関係のないことだが、今後、年々規約は厳しいものになっていくことは十分予想される。


永住権申請などに関してもそうだが、ほぼ全ての申請に関して、審査が厳しいものとなって来ているのは間違いない。
私の知る中東系の知人などがここ NZ に来た遥か昔には、最初に降り立ったイミグレで「永住権要る?」と聞かれ、何の制約もなく永住権を発行してもらえたらしく、私が申請した時に課されていた英語の試験 IELTS やら、膨大な申請資料やらを目にして、「自分が今申請したら絶対に永住権は取れなかったな」と笑っていたのを、今でもよく覚えている。
今現在は更に永住権が取り辛くなっているに違いない。


将来日本を離れどこか他の国で生活しようと考えている人は、何処の国においても、おそらくこの先、永住権取得は年を追うごとに難関となって行くと考えていた方がいいだろう。


だがしかし、この世は全て自分の予見した通りに物事が動くわけではなく、運命を決めるのは自分自身ではないことを、覚悟しておいた方がいい。
私はそれを痛いほどよく知っている。






2.4.24

手術翌日からリハビリに入った 90 歳超えの老婆

母の手術は 2時間ほどで順調に終わり、翌日から早速リハビリが始まると姉から知らせが来て、私と子供たちは「大丈夫か?」と驚きを隠せなかった。

母は入院前の認知症の検査でも全問正解だったということで、医師や看護師に驚かれたようだが、頭が冴えているだけではなく、手術後直ぐにリハビリもできると判断されたほど元気なようだ。

姉が、母から電話がかかってきて「タブレットを持ってきて」と頼まれたと笑っていた。母はタブレットでジグソーパズルをするのが日課になっていて、1 ヶ月ほどになる予定の退屈な入院生活を、パズルをして過ごそうと咄嗟に思ったらしい。
「やる気満々だな」と笑う姉につられて私たちも大笑いしてしまった。

数年前に新築したばかりの市民病院では Wi-Fi が使えるようになっているらしく、カフェやコンビニも入っているとのことで、明るく広々としたピッカピカの院内での生活は、以前よりはずっとマシになっているに違いない。


90 歳を超えて大腿骨を骨折してしまったのに、笑い話になってしまう母の元気さは、凄いとしか言いようがない。

骨折はしたものの、予想を遥かに上回る元気さで心底安心した。

ちなみに、日本に居る長男の所に電話した母が、私にはまだ入院していることを知らせていないと言っていたらしく、もう既に姉から聞いて知っているよと言うのも気が引けて、「そうなんだ」とだけ言っておいたと連絡をくれた。

遠くにいる私に心配をかけないようにしようと思ってのことなのだろうが、どんなことでも黙っていられるよりは知らせてくれた方がいいし、しっかり者の姉がいつでも側についてくれていて、常に適切な判断をしてくれるという確信があるため、過度の心配をしないで済んでいるのは何より嬉しい。

航空券がコロナ前のような金額だったら、しばらく帰っていないことだし、母の顔を見に一時帰国しようと考えただろうが、約倍(あるいはそれ以上)の値段になってしまっている今は、命に関わる状態ではないようだから、急いで帰る必要はないか...と、やはり思いとどまってしまう。

世間では既にパンデミックが明けたように振舞われるようになったが、未だ不便な世の中に変わりはない。
感染者は減りはしても、ゼロにはなっていないことを考えると、飛行機の移動はやはりリスクが大きいと言わざるを得ないだろう。


病院での面会も、人数が 2 名と制限されている上に、面会時間も 15 分のみとなっているとのこと。
全ての制約が取り払われる日が来るのはまだまだ先のようだ。





日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...