6.8.25

" 天敵 "

 2013 年 2 月初旬から数日前まで、同じ市内に住んでいただろうに、どこかで鉢合わせることも、電話をすることも一度も無く、この 12 年、お互いの近況も全く知らずに、全く別の人生を歩んできた "天敵" と私...

今月 2 日午後、携帯電話が鳴り、画面に表示された番号を見て、「あれ?この番号知ってるかも...」と瞬時に思ったものの、誰の番号か咄嗟には思い出せなかった。

何の用事でかけてきたのだろうかと思いながら、「Hello」と言った私に、おそらく一生忘れることのないだろう声が返答した。そこでようやく、あぁ、この番号は "天敵" の番号だったと思い出した。

「Hi, 〇〇だけど覚えてるかい?」

「もちろん覚えてるよ」

天敵はまず、こうして電話をかけることになったきっかけから話し出した。
最近何かの用事で会ったグループの内の一人が、偶然にも私につけてくれたヘブリュー名と同じだったことから、その女性にそのいきさつを話したのだそうだ。(相変わらず話好きだな)
話をしている内に当時の記憶が甦り、懐かしさと同時に、私がどうしているかと気になってしまい、以前私が渡したビジネス カードを探し出して連絡してきたということらしい。

彼は、長年主として経営していたフード ビジネスを終い、今はリタイア人生を送っていること、引っ越して別の地域に住んでいること、息子は私の家からほど近い所でアート関連の仕事をしていること、そして自分は 5 年前に離婚したこと等々をとめどなく話していた。

長い年月続けて来たフード ビジネスを畳んだことも驚いたが、離婚していたことには尚驚いた。
再婚したのかと聞いた私に、独身のままだと...

私よりも随分若いとはいえ、その年になって一人暮らしはキツかろうと私なんぞは思ってしまうのだが、実際のところはどうなんだろう?


「近いうちにお茶でも飲みに行かないか?」というので、無下に断るのも気が引けて、来週なら時間が取れるよと返事をした。
「私を見たらきっと驚くよ。見かけが完全にお婆さんだからね」と笑う私に、彼も、私も彼を見て驚くと思うよと笑っていた。「会っても誰だかわかるかな?」と以前のままの掛け合いに、お互い笑ってばかりいた。

だが、電話を切った後から、私は次第に落ち着かない気持ちになり、眠れない夜を、娘にもらったヘネシーを飲みながら過ごすハメになってしまった。

今の私の暮らしは 、T とH と、そして H のパートナー R との、極々限られた人間関係のみで成り立っていて、とても穏やかだ。
友達と出かけることもなく、木工やら編み物やら、H に頼まれた縫い物やらをしながら、パンを焼いたり、お菓子を作ったり... 他人に左右されない日々を過ごしすぎたせいか、買い物以外で外に出るのが億劫に思えてしまうのだ。

落ち着かないのは、相手が "天敵" だからではなく、ただ出かけるのが面倒だということかも知れない。

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そんなこんなで、12 年振りの再会となった昨日正午、我が家に迎えに来てくれた "天敵" は、ガンメタのベントレーの運転席で満面の笑みを浮かべて私を迎えてくれた。

かなり痩せてはいたが、ケビン コスナー似の目(似ているのは目だけ)は当然変わらず、口元も以前のままだった。見間違うほど痩せたというわけではなかったのは幸いだった。

形は素晴らしくいいのだが、乗り降りする際に何だか狭く感じるベントレーに乗り込むと、シートが温かくて感激。

ランチは彼の新しい住まいがある近くのボート ハーバー沿いのレストランで取ろうということで、連れて行ってくれたのはタイ レストラン。
中にはリタイアメント ホームの住人の集まりかとついつい想像してしまう集団がいて、騒ぐこともなく会話を楽しんでいたが、私たちが店に入る前から、ガラス越しに私たちをチラチラと幾度となく見る人が何人かいた。
以前から天敵と私は異質な感じがするとよく言われていたが、多分今でもそうなのだろう。
「あの人たち、どんな関係?」と想像させてしまうような風貌の取り合わせなのだろう。

魚は好きだけれど、フィッシュソースは苦手な私は、「何を食べる?」と言われ、即答で Deep Fried Tohu にすると... マンゴー ジュースも頼んだ。

彼は以前では考えられないほど少量の食事で十分だということで、食事はすぐに終わったが、しばらく店の中で話をし、その後ハーバーに出て、小雨の降る中、彼の所有するボートを岸から眺め、「夏になったらクルーズしような」と誘ってくれた彼に、「いやー、絶対行かない」と即答。「船酔いするのか?」と大笑いしながら、薬飲めば大丈夫だからと言い続けていたが、幼少期に母に連れて行かれた『栄螺(サザエ)の壺焼きを食べに行くツアー』で激しい船酔いの悪夢に晒され、サザエどころではなかった記憶が甦り、ボートになんか絶対に乗らないぞと、再度心に誓ってしまった瞬間であった。

その後、その周囲の絶景ポイントを案内してくれ、家でお茶でも飲みながら積もる話をしようじゃないかということで、案内された家には、かつて私が作ってプレゼントした、エルサレムのドームを模った、ステンドグラスのビジネスカードホルダーが、他の調度品と共に置かれていて、私の名刺もそこにあった。(今見ると、どちらもしょぼいなと思ってしまう)




昨日からキッチンにアリが出始めたというので、シナモンを撒いておくと来なくなるよと言ったのだが、当然常備しているだろうと思っていたシナモンは持っておらず、クローブの粉末じゃだめかな?とクローブを撒く天敵...
クローブは全く効果がないようで、彼は次にベーキング ソーダはどうかな?とやってみると、アリたちは見る見る弱って行った。

しばらく 2 人してアリと格闘し、入れてもらったお茶を飲みながらお互いの今の暮らし、そしてこれからのことを延々と話していた。

彼は電話ではリタイア生活を送っていると行っていたが、やはり生粋のビジネスマン。
今は NZ 国内とタイランドに数え切れないほどの不動産を保有していて、他にも手を拡げるべく常に思いを巡らしているようだった。

生活に困窮しつつある私とは別世界に住んでいる人のようにしか思えない。

そんな人なので、お金目当てに言い寄ってくる女性も多いらしく、魂胆が見え透いててうんざりだと話していた。
そんな人が多い中、出会ってからこれまで一度たりとも甘い汁を吸おうと目論んだことも、好条件のオファーを受け入れたこともなく、それどころか、いつも彼のビジネスに有益なことを無償で提供してくれていたと、私の "プライドの高さ" を高く買ってくれていたのが、今回よくわかった。(会えば喧嘩ばかりしていたが...)

1 年の内半年は行っているというタイでは、食費が 1 日 $5 もあれば充分だというので、それはかなり魅力的だねと反応すると、タイだったら綺麗な新築の家をプレゼントしてくれると言う...  
ただ、タイに移り住むとなるとビザの問題と、それをクリアしたとしても NZ の老齢年金はもらえなくなるから、それだけがネックだなと、彼は一人で考え込んでいた。
いや、それよりも前に、私ではなく、私を常にサポートしてくれている T の生活のことを先に考えたいんだと、私は彼の思考を遮った。

「息子が世帯を持ったらどうするんだ?」と聞いてきた彼に、「そうしたら私の役目は終わる」と笑って答えるにとどまった。


お尻にホッカイロを当てられたくらい温かい(少々熱かった)ベントレーで家まで送り届けてもらう間も話し続け、別れ際に、「それじゃ、また 10 年後!」と笑って言った私に、「 1 年後、いや、1 ヶ月後にまた会おうな」と笑っていた。

私はただただ、彼が次に会う時も元気でいてくれることを願うのみだ。


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最近になって、フリーランサーとして生活している T のところに、フルタイムの仕事を受ける気があるかと問い合わせが来た。国内でもトップクラスの、ビリオン ダラー カンパニーの求人である。
シニアの年収は日本円にして 1 千万円近くになるというので、とりあえず CV(履歴書)は送っておいたとのこと。
CV を送った後で、今度は 5 週間のフリーランスの仕事が入ったらしく、一日 4 万円以上の収入ということで、引き受けることにし、今日から働きに出ている。


私の周りで何かが動き出した気がして、それがどのような展開になっていくのか、楽しみでもあり、不安でもあり...

まぁ、人生、成るようにしかなっていないのだから、私がどう足掻いてもどうしようもないのだろうな。





25.6.25

エボニー VS アルミニウム VS ステンレス


 エボニー(黒檀)の輪針を使ってコットン 100% の毛糸を編んでいる。
非常に編みやすく、手も全く疲れない。
エボニー特有なのかどうか私にはわからないのだが、竹と比べると明らかに感触が違い、『滑らか』(という表現しか思いつかない)な感触が、非常に心地よく感じる。


チュニジアン クロシェットのかぎ針は、一度竹製を試したところ、少々滑りが悪く、スムーズな作業ができなかったため、アルミニウム製を使っている。
シャフトの長さも充分あり、今の所は満足しているが、青いコーティングがその内剥がれる可能性は否定できない。


長年チュニジアン クロシェットをしていると見受けられる YouTuber の女性は、竹製の物もよく使っているので、竹製と言っても物によりけりなのかも知れないが...




これまで靴下を編む際には、日本で買ったクロバーの竹製輪針 『匠』(単品売りの、コードの付け根部分が回ると記載されている物なのだが...)を使っていたのだが、コードが捻れて編み辛いと感じることが多々あったことから、オンラインで見つけた(しかも激安になっていた)アルミニウム製の付け替え輪針セットを、ついつい購入してしまった。


前述の竹製輪針 1 本の価格以下で太さの違う 10 種類のシャフトと、長さの違う 4 本の付け替えケーブル + 付属品が入ったセットをゲット...  あまりに安くて品質が心配なところだが、試し編みをすると、非常に編み易く、ラッキーな買い物だったと今は思っている。



小回りのきくサイズのものもあったら便利だろうと、深く考えずに(安くなったために)買ってしまったステンレス製の物は、シャフトの長さが違う 3 本が一組になっており、最も短いものは 5 cm ほど... 果たして私は使えるのだろうかと不安に思っていたが、最近になってようやく使い方がわかった。


Sockwonder というらしいこのテの編み針セットは、特に靴下とか帽子とか、筒状の物を編む際に便利だということで、右利きの人は右手に長い針、左手に短い針を持って作業するのだそうだ。そのようにして編んでみたら短いシャフトは気にならず、難なく編めはしたが、ソックヤーンは恐ろしく滑りが悪くて驚いた。竹製よりも悪い。
反対に、100% コットンは滑り過ぎて編み難い。しかも重量もあるため、ちょっと手を休めた隙にスルスルっと針が滑り落ちてしまい、目を拾うのに難儀をすることになる。
よって、丈夫さでは群を抜いているだろうが、私のステンレス製編み針の評価は最低ランクである。


私の影響が大きかったのか、 H も編み物をまた始めるようになった。
ニッケル アレルギーのある H は、慎重に針を選ぶ必要があり、更には "手がきつい" ので、木製/竹製は❌だとのこと。
ステンレスにしようかな?と話していたので、先日家に来た折にステンレス針を試させてあげたところ、やはり私と同じ意見に落ち着き、当面はアルミニウム製の針を使うことにしたようだ。

H の編み方を見て、「H もフランス式なんだ〜」と私が言うと、私に教わったから同じだよとのこと。教えた記憶が全く無い私よりも、H は遥かに難易度の高い物を編んで来ている。

私は簡単な物しか編んでいない。
ただ、性格上、編み目が揃っているかどうかは常に気にしていて、揃っていない箇所があると、何度でも編み直したりし、大した物も編んでいないのに、時間ばかりかかってしまうことになる。

今編んでいる(売れるかどうかもわからない売り物用の)ベビー ブランケットを編み終えたら、自分用に簡単なベストでも編んでみようかなと考える今日この頃である。




18.6.25

楽園...

少し前、誕生日が近い T と私の誕生日を祝うために H と R が来てくれた。

まずは恒例となっている飲茶レストランでの昼食会。
そして、H と R は目が飛び出るほど "お高い" ケーキを買ってから我が家にやって来た。
ずっしりと重いマンゴーが主役のケーキは、甘過ぎず非常に洗練された味で、さすがに高いだけあるというものだった。(私に作れと言われても絶対に作りたくないと思える、かなり凝ったもの)


コーヒー、紅茶、etc... などを飲みながら、お菓子をつまみなどして、H たちとの会話は夜の 7 時過ぎまで続いた。

話の中で、私が何度も引越しを経験している話になると、R が「これまで住んだ中でどこが一番好きだった?」と聞いてきた。
家族全員が最後に住んでいた場所は、片田舎で、私にとってはお世辞にも住みやすい所ではなかった。とにかく、全ての事において周囲と同じことをするよう要求される。良いか悪いかなど問題ではなく、有無を言わさず『右へ倣え』を強要されるのだ。
連れ合いがゴミ出しをした日には、「あの奥さんはご主人にゴミ出しまでさせているんだよ」と陰口を叩かれる。「まで」ってどういう意味だ? 我が家の家の中のことなど何も知らないだろうが... と、陰でそう言われているよと知らせてくれた知り合いに不満をぶちまけてみても、周囲の理不尽極まりない慣習が改善されるわけでもなく、あれほど居心地の悪かった土地は他には無かったと断言できる。

生まれ育った実家のある地域も嫌いだった。
上記の片田舎と似たり寄ったりの、他人の生活に異常なまでの関心を示す輩がウヨウヨしていて、噂話が三度の飯よりも好きだろうと思える断言できる隣人に辟易していたのをよく覚えている。
昨年母の介護のために帰省した折にも、昔から何も変わっていない状況を見てげんなりした次第だ。


電車の線路脇に建っていたアパートは、電車が通る度に騒音で TV の音も、電話の向こうの声も聞き取れないほどになったが、電停にはほど近かったため、買い物には便利な場所であったし、近隣の付き合いもほとんど無いに等しく、その点ではあの『片田舎』よりはマシだったと言えるように思えた。

他にもいくつか『たいして良くない場所』があったことを話し、全てを総括して、一番好きだった場所はハワイだっただろうなということになった。

ホノルルのアラモアナ S.C. 近くのコンドミニアムは、何をするのにも便利で、そのコンドのオーナーとも親しく、そこに配達に来ていた郵便配達人とも気さくに話をし、すこぶる快適な生活を送れていた。

悲しいかな、911 のテロが起こり、その時点で、全てのビザ取り扱いが期限を定めずストップしてしまったがために、私たちが既に申請していたビザも、何の審査もされないまま無効となってしまうという、とんでもない事態に陥ってしまった。
再度申請し直しても却下される恐れが無いとは言い切れず、却下されでもしたら、それから最低でも 5 年間、審査官によっては 10 年間はアメリカに入国できなくなる可能性があるということで、泣く泣く断念せざるを得なく、そこから『別の国』を探すことになったというわけだ。
それがきっかけで、残された家族全員が一緒に住むという私の願望は夢のまた夢となってしまい、今に至っている。おそらく、この先も私の願いは実現することはないだろう。

NZ を選んだのは、NHK の教育テレビで、NZ の幼稚園(保育園)の実態を放映していて、それに深く感銘を受けたのがきっかけだった。
NZ では、性別、年齢、人種、宗教、政治他殆んどあらゆる面において、差別してはならないと法律で定められているというのを聞いて、なんと素晴らしい国ではないかと、より深く調べずにはいられなかったのだ。

『差別を受けない権利』が法で定められているというのは、私が最重要視したところで、幼少期から "差別" が至る所で容認されているようにしか見えなかった日本を離れるのに、これほど相応しい国があるだろうかと、すぐさま NZ 行きのエアチケットを予約し、T とH を引き連れて下見旅行に旅立ったのが約 20 数年前...

NZ は静かで、煌びやかではなく、質素で落ち着いた国という印象だった。

下見旅行から帰るとすぐに、移住に向けて準備を始めたが、海外への引越しとなると、荷物の整理が半端なく大変で、来る日も来る日も『片づけ』に追われ、出発する日の朝、タクシーが迎えに来る直前まで、意識朦朧となりながらも、掃除し続けていた。
あまりに精神的にも肉体的にも追い詰められた状況が長く続いたがために、NZ に居を置いてからも、何度も何度も『片づけが間に合わない』という、切羽詰まった夢を見、うなされて起きるという悪夢の中にいたが、いつからかそのような悪夢にうなされることも無くなった。


一番好きだった場所 & 家はハワイだったが、ここ NZ はその次に好きだと言える場所で、現在のアメリカの状態を見ると、ハワイに居続けなくてよかったんだろうなと思わざるを得ない。
異常な物価高に加え、コロコロと変わる政策等々に、私はとてもついて行けるとは思えない。

NZ で最大のマイナス点は、家の値段が異常に高いということに尽きる。
"海外の投資家" が価格を釣り上げ始めてからというもの、ずっとこの状態が続いている。

何はともあれ、NZ は私にとって日本よりは遥かに居心地の良い国で、父が最期に私に言った『良い国に行って良かったな』という言葉を思い出しては、静かに頷いている次第である。




4.6.25

いよいよ病人の仲間入りか...と思った朝

 早朝 5:00 きっかりに、右脇腹に近い腹部の激痛で目が覚めた。
あまりの痛さで横になっていられず、とりあえずトイレに行き、便器に座っていると吐気をもよおし、吐いたら腹痛がおさまるだろうかと、しばらく吐ける体制のまま(便器にしがみついて)いたのだが、込み上げはしても吐くまで至らず...

仕方なく、またベッドに戻り、痛む側を下にして横になり、膝を曲げて丸くなって寝てみたり、正座をした格好で頭を枕に押し付けたりして、悪戦苦闘してみたものの、強い痛みは一向に治る気配がなかったため、効くかどうか定かではないなと思いながら鎮痛薬パナドールを飲みに起きた。
ベッドの上で頻繁に体勢を変えながら、痛みと格闘することおよそ 1 時間、いつ眠りに落ちたのか全く覚えていないのだが、次に起きたのは 8:00 少し前で、その時には痛みは消えていた。

何が起こったのかまったくわからず不安ではあるが、痛みは消えたのでやれやれといったところだ。


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冬に向かい寒くなってきたオークランド。

家で仕事をする T のためにメリノウール 75%、ナイロン 25% のソックヤーンで靴下を編んであげた。T は背も高く、靴のサイズは 29cm と日本人にしては大きい。
私用に編んだ靴下と比べると、思わず「デカっ」と叫んでしまうような大きさだ。

最初、(一足分)左右同時編みをしたのだが、サイズが大き過ぎて非常に編みづらくなってしまったため、2足目は片方ずつ編んだ次第である。

ゴム編みどめは最近覚えたチューブラー バインド オフという編み方。
果たして足がすんなり入るほど伸びるだろうかと少々心配しながら編んでいたが、問題なく入ったようでホッとした。

これまで薄手の靴下しか持っていなかった T は、すごく暖かいと喜んでくれている。

昨年姉に編み方を教えてもらっておいて本当に良かった。




8.5.25

何故そんなに高いの?Tailor's Clapper

 非常に価格にばらつきがあるテイラーズ クラッパー。

NZ 国内で売られているものは、値段の開きが NZ$84.50 〜 $20 台までと驚くべきものであるが、使用に際しては全くと言っていいほど差は無いはずだ。

作る側としては、余程値打ちのある木を使用しているのならいざ知らず、普通に手に入る板で $50 以上の値をつけるなど信じ難い。

木工用機械がほとんど無いに等しい環境下で、一つ一つ、全てハンドツールのみで作ったとしたら、まぁ時間はかかるし、それくらいの報酬は欲しいかなと思えなくもないが、売られているものはほぼ 100% 機械で板をカットし、溝を掘り、サンダーで仕上げているに違いなく、そうだとすれば、ものの数十分で幾つもの製品を作り出せるだろうことを考えると、『法外』な値段をつけているとしか思えない。

今、私はバンドソーを持っているので、厚みのある板も比較的楽にカットできる。(バンド ソーを買うまでは、ノコギリ一択で、厚みのある板で、おまけにハードウッドときた日には、心臓がバクバクするほどの作業となっていた)


かつては年代物の溝掘り用鉋で指を掛ける部分を根気良く掘っていたが、今はトリム ルーター/パーム ルーターの安いビットを手に入れたため、ガーッと掘って、その後手でサンディングするようにしたら、時間はさほどかからなくなった。

板の表面を平らにするのは、相変わらず鉋を使用していて、板目の複雑に入り組んだ板を使用した際には、鉋がけの工程が最も時間がかかる作業となるものの、家具作りと違い、所定の寸法通りに誤差無く削らなければならないというものではなく、決められた寸法というものも無く、ただ単に底が平らになっていて、扱い易くなっていればいいというだけの物なので、神経を尖らせる必要も無い。

先日も書いたように、丸みを付けるのはシントウ ノコヤスリで、角を取るのはカンナであったり、ルーターであったり、その日の気分で変わっている。
これも正確さがさして必要ではなく、手に馴染み、見た目がイビツでなければいいのである。

そんな言わば "楽な仕事" で収入を得られるというのは嬉しい限りであるのだが、問題は厚い板を安く手に入れることのできる店があるかどうかということに尽きる。

先頃作った 2 つは出品後 1 週間ほどで売れてしまい、手元にはもうテイラーズ クラッパーにできそうな厚い板が無く、手頃な値段で手に入る所はないかと探している最中に、「これから作る予定はあるか」と販売サイトにまた質問が来てしまった。
「相応しい板を見つけ次第作る予定だ」と返事をしたものの、はてさて、どうしましょうと考えあぐね、H がランチに来た折に、ファイヤー ウッドで使えそうなハード ウッドがないかと、ダメ元で聞いてみた。
H のパートナーが集めておいたファイヤーウッド(薪)の中に、2 年間天日乾燥させたハードウッドがあると思うよというので、早速週末に頂きに行った。(タダで貰うのも何だなと、近くでロシアのハニーケーキを買って、お土産に持って行った)

そのハードウッドは、カットしてみると、薪として焚べてしまうのは忍びないと思える Saligna で、私の好きな木だったのだが、何せ製材されていない "薪" 状態なため、形を整えるのに少々時間がかかってしまうという難点があった。



ピンクと言おうか、シャーベットオレンジと言おうか、鉋で削ると本当に綺麗な色をしていて、オークのようなお婆さんのタンスを思わせる臭いもない。



この薪でギリギリ 1 つの小ぶりの一般的な形の物と、個性的な形の物が 1 つ出来上がる予定だ。
このような "薪" を数個もらって来たので、しばらくはテイラーズ クラッパー作りが続くだろう。





朝と夜に(時には朝から晩まで一日中)精を出して編んでいたチュニジアン クロシェットのベビー用ブランケットは、2 枚できているが、水通しをしてスチームアイロンをかけたいので、まだ出品してはいない。
コットンのやや細い糸を使って編んだため、恐ろしく時間がかかっており、はてさて幾らで出品したらよいものやら... と、日々眺めてはため息をついている次第である。



『手編みの商品は高価』というのは知られているところだろうが、編み上がるまでにかかった時間を、たとえ最低賃金で換算したとしてもとんでもない価格になってしまうため、それでは買いたいと思う人などいないだろうと、そんなことを考えながら悩み続けている。





3.4.25

昼は木工、朝夕は編み物

 朝、身支度を整え、コーヒーを淹れ、YouTube のサブスクリプションを観ながら(聴きながら)早速編み物を始めるようになった。
そして、T が起きて来ると朝食を用意し、一緒に食べた後は、午後までまた編み物の続きをする。




午後になるとスタジオに降りて行き、木工を始め、ある時は夕食の準備ギリギリの時間まで、またある時はキリの良いところまで作業して来るというのが、最近の日課になっている。

オンラインの販売サイトに、テイラーズ クラッパーの在庫があるかという質問が来ていた。
急ぎで必要ならば、私が自分用に作った物が手元にあるので、それをお譲りできるけれども、急ぎでなければ 1 週間ほどで出来上がるので、どちらがいいか知らせて欲しいと返事を送ると、私の物を取ってしまうのは申し訳ないし、急ぎではないので待っているとのこと。

早速に、厚みのある板の在庫を取り出し、サイズを違えて 2 個作るべく、鉋をかけ始めた。
今回の板は板目が一部分入り組んでおり、鉋で削るとその一部分がザックリとガサガサに深く削れてしまうため、その部分はキャビネット スクレーパーを使用せざるを得なかった。


両端は丸みを持たせ、雲の上のお師匠さん推奨の Shinto Rasp (シントウ ノコヤスリ)でザクザクと角を削り落とした後、目の細かいファイルで形を整え、仕上げにサンド ペーパーを使って滑らかな表面にした。

使う人の手のサイズによって掴みやすい幅が違うだろうことを考慮に入れ、先細り気味に形を整えた上で、使用中に手が滑らないよう指の引っ掛かり溝を掘る。
そして、全部の角を少しだけ丸くし、持つ手にも、また直接押さえることになる布にも傷が付かないよう、言わばスベスベの状態にした。

余談だが、この非常に使えるシントウのノコヤスリは、昨年日本に行った際に買ってきたもので、日本で買えば ¥1,600 ほどで手に入る物なのだが、こちらで買おうと思うと$45  は下らないという、高級なヤスリとなってしまうのである。
ずっと欲しいと思っていても、こちらではなかなか手が出ず、『日本に行った時のお楽しみ』リストに入れていた物だったので、日本に行ってまず先に Amazon に注文を入れたのが、正にこれだった。




さて、出来上がったクラッパーの一つには、汚点と見られがちが部分があり、私も "雲の上のお師匠さん" に出会わなかったら、きっと「これは売り物にできるかな?」と考えたに違いないのだが、お師匠さん曰く、全ての木には、何十年、何百年の間、過酷な状況に耐え、生き延びるための対処の跡が残されていて、それが "傷" となって残されているのを見た時、より一層、捨て難い愛着が湧くのだと...

厳しい環境下に置かれながらも、何とかして乗り切ってきたのが、美しく整った木目を見るよりもなお一層よくわかる。

外面のみならず、内面に傷跡を残しているのを見ると、その木の方が、見るからに美しい板よりも、はるかに値打ちがあるように思えたりもする。



ここ数日、夜中に目が覚めてしまい、再び眠りに落ちそうにないと思った時には、リビングから編みかけのソックスをベッド ルームに持ち込み、ベッドの上で編み物の続きをしていた。
 NZ$ 6 ほどで買った Opal のソック ヤーンでもう一足編めるかどうか、初心者の私には予想がつかず、手っ取り早い方法として、2 足目は左右同時編みで、編めるところまで編んでみることにした。
内側と外側から糸を使うことになったため、当然模様は合っていないが、左右同時編みは初めてで、最初のうちは楽しんで取り組んでいた。
(だが、途中で飽きてきてしまい、私はやはり木工の方が遥かに好きだなと確信するに至った。)



まぁ、住宅街に住んでいるので、早朝にも夜間にも、音の出る木工は御法度で、深夜に物音を立てずに制作活動ができる編み物は、音の出るミシンを使わざるを得ない洋裁よりも、ビジネスとしては使える技術かなと、そんな事を考えながら編んでいたら、夜が明けてしまった。

姉は完全なる趣味で編み物をしているが、私は収入源となり得るかどうかをいつも考えてしまう。持っている必要のない物を幾つも作る気になれない、貧乏人そのものだ。






22.3.25

SWATCH RULER (編み物ゲージ)

 昨年暮れまで編み物にはさほど強い興味は無かったのだが、姉に感化されてソックスを編むのが楽しくなった私... (別に手持ちのソックスが足りていないわけではないのだが)

とはいえ、NZ 国内でさえ決して安くはない毛糸の価格に、"お金のかかる趣味" だなと、編むことを半ば諦めていたのであるが、最近通販サイトで、(時々ではあるが)世界的に有名なメーカーの毛糸を安く買えるチャンスがある事を知った。

果たして本物だろうか?と少々疑いながらも、NZ$ 6.00(¥500 そこそこ)ほどで(日本でも ¥2,000 近くするらしい)ソック ヤーンを購入してみた。
毛糸の帯に書かれていた文字はドイツ語で、どう見ても本物っぽいのだが、編み物全般について全く素人の私には判断しようがない。
まぁ、アクリル 100% のキュッキュした素材ではないことだけは確かなので、別に本物でなくてもいいか... と簡単に思ってしまうのが、knitting enthusiast との違いだなと笑えた。


(もし本物ならば、なぜそんなに安く売れるのだ?と疑問に思うと同時に、他の取扱店がどれだけのマージンを取っているのかも、非常に疑問に思えてきた)


姉に「輪針は質の高いものを買わないとダメだよ」と言われていたのだが、姉が購入したような物はべらぼうに高額で、おそらく姉のように頻繁には編み物をしないだろうと思える私は、上記の毛糸と同じサイトで売られていたエボニー(黒檀)製の手頃な価格の輪針セットを購入。評価がすこぶる良かったのが購入の決定打となったわけだが、私はどちらかといえば針先がもう少し尖っていたほうが使い易い気がする。 まぁ、他にマイナス点はなく、概ね良い買い物だったように思っている。




さて、幾つか毛糸も買い揃えたので、編み物をまた始めた H と自分用に、編み物ゲージ(10cm x 10cm)でも作っておこうかと思い立ち、簡単だが非常に精度の高い SWATCH RULER を制作。



余っていた 3mm 厚の MDF の端切れでとりあえず作ってみたが、使用に全く支障はないものの、やはり見た目が安っぽいため、販売することも視野に入れて、もう少し高級そうに見えるものを作ることを考えているところである。





7.3.25

順風満帆

 H から「元居た会社に戻ることになったよ〜」と連絡が入った。

日本ではちょっと考えられないことかも知れないが、ここ NZ では、給料&待遇の良い別会社(同職種の "ライバル会社" である場合も少なくはない)にどんどん移って行き、巡り巡って、元居た会社にも何の違和感も抱くことなく再就職する(できる)というのは珍しい話ではない。

H も、数年前に引き抜かれて高待遇の会社に移ったのであるが、最近その会社の業績が思わしくなくなってきたようで、少し前から人材を縮小し始めたとのこと。まだ自分は解雇されはしないだろうが、社内の雰囲気やら人間関係もあまり好きではないので、求人の出ていた元居た会社に戻れたら戻りたいなと、先日会った際に話していたところだった。

元居た会社に戻りたいと連絡を入れると、その仕事にアプライした人がこれまで 70 人ほどいたが、誰もパーフェクトじゃなかったということで、H が戻って来れるのを大層喜び、ボス直々に「帰っておいで」と電話口で言ってくれたようで、H はホッとした様子だった。
しかも、給料は年額 $15,000(日本円にして約 128 万円ほど)上がるという嬉しいおまけ付き。

H は会社が変わる度にキャリア アップしている。
もちろん本人の努力無しには事はうまく運ばないだろうが、側から見ると非常に運が良く、全てのことがとんとん拍子に行っているように見える。(努力を惜しまず、尚且つ仕事ぶりを非常に高く評価されているにも関わらず、『運』が無い人が確かに居るのを見ると、やりきれない気持ちになったりもする)





H の『元居た会社』というのは、少し前に移転していたようで、我が家から徒歩 10 分足らずの場所になっているとのこと。
そこは様々な国のレストランが立ち並ぶエリアで、アジア、ヨーロッパ、中東、南米など、より取り見取り。更に昨年暮れに上記のビレッジが完成していたようで、一緒にランチに行くのが楽しみだね〜と H に言うと、「ね〜。ママっちにもランチに行っちゃう😋」と...

なかなかしっかりした子である。




28.2.25

トラウマ

今現在でも、トイレに行く度に母の介護時のことを思い出す。

呼び出し音が鳴り、トイレに行きたいという母の言葉を聞いて、まずは掛け布団を捲り上げ、ベッドを 60 度ほどに起こすようリモコンで足の高さ及び上半身の高さを調整する。
脱げかけた靴下をしっかりと履かせ、身体を起こしても手摺に掴まらないと立てない母のために、直角よりも鋭角に手すりを出し、歩いて数歩のトイレのドアを開けに行った上で、歩行器を用意する。
歩行器に掴まった際にズルッと滑らないように、両手で支えながら、母がしっかり立ち上がれるかどうかを注視していなければならない。

歩行器に掴まってゆっくりゆっくり歩く母の身体に触れるか触れないかという位置に手を添えて、万が一転びそうになった際に、咄嗟に支えることができるよう、細心の注意を払いながら後をついて行く。(一度、トイレの入り口で滑って転びそうになった母の身体を支えたことがあったが、30 kg にも満たない身体であっても、崩れ落ちるのを支えるのは容易なことではなく、咄嗟に「あーっ!」と叫んだ私の声を聞いて駆けつけてくれた姉、姪、義兄に助けられて、ようやく母の身体を起き上がらせることができた時のことは、おそらく一生忘れないだろうと思えるほど、強烈に頭に焼き付いている)

また、特に朝一番のトイレタイムには、オムツから尿が漏れ出てしまっていたことの方が多く、母が便器に座っている間に代えのズボンやら履くタイプのオムツと当てるタイプのオムツを用意し、着ていたズボンやら靴下を脱がせ、とりあえず腰から下を除菌シートでくまなく拭き、用を足し終わるまで少なくとも 5 分、長い時には 10 分近く(或いはそれ以上)見守っていなければならなかった。

待っている間に、姉にベッドシートと掛け布団が濡れていないかの確認を頼み、濡れていた場合は姉が速攻で取り替えをしてくれていた。一人では絶対にスムーズに事は運ばない。

母は、長年使い続けてきたはずのシャワートイレの使い方を忘れてしまったかのように見えた。どのボタンを押せばいいのかよくわからない様子を見て、それまでも介助しなければならなくなってしまったのかと、正直驚いた。

用を足し終わると、オムツとズボンを履かせ、母が手を洗っている間に、トイレ脇によけておいた歩行器を掴むことができる位置まで持って行く。
そしてまた、母のすぐ後をついてベッドのある部屋まで移動させるのだ。

ベッド脇に付いている手すりに掴まってドスンと尻餅をつくようにベッドに座るしかできなかった母...

姉が綺麗にしておいてくれたベッドに座らせたら、今度は尿漏れで濡れてしまったトップス(下着もろとも)を脱がせ、温かく湿らせたタオルで身体を綺麗に拭き、着替えの服を着せる。母は、着ることも、脱ぐことも自分ではできなかった。

ベッドに座って服を着替えた母は、横になるのも一苦労で、そのままゴロンと横になると頭の位置がかなり下になってしまい、上に引き上げるという作業が付いて回った。
尾骶骨が飛び出すほどに痩せてしまっていた母は、寝ると骨が当たって痛いと言って、骨が当たらないような位置にしてくれるよう懇願してきたが、訪問介護士が飛び出した骨の部分にクッション素材を貼り付けてくれたりしても効果が無く、医療レンタル会社のスタッフに事情を説明し、3 度もベッドを交換してもらったりもしたが、それでも改善せず、私たちも周りにクッションをかませたり、身体の向きを変えたりを試してみたが、あまり効果があったとは思えなかった。

母をとりあえず寝かせたら、トイレの便座やら床やらを拭きに行くのは私の仕事で、濡れた服やらベッドシートを洗面所に持って行き、洗濯前に水で軽く洗ってから洗濯機にかけるのは、主に姉の仕事だった。

姉が洗濯に取り掛かっている間に、私は次の仕事... 痰の吸引をしなくてはならなかった。
吸引機に取り付けるノズルは消毒液(赤ちゃんの哺乳瓶を消毒するための、ミルトンという消毒液を希釈したものを使用)に浸けておき、それを使用する度に熱湯に近いお湯で洗い流し、また、口の中を綺麗にするためのスポンジの付いた棒と歯ブラシを一緒に持って母のいる部屋まで戻る。
最初は恐る恐るだった吸引も、回を重ねるごとに難なくできるようになり、吸引による母の苦痛も少しは軽くなったようだった。

吸引が終わると、当然のことながらその片付けが待っている。ノズルは熱いお湯で洗ってから消毒液に浸けおき、歯ブラシとスポンジの付いた棒も、熱いお湯で洗って綺麗にしておく...
取った痰を溜める容器も綺麗に洗い、空にしておかないと次の吸引の際に手間取ることになる。
一つの事を成し終えるまでには、信じられないほど多くの工程があることを、おそらく介護の現場を見たことのない人は想像できないだろう。もしかしたら、介護されている側も、作業/工程の全てを理解できていないかも知れない。

吸引が終わると食事の世話...

誤嚥性肺炎/誤飲性肺炎だった母は、トロミをつけたドロドロの物しか口にできなかったのにも関わらず、それでも咳き込むことが多く、一匙一匙注意深く飲み込んだかどうかを確認する必要があった。トロミの付け方も、硬すぎてはならず、ゆるすぎてもダメという、かなり気を遣う作業で、食事の介助もけっこう大変ではあったが、大変さで言ったらトイレ介助には及ばないと断言できる。


トイレに行く度に、母の介助をした記憶が蘇り、私もその内にああなるのだろうかと、そんなことが頭をよぎり、居た堪れない気持ちになってしまう。

心的外傷...
まさか、母の介護で負うことになるとは考えてもみなかった。


もしかしたら最後の日本滞在になるかも知れない昨年の一時帰国時の想い出が、ただ大変で辛いというだけで終わらなかったのは、明るい姉一家のおかげだった事は間違いない。

姉たちが、頑張って慣れない日本の生活をしていた私のためにしてくれたことは、心の底から有り難く、感謝の気持ちしかない。

姉たちの気遣いがなかったら、私は精神的に立ち直れないほど病んでしまっていたに違いない。



23.2.25

H の誕生日をイタリアン レストランで祝う

数日前、自分で自分の髪を切った。後ろは切り辛いので、T を呼んでバリカンでチャチャっと切ってもらい(所要時間、ものの数分)、その後スキバサミやら普通のハサミで量を減らしたりし、あっという間に出来上がり。
髪が下に落ちないようにケープを被っていたので、さらに暑く、切り始めて間も無くしてやる気がどっと失せた。
結果として、自分で切ったのに、仕上がりが予想以上に短くなっていてびっくり。
まぁいいか、そのうち伸びるし... と、もうどうでもよくなっている。


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離れて暮らす(と言っても、モーターウェイを使って車で 25 分足らずの距離だが)H とは誕生日くらいしか一緒に食事をする機会がない。

ここ数年、誕生日には飲茶に行くのが恒例となっていたが、今年は R の家族がオランダから来ていた折に飲茶に行っているので、違った所に行こうということになり、H が選んだイタリアン レストラン(まだ我が家の誰も行った事がない)でのランチに決定。

レストランに向かう前に、予約しておいたバースデー ケーキを受け取りに家の近くのフレンチ ベーカリー(菓子屋?)に寄ってもまだ十分時間に余裕があるなと踏んで家を出たら、1 分もしないうちに激混みの道路に吸い込まれてしまい、一向に動かず...  
通常 3 分もかからない店まで行くのに 20 分を費やしてしまい、レストラン到着時間は予約時間の 2 分遅れと表示された。

レストラン周辺にはおおよそそのくらいの時間に到着していたのだが、初めて訪れた場所で、おまけにレストラン名が外に表示されておらず、「ナビではこの辺りのはずなんだけど...」 と車で周辺をグルグル回る羽目となって、おまけに駐車スペースも近くに無く、予約時間を 10 分以上過ぎて、「本当にここで合ってるの?」と不安を抱えながら店に入った。
H たちは既に到着していて、私たちを待っていてくれた。常に" 5 分以上前行動" を心がけてきた私たちは、こんなに遅刻したのは生まれて初めてで、H たちに申し訳ない気持ちになった。

やっとのことで辿り着いた後、主役の H が美味しそうに思える料理を選んでくれ、すぐにやって来た飲み物で乾杯はしたものの、料理が出てくるのが予想を遥かに超えて遅く、「なぜそんなに遅いんだ?」と全員が疑問に思うほど待たされた挙句に出てきた料理の数々は、ほとんど全てが酸味がきつく、ラムにしても、ビーフにしても、肉の味がほとんど感じられなく、ソースも何だか物足りない味付けで、期待を打ち砕かれた格好となった。




最後はクラム(アサリ)の味がしないクラム ピザ... ピザ生地は美味しく、焼き具合も良かったが、ネギとチーズの味しかしなかったのは残念だった。


全体的に、決して不味くはないが、物足りなさを感じる食事となって、全員の評価は 5〜6/10 にとどまり、また来て食べたいと思える料理は無かったということで、悲しいかな、4 人で $190 超えという料金に見合わない結果となった。

ピザを食べ終わるとすぐに店を出て、そのまま H たちの家に向かい、庭に設えてあった大きな大理石のテーブルの所に集まり、バースデー ケーキを食べながらティータイム。



H の家の犬たちに、当日朝、米粉とオーガニック黒胡麻ペースト(無添加)と、蜂蜜+水少々でクッキーを作り持って行ったので、いつも私の前でお行儀よくちょこんと座って、何か食べ物くれるかな〜と静かに待っている J に小さく切った一片をあげると、喜んで食べていた。
近くに来た L にもあげたところ、L は初めて食べる物には用心深いらしく、一度口から出してから食べ直し、美味しかったのかもっと欲しいという仕草をした。

H たちの家は庭が広く、L は太めの枝を持ってきて T の足元に落とし、投げてと身構え、遠くに投げてもらえると一目散に取りに行くというのを何度も何度も繰り返し、T が投げてくれなくなると、今度は私のところに持ってきて、投げて、投げてと、飽きる事なく走り回っていた。
方や J は、いつものように T や私の隣に来て寝そべり、まったりと過ごしていた。
犬も人間と同様、それぞれに個性があって面白く、どちらもとても愛おしい。


カヌレをまだ食べた事がないという H たちのために、前日に焼いたものを半分持って行った。
終盤少々焦げた匂いがしてきた前回とは温度設定と焼く時間を変えてみたが、今回は焦げる事なく綺麗に出来上がった... と思っていたのだが、温め直しても前回ほど外側がカリカリにならず、前回の方が食感が良かった分だけ美味しかった気がする。

これからは最初の温度設定で焼くことにしよう。




18.2.25

Shelby Cobra

 大家さん一家が引っ越した後、しばらくして新しいテナントが入った。

大きな家なので、それなりに家賃も高く、それを支払える余裕のある人だというのは予想していたが、引っ越し荷物が我が家より少ないんじゃなかろうかと思えるほどで、引っ越し業者を使わず、自分たちで何度も行き来をして運んでいたのには少々驚いた。
全ての家財道具を運んでいないのでは? ...ということは、短期間の借りの住まいと考えた方がいいかも知れない。

引っ越し日から数日間は、けたたましい爆音を鳴り響かせて派手な車が何度も出入りしていた。
T 曰くシェルビー コブラだとのこと。オリジナルだと日本円にして 1,900 万円は下らない値がつけられるのだそうで、レプリカでもおそらく 600 万円はするだろうなと言っていた。
かつて私の "天敵" が真っ赤なフェラーリでやって来た事があるが、コブラの爆音はその比ではない。

flashy なものに全く興味が無い私は、お高い車を見ても羨ましくもなんともなく、ただただ隣人がパーティー好きな人たちで無いことを祈るのみだ。

今のところ、夜は誰も住んでいないかのような静けさである。



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💈 昨日は久々に T の散髪。少しは慣れたかな... 程度の進歩だが、T の散髪代は浮いた。

昨年、日本滞在中、姉に切ってもらった髪はだいぶ伸びてきた。
近々私自身の髪も切らなくては...




日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...