23.5.15

成るようになる

いや、『成るようにしかならない』と言った方がいいかも知れない。

私の周りに起こることは、時として、非常に意味のあるように思える現象とともに現れる。
その最たるものは、以前書いていたブログに書いたもので、まるで誰かに仕組まれたかのように、見事に何かが一致する時がある。


昨年後半からずっと心に引っかかっている事柄についても、それが『成るようになっていること』だとしたら、おそらくそれは、いつか何らかの形で成就するだろうし、成るようになっていなかったことだとしたら、きっとそのまま消滅することになるのだろう。
あれやこれや考えを巡らして神経をすり減らしても、結局は運命には逆らえない。

聖書に、「地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではありません。(エレミヤ10:23)」とある。
全ては成るようになっていて、自分の意志通りに都合よく物事を動かすことなど誰にもできないのだ。また、どんなに足掻こうとも、阻止できない/免れることのできない事柄があることをも、私達は痛いほどよく知っている。


また一つ歳を重ねた日は、NZにしては珍しく一日中雨が降り続く、大荒れの一日だった。




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