27.8.15

Marples chisels

国内のインターネット オークションで Buy Now $40 で落札した鑿のセットが、今朝玄関に届いていた。


刃は、前の持ち主が機械で研いだと思われ、シャープではない上に表面が平らではなく、均等に研がれてはいなかった。
また、一番幅の広いものは柄の付け根に付いていたはずの白いリングが無く、柄が簡単に外れてしまう状態だったため、取りあえずホットグルーで接着しておいた。


まずは裏側を平らなガラスの上に貼付けた#240のサンドペーパーで平らにし、その後ダイヤモンドの砥石を使い、フリーハンドで bevel(斜面)を丁寧に研ぎ直す。

下の写真の矢印の光っている部分は burr (刃返り:バリ)で、指で触って引っかかりができたら、順に目の細かい砥石に変えて行き、更に研ぎ、最後に裏側をごく軽く研いで返りをとる。



最後にBuffing compoundを塗った皮の上で 30〜40 回ほど更に磨くと、見違えるほど切れ味が良くなる。



そのような工程を経て研ぎ上がったMarples の鑿は、以前オークションで落札した工具類の中に入っていたチープな鑿とは比べものにならないほどシャープなものになり、刃の質が悪くなくて良かったとほっと一息ついた頃には、もうランチの時間になっていた。



25.8.15

ハンドツールのみで作る Rabbet miter


これからしばらくは、ガラスと木を組み合わせたランプを中心に作っていこうと思っているのだが、板を組み立てる際に一手間かけて、これまで以上に壊れ難い構造にしようと、日夜ジョイントの勉強をしつつ、デザインを考え始めた。

今日練習したのは、Rabbet miter と呼ばれているもので、外から見ると板と板が45°の角度で組まれているように見えるが、板の中央に直角に交わる部分を作り、接着面が45°に切られた板同士をくっ付けた場合よりも少し多くなっている。

 下の写真は要らない板で試しに作ってみたもの。
セカンド トライだが、まだ数カ所隙間ができてしまっている。
目分量で(感覚で)45°を鉋で削って何枚もの板を正確に合わせるのに神経を使うよりも、マイター シューティング ボード(治具)を作って、確実に正確に削る方が効率が良いに決まっているので、使い易いシューティング ボードをまず先に製作することに決めた。

木工に関しては、まだまだ修行が足りないなと実感するばかりである。




24.8.15

梅の実とノコギリ


寒梅に葉がいっぱい出てきた。
今年は例年になく沢山の実を付けているのを発見した同居人は、しばらく嬉しそうに眺めていた。
梅干しは無理でも、梅酒くらいはできるだろうか…


今日はスタジオで鉋などを並べてある棚を少し整理したり、今度作るランプのジョイント部分を頑丈且つ綺麗に仕上げる方法を考えたりしていた。


要らない板を使って、まずは失敗無くできる自信がつくまで練習するのはいつものことだが、最近ノコギリの使い方がマシになってきて、引いた線の通りにほぼ正確に、また垂直に切れるようになり、その後の鉋がけがとても楽になった。

「少しは上達したよ」と、心の中で亡き父に話し掛けながら、一人で黙々と作業し続け、気がつくともう夕食の支度を始めなければならない時間になっていた。


先週国内のオークションで、(多分 made in Englandの)ヴィンテージの Marples 木工用鑿5本セットを3,900円弱(送料込み)で落札し、今夜スタンレーの小ぶりの鉋を送料込みで2,400円弱で落札した。
刃の質がいいといいな… と、荷物が届くまで祈るような気持ちで過ごしそうだ。



23.8.15

私は番犬か…?

今日食事をしている時、同居人が言った。
「ママが死んだら犬を飼うかな」と…
犬の名前は「ママ」にするんだそうだ。

それって、私は今留守番の番犬みたいな存在ってことか?...
何か、嬉しいような複雑な気持ち…

器用な犬に育てて、色々芸をさせるとか言っていた。
ご褒美をもらうために言われたことを一生懸命にやる「ママ」か…
将来、YouTubeとかで「ママ!」と呼ばれてけなげに芸をしている犬がいたら、それは私の代わりに同居人と住むようになった犬かもしれないよ。

散歩に行って「ママ!」って犬を呼んでたら笑えるだろうな…


頼むから、テリア(系)だけはやめてくれと頼んでおいた。
かつて飼っていた犬の一匹がテリア系で、歳を取ったら何だか汚らしい風貌になっちゃったんだよね…




22.8.15

コリアンダー入り餃子は最高!

昨日久しぶりに同居人Hが休みを取ったので、一緒に歩いてランチに出かけた。
同居人の大好きなベトナム料理店は、我家から歩いて行こうという気力の限界に位置する所にあり、お互いに『運動のため』と自分に言い聞かせるようにして頑張って歩いてはいたが、食事の後ショッピングで数時間を費やし、最後に寄った中国人経営の八百屋で、買おうかどうしようかとしばし悩んだ重たいキャベツのおかげで、帰りは更にきつい運動となってしまった。

そのキャベツは、昨晩の夕食 "大量の餃子作り" に必要だったのだ。
我家では餃子は一度に50個作る習わしになっている。ただ単に、買ってくる中国の餃子の皮が1パック50枚入りだからなのだが、3人で50個は結構な量である。


私の包むスピードは同居人が二人掛かりで包むスピードとほぼ同じであるが、商売ではないので、ひだが均等に入っていなくても、中の具が出て来なければいいという程度のもの。(ようは、食べられさえすればいいのだ)

家の者総出で楽しみながら包む… 、私の実家でもそうだった。
仕込みの段階から家族全員が携わり、具に海老を沢山入れた『大当たり』を作る者やら、海老無しの『ハズレ』を作る者やら居て、いつも一緒に作業するのを楽しんでいる。

昨晩はコリアンダー(パクチー)を細かく刻んだものも入れた。コリアンダー好きな人には最高の餃子だ。

餃子とともに、八百屋で買って来たカイランを茹でて、オイスターソースベースのトロミのついたドレッシングを適当に作り、上からかけたものを添えたが、写真を撮り忘れてしまった。

*今日の写真は、昨日作った餃子ではなく、以前作ったコリアンダー無しの餃子。
昨日は一枚も写真を撮らなかった。






20.8.15

偽 squatty potty :)

squatty potty  なるものをインターネットで見つけ、「作って!:)」という若干便秘気味の同居人の要望に応えて、スタジオに転がっていた合板で、カスタムメイドの足置き場作りを始めた。
(フリーハンドで板に半分だけカーブを描き、それを透ける紙(私はオーブンペーパーを使う)に写し取る。
ペーパーを裏返し、反対側の端に合わせ、鉛筆の線をなぞり板に写す)

自宅で、しかも、おそらくたった一人が使用するだけなので、ファンシーにする必要など全く無かったのだが、何故だかカーブを入れてみたりして、ペイントも施してみたりと、暇でなかったら到底しないだろうことまでして遊びながら作っていた。

今回は板も買わず、ペイントもスタジオにあったもので済ませたので、何の出費も無かったが、もし仮に合板を買ったとしても$20はかからないだろう。既製品を買えば一番安いプラスチックの物でもUS$25+送料、高いものでUS$80もするのだ。簡単に作れるのに買うなんてバカらしいじゃないか… しかも、本当に効果があるのかどうかもわからないものなのだ。


湿気の多いバスルームで使うため、ペイントはエクステリア用のものを使用。一回目のペイントが乾いた後軽くサンディングし、表面をスベスベにしてから二度目のペインティング。乾かす時間が足りなかったので、ヘアドライヤーで乾かし、今日から使えるようにした。

せっかく作ったから、効果があるといいな…




18.8.15

歌を捧げて



今朝ふと思い出したこの曲は、私の幼なじみがかつてフォークデュオとして活躍した時代に、練習中の様子とカフェでライブをしていた時の模様とを録音してくれたカセットテープの中に入っていた。

幼なじみの相方は小田和正張りの透き通った声の持ち主で、この曲を歌い出した途端に、カチャカチャと陶器に当たって音を立てる金属の音に混じって、聴衆の一人が、オオーッと声を上げ、小田和正が歌っているようだと吃驚していたことまでも、いまだにはっきりと覚えている。

何十年もそのカセットテープの存在すら忘れていたが、脳裏に刻まれた記憶というのはそう簡単に消えるものではないなと、改めて思った。


17.8.15

The Last Gift

一般的に、歳をとると面倒臭いと感じることが多くなるものなんだろうか?

最近、面倒臭いと感じることが以前に比べ格段に多くなったように感じる。
特別好きではない料理や掃除などはもとより、楽しいことのトップに位置する木工に於いても、デザイニングに於いても、途中で面倒臭いと感じてしまい、やる気が一気に失せてしまうことが多くなった。

厄介な人間関係に嫌気がさすのは、大好きな手仕事に面倒臭さを感じるようになるよりも遥かに早いのは言うまでもない。
これまで全く縁のなかった人がある日突然自分の人生に入り込んで来る。そして予想だにしていなかった事態に巻き込まれてすったもんだしている内に、それを解決する努力をすることに疲れ果て、「あぁ、もうどうでもいいや」とつぶやく自分がいる。

どうでもいいや…  そう、自分のことなどもうどうでもいい。
自分のために何がどうなって欲しいとか、夢見る気持ちなどとうの昔に無くなっている。

私はただ息を引き取る時が来るまで静かに暮らしたいだけだ。
この、彼の人からの最後の贈り物を眺めながら。






13.8.15

和風に見えてしまうイスラム模様


色を塗らずにオイルだけで仕上げた小さなティーポット スタンドを、天気がよかったので、裏庭の木に吊るして乾かしていた。

透かし彫りの間から見える木々の色合いが、何だか日本の紅葉を思い出させ、イスラミック パターンまでもが日本的に見えてしまった。

まだまだガスストーブを使う毎日だが、それでもだいぶ日照時間が延び、朝食の準備を始める朝7時頃にはもうかなり明るくなっている。

日本の紅葉を思わせる写真を載せておきながら何だが、今日は肌寒いけれども明るく気持ちのいい、春の到来を感じる一日だった。




10.8.15

重ね塗り


Deep Oak ステイン 2コートの後サンディング、その後シェラック2コート。乾いたらまたサンディング。そして更にDeep Oak を2コート重ね塗り。
良い色になってきた。

ステインが乾いたので、その上にシェラックをまた塗って、今晩一晩乾かし、明日またシェラックを重ね塗りし、乾いたらスチールウールで磨いた後、ビーズワックスで仕上げとなる予定。

塗っている時思ったこと。
初めからオーク(ドングリができる木)を使っていれば、ステインなどで色をつける必要も無く、シェラックだけで問題無く綺麗に仕上がるのに、私はいつまでパイン(松)を使って面倒な色付けをしているのだろうか… 早く品揃えが良くて良心的な材木屋を探さなくては…

しかし、良質な木材を安く売ってくれる所なんて近くにあるのだろうか?




7.8.15

日本の鉋と西洋の鉋


形も削る方向も違うが、最も重要な違いは刃だと私は思った。
現在作られている日本の鉋のことについてはわからないので書けないが、父の時代の鉋の刃は西洋の物とは比べものにならないほど分厚く、また、研いだ後のシャープさがまるで違うことを実感した。
刃のシャープさが違えば、削った後の板の表面の輝きがまるで違うものになるのは言うまでもない。



刃は機械で作られたのではなく、鍛冶屋が一つ一つ時間をかけて丁寧に丁寧に打って作ったものだ。
昔は大量生産などできようはずもなく、このような専門の道具類であれば尚更、職人がプライドを持って見苦しくない仕事をしたのだということがよくわかる。しかも、長年培った『勘』が妥協を許さなかったのだ。
人間に備わった『感覚』というものは、鍛錬すればするほど鋭くなる。それなのに、多くの人々は勘に頼ることを否定し出し、機械に頼り、機械に全てを任せる道を選び始めた。


木工を勉強し始めてから、日本の大工道具を西洋人が「素晴らしい」と絶賛しているのをよく目にするようになったが、今現在も職人気質の気高いプライドを持った人たちが恥ずかしくない物作りをし続けているのだろうか…。

丁寧な仕事/良心的な商売をしていたら、さぞかし生活が苦しかろう。
それでもやはり、プライドを捨てることなく、良い物を作り続けて欲しいと願わずにはいられない。



昨日買って来たステインで、今日は二度目の重ね塗り。
今回使った色は Deep Oak 。温かみのある落ち着いた色合いになった。
ステインがしっかり乾いたら、シェラックを何度か重ね塗り、その後ビーズワックスで仕上げることになる。




6.8.15

色々なことがあった一日

今日は日本円を両替しに、レートの良い中国人経営の両替商までバスで行ってきた。

バスに乗り込む時、同居人が使っていいよと渡してくれたバスパスを機械に翳すと、ピピッではなく、ブブーという居心地の悪い音が鳴り、「これいいの?」と運転手に聞くと頷いているので、本当に?と思いながら、目的地に到着し、降りる際にまたカードを機械に翳すと、やはりブブー… このまま降りちゃっていいの??? お金ちゃんと支払ったの???と戸惑いながら、ダウンタウンの方に向ってメインストリートを歩き始めた。

よく利用する両替商の窓口に居るスタッフで感じの良い人をこれまで一人も見たことが無い。もっと端的に言えば、どのスタッフも客商売なのに笑顔を見せず、誠に感じの悪い威張り腐った横柄な態度しか見せないのが不思議なほど。だが、それでもレートが他より良いので、いつもそこで両替することになってしまう。
一瞬のうちに気分を害する相手に吐き気を催しながら、すっかり笑顔の消えた苦虫をかみつぶしたような顔で銀行に行き、現金を機械で振り込んだところ、トラブル発生。
機械で読み込めないから現金を戻すとの表示があるも、一向に現金は出て来ず、心配しながら待っていたら、何と取引終了の画面になってしまった。
ATMの機械に付いている緊急時のブザーを押しても誰も銀行内部から出て来ず、後ろで待っていたインディアンの若い男性に、「この機械は故障しているから使わないでいて」と言うも、私の言葉を無視して使い始めてしまったのを見て「何で?」と思いながら、銀行の中のスタッフ(インディアン)に事情を話しに行った。
運良く、ちょうど仕事を終えて帰る所だった機械の故障を直す会社の人が居て、機械を開けて見てもらったところ、読み込めずにスタックしていた現金数十枚を全て発見。
面倒なことにならずに一件落着となってホッとした。

その後、銀行から程近い所にAT (Aukland Transport)が入っている建物があったので、バスパスのトップアップをしに行った。
ブブーっと鳴ったのは何故だったのかわからない。残高が足りなかったわけではなく、何かしらの不具合が生じていたようだ。

家の近くのバス停を通り越し、そのままネスプレッソのカプシュールと木工用ステインを買いに行くことにした。
帰りのバスでは問題無くバスパスが使え、ピッと音がして正常に作動していた。

家から歩いて15分足らずの地域なので、そこから帰るのは徒歩だ。
日本で買った靴を履いて行ったのだが、少々きつかったので、ゆったり目の靴があるかなと、ふらっと靴屋に入ってみた。
靴屋の店員の年配のキウィのおじさんが世話を焼いてくれて、「comfortable な靴を探しているんだけど」という私の先に立って色々探してくれていた。
とても丁寧なおじさんだったが、その店に似つかわしくなく、何だか浮いている感じがした。
それでも、一生懸命に真面目に仕事をしているのは好感が持て、サイズを言って探してもらった靴を2足とも買うことにした。
家から履いて出た靴で家まで歩いて帰るとなると、絶対に靴ずれができて悲惨な結果になると予想できたため、支払いの時に「今履いている靴は日本で買ったんだけど、ちょっと窮屈でね。買ったブラウンの方の靴に履き替えて行くことにするよ」と話をすると、そのおじさん店員はわかったと言って靴底に付いていたラベルを剥がしてくれながら、「あなたは日本人なの?!私の息子はもう長いこと日本の千葉に住んでてね、英語の先生をしているんだよ」と話し始めた。
おじさんは私に、ここに来てどれくらい経つの?と聞いてきたので、12年以上経つと答えると、「それじゃもうすっかりキウィになったね」と笑っていた。すると、それを聞いたとなりのレジに居た客(キウィだと思われる男性)が、「キウィって言われて嬉しいか?!」と大笑いし出し、他の若い男性スタッフもえらく笑っていた。
幸せな光景だよなと思って私も笑えた。
みんなけっこう他の人たちの会話を聞いていて、見ず知らずの人同士なのに、普通に会話に入ってくる。私はそういうアッケラカンとした態度が非常に心地よく思え、自然と笑顔になっていた。
(そこに居たのが冒頭の両替商スタッフだったら、気を利かせてラベルを剥がしてくれたりせず、靴の箱は必要か?など聞く事もあろうはずもなく、また、私のそれまで履いていた靴を丁寧に袋に入れて渡してくれたりもしなかっただろうな...)

靴屋の後はペイント専門店に寄り、ステインを幾つか買った。YouTube で観たジェル ステインなるものを探しに行ったのだが、若い女性店員はそんなものはここには無いよと言い、普通の水溶性ステインの棚に案内してくれた。私はそのペイント専門店にジェル ステインがあることはインターネットで調べてあったのだが、もう面倒臭くてそれ以上聞く気にならず、普通のステインでいいとした。
その店のメンバースカードを以前インターネットで申し込んであったので、提示してみると、全品15%割引となって、他のDIYショップで購入するよりもかなりお得だった。
しかも、家に帰って早速缶の蓋を開けてみたら、通常DIYショップで売られているステインよりもねっとりしていてジェルっぽく、着色してみたら、これが予想を遥かに上回る100%満足できる品質で、嬉しい驚きだった。
もうペイントでイライラする事は無くなりそうだ。


ああ、もう一軒店に寄ったんだった。
帰りの道すがら、大手文房具店で厚紙を買って来た。A1サイズの黒い厚紙が$10近くしてビックリ。厚紙って高いのね…
他に選択肢が無かったので仕方なくそれを買い、何の包装もないまま手に持って、プラプラ風に吹かれながら歩いて帰った。
厚紙はフォトフレームのガラスの後ろに当てるのに使用する。

雨も降らず、歩いていると暑く感じた一日。
両替商と銀行に行っただけで一日が終わらなくてよかった。



4.8.15

どうでもいい他人の日常

一晩経ってもお腹の具合がよろしくない。
食あたりでは無さそうなのだが、歳のせいか、何かの病気なのかわからないが、外で充分な量の食事をとるとすぐにお腹を壊してしまうようになった。

*******

先週末のことになるが、久しぶりに同居人たちと買い物に行った。
チープな物ばかり売っている大型店で温かそうな3足組みの靴下を買い、家に帰って履こうと思ったら、2足半しか入っていなかったのがわかりガッカリ。店に行ってクレームするためのガソリン代の方が高そうなので、そのまま泣き寝入り。

出掛けたついでに、ちょっとマシなファーストフード レストランに寄り腹ごなしをし、その後同居人はお気に入りのきゅうりのピクルスを買いに、向いの中国人経営の八百屋に入り、瓶詰めピクルスを山ほど買い込んだ。味も食感もいいのだが、塩気がかなりあるので、短期間に全てを平らげたら明らかに身体に悪い。
そのピクルスは私の "天敵" が輸入している中東のもので、欲しいと言えばいくらでも持って来てくれるのに、欲しいと言わない(連絡もしない)私… 「プライドが高いと損をする」と同居人に笑われる。

ピクルスを買った後、隣接のスーパーマーケットに寄り、およそ2〜3週間分の食料を買い込むと、レジのおばさんたちが、「1ヶ月分の買い物か?」と聞いてきた。
笑っただけで返答はしなかったが、我家の誰も食料品の買い出しが好きではないので、一度に冷蔵庫に入るだけの最大限の食料を買い、次に買い物に行く直前にはストックが底をついている状態ということがほとんどなのだ。
私の母は私とはまるで違い、頻繁に買い物に行くためか、前回、或は前々回に買い溜めしておいた物があることをすっかり忘れ、同じ物をまた買い溜めするということを繰り返している。スーパーマーケットの戦略にすっかり乗せられ、"今日限りのお値打ち価格" だから、幾つか買っておかないと… と必要以上に買ってくる。1〜3週間前の新聞折り込みチラシを取っておいて比べるまでもなく、お値打ち価格が "今日限り" ではないことは明白だよと、半年前に丁寧に諭しておいたのだが、習慣というのは恐ろしいもので、案の定、私の諭しは功を奏していないようだ。

約2週間に1度の買い物を無事終え、当座の生活には不自由無しと認識した私は、「買い物に行かなくちゃ」という言わば『強迫観念』から解放され、気持ちが楽になった。それほどスーパーマーケットでの買い物が嫌いなのである。


また、先週末、アルミニウム バー クランプの君から久々にemailが来ていた。
先月初め、私のスタジオに来る予定だったが都合がつかなくなったため、追加で注文したバー クランプは、いつでもいいから都合の良い時に送って欲しい。送料を知らせてくれたら代金はすぐに振り込むからと頼んでおいたところ、「返事が遅くなってごめんね。追加のクランプを送ったけど、支払いはあなたの都合の良い時に振り込んでくれたらいいよ」と書いてよこした。
取りあえず、emailを受信してすぐに振込を済ませ、その夜返事を書いている時、またクランプの君からメッセージが届いた。「インターネット オークションで別の取引があったから、入金を確認しようとバンク アカウントをチャックしたら、あなたからもう入金があったのを見てビックリしたよ。いつでもいいと言ったのに、すぐに振り込んでくれたんだね。あなたには、オークションの出品価格よりも少しだけ安くしてあげられたのに、そのままの金額を振り込んでくれてあったから、$8 借りができたよ」と書いてあったので、彼がずっと最も安い送料で送ることのできる運送会社を探してくれていたことや、私が少しでも安く手に入れられるようにと頭をひねってくれていた事を本当に有り難く思っていると書いた上で、オークションの出品価格は私には十分満足できるものだから、『借り』など発生しないよとメッセージを送っておいた。
実際、インターネット上で国内のどこの店を探しても同じようなクランプは見つからず、海外から取り寄せるとなると送料だけで倍以上の値段がついてしまうことを調べて知っているので、本当に素晴らしくお得な買い物だったのだ。

クランプの君とは同じ国に住んでいながらも、まだ会ったことは無く、インターネット オークションで取引があったというだけの、時々emailをやり取りする関係でしかないが、それでも、$100を有に越えるものを支払いを済ませる前に送ってくれるほどの信用を築けたのは嬉しいことだ。人と人との信頼関係というのは、直接会っているかどうかということに寄らないのだということが、このことからよくわかる。

余談だが、前述の『天敵』は、同郷の仲のよかった弁護士から借金を頼まれ、気前よく貸してあげたら、いつの間にか弁護士事務所を畳んでどこかに雲隠れしてしまい、行方がわからないと怒り心頭に達していたことがあった。また、私の知り合いの女性(アジアン)は、長年勤めていた職場で彼女に出来得る限りの精一杯の努力をし、その店の売り上げに充分過ぎるほど貢献していたのが傍目にもよくわかるほどだったが、彼女が信頼を寄せていたボスは彼女の努力と忠誠心とは裏腹に、有能とはお世辞にも言えない、責任感も感じられないような若い従業員に彼女以上の賃金を支払い、非常に優遇していた。そのことを知った彼女は、怒りと憎しみと失望感に身体を震わせて涙を流し続けていた。
私はそのボスをもよく知っているが、彼が彼女を決して優遇しなかったのには、おそらく納得できなくもない理由があったのだろうと、冷酷に思えるかも知れないが、かつて経営者の側に立ったことのある私は感じた。しかし、私が彼の立場だったとしたら、責任感の欠片も感じられない若い子に、能力以上の賃金は間違っても払わないだろうなとも思った。

信頼関係というものは、こと金銭が絡むと誠に築き難いものとなる場合が多い。
『金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根(テモテ第一 6:10)』だと聖書に書いてある通りのように私は思う。
双方が、或はどちらかが、相手の気持ちにではなく金銭に重きを置いた時点で、その関係はギクシャクしたものとなり、信頼関係は永久に壊れたままになる方向に傾いてしまう。

私は人間関係に夢も希望も無いと書いているのではない。
自分の周りのごく限られた世の中を見回してみただけでも、そのような欺きが其処彼処で普通のことのように繰り広げられていて、純粋な信頼関係を築くのは容易くないと思ってしまいがちだが、その例に違う現象がごくごく稀に起こるのも、これまた事実だからである。

直接会ったことも無い人との繋がり…

会った事のない、ある人との繋がりが、1年を越えた今でも続いているように感じる時がある。しかし、この漠然とした感覚が果たして現実的なものなのかどうかと、ふと疑念が湧くことはそれ以上に頻繁にあるように思う。
確信は日を追う毎に揺らぎ始め、遂にはその存在さえも忘れ去る日が来ると、今日は強く感じてしまった。



3.8.15

16年と10ヶ月 目覚めない日の訪れを待ちわびる日々

知り合いに連れられてランチを食べに行った。
食べ過ぎてお腹を壊し、夜中悲惨な目に遭った。


ずっと前に購入したランタンにステンドグラスで作った筒を入れようと思っているのだが、良いデザインが全く思い浮かばない。しかも、作っても吊るしておく場所がない。

幾つかランプベースのストックもあるのだが、手を付ける気にならず埃をかぶっている。

毎日何か作りたくてアトリエに下りて行くのに、今現在作りたいものが無い。
何も頭に浮かばない。




2.8.15

Craig David - Rise & Fall (feat. Sting)



この曲が流行っていた頃、私達はホノルルに居た。
その頃は少しの希望があった。
だが、その数年後、大切なものの一つがガタガタと音を立てて崩れていくのがわかり、
そして今年2月、かろうじて繋ぎ止めていた希望の細い糸が既に切れていたのを悟った。


今大切に思う人が、せめてこの世を去るまで、その純粋な夢を抱き続けていられるようにと祈らずにはいられない。




1.8.15

昨日の仕事のほんの一部

( free scroll saw pattern )

まともに(まともな?)家具を作った事が無いのに加え、まともな家具も持っていないため、天板の縁飾りをどのようにしたら良いかわからず、悩みに悩んだ挙げ句に、このようなものにしてみた。
次は苦手なペイントが待っている...


天板を木工用ボンドで接着している間に、小さなパターンを切り出していた。


このライト付き拡大鏡は、以前アンティーク修復スタジオに働きに行っていた時に使っていたもので、本当は拡大鏡が無くても作業できるのだが、この手元を照らすライトがすこぶる使い勝手が良く、ブレードの影がチラつかず、更には、作業中に飛びまくっている細かいダストが顔にかかるのを防いでくれてもいるため、目の保護という点でも非常に役立っている。

 厚めの板なので、teapot stand として安く売れるかな?と思いながら作っていたが、このパターンを使って他にも何かできそうな気がしてきた。




スクロールソーで物作りをしている人の内、どれだけの人が板に鉋がけをしているだろうかと考えた。おそらくそう沢山は居ないだろう。

以前 mill mark について少し書いたことがあるが、買って来たばかりの板には、通例下の写真のように機械で削った痕が無数についていて、端から数センチの所には目で見てはっきりとわかる段差がついているものだ。この端から段差までの部分というのは、機械に付いている回転する刃が板を取り込み、板に均一なプレッシャーをかけられるようになるまでの距離で、それを見ると、機械に差し込んだばかりの板は水平を保てず、もう一方の端に向って浮き気味になってしまっているということがよくわかる。これは削り終わりの部分にも言える事で、連続して同じ厚みの板を途切れる事無く流し続けていない限り免れることはできない。

この段差を鉋の刃を大幅に出して削り取ろうとすると、引っかかりが大き過ぎて他の部分を傷めてしまう危険が増大し、他の部分が傷んでしまうと更に長い時間をかけてそれを修正しなくてはならなくなるため、私は鉋の刃は表面が極薄く削れる程度にしか出しておらず、その結果この段差を取るためだけに、何度も鉋がこの上を通過することになる。



鉋で板をツルツル、スベスベにした後、スクロールソーで透かし彫りをし、カットした部分のガサガサをサンドペーパーで丁寧に取り除き、周囲を縁取りしたら…
あぁ、またペイント作業だ… 






「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...