4.8.15

どうでもいい他人の日常

一晩経ってもお腹の具合がよろしくない。
食あたりでは無さそうなのだが、歳のせいか、何かの病気なのかわからないが、外で充分な量の食事をとるとすぐにお腹を壊してしまうようになった。

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先週末のことになるが、久しぶりに同居人たちと買い物に行った。
チープな物ばかり売っている大型店で温かそうな3足組みの靴下を買い、家に帰って履こうと思ったら、2足半しか入っていなかったのがわかりガッカリ。店に行ってクレームするためのガソリン代の方が高そうなので、そのまま泣き寝入り。

出掛けたついでに、ちょっとマシなファーストフード レストランに寄り腹ごなしをし、その後同居人はお気に入りのきゅうりのピクルスを買いに、向いの中国人経営の八百屋に入り、瓶詰めピクルスを山ほど買い込んだ。味も食感もいいのだが、塩気がかなりあるので、短期間に全てを平らげたら明らかに身体に悪い。
そのピクルスは私の "天敵" が輸入している中東のもので、欲しいと言えばいくらでも持って来てくれるのに、欲しいと言わない(連絡もしない)私… 「プライドが高いと損をする」と同居人に笑われる。

ピクルスを買った後、隣接のスーパーマーケットに寄り、およそ2〜3週間分の食料を買い込むと、レジのおばさんたちが、「1ヶ月分の買い物か?」と聞いてきた。
笑っただけで返答はしなかったが、我家の誰も食料品の買い出しが好きではないので、一度に冷蔵庫に入るだけの最大限の食料を買い、次に買い物に行く直前にはストックが底をついている状態ということがほとんどなのだ。
私の母は私とはまるで違い、頻繁に買い物に行くためか、前回、或は前々回に買い溜めしておいた物があることをすっかり忘れ、同じ物をまた買い溜めするということを繰り返している。スーパーマーケットの戦略にすっかり乗せられ、"今日限りのお値打ち価格" だから、幾つか買っておかないと… と必要以上に買ってくる。1〜3週間前の新聞折り込みチラシを取っておいて比べるまでもなく、お値打ち価格が "今日限り" ではないことは明白だよと、半年前に丁寧に諭しておいたのだが、習慣というのは恐ろしいもので、案の定、私の諭しは功を奏していないようだ。

約2週間に1度の買い物を無事終え、当座の生活には不自由無しと認識した私は、「買い物に行かなくちゃ」という言わば『強迫観念』から解放され、気持ちが楽になった。それほどスーパーマーケットでの買い物が嫌いなのである。


また、先週末、アルミニウム バー クランプの君から久々にemailが来ていた。
先月初め、私のスタジオに来る予定だったが都合がつかなくなったため、追加で注文したバー クランプは、いつでもいいから都合の良い時に送って欲しい。送料を知らせてくれたら代金はすぐに振り込むからと頼んでおいたところ、「返事が遅くなってごめんね。追加のクランプを送ったけど、支払いはあなたの都合の良い時に振り込んでくれたらいいよ」と書いてよこした。
取りあえず、emailを受信してすぐに振込を済ませ、その夜返事を書いている時、またクランプの君からメッセージが届いた。「インターネット オークションで別の取引があったから、入金を確認しようとバンク アカウントをチャックしたら、あなたからもう入金があったのを見てビックリしたよ。いつでもいいと言ったのに、すぐに振り込んでくれたんだね。あなたには、オークションの出品価格よりも少しだけ安くしてあげられたのに、そのままの金額を振り込んでくれてあったから、$8 借りができたよ」と書いてあったので、彼がずっと最も安い送料で送ることのできる運送会社を探してくれていたことや、私が少しでも安く手に入れられるようにと頭をひねってくれていた事を本当に有り難く思っていると書いた上で、オークションの出品価格は私には十分満足できるものだから、『借り』など発生しないよとメッセージを送っておいた。
実際、インターネット上で国内のどこの店を探しても同じようなクランプは見つからず、海外から取り寄せるとなると送料だけで倍以上の値段がついてしまうことを調べて知っているので、本当に素晴らしくお得な買い物だったのだ。

クランプの君とは同じ国に住んでいながらも、まだ会ったことは無く、インターネット オークションで取引があったというだけの、時々emailをやり取りする関係でしかないが、それでも、$100を有に越えるものを支払いを済ませる前に送ってくれるほどの信用を築けたのは嬉しいことだ。人と人との信頼関係というのは、直接会っているかどうかということに寄らないのだということが、このことからよくわかる。

余談だが、前述の『天敵』は、同郷の仲のよかった弁護士から借金を頼まれ、気前よく貸してあげたら、いつの間にか弁護士事務所を畳んでどこかに雲隠れしてしまい、行方がわからないと怒り心頭に達していたことがあった。また、私の知り合いの女性(アジアン)は、長年勤めていた職場で彼女に出来得る限りの精一杯の努力をし、その店の売り上げに充分過ぎるほど貢献していたのが傍目にもよくわかるほどだったが、彼女が信頼を寄せていたボスは彼女の努力と忠誠心とは裏腹に、有能とはお世辞にも言えない、責任感も感じられないような若い従業員に彼女以上の賃金を支払い、非常に優遇していた。そのことを知った彼女は、怒りと憎しみと失望感に身体を震わせて涙を流し続けていた。
私はそのボスをもよく知っているが、彼が彼女を決して優遇しなかったのには、おそらく納得できなくもない理由があったのだろうと、冷酷に思えるかも知れないが、かつて経営者の側に立ったことのある私は感じた。しかし、私が彼の立場だったとしたら、責任感の欠片も感じられない若い子に、能力以上の賃金は間違っても払わないだろうなとも思った。

信頼関係というものは、こと金銭が絡むと誠に築き難いものとなる場合が多い。
『金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根(テモテ第一 6:10)』だと聖書に書いてある通りのように私は思う。
双方が、或はどちらかが、相手の気持ちにではなく金銭に重きを置いた時点で、その関係はギクシャクしたものとなり、信頼関係は永久に壊れたままになる方向に傾いてしまう。

私は人間関係に夢も希望も無いと書いているのではない。
自分の周りのごく限られた世の中を見回してみただけでも、そのような欺きが其処彼処で普通のことのように繰り広げられていて、純粋な信頼関係を築くのは容易くないと思ってしまいがちだが、その例に違う現象がごくごく稀に起こるのも、これまた事実だからである。

直接会ったことも無い人との繋がり…

会った事のない、ある人との繋がりが、1年を越えた今でも続いているように感じる時がある。しかし、この漠然とした感覚が果たして現実的なものなのかどうかと、ふと疑念が湧くことはそれ以上に頻繁にあるように思う。
確信は日を追う毎に揺らぎ始め、遂にはその存在さえも忘れ去る日が来ると、今日は強く感じてしまった。



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