27.3.24

母 大腿骨骨折との一報が入る

先週、"雲の上のお師匠さん" が 仕事帰りに襲われ、乗っていた自転車から突き落とされたという記事を目にした。
肋骨を 3 本折るという大怪我をし、病院に運ばれたとのこと。

記事を見た途端、血の気が引いた。

彼を慕う人々は、彼の早期回復を心から祈っているとコメントを残していた。
彼は多くの人々の温かい励ましの言葉にさぞかし癒されていることだろう。
私はコメントこそ残しはしないが、心の中で、さぞかし痛い思いをしたことだろう。でも亡くならなくてよかったと、最悪の事態に至らなかったことを、神に感謝した。


そして昨夜、既にベッドに入っていた私の元に、姉から LINE を通じ連絡が入った。
90 歳を超えた母が転んで、大腿骨を骨折してしまったとのこと。入院し、翌日手術を受けることになったというので、日本に直ぐに帰ったほうがいいかどうか悩んだ。

姉が、重病では無いので経過を見てからでいいと思うというので、術後の様子をまた知らせてくれるようにと頼み、実に頼りになる姉で本当に助かったなと、改めて、姉が母の面倒を見てくれている有り難さを身に染みて感じた。

入院は 1 ヶ月ほどを予定しているとのこと。手術が成功したとしても、歩けるようになるまでには相当な時間がかかるに違いない。
退院しても、バリアフリーではない家での生活ができるのだろうか?

歳をとると、いつ何時身の不自由を経験することになるかわからない。

母の手術もまた、無事に行われ、順調に回復してくれることを祈るのみである。







23.3.24

(多分最後の)運転免許更新

 昨日、おそらく私の人生において最後の運転免許更新となるだろう手続きを、無事済ませることができた。

ここ数年は、既に滅多に車を運転することがなくなっていて、もう免許証も要らないかなと思い始めていたのだが、それでも万が一の時のために持っていたほうがいいかも知れないと、更新に行って来たというわけだ。そこまで行くのにも、自分で運転して行ったわけではなく、同居人 T が運転して連れて行ってくれるという、いつものパターンに変わりはなかった。

車で20分ほどの場所にある AA 営業所に入ると、多くの客が居て、皆が発している言語が英語のようなそうではないような、一種異様な、雑然とした印象を受けた。(他国籍の者がほとんどだったためだろう)

運転免許関係の手続き窓口は 2 つあるのに、一つしか開いておらず、一人しかいない窓口の職員は何十分も一人の客に対応していて一向に埒があかず、それを見るにみかねたのか、別の部署に居た人が気転を効かせて私の要件を尋ねに来てくれ、彼のデスクに案内してくれた上で手続きをしてくれた。

これまでの運転免許証を出し、更新手続き代金 $22.60(¥2,000 ちょっと*65 才以下は $ 32.40)を支払うと、視力検査。非常に古い機械にしか見えない視力検査機械を覗くと、左には上から 1,2,3,4... と縦に数字が書かれていて、その右には 3 つに区切られた枠に幾つかのアルファベットがそれぞれ並んでいた。職員に「1 番の横の文字を読んで」と言われたが、かすんでよく見えず、困ったなと思っていたら、丁寧に絵を描いて、「1 番の右隣にこういう風に 3 つに区切られたスペースがあって、その中にそれぞれアルファベットが書かれているから、それを左から続けて読んでくれればいいよ」と優しく教えてくれたものの、1 番には 3 つに区切られた内の 2 つにしか字が書いてないようにしか見えなかった私は、少々焦り、見る角度を変えたりなんぞして、ようやく全部が見えるようになりホッとした。見る角度によってまるで見え方が違ってしまう機械だということを発見して、無事に視力検査をパスしたかと思いきや、次に、光の点滅がどちらかを聞かれ、「光の点滅なんて全く見えませんが...」と機械からおでこを離した瞬間、レンズを透して光るのが見えるのではなく、機械の両内側が光るんだということを理解し、若干おでこを離した状態で点滅試験も難なくパス。


私のコンタクトレンズはもう 8 年以上も前に作ったものなので、視力検査をパスできるかどうかだけが心配だったが、何とかパスできて本当に良かったと安堵した。

視力検査の後、写真撮影。そして、古い免許証は返納するため、免許証が郵送されて来るまでの間有効な運転免許証明書を書いてもらい、無事更新手続きは終了。

帰りの車の中で、T と視力検査の話をし、 T も少し前更新に行った際、おでこをつけていたら絶対に見えない場所で光が点滅することに一瞬戸惑ったことやら、画面の解像度が恐ろしく低くて、何十年も昔の機械を使い続けているに違いないと、二人して大笑いして帰路に着いた。

視力検査で焦ったものの、今回は非常に丁寧な職員に当たって、私はラッキーだったなと思った。


NZ では 75 才及び 80 才になると運転免許更新時に医師の健康診断書を添えて提出しなくてはならなくなる。健康診断をした医師の判断によっては、30 分のオン - ロード セイフティ テストを受けなければならない場合もあるらしい。そして、免許の有効期限は 2 〜 5 年に短縮されるとのことで、80 才になった後は 2 年毎の更新が義務付けられているようだ。毎回更新の際に健康診断書を提出しなければならなく、診断書にかかる費用は自分持ち。だが、免許更新手数料は年が多くなるに従って安くなると書いてあった。

日本では多くの高齢ドライバーが事故を起こすケースが頻繁に報道されているが、歳をとって反射神経やら判断力やらの衰えを実感するようになると、高齢者の免許更新は厳しくあって然るべきだと思わざるを得ない。

70 年も 80 年も何事もなく平穏に過ごして来た人が、たった一度の運転ミスでその一生を台無しにしてしまうのだということを、もっと肝に銘じて生活するべきである。


私は元々運転するのが好きではなかったので、行き慣れた場所でさえも率先して運転して行く気にはならなくなった。
幸いにもフリーランサーの T が、出かけたい時には一緒に行ってくれるので、出かけるのに全く困っていないということも大きな理由だが、公共交通機関が無料で利用できるようになっているのだから、少々時間がかかろうが、それらを利用するのが得策である。

75 才からの更新手続きは面倒になってくることを考えると、私の場合、十中八九今回が最後の更新ということになるだろう。

こうやって、一つ一つ、人生に於いて終わりを迎える事柄が増えて行き、最期には何もできない人になって、本当の終わりを迎えることになるのだ。

人は何のために生まれて来たのだろうかと、疑問を抱かずにはいられない。






21.3.24

治安の良くない地域

 比較的安全と言われている NZ だが、それでもやはり治安の良くない地域はある。

そんな地域の一つに数えられている所に家を買った H たちだが、路上に停めた H の車は既に 2 度、窓ガラスを割られ、スターター キーの部分を乱暴にこじ開けられたりするという被害に遭っている。

前回、2003 年 10 月にはかなり荒らされ、中はグチャグチャ。



今回 2004 年 3 月には、前回ほど頑張る気力がなかったのか、途中で諦めた模様だが、修理しなくてはならないことに変わりはない。





幸いにも二度とも車は盗まれはしなかったが、何度も修理に出さなければならず、その度に出勤はパートナーの車を使わざるを得なく、かなりのストレスとなっているのが手に取るように伝わって来た。

H がハンドルロックを装着しないとダメかなと言うので、我が家のガレージに 10 年以上眠っていたハンドルロックをあげたが、H の車は家の目の前に停めてあるわけではないので、アラームが鳴ってもすぐに状態を見に行けるかどうかは疑問だ。


ちなみに、我が家の車は家の敷地内に停めてあり、高性能セキュリティ アラームも付いている。しかも、家のセキュリティ カメラにしっかりと映る位置にあるため、もし仮に盗もうと試みても、大音量でアラームが鳴り響き、犯行の一部始終は録画されることになる。


どこの国にも、不届き者は存在するし、自分たちがいくら良い行いをしていても災難が降ってかかることは免れられないのが現状だ。

精神が病んでいる人々がこの世からいなくなることはまず無いだろう。

警察が迅速かつ的確に行動してくれることを、只々願うしかない。





12.3.24

一休み

数日前、久しぶりに買い物に出かけたら、街行く人のほとんどが長袖の装いになっていた。
最近のオークランドの最高気温は 21〜24℃、最低気温は 13〜16℃程度で、陽が照っていれば暑く、いまだ夏という感じはするが、朝晩は半袖の T シャツ 1 枚では過ごせない寒さだ。日も短くなっているのがはっきりとわかるようになった。


このところずっと、新しい販売先のサイトに掲載する英文と格闘し続けていたためか、非常に頭が疲れていた。
10 点ちょっと出したので、小休止...

小休止している間に、何故だか 1 点、驚くべきスピードで閲覧回数が増えていたものがあって、目を疑った。SNS で紹介されたわけでもなさそうに見えるし、自分で宣伝もしていないのに、何故増えているのか、全く見当が付かない。

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しばらく切らしていた鶏肉諸々をオンラインで肉屋に注文し、久々に鶏の唐揚げを食べた。
いつも買うのは皮付きのもも肉なのだが、肉の処理をしている時に、取り切れていない軟骨だの、毛だのを見るといつもゾッとしてしまう。(イカの目と直面するよりは遥かにマシだが...)
ちなみに、この国のほとんどのスーパーマーケットでは、皮付きの鶏肉は取り扱いが無く、皮付きが欲しかったら肉屋で買うしかない。何故だろうか?

料理が本業である人が『ご家庭ではそこまでする必要は無い』とよく言ったりもする、好ましくない脂肪部分や筋も、私は結構念入りに取り除きなどして、生姜やニンニクのすりおろしを多めに入れた醤油、味醂、酒を混合した漬け汁を作り、30 分程度漬けた後に片栗粉をまぶして揚げるのが我が家の定番になっている。他の味付けも試してみたい気はするものの、作る段階になると面倒くさくなってしまって、ついつい、いつもの味付けでいいやとなってしまう。
おそらくこの先も、身動きが取れなくなるまで料理をし続けることになるのだろうなと考えると、料理好きに生まれついたという人が羨ましくて仕方がない。

料理が面倒だったら、スーパーマーケットのお惣菜を買ってくればいいじゃないかと思う人もいるだろうが、この国のスーパーマーケットにも一応 "お惣菜" のようなものは売られているが、パッと見美味しそうには思えず、いつもそのコーナーは素通りなのである。

しかも、数週間前には、最大手のスーパーマーケット内でネズミが何匹も見つかったという報道があり、量り売りのお惣菜の皿の上を這い回る映像を見てしまったために、更に買う気が失せた。


日本のスーパーマーケットのお惣菜コーナーは非常に充実していて、しかも、ほとんどの場合美味しく、しかも安いときている。あぁ、実に羨ましい限りだ。


さて、今夜は何にしよう...
豚バラ肉を解凍しておいたので、豚丼かな...
あとは冷奴と、何にしよう...





11.3.24

Bon Jovi - It's My Life (Official Music Video)



もう何年も前になるが、"雲の上のお師匠さん" が、過去に受けた衝撃からいつまでも立ち直れない私を案じて、私が自分の才能を活かした道を歩めるよう手を差し伸べてくれようとしていたことがあった。

私はそれに対しての返事として、一つの作品を作り、それにメッセージを書き添えた。

側から見たら、過ぎてしまったことに振り回され、取り憑かれて、前に進むことができないことがこの上なく歯痒く、人生を無駄に過ごしているようにしか思えないとしても、これが私の人生だからと、この悪夢に支配されてしまったかのような人生を肯定し、彼の援助を退けたのだ。

どんなに惨めに思えようが、これが私に与えられた運命で、他の人とは違う、『私の』人生なのだ。

私はこの精神状態で生きることしかできない。




2.3.24

新しいプラットホーム

 私の作品の最後の販売場所を決めた。

自己紹介文を書くのに何日かけただろう...
日本語でも何と書くか、何を書くかおそらく迷うに違いないが、英語となると、どんな単語を使うかまで考えなくてはならず、パソコンに打っては削除、打っては削除を繰り返していた。

もういい歳になっているので、経歴を書くとなると結構長いものになってしまい、かと言って、端折ってしまえば私が掲載する様々な分野の関連やら専門性がぼやけたものになってしまうことになる。

時間の経過と共に変わって来た興味と、それに伴う変化する(或いは追加された)仕事内容、そして、時間が経過しても変わらない手仕事に対する信念を、どうやって読む人に伝えようかと、散々悩んだ挙句に、11 歳で洋裁を初めてからこれまでに起こった事と、それぞれの時代に携わっていた仕事を淡々と書いてみた。

その後は、それぞれの作品の写真を撮り、説明文を考え、送料を割り出し、掲載するという作業...
正直なところ、それらを誰かがやってくれたら製作に専念できて楽なのだが、自分でやるしかないというのは誠に辛いものである。

まぁ、これまで作り溜めたものが数多く残っているので、しばらくは掲載する商品に困ることはないだろう。果たして閲覧する人がどれだけいるのか、想像もつかない上に、どれだけ売れるのかも全くわからない。
だが、恐らく、これまで使っていた Trade Me よりは、私のようなクラフターには合っているだろうと思える。


販売を託すウェブサイトでは、最初の 5 件の掲載に関して、規約に違反していないかをチェックするとのことで、実際に掲載内容を送信してから約 1 日経った後に、正式にそのサイトで販売ができるようになる。
私の場合も、問題なく、送信翌日に販売開始となった。

後で気づいたのだが、正式販売開始となったその日は亡き父の誕生日で、最初に載せたのはステンドグラスではなく、木工作品だった。


父が「頑張れよ」と言ってくれている気がした。





21.2.24

スタジオ名変更

 こちらに来て仕事を立ち上げ、起業家ビザで永住権を取得したと、以前日本人の知り合いに話した時に驚かれたことがある。日本人で起業家ビザを申請する人はそんなに多くはないんじゃないかということだった。

あの当時はまだ活力があった。

イスラエル人の知り合いに紹介されたイスラエル人弁護士事務所と、韓国人の知り合いに紹介してもらった韓国人税理士事務所に幾度となく通い、永住ビザ申請までサポートしてもらったりと、国籍などには全く無頓着な私だが、もしかしたら、日本人コミュニティーにどっぷり浸かっていない姿勢が少なからず評価されたのかもしれない。
永住権申請時に添付した推薦状も、キウィを含め、本当に様々な国から来た人々に書いてもらったものだった。

移民の非常に多い国なので、どこの国から来たかに関わらず、自然と助け合うようになっているのは、多くの移民がそれなりに苦労をしてきていて、他人の苦しみを自分のことのように感じることができるためだろう。

言葉も、文化も全く違う国で、誰かの助けを借りずに独り立ちできる人はそう多くはないに違いない。資金に限りがある場合は尚更である。

"他人に手を貸さない" 日本人を多く見てきた私にとって、他国から来た知り合いたちは本当に心温まる有難い存在だった。


仕事を立ち上げるに当たって、私は会社の登録名称とブランド名を決める必要があったが、ブランド名は最も力を貸してくれたイスラエル人の友達が私に付けてくれた "イスラエル名" とし、これまでその名前を使い続けてきた。
当然のことながら、それがイスラエル名だとは知らない人の方が多く、中にはどういう意味かと聞いて来る人もいたが、その人たちのほとんどは日本の名前(若しくは言葉)だろうと想像していたようで、イスラエル名だというと非常に驚かれたものだ。

私はその名前がすこぶる気に入っていたが、グラス アートから木工中心に興味が移ってから、もっともっと自分らしい生き方をしようと強く思うようになり、ブランド名を新しくしたいと思うようになってきた。

彼の人の居なくなった月、『神無月』...
心の中にずっと燻っているイメージを、私の仕事に対する最後のブランド名にしようと、そんなことを考えながら、販売する物を少しずつ作りためている今日この頃である。





6.2.24

気温 30℃に達すると警告が出る国

 

ここの夏の平均気温は 21~25℃ というところだろうか...  30℃ を超えると Heat warning が出る。

そんな国に長く住んでいると、あの爽やかだと言われているハワイでさえも、耐え難いほどの蒸し蒸しした気候となり、空港に降り立った途端、汗が噴き出すばかりではなく、手足がパンパンに膨れ上がり、酷い目に遭うことになる。

この夏は例年になく、夜扇風機をつけて寝る回数が多い。
布団をかぶらないといられないほど涼しい夜と、熱帯夜とも呼ぶべき蒸し暑い夜が交互にやって来て、少々夏バテ気味である。


暑くなるとハエが家の外を飛び回るようになるが、この国のほとんどの家には網戸というものが付いておらず、仕方なく、我が家ではベランダ側には細かい網状の虫除けカーテンを取り付け、他の部屋は普通のレースのカーテンで、ハエの侵入を極力防いできたわけだが、それでも、これまでは数匹家の中に入り込んで来るのを防げないでいた。




数週間前、フェイスブックか何かで、上記の自家製虫除けスプレーの作り方を発見し、ダメ元で作ってみたところ、これが効果覿面で、窓枠に吹き付けておくだけで、ハエが家の中に入って来ることは無くなった。

酢の臭いはするものの、薄いのでさほど気にはならず、スプレーが顔や手にかかっても毒では無いので安心である。

SNS もたまには役にたつ。




31.1.24

H からの頼まれもの & 頂き物の水菜

数週間前、H の家に行った際、カーテンの丈をつめて欲しいと頼まれ持ち帰った。
その翌日には出来上がっていたが、H は何かと忙しかったようで、先週末、我が家の近くの美容院に来たついでに取りに来た。

H はお昼少し前に我が家に着いたため、残り物の裂いたビーフ ブリスケット(タコス味)を温め直し、レタスやらグアカモーレやらを加えてトルティーヤにして簡単なランチとし、私はといえば、我が家にある "使っていない物" を、(H が「使う」と言うのを期待を持って)次から次に出しては見せていた。

数年前に作ったが、辛過ぎて使えないままだったタコス ミックスやら、1kg 近く残っていた粉状ハリッサ、日本から買ってきた目薬、ハエやら蚊の忌避剤(酢と食器洗い洗剤を水で薄めたもの)を作って入れておくスプレーボトルとかがヒットして万々歳。

日本には選ぶのに苦労をするほど多くの目薬が売られているが、日本で売られているような目薬類は NZ では売られておらず、あるのはドライアイ用の、単に潤いを目的としたもののみで、爽快感などは全く無い。そのため、日本に帰国した際に数個まとめて買ってくるという行為に出るのだが、どうしたわけか、こちらでは日本にいた時のように頻繁に目薬をさすことがなく、一度も開封していない使用期限切れになっている目薬がいくつか出てしまうことになるというわけだ。おそらく、それらは次に日本に行き、新しい目薬を買ってくるまで、薬を入れている引き出しの中で眠っていることだろう。
不経済だし、勿体無いとも思うが、使いたい時に手元に無い/すぐに買って来れないという状況においては、致し方の無いことと納得するしかないだろう。


H は 4 時間ほど居ただろうか、家に戻って直ぐに裾上げしたカーテンを取り付け、ちょうど良い感じだと写真を撮って送ってくれた。お直しのカーテンを受け取って来る際、左右で仮止めした長さが異なり、左側の丈くらいにしてと頼まれていたが、間違えることなく直せ、床に着かない程度の絶妙な長さにできて良かった。(まだボケてはいないな...)




H が栽培した立派な水菜を山盛り持ってきてくれたので、私は早速、その日の夕食に、水菜料理で最も好きな、豆腐と水菜の胡麻和えを作って食べた。レシピにはちくわを入れると書いてあったが、ちくわは常備していない(且つ高い)ので、中国系スーパーマーケットで売っているフェイクな蟹のすり身ナゲットで良しとした。


我が家の夏の定番である。


19.1.24

Tailors Clapper

 

Tailors Clapper と呼ばれる、アイロンをかける際に使われる道具。とりわけ、厚手の生地やら、パッチワークをアイロンがけする際にあると便利な物として知られている。

主として、アイロンがけした縫い目をまだ熱い内に真っ平らにプレスすることを目的とした物で、そのため、手に熱が伝わらない程度の厚みの板であることが必須条件だ。

組み立てる必要の無いものなので、非常に簡単に出来上がるのだが、一般に売られているものは信じ難いほど高価で、ネットで検索すると、NZ $80 近くするものもあったりして、そんなに法外な値段を付ける理由が理解できない私は、もちろん買ったりなどせず、自分で作ることにしたというわけだ。


幸い、手持ちの板の中にハードウッド(saligna)の厚い切れ端があったため、鉋で表面を真っ平らにし、使い易いだろうサイズにカットし、カットした部分に鉋をかけたり、丸みはファイルやらサンドペーパーを使って整えた後に、買って間もない Makita Router / Trimmer を使い、Clapper を持ち易いよう、側面に指が収まる程度の窪みを掘った。

このマキタのハンド ルーター/トリマーはストレス フリーで使えて、あっという間に窪みも作れ、周囲の角張った部分も丸く仕上げられて便利である。


こんな、たかがただの板じゃないかと誰もが思うであろう物を、どうしてそんな高い値段で売ることができるのだろうか?

もし仮に、ルーターも無ければ、鉋や鋸も無いという人でも、DIY ショップ(ホームセンター?)で適当な大きさの角材と、サンドペーパー(#180〜#240程度)を購入してくれば、同じ機能を発揮できる物を難なく作ることができるだろう。
指の滑り止めは、小学校の時に使った彫刻刀セットの中の、丸く削れる(ほぼ半円形の)刃が付いたものを使えば作ることができる(少々の根気が必要だが)。
窪みを作るのが面倒だったら、窪みではなく突起を付ける... 、指が引っかかる程度の板を粘着テープ、木工用グルー、ホットグルー等々で貼り付けるとか、或いはしっかりとビスで止めるとかしても一向に構わないだろう。何なら、安い引き出しの取手を上に付けたっていい。要するに、自分が持ち易い/動かし易いようにすればいいというだけの話だ。

板の角は丸く削っておくのが好ましい。角をそのままにすると、ささくれができたりする危険があり、布地を引っ掛けたり、持った時に手を傷つけてしまう恐れが出てくるためだ。(サンドペーパーで角を削り落とすだけで十分)

廃材で作ればサンドペーパーだけの出費で収まるものでも、買うとなると、馬鹿げた価格を支払わなければならなくなる。

洋裁はしても木工はできないと思い込んでしまっている人は少なくないだろう。だが、これは木工と呼べるほどのものではなく、特別な技術を要するものでもないので、洋裁或いはパッチワークを楽しむ機会が少なからずある人は、一つ試しに作ってみるといい。

きっと重宝するだろう。






15.1.24

久々の洋裁

 自分で縫った服を着るようになったのは、確か小学校  5 年の頃からである。

2 才年上の姉がリカちゃん人形の服を作り始め、私も見様見真似で幾つか作った記憶がある。

姉が原型からパターンを起こし、本格的な洋裁を始めると直ぐに、私も(姉に教わりながら)洋服を作り始めたのだが、そのほとんどは従姉妹からのお下がりの服をくずした布で作るもので、好きな布地を買って来て作っていたわけではない。

家には洋裁関係の月刊誌と思われる物が何冊かあって、原型を使っての製図の仕方を覚えてしまえば、自分の体型におおよそ合った服を作ることができ、おそらく、当時の最先端を行っていたであろうデザインの服を、裕福ではない家に住んでいたとしても、身に付けることができていたのである。

小学校に自分で作ったキュロットスカートを履いて行った際には、同級生は見たこともないズボンのようなスカートのようなヘンテコなものを訝しげに見、機能性はさておいて、早速いじめの材料にするという、愚かな行動に出た。

いじめられてはいたものの、キュロットスカートは非常に便利で、私は特に気に入っていた。

中学校時代には、夏の工作として、前中央にハトメ穴を並べて開け、そこに通した紐が特徴のジャンパースカートを提出し、姉の出品作とともに賞をもらったことを覚えている。
もちろん、ずば抜けて器用な姉が金賞、私が銀賞であったのは言うまでも無いが、姉が何を作って出したのか、全く覚えていない。

中学校時代、夏の制服(セーラー服)も作った。
何故作ったかといえば、体育の授業の前後に、着脱のし難い被り式のセーラー服にほとほと嫌気がさしていたからだ。じっとしていても汗が吹き出す日本の夏に、体に張り付く伸縮性ゼロの被り服など、想像しただけで悍ましい。製造業者は着る側の利便性をこれっぽっちも考えていなかったのは明白だ。

私が作ったのは、前がコンシールジッパーで全開できるもの。ジッパーの存在は縫い目にしか見えないため、傍目からは皆と同じ制服にしか見えず、先生からのお咎めなど一切無し。
それからは着脱の度に余計に汗だくになってイライラすることもなくなり、非常に快適に過ごせるようになったことは、今でもよく覚えている。

高校時代の制服は前あきのシャツブラウスに、秋はベスト、冬はブレザーを羽織る学校だったため、脱ぎ着のストレスは無くなったものの、スカートは、ヒダが取れてしまうのを防ぐため、『寝押し』をするかアイロンをかけるかのどちらかをしなければならなかった。
面倒なので、ヒダの内側部分に隠しステッチをして、ヒダが取れないようにしたスカートを作ったら、クラスメイトから同じようにして欲しいと頼まれ、やってあげたことがあった。

また、高校では、家庭科の先生から、家庭科室のウインドウ ディスプレイとして飾る服を縫ってくれないかと頼まれ、夏休みにささっと仕上げて持って行くと、先生は報酬だと言って 3,000円の図書券をくれたことがあった。布地とデザインは先生が決めたもので、確か、襟付きカフス付きのシャツブラウスだった。布地は全く伸縮性の無い木綿で、デザインは何十年も前の家庭科の教科書に載っていたような、袖ぐりのカーブがかなり大きなものだったため、袖ぐりのいせこみに難儀をしたのが鮮明に記憶に残っているが、その図書券で何の本を買ったのかは、まるで覚えていない。ちなみに、そのディスプレイには製作者の名前は書かれておらず、誰が作ったものかおそらく誰も知らなかったに違いない。


時が流れ、結婚してからは、連れ合いの服を直したり、自分の服を作ったりしていたが、アルバイトで高級百貨店専属の超高級洋裁店に一時縫い子として雇われたこともあった。

そこのチーフは元大手洋裁学校の経営者兼校長を何年も務めた人で、採用のための面接に行った折、洋裁学校も出ておらず、自分で縫ったものも持参していなかった私に、「手を見せて」と言い、私の手を見ただけで即採用を決めてくれたのだった。
チーフ曰く、『洋裁学校を出たからといって、全ての卒業生が綺麗な仕事をするわけではないし、この布地だけで一着何万円もするオーダーメイド服の制作を任せられるわけではない。手を見れば、その人が器用かどうかわかるのよ。』と穏やかながらも凜とした、そして優しい笑顔で、私に話してくれたのは、とても印象的だった。
実を言うと、私は洋裁学校も出ていないし、自己流で縫い物をしてきただけなので、本当に私に務まるのだろうかと、かなり不安だったのだが、チーフはそんな私の背中を押し、「大丈夫、あなたならできる」と、まずは簡単な 8 枚はぎのスカートを縫うように言われた。
採寸、パターン起こし、仮縫いまで終わっていたそのスカートには、修正箇所が明記されており、その修正通りに裁断し直し縫えばいいだけだったが、縫い上がったものを確認してもらうと、綺麗に出来ていると褒められ、驚くほど多くの報酬をもらった記憶がある。

残念ながら、それから間も無くして妊娠直後に切迫流産と診断され、数ヶ月寝たきり状態... しかも妊娠後期には切迫早産となってしまい、洋裁店を辞めざるを得なくなってしまった。

その後は、専業主婦をしながら、子供たちが小さい頃は子供たちの服を作ったり、布おもちゃを作ったりし、またエプロンを作って売ったりもしていた。

自宅から車で 10分ほど離れた場所にあった、言わば ”隣町” にあった小さな布地屋に行くと、店主は私のことを噂で聞いたとかで知っていて、人と連まない私は、一体誰がどのように私のことを話していたのだろうと、「この界隈で最も器用な人だと言われている」と褒められながらも、複雑な気持ちになった。

本人が居ない所で話されることには、ほとんどの場合尾鰭が付き、正しく無い情報が混じっている場合の方が多いと思っている私には、噂話に上ることは決して嬉しいことではなく、「もっともっと器用な人は数え切れないほどいると思うよ。実際、私の姉は比較にならないほど器用だしね。」と、笑って済ませたことを覚えている。


... と、そんな私であるが、先日久しぶりに超簡単なブラウスを、テキトウと表現するのがピッタリな工程を経て作り、出来上がったものを着て鏡を見て驚いた。



全然似合わない...

同居人 T に「せっかく作ったのに、超似合わない」と笑って見せると、T は、「自分で作ったのに、似合わないものを作る人なんているか?」と大笑いしていた。

遥か昔に買った布は、昔は似合ったかもしれないが、グレイヘアにはまるで似合わない色となっていることに、着てみてようやく気付いたというわけだ。

まぁ、家着としてなら何でもいいいや...



ある有名家具職人のお母さんは洋裁の仕事をしていたと聞いたことがある。
私は洋裁、木工のどちらも嗜むが、洋裁で印付けをする際にチャコやら水で消えるマーカーを使っているところからして、『誤差』というものに対してさほど神経質になっているとは言えず、1mm、2mm の違いは許容範囲なのだとよくわかる。
方や、木工においては、0.5mm の誤差は非常に大きく、指の腹で触ってはっきりと確認できる違いなのである。しかし、どんなに正確に作ったつもりでも、木というのは気温やら湿度の変化によって伸び縮みするのを免れられなく、経年変化と言おうか、経年劣化と言おうか、作った時点の状態をほぼ維持できないときているのだ。

神経を擦り減らして作業をしても、自分が満足する状態をどう足掻こうが保てないというのは、私にはやはりストレスである。

そういう面では、着て ”動いていればわからない” 作りとなる洋裁は気が楽である。
まぁ、達成感は木工の比ではないが...





日本に荷物を送る準備

YouTube で犬のコートの製図を教えてくれているのを見つけ、早速製図し、まずは試作品を作り、その後超個性的な生地を使って本番に臨んだ。 製図はいたって簡単だったが、最初に使用した布は手持ちのやや厚手のフリースだったため(緑色の布は、以前作ったもののほとんど着用しなかった自分用...