29.5.15

A Family Sawmill - Road Trip



先日『虫食いの板』について書いたが、『店で売られている板には機械でカットした跡が付いている』ということがよく理解できるビデオを見つけたので、私のような木工初心者向けにビデオをシェアさせていただくことにした。

この巨大な木をスライスする機械及び他の重機類、また数多の周辺機器を開発してくれた人たち、更にはそれに携わる人々のおかげで、私達は労せず扱い易い板を入手できるようになっているのだ。
有り難いことだと、今更ながら思った。

荒削りな板をどのように美しく仕上げるかは、制作者の技量による。


4月22日に日本の某通販会社(アマゾンではない)に注文した『世界で一番くわしい 木材15』の本が、今日ようやく届いた。(あまりに遅いので、紛失したのかも知れないと思い始めていたところだった)

『世界で一番…』というタイトルの真偽のほどはわからないが(世界中のそのテの書籍全てを調べたとは想像し難いため)、木材のことについては何も知らないに等しい私には十分な量の情報が簡潔に書かれているように思え、本の冒頭で、… かくゆう私自身、木材に関しては往事より並々ならぬ関心をもち、自らの設計活動においてもその品質に十分な検証を繰り返してきましたが、あらためて「本当に木のことを知っているのか」と問われれば、若干の疑問を抱かずにはいられません。それほど木という素材は、奥深く、深遠なものです。… と少々不安を抱かせる著作に関わった方の "(好意的な見方をすれば)真摯な" 発言を踏まえた上で、非常に興味深く読み始めたところである。




28.5.15

far breton VS ヨーグルトポムポム


虫食いの板と一緒には投稿できなかった、ケーキの写真。

ファー ブルトンはあまりにも簡単にできるので、料理が特別好きではない私にはもってこいのお菓子だ。
2回に分けて食べられるように、大きめの耐熱皿で作り、最初は焼きたて熱々を、次には冷蔵庫で冷やしたものを食べた。


同じような見かけだが、我家ではヨーグルトを入れたアップルケーキ(ヨーグルトポムポム) ↓ の方が人気があり、そのおかげで、ファーブルトン ↑ の評価はイマイチ。

ヨーグルトポムポムの作り方は、こちらに載っていた。
なか見!検索で一番最初に出て来る『失敗しない楽々ケーキ』の章の最初の『ヨーグルトポムポム』という名前のケーキがそれだ。
ちなみに、我家ではレモン汁を多めに入れて、甘酸っぱくするのが好きになった。







27.5.15

虫食い


今日は父から譲り受けた鉋で、厚みを半分にした板の表面を削っていた。
この面には(英語では mill mark と呼ばれる)機械でカットした跡が残っている。店で売られている板にはこのような細かい跡(連続する細い線)が付いていることが多いが、このマークを取るのにサンドペーパーを使うのは、大抵の場合、電動工具類を使う人々で、ほとんどの場合、その人たちは電動のサンダーを使う。
私もかつてはサンドペーパーを使っていたが、鉋を使い始めてからは、サンドペーパーの出番は極端に減り、ツルツル、スベスベ、且つツヤツヤな表面を作ることができるようになった。
写真を撮った後、この面(外側)を削り終え、内側の面を削っていた時、上の写真のこげ茶色の部分の内側がボソボソで質感が全く違うため、木のことについていまだに全く詳しくない私は、「ここは枝が出ていた部分かしら?」と、そんなことを考えていたのだが、そこはなんと虫の住処だった。
幸いにも生きた虫は出て来なかったが、やはり気持ちのいいものではない。(はっきり言って、気持ち悪い

外側は色が変わってはいるものの、穴は開いておらず、虫がいつそんな所に入り込んだのかわかる由もないが、長い間真っ暗な木の中で暮らし息絶えた虫が潜んでいた板が、もし私が板厚を半分にしないで、そのままテーブルとかを作るのに使用されていたとしたら…と考えたら、背筋がゾクッとした。

これからは、異様に色が濃い部分を見つけたら、虫食いの可能性を疑ってみるべきだと肝に銘じた一日だった。



あ〜、今日は他にも写真を用意したんだけどなぁ…
この写真と一緒に投稿したら、その写真まで気持ち悪く見えてしまうよなぁ…

う〜ん、やはりもう一枚の写真は次の投稿にしよう。



23.5.15

成るようになる

いや、『成るようにしかならない』と言った方がいいかも知れない。

私の周りに起こることは、時として、非常に意味のあるように思える現象とともに現れる。
その最たるものは、以前書いていたブログに書いたもので、まるで誰かに仕組まれたかのように、見事に何かが一致する時がある。


昨年後半からずっと心に引っかかっている事柄についても、それが『成るようになっていること』だとしたら、おそらくそれは、いつか何らかの形で成就するだろうし、成るようになっていなかったことだとしたら、きっとそのまま消滅することになるのだろう。
あれやこれや考えを巡らして神経をすり減らしても、結局は運命には逆らえない。

聖書に、「地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではありません。(エレミヤ10:23)」とある。
全ては成るようになっていて、自分の意志通りに都合よく物事を動かすことなど誰にもできないのだ。また、どんなに足掻こうとも、阻止できない/免れることのできない事柄があることをも、私達は痛いほどよく知っている。


また一つ歳を重ねた日は、NZにしては珍しく一日中雨が降り続く、大荒れの一日だった。




22.5.15

stereotype (固定観念)

ふと思い出した。

少し前、同居人と歩いてショッピングに出掛けた際、『ARTIST』というナンバープレートを付けた高級そうな車を見かけた。

「それに乗ってる人、絶対に本物のアーティストじゃないよね」
「本物のアーティストって、高級車に乗ってるイメージがないと思わない?」
「その車って、値段は高いかも知れないけど、全然スタイリッシュじゃないし」
「本物のアーティストってさ、こ綺麗に自分自身を着飾って、チャラチャラ派手に見せようなんて思わないでしょ」
「そんなことに気を取られない、浮世離れした人がアーティストって感じだよね」
「その車に乗ってる人、もしかしたら、アートを扱う単なるビジネスマンとかじゃない?」

想像する"真のアーティスト"についての、実にステレオタイプな会話で盛り上がった。

そして、終いには、
「『職人』っていう響きはこざっぱりした仕事場を連想させるけど、アーティストってさ、小汚いアトリエで仕事してるイメージがあるよね。」という話になり、二人で私のアトリエの状態を思い出し、

「お〜、アーティストだ」

と、笑いながら歩いていた。

21.5.15

カペラは風


ステンドグラスのパネルを入れる予定を変更して、36年前に撮った写真を、作ったフレームに入れることにした。

これは私の生涯で最も好きだった車。

古いのに、買いたいと思ってもおそろしく高くて手が出せない。

壁掛けにするつもりでいるが、卓上に置く時の為にフリーハンドで製図した台も作っておいた。
台は、スクロールソーでマツ材をカットした後、アジアン ブラウン カラーでステイン、その後アンバー シェラックを重ね塗りして、スチールウールで磨き、ビーズワックスで仕上げをした。


車の写真をアトリエに飾る女… 

20.5.15

NZ Rimu の額縁


NZ Rimu は高価なので、端切れを捨てるなんてことはできず、使える部分だけ寄せ集めた為、継ぎ目で木目を合わせることは到底できず、まぁ、よほど木工に携わった人でなければ気にしないだろうが、父親に注意を受けた私としては、やはりこの満足度は 60/100 程度、或はそれ以下かなと思った。

ステンドグラス用の額縁は、サイズにも依るが、できるだけシンプルなものを選んだ方がいいと私は思っている。額縁の存在感が全く無いというのも、それはそれで変だが、額縁の存在感が強過ぎて中身の存在を打ち消してしまっては元も子もない。

以前作ったRose De Sahara と名付けた大きなステンドグラスのパネルの額縁は、専門店に行って自分で選んだものだが、これ以上しっくりくるものは無いというほど雰囲気に適合していて、非常に気に入ったものだった。
この額縁は個性的ではあるが、色と形状が主張し過ぎておらず、作品を引き立てる役目を見事に果たしている。

このザックリした質感は、自分ではまだ作れそうもない。

ちなみに、この作品はエキシビション用に製作したもので、普段は滅多に入れないサインが入っている。このサインはガラスにサンドブラストして彫り込んだものだが、質感のあるガラスのため、サインはしっかり見ないとわからない。




19.5.15

朝食のようなランチ


朝食は同居人と一緒にしっかり食べるのだが、お昼ご飯は一人なので、わざわざ作る気が起きず、シリアルで済ませることが多くなった。時々カップラーメンを食べたくなるが、一般のスーパーマーケットには日本のように美味しいものは無く、また、日本食材店で目が飛び出るほどの金額の(たかが)カップラーメンを買う気にもなれず、今年始め、病院で父の付き添いをしていた時に、夜中お腹が空いて、姪と二人でナースステーションの前のロビーで食べた『麺づくり』を懐かしく思い浮かべ、ため息を付いている次第である。



父から譲り受けた鑿やら錐やらをまとめて入れておく箱が2つ出来上がった。
長い方は手元にあったマツ材の板の厚みを半分にして作ったので、手前のNZ Rimu の箱と比べると華奢な作りに見えるが、これもdovetail joint でしっかり組まれているため、かなり丈夫にできている。
頻繁に使うものなので、あえて蓋は付けなかった。蓋があっても、作業中は開け放しておくに違いないし、蓋が開いているとスペースを取って邪魔になるのである。
底板を大きめにしてあるので、二つを重ねて収納できる。

また、今日は小さなステンド グラス パネル用のフレーム(フォト フレーム)をNZ Rimu で作ったのだが、父の形見の鉋の中に、刃が片方の縁に寄せて付けられているものがあったので、試しにそれを使って、ガラスをはめ込むための溝を削ってみた。
削る部分の厚みを揃えるのと同時に、鉋の水平を保つよう、不要なMDFボードの端切れを両面テープで平らな板に張り付け、それに沿って鉋がけをしたので、いとも簡単に正確な溝が出来上がり、作業がとても楽しかった。
ちなみに、この鉋の刃は父が研いだ時のままで、引き継いでから研ぎ直してはいない。いまだシャープな刃先を維持しているというのは、すごいことだなと改めて思った。





16.5.15

パートナー


一昨日の早朝、キッチンの窓から見えたのは、番(つがい)の鳩だった。

もうどれくらい経つだろうか、毎朝、朝食の準備をする時間になると、決まってキッチンの窓の外に一羽の鳩がやって来ていて、それを見る度に、以前コリアンの友達が「鳥は通常つがいで行動するんですよ」と言っていたのを思い出し、「お前さんもパートナーを亡くしたの?」と、心の中でつぶやいていた。

何ヶ月も何ヶ月も、そうやって一羽の鳩に向って心の中で話し掛けていたので、2羽とまっているのを目にしたとき、「お〜、今日は友達を連れてきたのか」と咄嗟に思ってしまったが、おそらく『つがい』であろう。

おかしな話だと思うだろうが、私はあの毎朝来ていた鳩が、その時とても遠い存在になってしまったかのように感じてしまったのだ。

私、どうかしている。



marking gauge stand


アトリエには、以前イスラエル人の友達からもらった頑丈なカウンターがあり、その上に収納棚を置いてハンド ツール、ペイント類、接着剤、計測器などを並べているのだが、このマーキング ゲージはどうにも片付かず、落ち着かないので、余っていた合板で収納スタンドを作ってみた。

後になって小物入れを兼ねた底板が有ってもいいなと思い立ち、取り外し可能なものをはめ込んだのだが、合板が若干反っていたのを削り直さずに使ったので、本体を支えるための下のバーから少し浮いている部分がある。
まぁ、売り物ではないからこんなのはどうでもいいやと思うことにした。その内に気にもならなくなるだろう。(まだ少し気にしている)

dovetail joint はもうコツをつかんだので、要らない板で練習をしなくてもよくなった。

ひどくガサガサな合板(さして安くないのに超低品質)だったため、サンディングした後シェラックを重ね塗りし、更にサンディング。触った感じはツルツルだが、やはり見た目が安っぽいのはどうしようもない。

写真(中二つ)のマーキング ゲージは国内のインターネット オークションで同時に購入したもの。黒っぽいものは黒檀でできていて、新品はおそらく高かっただろうと思われる。古い物で、デザイン的には手の混んだ作りになっているものの、ストッパーを締めたり緩めたりするのにはドライバーを使わなくてはならず、多分その為に締め過ぎていたのだろう、真鍮の板が救いようの無いほど凹んでしまっている部分があり、その凹みのせいで、ストッパーがしっかり止まらないため、このままの状態では使い物にならない。オークションの説明では、どちらも使用可能な状態だと書いてあったので、「使えない」と言って返すこともできただろうが、あまりに安かったので、まぁ一つだけでも使えるのだから良しとするか…と、クレームしなかった。
真鍮の板を取り替えるか、その板の下に極々薄い板を挟んで真鍮の板を平らに削り直して付け直すか、ストッパーをもう少し長いものでドライバーを使わずに締められるものに取り替えるかすれば使えるようになるだろうが、NZでそれらの部品を手に入れるのはおそらく簡単ではないので、今のところただの飾りとなっているだけだ。

黒檀の隣りのマーキング ゲージにはピンではなく小さな刃が付いている。ピンは、言うならば引っ搔き傷を付けて行くので、時々木のgrainに引っかかって厄介だなと思い購入したが、思ったほど使い勝手は良くなかった。(使い慣れていないせいかも知れない)

板のカーブしている部分と、ゲージを差し込む部分、それに底板に作った低い壁を差し込む為の細長い穴はスクロールソーでカットした。この壁は下まで突き抜けていて、下枠にピッタリはめ込む形になっているので、接着していなくても滑り落ちないようになっている。スクロールソーは購入前に予想していた以上によく働いてくれている。


それにしても、やはり合板で作ったものは安っぽいよなと、父の鑿を入れた箱(NZ Rimu製)を見てつくづく思った。




10.5.15

腕がダルい


今日は底板の鉋がけ。
まず最初に鉋の刃を研ぎ直し、腕がダルくなるほど頑張ったのに、まだdead-flatになっていない。作業は明日に持ち越し。
私にとっては、これが一番骨の折れる作業かも知れない。

明日は日本の鉋を使おうかな…


鑿入れ作り


Dovetail joint で父の鑿を入れておく箱を作り出した。
クランプでとめているのは底板になるもの。

Dovetail がお師匠さんのように寸分の狂いも無く仕上がらないのはどうしてなんだろうと考えながら、何をどうしたらいいのか試行錯誤しながらの作業だったが、昨日ようやくその答えがわかった。おそらく、これからはどのジョイントを使っても、大きな狂い無く仕上げられるようになるだろう。

作業をしながら、『自分の頭を使って覚える』ことの重要性を再認識した。
私が小学校 5年生の時、2歳上の姉に教わり洋裁を始めたのだが、姉は同じことを二度は教えてくれなかった。教わったら忘れないように書き留めておくこと。書き留めておかずに忘れてしまったら、頭を使って考えろというのを、私は親からでも学校の先生からでもなく、姉から教わった。
そんな姉は、誰かに教わること無く、ただ洋裁の本を見て、製図の仕方から縫い方まで技術を習得したのだ。私には明らかに、姉に教わればいいという甘えがあったのだと、大人になってから気がついた。


ほんのわずかなことでも、目からウロコが落ちたように、ある日ハッと何かを悟ることがある。作業をしていて最も嬉しいのは、完成品を見た時ではなく、もしかしたら、そのような時かも知れない。

8ヶ月前、雲の上のお師匠さんは、生活がどんどん苦しくなって行く私に、彼の有料のオンライン講座を無料で視聴できるようにしてくれるとオファーしてくれた。
私は彼の親切にお礼を述べたが、オファーを受けることはしなかった。必要無いと思ったわけではなく、アンフェアだと思ったからだ。
彼のフォロワーの中には、私よりもずっと困難な生活を送っている人も相当数居るに違いない。そのような人たちがこの恩恵に与れないで、私がたまたま彼の目にとまったという理由だけで特別扱いしてもらうわけにはいかない。私は『特別扱い』するのも、されるのも好きではないのだ。

ある時、友達が私のスタジオにやって来て、「毎日目が回るほど忙しくて、なかなか会いに来る暇がない」と言うので、そんな時に会いに来る必要は無い。暇を持て余している時に来たらどうだと提案してあげたことがある。
自分に対して無理をして何かをしてもらうのが嫌なのだ。

要するに、恩に着せられるのが嫌い&借りを作るのが嫌いということだ。



8.5.15

アトリエの模様替え

これまでは、木工と言ってもスクロール ソーでの透かし彫りがメインであったため、一つの作業台にスクロール ソー、ドリル プレスが乗っていて、その脇にベンチ ヴァイスが備え付けてあるという、何とも手狭な環境だった。
これでは少し大きめの棚などを作るのには勝手が悪いと、昨日一日掛けて機械類を別の作業台に移したり、周辺を片付けたりしていた。

作業台は8年ほど前に同居人と作ったもので、その当時はステンドグラス用のものしか必要でなかったため、木工をするのには少々使い勝手が悪いのだが、今更また作り直すのも面倒で、今あるものを自分なりに使い易くするのにはどうしたらいいものやらと、ずっと考え続けている。

これまで使っていた西洋鉋に加え、日本の鉋を使うようになったことから、治具を新しく日本仕様に作らないとならなくなった。面倒ではないのだが、治具の数が倍になってしまうので置き場所に困る。

長いクランプも6本増え、クランプ置き場を作らないとならない。

長年のステンドグラス製作で、買い置きしてあるガラスの数もけっこうあり、ステンドグラス用の工具類/備品/手元に置いてある作品もまた多い。
何とか作業し易いように片付けなくては…


先日アルミニウム クランプを売ってくれた人と、どういうわけだかいまだに emailのやり取りが続いている。
私の住んでいる場所からは342kmほど離れた場所(車で4時間半ほど)に住むその人は、丁寧に長い文章を書いて送ってくれるが、かつてものすごく長い文章を書いて送ってくれたマドリード在住のスペイン人の友達よりは遥かに短く、またメッセージのやり取りをしていたイギリス人の家具職人のブログと比べれば五分の一以下に納まっているため、さして苦痛にはなっていない。

今度こちらに何かの用事で来た時には会おうよと書いてあったので、その時には知らせてと送っておいた。

インターネット オークションで見ず知らずの人とemailのやり取りが続くのは、今回に限ったことではないが、今回のやり取りは、お互いの心の痛手を少しでも和らげてあげられるかも知れないと、相手よりも更に悲惨な自分の状況を書いて送りあっているような感じで、『不幸の競い合い』化しているように思えるのが何だか笑える。
今のところ両者引き分けという感じだろうか…

相手も社交的とは言い難い性格だと言っていたので、実際に会って話をする機会が訪れるのか定かではないが、おそらく風光明媚な場所に住むその人が、滅多に無いと言っていたこちらに来る折りに私の存在を覚えていたら、もしかしたら会ってお茶でも飲みながら、今度はポジティブな話をしているかも知れない。





6.5.15

足りないものが多過ぎるという現実

最近結婚指輪を外した人の写真を見ながら、私のように結婚指輪を紛失する人はそうは居ないだろうな… などと考えていた。私は姉の結婚式に行き、控え室で「金の結婚指輪とパールの指輪はどう考えても似合わないよな…」としばし考え、パールのネックレスに合わせてパールの指輪を着けることにし、結婚指輪をバッグにしまい、控え室に置いておいたら盗まれてしまったという経験を持つ、大マヌケ者だ。
まぁ、指輪にはさして興味もなかった上に、炊事やら育児には邪魔になることはあっても利益になることなど一つもなかったし、わざわざ周囲に『わたくし結婚してますの』と暗に知らせて回る必要も無かったので、結婚指輪の無いままウン十年を過ごし、そのまま未亡人のような立場に突入してしまった。
今でも指輪を買うことは無いし、身に着けることもない。私の中では不必要な物の筆頭に位置するものに変わりはない。が、もし盗んだ人がこれを読んでくれていたら、お願いだから返して欲しいと切に訴えたい。盗んだ人には何の記念にもならない刻み込まれたイニシャルが、私にとってはとても大切な想い出なのだから。

さ〜て、指輪はさて置き、最近落ち込みがちな気分を払拭するために、インターネットで買い物をしていたのだが、この変わり者だと言われる私でも、やはり荷物が届くと一時はワクワクしたりするものだ。

私の買った物… ほぼ木工用。

チーズ クロス ・・・自宅でチーズは作らない。もちろん濾し布として料理にも使えるが、これは主に木工用で、シェラックを塗ったりビーズワックスを塗ったりするのに使う目的で購入。これは prewashed(あらかじめ洗ってあるもの)。



Toggle Clamp ・・・100kgまでホールドできると書いてあったが、驚くほど小さい上に安いので真偽のほどはわからない。油とか汚れがつきにくいらしい赤いビニールのハンドルグリップが、いつまで保つのかもわからない。押さえのゴムの品質はだいじょうぶだろうか?




Mini Bevel・・・購入したのは国内のインターネット オークションでだったが、出品者はイギリス在住で、イギリスから送られてきた。

購入する前にAmazonでフィードバックを読んだが、笑っちゃうほど小さいと書いてあったのを見て笑えた。使用目的(dovetail joint)には最適な大きさだが、そんなものに使うことを想定しない人にはオモチャにしか見えない大きさ。オモチャみたいだが、作りはしっかりしている気がする。



Jewellers Saw・・・アクセサリー作りには今のところ興味が無く、これも主にdovetail joint に使う。さすがに使い捨てブレイドは使い始めはすこぶる切れ味が良く、スイスイ切れるが、切れ味が落ちたらブレイドを取り替えなければならない。買い続けなければならない部品があるというのはどうしようもなく不経済である。これはスクロールソーも同じ。付属のブレイドはいとも簡単に切れてしまうので、ブレイドの品質はおそらく良くないと思える。



余談だが、最近の日本の鋸も交換式(=使い捨て)のブレイドで、切れ味が落ちたらポイッと捨ててしまうものばかりになってきたのには、やはり違和感を隠せない。鋸の歯くらいは研げる物を作ろうよと思ってしまう。まぁ、鋸製造販売業者が生き残る為には"使い捨て"の方がもちろん良いわけで、現在鋸の需要がどれだけあるかわからないが、1本鋸を売れば、次からは使い捨ての替刃で収入を見込めるというのは、ビジネス的にはまぁ成功したと言えるのだろうが、何でもお金を出せば手に入るという考え方は、物を粗末にするという弊害を連れて来るだけではなく、明らかに品質低下に加速度がつき、更には個人レベルの技能の衰退をも招くということを忘れてはならない。
父の時代は鋸は研いで使い続けるものだったし、それで見事なまでにシャープで、美しい家具を作るのに何の不足もなかったのだ。
言い換えれば、工具を研ぎ直して使えるような技術がなければ、見事な仕事は到底できないということである。これは断言できる。


今どき手動の鉛筆削り・・・雲の上のお師匠さんの推奨品。材質は非常に安っぽいのだが、切れ味は外見からは想像できないほど良く、削った鉛筆の芯の尖り具合が最高によろしい。細かい仕事をするのにはもってこいの細さに削り上がる。
ただし、筆圧をコントロールできない小さい子供が字や絵を描くのには、尖り過ぎていて(おそらく一瞬のうちに芯を折ってしまい)不向きだろう。



シャープニング ストーン セット(砥石)・・・#180と#240しかないのが返す返すも残念だ。これでカーブしたノミの内側を簡単に研げるようになったが、この後、丸棒に目の細かいサンドペーパーを巻き付けて研ぎ、その後研磨剤を塗布した皮で磨かないと、やはり切れ味は満足できなかった。




パネル ビーティング ハンマー・・・主に工具の手入(歪み修正など)に使う予定で購入。




アルミニウム バー クランプ・・・欲しかった物の筆頭。国内、国外問わず探し続けて数ヶ月… この"超物不足"のNZで手に入るとは思っていなかったシロモノであるが、国内のインターネット オークションで他と比べてまぁまぁ妥当な値段で出品されていたので、少々心配しつつ購入。バー部分のアルミは薄く尚かつ空洞で、さすがに安っぽい感は拭えない。それでも板を挟んで留めたところ、他の部分に問題は無さそうなので、自分で手を加え、丈夫且つ機能を向上させてから使うことにした。




アルミニウム バーの空洞部分には、ピッタリなサイズに切ったMDFを差し込み(上矢印)、バーが凹まないよう補強し、挟む部分(下矢印)にはその大きさに切った薄めの合板を強力な両面接着テープで貼付けた。挟む部分が金属のままだと、プレッシャーを加えた際に作品に凹み傷がついてしまい、悲惨な結果になるためだ。

バーに差し込む補強板は四角く切っただけでは入らない。アルミニウム バーにはストッパーの役割の凹みがあり、その部分が裏にボコボコと出っ張っていて閊えてしまう。そこで、差し込むMDFの補強バーにも凹みを付ける必要がある。


私は、差し込む板のサイズ及び凹みの深さや幅を確かめる為に、合板の切れ端を空洞の寸法通りに切り、電動ルーターを使って溝を掘って確認した。
こういった精密さを要さないものについては、私は電動工具も使い、簡単に済ませる方法を何のためらいも無く選ぶ。が… 、この合板の厚みは空洞部分の厚みにピッタリだったのに、悲しいかな私の購入してきた(合板よりも安かった)MDFは若干厚かったため、鉋で一本一本厚みを削り落として調節する必要があった。

購入した6本全てに補強を施し、ようやく普通にクランプとして使えるようになった。

始めから立派な作りのクランプ(金額は有に倍以上)を買っていれば、このような工作をしないですむのだが、このように、わずかな金額と一手間掛ければ、安いものでも充分使用に耐えるものを用意することができるということを、私の雲の上のお師匠さんは教えてくれている。


The Weekend Carpenter・・・その名の通り、本格的な家具作りの本ではなく、日曜大工程度の簡単な大工仕事の本… と想像していたのだが、想像していたよりもきちんとした本で少々驚いた。全ページフルカラーで上質紙。まぁ、掲載されているもののほとんどが、私のお師匠さんクラスが作る超高級家具のような作りではなく、"安っぽい簡単な作り"なのだが、本格的なジョイントの仕方に変更し、MDFだのを使わずに無垢の木材で作れば、立派な家具になるわけで、本の価格が NZ$7ならば申し分の無い買い物ではなかろうかと思った。


美しい家具に見えるか見えないかは、手仕事の正確さに尽きる。残念ながら、この本に掲載されている家具で美しいと思えるものは一つも無かった。


Birds Of New Zealand・・・ウィークエンド カーペンターの本と一緒の出品者から、安かったという理由だけで購入。古本だが、鳥は写真ではなく全てフルカラーで描かれたもので、写真よりもはるかに趣がある。


最近、スタジオのすぐ横にある大きな木にTui(ツイ)という喉に白いボンボンを着けた美しい鳥がやって来て、色々な声を出して鳴いているので、仕事の手を休めて外に出て眺めていることが多くなった。滅多に外に出ない私は、野鳥好き。

↓ これがツイ。

↓ このカラフルな鳥もここでよく見られる野鳥である。



Shinwa Protractor (分度器)・・・ずっと欲しかった物だが、小売店に行っても見つからず、日本製のものをUSのアマゾンから購入… と思っていたら、開けてビックリ、表示は"Shinwa Japanese Protractor"、でも、メイド イン チャイナ。少々騙された感を否めない。
まぁまぁ許せる値段で、尚かつ評価が良かったので良しとするしかない。
計測機器は正確でなければお話にならないというのは、不正確な計測用ツールを買ってしまって痛いほど身に沁みているため、荷物が届いて速攻で、かつて彼の人が使っていた精密設計用の分度器で精度を調べてみたところ、狂い無しでホッとした。




キャビネット スクレイパー & バーニッシャー ・・・このスクレイパーはUKのアマゾンの方が若干安かったが、バーニッシャーはどうしてこんなにも値段が違うの?というほど恐ろしく価格差があったため、まとめてUSのアマゾンから購入。(製造元はEnglandなんだけれども…)




ジョイント ブック・・・特に探していたものではなかったけれども、安かったので一緒にアマゾンから購入してみた。これは大当たりだった。おそらく私のような木工初心者向けの本のように思うが、US$9.88(日本円にして¥1,200ほど)でこれだけの情報が得られるのは嬉しい限り。



今どきこんな綴じ方の本があるのが驚きだったが、ページをめくった時に引っかかって開けにくいので、普通の綴じ方だったら☆5つだったなと思った。




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木工に関しては、日本で(日本語で)勉強したことが無かったため、日本の呼び名でわかるのは鑿、鉋、ノコギリくらいなもので、ジョイント(継手)の各名称に至っては日本の呼び名はさっぱりわからず、インターネットで色々と探しているものの、なかなか思うように情報が見つけられないでいる。日本の繊細な技術を習得したいと強く願っているのに、どれが相応しい本かわからない。しかも、日本のアマゾンは定価販売?と思えるほど、他の通販会社と同じ価格でガッカリである。

木の種類やら、それぞれの木の性質などに関しては全く知識がないため、それらを勉強する本が必要だ。

満足できる仕事をする為には、まだまだ必要な物が出て来るに違いない。



3.5.15

FAME is everything in "show" business.

この世で何かを成し遂げたいとの野心を抱いている人は、何らかの手段を使って自分を世間に売り込まないとならない。

しかし、名前を売り込むことに執着している内に、(和製英語ではネーム バリューと言われているが)value of a name すなわち名前の価値、fame (名声、有名なこと、高名)をこの世で確立させ、揺るぎないものにすることが一番の目的になってしまい、次第に中身の無い活動へと質が低下していくのを免れなくなってゆく。或は、名声を維持する為に最も大切にしなければならないものを犠牲にせざるを得なくなってゆく。
一番の目的… 個人名、或はブランド名が有名になること自体が本来の目的ではなかったはずの人まで、それが一番の目的になってしまっているかのようなケースを見ると、価値のあるものまで無価値なものに見えてしまうようになる。そう感じてしまうのは私だけなのだろうか。

私のようにしがないクラフターでも、やれ「有名なアートギルドの会員です」とか、「高名な家具職人のお墨付きです」とか、何らかの付加価値をつければどんなにつまらないものでも高価な値段を付けられるようになるのかも知れないし、「品物の価値などよくわからないけれども、有名な人、或は有名人がその技術を認めた人が作ったものだから…」と群がって来る輩も多いだろうと想像に難くないが、私はそういう滑稽なほど軽い認識の下になされることには何ら興味も無く、ただただ、私の作った実物を見て、納得して購入してくれることだけを希望している。

有名になる必要など無い。ただ作り手、買い手の双方が妥当な値段だと思える価格で売れたら、それだけでいい。


父は名前をひけらかすこと無くこの世を去って行った。

父の手先の器用さは類い稀だと、地元で(その当時を生きた世代で)知らない人は居ないほど優れた才能を持ちながら、生涯を家族を養うのに充分な蓄えを稼ぐ為に捧げたのだ。単なる一会社員として。

私は父をすこぶるかっこいいと思った。
そして、私もそうなりたいと、心の底から思った。
そしてまた、崇高な志を持ちながら、必要以上に世間に自分の存在をアピールし、己の偉業を告げ知らせるようになって行く人を見て、心底深い悲しみを覚えた。



1.5.15

スーパーマーケット嫌い

昨日は、先頃日本に一時帰国する前に作っていた写真立て(商品として作っているもの)の続きの作業をしていた。

スクロール ソーでカットしただけの状態のまま放置すること3ヶ月… 続きの作業は鑿とハンド ルーターで写真をはめ込む溝をカットし、その後サンディング、そして下塗りペイントまで終えたところで終了。

これまで、作業中はいつもラジオのトーク番組を聴いていたのだが、最近は何故か聴く気にならず、自分のiPhone に入っている曲を流しっ放しにしていることが多くなった。
(ラジオを聴かなくなったのは、この世で起こっている事柄に何の関心も無くなったからかも知れない。)

今週は月曜がAnzac Monday で、同居人たちの仕事が休みだったためか、一週間があっという間に過ぎていった感じがする。


全く関係ない話だが…

私はスーパーマーケットに買い物に行くのが全くもって好きではない。
今週は食料品のストックが底をついたので、買い物に行かざるを得なかったのだが、行った先で「あぁ、面倒だ… 面倒だからしばらく買いに来なくていいように、沢山まとめ買いしていかなくちゃ…」と、カートに盛り沢山の肉やら野菜やら、お菓子やら冷凍食品やら缶詰やらを放り込んでいったのだが、いつものことながら、店の最後の陳列棚に差し掛かる前にもう品物を見る気も失せ、「あぁ もう帰りたい」と、頭の中はそんな思いでいっぱいになっていた。

レジのアイランダーの青年は非常に愛想がよく、買った肉類の多さに驚き、「すごい肉の量だね!!」から始まり、「パーティーでもするの?」だの何だの、ずっと話し掛けてくるので、受け答えをしている内に、いつの間にか釣りの話にまで発展してしまっていた。とにかく一刻も早く家に帰りたくて仕方がなかったのに、話を途中で遮ることができない性分… 困ったものだ。

家に帰ってから買った物を仕分けるのも、これまた時間がかかり、面倒極まりなく、途中でイライラし出し、「もういいにして…」とつぶやきながらやっていた。

実家に帰っていた時は、姉が仕事帰りに、ほぼ毎日のようにスーパーマーケットに寄って買い物をしてきてくれていた。
仕事で疲れているだろうに、よくだよな… と感心してしまったものだ。

また、父が生きていた時には、母が毎日、何処のスーパーで何を安く売っているかを新聞の折り込みで調べ、ご丁寧にスーパーのハシゴをしてまで売り出し品を買い求めて出掛けていたというので、これまたすごい情熱だなと感心してしまった。

私はチラシで売り出し品を調べてから買い物に出ることはまず無い。値段もほとんど見ていないので、何がいくらだったのかまるで知らない。今に始まったことではなく、昔からそうだった。
面倒なので、スーパーマーケットのハシゴなどもちろんせず、同居人が好きそうなお菓子を調達するのにしばし棚の前で立ち止まり、「はぁ…」と溜息を漏らす。何を買ったらいいものやら、さっぱりわからない。仕方なしに、テキトウに見繕って買って来るのだが、買った物は同居人が自分では選びそうも無いようなものが多いらしく、同居人は仕事から帰ると興味津々で買った物をチェックするのだ。

DIY ショップに行くのはいつでも楽しいのに、食料品の買い出しは今回も全然楽しくなかった。


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...