31.3.16

魚の パターン作り




ここNZでは魚釣りは人気のスポーツだ。
そのためか、スクロールソーで作る魚の飾り物はけっこう人気があって、作って売れ残るということはまずない。

スクロールソーで作る魚のフリーパターンは沢山出ているが、NZで捕れる魚のパターンは少ないため、インターネットで適当な写真を探し、それを使って自分でパターンを作ることになる。

今日は半日フォトショップで(しかも作業し辛いトラックパッドで)細かい作業をし続けていたので、すっかりドライアイになってしまった。

取りあえず仕上がったものの、まだスクロールソーで切り辛い箇所がないか細かくチェックしていないので、一旦印刷して確かめる作業をこれからすることになる。

これは Tarakihi (タラキヒ)という白身の魚。
日本にも輸出されているらしく、名前はフエダイとかシマクロダイとか呼ばれているそうだ。


30.3.16

Lovely Car & Car Enthusiast

夕食を食べ終わり、同居人たちも私も各自部屋でくつろいでいた時、玄関のベルが鳴った。

いつものことながら、裏に住む大家さんの息子が、来客が多いのでウチの駐車場に車を停めていい?と言いに来たのだろうと、我家の誰もが思っていたのだが、ドアを開けると知らない中年の男性がにこやかな表情で立っていた。

とても上品そうなその人は、穏やかな口調ながら、自分は Car Enthusiast で、外に停めてあるとてもラブリーなフォード エスコートの持ち主にぜひ会ってみたくて来たんだと熱心に話し始めた。

私の車ではないというと、持ち主は今居るかと聞くので、同居人Hを呼び、私は奥に下がったが、話し声が聞こえるので、私と同居人Tは笑いをこらえながらHの受け答えを聞いて楽しんでいた。

その人の家はここから2, 3分の所にあるようで、これまでに何度かこの車を見ていて、自分が若い頃走っていた車を今でも綺麗にして乗っている人に是非会って話をしてみたいと思っていたんだと言い、何処で見つけたの?とか、何故この車を買おうと思ったの?とかから始まり、錆はかなりあったのかとか、修理が大変だったろうとか、けっこう色々な質問をし、もし手放す時が来たら、ぜひ僕を思い出して連絡をして欲しいと、名刺を手渡してくれたと言うので、私達はその人が帰った後、「相当この車が欲しいんだろうね」と、"Car Enthusiast" の話で盛り上がってしまった。

エスコートは本当に人気がある。
特に50代から上の世代は、郷愁も相まって、'Lovely Car' と愛着を込めて呼ぶのだ。



ガソリンスタンドでも白人の中年男性に「いい車だね!」と声を掛けられ、家に居ても見ず知らずの中年男性(やはり白人)が持ち主に会いたいとやって来る…

同居人Hは会社でも中年男性ばかりが近寄って来るようで、オヤジキラーと皆にからかわれてかなりガックリきていたが、全く予期せぬ今夜の来客の話は、きっと明日、会社で笑い話となっているに違いない。


「変な経験だった〜」とHは言い、「ユニ(大学)に通ってるの?って聞かれてたから、実際よりも若く見えたんだね」と、Tが冷やかして笑っていた。

変だけど、何だか微笑ましく感じてしまったこの珍しい来客によって、荒んで来ていた心が少し和んだように思えた。


日本では、「あなたの車良い車だね」と言いに、見ず知らずの人の家を尋ねてなど行かないだろうし、「手放したくなったら連絡して」と、他人の愛車に購入希望者として名乗りを上げにも行かないだろう。

この国、オープンな(アッケラカンとした?)お国柄だよねと、同居人達とひとしきり笑った晩だった。



人間はどこまでガメツく、狡く、無責任になれるのか

インターネット オークションに出品している人の中には、"No Buy Now"と但し書きをしている人が結構居る。

自分が設定するBuy Now 価格よりも高くなる可能性があると見積もってそうしている人も中には居るだろうが、私のように、Buy Now で落札してもらうと、(近くにあったポストボックスが姿を消してしまったため)一つ落札される度に、その都度遠くまで運転して郵便物を出しに行かなければならなくなり、ややもするとガソリン代の方が高くなってしまうので、オークション終了時間をできる限りコントロールするために、Buy Now 価格を設定しないでいるという人もおそらく居るに違いない。(私はNo Buy Nowとは但し書きしていないが)
また、これからここに書き連ねるようなトレーダーがあまりにも多く、一々良心的に対応するのは馬鹿らしいと感じている出品者が多いのかも知れない。


「私達は今週末に海外に旅行に出かけてしまって、オークションが終了する日曜日にはこちらに居ないから、リザーブ価格をBuy Now 価格に設定してくれると嬉しい。その美しいペンダントを友達へのプレゼントにしたいと思っているの」と、やけに細かく事情を書いて来た人がいたので、旅行に出掛ける前日までに確実に届かないと困るだろうと、すぐにBuy Now 価格を付けたことを知らせたことがあったが、舌の根も乾かぬうちに心変わりしたようで、watch list からも削除し、なしのつぶて…
そのような人に遭遇するのは初めてだったので、「あぁ、世の中にはそういう人も居るんだ…」と、空虚な気持ちになった。売れなかったことにではなく、『口から出任せ』で、自分の発した言葉に責任を持てない、或は相手の気持ちをこれっぽっちも考えていない人を見たような気がして、空しい気持ちになったのだ。

またその前の週には、出品しているLucet に、「ハンドル付きの物を作れるかしら?」という質問が来て、「あなたのために喜んで作りますよ」と返事をし、丁寧に作ってリストし、その旨を質問者に知らせておいたが、その人は買わなかった。一体、何の目的で質問をして来たんだろうか?

一方、落札してくれたのは嬉しいのだが、NZ国外に住んでいるのにも関わらず、NZ国内の郵便料金を払い、もし追加料金がかかるようだったら支払わなくちゃねと、クレジットカード決済をした際にメッセージを添付してよこしたまではよかったのだが、その後、全く連絡が取れなくなった人も居た。
こちらは早々に、国外への送料と届くまでの日数(普通郵便だったら幾ら、追跡サービス付きの送料は幾ら、エクスプレス便だと幾ら、等々)を調べ、相手に3度 emailを送るもなしのつぶてで、そのまま返事を待ち続けても無駄だと思い、仕方なく送料がオーバーした分は私の収益から減らし送ったものの、着いたかどうかわからず…
とうに届いていていいはずだし、届かないというクレームも無いので、おそらく受け取ってくれているのだろうとは思うが、フィードバックも無く、何も言って来ない。
海外に送るのに、国内の送料で足りるとは普通思わないでしょと思うのだが、そういう人も居るんだと驚くと同時に、emailで問い合わせが来ているのに返事を返さない(連絡が来るかも知れない状況でもemailをチェックしていない?)人が居ることにも、正直苛立を覚えた。

更に、watch list に入れていたものの入札せず、オークション終了後にfixed price offer をして欲しいとリクエストして来た人がいたが、出品していたリザーブ価格でオファーを出したら、アクセプトされずに時間切れとなった。
直接値切ってきたわけではないが、明らかに値切っていたのだと思った。そのような人に、安くしてまで買ってもらおうとは思わない。安くして売るのなら、その人ではない人に買ってもらいたいとさえ思ってしまうのは、自分の気の強さのせいだろうか...

幸いにも、その後の2件のインターネット オークションでの取引は何の問題も無くスムーズに終了し、この世に無責任な人ばかりでなかったことを心から嬉しく思ったものだが、日頃ほとんど人と接触せず、わずかに人と連絡を取り合うことになるインターネット オークションでさえ、このようなあまり喜ばしいとは言えない経験を何度もするのだから、外に仕事に出ている人はさぞかしストレスが溜まることだろうな… 同居人Hが時々イライラしたまま帰ってくるのがよくわかるよなと思った。

私は"聖人"ではないので、そのようなあまり嬉しくないことが重なると苛立もし、どうにかならないものかと考えてしまう。
考えたところでどうにもならないのだろうなと思いながら...


ここ数日、ある聖句が頭の中を駆け巡っている。

テモテ第二3:1-5

しかし、このことを知っておきなさい。すなわち、終わりの日には、対処しにくい危機の時代が来ます。というのは、人々は自分を愛する者、金を愛する者、うぬぼれる者、ごう慢な者、冒とくするもの、親に不従順な者、感謝しない者、忠節でない者、自然の情愛を持たない者、容易に合意しない者、中傷する者、自制心のない者、粗暴な者、善良さを愛さない者、裏切る者、片意地な者、[誇りのために]思い上がる者、神を愛するより快楽を愛する者、敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。


そうそう、隣りの犬は昨日からほとんど吠えていない。(昨日は日中全く声がせず、今日はたまに短く吠えてはいるが、吠え続けてはいない)

飼い主が隣近所の迷惑を理解したのか、ただ単に通報されたくなかったというだけなのかわからないが、それでも静かにさせておくよう努力をしてくれていることは有り難いことだ。




28.3.16

謝らない人

新しく隣りに入った家族の犬は、家に人が居ないと一日中吠え続けている。
昨夜は夜遅くまで家に誰も居なかったようで、絶え間なくキャンキャン キャンキャンと、我家との境まで来て吠え続け、うるさくてたまらなかった私達は、食パンでもくれておいたら啼かなくなるかと試してみたがダメだった。

そして今日の昼、その家に住む白人の女性が玄関に現れ、開口一番、
「あなたウチの犬にパンを与えたでしょ。そんなことしないでちょうだい。」と苦情を言ってきた。(隣りの犬は食パンを一切食べなかったのだ)

「ごめんなさいね。あなたの犬があまりにもうるさかったから、食べ物を与えたら静かになるかと思ったんだけど」と言うと、「パンなんて与えないでちょうだい」と怒っているので、もちろんこれからは何も与えたりしないけれども、犬が四六時中吠えていないようにちゃんと躾をして欲しいものだ。隣人の迷惑も考えてみたらどうだと、私は相手の威張り腐った態度を改めさせるべく言ってみた。
それに加えて、「あなたはまず、騒音で隣人に迷惑をかけていることを、何よりも先に謝るのが礼儀じゃないかと私は思うよ」と忠告したのだが、「引っ越して来たときよりも格段に啼かなくなっているじゃないの!」と言い返すので、「家族が家にいる時には啼かなくなっているけれども、いない時にはずっと吠え続けているって、知らないでしょ」と聞いたら、「知っているわよ」と返してきた。
(ほう… 知っているのに、深夜遅くまで犬を家に置き去りにして、犬がひっきりなしに吠え続けているのも平気だったんだ…  隣人の迷惑も、犬のことも何も考えていやしないということか)

「犬の吠えている声を聞かされ続けているのがどんなに苛立たしく、腹立たしいかわかる?」と質問すると、彼女は「犬は吠える生き物だから、吠えるのは当たり前でしょ」と吐き捨てるように言い、食べ物を与えたことを殊更強調して非難し続けるので、「それでは今後このようなことがあったら、私は警察(或はノイズコントロール)を呼ぶことにするよ。他に方法が考えつかないから」と伝えた。

会話中、彼女の口からは一度も謝罪の言葉は聞かれなかった。
『犬が吠えるのは当たり前』だと思っているような人だから、夜中に吠え続けて近所に騒音被害を与えても別に"飼い主としての責任は無い"という考えなのだろう。そのような人にはこちらがどんなに迷惑を被っているかなど考える機能など備わっていないのだから、公的な機関に対処を委ねるしか方法は無いように思えた。

おそらく、彼女以外の大多数の人は知っているだろうと思うが、全ての犬が四六時中吠え続けているわけではなく、躾のできていない犬がのべつ幕無しに吠え続けるのだ。
(躾などされていない野良犬でさえ、あんなに何時間も何時間も吠え続けないだろう)

躾のできていない犬が吠え続けて近所に迷惑をかけているというのは、国内で大きな問題となっているらしく、数週間前、ラジオのトーク番組でその話題が取り上げられていた。
トーク番組に電話をしてきた『迷惑を被っている』人の数は多く、その人たちのほとんどは、非常識な隣人の『改めようとしない態度』に怒りを露にしていた。
そう、問題なのは犬ではなく、飼い主のモラルの無さなのだ。

もしウチの隣人が、開口一番、「昨夜ウチの犬がきっとずっと啼いていてうるさかったんでしょう。ごめんなさいね。でも、食べ物を制限しているから、これからは食べ物を与えないでいてくれるかしら」と、『苦情を言いに来た』のではなく、『頼みに来た』のであったら、事態はさほど悪くはならなかっただろうと思うが、考えてみるに、そのような誠実な態度を取れる人(誠実な人)であったら、もっと早くに、迷惑がかかりそうな隣近所に先に謝っておいたことだろう。

犬が吠えるのは当たり前だから…という理屈でいけば、犬は噛み付くのも習性だから、他人に危害を加えても当然だということになる。
ピットブルなどの獰猛な性質が元々備わっているような犬による被害が、毎年のように報道されているが、それも習性だから問題視することはないなどとは、正常な神経を持ち合わせている人であれば思わないだろう。
躾けられないペットを無責任に飼うべきではない。


猫の糞被害に悩まされ、次は犬の騒音被害…
この世は、増殖する自分勝手な人間のせいで、非常に住み難くなって来ているように思えて仕方がない。



歳食って面倒臭いと感じることが多くなった私



出来上がりを見ただけでは、竹串なんぞを使ってこんな細かい作業をしていることなど想像できないだろうなといつも思う。(写真中央の馬の頭の部分:上はサンディング前、下はサンディング後)

塗装で水分(或は油分)を含んだ木の繊維は飛び出し、切ったままで何も塗らない状態よりも更にガサガサになってしまう。(オイルを塗った場合はまだ少しマシな状態だが)

サンドペーパーでそのガサガサした表面(断面)を滑らかにして行く作業を、以前は面倒だとは思わなかったが、最近は面倒で仕方がない。でも、時間をかけてそれをしなければ仕上がりが綺麗に見えないのだ。
何とか簡単にできる方法はないかと、先にオイルやらシェラックを塗って、その後ステインで仕上げてみたこともあったが、思い通りの仕上がりにはならず、尚かつ、やはりサンディングの必要があり、解決策にはならなかった。



表面、裏面のサンディングはわけなくできるので、何もストレスを感じない。
問題はスクロールソーでカットした断面の始末だ。
ペイントの専門書を買ったら、何か良い解決策をゲットできるのだろうか?

そのようにしてできる限りスムーズにした後、二回目のステインを塗って再び乾かしている。




25.3.16

マドレーヌは家で

ここNZは、今日から来週の月曜日までイースター ホリデーに入っている。

ということで、昨夜は携帯電話にセットしてある目覚まし時計をしっかりオフにし、今朝はゆっくり起きられると思っていたのに、朝5時台に目が覚めた。(いつもよりも早いじゃないか…)

目は覚めていたものの、そんなに早く朝食の支度をしても仕方がないので、ベッドの上でemailのチェックやら何やらして空が明るくなるのを待っていた。


今日は、昨日フリーのパターンで作ったウェルカム ボードのペイント作業やら細々した作業をして午前中過ごし、午後は家に戻ってのんびりとお菓子を焼いたりしていた。

フリーのパターンは少しデザインを変え(要らない文字を消し、ウェルカムの文字を大きくした)、スクロールソーで切ること約3時間。
ブレードを留める部分が傷んできているのか、ブレードの下側が頻繁に外れ、ブレードが曲がったり折れたりして難儀をした。
1枚の板を切り終わるのに5本もブレードをダメにしてしまったなんて… ため息ものだ。

ブレードの留め金の具合が悪くなかったら、おそらく2時間半もあれば切り終えていたことだろう。



切り終わると、次には切り口のガサガサをサンドペーパーで綺麗にする作業が待っている。
カーブのガタツキを整え、周囲を極少量面取りし、全てを綺麗にするのに1時間以上かかった。

(スクロールソーでカットしただけの状態 - 裏面)

(ガサガサを取り除いている途中)




そして、今日は第一回目のペイント。
細い筆を使い、細かい部分にも裏側にも全てステインを塗り、そして拭き取る。
下の写真はステインを乾かしているところだが、完全に乾いたらサンディング、そして二度目のペイントをし、色の具合を見て、ステインを重ね塗りするか、ポリウレタンで仕上げて良しとするかを決めようと思っている。





さて、我家では買って食べることはないマドレーヌ。
今回は横着をして型に塗るマーガリンをオリーブオイルを吹いて良しとし、粉をふっておいたのだが、それが災いしたのか、はたまたいつもは使わないバターを使ったせいか(いつもはOlivani Spreadを使う)、焼き上がる頃にはグツグツ煮えているような感じで、大量のオイルが型の外に流れ出し、ゲゲゲな状態になっていた。

オーブンが火を噴いては困るので、慌ててオーブンから取り出し、ペーパータオルの上に乗せて油分を吸い取らせてから食べてみたが、少々ふっくら感が無いものの、味は普通かなという感じ。 ゴミ箱行きにはならなかったが、マドレーヌで失敗したのは初めてだったので、ちょっと凹んだ。




24.3.16

速報 NZ 国旗変更せず

(この画像は、NZ Herald の記事をキャプチャーしたものです)

NZ ヘラルドによると、56.6%の国民が現行の国旗を選び、43.2%が新しい国旗を選んだとのこと。
合理主義の国なのに、最初に国旗変更の賛否を国民に投票させず、これまでの国旗変更キャンペーンに NZ$26 million という無駄金を使ってしまった政府に対して、おそらく怒りの声がこれからしばらくは上がり続けることだろう。



23.3.16

改良型 ベンチトップ ベンチ


初めて試した Inlay もどきがどうにも上手くいかず、数日悪戦苦闘した挙げ句に、どうにもならないと諦め、ゴミ箱行きになった製作中のトレイのハンドル。


以前作った作業台の上の作業台が使い辛くなってきたため、穴を空けた上の板だけを残して解体し、新しく(少々高めに)足を作り直し、足の部分にクランプが入るだけの穴を空けて、横にはかなり前にインターネット オークションで落札したミニ クランプを取り付けた。


ミニ クランプに取り付けた板に、(雲の上のお師匠さんのやり方で)着脱式の vise dog を差し込む穴を空けた。




ミニ クランプではあるが、しっかり固定でき、これまで使っていた作業台よりもサイズは縮小したものの、格段に使い勝手が良くなった。
ただし、無垢の板ではなくMDFと合板を使っているため見た目はよろしくなく、その上、これまで使っていた上板を再利用したため、至る所に螺子釘穴が空いていて実に貧相だ。
まぁ売り物ではないし、使い勝手がよければいいか… という程度のものである。

さて、ミニ作業台が使い易くなったので、またトレイ作りの続きをするとしよう。

19.3.16

Kilimanjaro Kafe

朝起きると、取りあえずはキリマンジェロ カフェに行き、そこで朝食を取ることになっていた。

美味しかったかどうか全く覚えていないコーヒーと、すこぶる美味しかったパイナップル ジュース。トースト… 卵料理はウェイター或はウェイトレスがその場で焼いてくれていた。サラダにベーコン、ソーセージ、果物などといった定番のものが並んでいたのをかすかに覚えているが、2週間滞在してしていた間、毎日そこで朝食を取ったはずなのに、果物以外何を食べたのかさっぱり覚えていない。

豪華な美しいリゾートホテルだった。
自分が選んだわけでもなく、招かれたというのでもなく、ただそこに行かざるを得ない境遇に陥ってしまった私達は、次に起こることがどんなことかもさっぱりわからず、観光気分などというものも味わうことなく、アフリカ大陸に着いたわけでもないのに、毎朝キリマンジェロ カフェに行くしかなかったのだ。

そのカフェは、敷地内の中央に広がる大きなスイミング プールの中に建っていた。
水辺に近い席をとり、コーヒーを頼む。
スタッフたちは、おそらく私達の身に起こったことを聞かされていたのだろう、皆とても親切に、そして、静かにしておいてくれた。

17年経った今でも、時々ふっとキリマンジェロ カフェの香りが漂ってくる。
そして悲しみがこみ上げる。

もう人生を終わりにしたい。
終わりにして欲しい。

時々どうしようもなくそう思う時がある。


17.3.16

喜ばしい変革

最近、国内のインターネット オークションの仕様が少々変わり、これまで無料で掲載できる商品写真はたったの1枚だったが、何といきなり20枚まで無料になっていた。

これは、私のようなハンドメイドの物を出品している者にとっては、願ってもない変革で、作業工程をかいつまんで写真に撮って載せれば、一つ作り上げるのにどれほど時間がかかっているか、またどれだけ丁寧に作られているかが、おぼろげながらでも理解してもらえるようになるに違いない。全ての人とまではいかなくとも、『心ある人』はきっとわかってくれるだろう。また、それに伴って、時給にしたらほんのわずかな収入にしかならないものを値切ろうと思う人が少なくなってくれればいいなと願わずにはいられない。

まぁ、少なくとも、何処かから安く仕入れて来て販売利益を沢山上乗せした商品ではないことは、誰の目にも明らかになるだろうし、もしそのような物を作りたいという人がいたら、どのようにして作るかがわかって、役に立つ事があるかも知れない。

多くの人は、「製造工程を見せたら、同じようなものを作り、もっと安く売りさばく人も出て来るに違いない。そうすれば自分の作品が売れなくなるじゃないか。作り方を明かさない方がいい」と考えがちだが、私と同じ程度のクオリティで作ろうとしたら、おそらく同じくらいの時間、あるいはそれ以上の時間がかかり、私の提示している価格でなど出品できないだろうし(販売価格は制作時間に全く見合っていない)、クオリティを落として雑に作った物では、根本的に比較にならない。
だから真似する人が現れても全然構わないのだ。




丁寧に一つ一つ作っていることが広く知れ渡るようになれば、信用を築ける。
信用を築けさえすれば、あとはデザインの問題だけだ。



何とかこの道でやって行けるといいなと、そう願いつつ、今日もコツコツ一人で作業していた。







14.3.16

Pre-owned Hole Saws

先週インターネット オークションで落札したものが届いた。


届いた状態で取りあえず合板の端切れを切ってみると、切った下側の面がきれいにカットされておらず、ムラに切り取れなかった部分があったり、ガサガサに繊維が引きちぎれたような切り口になったりしていた(上の写真左)。
これでは使い物にならないため、付いている刃をダイヤモンド パドルで、ほんの数分、簡単に研いでから使用してみると、明らかに切れ味が良くなっていた(上の写真右)。
まだスパッと切れていない部分が多いので、もう一度しっかりと研ぎ直してから使うことにしようと思う。

このように、電動工具に使用する物の刃も、研げば新品同様の使い心地になるということを知っていれば、切れ味が落ちたからといって新しいものに買い替えるという無駄を防げるのだ。
そして、「何も、何十ドルも出して新品を買う必要も無いな...、安く手に入れた中古品で充分だ」と思うようになってくる。

高い新品を何のためらいも無く購入できる人には縁の無い話だが…



12.3.16

ピーナッツ ボックス完成

塗っておいたオイルが乾いたので、ボックスの中央に小さな穴を空け、マグネットを埋め込んだ。使った接着剤はエポキシ グルー。
蓋の内側になる面の中央にはスチールの薄い板を丸く切って貼付けてある。


グルーが完全に乾くまで丸一日置き、はみ出したグルーを取り除き、その後シェラックを重ね塗り。シェラックが完全に乾いたら#0000のスチールウールで磨く。(マグネットにスチール ウールの粉がくっついている ↑)


掃除機でスチール ウールの粉を吸い取り、取りきれなかった部分の粉は刷毛で掃き出すようにして取り除くといい。
ちなみにこの刷毛は、一回使ったら壊れた安物の刷毛で、取れた部分をこれまたエポキシ グルーで貼付けておいたもの。ペイントには使わないが、ゴミを掃き出すのにはちょうどいい堅さで重宝している。(このクランプはさすがに捨てた)


シェラックの塗りムラが無くなり、少し艶消しになった表面に仕上げの Beeswax を塗ってしばらくおく。


最後に乾いた布で表面に残った Beeswax を拭き取ると、この通り、上品な光沢の表面が現れる。


 



10.3.16

もう夏も終わりか...

最近、日が短くなったのを実感するようになった。おまけに、今朝は寒かった(13℃と出ていた)ので、あぁ、夏が終わってしまうんだな… と少々寂しい気持ちになった。

今年の夏は例年になく暑い夏で、毎日のように扇風機を使っていた。
2003年にこちらに来てからこの13年で、今年が最も暑い夏だと感じたのだが、それでも気温は30℃を越える日があったかな?という程度だったので、こんな気温で夏バテしていては、とてもじゃないが日本の夏になんて帰れないなと、再確認してしまった次第である。


今年の我家のリンゴは、病害虫の被害が全く無く、どれも真っ赤に色付いて来た。
そろそろ食べてもいいかなと、一個捥いで食べてみると、シャキッとした歯ごたえの、酸味と甘味のバランスの取れたおいしいリンゴになっていた。



今年は一個だけ特大のリンゴが生っている。他のリンゴは皆丸いのに、これだけ縦長で、同じ木に生っているようには思えない変わり種。
同じように花が咲き、同じように実を付けたように見えても、何かが違っていたんだろうね…


さて、アトリエでは…


小さなまな板を作るのに使ったKwila がまだ少し残っているので、今日はピーナッツ型の小物入れを作った。
Tung Oil を塗って乾かしているところだが、この後シェラックを数回塗る予定でいる。
濡れると色落ちする板のため、オイルを塗るのに使ったペーパータオルに色が付いているが、オイルを拭き取った紙にはほとんど色がつかなかった。
シェラックでコートしてしまえば、ジュエリーなどを入れておくのに使えるだろう。

この板は非常に硬く、色も濃いので、見栄えも良く、こういった箱物作りに向いているかも知れない。




この間作ったGalatians 6:7 のパネルの後ろから朝日が当たって、麦の穂が光り輝いていた。
このガラスは見た目はあまり良くないのだが、光りを通すととても美しくキラキラ光る。

いつもは目立たないけれども、ある時ふと見るとキラキラ光っているのって、ずっとギラギラしっ放しの、ただ単に派手なだけのステンドグラスの "立派な" パネルよりも、何だか深みを感じられて好きだなと思った。


8.3.16

NZ National Flag … 投票が始まった


物議をかもしているNZ国旗を変えようとする動き…

第一回目の投票では、国民から寄せられた新しい国旗のデザインの中から選ばれた幾つかの案の内、どれがNZの国旗として相応しいかを投票するものだったが、変更を希望しない人はどうしたらいいの? 変更に反対の人がどれだけ居るかを先に投票で確かめた方がいいんじゃないの?? 最終的に変更しないことになったら、そのキャンペーンのために費やした全ての経費(国民が汗水垂らして働いた収入から支払わされた税金)が無駄になるでしょうが… と、苛立しか覚えなかった。
ラジオを聴いていたら、国旗の変更に反対の人は投票するなというので、私は第一回目は投票しなかった。

パンフレットのデザインがあまりにショボくて笑ってしまったが、今回届いたパンフレットに印刷された国旗(私が赤い円で囲ったところ)を見比べてみると、新しいデザインのものは全然目立たなくて、まるで存在感が無い。
凛とした感が無いと感じるのは私だけだろうか?

国旗を変えたいのは、隣国のオーストラリアの国旗によく似ていて、見分けがつき難いというのが第一の理由だろうと思うが、同居人が言うには、NZの国旗の方が先にできていたとのこと。調べてみたら、確かにそうだった。
先にできていたのに、後から同じような国旗を作られて迷惑だからと、先にできていた方が変更するわけ?しかも、信じられないほど膨大な経費がかかるのに?
なんてお人好しの国なんだ、NZ!!!

私は国旗の存在をさほど重要視していない部類の人間なので、どの国と似ていようが、どうでもいいじゃないかと思っているし、ヨーロッパの国々を見てみると、似たような国旗が幾つもあって、色の並びが違ったりしているだけの国旗も幾つもあるじゃないか、別にそれでいいじゃないかと、変更する意味を全く見出せないのだ。

しかも、今年はオリンピックの年で、それに向けて各方面で準備に忙しく働いている関係者の中には、国旗が決まるまで身動きが取れないという人もいるに違いない。
なぜ、よりによって今年それを決定することにしたんだ? 全くもって迷惑な話だと、私だったら思ってしまう。
そう同居人に話をしたら、「もうこれまでの国旗を印刷して色んなものを作っちゃってあって、もし新しくなったとしても、昔のを使って良いにしちゃいそうな感じしない?NZってそんな感じがする」と笑っていた。

そうかもね。:)


昨日、郵便局に出かける用事があったので、早々に我家全員の投票用紙をポストに投函して来た。

我家の全員、現行の国旗を支持する方にチェックを入れたのは言うまでもない。




A Great Looking Lamp


数日前、国内のインターネット オークションで落札できたランプ。
この出品者は我家から車で13分ほどの所に住んでいて、何年か前に2度ほど落札した物を取りに行ったことがあるので、引き取りに行くのも楽だった。

彼女は私のことも、私と一緒に行ってくれた同居人のことまでもよく覚えていてくれて、しばらくの間色々な話をして帰って来た。
家に戻って同居人にその話をすると、アジア人で取引のあるのはウチだけなのかね?と推測しながらも、彼女の記憶力の良さに驚いていた。


さて、落札したランプだが、このテの物は古くてもオークションでかなりの値段になる場合が多い。卓上で使えるようなこのような形のものは、大体 $70 前後で出品され、フロアーランプになると出品価格が $200 を越えているということがよくある。この国のアンティークコレクターは、錆びていようが凹みがあろうが関係ないのだろうなとよく思う。

私の落札した物は、アンティークなのかも、値打ちがある物なのかもわからないが、私にはそんなことは全く問題ではなく、安く手に入って、尚かつ便利に使えればよかったのだ。

私のアトリエには卓上のこのような、高さや角度を変えられるライトが木工用の作業台に一つと、スクロールソー用の拡大鏡付きライトが一つ、それに、天井に小さなライトが一つ付いているだけで、ステンドグラス用の作業台には一つもライトが無かったため、ずっとこのような角度を変えられるものを探していたのだが、もう何年も、これほど安いまま終わったオークションは無かった。
高い新品を買う気は更々無かったので、今回も結構な数のwatcher が付いていたため、またダメだろうなと思いつつ、自分が出せる金額をオート ビッドで入れておき、期待もせずに終了時間がいつだったのかも忘れて仕事をしていた。
オークション終了後、落札できていたことを知ってまず驚いた。落札金額は $32 。ダメージがあるとは言え、こんな金額で落札できようとは夢にも思っていなかった。

同居人に少々手直をしてもらわなくてはならない箇所があったため、仕事が休みの週末に頼み、晴れて使えるようになったこのランプ… キャスター付きで移動できるというのが、想像していた以上に便利で、これまで手元が暗くて作業し辛かったダブテイル ジョイントなどの細かい作業も、自分の斜め背後から好きな角度で照明を当てることができて、見易いことこの上ない。

とはいえ、狭いアトリエ内でキャスター付きのトライ ポットは使わない時にはやはり邪魔になるので、通常は卓上ランプとして据え付けておけるよう、アタッチメント(クランプ)を作った。

1.8cm 厚の合板の端切れを2枚合わせにしてグルーで接着し、中央(接着した部分)にランプのパイプを差し込む穴を空けたため、万が一グルーが剥がれたときのことを考えて、補強の板を上下に貼った。おそらくこれで大丈夫だろう。

ランプのパイプと、テーブルに固定するための金具を差し込む穴を空けるのに 15mm と11mm のドリル ビットが必要だったのだが、電動ドリルでよく使うビット セットにはそのサイズが無く、昔のハンド ドリルに使う auger bit (らせん状の錐)を探したらピッタリのサイズの物があったため、穴あけはハンド ドリルで行った。
今の時代、ハンド ドリルなど使う人は多くはないだろうが、使ってみるとこれがけっこう楽しくて、必要も無いのに要らない板に幾つも穴を空けて遊んでしまった。



写真はグルーで貼付けた底板をクランプで留めているところ。auger bit は既に取り外して片付けてしまってから写真を撮ったなんて… けっこうマヌケ...
そこに写っている穴は(その手前に写っている)テーブルに固定する金具を挿すための穴で、この金具は何に付いて来たのか全く記憶にないが、使われること無く仕舞われていたのを思い出し、ようやく日の目を見ることになったものなので、制作費はゼロ。


黒く塗り、取り付けてみたら、一般にこのような形の卓上ランプに付属してくるアタッチメントよりも安定していて、ぐらつきが無く、頑丈さで勝っているように思えた。

自分で好きなように作れるって便利だなと、つくづく思った。

4.3.16

早々に "撒いたものを刈り取" った

昨日の朝、アトリエに行き、見たものは、パッキリ割れたガラス…
…..



あの湾曲したガラスは、本体にはガタツキ無く収まったものの、枠には合っていなかったようで、クランプで一晩留めておいたのが祟ったのだろう。
クランプがさほど強くないと高をくくっていたのも失敗の原因の一つだ。

心配はしていたが、不確かな要素があるのをそのままにしてしまった私のイイカゲンさが招いた結果… 正に、撒いたものを刈り取ってしまったわけだ。

だが、不思議なことに、今回の失敗はガックリ来なかった。


早々に枠を外しにかかったが、グルーが強力過ぎると、グルーで接着された面は剥がれず、板そのものが裂けてしまう恐れがあり、そうならないように、接着面にナイフで予めスコアを入れてから、鑿をガラスとの境に差し込み、慎重に慎重に割り取って行った。


グルーが強力でなかったのを喜ぶべきか否か… ガラスが割れさえしなければ、もっと強力なグルーの方がもちろん良かったのだろうが、今回に限っては、綺麗に接合部分で剥がれてくれて、本当に助かった。



はめ込んであったガラスもグルーで周囲を留めてあったため、本体にダメージが無いよう、スクロールソーでカットした穴に木の棒を差し込み、その棒をハンマーで叩いてガラスを下に落とす方法で何とか剥がれてくれた。


ガラスが取れたら、次には凹みに残っている乾いたグルーを取りつつ、歪んだガラスを収めるためにわざわざ傾斜を付けておいた部分をまた平らに均す作業を行った。
スタンレー No.71 ルーター プレーンで、一度に削り取る厚みを極少なくし、切り出した透かし彫り部分に刃が引っかからないよう気をつけながらの作業だった。もちろん、刃はシャープに研ぎ直しておかなければならない。


そして、今度はクランプで枠を固定するのではなく、スクロールソーで枠を切り出した際に残った枠の内側部分の板を使って固定することにした。
当然のことながら、切り取った内側の板はスクロールソーのブレードの厚み分だけ一回り小さくなっているので、マスキングテープを3 重にして貼り厚みをもたせた上で下の写真のようにはめ込み、本体に接着した枠を内側から押す形で周囲に固定させた。その固定板は、グルーが完全に乾いた後、出っ張っているマスキングテープを引っ張って簡単に取り外せるようにしておいた。


接着した枠部分の出っ張りを鑿と鉋を使って平らにし、全体にオイルを塗り、オイルが乾いたらサンディング。そしてビーズワックスで仕上げをした。




割れたガラスよりも、今回のガラスの方が光り方が綺麗で、少し存在感が出たように思う。



とは言っても、主役は Galatians 6:7 の文字であるので、通常は目立たない麦の穂が、時々光りを受けてキラッと光ってくれたら、それでいいかなと思っている。



惑わされてはなりません。
神は侮られるような方ではありません。
何であれ、人は自分のまいているもの、
それをまた刈り取ることになるのです。
- ガラテア 6:7 -

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...