昨夜、父が亡くなった時のことが頭から離れず、涙が後から後からこぼれ落ち、あぁこのままでは脳の血管が切れてしまいそうだと感じるほど、精神的に参っていた。
遠く離れた所に住む、会った事も無い雲の上のお師匠さんに、Help me! Please help me...と、寝入ってしまうまで何度も心の中で懇願していた。
何故なのかわからない。心の中で、神ではなく、彼の名前を呼び続けていたのだ。
早朝に目が覚め、彼の Facebook page を見ると、あたかも昨夜の私の叫びが聞こえたかのような投稿がなされていて驚いた。
単なる偶然?
そうかも知れない。
多分そうに違いない。
それでも、心からありがたいと思った。
そんなことを考えながら、今朝アトリエに降りて行き、取りあえずしたことは、これ↓を直すこと。
直角でもなければ45°でもなかったスタンレーのコンビネーション スクエア。
このツールが正確かどうかを調べるには、きちんとセットした状態で、まず真っ直ぐな板やら紙の縁に本体の縁をピッタリ合わせて線を引き、次に、本体をひっくり返して同じように線を引いてみるのが手っ取り早い方法だ。
下の写真で一目瞭然なように、始点を合わせて引いた線は完全に一致してはおらず、先に行くに従って開きが大きくなってしまっていた。
お世辞にも直角とは言えないこのツールの本体を、平らなガラスの上に敷いた#240 のサンドペーパーで、真っ平らに、且つ目盛の付いた物差し部分と垂直を成すように削って行った。(↓ 銀色になっているのは削った部分)
本体の45°の側も同じように削って直し、下の写真のように正確なものとなった。
これまでは「こんな不正確な物、使い物にならないじゃないか!」と思うだけで、ただの不要物でしかなかったものだが、少し手間をかければ立派に使えるものになるということを学んだ私… そのことが1年半前にわかっていたら、父の道具箱の中に仕舞われていた、本体にヒビの入ってしまっていた特殊な鉋の全てを持ち帰って、修理して使えたのにと、後悔の念で悔しいやら、悲しいやら、いたたまれない気持ちになってしまう。
修理できることに気付いたのが遅過ぎて、父の道具箱に残して来た鉋は、私以上に木工の道具類の知識の無い姉が、私が日本を発つと同時に、ゴミの日に捨ててしまったんだと聞いた時には愕然とした。
どんな物でも持って帰ればよかった、父に本当に申しわけないことをしたと、後悔してもしきれない。
そんな諸々の後悔の念が、ずっと頭にも心にもこびりついていて、押しつぶされそうになる。
知識がなければただの不要物でしかなかったこのコンビネーション スクエア…
初めから精密なお高い物を買わなくとも、少々手をかければ安いものでも使い物になることを、もしまだ気付いていない人がいたら教えてあげたい。心からそう思った。
遠く離れた所に住む、会った事も無い雲の上のお師匠さんに、Help me! Please help me...と、寝入ってしまうまで何度も心の中で懇願していた。
何故なのかわからない。心の中で、神ではなく、彼の名前を呼び続けていたのだ。
早朝に目が覚め、彼の Facebook page を見ると、あたかも昨夜の私の叫びが聞こえたかのような投稿がなされていて驚いた。
単なる偶然?
そうかも知れない。
多分そうに違いない。
それでも、心からありがたいと思った。
そんなことを考えながら、今朝アトリエに降りて行き、取りあえずしたことは、これ↓を直すこと。
直角でもなければ45°でもなかったスタンレーのコンビネーション スクエア。
このツールが正確かどうかを調べるには、きちんとセットした状態で、まず真っ直ぐな板やら紙の縁に本体の縁をピッタリ合わせて線を引き、次に、本体をひっくり返して同じように線を引いてみるのが手っ取り早い方法だ。
下の写真で一目瞭然なように、始点を合わせて引いた線は完全に一致してはおらず、先に行くに従って開きが大きくなってしまっていた。
お世辞にも直角とは言えないこのツールの本体を、平らなガラスの上に敷いた#240 のサンドペーパーで、真っ平らに、且つ目盛の付いた物差し部分と垂直を成すように削って行った。(↓ 銀色になっているのは削った部分)
削っている最中に、何度も何度も小さな金属の塊が出てきて、ガリガリと嫌な音を立て、サンドペーパーに引っかかってしまうので、それを何度も取り除きながら作業をしなければならなかった。(いったい、どんな粗末な素材を使っているのだ?)
完全な直角が引けるようになったら、次は45°の方の調整だ。
この上の写真ではわかり辛いかもしれないが、拡大して見ると、こんなにも隙間が空いている ↓ 。(計測に使っている三角定規は、かつて彼の人が仕事で使っていた、日本製の精密な定規である)
本体の45°の側も同じように削って直し、下の写真のように正確なものとなった。
修理できることに気付いたのが遅過ぎて、父の道具箱に残して来た鉋は、私以上に木工の道具類の知識の無い姉が、私が日本を発つと同時に、ゴミの日に捨ててしまったんだと聞いた時には愕然とした。
どんな物でも持って帰ればよかった、父に本当に申しわけないことをしたと、後悔してもしきれない。
そんな諸々の後悔の念が、ずっと頭にも心にもこびりついていて、押しつぶされそうになる。
知識がなければただの不要物でしかなかったこのコンビネーション スクエア…
初めから精密なお高い物を買わなくとも、少々手をかければ安いものでも使い物になることを、もしまだ気付いていない人がいたら教えてあげたい。心からそう思った。
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