1.10.24

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景...

到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。
乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。

また、全ての人が乗り込み終わるまで、ドアを開けておくボタンを押し続けてくれている人が必ずいる。そして、開くボタンを押す使命感を感じている人は、全ての人が降り終えるまでボタンを押してくれていたりして、それに対して先に降りる人々は「すみません」と言ったり、お辞儀をしたりして降りていくことになる。

日本人が他の国々から polite と称賛されるのは、こういう行為をごく普通に目にするからに違いない。

NZ でも、少々遅れて来た誰かのためにエレベーターのドアを開けておいてくれる人は多くいるが、その場合は皆 Thank you. :) と言い、「すみません」ではない。
また、エレベーターを降りる際にお辞儀をすることはほぼ 100% 無い。

お国柄の違いというのは実に面白いものだと、今回帰省して改めて思った次第である。



24.9.24

急遽日本へ

90 歳を超えた母が肺に炎症を起こし、緊急入院したとの一報が入ったのは先月末...

以前から誤嚥性肺炎があり、肺機能が落ちて来ているとのことで、寿命もあるし、急変した際には延命治療はしないことにしたと...
まだ元気なうちに一度会いに来ておいた方がいいという姉の言葉を受け、早速子供達に連絡を取った。

H と T の都合を調整し、エアチケットを取ろうとしたのだが、その時点で日本はノロノロ台風 10 号の影響で飛行機の離発着にも影響が出ているというので、さすがにこの日まで待てば台風は過ぎ去るだろうと踏んだ日を選び、日程変更可能のチケットを押さえたのが今月 4 日。

念の為に日本到着後 5 日間は病院に面会に行くことは控え、私たち一時帰国組の誰もが感染症に罹っていないことを確認した上で、母に会いに行った。
母は体重が激減しているとは聞いていたが、身体は小さくなってしまい、まるで骨と皮だけのような手足と、痩せこけた顔を目の当たりにして、愕然としてしまった。

炎症の値は上下していたが、容体は徐々に回復し、退院予定日を 1 週間超過した 12 日、無事母は退院した。

母は大腿骨骨折後、家の中では歩行器を使い、外出時は車椅子を使わないとならない生活...
看病をする姉の負担は想像以上に重く、これまでずっと姉に任せきりだったことを心から申し訳なく、また有り難く思った。

痰が切れず、また入れ歯を外して話す母の言葉はなかなか聞き取れず、何度も何度も聞き返さないとならないのは、私のみならず姉も同じで、話し辛い母が何度も同じことを繰り返して言わないとならないのは可哀想の一言に尽きるが、どうしようもない。

退院の日、母の容体はその前の日よりも悪くなっているように見えたが、再度検査することなく退院してしまったのが祟って、案の定、その後 3 日間はほとんど食事も喉を通らず、痰も切れず、自力で起き上がることができない状態になってしまった。
衰弱が激しいと判断した姉は病院に連絡し、救急外来を受診... 極度の脱水状態で、そのまま即再入院となって今に至っている。

入院している限りにおいては差し迫って命の危険はないかもしれないが、退院したら入院中と同等の看護はできるはずもなく、医者からも家庭での看病には限りがあるので、介護施設に入ることも選択肢の一つとして考えてもいいかもしれないと幾度となく言われたが、痴呆にもなっておらず、冴えた頭のまま介護施設に入れられ、胃瘻、或いは喉やら股関節付近に穴を開け管を通して、そこから栄養を流し込む処置を施された上で、感染症の恐怖に怯えながら家族と離れて余生を過ごすことが果たして幸せだと言えるのか... と、姉と二人で話し合った。

家に戻って介護する道を選べば、徐々に衰弱し、間も無く最期を迎えることになるだろうことは誰もが想像できるが、その方が年老いた母にとっては幸せなのではないか...
もし自分が母の立場だったら、その方を選ぶのではないかなどと考え続ける毎日で、精神的に疲れ果てている。

今日は母の具合は悪くはなく、食事もしっかり食べられたようで、少しホッとした。



T とH は明日の便でとりあえず NZ に戻ることが決まった。

私はおそらく母の最期を看取るまで日本に滞在することになるだろう。




19.8.24

ニウエ の物価

 H 達は 1 週間の観光を終え、無事 NZ に帰って来た。

食事は美味しかったが、食べ物の選択肢はあまり無く、毎日ほぼ同じ物ばかりを食べざるを得なく、いささか飽きたとのこと。

外食は高くつくので、自炊をしようと思っても、スーパーマーケットに並んだ商品の大半が NZ からの輸入品で、価格は裕に倍を超え、普通のチーズは 2kg $56 (現在のレートで約 ¥5,000)、ワインは NZ の 2 倍となり、キャベツ半分で $14 (約 ¥1,250)、レタス $11 (¥1,000 弱)、きゅうり $13 (多分 1 本で ¥1,200 弱)と、自分で栽培しなければ生活していけそうもない驚きの価格となっていたようだ。

(何故パンが外に出された棚に陳列されているのだろう?すぐにカビてしまいそうじゃないか...)

また、ニウエ最後の夜はフライドチキン屋に行こうと思ったのだが、小麦粉が島にもう残っていないから作れないとのことで断念したと言うのを聞いて、小麦粉も島で生産できないんだと、想像以上の不便さに私は度肝を抜かれた。

貨物船が着くポートはあるものの、船は月に 1 回しか来ず、荷物が届いた直後は(べらぼうな値段だとしても)一応商品はあるが、次の荷が入る前にストックが底をついてしまっているという状況...

ニウエに移住するとなったら、日本の昭和時代にさして裕福ではない家庭に育ったような生活を想定しないとならないのではないかと、私の幼少期の光景を思い出してしまった。

H は宿の Wi-Fi に繋げたものの、超遅くて何もできないと、現地でテレコムの SIM カードを買い、4G で接続していた模様。
移住するのであれば、これは Starlink を使用すれば何とかなるだろうか...


生活するとなると不便な点が多いだろうというのはよくわかったが、私は H が「波の音がすごくて怖かった」と送ってくれたビデオを観て、それが一番衝撃的だった。



確かに怖い。
今でさえ、暴風雨の夜には窓に叩きつけられる雨音で眠れなくなってしまうような私だ。昼間ならまだしも、夜中に大音響で荒れた波の音を聞くというのは恐怖そのものだろう。

そんな海辺には私は住めないだろうな...





13.8.24

How to cut men's hair with scissors



 WHAL のクリッパーやらハサミやらなんやらを買って、美容院に行くのをやめた私。

まず切ったのは自分の髪で、取り立てて技術の要らないような、ほぼストレートの髪形にし、極々普通に出来上がった。

次に、T の髪が長くなるのを心待ちにし、私が「そろそろ切る?」とか、「だいぶ伸びたね」とか言う度に、T  が「まだいいかな...」と苦笑いしながらおののく事数回...
遂に T が「長くなってきた」と言ったのを聞いて、ニヤリとする私に、T は「怖いよ〜」と笑いつつ、観念して、私が用意した椅子に座った。

まず髪を濡らして... と、普通のお掃除用スプレーボトルとして買っておいたものに水を入れ、シュッシュッと吹きかけると、かなり冷たかったようで、T はブルッと首をすくめ、二人して大笑い。笑ってしばらく作業にとりかかれず... (真冬の NZ で頭に水を吹きかけられた T 😅)

この床屋さんが使っているような霧状に出るスプレーボトルを買わなくちゃなと言いながら、ビデオに倣って切り始めた。
予習は万全だと思っていたのだが、いざ切り始めてみると、「あれ?ここどう切るんだったかな?」と、心もとなくなり、「あれ?」「あれ?」と口走る私を見て笑う T ...
終始笑いながらの "なんちゃって床屋" の一日目は、裾の始末が何だか中途半端に長いまま終わった。
次の日になって T が、裾がちょっと量が多い気がすると言い、私もそう思っていたので、一日目の後学習しておいた方法で、「えーい、切っちゃえ!」とばかりに結構思いっきり切ったところ、「いいじゃん」と T に言ってもらえ、取り敢えず 1 回目のカットは終了。

カット後、髪を洗い、ドライヤーで乾かし終わった T が私のもとにやって来て、「すごいよ、ブラシで整えなくても、ドライヤーで乾かしただけでまとまるよ、この髪型!!」と喜んでいた。(決してそれを狙って切った訳ではない)

次も同じようにできるか少々心配ではあるが、見苦しくない程度にはカットできているようなので、回数を重ねれば、その内自信を持って臨むことができるようになるだろう。

ふぅ... 大失敗しなくてよかった...




12.8.24

H & パートナー Niue に行く

 H 達は一昨日朝の便でニウエに向かった。
NZ オークランド国際空港からは約 3 時間の飛行で着いてしまう島だが、ニウエの時間は NZ よりも 23 時間遅れの、前日+1 時間という、何だか狐につままれたような時差...

「着いたよー」と送られてきた写真は気持ちの良い南の島そのもので、冷んやりした NZ で膝かけを手放せない私は、心底羨ましくなった。



物凄く暑いだろうと想像していたのに、23℃ と、超快適だと喜ぶ H 。
いいな〜


だが、以前住みたいと思っていたニウエは、今は私の移住の選択肢には入っていない。
歳を取り、年金受給に必要な現況届け提出のために、年一回、オークランドにある日本国領事館まで在留証明書をもらいに行かなければならなくなるというのは、やはりストレスになるに違いなく、しかも、ニウエへの便は週に一回しか飛んでおらず、何もすることがなくても、一週間は NZ 滞在を余儀なくされる。元気なうちはいいが、そうでなければ肉体的にも精神的にもキツくなるのは目に見えている。更に、往復のエアチケット+滞在費(食費も含む)等々の余分な出費も家計を圧迫することになるのは明らかだ。

また、移住ではなく単なる旅行でも、90 歳を超えた母のことを考えると、丸々一週間飛行機が飛ばず、島から出れないという状況で、何の心配もなく楽しむことは、今のところできそうにない。

結局のところ、歳を取ったら日本国領事館のある都市に住み続けるのが得策かなと、そんなことを考えてしまった次第である。



だが、この先、家を買うのも借りるのも異常に高い NZ に住み続けるのが困難になってしまったら、もしかしたら、またニウエに移り住みたいと考えるようになるかもしれない。
先のことはわからない。





6.8.24

Ahmed Zaoui in New Zealand (Part 1)






心温かで、穏やかで、とてもフレンドリーだった彼は、NZ 市民権を取得した数年後、故郷アルジェリアに戻り、そして昨年 10 月、アルジェリア国内の自宅で政治集会を開いていた際に、武装した警官が踏み込み、刑務所送りとなったことを、私は昨日知った。


裁判も行われておらず、またその見通しもたっておらず、ただただ劣悪な環境に置かれ続けている彼は、自国での平和で開かれた政治を追い求めていただけだ。


彼の生涯は『波瀾万丈』と一言で片付けるにはリスクが大き過ぎ、常に命の危険が付いて回っている。
Ahmed の件を扱ったドキュメンタリー Behind The Shroud の中で、Mohamed Samraoui (Former Algeria military intelligence chief) が最後に語った言葉が、深く心に突き刺さった。


Ahmed のみならず、彼もまた祖国を捨てなければならない人になってしまったのだ。



彼とその家族に、またAhmed を助けた人々全てに平穏が訪れるよう、心から祈るばかりだ。




2.8.24

FIRST TO SEE THE LIGHT

 友達がお高い車を買うというので、お供として付いて行った T 。(友達のたっての希望)

飛行機は無事に着いたようで、写真を送って来てくれた。



行った先は、世界で一番早く新年を迎える地として有名な GISBORNE という土地で、行きは飛行機でオークランド空港から 1 時間ほどだったようだが、帰りは友達が買った車でオークランドまで来るとのことで、約 5 時間半の道のりだとか。

T の友達は、長い道中一人で運転して帰るのはつまらないと考えたのだろう。
仲が良く、しかも車好きの T と一緒に、きっと楽しくドライブして帰ってくるに違いない。

T は久々に飛行機での移動...
国内線なので、左右  2 列ずつしかない小型機だったが、パイロットが上手で、全然揺れなかったよと言っていた。


さて、今日の夕食は私一人だ。
何を食べよう... 





31.7.24

H がくれた大量のチーズ

 H が働く会社では、先頃行われたフード ショーで余ったチーズを大量にもらったらしく、冷蔵庫内にチーズが占める割合が多くなってしまったようで、要らないかと私にメッセージが来た。

余ったら欲しいと伝えると、その日の夕方、会社帰りに沢山のチーズを持って来てくれた。


Castello (デンマーク)の物は美味しく、そして高価だ。半円状の物で NZ$11〜12もする。
また、Hutchinsons (オーストラリア)のクリームチーズは、スーパーマーケットでNZ$5.80 ほど。

早速、Hutchinsons のトロピカル フルーツ クリーム チーズを食べてみたら、全くと言っていいほどチーズ臭くはなく、非常にクリーミーで美味しかったので、翌日から朝食プレートに数切れ乗って登場することとなった。

ほとんどデザートという位置付けだ。 



以前、足繁く通っていたイタリアン レストラン『ミラノ』では、ブルーチーズを乗せて焼いたピザがすこぶる美味しく、メニューに載っていなくなってからも、常連客の私たちにはシェフが特別に作って出してくれていた。

ブルーチーズは独特な臭みがあり、普段よく食べるというわけではないが、ピザにすると何故あんなに美味しいのだろうというくらい美味しい。

ブルーチーズをいっぱいもらったので、久々に、フラットブレッドに乗せて焼いてみたくなった。




23.7.24

おまけ付き虹




今朝、キッチンでコーヒーを淹れながらふと外を見ると、珍しい虹が掛かっていた。
こんなのを見たのは生まれて初めてだったが、よくある事なのだろうか?



17.7.24

縁起だとか御利益だとか

特別『現実主義』というわけでもないのだが、仏教だとか、神社仏閣だとかとは無縁の生活を送ってきた私は、これまでの長い人生で、縁起を担いで何かを買うとか、お詣りに行くとかいうことは一切無かった。

日本で行われる各種行事のほとんどは、私にとって何の興味もなければ、信じてもいなかったものばかりで、信じてもいないし関わりたくもないことに強制的に参加させられるのは、苦痛そのものでしかないということを、悲しいかな周囲の人々は考えることすらしなかったように見えた。

こちらでも、クリスマス時期に買い物に出掛けると、決まって聞かれる「クリスマス プレゼントショッピングなの?」という問いに、しっかり「違うよ。私は教会のクリスチャンじゃないから」と笑顔で答える。「あぁ、アジア人だからキリスト教じゃないんだ」と納得するのは西洋人で、この家の大家さん(インディアン)に同じ返事をしたら、非常に驚かれたことがあった。
大家さん一家はヒンズー教徒のはずだが、クリスマスはこの国では祝日であるからか、他の人々と同じように祝うようで、信仰というものが結構いい加減なものになっているのだなと感じた。


さて、そんな日本の風俗/習慣に疎い私だが、先日作った麻の葉模様の偽組子の鍋敷きを販売するための説明文を書く際に、この模様が代々『縁起物』として扱われてきたことを書くべきか否かと戸惑った。

かつて、子供が生まれた際に、麻の葉模様の産着を着せていた記憶がある。御利益どうこうなど全く頭に無かったのは明白だし、自分で買った物ではなく頂き物だったのだが、そうやって自分の意思とは無関係に、"日本の伝統" を知らず知らずのうちに受け入れてしまっていたことに、違和感を感じなかったわけではない。
(それをプレゼントしてくれた側も、やはり信心深くはなく、恐らく特別深い意味など無かっただろうが...)


そんなことを考えながら、説明文に何と書こうかとしばし考え、「この模様は麻の葉を図柄化したもので、その植物の栽培は手がかからず、生命力が強いということを踏まえ、日本では昔から、衣服を含め様々な方面で『縁起の良い柄』として使われるようになったようだ」というようなことを書いておいた。

使った板は、3,500 年以上も前の、沼地に浸かったままだった木を掘り起こして出てきた『古代のカウリ』と呼ばれるもので、色も模様も様々な、貴重な物であるが、部分的に脆い箇所があり、切り口がボロッと欠けてしまう恐れがあるので、神経をすり減らしながら、切り口の角を取る作業に時間がかかった。(角を取ってしまえば、ボロボロになる心配は無くなる)

扱いに時間をかけた甲斐があって、いい感じに仕上がった。




8.7.24

物を作って売るということ

 私の身内の中で、自らの手で物を作って販売していた(いる)のは、父方の祖父と、父と、私、そして T しか思い浮かばない。

亡き叔母によると、祖父は色々な物を作って販売していたようで、自宅で作っていた柿渋は、火傷の薬として当時製薬会社が買いに来ていたとのこと。
祖父は大工でもあり、臼と杵も作って売っていたし、猟師でもあるという、誠に多芸な人であったらしいが、『器用貧乏』そのもので、財産を残すことにはてんで興味がなかったがために、その子供であった父は多大な苦労を強いられたのである。

父は祖父から「お前は仕事が丁寧過ぎて満足な日当を稼げないから、勤め人になって決まった報酬を得る方がいい」と言われ、指物師になりたいという夢を捨て、一般企業で定年になるまで働き続けた人だった。仕事が休みの時には大好きな木工をし、家にあったほとんど全ての家具を製作し、また家族を養うべく臼と杵を作って販売もしていた。
父は並外れて器用な人だったし、仕事は一寸の狂いもないほど素晴らしく正確に見えた。
父の製図した図面を見たことがあるが、方眼紙にきっちりと全ての寸法が正確に描かれていて、額に入れて飾っておきたいほど完璧なものであった。

私はというと、家具を作る際にも、手近にある紙(どこからか送られてきた封筒の裏であったりもする)に適当に出来上がり予想図を描いて、測った寸法を書き入れ、(一応計算はしっかりするのだが)それを基に作り始めてしまうという、父の血を継いでいるとは思えない大雑把さだ。( T によく笑われる)

そんな私なのだが、先日スクロールソーを使って作った "組子柄" の鍋敷きは、出来上がった後オイルコーティングをしていた時に、何だか微妙に歪(いびつ)な感じがし、サイズを測ったら案の定サイズに若干の狂い(1〜2mmほど)があって、販売するのをやめた。
機能としては問題ないので、不完全な物として 1 ドルとかで出品しようかともチラッと考えたが、これを(たった 1 ドルででも)売ったら自分の手仕事に汚点が残る。

世に出すものは自信を持てる物のみ。

もちろん 0.1mm も差がないという完璧なものは作れはしないが、次には殆ど狂いのない物を作ることができるよう、時間をかけて細かい製図をし直したところである。


ちなみに、T も作ったものを販売することがあるが、私に輪を掛けた大雑把さで、おそらく T の父親と祖母の血が色濃く出たのだろうと想像している。




4.7.24

孤独を感じたことがある?

 私が最も孤独を感じたのは小学生の時だ。いや、「孤独を感じたのは小学生の時だけだった」と言うべきかも知れない。

田舎の極々小さな小学校では、同じ保育園からの入学者がほとんどで、学区の境目に住んでいた私は、田舎の方の保育園には入れられず、距離的に近い街中の幼稚園に入れられたがために、その田舎の小学校では完全に『よそ者』扱いで、それ故のいじめが小学校生活全般を通して行われたのだ。

陰湿ないじめに遭った小学生はどんな行動に出るか...
当然のことながら精神的に参ってしまい、体調もすぐれなくなる。学校に行くことが耐えられず、病欠すること数知れず...
親に窮状を訴えても、親は親で忙しいため、親身になって相談に乗ってはくれなかった。
加えて、恐らくいじめられた経験の無いだろう教師は、何の助けも差し伸べようとはしなかった。

こんな世界で生きていたくない。大人になったとしても、この日本という国の体質は変わらず、理不尽な世の中のままに違いない。私は中学に入る前に命を失うだろうという思いが、ずっと頭の中にあった。

しかし、予想とは打って変わって、マンモス校と言っても過言ではなかった中学に入学すると、それまで受けていたいじめは一気に無くなり、私は自由の身になった。

そこには周辺の、多くの地域の小学校から集まった生徒たちがいた。
私をいじめて楽しんでいた "井の中の蛙" たちは、いじめる以外に特別才能はなかったようで、すっかり存在感を失い、"表舞台" には登場しなくなっていた。

中学、高校と、身の危険に晒されない環境で過ごせたおかげで、私の暗く、辛い人生は終わった。特に高校時代は良い担任とクラスメイトに恵まれ、学校に行くのがすこぶる楽しかった。

だが時が経ち、結婚し、連れ合いの仕事の関係から、今度は違った市のど田舎に引っ越すと、またもや陰湿ないじめをして喜ぶ輩が少なからずいた。
そこでもやはり私たち家族は 『よそ者』で、理不尽な扱いを当然のこととして強いられた。

連れ合いは臨機応変な人で、全てを笑って済ませていたが、私はどうにも納得できず、非常に居心地の悪い思いをし続けていた。

ゴミ出し一つ取っても、連れ合いが出しに行った日には、「あの家はゴミ出しを旦那さんにやらせているんだよ。いい気なもんだね。」と陰口を叩かれる始末... 
誰に迷惑をかけているわけでもないことを、他に楽しみが無いと見えて、大袈裟に騒ぎ立てる。しかもご丁寧に、ありもしないことを想像だけで尾鰭をつけるという悪質さをもってだ。

小学校の時も、またそのど田舎の年取ったいじめっ子に遭遇してしまった時にも、周囲の人々は火の粉が自分に降りかかるのを恐れて、いじめる側に小判鮫の如くくっついていた。日本では有る有るの光景だ。


いじめる以外に何の取り柄も無いに違いない、"悪意の塊" にしか見えない人々は、狭い狭い『井の中』でだけ大腕を振って暮らせるのだ。
そんな『井の中』に一緒に居続ける必要など全く無い。探せば他に居心地の良い場所はいくらでもあるだろう。だが、日本以外でだ。
彼の人(連れ合い)が突然この世から消えてしまった後は、もう日本になど未練は無かった。


他人をいじめて喜ぶ輩と、その小判鮫...  私はどちらに対しても嫌悪感を抱いてしまう。
善悪の判断をすることなく、自分の利益だけしか考えていない小判鮫どもは、いつその "特技" を身につけたのだろうか?小学校に上がって早々からその特技を発揮できるということは、幼稚園/保育園で習得する技のように思えて仕方がない。

とある YouTube チャンネルで、海外に住みながら日本人コミュニティに在籍している人々の "付き合い" がどのようなものかを垣間見た時、吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われ、最後まで観ることなく消してしまった。
何かを行う際、"ボランティア" だと銘打っておきながら、実際は強制以外の何物でもなく、どんな理由があるにせよ、他の人たちと同じように行動しなかった人を排除あるいは陰険ないじめで対処するようになる。
海外で海難事故のため行方不明となってしまった夫の捜索から帰って間もない妻に、「あなたは今週廃品回収の当番だからね」と、平気で言ってこれる、血も涙も、想像力のかけらも無い輩と同じように、私には見えて仕方がない。しかも、その輩は、行方不明の状態と死亡との区別さえもできなかったと見え、「あの人は死亡保険金がガッポリ入ってウハウハだね」と、ニヤニヤしながら他の村人たちに吹聴して回っていたりして、自身の愚かさに拍車をかけていたことを知った時には、呆れてものが言えなかった。


正義感が育ち難い国。
私は多くの経験を通して、日本をそのような国だと認識するに至った。

土居健郎の『「甘え」の構造』という本を読めば、日本で生活する上で必要な "技" を理解することができるだろう。
しかし、理解はしても、習得することが性格的にできない人々は、たとえ歳をとったとしても、日本で生活する道を選びはしないだろうと思った。




2.7.24

Hobson Bay Walkway その2


このエリアはこれまで数えきれないほど訪れているのだが、遊歩道を歩くのは初めてだった。


画面中央の木が生い茂っている部分には、かつて家が建っていた。だが、昨年 1 月末にオークランドを襲った大洪水によって家の背面が崩れ、家に流れ込んだ土砂によって家が倒壊。悲惨なことに、家の住人 1 人が犠牲になるという、居た堪れない事故が起きてしまった場所である。
よく見ると、崖の上の住宅の一部はいまだ崩れたままで、これでは大雨が降る度に上に住む人も、また下に住む人も、生きた心地がしないだろう。

T とそんな話をしながら、極めて人通りの少ない遊歩道を先に進むと、いつも通る道路側からは想像もできなかった木のトンネルがあった。


そして、トンネルを抜けると、景色を眺めるために設置されたのだろうと思われるベンチがあったが、そこから見えるのは、生い茂り過ぎたマングローブの海...


全く綺麗ではないマングローブにガッカリしながら足を先に進めると、綺麗な形をした大木を発見。


『水質が安全ではないため遊泳禁止』と書かれた入江に入ることができる階段が設置されていたが、ここも近い内にマングローブに埋め尽くされてしまうかもしれない。


マングローブが無かったら綺麗だっただろうと思われる景色が続く。





画面上の橋の左側は、画面下のようになっていて、その奥には Holy Trinity Cathedoral に続く坂道がある。その道の裏側がこんなふうになっていることなど想像だにしていなかった私たちには新鮮な驚きだった。


入江に沿って設けられた遊歩道を歩いていくと、いきなりビーチに出た。



遊歩道を検索した際、地図上で点線になっていた部分がこれだったんだと納得。


「これって歩いて行けるようになっているの?」と、少々戸惑いながら、しっかり並んでないブロックを恐る恐る踏んで、グラつかないかを確かめながら進んで行くと...

行く手を阻むほぼ水平に伸びているかのような木...


無理して屈んで通ったら腰を痛めるかもしれない、しかも、その先がどうなっているのかわからないしと、この先に行くのは断念し、来た道を帰ることにした。





出発地点のだだっ広いラグビー フィールドは綺麗に整備されていた。

ずっと以前だが、ここで NZ ラグビー界では最も有名な選手の一人である D.C がよく練習をしていたようで、自己トレーニングの後、その公園に来ている寿司トラックで寿司を買って帰ったことが度々あったと聞いたことがある。



見慣れた景色の向こう側に広がる世界は、ちょっと面白かった。




27.6.24

骨粗鬆症

 つい最近まで、2 歳上の姉が骨粗鬆症で治療中だとは知らなかった。

コロナの前だったようだが、ひどい咳が続いていた時、いつの間にか胸椎が 2 箇所潰れていて、想像を絶する痛さだったとのこと。病院に行くと、骨粗鬆症による胸椎圧迫骨折と診断され、その時から骨粗鬆症の治療が始まったらしい。

姉から言われるまでは考えたこともなかったが、その痛みを想像しただけで恐ろしく、他人事ではないなと、骨粗鬆症を予防する方法を調べ始めると、ビタミン D やカルシウムを多く含む食品を食べるよう心がけ、日光浴を習慣化するようにすること。また適度な運動を週 3 回は行うようにと、ほとんどのウェブサイトに書かれていた。

私と違って活動的な姉は、旅行に出かけるのも好きで、山歩きにも良く出かけていた。また、食料品の買い出しにも週何回も行くという生活をずっと送り続けていたのに、骨粗鬆症とは...
それじゃ、私なんかは更にマズい状態ということになる。

歳をとるというのは誠に厄介なことだと、強烈に思い知らされている今日この頃である。




22.6.24

Kauri Glen Reserve

 最近、心を入れ替えて、健康のために(特に足腰が衰えないように)歩きに行くようになった。

歩き過ぎは禁物だが、適度に歩くことはした方がいいだろうと、オークランド市内の遊歩道を検索して、行ったことのない場所に行ってみると、これがけっこうな運動になり、昼間日光浴をした赤ちゃんのように、夜頻繁にトイレに行くこともなく、ぐっすり眠れるようになった。

車で 20 分足らずの所に Kauri Glen Reserve という、現在伐採が禁じられ手厚く保護されている、 NZ を代表するカウリの木が多く見られる遊歩道があるというので、T に連れられて行ってみた。





カウリの木がある場所には、外から菌を持ち込まないよう、靴底の泥を払い、消毒するゲートが付いているので、そこで入念に靴底をブラッシング+消毒...



綺麗に整備された遊歩道は歩き易く、街中なのに森に来てしまったかのような、静けさが漂う場所を、T とゆっくり歩いて回った。


少し歩くと橋がかかっていた。


橋は結構な高さがあり、その下には密林のような風景が広がっていて、小川のせせらぎが聞こえてきた。




奥に行くとけっこう急な階段があり、小川の際に行けるようになっていた。
この階段、一段が一歩半ほどの奥行きがあり、テンポ良く登り降りできない。あえてこのような作りにしたのだろうか? 西洋人並の足の長さの T でさえ中途半端な奥行きだと言っていたので、西洋人向けに作られているわけではなさそうだ。


カウリの木はこのように木肌が鱗状になるらしい。


湿って滑り易くなる可能性がある場所には滑り止めが施してある。
これはどこの遊歩道でも同じだ。


木はさほど太くはなかったが、背が高く、真っ直ぐ上に向かって伸びている。


すれ違う人々と軽く挨拶をし、散歩している犬を撫でなどしながら小一時間ほど歩いただろうか、適度に汗をかき、最後に "Koru" を見つけてこの日の散歩はお終い。


気持ちの良い散歩コースだった。






20.6.24

ストレスフルなオンライン注文

問題なのは配送業者だ。

同じ市内のスパイス ショップにオンラインで注文を入れ、翌日配達との知らせを受けたが、一向に来ず...

トラッキング ナンバーで追跡すると、受取人が閉まっていて配達できなかったと書かれていてビックリ。

『我が家には施錠されたゲートは無いし、私は家にずっと居て荷物を待っていたというのに、"閉まっていた" ってどういうこと? 家には何台かセキュリティ カメラがあるので、調べてみたが、配達人は誰一人我が家に来ていなかった。
一日中待たされて、こんな訳のわからない理由で配達されなかったこともストレスだし、配達員のミスか何かのために、こうやって配達のリクエストを email しなくちゃならないのも非常に不快だ。早急に荷物を届けるようお願いする。』

と、カスタマー サービスに勿論英語で苦情を書いて送ったところ、数十分してお詫びの返事が届いた。だが、いつ配達してくれるのかを尋ねると、残念ながらそれはわからないと...
その運送会社 Post Haste は、カスタマー サービスには何の権限もなく、的確に苦情を処理することはできそうもないことを悟った。

スパイス ショップが出荷してから 3 日目にようやく荷物が配達された。
受取人のサインが必要となっていたが、サインは求められず、名前を確認しただけで笑顔で去っていったドライバーは、見るからに適当な仕事をしそうな人だった。

まぁ、無事に届いたからいいか... と、あえてドライバーに問い正すことはしなかった。

この国に住むこと 21 年。
適度にいい加減さを受け入れるようになったというか、正義の旗を振り翳して争うことが面倒臭くなったというか...

まぁ、そういったところだ。







17.6.24

WAHL ヘアー クリッパー

肉はオンラインで肉屋に、野菜はオンラインで八百屋に注文するようになった昨今、出かけるのは、スーパーマーケットでコーヒーの粉が安売りになった時と、出品している商品が売れた時(郵便局に 出しに行く)、あとは数ヶ月に一回の割でコスコに買い物に行く時ぐらいなものだ。

歩いて 10 分もかからない場所にある美容院に行くのも、もう面倒臭い。

コロナでロックダウンの際には、YouTube で美容師のセルフカットの動画を観て、見様見真似で自分で切っていたが、T や H からも「普通じゃん」と言われるくらいにはなっていて、尚且つ髪を切るのが結構面白かったことを思い出し、もう歳も歳だし、綺麗に着飾って出かける機会も無いんだから普通に見えればいいやと、本腰を入れて髪のカットの仕方を YouTube で勉強している真っ最中である。
自宅でできれば、長くなり過ぎて鬱陶しいと感じる前にいつでもカットできる。

ついでに、自分の髪を切るだけでなく、同居人 T の髪も切れるかも知れないと、メンズ ヘアー カットの動画をいくつか見たら、こちらの方が面白そうで、ついついヘアー クリッパー(バリカン)が欲しくなってしまい注文...  まだまだ物欲は無くなっていない。

何人かの、非常に丁寧に説明してくれているバーバーの動画を見て、使っているクリッパーのメーカーを調べ、NZ 国内で売っているかどうかを探したが、どれも NZ$240 を裕に超える(日本円にして ¥25,000 以上の)ものばかり... 近場ではアマゾン AU で買うのが最も安かったが、送料無料でも税金はかかり、やはり $200 越え。
仕方なく、本当に届くかどうかも、本物かどうかさえも定かでない、中国の大手通販サイト A に注文することとなった。送料は無料。税金は ¥888 もかかったが、それでも日本円にして総額 ¥6,808という安さだ。本物だとうたっているのだから、万が一紛いものが届いたら、当然のことながら苦情申し立てをして、損失は出ないはず...
販売者が注文が入って直ぐに発送してくれたのにも関わらず、荷物が到着した departure transport hub では 4 日間も動きがなかったが、飛行機に乗せられた荷物はその後スムーズに処理され、
そして、届いたのがこちら...


本当かどうか少々疑わしいが、ある YouTuber によると、フェイクなクリッパーは cordless という字が白で、バッテリーチャージャーの WAHL という字がコードに近い側に印刷されているということだったので、これは本物ということになるはずだが、箱の色はフェイクと言われた方で、何を信じて良いのやら... (多分、この YouTuber の情報は正確ではないように思う)
まぁ、ちゃんと動くようなので、このまま使って問題無いだろう。


道具さえ揃えばそんなに難しいことではないだろうと、少しはマシなハサミ(スキバサミも含めて)と、切った髪をキャッチし下に落ちないようになっているケープも、別の中国の通販サイトに注文し、そちらは既に届いている。

クリッパーを含めた全ての費用を合わせても、美容院代 1 回分そこそこに違いない。
手元がおぼつかなくなる歳まで T と自分のヘアー カットができれば御の字だ。


通販サイトでは購入しなかった後頭部を映すための鏡は、Kmart で適度なサイズ且つ $10 以下の安い物を見つけた。
オークランド市内の全ての店舗に在庫が無く、クリック&コレクトの選択肢しかなかったので、実物を見ないで注文せざるを得なかったが、品質の評価は概ね良く、ウニョウニョもしておらず、多分自分で作るよりも安く上がった。
わざわざショッピング センター内の Kmart まで出向いたのに、他に買う物もなく、鏡だけピックアップしてお終い。最近リテイル ショップで買うことが本当に少なくなった。

さて、待ちに待ったヘア カットをする時が来た。
まずは、最も失敗が少なく済むだろうミディアム ロングあたりで試してみるとしよう。




16.6.24

Hobson Bay Walkway その1

T と一緒に遊歩道に歩きに行くことにし、最初に行ったのは、車で少し走った所にある Hobson Bay Walkway.

この看板のある場所はひどい急坂で、帰りはこの坂を登らなくてはならないのかと、のっけから意気消沈した。


入江の景色は綺麗で、散歩やらジョギングしている人もちらほら見えた。(写真には写ってはいないが)

 





向かって左手には美しい景色が広がり、右手には様々な種類の木が生えていた。


遊歩道を進んで行くと、右手にもマングローブが押し寄せてきてしまっているのが目に入ってきた。


初めて見たマングローブの実...


彼方此方に倒木も見られ、少々荒れた佇まいとなってしまっているのが残念だった。


先に進むに従って、辺り一面マングローブの森となってしまっていて、海面が僅かに見えるだけ... T も私も、マングローブの繁殖力の凄さに圧倒されて帰って来た。







「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...