30.10.15

"ハンディー ウーマン"

昨日、以前、私のスタジオで働いてくれていた女性から電話があった。
食料品の買い物に出掛けるけれども、一緒に行かないかという誘いだった。

電話を受けた時、外でペイント作業をしていた私は、急いで身支度を整え、まだ乾いていないペイントに触れないよう慎重に作品を移動させ、アトリエの鍵を閉めて出掛けた。

彼女は1年半前に連れ合いを亡くし、一人娘が日中学校に行っていて居ない間、一人で居るのが寂しくてたまらなくなるようで、一緒にランチを取っている間も、買い物をしている間も、ずっと喋り続けていた。

喋り続けること約5時間… 

彼女が最近 USAのオンラインショップから購入したという水着の話から、彼女の信仰する仏教の話、娘の話、借家の話、友達の話… 絶え間なく話し続ける彼女を見ていて、あぁ、この人は一人では居られない人なんだなと思った。

彼女の購入した水着は縫製がひどくお粗末で、脇の縫い目が  10cm 近く開いており、何でこんな風になっているんだろうと見てみると、その部分だけ縫い代がかがり縫いから完全に外れていた。


ミシンで縫っていてそれに気付かないわけがないと私は思うのだが、縫子はどこを見て仕事をしていたのだろうか… 
しかも、縫い上がった物が消費者の手元に届くまでには少なからず何人かの手を経て、何人かの目にも触れているだろうに、誰もそれに気付かなかったのだろうか…

失敗した部分をほどいて縫い直すのは手間がかかるから、気付いていてもそのままにしたとしか思えないような、そんな製品を見ていると、「全く、消費者をバカにしているよな…」としか思えなくなって来る。
それを買った人のことなど微塵も考えてはいない。

もちろん、クレームすれば新しい物と交換してくれるだろうが(当然そうしなければならないのだが)、彼女は送料を節約する為にアメリカに住んでいる友達に受け取りと転送を頼んでいたため、時間も手間もかかってしまい、また友達の手を煩わせた上に、二重に送料を負担しなければならないということもあって、クレームできずに泣き寝入り…

どんな粗悪な物でも、とにかく売ってしまって、クレームが来たら交換すればいいだけのことだというのが、大方の大量生産品の製造及び販売業者のポリシーだ。検品などする気は毛頭無い。

タグに印字されている言語を見れば、この企業の商品が様々な国で販売されていることがよくわかるが、製造された国内だけで売られているならまだしも、世界中の多くの国に『お粗末な Made in ×××××』をこのように知らしめることによって、元々は素晴らしい技術を持った国が『粗悪品製造大国』という汚名を着せられてしまっていることに対して、それに関わる人々が何ら対策を講じていないことにも驚くばかりである。



そんな水着の直しを頼まれ、更にはキッチンに簡単な棚が欲しいというので、ちょうどいい寸法の物を作ってあげるよと約束して別れた。

私は何でも屋だ。
でも、どんなことをするにしても、こんなみっともない仕事はしない。


28.10.15

無用の長物

YouTube で木工のビデオをよく見るのだが、少し前からあるCNCマシンを売るメーカーが、人気のあるチャンネルをターゲットにして、機械を使ったビデオを公開することを条件にお高い機械を無料で提供するという、"いかにも"な販売戦略を立てているのをよく目にするようになった。

雲の上のお師匠さんはもちろんそんなのに飛びついたりしない人だという揺るぎない確信があるが、電動工具類で木工をしている人はもとより、これまでハンドツールを器用に使いこなし、きれいな仕事をしていた人までもが、CNCマシンでチープにしか見えない物を作るようになってしまっているのを見ると、あぁ、この人も"欲"に勝てなかったんだな… とついつい思ってしまう。

そのような人の中には、己の欲との葛藤が見て取れる人もいて、いわゆる金銭至上主義に必死で抵抗しようとしているのが垣間見えたりすることがある。そのような人を見ると、「負けるな!」とついつい心の中でつぶやいてしまうが、「負けない」でいられるには相当な確信と覚悟が必要で、この物質主義の世にあって、それらは容易に身につけられるものではないことを私はよく知っている。


つい最近、夕食時に、私がここで触れているメーカーのCNCマシンについて同居人が話し出した。同居人は特に木工に興味があるというわけではないのに、そういう人にまでそのメーカーのマシンは広まっているんだと、ちょっと驚いた。
私の同居人は今流行のドローンを逸早く購入し、細かい部品を組み立てて行くのを楽しみ、更にはコンピューターでプログラムして飛ばすまでの工程を毎週末集中してやっていたような人なので、結構時間がかかるだろうCNCマシンの組み立ては面白そうだなと言っていた。ただし、それで特別何かを作りたいかというと、別に作る物には興味が無いようで、最初のうちは機械を上手くコントロールしたいが為に色々作ってみるだろうけれども、その内に飽きてしまって粗大ゴミ化するに違いないことを、使う前からよくわかっている。

要するに、それがあれば助かるなと思いつつも手が出せず、仕方なく効率の悪い方法を取らざるを得ないことにかなりなストレスを感じていたという場合を除いては、所詮それらは無用の長物なのである。

大量生産品と何ら変わりの無い物を、一個人が作る意味があるのか? 『この世』に馴染んでいない私にはわからない。

一個人が高額な機械を揃えて、時間をかけてプログラムして、同じ物を絶え間なく作り続けたところで、コスト面で大量生産品に勝てようはずも無いのはわかりきったことだ。
なぜなら、製作にかかる材料費がまず桁違いに違うからだ。
一個人がどう頑張ったって、大規模工場が仕入れる価格で材料を仕入れられるわけがない。しかも、大量生産品を売って財産を築く人というのは、著作権など何のそので、売れそうだとなれば、コピーであろうが何であろうがおかまい無しに作って売ってしまうという芸当ができる。責任感など無いに等しい。

それでも生活できるだけの収入が得られる見込みがあると判断できれば、取りあえずやってみるという人も多くいるに違いない。

それで一儲けしようという野望のある人、特に、自分の手で作り出すということに別段こだわりが無く、とにかく少しでも楽をして金儲けをしようと考える輩には、その取っ掛かりとして、この機械は魅力的に映るかも知れない。ゆくゆくは徐々に機械の数を増やし、職人ではなくオペレーターをできるだけ安価に雇い、同じ物を大量に作らせ、大規模工場は無理でも、中小規模工場くらいは持つようになる可能性がゼロだとは誰も言えないのだから… 上手くいけばの話だが。
だが、一つ忘れてはいけないのは、上記のCNCマシンメーカーは、YouTubeで既に人気を得ている人々に自社製品を散蒔き、多くの顧客をゲットしようと画策しているということ。
すなわち、自分がそのマシンをゲットしたとしても、それを使って物作りをする人が他に山ほど居るということである。
今度はその中で生き残れるかどうかの戦いとなる。ある人はフリーのパターンを使って大量生産に励み、ある人は自分のデザインしたデジタルパターンを売るようになり、またある人は、それを使ってYouTubeでお金を稼ぐことを考えるようになる… そういう世の中になってしまっているのだ。

では、商売のためではなく、単なる個人の楽しみのためにだったら?
私は個人の楽しみに関してどうこういうつもりは毛頭無い。誰がどんなものを作って楽しもうが、その人の自由だ。


クラフト マーケットで、同じ物を大量に作って売っている人をよく見る。
同じように作ったつもりでも簿妙に違ってしまう正真正銘の "手作り品" には味があるが、コンピューター制御のマシンで作られた物は皆同じ。正真正銘の手作り品のような "味" を出せないと、以前CNCを使って仕事をしている人が私に言った。

確かに綺麗にできてはいるが、ただ単に綺麗なだけで、そこに深みを感じることはない。
だが、そこまでじっくり見てそれを感じる人がどれほど居るのだろうか?
この世の中はそのような味気ないもので溢れかえっていて、その中で育った人は大量生産品に何の違和感も感じていない。大量生産されたものを、ただ "ブランド名" の好みだけで選別しているに過ぎないのだ。そして、そのような物しか見ていない人にとっては、手作り品も何ら変わりの無い物でしかなく、そこに何の価値も見出すことはないのではないか… 以前、クラフトマーケットに出店していた時に、通り過ぎる人々を見てそう思ったことがある。


この間、久しぶりにアトリエに来客があった。
彼女はここでできた知り合いの中で最も信頼の於ける人で、くだらない世間話に花を咲かせる必要も無く、また、上辺だけ取り繕った話などしたこともなく、約4時間、お互いにずっと喋り続けていた。

彼女は切れの悪くなった包丁を数本持参し、私は研ぎ方を教えながら研ぎ、研いでいる間に刃物の良し悪しが如実にわかる実演もしたりした。

鉋がけなどしたことの無い彼女に、幾つかの鉋を使って板を削ってみてもらった。
彼女の目の前ででシャープに研いだばかりの品質の悪いブレードと、使ってからまだ研ぎ直していなかったかなりマシなブレードで同じ板を削ってもらうと、彼女はすぐに切れ味の違いを感じ取り、「わっ、全然違う!こんなにも違うものなんですね!」と非常に驚いていた。

また、私がスタンレーの鉋で削った板と、父から譲り受けた日本の鉋で削った板を見せると、私が説明を始める前に、彼女は表面の光沢がまるで違うことを指摘した。
光沢が違えば、もちろん表面の感触も違うわけで、その時初めて、彼女は日本の手打ちの刃物の良さを知ったかのように見えた。そして言った。「まだこういう手仕事をする人って居るんですかね?」と。

まだ居るとは思うけれども、数は少ないだろうし、もう既に高齢になっているだろうし、例え弟子を取ったとしても、その仕事で生活していけるだけの十分な収入を弟子たちが得られる保障など全く無いことを、親方として不憫に思ってしまうかも知れない。実際、長年その専門職に携わってきた達人の親方たちでさえ、ほとんどが満足に生活できる収入など得られない状態だろうと思うよと、私は話した。

この世は金銭至上主義の人々が生産し続けている "上等で無い物" で溢れかえり、職人魂を持った人々は "金銭的に負けて" 外に追いやられる結果となってしまった。
一旦このような状態になってしまったら、例え一部の人が懸命に復古を提唱したとしても、もう昔の状態に戻ることなど不可能だろう。

そんな、根っからの職人には夢も希望も無いような話をしていた私達だが、私達は職人を哀れんではいなかった。
彼女は『このサタンの(支配下にある)世』が、間もなく終わりを告げ、『この世』が過ぎ去ったら、次には神の支配による楽園でのストレスフリーな生活が待っていることを信じて疑わず、私は、………

何と書いたらよいのか、言葉が見つからない…
いつか、言葉が見つかったら、またこの続きを書くとしよう。


『こんな世の中、早く終わるといいですね』
信仰心の厚い彼女との会話は、その言葉で締め括られた。

The world is passing away and so is its desire, but the one who does the will of God remains forever.
- 1 John 2:17



27.10.15

夢をつむぐ人々 (67)科学の知恵で鉄を打つ 刃物鍛冶職人



なんて素晴らしい職人魂だろう。
威張ったところなど一つも無く、人柄の良さもしっかり伝わって来た。

日本の交換式 使い捨てノコ歯の生産者及び販売者に、この人の爪の垢を煎じて飲ませたいほどだ。

良い道具は50年使い続けてもまだ使えるものなんだよ。
切れなくなったら新しいのに交換してください(新しいのを買ってください)などという恥ずかしい商売をしている日本のノコギリメーカーに、職人としてのプライドなど無いと、私は改めてそう思った。


職人として恥ずかしい仕事などできないというプライドを持った人が、このようにして世に知られるようになってきたことを、私は心から嬉しく思った。


25.10.15

フォトジェニックな車

同居人Hがずっと欲しかった車を手に入れた。
欲しかったと言っても、これまで一度も乗ったことはなく、性能云々も全く知らず、ただデザインだけで選んだこの車を、インターネット オークションで、実物を見ないで落札してしまった同居人… 少々離れた地域に住む人が出品していたため、見に行ってから決めるのはお金も時間もかかり、どうしようかとずっと悩み続けていたのだが、私はその車のナンバー プレートの文字と番号を聞いた瞬間から、その車は同居人のものになるだろうという確信のようなものがあった。

同居人が落札したのは、フォード エスコート1975年式。


この車、40年も前に作られたのに依然として人気があるようで、今でも結構な値段で売られているのだそうだ。

さすがに40年ものだけあって、所々錆は出ているものの、そんなに深く浸食されている部分も無く、古い割にはおどろくほど状態が良かった。
だが、それ以上に驚いたのが、構造上の特色。
この車、超面白い。

ポートから車を引き取って来る際、まだ本免許を取っていないHに変わって運転してきた同居人Tは、乗ってエンジンをかけた瞬間にウィンドー ウォッシャー液が出て、ワイパーが動き始めたのに仰天し、「何で????」「もしかして壊れてる??」と焦ったらしいのだが、走っているうちに、どこでそのスイッチが入っているのかがわかって大笑いしたらしい。


オートマチック車には一般的に左足を置いておく『フットレスト』というものが付いているという認識しか私達にはなかったが、この車のその位置には丸い物が付いていて、それを踏むと、ウィンドー ウォッシャー液が出て、ワイパーが動き出す仕組みになっていた。
足でウィンドー ウォッシャー液を出すなんて、歳食った私でさえ見たこともなければ、考えてみたこともなかった。



また、ハンドルの中央に警告音を鳴らすボタンがない。
「警告音を鳴らす機能が無くても一般道を走れるの???」と????だらけで説明書を読んだHは、読んでもよくわからず、図のインジケーター ストークの所にホーンの表示があるだけだというので、「押してみたら?」とテキトウに言ってみたら、大当たり! でも、さすがに、インジケーター ストーク自体が奥に押されて入り音を出すとは誰も思っていなかった。

また、ボンネットを開けるレバーも探し回った挙げ句、座ったままでは手が届かないだろうと思えるほど奥まった所に付いているのを発見したり、シートベルトはまるで飛行機の座席のシートベルトのような構造で、一旦締めると身動きが取り辛くなって、これまた笑えるネタとなった。

想像し得なかったことの連続で、ずっと笑いっ放し。こんなに面白い車を見たのは初めてだ。

今日はみっちり半日かけて錆び落としをしたり、中をきれいに拭いたり、同居人Tはドアロックを自動ロックシステムに変える作業をしていたりと、全員が楽しみながら作業をした。

良い子たちだなと、つくづく思った。
そして、写真写りのすこぶる良いこの車は、この子達が丁寧に手入れをし、これからもっともっと綺麗な車になって行くことだろう。


裏庭のリンゴの木には花が咲き出した。
また、レモネードの木にも一つだけ花が咲いているのを今日発見した。

NZは明日月曜日はレイバー デイ(勤労感謝の日)で休み。
明日もゆっくり寝ていられて嬉しい。










23.10.15

押して切る日本のノコギリ


今日の日中の気温は20℃にもなり、本格的な夏の訪れを感じた日となった。
庭のリンゴの木には、きれいな濃いピンク色の花の蕾が付き始めていた。


アトリエでは、安く売ることのできる商品作りが幾つか同時進行しているのだが、それらのペイントを乾かしている間に、ちょうど1年前にインターネット オークションで買った(安っぽいプラスチックのハンドルの付いた)日本のノコギリを、しまってあった棚から引っ張り出してきて、ハンドル作りを始めた。


見るからに、いかにも安っぽいハンドル。(実際安かった。ノコギリNZ$4.00(約¥330)、送料NZ$9.50(¥780強)。

これを取り払い、持っている西洋のノコギリのハンドルの型を真似て、自分の手にフィットするように変更を加え、パターンを作ってから、スクロールソーでまず型通りに切った。


スクロールソーで切り出しただけでは持ち難いので、自分の手に合うように丸みを付けて行く。小刀で削ったり、ヤスリをかけたり、スクレイパーで削ったりした後は、削り跡を消す為にサンドペーパーをかけ、時間をかけてきれいなカーブを作って行った。


留め金を差し込む穴は、取り外した安っぽいハンドルに付いていた穴を参考にして、穴の大きさと形が同じようになるように作った。これは、ハンドルに丸みを付ける前に済ませておいた。

これにステインで色を付け、拭き取り、乾かし、二度塗りした後シェラックを重ね塗りし、更に乾かし、最後に0000番のスチールウールで磨いてビーズワックスで仕上げた。



全くガタツキのないハンドルを付けた、この日本製のノコギリは、何故か押して切るノコギリだった。


19.10.15

錆び落とし - 続き


バレンシア オレンジの絞り汁が黒くなっていたので、もう浸けるのを止め、取り出してみた。
水洗いしただけのヤスリは余計に薄汚くなってしまったように見えてギョッとしたが、これをスチールブラシで磨いてみると… 



錆が簡単に落ち、ここまできれいになった。


水分はしっかり拭き取り、天日乾燥させておいたが、オイルでコートしておいた方がいいのかな?
試しに数日このまま置いて、様子を見てみよう。


18.10.15

今日の裏庭と錆び落とし


小さかったレモンの木が今年はぐんと大きくなり、レモンも幾つか良い色になってきている。

梅の実は若干落ちはしたものの、まだまだ沢山ついていて、この分だと梅酒+梅干しができるかも知れないと期待が膨らんできた。




↓ こちらはバレンシア オレンジ。


毎年沢山の実をつけるが、酸っぱくて食べられない。おまけに渋いので、搾ってジュースにしても美味しくない。
ここに来てから日本のように湯船に浸かる習慣が無くなったため、お風呂に入れることもできず、もったいないなと思いながらも処分するしかなかったのだが、今日鉄製品の錆落としにはビネガーが効くという話から、レモンでもいけるという話になり、それだったらバレンシア オレンジも使えるかも?と、20個近く採ってきて、せっせと年代物のハンド ジューサーで搾り、中古で買った時から錆びていたヤスリを浸けておくことにした。



ヤスリはけっこうな長さがあり、しっかり入り切る容器が無かったので、ジップロックにオレンジの絞り汁とヤスリを入れて置いておいた。

就けてから約3時間後…
オレンジの絞り汁は錆色になってきたが、果たして錆はしっかり落ちているのだろうか?

明日までそのまま浸けておいて大丈夫かな…









ジュエリー考

ここ数年ほとんど身に着けなくなったジュエリーが、タンスの中に眠ったまま忘れ去られていた。

あぁ、これは彼の人からのプレゼントだったな… とか、
あぁ、これはあそこで買ったものだ… とか、
おぉ、こんなのもあったな… とか、

しげしげと眺めながら、過去のことを思い出していた。

若い頃から40を越えるまで化粧気の無かった私は、ジュエリーにもまた特別な興味は無く、彼の人が全く裕福ではなかった若い頃にプレゼントしてくれたオニキスのペンダントとか、海外旅行した際のお土産とかでプレゼントされた幾つかの物を除いては、他に何も持っておらず、彼の人が居なくなってから数年後に、あまりにも急激に老け込んでしまっていた自分に仰天して、せめて子供達のためにだけでも、明るく小綺麗な格好をしていなくては…と、"世間並み" の装いをするよう努めるようになったおかげで、小さなジュエリーボックス1個くらいに納まる程度の装飾品は家にあるようになった。

しかし、ここ最近は特に、着飾って外に出掛けることが無い。
DIY ショップとか、スーパーマーケットには行くが、ただ単に『用事を済ませる』ことだけしか頭にないので、ジュエリーの存在など全く忘れている。

当然のことながら、毎日の木工やら、ガラスの仕事にはジュエリーなど身に着ける必要などない。

そんな私が作った木製の透かし彫りのペンダントは、果たして一般女性の『美しく装いたい』という願望に火をつけることができるものなのだろうか…


使った板は高級なNZ Rimu。
ただスクロールソーでカットしたがけではなく、四隅を削り、中央に膨らみをもたせている。

世界に一つしかないはずのこのペンダント。
身に着けてくれるのは、どんな人なんだろう...








16.10.15

転機の予感

私は自分の腕前に自信が無い。
もっともっと優れた人を見続けてきたせいかも知れない。


少し前からまたインターネット オークションで作ったものを売っているのだが、今日の昼前に終了するオークションの一つに質問が来ているという通知が届いた。

実際には質問ではなかった。

「私は入札してはいないけれども、これだけは言いたいと思って… これ、すごくクールだわ。だからしかるべき金額で落札されるよう願ってるわよ。」

私は物を右から左に動かして収益を得ているわけではないので、自分が時間をかけて作った物に対して、見ず知らずの人がこうやってコメントを残してくれることを、この上なく嬉しく、また、有り難くも思う。
どれだけ高く売れたかが問題ではなく、まだまだダメだなと自分では感じている手仕事でも褒めてくれ、また励ましてくれる人がいることを知るということが何にも増して大きな収穫なのだ。


最近、私の周りに起こる様々な事柄が、これから訪れる大きな変化/転機を暗示しているように思えてならない。
良い方向に転がる保障など何も無い。だが、どうなろうと、そう成るようになっているという確信のようなものを感じるのだ。

自分の人生なのに、私はそれを操ることはできないとよく知っている。

でき得る限りの努力をし、運を天に任せて暮らすしかない。
そうするしか道は無い。






15.10.15

つがいの鳥

昨年暮れ、出店していたクラフト マーケットで、私はそれまで作り貯めてあった透かし彫りの十字架を全て無料で配った。ほとんどは買い物客にではなく、そこに出店していた人たちへの、私からのささやかなプレゼントとして…
受け取ってくれた人の中には、自分が作ったものと交換にしようよと言ってくれた人もいたのだが、私は皆がせっかく売るために作ったものを頂くのは気が引けて、丁寧に辞退した。ただ一人を除いて。

私は辞退したのだが、一人のベンダーさんは、そんなことを言わず、欲しい物を持って行ってよと、何度も言ってくれたので、それではと頂いたのは、布で作られたとても綺麗な鳥だった。
一羽頂こうと手に取って Thank you. とお礼を言うと、一羽では寂しいから二羽持って行きなさいよと、色合いを見て『つがい』になるよう選んで手渡してくれた。



彼女は同じパターンで幾つもこの鳥を作っていたが、それぞれに表情があり、とても愛らしかった。

私には一羽でよかったのに… 
見る度にそうつぶやいている自分がいる。


14.10.15

リアルなアヒルのキッチン用品は...



今朝はきゅうりの薄切り入り卵サンドに葡萄の簡単朝食。
我家では卵サンドにきゅうりは無くてはならないものになっている。

果物がある時には果物を添え、無い時にはソーセージなどを添えたりもするが、同居人は朝は軽めでいいようで、コーヒーとこの程度の量の食事で十分だと言う。

和風の朝食はもう長い間登場していないので、たまには和風もいいかも知れないな…


さて、今日も何も作る気力が出なかったが、取りあえずアトリエに降りて行き、端切れの板を使って簡単な物を作り出した。

もう長いことサブスクライブしている、スクロール ソーで物作りをしている人からのニュース レターにあった『料理中、鍋のふたをちょいと開けておくための道具』は、超簡単にできて便利かな?と思ったので、試しに作ってみたのだが、まずインストラクション通りに作ると、鍋に引っ掛ける所の幅が開き過ぎていて何だか据わりが悪かった。
引っ掛けた際に落ちることはないが、蓋を乗せていない状態だといかにも落ちそうな感じがするほど傾いてしまう。(元々は目も付いてはいなかった)



そこで、厚みが倍ほどもある板を使って、安定の良いものを作ってみたのだが…

習ったことなどないので、自己流のカービング。
スクロールソーで型を切り抜いた後、父から受け継いだ小刀で一心不乱に削り続けていたら、毎日々考え続けているある事柄がその時はすっかり消えていた。

自分がまだ自信を持ってできないことを、一生懸命に習得しようと励んでいる時が、一番楽しい時間かも知れない。


まだもう少し削った方がいいかなと思ったが、夕食の支度をしなければならない時間になったので、取りあえずこれでどんな具合か使い勝手を見てみましょうと家に持ってきた。



ゲゲ(゜_゜;)

思ったよりリアル過ぎて、蒸気の上がる鍋に引っ掛けておくのは何だか痛々しいというか、気持ち悪いというか…


やはり凹凸のない、ただスクロールソーでカットしただけの物の方が良さそうだ。



12.10.15

ステンド グラス パネルの修復


今日は、不注意で何かにぶつけてヒビが入ってしまっていた薔薇のパネルの修復を行った。
幸運にもヒビが入ったのは外側のピース1枚だけだったので、何の気負いも無く、いつものようにラジオから流れてくる話を聴きながら取りかかった。


まずは破損しているガラスの周囲のハンダを溶かして、表裏ともでき得る限りハンダが薄く付いている状態にする。もちろんフラックス(私はペースト フラックスを使っている)を塗り、熱したハンダ ゴテを使用して、付いていたハンダがポトポトと落ちるように、パネルをほぼ垂直に持って作業をする。

もうこれ以上ハンダは落とせないという状態になったら、破損したガラスを取り除く工程に入るのだが、ここで気をつけなければならないのは、絶対に無理矢理剥がそうとしないこと。
無理矢理剥がそうとすると、取り除きたいガラスに隣接しているガラスに巻いた銅のテープまで剥がれてきてしまい、悲惨な結果になるためだ。もし他のピースに巻いた銅のテープが剥がれてしまったら、そのピースまでも取り除いて銅のテープを巻き直さないとならなくなるため、私は溶かしたハンダが固まらない内に(ハンダは一瞬で固まるので、ハンダゴテで熱しながら)紙を差し込み、徐々に隙間を広げて行くという地道な方法を取っている。



ヒビの入ったガラスがきれいに取れたら、破損していない隣接部分のハンダを可能な限り取り除いておく。



そして、破損したピースの周囲の銅のテープを丁寧に取り除き、ガラスに付いている接着剤をきれいに洗い流す。


破損したピースの型を紙に写し取る。


今回は破損したピースが小さかったため、端ガラスを色別に集めておいたコンテナの中を探すと、同じガラスでちょうど良いサイズがあった。大きな板ガラスを切らずに済んで幸いだった。


切り取ったパターンを、ガラスの方向を合わせて、普通の紙用糊でガラスに張り付ける。


ガラスをカットしたことのない人は、ガラス カッターでこのパターンの通りにスコアを入れ、一度でこのパターンを切り取ろうと考えることが多いのだが、ガラスはそう上手いこと切れてはくれない。


まず、1 の矢印の方向に切り、次に 2 は矢印の方向にパターンのカーブに添ってスコアを入れ、パターンを貼付けてない所も自然なカーブを描いてスコアを入れ割り取る。小さなガラスはプライヤー(ペンチ)を使って割り取ることが多いが、私はこの 2 のカットのようなものは手で簡単に割り取ってしまう。


3 と 4 をつなげて切り取ろうとすると他の部分が割れる可能性が極めて高くなるので、スコアは分けて入れなければならない。
まず 3 を切り離し、最後に 4 を切るようにすると失敗なくカットができる。

ガラス カッターでカットし終えたものは縁がシャープな上、若干パターン通りではないため、グラインダーでパターンの通りに削り取る必要がある。(写真を撮り忘れた)

その後、ガラスに付着している(ガラス カッターで切る際に使用する)オイルや、紙を貼付けた時に使用した糊を、中性洗剤を使ってきれいに洗い流し、水分をしっかり拭き取ってから、銅のテープを周囲に巻いて行く。ヘラを使って、テープが簡単に剥がれないようピッタリとガラス面に貼り付けなければならない。(これも写真を撮り忘れた)

私はハンダの線をこんもりさせて(丸く盛り上げて)きれいな線を出しているため、修復する部分のガラスをそのまま置いてハンダ付けしようとすると、他の部分と高さが違ってしまって違和感のある仕上がりになってしまう。
簡単な解決策は、紙を何度か折り重ねて下に敷き、高さを合わせるという方法で、きちんと高さを合わせてハンダで数カ所点付けすれば、もう折り重ねた紙を敷いておく必要は無い。



ハンダ付けは片面ずつ行い、修復するガラスに貼付けた銅のテープと隣り合わせるピースの隙間にもしっかりハンダが流れ込んで固定するよう、注意を払う必要がある。
薄くハンダ付けしただけの作品と同様、ピースとピースの間にしっかりハンダが流れ込んでいない作品は壊れ易いのだ。



そのようにして両面のハンダ付けを終えた後、縁にもこんもりとハンダを盛り、接続部分を綺麗に仕上げたら、中性洗剤を使ってフラックスを丁寧に洗い流し、水分を拭き取った後ブラック パティーナで染色する。



パティーナは毒物なので、染色後すぐに水洗いすることと書いてあるが、私は水洗いだけでは何だか触りたくないので、やはりさっと水洗いした後中性洗剤でしっかり洗ってしまう。
ちなみに、水洗いだけのものと洗剤で洗ったものとの差は、私には全くわからない。


修復の終わったこのパネルの木枠を作る作業が、次に待っている。











10.10.15

YouTube で audio-only podcast(音声ブログ番組)を聴く/観る?



アップされるのをけっこう楽しみにしている YouTube チャンネル。もちろん、木工関係である。
いつもだいたい3人がテーブルを囲み、音声ブログの収録風景をビデオで流しているというもので、木工に興味のない人には全然面白くもないものだろうが、これを他のことをしながら聴いていたり、時には観ていたりするのは、毎日アトリエで流しているラジオの視聴者参加型トーク番組を聴いているよりも遥かに心地よく、特にアクの強過ぎない声の調子が非常に気持ちがいい。

今回の放送では、日本の『組子』について少々触れていた。
日本の大工道具、更には継手の卓越した技術は世界的に有名であるのは知っていたが、組子にも興味を持っている人が少なからず居ることに少々驚くと同時に、何度も出てくる自分の名前 :) を耳にして、何だか奇妙な感じがしてならなかった。



9.10.15

追い詰める人、追い詰められる人


時間がサマータイムに切り替わり、日差しがグンと暖かくなって来たため、リンゴが一気に芽吹き始めた。今年は昨年よりも芽吹くのが少々遅い気がする。


作業台の上の作業台は、改良しなければならない点が幾つかあるものの、これまでに比べたらかなり作業が楽になり、鉋がけやら溝を掘るのやらは苦もなくできるようになった。
だが、最近何も作る気が起きない…
作りたいものもない。
ただ毎日ノコギリやら鉋やら、鑿やらを使い、要らない板を使って工具を使いこなせるように練習しているだけだ。


何とかしなくては…
どうにかしなくては…
でも、この国で、一体私に何ができるというんだ…
何をどうすればいいんだ…


12月から家賃が月額3万円以上も一気に上がる。政府が家にかかる税金(言わば固定資産税)を上げたしわ寄せは、結局私達のように借家暮らしの資産もほとんどないような人に回ってくるだけで、貸家の持ち主の懐は痛まない。

変えなくたって別に生活が困るわけではない(生活に支障が出るわけではない)国旗を新しくするというキャンペーンのために、政府はこれまでに一体いくら国民から徴収した税金をつぎ込み、これからどれだけ無駄遣いをするつもりでいるのだ?
そんな無価値なものに税金を回す前に、もっと優先しなければならないことが山ほどあるだろうが。

派手なことが大好きそうな国のトップの金銭感覚は、もちろん庶民的であろうはずもなく、中国からとんでもない金額でパンダを購入しようという構想もあったらしいが、あれはどうなったんだろうか?
ハワイに公費で6.2 ミリオンの超豪邸を購入した総領事って、どんな神経をしているんだ?温水プール付きだそうだが、ハワイで温水プールは要らんだろう。空港に降り立っただけで汗が噴き出すような、じっとしていても暑い南の島だぞ… 

あぁ、こんな世の中がいつまで続くんだろう… 



7.10.15

私達の新年

奇しくも、最も悲しい記念日の昨日は母の誕生日でもあった。

母に電話をかけると、元気そうな声で、「今ちょうどメールの返事を書いて送ろうと思っていたところだったんだよ」と言っていた。
83歳になっても母は車を運転し、インターネットで料理の幅を広げ、時にはゲームもし、更にはデジカメで撮った写真をメールに貼付して送ってきてくれたりできる人なのだ。

両親揃って好奇心旺盛であれば、子供は同じように育つものなんだよなと、親のことを考えると笑えてくる。


昨日の夕食は奮発して和食のコースを食べに行ったが、少々期待外れで、生牡蠣はいつも私達が食べるものよりも生臭さがあり、メインのベニソンのお料理に至っては、獣臭が鼻について、添えられたソースが獣臭さを打ち消せず、あれは非常にガッカリな一品だった。せっかく和食を食べに行ったというのに、ベニソンのお料理には和風の要素が一つも入っておらず、せめてソースが醤油ベースだったら美味しく食べられたかも知れないというのが、私達全員の感想だった。
とても美味しいと思ったのは、数多く出てきたお料理の中でたった一つという悲しい結果…

食事に2時間半以上もかけ(かかり)、家に戻るとすでに10時近くになっていたため、今朝、同居人たちは非常に疲れた顔をして仕事に出かけて行った。


昨日はずっと祈り続けていた。
「どうか、今日、何事も起こりませんように」と。

今朝目覚めて、特別なことが何も起こらなかったことに安堵し、『その日』が無事終わったことを本当に嬉しく思った。


今日からまた、私達の新しい年が始まった。



5.10.15

17回目の記念日


このランプを製作したのはいつだっただろうか…
障子と桜をイメージしてデザインしたこのランプは、今でも私の手元に残してある。

高価なガラスは使っていないが、静かでとても清楚な印象を受けると、こちらに住んでいる日本人の知り合いはもとより、西洋人からも高評価を得たものだ。
この写真では暗くてよくわからないのだが、ランプベースは木製で、もちろん自作なのだが、今見るとやり直したくなる作りである。(いつか作り直すかもしれない)

NZは今が桜の時期。
そして、そんな桜が盛りのまっただ中に、私達の最も悲しい記念日がやってくる。

 17回目の記念日は明日…



3.10.15

Jamon Iberico


NZは先月27日から夏時間になっている。
日も延び、日差しも暖かくなってきた。
庭の梅の木にはみごとに葉が茂り、数えきれないほど沢山の実が付いているのを見て、同居人が梅酒を作れるかもと喜んでいた。


今日は久々に同居人たちと全員で買い物に出掛けた。
普段はあまり行かない "ハイソ" な人たちが好んで行くマーケットに美味しい飲み物があるから行きたいというので、そこに行くと、お目当ての飲み物は売り切れだったが、店の中をぶらついていたら、何とハモン イベリコを売っているのを見つけてしまい、100g $15 もしたのに、食べたくてついつい買ってしまった。

ついでにそこで美味しいチーズも買い、家でバゲットを焼いて乗せて食べた。




ハモン イベリコって何でこんなに美味しいんだろう。
これ食べたらほかのハモン(ハム)はもう食べられないな…


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...