27.2.16

GALATIANS 6:7 のパネル パート2


今日はまず、昨日に引き続き、ガラスをはめ込むための凹みを削り、周囲を鋸で菱形にカット。カットした部分に鉋をかけ、製図通りのサイズに揃えた。

その後デザインした麦の穂をスクロールソーで切り抜く作業に取りかかった。
ガラスをはめ込む部分を先に削り取っておいたので、削り取ったサイズよりも若干小さめに切った板を用意し、動かないようはめ込んでおく必要があった。これは、スクロールソーでカットする裏面がガサガサになったり欠けたりするのを防ぐためだ。


次にはめ込むガラスをカットしたのだが、このガラスは若干湾曲していて、せっかく平らに掘った凹みの中でカタカタと落ち着かなかった。
ガラスの厚みを削って平らに均すことはできないので、(削った部分が磨りガラスになってしまうため)仕方なく板の凹みを部分的に更に凹ませた。


研ぎ直した鑿で、薄皮を剥ぐようにして削いで行き、何度もガラスをはめて深さを確かめながら調節した後は、削いだ部分に段差ができないよう、サンドペーパーで均した。



そのようにして、ようやくガラスがピッタリと納まった。


さて、次はこのガラスを動かなくさせるための工夫と、板の周囲の加工、その後、切り抜いておいた文字の配置…


時間がかかっている割に、あまりパッとしないものになりそうな予感…


GALATIANS 6:7 のパネルを作る


このように張り合わせたのは、細工が終わった後菱形に切り落とすため、極力無駄を減らしたまでのことで、板の長さが足りなかったからではない。

張り合わせた部分のグルーが乾くのを待つ間に、スクロールソーで文字を切り抜いていた。


この板は、同居人の車のドアパネルに使った"お高い合板"で、3mm厚なのに、すこぶる丈夫。だが、スクロールソーのブレードが真新しいものでないと、歯が繊維に引っかかって裂け易くなるため、極細い真新しいブレードに替え、板の両面をマスキングテープで保護してから切り始めた。


次に、張り合わせた板の裏面になる方に、凹みを作る作業に入った。
まず、ナイフを使い、凹みの周囲にできるだけ深く切り込みを入れる。そして、シャープに研いだ鑿を使って、その内側を慎重に削って行く。


内部を削るのと、その形の周囲を鑿やナイフでシャープに整えることを繰り返し行い、ある程度の深さになったら、ハンドルーターを使って平らに均しながら掘り進めて行く。(まだ終わっていない)

この凹ませた部分にスクロールソーで模様を入れ、ガラスを入れることになっているのだが、今ひとつ頭の中で構想がまとまらず、出来上がりがどうなるか心配しつつ作業している状態である。



25.2.16

彼の人のトレーシングペーパー


私達がここに引っ越して来た時、彼の人が嘗て仕事で使っていた製図道具とともに、数種類のトレーシングペーパーも持って来ていた。

アクリル板の(ボックスの内部になる方の)一面に、その日本製の質の良い厚手のトレーシングペーパーをマスキングテープで貼付け、明るさを見て、まぁこんなものかなと、取りあえずはその状態のまま使ってみることにした。

ガラスの色合いを見るのも、図案をトレースするのも全く問題無く、これまで家の窓ガラスに貼付けてトレースしていたことを考えれば、何十倍も作業が楽になったように感じた。
A4の紙に拡大コピーしたものをつなぎ合わせるのも簡単になった。




彼の人が使っていた道具を使う時、いつも思い出すのは、我家に隣接していた彼の人の仕事場の風景だ。
彼の人は測量設計士だった。
真面目で、欲深くなく、よく働き、家族思いのいい人だった。

そんなことを思いながら作業していたら、新しく作る物のデザイン画の上に、涙がポタポタと落ち、精密に書いた線がふやけて、台無しになってしまった。

何てことだ...




24.2.16

ライトボックス作り

例によって、余った合板とMDFを使い、いつ、どんな経路で手に入ったのかもわからなくなっているほど前にもらった厚手のアクリル板と、これもいつ何の目的の為に買ったのか記憶が無くなっている吊り下げ式?のライト(片方は開けてみたものの使った覚えは無く、もう片方は未使用で、パッケージに入ったまま同居人の部屋の片隅に埋もれていたもの)を使って、かねてから欲しかったライトボックスを作った。



もし万が一、今後このライトを吊り下げて使いたくなった時のために(そんな日が来るのか?)、簡単に取り外しができるようにしておいたのだが、ライトボックスを使用しない時にはライトを外し、ボックスの中に収納しておけるというのは悪くない。邪魔なコードやら出っ張りが無ければ、片付ける際に非常に便利だ。




図柄をトレースするなんてことは、今は時代遅れかも知れない。
歳食った私でさえフォトショップとかAi を使うようになっているのだから、若い世代はわざわざ手で写し取ったりしないよな…
今の時代、ライトボックスを使う人も減っているのだろうな… などと、作りながら考えていた。


私にはライトボックスが必要になる時がある。

色ガラスを使用して物を作る時には、ランプであればライトを当てた時の光り方を見て組み合わせを考えなければならないし、窓の装飾が目的であれば、自然光に透かしてみた時の色の出具合/光り方/映り方をまず確認し、組み合わせを考えないとならない。
それらを考慮に入れずに作ってしまうと、光りが当たった時にガッカリしてしまうことになりかねない。


透明なままのアクリル板の上に色ガラスを乗せ、色の出具合を見た後、オーブンペーパーを使って、曇りガラスのようにして灯りの強さを見た。


曇りガラスにした場合、若干明るさが足りなくなってしまい、実際にランプにした時の感じがつかめなくなるかも知れない… 

サンドブラストしてアクリルを曇らせてしまうのは簡単だが、そうしてしまうと透明には戻せなくなってしまうので、明日、薄手のトレーシングペーパーを貼付けてもう一度色の出方を見てみることにしよう。



23.2.16

パンカル

最近、同居人Hは健康に気を使い始め、シュガーがいっぱいのジュース類はほとんど飲まなくなり、通販で買った自然食っぽいスナックを食べるようになった。

同居人Tと私はそんなのには全く御構い無しに、食べたいものを食べている。

私の父方の伯母の一人は、Hよりも遥かに健康に気を使い、厳選した物しか受けつけない生活をもう何十年も送り続けている。
食品に付いていえば、合成添加物の入った物は一切買わないし、出されても食べない。
長年努めたある医学博士、農学博士の研究所で、博士が界面活性剤が身体に非常に悪い影響を及ぼすことを発見すると、台所の洗剤からシャンプー、リンスに至るまで、界面活性剤の入っていない石鹸に完全に切り替え、それ以来、肌に触れる物に付いても天然素材のものを買うなど実に徹底した生活を送り、現在に至っている。


私も、所帯を持ってから20年ほどは伯母に倣った生活を心掛けていた。
自分のためではなく、病気を患っていた連合いのためにそうしたのだが、産まれた子供達にアトピー性皮膚炎が発症したことから、増々その傾向は強くなって行った。

第一子には生後2ヶ月辺りから皮膚炎が現れ始めた。当時まだアトピーというものが広く知れ渡っては居ない時代だったためか、病院に行くと強いステロイド系の塗り薬を処方され、塗れば痒みも赤みも緩和されはしたが、しばらく塗り続けていると、体温の変化によって他の部分の肌が赤くなっても、塗った部分だけが真っ白のままで、斑になっているのがはっきりとわかるようになってしまったため、これは使い続けてはいけない薬だと判断し、漢方薬に切り替えようとしたが、我が子の場合、漢方薬が身体に合っているとは思えず、途方に暮れた時期があった。

少し大きくなってから、伯母が勧めてくれたコロイド化されたカルシウム飲料水(パンカル)を飲ませるようになった。それは連合いがずっと飲み続けていたもので、体質改善に役立つはずだという開発者の助言を受け、まぁ、益にはなりはしても害にはならないだろうということで始めたことだったが、数ヶ月すると症状は改善され、皮膚は正常な状態に戻った。正常な状態に戻ったら飲むことを忘れてしまうのは世の常だが、幸いなことに、その後30年に渡り、アトピー性皮膚炎は一度も出ていない。


病院では、重度のアトピー性疾患がある場合は、喘息等の病気を併発する、または、他のアレルギーに起因する病気に移行する場合が多いと聞かされていたが、軽いアレルギー性鼻炎にはなったものの、恐れていた喘息にはならず、不味いパンカルに心から感謝したものだ。

私は企業の回し者ではないが、パンカルが喘息患者に効果があった例を実際に何件か見ている。
若かりし頃(結婚前)、総合病院に勤務していた私は、喘息で頻繁に入退院を繰り返している、幼い子供を連れていつもやつれた顔をしていた母親に、これを飲ませてみたらどうかと勧め、薬ではないので、飲ませても一向に差支えないことを確認した母親は、藁にもすがる思いで子供に与えたのだ。
退院しても、週に一度以上、昼夜問わず激しい発作で通院していた子供だが、しばらくすると全く姿を現さなくなり、次に現れたのは定期検診のための来院だった。
事務所の奥の方に居た私を呼んでくれるようにと窓口に居た職員に頼み、丁寧にお礼を言ってくれた母親は、「あなたが言っていた通り、本当に不味いけれども、発作の苦しみを味わわないでいられるんだったらと、息子は頑張って飲んだんですよ。おかげで、ここ何ヶ月も発作が出ていません。教えてくださって、本当にありがとうございました。」と、満面の笑顔で話してくれたのを、今でもはっきりと覚えている。
その後も、何度か定期検診で来院していた姿は見たが、いつの間にか病院はその子の頼みの綱ではなくなったかのように、ぱったりと姿を現さなくなった。

その母親は、やはり同じように喘息で苦しんでいた親子にこれを勧め、その子たちも同じように改善していることを聞いた。

これは医療品ではないので、実際に効果が現れているとわかっていても、効能を書いて販売することはできないことになっている。

そんな飲料水を開発した人の肉声を、今日YouTubeで見つけたので、少々聞き取り辛い録音ではあるが、ここに張っておくことにしよう。

柳澤文正 札幌公演 1
柳澤文正 札幌公演 2


21.2.16

ランタン フェスティバルとひよこ豆のサラダ、そしてスペイン

オークランドに住み着いて早13年。
これまで一度も見に行ったことの無かった、チャイニーズ ランタン フェスティバルが今年は目と鼻の先で開催されていることを知り、それではと、同居人Hと一緒に夕涼みがてら行ってみた。


だだっ広いオークランド ドメインがランタンで明るく照らし出されているのかなと、ちょっとは期待して行ったのだが、予想を遥かに下回るランタンの数と、人の多さ、また出店にできた長蛇の列、それに超手際の悪い某出店の応対などにウンザリし、もう行かなくていいかなと確認しに行ったようなものだった。



日本の祭にもたいして出掛けた覚えは無いが、それでも数少ない経験ながら、こんなに雑然とした印象は受けなかったなぁと、心底ガッカリした。

ものすごく小さなブースで、一人、書道を披露していた人がいたが、さすがに達筆で、ああいった中国古来の卓越した文化をもっと大きく取り上げたら、深みのある催しになっただろうし、何よりも、粗悪品製造大国の汚名を払拭できるようになるだろうになと、他人事ながら実に残念に思った。


家に戻り、フェスティバルに出掛ける前に圧力鍋で茹でておいた大量のひよこ豆を冷凍保存するべく小分けしたり、Hの大好きな Chickpea Salad を作ったりし、それをつまみに Hと一緒に晩酌をしながら、Hの次に行ってみたい国、スペインの動画を観て楽しんだ。



18.2.16

チープな棚の上のガラスの灯り


アトリエの模様替え真っ最中なため、作業台の上はゴチャゴチャに物が散らばっていて、出来上がった棚の写真を取る場所が無く、通路に置いておいた椅子(教室を開いていた時に使っていたもの)の上に置いて、「ここでいいや」と携帯電話で撮影してよしとした一枚。

私、棚ではなく、このステンドグラスのランプが好きだなと、改めて思った。
これを作ったのはかれこれ10年近く前。
ドーム型のランプは自分の好きな形になるよう製図をおこし、モールドを使わず、一つ一つのピースを慎重に手で組み上げて行くのだが、モールドを使わないので、各ピースのカットが正確でないと、組み上げて行く時にどんどん歪んで行き、最後のピースが入らなくなったり間が空き過ぎて組み立てられなくなる可能性が大となる。
だが、モールドを使わないということは、モールドの費用がかからないだけではなく、どんな大きさにも、どんなシェイプにも自由自在に作れるという利点があるのだ。

慎重にガラスをカットし、神経を尖らせて組み立てて行く…

ステンドグラスにしても、木工にしても、簡単にパパッとできてしまうものは楽しくない。難しいから楽しいのだ。


* こんな安上がりな棚だが、大型量販店やらで売られているような、ファイバーボードでできたような 超簡単な作りの家具 とは比較にならないほど丈夫である。


17.2.16

120 × 60 cm の合板があればできる棚



棚板もピタッと納まり、合計8カ所のダブテイル ジョイントもしっかり組み上がり、グルーを付け終わってから遅いランチを取った。


今回はバスルームで使う棚なので、一応耐水性のグルー Titebond III を使用。(直接水がかかることはまず無いだろうが、湿気が多いことを考慮して)

組み立て上がったら、ジョイント部分も含め軽く仕上げ鉋をかけ、鋭い角を全てサンドペーパーで削り落として若干丸みをもたせ、また、ざらついた表面もサンディングしておいた。



組み立ての最後は天板を付け、本日の作業はここまででお終い。

明日はペインティングだ。


dado / housing


余っていた合板を使って、バスルームに置く小さな棚を作り始めた。

板をサイズ通りに切りそろえた後は、棚板をはめ込むための溝(dado / housing)作り。
まず棚板の厚みを計り、ナイフで印を付け、鑿で削って行く。


削る深さを均一にするのには、削り取る深さを固定できるこのルーター プレーンが非常に役立つ。もしこれがなかったら、何度も何度も深さを確認しながら作業しなくてはならなくなり、何倍も時間がかかってしまうことだろう。


下の深さを計るゲージは、最近オークションで手に入れた Moore & Wright のもの。
この程度の深さだったら物差しで計ることもできるのだが、物差しの場合は一々目盛りを読まなくてはならない。
これは深さを設定しておけば、当ててみるだけで一目瞭然なので便利だ。

もっと深い mortice (ほぞ穴)などを掘る場合には、更に活躍してくれること間違いない。




14.2.16

切なる願い

お隣さんが引っ越してから数ヶ月…

次に隣りを賃貸物件として購入した人は羽振り良く、内装にも外装にも全て手を入れ、もう長いこと工事を依頼された各種専門業者が出たり入ったりしているため、未だテナントが入っておらず、騒音はするものの、とりわけ猫を飼っている人が入居していないことを、殊の外喜ぶ我家…

この何年か、隣りに入っていたのは猫を飼っている家族ばかりで、せっかく綺麗にした我家の裏庭に毎日毎日 "用を足しに来る" のがかなりなストレスになっていたのだ。
あの臭さは我慢ならない。気付かずにうっかり踏んでしまったりしたら最悪だ。

どうして犬はつないでおかなければならないことになっているのに、猫は放し飼いが許されているのだ?? 猫は人に危害を加えないと思われているということなのか?(そんなことはない。私の姉は小さい頃、よその猫に不意に飛びつかれた際、頬(目のすぐ下)に引っ掻き傷を作られ、その傷が50年以上経った今でもくっきりと残っているのだ。犬のように身体は大きくなくとも、恐怖と、痛みと、生涯消えない傷を負わせることのできる動物だということを、飼い主は決して忘れてはならない)

何故飼い主は(起こり得ることが想像できないはずはない)他人の迷惑には目を瞑り、平気な顔をして猫を放し飼いできるのだ??? 猫の糞の始末は地域で協力してするものだという暗黙の了解があるとでもいうのか?


猫が我敷地内に入って来ないように、猫が寄り付かなくなるというブルーのジェルをペットショップに買いに行き撒いておいたりしたが、それも数週間すると効き目が無くなり、また買いに行かなくてはならなくなる。何故こちらが損失ばかり被らなければならないのだと、庭の至る所に落として行ってくれる糞を片付けながら、迷惑この上ない猫好きの隣人たちに辟易していた。

猫そのものが嫌いだというのではなく、猫を買っている人の良識の問題なのだ。

猫好きな人で、自分の愛猫が自分の家の敷地外で用を足さないように気を配っている人が居るのだろうかといつも疑問に思う。
猫に、他人の家に行って用を足さないように躾をすることが果たしてできるのかどうか、私には全くわからないが、ぜひとも、田舎の一軒家でない限り、そのようにトレーニングされた猫のみを飼うよう制度化していただきたいものである。

どうか、次のテナントが猫を飼っていませんように…

今日、暑い中、裏庭の掃除をしながらそんなことを考えていた。


disingenuousness (腹黒さ、陰険さ、不正直 [不誠実] さ)

インターネット オークションにフィードバックが来ていた。

あの長い木製鉋 を売った人からのものだったが、何と、こちらが努力して好意的なemailを送り続けていたのにも関わらず、ブルー フェイス(neutral)を付けてよこし、"ok"とだけしか書いていなかった。
*ブルーフェイス… ネガティブとまでは言わないけれども、どちらかと言えばマイナス評価に近いという印象を他の人に与えるもののように受け取る人の方が多いだろう。


オーバーチャージした送料を返金させられたのがよほどしゃくに障ったのだろうが、こちらは正当に、"出品者が設定したリザーブ価格"で落札し、落札直後に『送料』を問い合わせ、伝えられたままの送料(彼の言って来たのは『送料』であって、『送料及び手数料』ではなかった)を加えて即座に振り込み、長い期間待たされてようやく手元に届いた鉋が、あのような無謀な梱包で、しかも、ボディには大きなクラックが2カ所も入っていたのだ。
梱包がもっとしっかりしたものだったら、おそらく私はクレームしなかっただろう。

誠にお粗末な梱包のせいなのを棚に上げて、輸送中にクラックが入ってしまったと言って来るかな?「良い状態で届くはずだよ」とわざわざ知らせて来たくらいだからな… と一瞬思ったが、クラックが入っていたことについて私が送ったemail内で言及しても、彼は輸送中にできたものだとは言わず、知らなかったとも言わず、クラックについては一切触れることなく、「あなたは、一度も使われていないものを、あんなに安い金額で落札できたのだ」ということをただ強調するのみだった。
私が何故クレームしたかと言えば、この出品者には誠意の欠片も見られなかったからだ。


思いがけず手に入れた(らしい)オーバーチャージ分の送料(NZ$17)が、そんなにその人を幸せな気持ちにしていたのだろうか?

送料を余分に取り過ぎて申しわけなかったなという気持ちなど、その人には微塵も無かったことを、このフィードバックは如実に表している上に、出品物にダメージがあることを伏せて売っていたのは、クラックが入っていることを知らなかったからではなく、故意に書かないでおいたのだということまでもわかってしまうということに、彼はおそらく気付いてはいないだろう。

出品しているものについて誠実に説明を書いてくれている出品者は多くいる。しかし、それとは反対に、この人のように、自分に不利になることは伏せておき、自分の不正直さが報いられなかった(不正当な利益を生まなかった)ことに腹を立て、相手に八つ当たりをするような人も、悲しいかな中にはいるのだ。

なんと不誠実で、腹黒く、浅はかな人であることよ。

私は、他のトレーダーへの警告のために、この人がどのような人かがわかるように、彼から来たemailを張り付けたフィードバックを返しておいた。
同居人たちは、「とんでもないヤツだな」「そこまで救いようのない人が居るんだね」と呆れていた。

願わくば、このようなトレーダーとは今後一切関わらないでいたいものだ。



13.2.16

チープな dovetail box 作り


ひどく湾曲してしまっていた合板の端切れを使って、洗面台のキャビネットの中を整理するためのボックスを作っている。

凹んでしまった側に水をつけ、丸一日クランプで作業台に留めておいたら、少しはマシになったので、若干湾曲が残ってはいたが、dovetail ジョイントでしっかり組んで、板の曲がりを修正しながら底板を付けてよしとした。


使った合板は厚みは同じだが、3枚重ねだったり5枚重ねだったり、はたまた表面がガサガサだったり、ツルツルだったりしたが、一向にお構いなし… 
キャビネットの中に整理して置いておくためだけの、(出来合いのプラスチック製の物よりは、ピッタリなサイズに作れるという点でだけ勝っているかなという程度の)ただの箱である。
ただの整理箱だが、7mm厚の板でも dovetail ジョイントで組み立てれば丈夫なものになるので、私はけっこう頻繁にこのジョイントで物を作っている。

dovetail ジョイントは、上の写真のように少し出っ張るように組み上げ、グルーが乾いてから鉋で真っ平らにすると綺麗に仕上がる。

この側面の合板の反りが矯正しきれなかったのが、上部の曲がり具合からわかるだろうか。
あまりに反っていたので、物作りに活用するつもりではなかったのが、この水色のペイント跡からも想像できるかも知れない。
これは、他のものをペイントした際に下に敷いていた板だったが、捨てずに置いておいたら何とか物になった。


さて、このDIY Shopで購入して来る合板だが、断面を見ると必ずと言っていいほど空洞ができている。
そんなに一生懸命に作らなくてもいいボックスなのに、私はどうにもこの穴が気になって仕方がなく、ペイントした時に少しでも目立たないようにと、やはりパテ埋めしてしまうのだ。
大きな穴にはグルーと木の粉を混ぜた物をしっかり詰め込み、このような小さな穴には Timber Putty を表面から数ミリ程度詰め込む。詰め込んだらすぐにサンドペーパーで平らに均しても、乾いてからサンディングしてもいい気がするが、とにかく表面に出たパテを取り除かなければならない。



下の写真、小さな黄色の←が非常に見辛いが、パテ埋めした部分はほとんど目立たなくなっている。


下地ペイントが乾いたらサンディング、そして仕上げペイントをしてお終い。


そうそう、このようなボックスを効率良くペイントするために、私は要らない板の切れ端にマスキングテープを接着面が外側になるように貼り付け(両面テープ代わり)、その板をまずボックスの底に貼付けておくようにしている。もちろん、両面テープで貼付けてもいいのだが、両面テープはしっかりくっつき過ぎて剥がし難くなる場合があるので、私は専らマスキングテープを使用している。


ペイントはまず内側を塗り、次に縁の部分を塗るのだが、そこまでは箱をテーブルに置いたまま、或はペイントしていない外側を持って作業できる。
外周を塗る際には、ペイントし終わった部分に手が触れないように、底に貼付けた板を持って作業をすると、ぐるりと一周丸々一度で塗り終えることができ、しかも、乾かす際にテーブルとの間に距離ができて、底の縁に付いたペイントがテーブルやらテーブルを保護するための紙等に貼り付いてしまうのを防げるという利点もある。
要らない板が手元にない場合は、蓋付きのパスタソースが入っていた瓶でも、ジャム等の瓶でも、はたまた紙製の空き箱でも何でもいい。作業している時に容易に外れてしまわないよう注意し、持ち易く、乾かす時に安定している物を選ぶといいだろう。

飾り気の何も無いただの四角のボックスだが、側面にステンシルでデコレートしたら綺麗に見えるかも知れない。
気が向いたらやってみるとしよう。

まだ2箱しか出来上がっていない。
はてさて、このような箱をあと幾つ作れば足りるのかな…






9.2.16

Frank Klausz using his Monster Molding Plane




いいな、こういう人…

それに、いいな、この Molding (Moulding) Plane。

私は幾つかの Molding Plane を買い集めたが、この一つの畝を作る毎に鉋を換え、深さを調節して、しかも何本もほとんど狂いなく同じ形になるように板を削るのは至難の業だ。

自分の好きなようにこのような物を作れたら、さぞかし作業も楽しいだろうな...

8.2.16

不完全な道具たち



底を平らにし、ブレードの切れ味も良くし、このフェンスを取り付けて鉋がけをする幅を決め、使ってみると、削った部分の角が直角に削れてはいなかった。

測ってみると、このフェンスが鉋の底に対して垂直になっていないことがわかり、今度はフェンスをせっせと削ることになった。

私がこれまでに購入した Stanley は、ほとんどが古い物なのに、この程度の精度の物ばかりだ。

手直ししなければ満足に使えない道具を作り続けて名を馳せる…
そして、他のメーカーはそれをコピーし、全く同じにしか見えない物を作り続けて金儲けをする。コピーは今に始まったことではなく、その上、模造品の多くは更に品質が悪くなっている。

所詮、大量生産品というのは、その程度のものにしかならない。



7.2.16

サンドペーパー ラック


アトリエの片付け…

物をあちらに移動させたり、こちらに移動させたりしているだけでは一向に片付かないため、道具類の専用置き場を作り始めた。

今日は合板でサンドペーパー ラック作り。
紙に出来上がりをイメージして絵を描き、必要な板の寸法を細かく計算して出して行く。
仕切り板は溝を掘った両サイドの板に差し込み、他はグルーで接着。
始めの予定では四隅はダブテイル ジョイントにすることになっていたのだが、そこまで強度は必要ないなと思い、グルーで接着した後、細い釘を打ってよしとすることにした。(釘を打つ必要もないかも知れないが、釘自体がアクセントになるようなものがあるので、ちょっと試してみたい)
そして、ペイントもいつも使う色ではない、明るめの色を塗ろうと思っている。

作業していて思った。
こんな簡単な作業でも、一昨年、木工を始めたばかりの頃は楽しくて仕方がなかった。
例え合板でも、あり得ないほど丁寧な仕事をしていたのだ。
けれども、作業に慣れて来た最近は、こんな「合板で作ればいいや」という類いのものではなく、もっと良い板を使って、ちゃんとした物を、信じられないと思われるほど丁寧に作りたいという思いが強くなり、その思いは強くなるばかり…

どこかで、良い板が安く手に入らないかな…
今一番の障壁となっているのは、多分、その点だろう。


6.2.16

カフェで朝食?

旅行に行くと、朝食はホテルのレストランか、あるいは近場のカフェで済ませることになると思うのだが、私は旅行に行ってもキッチンの付いた部屋を予約して、前日にパンとか果物とかを用意しておき、ホテルに備え付けの不味いコーヒーか、それよりは少しマシな紅茶を入れて、部屋で朝食をとることが多い。朝っぱらからきちんと身繕いをして、くつろげない空間で過ごすことに違和感があるからかも知れない。

数年前、エキシビションに作品を出品する依頼を受け、大きなステンドグラスのパネルを運送業者に依託することに少々不安があったため、同居人と一緒に旅行しながら展示会場まで運んだことがあるが、その地方に数日間滞在し、家に戻る日の朝は、珍しく滞在したモーテルの向いにあったカフェで朝食を取った。
そのカフェの朝食メニューは多過ぎるか少な過ぎるかの両極端で、自分達に適量だと思えるものが無いことに戸惑い、取りあえず食べたいものが入っているものを選んだのだが、運ばれて来たプレートを見てギョッとなった。一品ずつの量が予想を超えて多過ぎたのだ。
量に見合った金額かもしれないが、朝食にNZ$16〜$20というのは私には高過ぎる。しかも、高い上に食べきれずに残すのだ。


我家は朝食は家でしっかり取る。朝食を取らないで出掛けるのは、早朝に空港に向わなければならない時くらいなもので、その習慣は同居人たちにも当然のこととして引き継がれている。

同居人たちの職場にはカフェテリアが付いていて、朝食を食べずに出勤した人はそこで簡単な朝食を無料で食べられるようになっていると聞いていたが、昨年、私が1ヶ月ほど日本に帰っていた時、同居人たちはそこで朝食をとっていたのかと思いきや、なんと、めっぽう朝に弱い同居人Hが頑張って起き、朝食の支度をしていたというので驚いた。
やはり、朝食はくつろげる空間で、ボサ〜〜っとしたままで食べられるのがいいらしい。


日本の朝は、ご飯にみそ汁、焼き物に香の物というのが定番だ。実家でもやはり、仕事に出かける前の姉が早起きしてそのような朝食を用意してくれていた。



我家の朝食にご飯とみそ汁は滅多に出て来なくなったが、毎日入れ立てのコーヒーと、時には焼きたてのフラット ブレッドあり、時にはハッシュブラウンとソーセージ或はこんがり焼けたベーコンに卵料理、果物、また時には焼きおにぎりやら、シャクシューカなどといった、ちょっと変わったものも登場したりすることもある。

料理好き?
いや、全然。


5.2.16

Love Wooden Planes


研いだばかりの刃を装着した Marples BB Plane(写真上)と、研いでからもう何十回も使っているHenry Boker で、削った感触を確かめた。

Henry Boker のラミネートされた刃は研ぎ直していないのにも関わらず、依然として0.01mm以下(私のcaliper - 厚みを測る器具 - は0.01mmまでの厚みしか表示できないため、それ以下だと0.00mmと出てきてしまう)の極薄い表面を削り取ることができたが、Marples BB Plane は神経を尖らせて調節しても、0.01mmを出すのがやっとだった。そして、試し削りをしている間に明らかに切れ味が落ちるのがわかるほど、Henry Boker に比べて刃の質が劣っているのがわかった。

鉋がけがどれだけ重要かなど、以前は考えた事も無かったし、最近まで、表面をサンディングすれば同じじゃないかとさえ思っていたのだが… 

下の写真は、中央部分を#240のサンドペーパーで軽く磨いてあるのだが、ちょうど影の部分になってしまっていてわかり辛い。機械で切断した跡が無数に付いている部分は何も手を加えていない状態である。


その板の裏側を、研いだばかりの刃を装着した Marples BB Plane で削ったものが下の写真。



更に近付いて撮影すると、写り込んだ窓の光りが鮮明に見えるほど表面が輝いているのがよくわかる。(鉋で削っただけの、オイルも何も塗っていない状態)



YouTube等で、機械木工をしている人々が、細い板を繋ぎ合わせて、一枚の広いテーブル トップにしている様子を時々目にするのだが、多くの人は、はみ出したグルーを削り取るためにだけ鉋を使い、グルーがおおよそ取れたら、次に電動サンダーで全体を隈無く磨くのだ。
機械木工の人に取っては、鉋はその程度の使い道しかないのだろうなと思った。

電動サンダーも、目の細かいサンドペーパーを使えば艶が出てくるものかも知れないが、目の細かいサンドペーパーの目はすぐに詰まり、すり減ってしまうだろう。そうなれば、捨てて新しいものに交換しなければならない。
私は鉋でこれだけの艶を出せることを知ってしまったので、そんなもったいない事をする気にはならなくなった。

さて、ここまで綺麗に削ることができるようになった Marples BB Planeだが、出品者が『未使用のもの』と言っていたように、使われていなかったであろう表面には、機械で削った跡がまだ付いており、手触りがガサガサだったため、表面をサンドペーパーで軽く磨いた。
磨いているとき、この分厚い鉋の表面に、板を張り合わせた跡が残っているのが目に入った。







この鉋は、見たところ、4本の角材を張り合わせてできているもののようで、これはおそらく、材が反ったり歪んだりするのを緩和するための対策なのだろうが、この張り合わせてあるのが功を奏して、例え亀裂が入ったとしても、一挺が真っ二つに割れてしまうことなく、形を留めていられるというのは、さすがによく考えられているものだと感心した。

もしこの長い鉋が一本の角材から作ってあったとしたら、長い年月の間に膨張、収縮を繰り返し、反ったり、ねじれたりした挙げ句に、小さな亀裂が入り、やがてその亀裂が致命的な裂け目となって使い物にならなくなっていたことだろう。

昔の道具類というのは、よく考えて作られたものが多い。
私は幾つも鉋を買い集めたが、金属製のものよりも、昔の木製の鉋の方が手に馴染み、使い易いと感じるようになってきた。

金属製の鉋の刃の出具合を調節するレバーは、便利なようにみえて実はそんなに使い勝手が良くない。私は時々そのレバーを微調節するのに苛つくことがあるのだ。

昔の木製の鉋は、日本の物も、西洋の物も、金槌でボディを叩いて刃の出具合を調節しなければならないが、叩き具合はしばらく使っていると感覚でわかるようになって来る。

雲の上のお師匠さん推奨の Stanley #4 が私の生まれて初めて手にした鉋だったが、私は最近、木製の鉋、特にドイツと日本の鉋ばかりを使うようになった。

何故かって? 刃の質がまるで違うからだ。

この Marples BB Plane は、刃の質は昔の日本の鉋や昔のドイツの鉋には及ばないものの、そのボディの大きさ(長さ)は、長い板面、或は広い板面を鉋がけするのにとても安定していて使い易く、きっとこれから沢山働いてくれるに違いないと思った。







3.2.16

全長 43.5cm Marples BB Plane 要修復

よく無事で届いてくれたものだと、NZ Post に深く感謝した、国内のインターネット オークションでの買い物…


落札価格は $10だったが、送料は $25.50かかると出品者から連絡があり、それは何かの間違いだろう。きっと送料を多く取り過ぎていたから返金するよと連絡が来るに違いないと、待つこと10日間。

返金は無かった。
しかも、何と、3倍もの送料を取っておきながら、この梱包ですか… 
ハンドルがよく無傷で届いたものだと、ホッとすると言うよりも、その無謀な送り方に度肝を抜かれた。

この送り方しか思いつかなかったんだろうか?それとも、送料を極力減らし、手元に残る差額を多くしたかったのだろうか?
いやいや、悪く考えてはいけない。
きっとものすごく辺鄙な所に住んでいて、最寄りのポストショップまで行くのに恐ろしく長い道のりを運転して行かなくてはならないために、ガソリン代を上乗せしたに違いない… などと勝手に考えてたりしていた。 

「良い状態で届くはずだよ」という出品者からの email が、この梱包の仕方から見て明らかに的を得ていないとわかったため、恐る恐る中を見ると、大きなクラックが2本入っていて、これをいい状態だと宣う出品者との感覚の大きな開きを目の当たりにし、はてさて、一体どのような feedback を書きましょうかと、真剣に悩んでしまった。(いまだに悩んでいる)


とにかく、鉋のコンディションを事細かに確認せずに入札したのは私の落ち度であるし、ダメージがあった場合のことを考慮に入れて $10までしか入札していなかった私がその金額で落札してしまったのだから、これは直して使うしかない。

まずは前方の亀裂に木工用ボンドを流し込み、クランプで留め、次に底に入ったやや広めの亀裂にも同じようにボンドを流し込んで、ありったけの力を込めてクランプで締め上げた。



なんと哀れな姿… 

この処置でどれだけの期間持ち堪えられるかわからないが、取りあえず、隙間はほぼふさがった。

この後、日本の仕上げ鉋を使って底を平らに均し、ブレードを研ぎ直した。
ブレードの質は悪くないようでホッとした。

驚くべき事に、この鉋のどこにも、刃の出具合を微調節すべくハンマーで叩いた跡が付いていなかった。ということは、この鉋はほとんど使われてはいなかったということに他ならない。
まぁ、鉋の汚れ具合をみれば一目瞭然なのだが、このように、古いけれども新品同様というような道具というのは、お買い得と考えた方がいいのか、使えないシロモノだったのですぐにお蔵入りしたと考えた方がいいのか、判断に苦しむところである。

研ぎ直したブレードを装着し、小さなハンマーで叩いた痕を沢山付け、微調節を繰り返して、切れ味の良い長い鉋の出来上がり。

このトレード、刃の質が良かったのが大きな救いだった。

インターネットオークションでの鉄則。
* 入札する前に、きちんと品物のコンディションを出品者に確認するべし。
* 送料を事前に問い合わせるべし。
* フィードバックが例え100%ポジティブでも、落とし穴がある場合がある事を肝に銘じるべし。


追記:

出品者へのフィードバックをどのように書けばいいのやらと、悩みに悩んだ挙げ句、当人にまず送料のオーバーチャージ分を返金してくれる気があるかどうかを確かめてみた上で、どのようにするか考えても遅くはないなと考え、丁寧なemailを書いて送った。

私は解決しなければならない問題が持ち上がった場合には、いつでも相手の良心に訴えるように話すようにしている。相手がもしこちらに対してほんのわずかでも申し訳ない気持ちを持っていたとしたら、その気持ちを正直に表すことができるようになるだろうし、円満に解決すれば、わざわざネガティブなフィードバックを残す必要は無いのだ。

もし万が一、「チェッ、うるさいことを言ってきやがった」としか思わない輩で、こちらの問い合わせを完全に無視し、何の連絡もよこさないような人だったら、その時にはポジティブなフィードバックを残す必要は無く、他のトレーダーへの警告の意味を込めて、正直に、ありのままの成り行きを書いて残せばいい。


この出品者は翌朝返事をよこした。
「あなたに伝えた送料は、NZ Post のHP上で試算したもので、実際にポストショップに出しに行ったら、それよりも安い金額だった。その鉋は古いけれども一度も使われてはおらず、あなたは激安格値で買えたのだ。だが、もしあなたが返金して欲しいのなら、あなたの銀行口座を教えてくれたら手続きするよ。」

この文面には、「一度も使われていない、いわば新品をあんなに安い金額で落札できたのだから、送料をちょっとくらい多く払っても損は無いじゃないか!どれだけケチなんだ?」という意味合いが含まれているのは明らかだが、実際にポストショップに出しに行ったら、私に伝え、既に振り込まれている金額よりも(ずいぶん)安い金額だったので、シメシメと思ったことには一切触れてはいない。
(そもそも、$10で売るのがそんなに癪に障るのなら、その金額をリザーブ価格にしなければよかったわけで、$10以上入札する人が居なかったのは、当然のことながら私の責任ではない。しかも、新品とは言え、割れ目が2本も入っているほど状態の悪い物を、知らない顔をして売ってしまおうという、買った人の被る損害など微塵も考えていないその人は、こともあろうに、"良い状態で届くはずだよ"と、何を考えたのか、嘘までついていたのだ。しかも、あんな梱包の仕方でだ)

シメシメと思わず、申しわけないなと思うような誠実な人だったらば、その旨をすぐに連絡して来て、速やかに返金の手続きを取ったことだろうし、それ以前に、出品している品物に明らかなダメージがあったなら、それを包み隠さず書いておいただろう。

その人がどのような性向かは、そのようなちょっとしたことから容易に判断できるようになる。

そう思いながらも、まぁ事を荒立てるのも大人げないと、私は、すぐに返事をくれたことに感謝し、過剰にチャージされた送料分だけ返金してくれたら嬉しい。亀裂が入っていたにしろ、それをよく確認しないで入札及び落札してしまったのは私の責任なので、この鉋は私が修復して使うようにする旨を書き、振り込み口座の情報とともに送っておいた。

半日ほどして返金の入金があったことを確認し、速やかに対処してくれた事に対してemailでお礼を述べ、取引終了。



もし、その人がポストショップに出向いてすぐに、「送料を取り過ぎていたから返金するよ、口座番号を教えて」と自ら連絡をくれていたら…

童話、『金の斧と銀の斧』の"良い木こり"のように、その善良さが報いられたかも知れないのに…  としみじみ思った。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...