30.12.13

真実

以前よく買いに行っていた韓国人経営のこじんまりした食品雑貨店の店主(夫婦)はとても愛想のいいカップルだった。
大方のコリアンはおもてなし上手である。

私も何年かそこに通う内にそのカップルと仲良くなり、店の奥でランチを一緒に食べようとか、時にはディナーに行こうとかいう誘いの電話が来るようにもなった。
ランチには大抵彼女の仲の良い韓国人客も一緒で、私の知っている韓国語は簡単な挨拶程度のみだったので、彼女達が時折韓国語で話していた内容は全く理解できず、ただ彼女達の顔色を見て、決して楽しそうな話しじゃないなとだけは察することができたものの、まぁ、私には100%関わりのないことだけは確かなので、取り立ててその話に入ろうとは思わなかった。

そのカップルには娘が二人居た。娘達は学校が引けるとその店にやって来て、店が閉まるのを待って一緒に帰ったりしていた。
当時、私の同居人の一人は、その店から歩いて数分の所にあるカレッジに通っていた為、同居人を迎えに行くついでに買い物を済ませることが度々あったことから、同居人もその店主の子供達と何度も会い、会話もしていたが、親しくなる気は無かったようで、その娘達の目つきがすごく悪いのは何故なんだろうねと時折口にしていた。
両親ともあんなに愛想がいいのに、娘達は何故(目つきだけではなく)態度も悪いのだろうと、しばらくは理解できずにいた。

その店に通い始めて数年後、そこで知り合いになった日本語が堪能な韓国人客の一人に、私の工房で働いてくれないかとお願いした。
彼女は韓国人にしては珍しくつっけんどんで、態度も大きく、愛想など振りまこうと思ったことも無いように見える人だったが(笑)、ある時、彼女も一緒にランチを食べようということになり、彼女が手料理を持って来てくれるというので楽しみに待っていたのだが、予定の時間になっても彼女は現れず、数十分遅れて彼女から連絡が入り、急な用事ができて来れないので、彼女のパートナーがお料理を届けてくれるとのこと…。電話が切れると同時に彼女の手料理はやって来た。

その時私は確信を持って、彼女は信頼の於ける人に違いないと思ったのだ。
彼女の手料理はすこぶる美味しかったが、例え美味しいとは思わなくとも、私は彼女に働いて欲しいと話を持ちかけたに違いない。
後に彼女が、「何故私を雇おうと思ったんですか?」と聞いてきたとき、私は上記の話しをした。ぶっきらぼうで、突慳貪で、(私と同じで)気の強さが体中から溢れ出ていたけれども、約束したことはしっかり守る。自分を必要以上に良い人に見せよう(演じよう)と思わない人だからこそ、あなたを誰よりも信じられる人だと思ったんだと。

その彼女が私の工房に来るようになって、私達の『何故店主の娘達はあんなに目つきが悪いのか』という疑問がはっきりわかるようになって来た。

子供たちの目つきが悪いのは、誰のせいでもなく、正に"親"の根性の悪さの現れである。
外でどんなに愛想を振りまいて『善良な人』を演じていても、家で四六時中誰かの悪口を言い続けていたら、子供はそれを確実に見習ってしまう。
例え子供が一日のほとんどを祖父母と暮らすような環境であっても、親の影響力というのははるかに大きいのだ。

『子は親を映す鏡』おそらく、この諺に当てはまらないケースは多くはないだろう。前述の店主のように、外面と内面が極端に違うケースというのは珍しいことではないのだ。特に日本のように『善良さを装う』ことに慣れ切ってしまっている社会では尚更だろう。

誰かに隠れてコソコソ何かをして喜んでいるような人の子供は、cheat (ごまかす、欺く)することに対して何ら罪悪感を抱かなくなるものだし、それ以上に、何に対しても不信感を抱くようにさせてしまうように思えて仕方がない。
また、そういう人に限って、何故か加害者意識ではなく被害者意識を強く抱いている傾向があって、自分を弱く見せることで同調者を自分の側に付けることに成功していると思い込んでいるようなふしがあるが、実際は、自ずから、甚だしく信頼の於けない人、人を欺いて(あざむいて)自分の立場を優位にしようと試みる不心得な輩だということを暴露しているようなものだということに全く気付いていない。


ある知り合いの日本男児は、中国人のパートナーとの間にできた子供を、不本意にも中国に居る彼女の両親にあずけられてしまい、パートナーの言いなりになって、家を買う為だけに血眼になって働かされている。そして、その実態を日本に居る家族にはとても言えず、季節の全く違う国で撮った子供の写真の服装で真実がバレるのを恐れ、服装をこちらの季節に合わせて写真を撮ってくれるように頼み、その写真を実家にemailで送り…
あぁ、なんてことだ。次に彼の家族が孫/甥と対面する時に、孫/甥は日本語はおろか英語も話せず、中国語しか話さない子になってしまっているじゃないか… そこで真実がバレる可能性があることを何故考えなかったんだ?
自分を産み育ててくれた親が、子供にずっと騙されていてよかったと感謝するとでも思ったのか?



誰かを悲しませないようにと嘘をつく人よ、あなたは欺かれることがどんなに悲しいことか考えたことがありますか。



26.12.13

unwanted gifts

クリスマスから一夜明け、ラジオではボクシング・デー・セールのコマーシャルを流し、NZ最大のネット・オークション・サイト Trade Me にはこんな広告が出るようになった。

もらったけれども要らないギフトをオークションで売りましょうというこの広告… 人々は何のためらいも無く、親しい人からいただいたプレゼントを UNWANTED GIFT と堂々と書いて売っているのだろうか?

何の為にプレゼントをあげたり頂いたりしているのだ??? 全くバカバカしい習慣だとは思わないのか? お金と時間を使って相手に取って不必要で邪魔になるものを探し、更にお金をかけてギフト・ラッピングし、わざとらしい作り笑顔を受けとった後は、『要らないギフト』と書かれてオークションで幾ばくかの金銭にしようと試みられるのだ。そんなことを毎年繰り返していて何が楽しいのだろう?

クリスマス直前は毎年のように、クリスマスにまつわる話しで盛り上がるラジオの視聴者参加型番組… 仕事をしながら何とはなしに聞いていたら、今年はたった一人のリスナーが「商業主義と化した現代のクリスマスには何の神聖さも感じない」と電話でコメントを寄せていた。
私はそれを聞きながら、「クリスマスなんて初まりからそのようなものじゃなかったのか?」と更に冷めた感想を一人でつぶやいてしまった。

何か買いたかった物がある人は、取りあえずオークションで新品のunwanted gifts を探し始めていることだろう。


こんな風でも、やはり来年もその次の年も、クリスマスのプレゼント合戦は続くのだろうな… 

この広告も、正に商業主義(営利主義)そのものだな…






18.11.13

昔、Capella は風だった


どこの漁港だったか覚えている。

34年ほど前にアイツが買った車は、力強く、尚かつとても美しい形をしていた。

色はグリーン。5速… 車に全く興味の無かった私は、この車についてその程度しか覚えていないのだが、当時写真の勉強をしていた私が撮ったおびただしい数のモノクロ写真の中に、このカペラが写ったものが数枚あった。

これは、手元にあったネガフィルムを同居人がスキャンしてくれたもので、この写真とともに、若かりし頃のアイツの写真も、emailに添付して送ってくれた。

風のカペラ… アイツは車に関しては趣味が良かったなと、今更ながら思った。

そして、写真の構図に関しては、イマイチだったなと思った。




6.11.13

Isle Of Man の3本足


国内のオークション・サイトでリクエストが来た Isle Of Man のシンボルを配した鍋敷きは、先週末オークションにリスト・アップし、Buy Now Price にて即完売。
速攻でクレジットカード支払いを済ませてくれた為、厳重に梱包して急いでポスト・ショップまで車を走らせ、投函後落札者にお礼のメールを書き、既に送ったこととトラッキングNo. を知らせておいた。

落札者はダニーデンという南島でも最南端の方に住んでいる為、到着までには3営業日以上かかるかも知れないなと思っていたのだが、予想していたよりも若干早く届いたようで、届いたその日にはオークション・サイトにフィードバックを書き込んでくれてあった。

とても喜んでくれているのが伝わってくるフィードバックで、それを読みながら、「制作者冥利に尽きるな」と、おそらく私の方が喜んでいたに違いない。

特に、円形のものは良しとして、同時にリクエストされた四角形のものは、「3本足のデザインをどうやって四角に収めたらいいんだ??? しかもデコレーションも付けなくてはならないし…」と考えあぐね、デザイン画を眺めては、配置を若干動かしを繰り返すこと1日半… もうこれ以上動かしようが無いという境地に至って始めて木をカットすることに取りかかった次第である。

それぞれの踵に付いている星はカットする部分を変えて変化を付けたが、正直なところ、どちらを気に入ってくれるか皆目見当もつかず、かといって、オークション・サイトのQ & Aには電話番号やemail アドレスなど個人的に連絡を取る可能性のある書き込みは禁止されているので、細かい点まで要望を確認できず、「本当にこのデザインでいいのかな?」と終始悩みっ放しの製作… 
「まぁ、気に入らなかったら買ってくれなくていいや(=売れ残る可能性大)」と、ある意味開き直らないと出品できなかった作品である。(それ以前に、リクエストは来たが、何処の誰とも知らない人が、本当に買うかどうかも定かでないシロモノを、何日もかけて一生懸命に作るということは『賭け』以外の何ものでもない)

万が一『作り損』だったとしても、知識が一つ増えたことには違いないし、面白かったからそれだけで良しとしようという気持ちであった。

wow .. excellent Trader to deal with.. Very Happy with trivet.. 
Many Thanks .. :)

喜んでもらえて本当によかった。


27.10.13

二寒五温というところかな?

暖かくなり始めてきたオークランド。今日の最低気温は13℃、最高気温は18℃と出ていた。気温を見るとさして暖かくないような気がするが、日向にいるとジリジリと焦げるような感覚である。


一冬越したリンゴの木が一気に芽吹いた。主張し過ぎていない、可憐なとても美しい花だ。



オレンジの木にも満開の花。こちらは地味な花だな。


花に囲まれながらサンディング、ペインティング... そしてペイントを乾かしている間に次の作品を作り始める。



最近はステンドグラス用にライトボックスも作り始めたが、クリスタルの置物の方が光り輝いて綺麗に見えた。おそらく今回使用したLEDライトのせいだろう。



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今朝、オークションに出品してる木工品の一つに質問が来ていた。

「ハーイ、あ〜、馬鹿げた質問なんだけど... 特別なデザインでカットしてもらえるかな?外側は似たような感じで、まん中に Isle Of Man の3本の足を配したの、できるかな? よろしく!マイク」

Isle Of Man って何ぞや???とgoogleで検索してみると... お〜、確かに3本の足だ。
面白そうだなと思った。
質問者はそこの出身の人だろうか、はたまたバイクレース好きか...

Isle Of Manはとても美しい小さな島で、のんびりと島を一周する旅というのもなかなかいいなと、Youtubeのビデオを観ていたらいつの間にかうたた寝してしまっていた。

バイク好きだった彼の人を思い浮かべながら、3本足のシンボルを配した作品をデザインし始めた今年の Labour Weekend。

明日10月28日(月)はNZでは国民の祝日 Labour Day のため、ほとんどの企業やら商店が休みとなり、営業しているレストランなど飲食店では surcharge(サーチャージ:割増料金)を客に請求するのが慣わしになっている。これは、国民の祝日に労働させた場合には、経営者が労働者に祝日出勤手当を支払わなければならない法律になっているためなのだが、この国では経営者が収入から手当を捻出するのではなく、客が労働者の祝日出勤手当を負担しているという面白いシステムになっている。
「面白い」と書いたが、外食はけっこう高い上にサーチャージまで加算されたら面白い筈がないので、我家は祝日に外食するなんてことは滅多にない。


明日は、天気がよかったら久々にパンでも焼こうかな...




5.10.13

薔薇の季節

辺りが霧に包まれていた朝、同居人がタバコを燻らせながら、「薔薇が綺麗だよ!」と私を呼んだ。
今年一番に咲いたベランダの真っ赤な薔薇に細かな霧が舞い降りていて、何だかとても綺麗だった。

あの日から丸15年が過ぎる明日... 
長かったのか、短かったのかわからない。
ただ、今朝目が覚めて、人生の残りの日数を数え始めるのにはまだ少し早い私の "暇つぶしの人生" は、まだまだ続きそうだなとだけ思った。




明日は晴れるかな?



25.9.13

木工にハマるオヤジの気持ちがよくわかる

日毎に口数が減ってきている。

元々オシャベリ好きではなかったが、日中一人で作業している時は一言も言葉を発せず、ほんのわずか、食事の時にだけ同居人と言葉を交わす程度で、食事が終われば自分の部屋で本を読んだりYoutubeで木工の勉強をしたりして一日が終わるという生活...。
おそらく私は寡黙な父に似たのだろう。


さて、日本のステンドグラス・クラフターの方々が簡単に手に入れられる(購入できる)木枠とか、パネル・スタンドとかは、NZではほぼ手に入らない状態なので、かねてから木工もプロ並みにならないとな...と考えていたのであるが、scroll sawを手に入れてからは、キャンドルホルダーの台座作りも難無くこなすことができるようになり、サイズ、形など制限なく作れる上に、既製品にはない装飾まで入れられて嬉しい限り。
また、木枠、box作りなどもプロの技術を家に居ながらにして習得できるのは、Youtubeのおかげである。


ちなみに、私の使っているリョービのテーブルソーは手頃な値段のこじんまりしたもので、ステンドグラスのスタジオからゴロゴロと裏庭に引っぱり出して使うのにちょうどいいサイズなのはいいのだが、テーブル面が狭過ぎて大きな合板などの板をジグを使って切ることができないのが難点。補助テーブルまで作る元気が無いので、仕方なく、大きな板はジグソーで大まかに切って、テーブルソーに乗る程度のサイズにしてから正確な寸法に切り直している。
まぁ、延々とノコギリで切らなければならなかった父の時代のことを思えば、ずいぶんマシである。


テーブルソーに取り付けて使うmiter sled も最近作った。フレーム作りには欠かせないジグ(jig)である。(日本語の『治具』は当て字だったんだ...)
今まではノコギリを使って切っていたため、正確な45°を切り出すのにそれはそれは苦労していたが、これからはこのジグであっという間にプロ並みの美しいフレームが出来上がるのだと、製作を殊の外楽しみにしていたのに、昨日も今日も雨、また雨... よって、庭にテーブルソーを出せなくて作業できず。(狭いスタジオの中では木屑が舞い上がってとんでもない状態になるので、やはり使いたくない)

仕方なく、今日もスクロールソーで鍋敷き作りとなった。


裏庭に植えた安い花は元気に一冬越して満開になっている。
昨年植えたリンゴの木は、ビロードのような芽を出し始めた。
同居人達がはるばるHamiltonまで車を走らせ買って来た梅の木も、すこぶる元気だ。
庭の其所此処に生えてしまったイタリアンパセリ... 抜いても抜いても色んな所から出てきてしまう。
コリアンダーも水菜もよく育った。
育ち過ぎたパイナップルセージはどうしよう... パイナップルセージを使った料理のレシピを探さなくては...


明日は晴れてくれるといいなぁ...





22.9.13

Name in Hebrew

政治的なこと、宗教的なこと等々抜きにして、最も感覚的にギャップ(隔たり)を感じる国から来た友達が私に付けてくれた名前...

その名前をその国の文字のまま透かし彫りにした手鏡を作って、facebookにupした。
おそらく、それを見たイスラム教徒の多くは離れて行くことだろう。



私達は何を基準にして物事の善悪を判断しているのか...

自分の身辺に起こったことが独自の判断基準になっているのならいざ知らず、日常的に目にしたり耳にしたりする極めて"定かでない"情報(真しやかになされる報道)によって、非常に偏った意見を持たされてしまっている危険性が全く否定できない世の中にあって、何を信じろと言うのであろうか。

生きるのに困難な時代になると、宗教というものが勢力を拡大するというのは言わずと知れたことだが、私には宗教というものがどうにも無用な敵対心を煽るものにしか映らず、全ての悪の根源がそこに根ざしているように思えてならないのだ。
かといって、『無宗教』を声高に叫ぶ気にもならないのは、『無宗教』という名を盾に、したい放題を働くことを正当化する輩が鼻についているからなのかも知れない。

昔、聖書を熱心に勉強する人たちと共に居たことがある。
誠実を絵に描いたようなその人たちは、常に穏やかで、戦闘的なところなど一つも無く、お金に対する執着も無く、ありとあらゆる権力に媚びることも無く、すこぶる礼儀正しい集団であったが、私は最終的にバプテスマを受ける気持ちにまで至らず、次第にその集団とは距離を置くようになってしまった。

どの宗教団体にも言えることだが、自分達の神の教え以外は受けつけることは無い。(当たり前のことだが)
その差別化するという行為が、私にはどうにも受け入れられなくなったのは、ここに来て様々な国から来た人たちと暮らすようになってからだ。

聖書を勉強している人たちがあれほど忌み嫌っていた"教会のクリスチャン"の中にも、素晴らしく善良な人が居て、ムスリムの中にも誠実で何の欲にも支配されていない人が確かに存在している。ムスリムとの終わらない争いに嫌悪感を抱き、国を出てきたジューイッシュも居る。

そんな人たちと腹を割って話しをするようになった時、私は何を教わってきたのだろうと思った。

この世に存在する"人が作り上げた"宗教というものは、人を戦闘に向かわせる為に作り上げられたもののように思えてならない。

誰かの悪意によって作り上げられたものに振り回され続けることを阻止できるほどの、偉大なるパワーを持った何ものかが、この先現れると確信できる人は幸せである。しかし、そのパワーが宗教の名の下に発揮されることがないようにと、私は心から願っている。



5.8.13

梅は咲いた... 桜はまだかな?


腰を痛めてほぼ寝たきりの生活が2週間続き、その後はターメリック+鎮痛剤の効果が現れている時間だけ起きていられるという生活を送っていた。

ようやく鎮痛剤を服用しないでも動くことができるようになったので、晴れた先週末裏庭に下りてみると、チラホラと梅が咲き始めていた。

今朝の外気温は12℃。日中の予想最高気温は16℃と出ている。
厚着をすれば暖房無しで過ごせる暖かさだ。

さて、今日も木工の続きをしよう...



11.7.13

磨いては塗り、磨いては塗り...

木工に熱中していたら7月も半ばに差し掛かってしまっていた。もうすっかり冬本番となっているNZ。今日は日中も気温が上がらず、一日中暖房が必要だった。


毎日々こんな細かな粉の舞うスタジオで作業していた為か、はたまた偶然か、一昨日から左目の白目が内出血し、少々異物感を覚えているが、ネットで調べたら、このような症状は網膜下出血といわれているそうで、治療の必要も無く、放置しておけばその内に治るとのこと。あ〜そうなんだと、いつも通りスタジオに隠って作業をした。

最近は機械に振り回されることもなくなり、細かな透かし彫りも難無く切ることができるようになってはきたが、こと合板に限っては、ステインを使用しての仕上げに恐ろしく時間がかかり、透かし彫り → サンディング → ステイン → 乾燥 → サンディング → ステイン → 乾燥 → ステイン → 乾燥 と、何だか一日中ずっとそんなことをしているだけで終わってしまっているように感じる。

表面、裏面、及び周囲はもとより、透かし彫りの部分もラフな仕上がりにならないように若干サンディングが必要な箇所がどうしても出てくる。細かな部分のサンディングは竹串にサンドペーパーを巻いたもので行っているが、竹串さえも入らないような細い隙間にはサンドペーパーを半分に折って差し込み、細い部分がポキンと折れてしまわないように注意深くサンドしなければならない。



左はビクトリアン デザインのフリーパターンで作ったオーナメントで、これは無垢のマツ材で作ったため、透かし彫り部分のサンドはほとんど必要なく、とても楽に出来上がった。



片や、こちらは合板で作った羽根であるが、この写真を撮る前に一度目のサンディングを終え、写真を撮った後にアンティーク オークで全体をくまなくステイン(&拭き取り)。そして、充分に自然乾燥した後二度目のサンディングをし、表面を二度目のステイン(拭き取らず)。翌日裏面の二度目のステイン(拭き取らず)。

そして、裏面が乾いた後に、透かし彫り部分と周囲のステインをし、今回はマット仕上げにするため、そのまま乾かして終了となる。


ちなみに、表面/裏面/周囲のサンディングに電動のサンダーを使うことは可能だが、細かな線が引っかかって折れたりでもしたら、これまでの作業が水の泡... ということになりかねないので、私は手で丁寧にサンドすることにした。
内側の透かし彫り部分は電動工具を使わず(使えず)、これまた手でサンドしたが、一番細い隙間はサンドペーパーを二つに折ったものが入らないほどの細さで難儀をした。


板からこの羽根を切り出すのに2時間半強かかり、その後の仕上げにそれ以上の時間がかかっているが、はてさて、幾らで売れるのだろうか?


12.6.13

ただいま練習中


私の父と祖父は大工仕事の達人だった。
パワーツールなど使わなくとも、見事なまでに美しい家具/調度品を作り上げることができた。
私はその傍らで、いつまでも飽きることなく作業を見ていて、「すごいなぁー、かっこいいなぁー」と、ただただ目を丸くして見入っていたものだ。

写真にも納まっていない、そんな幼い頃(小学校に上がる前)の記憶が、木の香りを嗅いでいると蘇ってくる。


先月末、遥か昔から欲しかった scroll saw を購入した。
何件か店をハシゴし、これだと決めたものは、中古の EXCALIBUR EX-21 。
私の主要目的である透かし彫りをする際、ブレードを頻繁に取り外し/取り付けたりする為、その都度一々テンションを調節しなければならないタイプのものは論外だったが、国内で売られている物のほとんどがそのような不便な作りで、たった2機種が条件を満たしているだけだった。

この機械、中古と言えどもここNZでは結構な値段で、アメリカで新品が買えるほどではないかと思われるほどだったが、何せ超品薄のNZでは他に選択肢は無く、そこに居合わせたどこぞの学校の先生が、もう一つの機械もとてもいい機械だが、これはエクセレントだよと褒めちぎっていたのも手伝って、悩みに悩んだ末、清水の舞台から飛び降りた気分で「買う」と決めたのだが、購入を決めた直後に、一旦店を後にしたその先生がこの中古の EXCALIBUR EX-21 を買いたいと言って戻ってきたため、店の店員は皆で「残念だったねぇ〜、一足遅かったよ」と大笑いしていた。

この機械は私の所に来ることになっていたんだろう(笑)

このスクロール・ソーというもの、もっと簡単に操れるものだと高をくくっていたのだが、最初の内は木の堅さとブレードの太さ、そしてスピードに慣れておらず、所々型紙の線から微妙に外れ、「どうしたら上手く切れるんだ?」と首を傾げる日が続いた。
夜はベッドの上でYouTubeのビデオを見て勉強し、ようやくほぼ満足できる仕上がりになってはきたものの、まだ板の節目部分に当たるとブレードが微妙によけてしまうのを上手くコントロールできず... 

写真のチェスの駒は、縦3.5cm、台座2.2cm × 2.2cm 。このような3Dのものも作ることができるというのは面白い。(ちなみに、これは同居人がペンダントにするそうだ)






5.6.13

焼きたて Za'atar Flatbread は最高!


のんびりパン作りをする余裕のない時、或は明日の朝食用のパンがないと夜になって気付いた時などには、捏ねないで簡単に美味しいパンが作れるArtisan Bread in Five Minutes a Day の本が非常に役に立つ。

夜、プラスチック製のコンテナにぬるま湯とイーストと塩、粉を入れて木べら等(私はDanish Whisk を使っている)で5分ほど混ぜ、常温に2時間ほど放置した後冷蔵庫に放り込んでおけば、翌朝には一次醗酵済みのパン生地が出来上がっている。

コンテナからグレープフルーツ大程度のパン生地を切り出し、簡単に丸めて、バゲットなどにする場合は二次醗酵は40分ほど。このようなフラット・ブレッドの場合は、二次醗酵は20分程度で充分な為、先にオーブンを230℃にセットしておく。

パン生地を簡単に丸めた後、オリーブオイルを塗ったクッキーシート(又はベーキングペーパー)の上に乗せ、パン生地の上にもオリーブオイルを少量垂らし、 1cm 厚程度に延ばして指で凹みをつけ、Za'atar Mix をふりかけて、オーブンが設定温度になるのを待つ。

オーブンの一番下に耐熱性の容器を置き、そこに熱湯を1カップ程度注いで、蒸気を出すようにしてから、二次醗酵済みのパン生地をオーブンに入れる。

焼くこと15分程度。(生地の厚さによって若干時間が違ってくる)外側はこんがりパリパリ、内側はモチモチのこのパンは、焼きたてを食べるのが一番だ。

多分、日本では Za'atar (ザータル)は手に入り難いのではないかと思うが、これはオレガノ、タイム、バジル、マジョラム等の乾燥ハーブ類とスパイスをミックスしたもので、私の使っている Za'atar Mix はそれに胡麻や塩を加えてあり、これぞ『正に中東の味』なのだが、これが何とも言えず美味しいのである。



24.5.13

サフランといえばイラン

NZ国内のインターネットオークションでサフランを手に入れた。


サフランは超高級香辛料で、スーパーマーケットで売られているもののほとんどが 1g 以下であり、私がこれまで買っていたものは 0.5g で NZ$9.90 もしていた。(日本円にして820円強)

中東/北アフリカ料理が好きな私は、サフランを使う度に「地元の人って、こんな高いスパイスを毎日使っているの?」と不思議でならなかったが、その収穫から製造工程までを考えると、決して安くは手に入れられないだろうこともよく理解でき、一体相場は幾らくらいなのだろうとかねがね疑問に思っていた。

インターネットオークションで探してみると、何人かがイラン産のサフランを売っていて、価格は 4.6g でおおよそ NZ$25.00〜$30.00 ほど。重さは9.2倍。同じ量だけスーパーマーケットで買うとなると、NZ$91 以上になってしまう。
歴然とした差を見た上で、まだスーパーマーケットで買おうと思う人がいるのだろうか?
確かに1本1本の長さは短く、より選った一級品ではないというのはわかるが、私は煮込んだり炊き込んだりしてしまうので、別に長さにこだわる必要も無く、迷わず(おそらくイラン人であろう人から)サフランを購入した。

移民の国では、世界中の色んなものが安価で手に入り易いというメリットがある。
ここでは英語さえできればそういった恩恵に与ることができるのだ。


これで、これからはサフランをケチらなくてもよくなった。




22.5.13

あ〜 やだやだ

かなり以前のことになるが...

同居人の(こちらで唯一の)日本人の友達がひょっこりやって来た。
以前はよく彼が遊びに来ると一緒にイタリアン・レストランに繰り出し、のんびりと世間話に興じるのが常であったが、昨年11月に一人目の子供が産まれると、さすがに彼だけディナーに出てくるわけにもいかなくなったようで、何かの用事で街中に出てきた際にちょこっと寄るという程度の付き合いになってしまった。

彼は案の定疲れ切った顔をしていた。
中国人の奥さんには出産前からご両親がサポートに来てくれていて、既に半年間、たいして広くもない借家に同居しているらしいのだが、産後の肥立ちがよくないというわけではないのに、未だ奥さんは子供の面倒をみる以外家事はほとんどせず、彼が仕事から帰ってくるとやれ掃除をしろ、食事を作れ、洗濯をしろ、子供をお風呂に入れろだのと、次から次に要求してくるというのだ。ひどい時には、仕事中に「家に帰ったら洗濯してよね」と携帯にテキストメッセージまで送ってくるらしく、それを聞いた私は彼女の凄まじい執念を恐ろしくさえ感じた。
何でも、彼女の友達の家庭では男性がほとんど全ての家事を行うのは当然のこととなっているらしく、こんなに何もしてくれない夫(実際にはけっこう積極的に家のことをしているように私には思えるが)など言語道断だと毎日々とがめられているのだとか...  すっかり意気消沈してしまった"日本男児"は、「こんな筈じゃありませんでした」と、やり場のない憤りを繰り返すばかりだった。


奥さんは夜の授乳で充分な睡眠が取れないのに昼間も眠られず、疲れが溜まり過ぎていて家事などできないと主張しているらしいのだが、出産、子育てを3度ほど経験した私には、「昼間も眠られない」というのはかなり誇張があるように思え、「家事ができないほど疲れているんだったら、普通眠気には勝てないでしょ。しかも、昼間も家事は全てお母さんがやってくれているみたいだし...、授乳とオムツ替え以外に何もしていないんだったら、寝る時間は腐るほどあると思うけどね」と、意地悪な姑のようなことを言ってしまった。

中国、殊に上海では、女性は家事をしないのが美徳とされていると、以前上海出身の(決して若くはない)ご夫婦から聞いたことがあるが、外に働きに出ている夫が家のことも全てやるのが当たり前で、"奥方"は夫が働きに出ている間家でゴロゴロしながらTVを観たり、ショッピングに出掛けたり、友達とランチを食べに行ったりして優雅に過ごしているというのを得意げに聞かされ、「あなたも上海の男性と結婚するといいわよ!」と勧められた時には、「いや、私はそんなのは気の毒で見ていられないし、申しわけなくなってしまって、かえって居心地悪く感じると思うよ」と、思わず反論してしまったことがあったが、上記の日本男児のパートナーは上海出身ではないし、子供が産まれる前は家事もこなしていたというから、もしかしたら育児ノイローゼから来るものなのかも知れないなと思えなくもない。

だが、相手に対する思いやりというのは何処に行ってしまったのだろうか?

夫である日本男児は、毎日々朝早くから、家族の為に好きでもない(実際、彼はもうずっと以前から職場の人間関係に嫌気がさし、辞めたいと口癖のように言い続けている)仕事に出掛けて行き、生活するためのお金を稼いできてくれるのだということを、有り難いとは思わないのだろうか?
彼女の親はそんな娘のイライラに対してどのように反応しているのだろう?

日本男児の近況報告を聞き、どうしたものかと話し合っていると、結婚というものがどれだけ面倒なものなのかがまざまざと見えてくる。

私は彼らの結婚の儀の立会人として署名した立場であるのに加え、人生の大先輩でもあるのだが、(現時点で)人生の 4/5 ほどをあの封建的な日本で過ごしたせいでか、どうしても、外で働いてきてくれた人に対して家の中でも身を粉にして働くのが当然だという主張には同意できず、何の助言もできないまま、ただただ、「あ〜、やだやだ」という言葉しか頭に浮かばなかった。

彼は今頃どうしているのだろうか?
お互いに納得がいく解決策を見出してくれているといいのだが...



二人並んで、ここで婚姻届にサインしたんだよなぁ...



全く関係ない話しだが...

たった今、同居人H(娘)が友達と近くにお茶を飲みに行くというので、「お土産買って来て〜」と冗談半分に頼むと、何が欲しいのか冗談半分に聞いてくれた。

「豆腐!」と答えたら吹き出していた。

そして、「わかったよー。(豆腐を)誕生日プレゼントにしてあげる」と言われた。

幸せな家族である。





19.5.13

仕事か趣味かと聞かれたら...

『あなたは前世では日本人であったに違いない』とfacebookにメッセージを送ってよこした人から、久しぶりに短いメッセージが届いた。

「ぼく達、いつ会える?」と。

何とも唐突な質問に笑いながら、私はこう答えた。
「今作っている蝶が、羽根を羽ばたかせて標本箱から出た時に」と。

すると彼は、
「羽ばたかせるようにリクエストする」と、すぐに返事をよこした。

私はそれに対して何と答えようかとしばらく考えていたが、どうにも答えが見つからず、
「 :) 」とだけ打って返信した。

『今作っている蝶』はガラス製だから物理的に飛ぶわけは無い。しかも、標本箱入りだ。だが、見る人の感性によっては羽ばたいて見えるかも知れない。まるで絵に描かれた情景が浮かび出て、あたかも目の前に実在するかのような錯覚に陥る瞬間と同じように。

こちらで知り合ったある日本人の女性は、先日私のアイコンとも言える桜のランプを見た瞬間鳥肌が立った。彼女はそれを見て何かを感じたのだ。

前述の男性はヨガや瞑想といったスピリチュアルな世界に住んでいるらしく、彼もやはり私の作品を見て、By chance tripped by this profile; and stand speechless by the works exhibited here. The sense of depth and expression is very special. と最初のメッセージに書いてきた。
彼もまた、私が掲載した作品の写真を見て、その『深いところ』を見てくれたのだ。


私は奇を衒ったものをあえて作ろうとは思わない。奇想天外なものには興味が無く、これで金儲けをしてやろうという気も、有名になりたいという気もなく、ただただ自分の思いをどのようにして表現しようかと、そんなことばかりを考えて作っている。

少し前、マフムートに、グラスワークは仕事か趣味かと聞かれて、「仕事というのは収入が伴うものという定義がなされるべきものならば、私の作業は単なる趣味と言う他はない」と答えたのだが、その通りなのだ。

この作品を作るのに諸経費が幾らかかり、時間がどれほどかかり、幾らで売れると金勘定ばかりしていたら、とてもじゃないが作品作りなどしていられない。
また、他人にどう見られるかをいつもいつも気にして、『世間に認められなければならない』といういわば強迫観念のようなものに縛られながら、自由な発想の作品がどうして作れよう。

私は自分の感性で作りたいものを作る。だから、この制作活動を"仕事"にはしない。

これは私の"生き方"だ。

生活の糧を得る為の "仕事" とは別物だ。






11.5.13

口から出るものが人を汚す

昨日、聖書を熱心に勉強する団体の人たちが来てくれた。
初めて我家に来てくれた人は名前を名乗ってくれたのだが、全く覚えていない。大変失礼なことに、最初から覚える気が無かったとしか言いようがないほど記憶にない。

それはさておき、せっかく来てくれたのだから、お茶の一杯でもと、裏庭にあるアトリエに招き、ハーブガーデンで栽培しているミントを摘んできてミントティーを入れた。

「お砂糖を入れた方が美味しいと私は思う」と前置きをした上で、お砂糖は入れるかと尋ねた。お二人は私の助言に従って甘くしたミントティーを口に含み、砂糖入りの方が絶対に美味しいと想像できると言って、ほんのり甘いミントティーをたいそう喜んでくれた。

ミントティーなるものをよく飲むのかという質問から話が始まり、もっともっと美味しい本場のミントティーを飲める所があるという話に発展し、いつものことながら、私のお気に入りの北アフリカ料理店を紹介すると、その店が入っている中国系のフードコートはあまり清潔なイメージがないという話になった。
私のイスラエル人の友達も同じことを言っていた。

まぁ、確かに綺麗なイメージはない。近くのテーブルでホームレスらしき人が食事(誰かが食べ残していったもので)をしていたりするのは日常茶飯事だし、雀も残飯に集まってきたりしているのを見ると、ウッと思う人がいるのも頷けなくはないが、そういった光景を見ることはまず無い普通のレストランに入って、掲示が義務づけられている市の衛生管理基準のグレードが 「C 」とか 「D」とかになっているのを見たりした日には、フードコートの衛生云々どころではないなと私は思ってしまうのだ。

以前日本人経営のラーメン屋に入り、料理を注文した後で、グレード「D」というのを目にした時には、オーダーをキャンセルして店を出ようかと思ったが、気弱にもそれはできず(オーダーする前に確認しなかったこちらが悪い)、頭の中は「D」という文字でいっぱいになり、キッチンがどれほど不衛生かを想像しながらラーメンを食べる羽目になった。
また、数年前まではよく行っていた美味しい中華料理店のグレードが、気がつくといつの間にか「E」になっていた時には、「食べて大丈夫かな?」とかなり心配になったものだが、その店はもう無くなってしまい、あまりの不衛生状態が続き営業許可が下りなくなったのか、はたまた別の場所に移ったのかわからないまま終わってしまった。

あの掲示はぜひ店に入る前に確認できるように、掲示場所を限定して頂きたいものである。


ホームレスやら雀が集まっては来るものの、上記のフードコート内の私のお気に入りの店はグレード「A」であり、某日本のラーメン屋や某中華料理店(複数)等々に比べて、よほど衛生に気を配っていることは火を見るよりも明らかだ。しかも、注文する前に確認できる。
それにもかかわらず、やはりそのフードコートは『汚い』というイメージが強烈に定着してしまっている様子の彼女達は、そんな所で食事をして大丈夫なんですか?と繰り返し聞いてきた。

私は笑顔で答えた。
「(聖書には)口に入るものではなく、口から出るものが人を汚すと書いてありますから」と。


私は今度の誕生日にも、去年と同様そこに食事に行くことに決めている。
どんな気取ったレストランよりもそこがいい。




4.5.13

君は言うことを聞かない人だ... か

「まったく君という人は、言うことを聞かないんだから...」と笑われたことがある。

買い物に行って現金の持ち合わせがなかったので、不本意に『ツケ』で買って来てしまい、家に戻ってすぐにとんぼ返りし支払いをした時のことだ。
彼は「いつでもいいから... もっと言えば、払わなくてもいいくらいだ」と言ってくれたのだが、私はその厚意に甘えもせず、借りたものはできる限り早く返すというポリシーに則って行動しただけで、別に特別なことをしたわけでもなく、悪いことをしたわけでもない。あなたにとっては、私が『言うことを聞かない人』でよかったじゃないかと内心思いながら、私も笑って支払いを済ませた。

ある友人はマッサージ師の資格を持っていて、過去にその仕事に従事していたということで、頼んでもいないのにマッサージしてくれるというので、「ごめん、私はマッサージ嫌いなのよ」と断固として譲らなかった。
マッサージよりもはるかに効き目がある塗り薬も持っているし、マッサージなんて所詮一時的なものだと思い込んでいるので、無料だと言われても受けるつもりは更々無い。

少し前、私のステンドグラスの仕事用に作ったfacebookのページにメッセージが届き、私を日本人だと想像してか、日本をべた褒めするような言葉の羅列に加え、東京に知り合いがいたらぜひ紹介して欲しいとか書いてよこした。私は日本には住んでいないし、残念ながら東京には知り合いは居ないと返事を送った(事実である)。
「日本に住んでいない」+「東京に知り合いは居ない」という言葉だけで相手は私を日本人ではないと判断したのか、「あなたは日本のことをとてもよく知っている。察するに前世では日本人だったに違いない」と返事が来た。
私は、「前世というものが存在するとしたら、私はおそらく日本人ではないと思うよ。私は典型的な日本人の感覚を持ち合わせていないからね」と答えた。その後はメッセージが来なくなった。きっと彼は『典型的な日本人』が好みなのだろう(笑)
まぁ、メッセージは来なくなったが、時々更新するページは見てくれているようで、今でも気に入ったものには Like してくれたりしている。


つい先頃GP(家庭医)から電話があった。
「あなた、最近乳がんの検査受けた?受けてなかったら受けなくちゃダメよ」

これまでも幾度となく乳がん及び子宮がんの検査を受けるよう強く勧められたが、全て断ってきた。今回も受ける気はないと断ると、どうしてだとしつこく聞いてきた。
「癌になっても治療して長生きしたいと思わないからだ」と答えた。
要するに、私には長生きしたいという欲望が全く無いのだ。もっといえば、既に長生きし過ぎたと感じているくらいなのである。

病気によっては寝たきりになって家族に負担をかける可能性が高いものがある。そういう類いの病気については、家族のために治療を受けることにしているが、それ以外で自分の身に起こることについては単に寿命だと思えばいいと認識している。


思うに、私はやはり『言うことを聞かない人』なのだろう。
でもまぁ、これが私の生き方だ。

18.4.13

私にはできないこと

少し前にも書いたが、日本でもパック詰めされた寿司を目の前にして「(1パックの)半分だけ買って行こう」と考える人が居るのだろうか...

以前、八百屋で陳列されているバナナの房から1本だけ捥いで買って行く人を見たが、まぁそれは一房いくらとなっていたわけではないので、有りかな?と後に思うに至ったものの、その行為を見た瞬間はやはり「えっ!?」と目を疑ってしまった。

苺売りの移動販売のおじさんは、お客に旬の苺やらサクランボを一粒サービスで手渡してくれていたが、「えっ... これ、ここで食べるの? 洗わないで??」と躊躇したのは私くらいなもので、他の客(大方が西洋人)は皆一様にすぐに口に放り込むのである。ベビーカーに乗った小さな子供も手渡されたものをそのまま食べている。そんなのを見ていると、日本人は過度に神経質なんだろうなとは思うものの、私はまだその習慣に少々抵抗があって、その場で食べたことはほんの数回しか無い。(苺狩りなどで洗わないで食べるのは平気なのに、流通の段階で複数の人の手を経ていると思うと、やはり簡単にでもすすぎたいよなと思ってしまう)
ふと思った。皆もしかして、家に帰ってからも洗わないで食べているのだろうか?
我家は自宅の庭でとれた苺でさえも洗ってから食べているぞ...

そういえば、少し前にイスラエル人の友人からの頼まれ仕事を届けに行った時、移動販売のおじさんのところでブルーベリーを買って差し入れしたのだが、彼もやはりすすぎもせずそのまま食べていた。


街中を素足で歩いている人を見た時には、「何で??」と思ったが、以前住んでいた家の近所の人は、見ず知らずの隣人の家(我家)を訪問する時にも素足だった。
この国では素足で歩くことに違和感を感じない人が相当数存在している。

にわか雨が多いこの国では、雨が降ってきても洗濯物を取り込むことはせず、干しっ放しにしておいて、次に乾いた時に取り込むようにしている人が多い。
これは、私にはとてもできない。

私にはとてもできないことがもう一つ。
食器洗いの洗剤が付いたまま、洗い流さないで布巾で拭いてお終いにする食器洗いの方法は、どうしてもマネをする気になれない。
多くの家がビルトインの大きな食器洗い機を備えているため、そうやって手で洗っている家はそんなには多くないのかもしれないが、こちらに来てからそのテの話はよく聞いた。


ここは移民の国。
ある国ではとても非常識なことが、別のある国ではごく普通のことで、容易に理解し合えないことも多くあるのだが、皆幾ばくかの違和感を覚えながらも、それでも大きな波風を立てずに暮らそうとしている。

私はと言えば、そんなやや潔癖性気味の日本という国で生まれ育ちながら、上記のこと以外はほぼ日本人らしいところもなく、最近わけあってこちらの日本人社会に触れる努力をしてみたものの、やはり『触らぬ神に祟りなし』だったなと再確認するに至ったのみで、この先虚しい努力は決してするまいと深く深く肝に銘じて、一連の活動に終止符を打った。


私にはとてもできないこと...

人生を終える時、私はおそらくこう言うに違いない。

「最もできないことだと思ったのは、日本人社会で暮らすことだった」と。



9.4.13

「日本人とは?---宛名のない手紙 --- 岸田 国士著」より抜粋

家のものが小豆をすこしほしいと言って近所の農家へ相談に行く。一升ぐらいならというので、それではと値段をたづねると、いくらでもいいと言う。しかし、いくらでもいい筈はないので、強いて言わせようとすると、ほかではどのくらいだろうかと逆に問うてくる。それから、先日町から来た衆が何十円とかならいくらでも買うと言ったが、そんなに高くとる気はないと言う。どうしても、これくらいとは言わぬので、その町から来た衆のつけた値を払う。けっきょく、いらぬというものを無理に受けとらされたかっこうがしたいのである。
「頭かくして尻かくさず」のこれほどぴったりした例はないのであるが、これもまた、われわれ日本人の痛ましいすがたである。


つくづく思うことは、われわれ日本人は、決して人並みの「人間らしさ」を持っていないわけではない。ただ、それがそのままのかたちで現れていないのである。それがそのままのかたちで現れることを阻む「何か」があるのである。その「何か」とはなんであろうか?
 前回の手紙で述べた「悲しき習性」ということにも関係がある。つまり、「自己中心」の物の考え方である。同情とかいうようなものさえ、自分本位の感情を出ないからである。従ってそういう感情のおおやけの表示が、どんな反響を呼ぶかということ、自分がその結果どんな立場に立つかということしか考えないのである。一対一の対決を余儀なくされた場合の利不利を直感するからである。結局、事面倒になるおそれのあることは差控えるくせがついてしまっているのである。「さわらぬ神に祟りなし」である。


ところで、これは、煎じつめれば、必ずしも個人の罪ではなく、お互がそういう習性を身につけるに至った原因が、やはり、そういう性格の「周囲」にあるのであって、よほど運がよくなければ、個人の正しい考えや行動が、「周囲」の支持を公然受けることはむづかしいという実情をわれわれは身に沁みて知っている。いつかそれが自然の身構えになっていることは、誰よりもわれわれ自身がよく心得ているのである。

言わば、直接個人の利害に係ること以外、まったく無関心とも見える周囲の眼を感じながら、われわれは自分の行動を律しなければならぬ時がある。それと同時に、人々の注意をひくということの意味が、われわれの間では、不自然に誇張されている。つまらぬことで人の眼をみはらせようとするものがあるかと思えば、別に恥ずべきいわれもないのに、むやみに人の間で目立つことをおそれるものもいるのである。そして、いづれもその極端なものは、人間の「人間らしい」すがたを失っているのである。


・・・・不幸にして、われわれの祖先は、道徳的にも驚くべき形式主義者であった。秩序を保つための形式が、成長を遂げるべき本来の精神を扼殺(やくさつ)したのである。


要するに、われわれの周囲を取り巻くものは、それぞれに「一個の人間」であるのに、われわれには、その「人間」という実体がぴんと来ず、それらは、なるほど「人間」の仲間かも知れぬが、むしろそんなことよりも、肩書であり、商売であり、旧知であり、未知で有り、時には好感がもてるもてないであり、更に肉身であり、恩人であり、仇敵であり、競争相手であり、泥棒であり、馬の骨であり、女ならば、人妻か処女か、素人かくろうとか、(この言葉に注意せよ)それが一切である。

かかる対人意識は、表面的には、それで別に差支えないと思われるかも知れぬが、人間同士の接触がこれですべてをすましているという現象は、決して他の国にはみられぬものだと私はひそかに考える。
この由々しいことが、どうして今日まで問題として取り上げられなかったであろう? それが封建的、非民主的な所以だと言ってしまえばそれまでであるが、決してそれだけでは問題の核心にふれてはいない。なぜなら、封建制を批判し、民主主義を唱えた多くの日本人が、やはり、かかる対人関係をもち、自ら省みるところがまだまだ足りなかったように思われるからである。
日本人の不幸の多くと、日本の社会の病弊のほとんどすべては、この、われわれの対人間意識の「不健全」に基くと言い切ることはできないであろうか? 私は、そのことをますます強く信じるようになった。


・・・それはわが戦国時代の歴史に材をとったある注目すべき映画の一場面である。
主人公である一武士が敵手に捕えられ、取調のため縄付きのまま白洲に引き立てられて来たところである。彼は、まず水を飲ませてくれと申出る。許されて、番卒が柄杓で差出す水に口を当てて飲む。いく口か飲んで、ほっとする途端、番卒は、柄杓に残った水を、この捕虜たる武士の面上にぴしゃりとひっかけるのである。まことに無造作なひとつの科である。ああ、なんという描写! なんという写実主義!
 私はこの場面だけで、この映画を再び見る気はしないのである。
 なぜなら、それがなんということなしに、その番卒の特別な役柄という風にはとれないからである。つまり、劇中の一人物の効果的な所作という解釈はできず、日本の下級武士は、抵抗力を失った故に対し、日常茶飯事の如くこういう取扱いをしていたのだ、という印象しか与えぬからである。が、それだけならまだいい。私がその時感じた不快感を率直に述べるなら、今の時代にもわれわれの同胞のなかに、この類いの人間はざらにいるのだ、という証拠を見せつけられるようであった。しかも、何よりも心淋しく思うのは、作家も俳優も、そこまでのことは気がついていないらしいということである。
 私は断言するーーこの映画を一外国人に見せたとする。この場面が必ず与える衝撃は、彼にとってどんな残忍な描写にも劣らず「胸糞のわるい」ものに違いない。しかも、これが日本人だという事情を決して見逃さぬであろう。それは、悪魔の行状ではもとよりない。最も卑小な人間の最もけちくさい快楽の表現である。半身は機械、半身は獣とみられるかの奴隷の舌なめずりである。
 これは、拷問や虐殺の非人間的なるより以上に、救いようもなく非人間的である。


この映画は、たまたま私の記憶に深くとどめられたものであるが、日本の数多くの映画や芝居や、その他の演芸、読物などについて注意するがよい。作者がことさら悪玉乃至は冷ややかな世間の代表として描きだしている人物にしても、その悪玉ぶり、世間の代表ぶりが、実に日本独特のものであり、一方の善玉の美挙快挙にもかかわらず、これを善玉たらしめるわれわれの社会の底知れぬ「いやらしさ」「日本人の軽薄な非人間的一面」を、作者の意図とは関係なく、おのづから告白するために登場したかたちになっていること、常にまったく型の如くである。時に善玉といえども、油断がならぬ。


日本人は「話せばわかる相手」だと、日本人自身は考えているらしい。それは同胞意識が強いためか、人間として「ものわかりがいい」という自慢なのか、私には、どうもよくその意味がわからないのである。おそらく、それは、「泣き落しが利く」というような場合が多いこと、「わかってもわからなくても、ともかく一応わかったことにしておく」という礼節がひろく行われていることを、自分本位に都合よく言いかえた言葉ではないかと思う。
「話せばわかる」ということは、なるほど、「話してもわからない」よりは有り難いに違いないが、私の観察によると、「話せばわかる」という意味の裏に、「話さないとわからない」絶望感のようなものが含まれていそうに思われてしかたがない。


「こういうつもりだった」ーー「いやそういうつもりではなかった」というような言葉のやりとりは、われわれの耳には、もう馴れっこになっている。これほど、相手を、そして同時に、自分を馬鹿にした話はない。
 契約は双方の利益と立場とを、双方がはっきり認め合い、完全な合意の上で、第三者にも対抗し得る共同の権利と義務とをひと通り成文化したものでなければならない。
 ところが、この契約の精神がいまだに理解されず、或は、故ら理解しようとせず、うやむやにしておく方がなにか相手を信用したことになりそうな気がし、ことに一方は、契約によって拘束を受けることのみをおそれ、他方は、強いて恬淡(てんたん)を装うことをもって得策と考え、えてして契約書というものは無用視されている現状である。
 しかも、たまたま契約書を取り交わす段になり、多くは企業者側で用意している印刷の契約書なるものを見ると、まづ型の如き法律的用語をもって双方の権利と義務とを箇条書にしてあるのはよいとして、その全文にわたり、注意して読めば読むほど、企業者としては当然の義務を掲げているに過ぎないのに、協力者側に対しては、著しい権利の譲渡を迫っているものが少なくない。もちろん、草案であるから、企業者側の希望的条件とみなければならぬが、それにしても、そんな虫のいい条件を協力者に黙って承諾させようと思っている腹が私には呑み込めないのである。
 そこには、なにか、企業者というものの、ややもすれば横暴な性格が顔を出し、若干の例外を除いての協力者の弱点につけ入る非人間的態度を見逃し得ない。・・・


 すべて契約を盾にとるのはよろしい。契約とはそうあるべきものだからである。しかし、契約がないのを楯にとって自己の立場を不当に有利ならしめようとはかるのは、人間のさもしさである。契約がないということは、特別な契約以上に、「人間」の本性と社会の常識とに従って事を運ぶ暗黙の理解があったとみなければならぬからである。
 契約が無いことを楯にとって恬然としているくらい、「人間」のずるさをむきだしにしたものはない、と私は思う。
 それは、法律を防御的にでなく、攻撃の武器として使う高利貸や悪質官吏に似ている。こういう人物が横行する社会を「不気味な社会」というのである。


 歪められた「対人意識」が瞬間俟々々に顔をのぞかせるわれわれ日本人の社会生活を、なににたとえたらいいか? 重ねて言うけれども、ただその部分だけをじっと見つめていると、私は、自分もそこに生い育ったのだという事実をはっきり感じながら、なんとしても「お化けの国」に住んでいるような心細い幻覚にとらわれるのである。


7.4.13

面白いほど膨らむピタパン

これまではスーパーマーケットで袋入りのピタパンを買っていたのだが、Pizza Maker なるものを手に入れた為、これからは家でピタパンを焼くことにした。


私のパン作りは、手で捏ねるという作業をフードプロセッサーで行うため、あっという間に一次醗酵に入る。


一次醗酵にはプラスティックのコンテナを使っている。もしその日の内に一次醗酵を終えたパン生地を使わない場合は、コンテナに入れたまま冷蔵庫に放り込んでおくことができるので、非常に便利だ。冷蔵したパン生地は2週間はもつので、沢山仕込んでおけば、好きな時に一次醗酵済みのパン生地を「 成型〜二次醗酵〜焼く」ことができ、割と手軽にパン作りに取りかかることができるのではないだろうか。


これは初回に作ったピタパンだが、100%全粒粉である。別に取り立てて健康志向というわけではなく、ただ単に、初めてピザ用オーブンを使って焼くので、失敗しても惜しくない粉を使ったというだけだったのだが...。 そう、全粒小麦粉が使うアテもなく残っていたのである。 ちなみに我家では、全粒粉のピタパンは不評で、普通の小麦粉で作ったものは焼けるハシから無くなっていくほど好評だった。

*材料
・全粒小麦粉(または普通の小麦粉)500g
・粒子の細かい塩 10g
・インスタント・イースト 小匙1杯
・水 1 1/4 カップ
・植物油 大匙1杯

(*小麦粉は、プロテイン含有量が 8〜12%のものが適しているらしい)

*作り方
1. 材料を混ぜて捏ね、3時間半〜4時間ほど常温で醗酵させる。
2. 一次醗酵を終えたパン生地を、軽く打ち粉をした作業台の上で12等分し(大きく作りたければ数はそれよりも少なく、小さく作りたければそれよりも多くしても一向に差支えない)、ボール状に丸める。→ 表面が乾かないように、布やサランラップ等で覆って10分間放置。
3. 一つずつ伸し棒で薄く伸ばしていく。→ 12等分した場合の直系は約18cm, 3mm厚くらいを目安に。
 (伸ばした生地も表面が乾かないよう、布/サランラップ等で覆っておく)
4. 平らに伸ばした生地は5分ほど休ませてから、260℃に温めたピザ用オーブンで3〜5分焼く。

ぷく〜っと膨らんだら焼き上がりだと思っていい。

通常、パンは焼き上がったら常温で充分冷ましてから切ることとされているが、このパンは焼きたてを食べるのが一番である。
余ったらビニール袋に入れて冷凍保存し、トースターでこんがり焼いて食べるのも美味しい。(本場イスラエル人はこんがり焼いたりしないようだが(笑)、日本人には焼いたお餅を想像させる味で、なかなか美味しいのである)



さて、最後になったが、私が使っている、ピタパンを焼くのに非常に適しているピザ・メーカーのデモ・ビデオを見つけたので、(会社の回し者ではないけれども)、ここに載せておくことにした。



22.3.13

@ my studio

今日、スタジオで仕事をし始めるとすぐに頭がクラクラし、気分が悪くなったので、しばらく休憩室のソファで横になっていた。

開け放した入り口のドアの向こうには、ハーブガーデンの生い茂ってしまったパイナップルセージの赤い花が見え、やせた梅の木が見え、かすかに水色の空が見えていた。

もしかしてこのまま逝ってしまうかもしれない...、そんな思いが頭をよぎった。
そこで、持っていたiPhoneで『最後に私が見ていた風景』になるかもしれない写真を、横になったまま撮っておいた。

撮った写真を確認すると、外が明る過ぎて色がとんでしまっていた。何枚か撮り直してみたものの、何度やっても同じように太陽の光りで屋外が白とびしてしまうばかりで、「今見ている風景」にはならなかった。

しばらくiPhoneと格闘している内に、頭のクラクラは治まり、起きて仕事ができるようになった。

これは、『最後の一枚』になりそびれた写真。



13.3.13

A message from Korea

韓国に居る友達からfacebookにメッセージが届いた。

「友達」と言っても年齢が親子ほども違うのだが、NZに来て初めて入った語学学校でのクラスメイトで、その時彼はソウル大学に在籍する学生だった。

彼はとても気だてがよく、すこぶる行儀のいい青年で、頭脳明晰であるのをひけらかすこともなく、終始笑顔を絶やすことがなかったが、ある日年下の韓国人の男の子が、私に「ハーイ○○!」と呼び捨てで名前を呼び挨拶したことに対して、「無礼なヤツだ」と本気で怒ったことがあった。
韓国は日本以上に年齢差というものを重要視するようで、年上の私に向かって呼び捨てというのは彼にとっては許されざることだったのだろう。とは言っても、ここはNZ。社長に対してだろうが先生に対してだろうが呼び捨てが当たり前の国なのだから、私は呼び捨てでいっこうに構わないし、○○-sang (○○さん)と呼ぶ必要はないよと私は彼の怒りを笑い飛ばした。

同じクラスで丸一日中時間をともにしていても全く親しくならない人というのがいて、顔は思い出せても名前は覚えていないというのはまだマシな方で、顔すら覚えていない人も実際沢山いたのだが、彼は仲の良いクラスメイトの中の一人だったので、語学学校を去った後も折りに触れてemailで連絡を取り合っていた。
近年はfacebookがemailの代わりとなり、相手の投稿を見て近況を知り、そこにコメントを残したりして繋がっているような気になり、そして、ついにはメッセージもemailではなくfacebookを介して伝えられるようになった。

「ハーイ、○○ sang」... (相変わらず行儀がいい)

彼は大学卒業後映画製作会社に就職し、VFX (Visual effects) 製作の仕事をしている。仕事場はシンガポールであったり、オーストラリアであったりと、忙しく飛び回っていて、多国籍なメンバーとともに生き生きと生活しているのがよくわかるが、かなりなハードワークだというのも同時に伝わってくる。
彼の以前関わった仕事に The Forbidden Kingdom という映画があった。就職して最初の大きな仕事だったのだろう、彼は自分の仕上げた作品をemailに添付して送ってくれたので、映画を観てその場面が映るのを今か今かと画面に釘付けになって観たものだ。そして、エンドロールに彼の名前を見つけて、自分の子供のことのように喜んでしまったよとemailを送ると、エンドロールまで見てくれたんだと、かえって恐縮されてしまったこともあった。

そんな息子のような彼からfacebook経由で届いたメッセージには、彼の弟さんがNZで永住権を取り、ご両親を呼び寄せることにしたので、ご両親は今年5月にはこちらに引っ越してくることになることや、自分もできればNZの映画会社で働き、移住してきたいという希望がある事などが書かれていて、またこちらに来ることが決まったら必ず連絡するから、ぜひ会って話をしようねと書き添えられていた。
そして、引き続きfacebookで人生をシェアしたいと書いてくれてあった。「こんなおばさんと?何で?」とかなり疑問ではあるが、短い期間ではあっても一応クラスメイトだったんだもんなと、気を取り直し、放置状態だったfacebookに時々は何かをupしなくちゃなと思った次第である。




ところでダニエル、
facebookにupしたこのレモン バター クリームを挟んだバター クッキーだけどさ、サクサクでイケルじゃん!と思って、続けてもう一つ食べると何か微妙に気持ち悪くなるんだよ(笑)

一言で言うと、「くどいクッキー」ってとこかな。



2.3.13

生きている意味

数日前、苺とチェリーを買いに行った折り、マフムートに「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」... と言うと、彼は「なんだい?」と、とても穏やかな笑顔でこちらを見ていた。

「ねぇ、マフムート、アラーがあなたに約束したパラダイスは本当に来るって信じてる?」

突拍子もない質問にもかかわらず、彼は満面の笑顔で答えてくれた。

「もちろんだよ。その希望がなかったら生きている意味がないだろ?」

その言葉を受けて、その通りだと思っているのが彼にわかるように、私は大きく頷いた。そして次に私の口から出た言葉は、「私はもう既に地獄に居るのよ。それにこの先も楽園に入れる見込みはないんだよね、私イスラム教徒じゃないからさ」というものだった。

マフムートは胸を数回軽くたたく仕草をし、「そんなことはない。ここ(心/heart)がきれいな人は皆楽園に行けるに決まってる」と言った。

ほぼ同じ年月を生きて来た者同士の真面目な会話だった。

私は「ありがとう」と笑顔で彼に挨拶して帰る道すがら、(でもね、コーランにはアラーの名を唱える者、アラーに従う者だけが楽園に行けるって書いてあるのよ... だから、私はもう既に地獄に居るって感じてるのに、この上もっとひどい地獄行きが待っているだけだって考えるのが順当だと思うよ)と心の中でつぶやいていた。



キリスト教でもやはり、聖書に書かれていることに従う者にだけ楽園行きが約束されている。
私は聖書を熱心に勉強している人にもこの冒頭の同じ質問をしたことがあるが、答えの根幹をなすものはマフムートと同じであったものの、こちらは、心がきれいでありさえすれば誰でも楽園に行けるというわけではなく、神の御意志を行う者のみが楽園を享受できると、厳格な姿勢を崩さなかった。それ故に、もう一度聖書の勉強に戻るようにと、私を見限る/見捨てることなく、度々手を差し伸べに来てくれているのである。

おそらく、コーランを熱心に勉強した人であれば、やはりアラーの御意志に適う者のみが是認されると言うことだろうし、私が興味を示したならば真摯に諭そうともしてくれることだろうが... 

厳格さが人を癒すかといえば、そうばかりでもないと今は思うようになってきた。どうしようもなく落ち込んでしまった人間には、ゆるい基準というのは一時的にでも救いになるものなのだ。例えそれではダメだろうと頭で理解していてもだ。


とにもかくにも、私はそのどちらの宗教にも属さず、属そうとも思わないから、やはり地獄行きだなと思った次第である。

もし仮に、私達の触れ得る宗教というものが真実に神の意志を伝えているものであったならの話だが...

26.2.13

客商売 その2

昨日、つい先頃までいっしょに働いていた(といっても、たった2ヶ月間だったが)パメラから電話が来た。
「あなた知ってるかしら、私達が居た店の向い側の店でアシスタントを募集してるのよ。もしまだ次の仕事が見つかっていないようだったら、この仕事はあなたにピッタリだと思うんだけど、興味ない?」と...

私はその店のオーナーともスタッフとも8年来の知り合いで、オーナーがどんな人材を必要としているのかをよく知っているので、パソコンのスキルに関しては問題無いだろうけれども、接客、ことにエクセレントな英語を喋れるかということについては、残念ながら私はまったく自信が無いとパメラに伝え、私なんかよりもパメラの方がずっとその仕事に向いていると思うと付け加えた。
しかし... しかしだ。あの人間的にとてもできたオーナーは、どういうわけだか若いネイティブしか雇う気が無いというのも、私はよく知っている。

高級品を扱う店であるのに、いかにも『今どきの若い女の子』という感じの子を雇うというのはいかがなものかと、私などは慰問に思ってしまうのだが、あのすこぶる頭のキレるオーナーがあえてそうしているということは、おそらく品格のある年配の店員よりも、キャピキャピした若い女の子を"客が"欲しているということなのだろうなと、ついつい邪推してしまった。

日本のように、『若い子だったら安くこき使える』というような考えではないことは、給料の額から容易に理解できる。店員の仕事にしたら出し過ぎでしょうと思われるほどの給料なのだ。

ある程度のお金持ちが客層であることを考えると、そのお金持ちの(特に男性)を喜ばせるのに必要なのは、薹が立ったようなおばさんではなく、若くて見栄えのいい子ということになるのだろうなと、そんなことを考えてしまった。

一般的に、商品を売るのに何の技術がいるわけでもなく、ふさわしい品格も必要ではなく、ただ若くて綺麗なだけでいいというのは、まぁ客商売を営む側からすれば、御託をこねる年増のスタッフよりも確かに使い易く、気楽であるというのはわかるが、果たして、そういう基準で選ばれた方は嬉しいのだろうか? 「あなたの頭の中身はまったく問題じゃないから安心してね」と言われているようなものだぞ...

幸いにも、前述のオーナーは理想が高く、若くて見栄えがいいだけでは満足せず、頭の回転も早いことを選考基準としているようで、その点に関しては私の彼に対する認識を大きく覆すものではなかったが、それにしても、やはり、扱っている商品に対して店員が若過ぎるのではないかという違和感は依然として私の中に残っている。


さて、電話をくれたパメラだが、彼女はいまだに、働いていた店のオーナーだった人からホリデイ・ペイ(休日出勤分の割り増し賃金)を受けとっていないようで、こんなにラチがあかないと労働調停に持って行かざるを得なくなるかも知れないと嘆いていた。
難儀なことである。

パメラ自身も次の仕事を探している身であるのに、いつも私のことを気にかけてくれていて、事ある毎に声を掛けてくれる。本当に心の温かな良い人である。
働きに出た一番の収穫は彼女と知り合いになれたことだったなと、つくづく思った。



20.2.13

客商売

昨年11月後半から始まったブティック勤めは、たった2ヶ月で幕を閉じた。

店のオープン当初から働いていたパメラでさえ、閉店に関することはオーナーから何も話を聞いておらず、毎日のように店を物色に来ていた中国人バイヤーが「ここを買うことに決まったら、2月から商売を始める」と言っていたことを、別のスタッフがオーナーに「どうなっているんだ?」と問いつめたことが発端となって、遅ればせながらのオーナーからの閉店宣言と相成ったわけなのだが、先月第2週目には1月末をもって閉店と言っていたのが、第3週目に入ると突然第4週目終了時に閉店すると予定を変更... スタッフはそれに伴って全員解雇というお粗末極まりない結果となった。

お粗末なのは経営者の技量である。
労働法も何も理解しておらず、経営の「け」の字も知らなかったような英国出身のタレントは、英語が読めなかったわけでもあるまいし、弁護士やら税理士なども当然雇っていたであろうに、法的なことは何一つ承知しておらず、英語が母国語ではないイラン人スタッフやら日本人スタッフ(私)から労働法に違反していると指摘され、反論する余地がなかったのである。

私はお世辞にも客商売に向いているとは言えない性格なので、あの仕事に関しては全く執着も無く、長く続けていたら間違いなく対人関係に支障をきたすようになっていたであろうと思うと、まぁ、ちょうどいい具合に無くなってくれたという状況であったのだが...、他のスタッフのことを考えると手放しで喜んでも居れず、私が知りうる限りの労働法と照らし合わせて、他のスタッフが不当な扱いをされないように情報を提供して終わりとしてきた。


ブティックの仕事を終了し、その後は友人からの頼まれ仕事(グラフィックデザイン)をしていたが、これは仕事というより奉仕だ。報酬は挽きたてのイタリアン&アラビックコーヒーと、瓶詰めのきゅうりのピクルス、それにイスラエルのケーキ。別に何も要らなかったのだが、持って行けというので有り難く頂いてきた。
デザイン関係の仕事は性に合っているのだが、この友人は忙し過ぎるからなのか時々自分で言ったことを覚えていないことがあり、「ここは変えてくれって言ったのに変わっていないじゃないか」と言うので、「そこはそのままでいいと言ったじゃないか。それに、なぜ変える必要があるんだ?」と反論したりなどして、私の意見を通した形になった(笑)
こんなコロコロ意見の変わる人の元でなんて、とてもじゃないが働けない。根はいいヤツなんだが...


単発で寿司屋の手伝いもしたが、寿司を巻くのは何のストレスもなくできるのに、接客は本当に嫌だと思った。
1パック(4個入り)幾らと表示して売られている巻き寿司を、1パックくれという客も居るんだということにも驚いたし、何を買うわけでもないのに、自分が家から持ってきたお弁当を店に備え付けてある電子レンジであたためてくれと要求しに来る輩も居るんだというのを聞いて、何だかゲンナリしてしまったりしながら、それでも引き受けたからにはお終いまでやらなくちゃと頑張って笑顔で接客していたものの、段々に言葉数は少なくなり、精神的に疲れ切って平常心ではいられなくなってきてしまっていた。

私は接客業に携わると人間嫌いになってしまう。
できることなら、一人で黙々と作業をしていられるような仕事がいいなとつくづく思った。



4.2.13

恵方巻きってのがあったんだ...

日本の各種行事にめっぽう疎い私は、この歳になるまで「恵方巻き」なるものの存在を全く知らなかった。

その存在を知ったのは昨日。9年来の知人からのemailに節分の豆まきの話題とともに書かれていたのを見て、これは何ぞや?と辞書を引いてようやくわかったのだが... まず読み方がわからない。
コンピューターというのは全くもって便利なもので、コピー&ペーストで難無く調べることができたものの、まず「えほうまき」と読むことに少々違和感を感じ、更に、その呼び名については1998年にセブン・イレブンが商品名として採用したところから始まっているらしいというのを読んで、な〜んだ、昔からあったものじゃなかったんだと、一気に「恵方巻き」などどうでもよくなってしまった。

私は諸々の行事自体にも興味が無いが、各種行事に付け込んだ商売に振り回されるのもまっぴらご免だなと、尚更強く思った一日であった。


5.1.13

冒涜(ぼうとく)という言葉の意味を知っているか

Albert Camus はそれほど多くの作品を世に出したわけではなく、また、彼のものとされている出版物の中には本人の承諾無しに出版されてしまったものがいくつかある。



この『幸福な死』の『刊行者のことば』を最初に読まなかったら、私は自分の意に反して故人の尊厳を踏みにじり、この本を読んでしまうという罪を犯してしまったに違いない。



ここにその刊行者のことばを書き写しておく。


刊行者のことば
《Cahiers Albert Camus》の刊行は、この作家の家族ならびに刊行者によって決定された。それは数多くの研究者、学生、さらには広く一般に、彼の仕事と思想に関心を寄せるあらゆる人びとの要望に応えるためである。
 この刊行を始めるにあたって躊躇がないわけではない。自らに厳格であったアルベール・カミュは、なにひとつとして軽々しくは出版したことがなかった。それではなぜいまになって、放棄された小説、講演、彼が自分では『時事論集』に収録しなかった論文、記録、さらには反故までを、読者にゆだねようというのだろう?
 理由は簡単だ。一人の作家を愛していれば、あるいはその作家を徹底的に研究しようとすれば、人びとはしばしば彼についてのすべてを知りたがるものだ。カミュの未刊行作品を保持している人びとは、かかる正当な要望に応えなかったり、さらには、たとえば『幸福な死』や『旅行記』を読むことを切望している人びとにそれを許さぬことは、間違ったことであると考えている。
 研究の必要上、ときとしてはカミュの存命中から、まだあまり知られていなかったり発表されていなかった彼の青春時代の書きもの、あるいはより後期のテクストを探索していた研究者たちは、これらの作品を読むことによって、作家のイメージがよりその含蓄を増し、かつ豊かになるばかりであると信じている。
 《Cahiers Albert Camus》の刊行は、ジャン=クロード・ブリスヴィル、ロジェ・グルニエ、ロジェ・キヨ、ポール・ヴィアラネーにゆだねられている。
 《Cahiers》は、現在では知ることが困難な未発表作品やテクストの刊行だけに限られるものではない。それは、アルベール・カミュの業績に新しい光りを投げかけると考えられる諸研究をも収録することになるだろう。


故人の尊厳を傷つけることを正当化したこの見苦しい "言い訳" の中に、カミュへの深い愛情を感じる人がどれほどいるのだろうか?

カミュの厳格さについて知るには、本人と面識がなくとも『ペスト』を読むだけで充分であるし、作品を世に出すまでに至っていないと本人が評価を下した作品を、上記のような "作者以外の者たちの利益" のために利用するなどということが許されていいはずはないじゃないかと、私はこの "言い訳" を読んで非常に腹立たしく思った。

人一人の尊厳が、このようにまことしやかな口実をつけられて踏みにじられるということは、断固としてあってはならないことだ。

異論を唱える者がいたら、自分自身に問いかけてみるといい。
「自分が死んだ後、世に出したくなかった(他人に見られたくはなかった)自分に属するものが、遺族やら研究者やら自分を愛すると宣う者たちに寄って勝手に取り沙汰され、ああでもない、こうでもないと好き勝手に評価されもてあそばれるのを幸せだと思うか?」と。

これはカミュに対する冒涜であって、愛情などでは断じてない。


4.1.13

真夏なのに16℃

昨日の朝は15℃だったオークランド。今日も冬並みの寒さだ。数年前の元旦に雹が降ったのに比べればかなりマシだと言えるが、ようやく真夏(といっても、気温は25〜27℃前後)になったかと思っていたら急に冷え込むというのを繰り返しながら、毎年扇風機を2,3回(2,3日ではない)回す程度で終わってしまうというオークランドの夏...
ここに来てから熱帯夜を経験したのは1回しかなかったように記憶している。大概夜は涼しく、一年中同じ掛け布団で過ごせるのは非常に経済的でもあり、収納場所もいらないというのは嬉しい限りだ。

さて、昨日はブティックの仕事始めだったが、概ね静かな仕事始めだった。午前中勤務のパメラから仕事を引き継ぐ時、昨年暮れに店を物色に来た中国人の女性がまた現れたのを除けば...。

彼女はその近辺で売りに出されている物件を見て回っていると言っていたが、私は働き出したばかりで店のことについては何も知らず、何を聞かれてもお役には立てないと言っておいたが、何しろ英語があまりわからないようで、中国語で書いてくれた方がまだ理解し易いかも知れないと言っても、それさえも通じず...

その女性、パメラには自分は私の友達だと言い、昨日は一緒に来た連れに向かってパメラを友達だと紹介していた。パメラは苦笑いしていた。多分ちょっとした顔見知りに対しても『友達』という英単語しか思い浮かばないのだろう。或は、中国では顔見知りは全て友達と呼ばれているとか?

パメラが私に、「あなた、あの人たちが何を喋っているのかわかる?」と聞いてきたので、私は中国語は全くわからないと言うと、「マンダリンかしらね?」と更に聞かれ、「私にはマンダリンとカントニーズの区別もつかないよ」と笑って答えた。
中国人の友達は何人かいるのに、中国語については何も知らないというのは、その国に対して興味が無いという一語に尽きる。

まだ自分のものではない店に、何を買うわけでもないのに大きな顔をして入って来て、所有者に了解を得たわけではないのにメジャーを使ってサイズを測り始め、勝手に写真を撮りまくり、挙げ句の果てにはお客さんが入っている試着室のカーテンを無造作に開けてしまうというとんでもない行儀の悪さを披露してくれたその人たちに、パメラも私も心底腹を立て、お引き取り願いたいと言っても言葉がわからないのか笑っているだけで、始末に負えなかった。

私はパメラに言った。『世の中は金がものを言うんだ』と信じて疑わないような人は好きになれないと。
パメラは大きく頷いていた。

もちろん、中国に限らず、どこの国にも礼節をわきまえない人もいれば立派な行いをする人もいるのは重々承知しているが、この不景気な時代に他人の弱みを突いてのし上がろうという"元気のいい"国はそう多くはなく、中国がその内の一国である事は間違いのない事実であろうし、世界の市場に参入するのに相応しい知識を身につけている野心家ばかりではないのも事実であるように私は思った。

そのような行儀の悪い輩のおかげで、真っ当な中国人が十把一絡げに非難されるというのもこれまた気の毒なことである。





1.1.13

昔日の光景

年の瀬の風景を思い出していた。

いつでも忙しく動き回っている母が、殊更忙しく動き回る日...

その昔『臼屋』と呼ばれていた我家には、父が作ったそれはそれは形の美しい臼と杵があって、それは年に一度、お正月のお餅を搗く為にだけ出される以外は納屋にしまわれていた。

お正月を目前に控えた日の朝、家の外には簡易かまどが用意され、薪をくべ、母が前日の夜から浸けておいたもち米を蒸籠で蒸し始める。
「餅搗きだぞ〜」と叩き起こされた子供達は、寒いので火の周りに集まり、薪をくべるのを手伝う子あり、その周りで遊び始める子あり...

もち米の入った蒸籠から蒸気が出始め、いい香りがしてくると、まだかまだかという思いで気が急き始める。炊きあがったかどうかをみるのは母の役目だった。

用意された臼の中を水で湿らす。餅が臼にこびりつかないようにする為だ。
そして炊きあがったもち米を一気に臼に投入し、水で湿らせた杵でトントントンと搗き始めるのは父の仕事であった。
米粒が飛び散らないように、静かに搗き始める。そして、ある程度粘りが出てくると、今度は本格的に杵を振り上げ、リズムを取って搗く、ひっくり返すを繰り返す。もちろん、餅になりかけの米の塊をひっくり返すのは母の役目で、脇で見ている私達は、「わざとリズムを狂わせて手を打ったらたまらんだろうね」とかジョークを言い、母は「冗談じゃない!」と言いながら、搗いている父も、また母も大笑いしながらリズムを刻んでいた。

杵はかなりな重さがあり、二臼、三臼ほど搗くと体力を消耗してしまった父は、私の連合いにバトンタッチしたが、母はずっと介添え役に徹していた。
私はというと...、傍でずっと写真を撮っていた記憶しかない。

一臼搗き上がると、熱々の餅を木で作られた大きな薄い箱に伸ばして行く。箱には予め片栗粉を薄くひいてある。(その作業は私と姉の仕事だったような気がする)
そしてまた、次のもち米を蒸かし始める。

何臼か搗く内の一つは鏡餅用として、薄い木の箱の上で3種類ほどの大きさに丸める。できるだけ高くなるように丸めるのだが、熱い餅はすぐにダレてしまって、見る見るうちに平らになってきてしまう。だが、冷めて来た餅はもう一度丸め直すことはできず、買って来た鏡餅のようにこんもり仕上げることはできなかった。

また、搗いた餅の一部はその日の昼に食べる『おはぎ』となった。この搗き立ての餅は格別な美味しさで、丸々半日かかってようやくありつけたご褒美のようなものだった。
ちなみに、おはぎの餡を作るのもまた、母の仕事であった。


月日が経ち、私の連合いが餅を搗く風景はもう見られなくなり、私達はNZに引っ越してしまい、父や母は年老いて、もう餅搗きをするほどの体力は無くなってしまった。

それでも『臼屋』と言われていた私の実家から餅の姿は消える事なく、母は機械を使って今でもお正月のお餅を作っていると言う。

NZで餅つき機を手に入れる事などできない私は、まったく邪道ではあるが、一晩水に浸した韓国産もち米をフードプロセッサーにかけてドロドロにし、それを電子レンジにかけて餅を作るという方法で、やはり今でも元旦に食べるお雑煮を用意している。
味も食感も、杵つき餅に敵うはずもないが、気分だけはお雑煮を食べているという感じになれる。

夏のお正月。セミの声を聞きながら、熱いお雑煮を食べる私達は、やはり日本人だよなと思った。


目の中に焼き付いている昔日の光景は、ツヤのある美しい形の臼と、水を張った大きなブリキのバケツに入った杵、そして白い蒸気を出す蒸籠と釜、笑顔の家族...

もうその時代が戻って来る事はないのを心から寂しく思った、2013年の年明けであった。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...