30.5.16

雄弁は銀、沈黙は金?

私に似て口数の少ない同居人たちは、一人で淀み無く喋り続けてくれる人と一緒に居た方が気が楽だと言う。たまに相槌を打つ程度でいいからだ。

私の知り合いにも、ずっと一人で喋り続けていてくれる人が数人いる。
その内の一人はイギリス人。今はタイに移り住んでしまっていて、滅多にNZに帰って来ないため、もう長い年月顔を見ていないが、彼は頭脳明晰な上に人柄も良く、喋らせたら右に出る人はいないのではなかろうかと思えるほど、聴衆を惹き付ける魅力のある話し方のできる人である。
明らかに独りよがりの、独断と偏見に満ち溢れた"喋り続ける人"が多い中で、彼が一際話し上手に聞こえるのは、おそらく彼の人生が奥行きの深いものであるからだろう。
私が言う『奥行きが深い』というのは、大変な苦労をし、必死で乗り越えて来た背景があるということだ。

歳を取ったからだろうか、他の淀み無く喋り続ける知り合いと一緒に居るとただ疲れてしまうだけになってしまった。相槌を打てないような話題ばかりを聞かされ続けるのは苦痛以外の何ものでもない。
全く興味のない芸能人のゴシップ、噂話、占い、etc, etc…..


聖書には、多くを語るなと勧めている箇所がいくつかある。

言葉が多ければ違犯を避けられない。しかし、唇を制する者は思慮深く行動しているのである。(箴言10:19)

自分の口に関して自分をせき立ててはならない。……. あなたは言葉を少なくすべきである。(伝道の書5:2)

愚かな者は多くの言葉を話す。(伝道の書10:14)

わたしたちはみな何度もつまずくのです。言葉の点でつまずかない人がいれば、それは完全な人であり、全身を制することができます。(ヤコブ3:2)


『言葉が多ければ違犯を避けられない』というのは確かに言えている。しかし、多くを喋らなかったら違犯を避けられるのかと言えば、必ずしもそうではない。

言葉数が少なかったために他人を窮地に追いやってしまい、取り返しのつかないことになってしまったという悲しい事例もあるのだということを、決して忘れてはならない。
これは、私からの箴言だ。




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