27.12.16

B'z 今夜月の見える丘に



ゆうべ一晩かけて、一昔前に観た日本のドラマ Beautiful Life を一気に観直した。

良いドラマだった。


知り合いを減らし、自分の殻に閉じこもる生活を選んだ私に、今日新しい知り合いができた。
彼女は私に質の良い板を安く譲ってくれ、そして、それらを使って私がこれから作り出す物を楽しみにしてくれている。

まだまだこの世の中には善良な人がいることを知って、心が温かくなった。



24.12.16

RP - 90


家の中の掃除をしたいのに、連日買い物に出かけていたので、疲れがピークに達していてやる気が出ない。

毎年12月の声を聞くと同時に、クリスマスに向けての買い物に出掛ける人たちで何処も彼処もごった返すようになり、道路は其処此処で渋滞。ようやくショッピングセンターやらにたどり着いたと思ったら、駐車場は満杯。レジにも長蛇の列… 
私同様クリスマスとは無縁の人々にはため息の出る季節であるに違いない。

数日前、同居人Tに少し遠出してもらい、板を買いに行ったのだが、欲しかった安めの高級合板は長過ぎて車に入らず、カットしてくれるかと聞くとできないと言うので諦め、無垢の板は高過ぎてそれも買って来れず、渋滞を我慢して行ってもらったというのに空振りに終わり、Tに本当に申しわけないことをしたと、行ってもらったことを後悔した。

出来合いの無垢板の家具を買おうと思うと恐ろしく高いが、自分で作ることができても決して安価でできるものではない。
なかなか良い板を手に入れられない私は、いつもマツ材でいいとするか… となってしまい、これからもそうなんだろうなと思うと、何だか気が萎えてしまった。

材木屋で働く人々が自ら「良い材木は高過ぎる」とぼやくのだから、それを売値で買う一般消費者が安く手に入れられる方法など、おそらく無いだろうと思えて来る。

昔よりも格段に機械化が進み、各種モンスター マシンを使って木を切り倒し、運搬し、製材したものを、天日乾燥ではなく人工的に乾燥させ、昔の人が見たら腰を抜かすほど大量に、短期間で市場に送り出せるようになっているというのに、木材の価格は上がるばかりだ。

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同居人Tにくっついて買い物に行った先で見つけた、『錆び付いてくっついてしまったネジを簡単に緩めるスプレー』の効果のほどを、父の古い面取り鉋で試してみた。



この鉋の刃は少し切れ味が落ちていたので、研ぎ直しをするべく、ブレードを外そうと長い間格闘していたのだが、錆び付いたブレードを押さえるためのロッドと押さえ金がかたくくっついたままびくともせず、困り果てていたのだ。

中央の小さな鉋をガイドから取り外し、ロッドが押さえ金に接している部分と、ブレードと押さえ金が接している箇所にシュッと一吹きし、数十秒待ってから、台頭を小さな金槌で叩くと、これまでの苦労は何だったんだ?と思えるほど、呆気無くブレードが引っ込んだ。

「すごいよ、これ!!」

ガレージで愛車のグレードアップに取りかかっていた同居人Tに早速知らせに行くと、Tは錆び付いたパーツの錆び取りを試してみようと、液を吹き付け、軽くワイヤーブラシで擦り汚れを拭き取ったパーツを見て驚いた。

「オー、すごい!!錆が全部落ちてる!!」
 
こんな優れ物があったとは… 
これは私達の想像を遥かに越えた一品だった。



取り外したブレードは天然砥石で研ぎ、セットし直し、試しに使ってみると、シャーッ シャーッと小気味良い音を立てて板が削れて行った。

父の古い道具類を傷めること無く手入れができるようになって、本当に嬉しい。









21.12.16

包丁立て

同居人たちの年末年始休暇がスタートし、我家は一気に "ぐうたらモード" に突入。
何に追い立てられることもない生活というのは、実に心地よいものだ。


さて、13年前にこちらで購入したゾーリンゲンの包丁セットには、包丁を斜めに差し込むホルダーが付属されていたので、それらのナイフはいつも決まった場所に収納され、片付いているのだが、頻繁に使う和包丁3本にはホルダーが無かった。

これまで、和包丁は使ったらすぐに洗って水気をきれいに拭き取り、キッチンの引き出しに仕舞うという、考えてみたら誠に都合の悪いことをしていたのだ。しかも、シャープな刃先を下に向けて並べてあったので、その仕舞い方ではせっかく研いだ刃を痛めてしまうよなと考え、取りあえず、アトリエに余っていたマツ材の切れ端等を使って、簡単な包丁立てを作ってみようと思い立った。

いつものことながら、余った板を使っているので、木目を合わせて見栄えを良くするなどということはできず、「何だか違う…」と思いながらも、まぁ片付けば良いか…という低次元な物作りだ。
ホルダーを斜めにする必要も無いよな… 斜めだと場所を取るし… と、製図に余分な手間もかけず…
組み立ては簡単な rabbet joint 。


マツ材で4面を形作り、2面を3ミリ厚の高級合板で塞いだ。
合板の一方はグルーで本体に貼付け、もう片方の面はねじ釘だけで留め、板を取り外して中を掃除することができるようにしておいた。

仕上げはワークトップオイルを3度塗り。このオイルは木の表面にだけ薄く付き、すぐに乾くので非常に扱い易く、適度な艶も出てなかなか良い。
Tung Oil がまだらに染み込んでしまって大失敗した 『Ancient Kauri』 には、このようなオイルの方が適しているかも知れないなと、ふと思った。






18.12.16

巣立ちの日


昨日は一日中ひっきりなしにピーピー鳴いていた三羽の雛たちは、今朝はやけに静かで、同居人たちと「もう巣立っちゃったのかね?」と巣を見上げてみると、いつの間にか大きく育っていた若鳥が、一羽、巣の縁に乗って上を見上げていた。

この写真を撮り終わると同時に、親鳥がエサを運んで来て、この鳥にだけエサを与えるとまたどこかに飛んで行ってしまった。

巣に残ったのはこの一羽だけで、他の二羽はもう既に巣を飛び立った後だったのだ。
そして、この最後の一羽も今日巣を後にした。

初めてのフライトは心もとなく、バタバタと羽を動かすも落ちて行くという感がし、一瞬ドキッとしたが、飛び立つと同時に、どこか近くで見守っていた親鳥が、正に"駆け寄る"ように子供を追ったのを見て、何も心配することはないんだなとホッとした。

あんなに小さな鳥でさえ、親は、産んだ子供が独り立ちするまで面倒をみるのだということを承知しているというのに、悲しいかな、それができない人間がいる。
『神は人間に自由意志を与えた』と以前学んだことがあるが、物事の良し悪しを正常に判断できる能力を持たない人間を数多く作り出したのも、また神であるのではないか…
元々正常な判断ができないようプログラムされた親が、自由意志により子育てを放棄するのか、それとも、初めから自由意志など無く、全ての成り行きがプログラムされているということなのか… ふと、そんなことを考えてしまった。

『神にはできないことはない』
が、"しないこと" はあるのだ。


子供達が巣立ってしまったのを知った同居人たちが、「何だか寂しいね」と話していた。


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休みの日だったが、アトリエで少しだけ作業をした。
KINZO のクロス カット ソーは、中古で買ってからまだ一度も目立てをしていないが、切れ味は信じられないほど良く、私のお気に入りの鋸となっている。ただ、spine(背)が邪魔をして深くは切り進めないのは難点だ。


先日 scrub plane に変身したHenry Boker の鉋は、板厚を2ミリ以上削る場合にはすこぶる良い働きをする。
厚くザクザク(しかもスムースに)削れるので、仕事がはかどり、しかも、その後の鉋がけが非常に楽になる。

Ancient Kauri の扱い(特に最終仕上げ)に四苦八苦している私は、今回は失敗のないマツ材で箱物作りをしているが、マツ材と同程度の価格で、色が濃く、その上扱い易い板がないか探しに、二三日中に材木屋に出掛けてみる予定になっている。楽しみである。


世間で言うところの "クリスマス休暇" が間近に迫っている同居人たち。
何処に行くというのでもない年末年始の休みを、皆でグダグダ過ごそうではないか。




15.12.16

アサヒペン 多用途用ハケ は最高!


朝、綺麗なダブルの虹が出ていた。
虹を見る度に、彼の人が最期に訪れた地の光景を思い出す。
そして、次にハワイにあった家を思い出す。

この国に来たのは、もしかしたら虹が関係していたのかなと、ふと思った。


今年10月半ば過ぎ、同居人Hが日本に居る間に、日本のAmazonでペイント用刷毛を購入しておいた。その時にはこのセットは266円だったが、今はどうかわからない。



今日初めてこれでシェラックを塗ってみて、あまりの使い心地の良さに驚いてしまった。
毛質は柔らかく、液の含みも程よく、拭きムラになり難く、柄の角度はボックスの角を塗る際にすこぶる使い易い。
何の欠点も無いと思えるほど、素晴らしい刷毛だ。

日本の百均でも同じ物を売っていると、Amazonのコメントにあったが、百均でこんなにも上等の刷毛が手に入るなんて、羨ましい限りである。

NZのDIY ショップとかペイント専門店で売っている安いブラシは、どれも使い勝手が信じられないほど悪く、毎回のように毛が抜けるか、一度使って洗浄すると毛がガッサガサになってしまうか、ブラシ跡が残らないようにペイントするのが不可能なほど毛質が硬いか… と、数え上げたらきりがないほどお粗末なものばかりである。

ペイントする度に苛立つので、高いブラシを買わなければダメなのかと、画材用品専門店で探すと、今度は高過ぎて買うのがバカらしくなってしまう…

低価格で品質の良いツールにお目にかかれないNZ…



このシェラックを塗った合板のボックスは、たまったロックミシン&地縫い用の糸を入れておくためのもので、ミシン台にしている机に引き出しとして据え付けた。

"チープな組み立て家具"の机なので、引き出しも品質の悪い、他に使い道が無いような合板で充分だ。だが、組み立ては頑丈なハンド カット ダブテイル ジョイントで、壊れる心配はまず無いようにしておいた。

2年前には四苦八苦していたダブテイル ジョイントにも、もうすっかり慣れ、失敗することはなくなった。






アトリエの外から、寒梅に巣を作った鳥のヒナがピーピーと鳴き、親鳥にエサをせがんでいるのが時折聞こえてくる。

ヒナは、大きくなるに従って、一日に何回もエサを食べるようになってきているようで、親鳥は一日中忙しくエサを求めて飛び立っている。
親鳥が飛び立った後、望遠で写真を撮ったら、ヒナが上を向いて、おとなしく親鳥が帰って来るのを待っている様子が写っていた。
かわいいものである。


このヒナたちが巣立ったら、親鳥もそこから居なくなるのだろうな…
巣に帰って来る野鳥も居るのかな?

居なくなったらちょっと寂しい。



13.12.16

扱いの難しい Ancient Kauri

最近荒くカットされた板を使うことが多くなって来たため、ガサガサの面を効率的にザクっと削れる Scrub Plane を用意する必要が出て来た。

3挺あるHenry Boker の鉋の内、最も小ぶりのものは、元々 Scrub Plane として使われていたもので、私はそれを普通の鉋として使うべくブレードを削り直してしまってあったのだが、そのブレードをまた Scrub Plane 用に戻し、これからは荒削り用の鉋として使うことにした。



Henry Boker のブレードは日本と同じ laminated steel で、非常に切れ味がよい。
あっという間にガタガタの表面を均すことができ、かつ、表面は程よくスベスベになる。


幾つかの板の表面を均し、普通の鉋 → 仕上げ鉋の順に鉋がけを終えたものの、今月始めにeBayとAliExpress に注文しておいたボックス作りに必要な小さなヒンジはいまだ届かず、AliExpress に関しては、注文から10日以上経った今でも荷物が中国本土から出ていないようで、在庫が充分あるのにも関わらず、なぜ発送にそんなに時間がかかるのか首を傾げたくなってしまう。この分では年内に届くかさえも疑わしい。


国内のインターネット オークションに出品していた Ancient Kauri の鍋敷き…
作ってから2週間ほど色の変化、表面の艶の変化等を見た上で、変化無しと判断してオークションに出品したものだが、出品した後に、塗ったTung Oil が部分的にまだらに染み込んだような色に変化してきていたことに昨日まで気付かなかった。
これまでに Ancient Kauri で作った物は綺麗に仕上がり、このようなまだらな油染みのようなものは出て来たことがなかったので、この鍋敷きに使った木の部分が他と違っていたということなんだろうかと、この木の性質についてまだ詳しくない私は、製作後約 1ヶ月経って売り物にならなくなってしまった鍋敷き2つを見て、心底ガッカリすると同時に、これまで売れずにいてよかったと安堵した。(出品は即刻取り下げ)

費用はかかるが、ステンドグラスの製品は、作った後何週間かしたら素材が変化したなどということが無い分、売るのは気が楽だった。

木製品は気候の変化に依って伸びたり縮んだりを繰り返すは、表面を仕上げる際に相応しくない塗料が出て来るはで、どんなに時間をかけて丁寧に作っても、思い通りになってくれないことがかなり多く、それが作業する上で大きなストレスとなっている。


「木っていうのはみんな性格があるんですよ」
「木にはね、人間と同じで癖があるんですよ」

ある江戸指物師の方が仰っていた。

木工は奥が深い。

工具を使いこなせるよう技術を磨くのと並行して刃物を鋭利に研ぐ技術も習得しなければならず、その上に、木の特徴/性質に通じ、どの木をどのように使うかを吟味し、板の模様をどのように際立たせるかを熟考し、デザインを考える。
そのようにして全神経を集中して作り上げた物を最終処理で台無しにしないよう、適切な表面処理の仕方を学ぶ必要も出て来る。

私は、木工を初めて 2年目にしてようやく、扱う板毎に違った処理の仕方をしなくてはならないことを痛感した。(同じ種類の木から切り出した板でも、年代やら育った場所で性質が違うこともあり、見分けるのは非常に難しいことも知った)
だが、痛感したものの、まだ数種類の木材にしか触れておらず、どの板をどのように使えばいいかを教えてくれる人も、相応しい最終処理の仕方に秀でている人も身近にいないため、自分で試行錯誤しながら学んで行くしかない。

「技術は長年やっていれば身に付くが、それを材料と一緒に両方活かせる立場になるのは難しい」

上記の江戸指物師の方が、何十年、何百回その仕事をやっていても、やはり、一回一回上手くできたかできなかったか考えると仰っていた。そして、こう続けた… 

「いつも完成すればほっとはするけども、やっぱり反省するとこもあるし…」


木工に関しては、私はまだまだ駆け出しだ。
失敗ばかり繰り返しているようにしか見えないが、失敗しないで順風満帆で進むよりも、失敗をしながら技術や知識を増して行く方がよほど価値があることを私は知っている。知ってはいるが、道のりは気が遠くなるほど長く、ゴールは全く見えないほど遥か遠く、満足のいく仕事が一生をかけてもできないのではないかと思うようになって来ると、時折力が出なくなることがある。

未だ技術も未熟なままな私は、まだまだこれから何年も、安い板を買って来ては練習を積み重ねないとならないが、それでも、『木工に於いて最もこだわるのは使用する材料だ』というのがよくわかるようになってきたのは、少しは進歩したということなのかも知れない。

自分がこんなにも進歩が遅いなどとは、これまで思ったこともなかった。
歳のせいなのか、はたまた経済的な圧迫から生じる焦りから来るものなのか… 


裏庭のテーブルに飲み物を運び、テーブル席に覆い被さるように生えている大きな木を仰ぎながら、不甲斐ない自分の人生をつくづく情けなく思った。







11.12.16

間八 … 刺身にして美味

最近暑かったオークランドだが、昨日は雨模様の少し涼しく過ごしやすい一日だった。

昨日のこと…

友達と沖釣りに出掛けていた同居人Tから携帯にメッセージが届いた。

「でっかいカンパチ釣れた 😁」

「やったー、今日はカンパチの刺身だ!!」と喜んでいたら、間もなくT が帰って来た。

体長 90cm 越えのみごとにでっかいカンパチ。
釣り上げるのはさぞかし大変だったことだろう。

Tは明け方から夜まで出突っ張りで、しかも大物との格闘も加わり疲れ切っていたため、カンパチを捌く工程の半分以上は私が担当することになった。だが、我家の小さなキッチンで捌くのは一苦労で、先月日本から届いた分厚い木屋の出刃包丁がなければ悲惨なことになったに違いない。

木屋の出刃包丁…

遥か昔、私の結婚祝いに何が欲しいかと聞いてくれた父方の伯母に、包丁が欲しいと言った私… (その時には特別刃物が好きだというわけではなかったが — 気付いていなかっただけか?)
伯母は品質にこだわりを持っている人なので、選りすぐりの高級出刃包丁、菜切包丁、そして三徳包丁をセットにして贈ってくれ、私は日本でずっとそれを使い続けていたのだが、自らそれらを研ぐことはなく、高級包丁を間違いなく研げる腕のある父に、時折研ぎ直しを頼んでいた。父は丁寧にしっかりと研いでくれたので、頻繁に研ぎ直す必要は無かった。

NZに来る時には、その内の菜切包丁だけを持って来ることにし、他は実家に預けてきたのだが、良い包丁なので、実家で使ってくれているものだとばかり思っていた。
しかし、おそらく釣りをしない(&魚を丸ごと一尾買って来て捌くことなどほとんど無くなった)実家ではあんなに立派な出刃包丁は必要なかったのだろう、聞けば使っていないとのこと、それだったらと、送ってもらうことにした。

所々に錆が出ていたが、13年以上使わずに物置に仕舞われていたものにしては良好な状態のように見えた。


写真のまん中の牛刀は昔私が買った物なので、さして良い物ではなく、それは送らなくてもいいと伝え、あとの2本を送ってもらったのだが、『忠房作』と書かれた三徳包丁も然ることながら、また私の手元に戻って来たこの分厚い出刃包丁がこんなに活躍する時が来るとは、正直なところ想像だにしていなかった。
父の形見の天然砥石で研ぎ直し、見違えるほどにシャープになった出刃包丁は、我家にはなくてはならないものになった。

昨夜はカンパチのほんの一部を刺身にし、残りと鯛5尾は冷凍用に切り身にしておいたので、またしばらくは魚を買わなくてもよくなり、焼いたり、煮たり、揚げたりと、色々な料理に使えて嬉しい限りだ。


5.12.16

あと2時間...

昨日初めて日本のインターネット オークションに入札した。
探していた鉋が出ていたのだ。

決して安くはないのだが、その鉋は少々特殊で、製造に携わっていた職人さんが高齢になり、製造元が廃業してしまったため、この先手に入れることは増々困難になって行くだろうと幾つかのサイトに書いてあったもので、今回手に入れられなければ、また、いつ出品されるかもわからないものを待ち続けなければならなくなる。

評価の高い売主が、「状態はかなり良い」と書き添えて出品している物なので、まず間違いはないだろうと願って入札したわけだが、果たして私の設定した入札限度額で入札できるかどうか、やや心配である。

オークション終了まであと2時間…
起きていられるかな…


運良く落札できた暁には、ここに写真を載せることになるだろう。

楽しみである。


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今日の夕方、裏庭の寒梅の木に巣を作っていた鳥のひなが孵ったらしく、親鳥が何度も何度もミミズを捕まえて来ては子供達に与えている姿を見つけた同居人たちが、「お母さん、頑張るねぇ」と感心しながら、しばらく見入っていた。

健気だなと、お母さん野鳥を見て感心してしまった。



2.12.16

ヒンジの価格比べ

まぁ、日本で言うなら忘年会というところなんだろうな…
まだクリスマスまでには23日もあるのだが、同居人たちの働く職場では昨夜がクリスマス パーティーで、嬉しいことに夕食は要らないというので、私は一人、ケバブ(焼き鳥)をつまみに、同居人Hのお土産のお高い Hennessy を飲みながら、ジュエリー ボックスに使用するヒンジをインターネットで探していた。

NZの大手DIY shop には極々限られたサイズのヒンジしか置いておらず、しかも非常に高いのでバカらしくて買う気にならず、通販サイトの価格を数カ所見比べていたのだが、そのほとんどは中国から送料無料で送ってくれるというもので、品質はNZで購入しても同じだろうと想像できるため(ほとんど全てが同じ中国製だ)、今回は試しにeBay経由で注文してみることにした。

通販で購入する唯一の難点は、商品が手元に届くまでに早くて1週間、遅いと1ヶ月近く(或はそれ以上)かかるという点だ。
待つことができない場合は、仕方なく、信じられないほど高い金額を支払い、サイズを妥協して国内で買わなければならないが、そこまでする価値があるわけでもない私のジュエリーボックス作りは、仕上げられないまま数週間放置することに決定。


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今年9月頃だったかに、どこかの不動産屋がこの周辺の各家のポストに、"広告用"として投函して行った百合の球根がみごとに育ち、まだ咲かない薔薇に代わってベランダで一際華やかに咲き誇っている。

「綺麗な色だね」と同居人たちと話す度に、かつて雲の上のお師匠さんが送ってくれた野の花を思い出す。

送って(贈って)くれたのは同じ色合の野の百合だった。


他人との関わりを極力減らし、食料品やら製作に必要な材料を買いに行く以外は外に出ず、電話もせず… 


生きているのって面倒臭い…
早く『終わりの日』が来ないかなぁ…

ヒンジが届く前に終わりの日が来ちゃったら笑えるな…

同居人Hの日本土産の一つ

28.11.16

こんなものなのかな?


早速ニョッキを作ってみた。

生地を捏ねて丸めて、板の上で軽く押し付け、クルッと裏返すと綺麗な筋目が付いた。

が…  丸めたニョッキは芋虫に見えて仕方がなかった。


味つけはフライパンで熱したバターの中にセージ(sage)をちぎって入れるというレシピを見たので、庭にあるパイナップル セージで代用し(これでいいのか?と少々味を恐れながら…)、レシピにあった何たらいうチーズは家になかったので、エダムチーズとパルメザンチーズを振りかけて良しとし、オーブンで表面をこんがり焼いて食べてみた。

味つけは塩こしょう。

特別美味しいという感じではないが、不味いわけでもなく、ごく普通…
味つけの問題かな?



このニョッキ ボード、パン作りに使えるかも…



27.11.16

Gnocchi Board 作り

好きではない買い物に出かけ、好きではない料理を頑張ってし続ける毎日。

夕食に、同じ献立を2週間以内に出すことは滅多に無い私だが、自分が美味しそうだなと思って作っても、同居人たちには不評なものがあり、せっかく用意してもガッカリされることがあったりして、増々料理が嫌いになって行くというのが現状だ。



一昨日は長芋とオクラのネバネバ系和えもの(+鰹節/わさび醤油味)が喜ばれ、昨日はハワイに居た頃よく食べたポキ(Poke)と呼ばれるマグロの刺身の醤油漬けが喜ばれた。
今回のポキには、玉ねぎのみじん切りとコリアンダー(家で栽培)を刻んだものを入れ、庭で採れたレモンを絞り、醤油とオリーブオイルに赤唐辛子少々とニンニクのすりおろしを一かけ分入れた。(玉ねぎを入れるのは定番だが、その他に入れるものは適当に家にあったものである)


そんな料理嫌いな私が最近製図し、作っていたのは、ニョッキ(gnocchi)を作る際に使用する洗濯板のような波形のギザギザがついたボードだ。
ニョッキを作ったこともなければ、食べたこともないので、サイズも、波形の間隔も深さも想像で作るしかなく、使い易いかどうかさっぱりわからない。

試作品として作るのにわざわざ板を買うのももったいないので、先日ベンチ作りをした際に余ったパイン材を使って、取りあえず2つほど作ってみた。


今回は手間暇かけて手彫りでギザギザを作るのはやめ、しばらく眠っていたままだった電動ルーターを使ったのだが、楽をしたとは言え、一つ一つの溝の間隔を揃えながらの作業で、慎重に幅を揃えるのにけっこう時間がかかった。


角を丸くし、サンドペーパーで溝の一つ一つまできれいに磨き、アクセントにKwila を細長く切り、上部になる面に丸みを持たせたものを、溝を掘ってはめ込んでみた。


仕上げは、植物油を塗っては乾かし、塗っては乾かし…


だが、ニョッキを作っても、もしかしたら同居人たちは好きではないかも知れない…

チーズ フォンデュセットを買い、「材料を切るだけでいいから、楽チン!」と思っていたら、不評で、一度しか食べなかったし、次にRaclette グリルを買ったものの、「一度食べれば充分かな」という評価だったため、二度目に挑戦できずにいるような家だ。
(チーズ料理が嫌いなわけではないが、チーズだらけの料理は胃がもたれるのと、全ての食材がチーズ味になってしまうというのがダメらしい)

そんな具合なので、目新しい料理をしても「何これ?」と思われるだけで、美味しいと思ってもらえることは非常に稀なのである。


さーて、これから初ニョッキでもひとつ作ってみることにしようか…



23.11.16

Hide Glue 到着


裏庭の梅の木が伸び過ぎたので、剪定しようとしたのだが…
いつの間にか鳥が巣を作っていた。

鳥は一日中巣に居るわけではなく、時々どこかに出掛けて行くようだ。
おそらく卵を温めているのだろうと思うが、ヒナが無事に孵って旅立つまで、梅の木は伸び放題… 

ヒナが無事に孵るといいねと、同居人たちと毎日観察しているのだが、鳥の卵というのは、何日くらいで孵化するものなのだろうか? (鳥の種類にもよるだろうが)




さて、待ちに待ったHide Glue がようやく届いた。
長旅で、印刷された文字はインク染みとなってしまっていたが、幸いにも宛先を書いた紙の上には透明テープが貼られており、無事に届いてくれてホッとした。


Hide Glue というのは、乾くまでの時間が早いらしく、クランプで留める必要がないと言っている人もいた。(まるで瞬間接着剤のような感じだな…)
それ故、同時に何カ所か接着したい時とか、込み入ったジョイント部分に丁寧に塗ることが要求されるようなものには、固まるのが遅いリキッド状のものを使うようにということだったので、またその内にリキッド状のものも買う必要が出て来るかも知れない。

私がこの Hide Glue を使ってみたかった一番の理由は、接着面からはみ出したグルーを取り除くのが非常に楽だという点にある。
特に、ボックス等の内側にはみ出たグルーを取り除くのにいつも難儀をしていたので、固まったグルーをポロッと簡単に剥がせるというのは、何にもまして嬉しいことである。


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以前買っておいた皮の端切れを使って斧の sheath(鞘)を作った。
刃が当たる部分には厚目の皮を2枚重ねて貼り付け、その上からハンド ステッチを施し、鋭利な刃先で鞘を切ってしまわないようにしておいたので、滅多なことでは破れてはこないだろう。

皮を手縫いするのは初めてだったが、皮工芸用の安い道具セットを買っておき、YouTube でざっと縫製の仕方を見ておいたので、簡単に出来上がった。

皮工芸用の道具を買いはしたが、長年洋裁をしてきたためか、特に皮工芸に興味をそそられるということも無く、また、難しいと思う点も無く、それ故、皮工芸では達成感というものは得られないだろうと思うに至った。
私の中では、料理やら洋裁と同じ部類… そう、普通にできて当たり前なものでしかなく、特別鍛練の必要なものではないのだ。




努力を要さないものは楽しくない。
容易に手に入らないものだから、追い求め続けようと思うのだ。

そうだよね、(雲の上の)お師匠さん。



20.11.16

私が一緒に居なくてよかったね

父が亡くなってからというもの、姉は一人になってしまった母の面倒を以前にも増してよく見てくれている。

年老いた母を連れて北海道巡りの旅に出掛ける時には、歩くのが少しでも楽になるようにと折りたたみ式の杖を買って用意してくれてあったり、ずっと母に寄り添って、ゆっくり歩いてくれていたようだ。

今年は台湾ツアーにも連れて行ってくれた。
考えるまでもなく、歳を取った母親抜きで一人で行った方が楽に決まっている。だが、姉は母に一緒に行くかと聞いてくれるのだ。

母は旅行に限らず外に出かけるのが好きだ。そして姉も同じ。

それとは正反対に、私は父親に似て、外に出かけて行くよりも自宅で何かを作っていたり、本を読んでいたりする方が好きで、旅行にはさして興味が無い。



私は母に送ったメールの中にこう書き添えたことがあった。
「よかったねぇ、お姉さんが色んな所に連れて行ってくれて。」
「私が一緒に住んでいなくてよかったね。」
母からその返事は無かった。



かつて活動的な知り合いがいた。
彼は度々、「一緒に台湾に行こう」と誘ってくれたり、「モロッコに行かないか?」「ニウエに行こう」などと呼びかけてくれたのだが、「行かない」と断り、「これからは僕が色んな所に連れて行ってあげるよ」と言ってくれても、笑って済ませただけだった。

そんな彼が「電話してきて、いつでもいいから」と言ってくれた時、私は何と返事をしたと思う? 私は、「電話しないよ」と返事をしたのだ。
実際、電話もメールも何もしなかった。その時点で私達を繋いでいた糸が完全に切れたように思った。


多くの人は、私と居てもつまらないだろうと思う。
TVも観ない(TVなど家には無い)。世間のゴシップには全く興味が無い。どこかに出かける気も無い。世間の人が楽しんでしている多くのことに興味が無い。また、媚も売らなければ、歯が浮くようなお世辞を言う気も無い。

いつからこうなったのかと振り返ってみても、劇的な変化を遂げた形跡が見当たらない。
多分、ごく小さな頃からこうだったんだろうとしか思えないのだ。


歳を重ね、この世で生活するのに適さない人格を備えて産まれて来てしまったと痛感するようになった頃から、カミュの『異邦人』に書かれている事柄が更に深く心にしみるようになって来た。

私はこの世に期待することも、希望することも何も無い。

だから、放っておいてくれないか…
親切そうな人が目の前に現れる度、心の中でそうつぶやいてしまっている私が居る。






18.11.16

まだまだ研ぎが甘い


仕上げ鉋の刃を研いだ。
写真を撮って拡大して見ると、肉眼ではわからなかった研ぎの甘さがよくわかる。

まだまだ だな…


ダイヤモンド砥石の使い道

真っ白な砥石は表面を平らに均し終わったもの

同居人Hが日本から帰国する際、荷物が多過ぎて持って来れなかった父の形見の天然砥石を、日本に居る長男が、他の荷物とともに郵送してくれた。

厳重に一つ一つを緩衝材で包み、きっちりと段ボールに詰めてくれてあったので、割れることも、欠けることも無く、無事に届いてくれてほっとした。


砥石を見ながら、表面を真っ平らに均すべきなのかどうかしばし考えた。
世間で言われているように、本当に真っ平らにしなくてはならないのだろうか… 

父は寸分の狂いも無いような家具類を、真っ平らではない砥石で研いだ道具類を使って作ることができたのだ。父の作った家具は歪むことも軋むことも無く、60年近く(或はそれ以上)経った今でも壊れること無く使い続けていられるのだから、真っ平らでない砥石を使っていても全く問題は無いということなのではなかろうか… 

世間に垂れ流されている情報の何を信用したらいいのか、どのようにしてその情報が正しいと判断したらいいのか… 父を亡くしてしまった今となっては、誰を頼りにしたらいいのかもわからない。

とは言うものの、せっかく相続した砥石を使わないで仕舞っておくのはもったいないので、取りあえず、最も平らに近かった砥石の表面を、これまで使っていたダイヤモンド砥石を使って均してみることにした。

さすがに、やや高額だったダイヤモンド砥石は使い込んであっても凹んではおらず、天然砥石の表面を均すのには非常に都合がよかった。(このような使い方をするようになるとは思ってもみなかったが、天然砥石の価値を知った今は、"たかが人造のダイヤモンド砥石"である)

早々に天然砥石で料理用包丁を研いでみると、非常に滑らかな研ぎ心地であるのに、研磨力は驚くほど高く、刃を痛めている感がまるで無いのにも関わらず、想像以上に早く研ぎ上がったことに驚いた。

ダイヤモンド砥石を使っていた時には、最も目の細かいプレートを使っていても、刃を痛めている感じをどうしても拭えず、研いでいると言うよりは、削っているという感じがしてならなかった。それでも、雲の上のお師匠さんのように、50年以上家具職人をしてきた人の推奨する物だから間違い無いのだろうと信じて使い続けていたのだが、最終的にポリッシング コンパウンドを塗布した皮で磨いて、ようやく研ぎ上がったと感じる程度のシャープさでは、父の研いだ刃物に敵うはずもなく、ずっと、「これではダメだ」と、納得できないままだった。

刃物を研ぐことに対しての意気込みと言おうか、深さと言おうか、適切な言葉が今出て来ないのだが、とにかく、日本の刃物のシャープさを追求する姿勢と言うのは、他の国々のそれと全くレベルが違うのだということを、私は今はっきりと認識したように思う。

大枚はたいて買ったダイヤモンド砥石は、これからも西洋の薄っぺらなブレードを研いだり、日本の砥石を平らにするのに使うだろうが、日本製の刃物については、もう二度とダイヤモンド砥石を使うことはないと断言できる。

ダイヤモンド砥石で"刃をつける"ことはできない。


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面白いほど良く切れるようになった三徳包丁でキャベツの千切りを試してみた。
私は、キャベツの千切りには通常菜切包丁を使うのだが、研ぎ立ての三徳包丁でも問題無く極細の千切りができた。


柔らかな鶏肉にもすぅーっと刃が入って行く。

料理自体に興味は無いのだが、食材を切るのは嫌いではない。
そういえば、父親の葬儀の後、食事の支度をしてくれた姉や母の隣りでひたすら食材を切っていたのは、他ならぬ私だった。

要するに、刃物に興味があるということか…




16.11.16

AWAPUHI ULA ULA

ハワイアン キルトに興味を持った時期があった。

当時ハワイに住んでいた長男が、キルトのデザイン本やら何やらを何冊か買い集め送ってくれたことがあったが、のんびりキルトを楽しむ時間も持てないまま、ずっと本棚に立てられたままだった。

久しぶりに本棚から何冊かの本を出してきて、夜な夜な眺めていたら、ハワイアンのパターンの鍋敷きも綺麗かも知れないと思い立ち、早々に作ってみた。

このパターンのハワイ名は Awapuhi Ula Ula 。英語名はRed Ginger 。


これも、買ってあったAncient Kauri を使用し、パターンの四隅は父の工具箱に入っていた彫刻刀を使って、素朴な感じに仕上がるよう、簡単に掘って縁取りに被せるようにしてみた。

他にも綺麗なパターンが幾つかあったので、また今度作ってみるとしよう。



15.11.16

美しい Ancient Kauri の鍋敷き


同居人Hの日本旅行の際、お土産にと作った鍋敷きが好評で、渡してすぐに使い始めてくれたとのこと。
「鍋敷き、綺麗だねぇ」と、私など足下にも及ばないほど器用な姉が褒めてくれたのは、本当に嬉しかった。


ベンチが完成してからは、ただひたすらAncient Kauri のラフにカットされたブロックと格闘していた。
Ancient Kauri は、間違って逆目で鉋をかけてしまうと、100% の確率で板の角が大きくゴソッと欠けてしまう。シャープに研いだばかりの鉋を使ってもダメだった。

そのため、今回作ったこの鍋敷きの角を丸くするのをどのようにしようかと悩み、最初はサンドペーパーを使うしか無いかなと思っていたのだが、何年か前、木工を始めたばかりの頃だったと思うが、日本に居る長男が送ってくれたホビー用のツールがあったことを思い出し、それだったら多分大丈夫だろうと、試しに使ってみることにした。


いわゆるカード スクレイパーのホビー用だ。
様々な角度で面取りができるようになっているので、最初は上の写真の板の縁に当たっている箇所で削ろうと思ったのだが、要らない板を試しに削ってみたところ、削る際に板に対してツールが正確に直角になっていないと、赤い矢印で示した角の部分で板の表面に傷を付けてしまうことがわかった。
非常に神経を尖らせて、直角を保ち続けながら削らなくてはならないのはこの上なく面倒だということで、板に傷を付ける心配の無い水色の矢印部分で削ることにした。


透かし彫り部分はサンドペーパーでシャープな角を落とし、周囲は上記の面取りツールで整え、Tung Oil の海にポチャンと浸けてから、余分なオイルを吹き飛ばし、乾かしているところである。

少々扱い辛い点はあるものの、この Ancient Kauri はとても美しく、光りの当たり具合で金色にキラキラ光る部分が現れ、鍋の下敷きになるのがかわいそうなほど、非常に趣のある鍋敷きとなった。





14.11.16

Hide Glue と Bottle Warmer

日本語で言うとすれば『膠』になるのだろうか…

かねてから使いたいと思っていた Hide Glue を eBayに注文し、古い鉄製の Hot Glue Pot を探していたのだが、よくよく考えたら、アトリエには温度調節できる電熱器のようなものは無く、使えるとしたらカセットコンロくらいしかない。

カセットコンロで温め→温度を計り→火を止め→冷めたらまた温めを繰り返すのは想像しただけで面倒だ。しかも、場所を取る。

YouTube で Hide Glue について少々勉強したところ、赤ちゃんのミルクやら離乳食を温めるのに使うような、ボトル ウォーマー が使えるという人がいた。
おー、そういう手があったかと、早速国内のインターネット オークションで『哺乳瓶温め器』を探すことに...

ボトル ウォーマーは幾つも出品されていて、ほとんどが良好な状態のようだった。
幾つか機能を見比べ、その中で最も使い易そうな物に入札しておいたところ、リザーブ価格で落札できたのはいいのだが、その日からオークションサイトに表示される"お薦め商品"は育児用品ばかりになってしまった。

自動検索機能というのは、誠に単純である。
探しているものがしばらく見つからない場合には有効かも知れないが、検索履歴を全てチェックされているというのは、決して気持ちのよいものではない上に、全く興味のない広告ばかりが毎回のように出て来て、「いいかげん止めてくれないか…」と感じてしまうことも多々ある。

次第に移り変わって来た"広告"に対する考え方は、果たして購買者に取って大きな利益をもたらしているのだろうか…



Hide GlueはUKから送られて来ることになっているため、未だ届いていないのだが、届いたらすぐに使えるようにと、ボトル ウォーマーの温度設定を先に確かめておくことにした。


最新式のボトル ウォーマーの中には、温度がデジタルで表示されるようになっているものがあるようで、それだったら便利だろうなと思いながらも、まぁ、私の場合は、ただ一回だけ温度をほぼ正確に測り、ツマミの位置をどこに固定すればいいかを印しておけばいいだけのことなので、これで全く問題は無い。

設定温度は145°F (62.7778℃)
通常私は摂氏表示(℃)を使うのだが、たまたま観たYouTube ビデオの中で華氏で説明されていたため、そのまま°Fで測った。(パン生地を醗酵させる際にも、私は華氏で温度を計る。お手本とした手引書が華氏表示で、一々摂氏にし直す必要の無い、摂氏/華氏両用温度計を持っているためだ)

パン作りの際に使用する温度計を、水を張ったボトル ウォーマーの中に入れた水の入った小瓶(確か、豆板醤が入っていたと思われる空き瓶)に差し込み、待つこと数分… その温度まで達すると赤く光ったライトが消え、その温度よりも2°F下がるとまた加熱が始まったが、再度赤いライトが消えた後に2°Fほど上昇してしまうのは、おそらく致し方ないことなのだろう。
多分、そこまで厳密に温度管理する必要は無いに違いない。


遥か昔から使われて来た Hide Glue を早く使ってみたいものだ。




10.11.16

そら豆収穫


同居人が日本の旅から帰るのを待っていたかのように、急に大きくなったそら豆。

第一回目の収穫はさほど多くはなかったので、莢を取り除くとほんのわずかになってしまった。



箸休め程度のおかずにしかならないなと思いながら、さっと塩ゆでし、皮を剥くと、更に量が激減したように見え悲しくなったが、とても鮮やかな濃い緑色の豆は、卵白と卵黄を別々に炒めたものとあえて(某有名料理人の本に載っていたもの)、食卓に彩りを添えるのに役立った。



ただ、その料理自体は、ものすごく美味しいと感動するほどのものではなかったため、次の収穫物は、豆自体の味を充分堪能できるような調理法にしなくてはと、レシピを探す今日この頃である。


7.11.16

糠に釘

物事を深く考えることをせず、ただ単に表面に現れているいることのみを見て(或はちょっと小耳に挟んだだけで)、いたって単純に "全てを把握した" ような気になり、その極めて浅い理解の上でだけものを言う人が居る。
そのような人は、自分の頭に浮かんだことを、何の確証も無いまま、"誰かれ構わず" 吹聴して回る傾向にある。(誰がどんな性格で、自分の発した言葉がそれを聞いた相手にどのように受け取られるか云々など微塵も考えることなく、取りあえず自分の喋りたいことを口にするという行為にしか興味が無い)
そして、その行動が及ぼす悪影響について思いを巡らすことは大抵ない。

残念なことに、『物事を深く考えることをしない』人は、『考えることをしない』のではなく、『考えられない』のだ。
熟考し、思慮分別を働かせるという機能が備わっていないということなのだ。
悲しいことである。

そういう性質を持って生まれた人が子となり親となりして、血を分けた相手にさえ精神的に危害を加えるケースにおいては、ただただ、『救いようが無い』としか言うことができない。
そう、救いようが無いのだ。
そのような人に何をどう諭そうが、深く考える機能が元々備わっていないのだから手の打ちようが無いのである。

生活していれば、誰かに対して、「思慮分別を働かせろよ…」と思わず心の中で叫んでしまう場面が多々出て来るだろうが、私は声を大にして言いたい。

そのような性質の人に深く考えてみろと言うのは、正に糠に釘のようなもので、無駄な努力に他ならないと。



人と接触することにほとほと疲れたと感じた朝だった。


4.11.16

下駄箱兼ベンチ完成


天板を取り付け、ようやく完成したベンチ。
そんなに大きくはないので、一人で家の玄関まで運び、やれやれと一息ついて写真を撮る頃には、既に玄関は薄暗くなっており、案の定露出不足の写真になってしまった。

家族にLINEで写真を送ると、皆綺麗にできたねと褒めてくれた。

まだ胸を張って披露できるようなレベルには到達していないが、まぁ何とか形にはなり、家具作りが以前にも増して面白くなって来たのは確かだ。


もっと沢山、色々なものを作って技術を確かなものにしなくては…
改めてそう思った。



3.11.16

Bow Saw


一年以上前にインターネット オークションで落札したBow Saw フレームに取り付けるブレードを、ようやく購入した。

ブレードは、品質の良いバンドソーのブレードをちょうど良いサイズに切って、Bow Saw フレームに取り付けるための穴をあけた。穴の部分に差し込んでブレードを固定するための金具が無かったので、ステンドグラス用に買ってあった太めの銅の針金を差し込んで良しとした。

紐は同居人が持っていたものをもらい、早速使ってみたのだが、手で握る部分のフレームが細すぎ&薄すぎて使い辛い。

フレームは自分で作った方がよさそうだ。


下駄箱兼ベンチ作りは、最終的に水性ポリウレタンを3回重ね塗りすることにし、ようやく全ての面を塗り終え、明日天板を取り付けて終了となる。
100点満点で65点というところかな…

二度と同じ物は作らないだろうが、多くの面でいい勉強になった。


30.10.16

Shir La'ma'alot - Yosef Karduner (Tehilim 121)




明け方4時前に目覚めた。

頭がはっきり目覚めてしまったので、目を瞑るのをやめ、ベッドの上でパソコンを開いた。

開いた途端、この曲が流れて来た。
幻覚ではなく、実際に流れて来たのだ。

開いておいたわけでもないのに、iTunes が勝手に起動し、何年も前に聴いていたこの曲が流れている。

私はインターネットでその聖句を再び読んだ。

詩編 121 編

胸が詰まり、涙が流れた。


29.10.16

Kinzo Dovetail Saw


ベンチにステイン3度塗り。
最初はDark Oak 、その上にDeep Oakを塗り重ねた。もちろんその度にサンディングをする。
Dark もDeep も変わらないじゃないかと思うかも知れないが、私がいつも買いに行くResene のそれらは全く違う色で、Dark は赤みがかった茶色、Deepは黄色みがかった茶色だ。
(どちらも単品の色だけでは物足りないので、私は色を重ねて使うようにしている)




ステインで着色後シェラックを2度塗り重ね、乾かしている間に、届いたばかりのKinzo 23 の目立てをした。

これは小ぶりな鋸で、目数が17 tpi と非常に細かく、目立て後に板を切ってみると、切り口が非常に綺麗で、まるで日本の極薄い鋸で切ったような切断面になった。

ブレードの質に関しては、私はまだどうしようもなくひどい品質のものに出会っていないため、どれが良くてどれがお粗末だとかは全くわからない。
ただ単に、昔の日本の職人が作ったものは、おそらく悪くはないだろうと思っている程度の認識の浅さだ。


この Kinzo 23 、大きさはこれまでに買い集めた中で最も小さく、細かい作業をするのに誠に使い勝手が良い。

同居人Tは、引いて切る日本の鋸の方が断然使い易いと言うのだが、私はどちらかと言えば押して切る鋸の方が使い易く感じる。また、目立てが楽だというのも利点である。
まぁ、目立てに関しては、日本の鋸についても、馴れてしまえばどうということはないのだろうが…


シェラックが完全に乾き、#360のサンドペーパーで表面を均す程度に軽くサンディングし、ダストを綺麗に拭い去り、しばし考えた後、Deep Oak カラーのステインをもう一度上塗りすることにした。



ステインを乾かしている間に、裏庭の草取りを少々…

放置したままになっていた同居人Hの『そら豆畑』を見ると、もう沢山の莢ができていて、中には丈が15cmほどに成長しているものもあった。豆を育てた経験が無いので、いつ頃収穫できるのか、またインターネットで調べないとならない。

リンゴの木にも沢山花が咲き始めた。




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《日本食い倒れの旅》の最終章に入っている同居人Hから、毎日のように送られて来る食事の風景。どれも美味しそうなものばかりで、羨ましい限りだ。
調理方法も然ることながら、とりわけ食材の良さが際立っている。

黒毛和牛(もちろん霜降り)


それに対抗すべく、こちらから送った写真は…


同居人Tが釣り上げたばかりの透き通ったイカ。

そして、超新鮮なイカ刺し。



こちらで対抗できるのはそれくらいなものだ。


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...