25.12.12

キリスト教国でクリスマス・イヴを過ごす

一昨日の夜、愛車が突然動かなくなった。
同居人の知り合いの修理工場に預けて原因を調べてもらうと、エンジンが逝ってしまったとのことで、運悪くクリスマス・イヴの昨日は修理工場は半日営業したものの、その後はクリスマス休暇に突入...

ということで、1月3日過ぎまでは小さな小さな 2-seater convertible のみが我家の足になった。



昨日は朝から夕方までブティックの仕事が入っていたので、同居人に店までチッコイ車で送ってもらい、店の奥の真っ暗な炊事場にある電気のメインスイッチを入れると、私の名前が書かれたプレゼントとグリーティングカードが置かれていて驚いた。粋なことをするものである。


イヴにはおそらく客もそう来ないだろうと見積もって、頂き物の iPad mini を持参し、冷房の効いた店内で読書三昧を決め込もうと思っていたのだが、客はチラホラとやって来て、客が居なくなったかと思うと周りの店の店員さんたちが油を売りに来たり、友達から電話が来たりと、読書に耽れる環境ではなく、読んだのはたった3ページほどだった。



読書はできなかったものの、iPad mini は今日も良い仕事をしてくれて、私がステンドグラス職人だというのを聞きつけた近くの店の店員さんが、ぜひ家にステンドグラスの窓を入れたいとやって来てくれた時には、これまで作った作品を見せるのに非常に役立った。




iPad mini のいいところは、それでいかにも"営業しています"というサイズではなく、明らかに自分の楽しみ用に持っていますというサイズなのに、画面は適度に大きく、写真はとても綺麗で、iPhone に入れた写真などとは全くもって比較にならないほど迫力が有り、説得力もあるところだ。

ステンドグラスの製品は高すぎるので、手を出せる人ばかりではないというのを重々承知しているため、私は営業目的で写真を見せることはないが、「これまでどんな仕事をしてたの?」と聞いて来る人や、手作りが好きだという人がいると、言葉で説明してもわからない場合が多いので写真を見せ、そして驚かれる。
作業途中の写真などは、この仕事がいかに大変かを伝えるいい手段だ。恐ろしく時間がかかり、危険でもあり、とても安価には手に入らないというのが、ほんの少しはわかってもらえるようになる。(実際に作業してみると、説明されて想像したよりも遥かに大変な作業だということがわかるようになるというのは、これまで教えた生徒さん全てが口にした言葉である)


このサンタたちはステンドグラス用のフリーの型紙を利用して作ったもので、売り物ではなくお世話になっているお寿司屋さんの奥さんへのプレゼントに作ったものだったが、「こういうのって、作るのにどれくらい時間がかかるんですか?」と聞かれ、「丸2日(朝9時頃から夜7時過ぎまで)かかりました」と答えたらえらく恐縮されてしまった。
自分でデザインをすればもっともっと時間がかかったが、今回は楽をしてデザイン時間無しなので、その程度しか時間がかからず、私としてはいとも簡単な作業だったよと笑って答えたものの、こんな丁寧な仕事をしていたら生活費など稼げるわけないよなと再確認もしてしまった。

Shop assistant の仕事は言葉の心配さえ無ければ楽な仕事である。
たまに非常識な客も来たりはするが、それでも大方は気の良いおばちゃんたちで、別にすごく困るという事も無い。
自分で経営しているのでなければ、売り上げを気にする事も無く、いつものようにニコニコ応対しているだけで日本円にして時給¥1,000以上の報酬を得られるのだ。
自営業の期間が長かったので、例え売り上げが少なくても決まった報酬を得られる勤め人というのは、気が楽でいいなとつくづく思った。

昨日は、全く親しいわけではない筋向かいの美容院を経営する女性(ロシア人)が、何故だか私にと言ってチョコレートとカレンダーとボールペンをプレゼントしてくれたのも大きな驚きだった。

彼女の店の外を通る度に手を振って挨拶してるのが気に入られたのかな?(笑)

また、毎度の事であるが、初めて会った日本人の女性から「あなた、全然日本人らしくありませんね」と言われ、話を始めると、今度は「あなた、どちらの出身?東京?... とてもきれいな日本語を話されるから、東京の方かと思いました」とも言われた。

そう言われてパッと頭に浮かんだのは、まだ長男が小学生だった頃の事...
友達と一緒におもちゃ屋に行った時、やはり今の私と同じように「あなたは東京から来たの?」と自分だけ聞かれたらしい。

その長男は、私の実家に行くと、慣れない方言を駆使して喋ろうとするので、私達は聞いていてとても違和感を覚えるのだが(笑)、普通に喋ると今度は私の両親やら姉やらがひどくよそよそしく感じるだろうなとも思えるし、難しいところである(笑)



16.12.12

公園の駐車場にて

最近急激に出掛ける事が多くなり、少し社交的にはなってきたものの、今朝目覚めてひどく疲労感を覚え、今日はどこにも出ず一日ずっと家に居ることにしようと決めた。

ここセントラル・オークランドはここ数日気持ち良く晴れている。日中はもう半袖一枚で充分な暖かさとなった。

近くの公園に来る寿司キャラバンの一家とはもうすっかり友達になり、最近そこによくランチを買いに来る Christmas Tree を運ぶ青年とも顔見知りになってしまい、先日寿司作りの助っ人を頼まれた時に、その青年から「アンタ、今日はここで働いてるんだ!」と驚かれた。
少々ラテン系の顔立ちのように思えるその青年は、一日に何度か大きなトラックでその公園にやって来るようで、顔を見る度に手を振って挨拶をして行く。
Christmas Tree は一日に200本以上も売れることがあるらしく、「大きい木は1本$50.00ほどするから、1日に$10,000.00以上の売り上げですよ... すごいですね」と、寿司屋の人は驚いていた。(本日のレートでは、日本円にして70万円以上)
季節ものなので、このクリスマス前の数週間しか稼げないものの、この数週間で一年分を稼げるとしたら、こんなにいい商売はないなと、傍で見ていると思ってしまうが... 実際はどうなんだろう?

『隣りの芝生は青く見える』

楽な商売なんてそうそうあるものではない。
Christmas Tree を育てるのにはまず広大な土地が必要で、何百本も育てるのには時間もお金もかかり、木を切るのに人を雇い、運ぶのに大きなトラックが必要になり、ガソリン代もハンパじゃなくかかり、木をトラックに積み込む人&運ぶ人を雇い、売る人を数人雇い、販売する場所代を払いなどしていれば、あっという間に多額の経費が飛んで行ってしまうのだ。そう考えると、「いい商売かな??」と疑問符が幾つも付いてくるようになる。


友達は7年間続けたベーカリーを先月手放した。それも、信じられないほど安い価格で手放したのだ。よほど資金繰りに困っているとしか考えられない。
母体であるインポート・ビジネスに支障をきたさなければいいのだが...

奇遇にも、苺売りのマフムートはそのベーカリーの持ち主だった私の友と20年来の知り合いだということで、時々ベーカリーに買いにも行っていたそうだが、彼がベーカリーを閉めた事はその時まで知らず、話を聞いてとても驚いていた。
「母体のビジネスは上手くいってるの?」と、やはりマフムートも案じていた。

皆一生懸命に生きている。
その人の行き着く先は『死』なのか『楽園』なのかわからないが、取りあえず皆、『今』を精一杯生きているのだなと思った。



6.12.12

深夜 イカ刺しを楽しむ

つい最近、家から車で5分ほどの桟橋でイカが釣れるというのを知った同居人は、毎晩のようにイカ釣りに出掛けるようになった。

イカ釣り初心者なので、深夜に釣りを楽しむアジアンのおじさんたちの中に入って、どのようにすれば釣れるのかを毎夜観察し、ついに昨晩、中ぐらいの大きさのイカを釣り上げてきた。
昨晩はもう一人の同居人が不在だったため、2人で食べるんだったら1杯で充分だなと思った同居人は、これだけ釣って帰って来たのだ。(欲深くない性格(笑))


釣り上げてから30分程度しか経っていないイカは、透き通っていてとても綺麗だ。

同居人は塩水でイカを洗い、内蔵を取り除き、皮を剥ぎなどして、超新鮮なイカ刺しを作ってくれた。

ちなみに、私自身もイカを捌いた経験はあるものの、イカの目にはからっきし弱く、あのギョロッとした目を見た瞬間 「ギャ〜〜ッ!! 」と持っていたイカを放り投げた過去を持つので、それをよく覚えている同居人は、言わずもがな、自分が捌く義務があることを承知していて、釣って、捌いて、後片付けまでしてくれた。



NZは潮の臭いがほとんどしないためか、釣り上げたイカもほとんど臭わず、こんなに美味しいイカ刺しは生まれて初めてだなと感動ものだった。


深夜、これ以上ないというほど新鮮なイカ刺しを食べながら、「こういうの、最高の暮らし方だよね」と、しみじみと話していた。



2.12.12

友達のサタデー・マーケット

昨日午前中に、友達の奥さんからぜひ来てねと言われていたサタデー・マーケットに行って来た。
マーケットと言っても、友達がインポートした商品を事務所&倉庫の駐車場で売っているというだけで、あとは野菜や果物、パンやピザ、サモサなどを外の窯で焼いていたり、コーヒーを飲めたりするくらいの、ごく個人的なマーケットである。

友達はイスラエリ。8年来の喧嘩友達。
そして、サモサを作って来たのはパレスティニアン(パレスチナ人)とロシアンのカップルだった。
私はそのパレスティニアンとサモサが焼ける間少し話をしていたのだが、私が日本から来たとArabicで言うと、彼は、「アラブ人は日本人をとても尊敬しているんだよ」と話し始めた。
その理由はとてもシンプルで、「日本はアラブに対して戦争を起こさなかった国だから」という、ただそれだけのこと... しかし、ただそれだけのことが非常に重要だと思えるような環境で暮らして来た(また、今でも暮らしている)人々のことを考えると、な〜んだ、それだけのことかとは笑い飛ばせなくなる。

パレスティニアンの彼がどうしてイスラエリと仕事をしているのか...、
聞いてはみなかったが、おそらくかなりな葛藤があったに違いない。反対する人が居なかったとは考え難い。現に、この国でもイスラエルの製品をボイコットしようという運動があったり、テニスのトーナメントに出場するイスラエル人選手に向かって、拡声器まで使って罵声を浴びせ、出場を辞退させようと目論む輩も出て来たりするほど、イスラエルに関わる全てを憎む人たちが存在するのだから。

しかし、Quranに照らし合わせてみれば、このサモサを持って来たパレスティニアンの行為の方が正しいのだ。(Surat Fussilat 41:34)私はそう解釈している。


友達が開いたこじんまりしたマーケットの雰囲気は温かく、私にとっては悪くない場所であった。

またサモサを買いに行こう。



30.11.12

Hotel California

Job interview に行った日、出掛ける直前に、飾ってあった彼の人の写真が机から落ちた。(もちろん落とそうと思ったわけではない)
そして、仕事初日の昨日、人生に於いても仕事に於いても大先輩のパメラから仕事内容を聞いている時、ラジオから流れて来たのは The Eagles の Hotel California だった。彼の人が大好きだった曲である。
不意に涙が溢れてきて難儀をした。

ただの偶然と片付けてしまいたくない現象が人生の節目々に度々起こり、その度に彼の人の存在を強く感じるようになるというのは、どういうことなんだろうか。


新しい職場は、家から車で5分程度の所にある"有名人"のブティック。毎日のようにTVに出ているタレント(?)の店らしいが、TVを観る習慣の無い(持ってもいない)我家では、当然のことながら誰一人としてその人物についての情報を持っておらず、私は面接を受けに行くまでその人の名前すら知らなかった(笑) そのような所に何故面接を受けに行ったかと言えば、8年来の友達がそこでshop assistantを募集していると紹介してくれたからだ。

shop assistant の経験も無く、オーナーについて何の知識も無く、英語に関してもあまり自信のない私が、他の応募者が居なかったわけでもないのに採用されたのはかなり謎であるが、奇跡的に採用されてしまったので、英語上達の為にそこで働くことにした。


パメラは「楽な仕事だから」と何度も言っていた。
暇な時には椅子に腰掛けて本を読んでいればいいし、掃除は汚れていなければ一週間に一度くらいでいいんじゃないのという程度の大雑把さだ。(オーナーとのインタビューに出向いた時には、オーナーが一人で掃除機をかけていた(笑))
仕事中に用事で出かけたかったら、表の鍵をかけて、何分以内で戻りますという張り紙をして出掛ければいいと言うし、基本的に仕事に拘束されるという感じではない。(私のこれまで持っていた"日本の常識"からすれば、私用は仕事に入る前に済ませておくか、或は仕事がひけてからにすべきだと思うのだが... 日本人の私からすれば、極端にゆるい職務規程である)
キウィの職場環境に慣れてしまったら、とてもじゃないが日本の企業でなんて働けなくなるだろうなとしみじみと思った。

移民の中で働いた経験はあるものの、移民は私だけという職場環境で働くようになるというのは予想だにしていなかったので、全くの英語環境で本当に大丈夫だろうかといまだに心配ではあるが、まぁそのうちに慣れるだろう。

余談だが、その店の超有名人であるオーナーとの面接時、要求されてはいなかったがCVを持って行ったので渡したところ、私の職歴を見た彼女は、「あなた色々な職業を経験してるのね」ととても驚いていた。それに対する私の返事は、「あなたと一緒でね」(笑)
(面接に行く前日に、インターネットで彼女についての記事を読みあさっておいた結果の返答であった)
彼女は笑いながら、「ええ、全くその通り」と言っていた。年増女性同士の熟れた(こなれた)会話である(笑)


仕事初日の昨日、さっそくディスプレイ用の広告を新しく作り直すことはできるかと聞かれ、また服のほつれを直せるかと言われたので、どちらもお易い御用だと返事をした。
ネイティブのように英語を流暢に喋れるわけでもない私を採用してくれたのだから、私にできることは何でも喜んでするつもりだ。


自分の中の英語の壁を崩せたら、この国でもっともっと楽しく生きられるはずだから、こんなに歳を取ってしまってからではあるが、頑張って新しい環境に入って行くしかない。そう思った初日であった。

苦手な電話の応対が極力ありませんようにと祈りつつ...




24.11.12

手作りのガーデン

ここ数日、日差しが刺すように痛い。



このひと月の間にガラッと雰囲気が変わったベジ&ハーブガーデン。
家族全員がヘトヘトになりながら力を出し合って土を掘り起こし、ブリックを並べ、柵を作りなどして、何も無かった裏庭が見違えるように綺麗になった。

ここまで仕上げてくれた子供達のおかげで、私は裏庭に下りて行くのが日課になった。もうこれでビタミンD不足とはオサラバできるはずである。



今日はこれまで作りためた子供服の幾つかを持って、家のすぐ近くの公園でお寿司を売っている人の所に行き、幾つかの服を差し上げて来た。
お寿司屋さんはとても人情味のあるいい人たちで、お寿司を買いに行くといつも余分に持たせてくれ、今日は更に、夕食を作らなくてもいいほど沢山いただいて帰って来た。
ありがたいことである。


さて、綺麗な庭を眺めながら、ステンドグラスの仕事を再開するとしよう。





22.11.12

マフムートのランチ



少し前、いつものように苺を買いに行くと、マフムート(苺売りのおじさん)が荷造り用のテープで服に付いた犬の毛を取り除いていた。
何か動物を飼っているかと私に聞くので、日本に居た頃は犬を2匹飼っていたと返事をしたが、犬だけではなく、インコ(35羽)、チャボ(2羽)、ウサギ、熱帯魚、亀に加え、何とヤギまで飼っていた時があったことは、英語で説明するのが面倒なので言わなかった。
(農家に嫁いだわけではないのに、動物好きな連合いを持つと大変なことになる)

しばらく犬の話をしていたが、どこでどう話が変わったのか、料理の話題になり、マフムートが自分のランチだと言ってフェタチーズと、ピリ辛のオリーブを見せてくれた。
「食べてみる?」と聞かれると「うん」と言ってしまう私...
遠慮なくフェタチーズをつまみ、オリーブもつまみ、「オリーブは辛いから、これをちぎって一緒に食べた方がいいよ」と出してくれたピタパンもちぎって食べた(笑)

苺を買いに行って、他人のランチを味見するなんて想像だにしなかったことではあるが、外で食べる物はなぜこうも美味しく思えるのだろう。
フェタチーズなどは、以前イスラエリの友人の店を手伝った時にはあまりの臭さに閉口したものだが、恐る恐るつまんだこの写真のものは全く臭くなく、非常に美味しくて驚いたし、あまり好きではないオリーブも、このピリ辛のものは違和感なく食べられた。

私もスーパーマーケットで買ってこようと写真を撮らせてもらうと、「僕も撮っていいよ」と笑っているので、一応写真に収めて来たものの、持っていても何の意味も無いマフムートの写真... 
とても綺麗に歳を取ったというか、歳を重ねて増々いい顔になったに違いないと思える、とてもハンサムな彼は、写真写りも良く、気軽に自分の写真を撮ってもいいよと言えるのが羨ましい。私なんぞ、写真を撮られるのが恐ろしいと感じるほど、歳を取って見苦しい顔になっていると感じているのに、彫りの深いクッキリした顔立ちの彼らはいいよなぁと、平坦な顔の日本人に産まれてしまったことをつくづく残念に思った。


ランチで思い出したが...

私は古い日本人なので、連合いが仕事に出かける時にはいつもせっせとお弁当を作って持たせていた。
ただ、少しばかり変わったところがあって...

ある日お弁当を作りながら、どうもパッとしない彩りが気になってしまい、何か赤いものを入れなくちゃ... と冷蔵庫の中を探したのだが、あいにく赤系の食べ物が見つからず、考えた挙げ句に、赤い折り紙で海老を折ってサランラップに包み、彩りに入れておいたことがあった。
そんなものが入っているとは夢にも思わなかった連合いは、「今日は食えないものが入ってた」と笑いながら帰って来た。

懐かしい想い出である。




8.10.12

I'm so happy to see you again

午前中、用事があって Post Shop まで車を走らせ、帰りに家の近くの公園に差し掛かると、懐かしいブルーのタープを張ったバンが目に入った。

苺売りのおじさん(同い年だが)がまたこの公園に戻ってきたんだ。

私は何だか妙に嬉しくなって、公園の駐車場に入って行き、4ヶ月振りにトルコ語で挨拶をした。

「ずっと顔を見なかったけど、ここに来てた?」「長いことあなたの車を見てなかったから、どこか他の所に移っちゃったのかなとか、病気なのかなとか、まさか事故で入院してるとかじゃないだろうなとか、もしかして国に帰ってるのかなとか、色々考えちゃったよ」と矢継ぎ早に言うと、「冬の間は売るものがないから来なかったんだよ」と笑って返事をしてくれた。

昔からの知り合いに久々に会ったときのような、そんな会話だった。


以前のように苺を買って、さて代金を払いましょうとお財布を取り出すと...
ゲゲッ キャッシュを持っていない...

「今キャッシュを持っていないから、また後で買いに来ることにするよ」と彼に言うと、彼は笑顔で、「代金は今度の時でいいから、苺を持って行きな」と何度も言ってくれたので、それじゃ、明日お金を払いに来るねと言って、有り難く苺を受け取って帰って来た。

この世知辛い世の中に、名前も、電話番号も、住所も聞かず、ツケで買い物をさせてくれる商売人なんて、そう滅多にいるものじゃない。
あんな人のいい商売をしていて、あの人は本当にやっていけているのだろうか?

何はともあれ、そんな心温かいトルコのおじさんが、何事もなく元気に戻ってきてくれて、本当によかったと心底安堵した。

いつもそこに居るはずの人がある日突然姿を消してしまうということに、私は人一倍恐怖感を抱いているのだということを、今日改めて思い知った。



6.10.12

Unhappy anniversary

いまだに人を探している。

facebook にはその人からプレゼントされた物の写真を載せ、またある時はその人の使っていた仕事道具の一部を写真に撮って載せなどしながら、生きてどこかで私を見つけてくれるのを待っている。

みごとな細工のなされた銀のブローチは黒ずみ、万年筆はもう長い間使う事も無く皮のケースに入ったまま・・・

ブローチの黒ずみを取ることもせず、万年筆にインクを満たすこともなく、時が過ぎ去って行くのをこのままただぼんやりと眺めて一生を終えそうだ。


14年間、一同なんとか無事に過ごせたことを感謝しつつ・・・


3.10.12

続きはYouTube で...

邦題は「異邦人」。言わずと知れた Albert Camus の小説である。
小説が映画化されたもので、原作を超えるほどに良くできたものというのにはお目にかかったことが無いが、これも然りである。

私はただただ、小説に描かれていたアルジェリアの風景を見たいと思っただけ...




1.10.12

Moon Cake 2012 (月餅)


およそ世間の祭事には疎い我家ではあるが、NZに来てからというもの、幾度となく私の知人やら同居人の友達から中秋を祝う月餅を頂いているので、月餅は中秋を祝うお菓子だという認識はできた。

中国の月餅も中身はナッツが入っていたり、餡だけのものがあったりと色々あるようだが、一般的には卵黄が入っているものがより高級とされていると聞いたことがある。



この卵黄部分を食べてみると、ほんのり塩味で、少々オイリーなのにちょっとボソボソ感があるという、何とも表現し辛い独特の味わいで、私は平気だが、同居人は2人とも苦手なようだ。
しかも、ここ数年は卵黄が中に一つだけ入った月餅を頂いていたが、今年の頂き物月餅には二つも入っていたため、同居人は手が出ず...

う〜〜ん、この大きな月餅を一人で(4つとも)平らげるとなると、相当な日数が必要だな...  カロリーもきっとすごいだろうな...


ちなみに、月餅1個のサイズは、縦 7.5cm x 横 7.5cm x 厚み 3.5cm 。 で、重量は197gもあった。


30.9.12

Nespresso y ROSABAYA de Colombia

昨日、同居人は友達の引っ越しを手伝いに行き、友達はそのお礼にとランチをおごってくれた上に、これを「BBQグリルを買ったらオマケで付いてきたんだけど、よかったら使って」と言って持たせてくれたそうだ。
その友達の家ではもうずいぶん前からこのエスプレッソ・マシンを使っているので、2台も要らないからということらしいが、何とも気前のいい友達である。


この色分けされたカプセル一つ一つに違う風味の粉が入っていて、これをマシンに放り込んでボタンを押せば、一人分のエスプレッソが瞬時に出来上がる仕組みになっている。
決して経済的ではないかも知れないが、これまでのように粉をプレスして1人分(或は2人分)のコーヒーを入れてはスイッチを切って粉を入れ替え、使い終わったら粉を捨て... などという手間を考えたら、断然こちらの方がいいなと思えてきた。


昨夜飲んだのは FORTISSIO LUNGO と ROSABAYA de Colombia 。どちらもとても美味しかったが、コロンビアの香りを嗅いだ時、十数年前の記憶が蘇ってきて少し切なくなった。
コーヒー豆専門店で生豆を買い、自宅でローストし飲んでいたあの頃、私のお気に入りはまさしくコロンビアだった。


さて、今週末はどこで食事をしよう。
あれから14年も経ってしまったのだから、歳を取ったと感じるのも無理からぬことだなと、これを書きながらしみじみと思った。



28.9.12

福沢 諭吉



独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人に諂う(へつらう)ものなり。
常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、
その面の皮、鉄のごとくなりて、
恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、
人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。

・・・・・

目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、
立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、
その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。
実に無気無力の鉄面皮と言うべし。

・・・・・


学門のすすめ ー福沢諭吉ー より抜粋





人に依頼せず、人を恐れず、人に諂わず、
恥ずべきを恥じ、論ずべきを論じ、
人を見ても腰を屈せず、
目上の人でも構わず理屈を述べ、
立てと言われても立たず、舞えと言われても舞わず、
痩せ犬のように従順でもない私のような輩は、
この世では楽に生きられない。

この世は、更に一層、学問に秀でるよりも、
人に媚びる術を習得した者勝ちの世になったような、
そんな気がしてならない。





25.9.12

味わいのあるバゲット


歩いてほんの数分の所にあるライブラリの駐車場で、毎週土曜日の午前中のみ Farmer's Market が開かれている。
先週初めてその 朝市に行ってみた。

とてもこじんまりとした市で、出店数も多くなく、見るものもあまり無かったのだが、朝コーヒーを飲んだだけでぶらりと出掛けたので小腹が好き、2時間前に収穫したばかりだという苺と、パンを販売する stall (露店)からTurkish Bread とCiabatta を1本ずつ買って帰って来た。

買ってきたパンはどちらも不味くて食べられないというほどではなかったが、特に美味しくもなかった。

上の写真は先週私の家で焼いたバゲットなのだが、買ってきたパンとは比較にならないほどコクがあって美味しい。使用している粉の違いもあるだろうが、投入するイーストの量を極力減らし、醗酵に充分時間をかけるだけで、これほどまでに味が違うものができるのかと誰もが驚く仕上がりになる。

粉、塩、イースト、水だけで作るとてもシンプルなバゲット。
きちんと温度管理がなされ、醗酵によって風味が最大限に引き出されたバゲットはこの上なく美味しい。


21.9.12

行き先不明の郵便物とNZ POST

国内のオークションで落札したものが10日もかかってようやく届いた。

あまりに遅いので、出品者に「もう送ってくれましたか?まだ届いていないんですが、送ってくれてあったら日付をおしえてくださいな」と3日前emailで問い合わせると、先週の水曜日に送ったから、あと2日くらいしてもまだ届かないようだったらまた連絡して来てという返事が来た。


昨日ようやく届いた荷物には、RETURNED LETTER OFFICE NEW ZEALAND POST AUCKLANDというスタンプが押され、しっかりと住所が手書きされたポストショップの封筒が、差出人の書いた住所を隠す程度に折り畳まれて貼付けられていた。
こういうのを受け取るのは初めてだったので、貼付けられた封筒の下に一体何が書いてあるのか気になった。封筒を取り除いてみるとこんなものが貼付いていた。



宛先不明のため送り主に戻すよう指示がなされている。

送り主が書いた宛先を確認すると、我家の番地と判別するのは難しかろうと思える数字が書かれていて、間違ったアドレスに配達されそうになったというのが一瞬でわかった。なぜ「配達されそうになった」と表現したかというと、その間違えて書かれた(或はいいかげんに書かれた)番地にあるのはアパートで、個々のユニット番号が書かれていなければ配達しようがないからだ。配達員はさぞ戸惑ったことだろう。

配達不可能なその荷物を持ち帰ってオフィスに渡した・・・が、どこにも送り主のアドレスは書かれていない・・・郵便局としてはこういうのは本当に困るだろうね。

ここNZでは住民登録などというものはなく、運転免許証にさえ住所の印刷がなされていなくてもいい国なので、郵便局が住所とその住人とを照合するなどということは到底無理ではないかと思っていたが、どのようにして照合できたのかをよくよく考えてみたら、数ヶ月前に郵便局のオンライン・ストアーで送料込みの封筒を買った際に、住所と名前を登録してあったことを思い出した。もしかしたらそれが役に立ったのかも知れない。(それしか考えられない)

国民の多くが利用しているインターネット・オークション。荷物が届かないという苦情はよく耳にするし、その度に郵便局が矢面に立たされ、責任は全て郵便局にあると言わんばかりの書き込みだらけになってしまっているのが現状だが、私は今回の他にも似通った事例を経験し、幸いにも郵便局の尽力で、時間はかかっても無事荷物が届いているので、早計に郵便局を疑ってかかる気にはならなくなっている。

出品者へのフィードバックには、住所が間違っていたことに加え、NZ Postの尽力のおかげで幸運にも荷物を受け取ることができたことを書き記しておいた。

闇雲に誰かに責任を転嫁する人が少なくなるようにと思って。


18.9.12

The Best Voice Ever

カリフォルニアに住む中国人の友達と時々emailで熱く語り合うことがある。

彼女とはここに来たばかりの頃入った語学学校で知り合ったのだが、とても勉強家で、個性的で、入学当初は特に、他の人にはない非常に強い存在感が漂っていたのをよく覚えている。

『浮世離れした』という印象は、彼女を知るに連れ次第に薄くなっていったのだが、彼女はその風貌からは想像もつかないほど、細かい気配りの出来る優しい人だということがわかってきたのは、残念ながら私がその学校を去る日が目前に迫った頃だったので、朝から夕方近くまで一緒の教室にいても、さして親密な話をするわけでもなく、他のクラスメイトと何ら変わりない間柄でしかなかった。

私が卒業のスピーチをしている間、彼女は私の写真を撮っていてくれたのだが、彼女が泣きながら写真を撮っていてくれたことを他のクラスメイトから数ヶ月後に聞いた。

彼女が後に送ってくれたemailにはこう書いてあった。
「日本人が戦争時に中国に対して行った残虐行為がどれほど恐ろしいものだったかを、小さい頃から教え込まれて育ってきた私は、これまで日本人に対して強い嫌悪感しか抱いていなかったのだけれども、初めてここ(NZ)の空港に着いた時、何もわからなかった私に親切にしてくれたのは日本人だったし、一番心が通じると思ったのも日本人であるあなたでした。... 日本政府の決定が国民の本当の姿を反映していないということが、今になってようやくわかりました。いつかまたあなたに会える日が来ますように。」


語学学校卒業後すぐに私は一旦NZを離れ別の島(別の国)に行き、私がNZを離れている間に彼女は語学学校を卒業し、アメリカに渡ってしまっていた。

彼女との心の付き合いはもう9年にも及ぶ。非常に率直に意見を言い合える存在で、少し前には映画の話から宗教論にまで発展したのだが、その時点では話に決着がつかず、かなりの月日を経てから、「あなたの言うことが理解できるようになりました。」というemailが届いたりして面白い。


その彼女との最近のお題は『声』。

私は何故か人の声に関心がある。最近喋った人の中にとても優しい声をした人がいたので、それを同居人に話すと、確かにその人の声は優しい響きだけれども、特に気にしたことは無かったし、特別印象に残っているというわけでもないとあっさり片付けられた。
いや、私にとっても、全然印象に残らない声の人がほとんどなんだけどね... 

多分私は、そこまで優しい響きの声とか、物言いとかをする人にこれまで会っていなかったのだろうなと思った。
芯のしっかりした人だというのが手に取るようにわかるのに、声は限りなく優しい。他の誰とも違ったキラリと光るものを持っていて、風貌も明らかに表舞台に出る人のようであるのに、声に力強さを感じない。何故だろう... 


上記のカリフォルニアに住む友達は、少し前にとても魅力的な声の持ち主に出会ったと言っていた。私も2年前に、これまでの人生において最も魅力的だと思える声の持ち主とインターネット上で会話したことがあるのだが、その魅力的というのを具体的にどう説明したらいいのやら...

男らしい凛とした声。(ガラガラした)いがらっぽい声ではなく(笑)、透き通り過ぎてはいないが通る声。決して太い声ではない。... といくら頑張って書いても、到底文字では表すことができない。

あの声を越えるような、見事なまでに麗しい声の持ち主には、おそらくこの先出会うことはないだろうな...(個人の好みの問題以外の何ものでもないが(笑))

永久保存版として声を録音させてもらえばよかった...



15.9.12

付属品の品質に自信が持てないって...


来月あたりに産まれて来るであろう同居人の友達の子供の為に、生後3ヶ月児用の Overalls (Salopette) を作っておいた。春生まれの男の子用だ。
男の子だと聞いているが... 万一違った場合にはボタンの色を青から白に変えて、どこかにレースでも付ければいいか...

オムツ替えを簡単にするために股にはスナップを付け、背中にはアクセントにブランド・タグも付けておいた。(宣伝用とも言える(笑))

この股の部分の、打ち付けるタイプのスナップだが、やはりこちらではロクな物が手に入らなかった。品質が良いとはお世辞にも言えないのに、さして安くもない。はるか昔に使った"日本製"の信頼度の高さを改めて実感した次第である。

一応これでもかというくらい打ち付けてはおいたが、どれくらいの使用に耐えられるのか定かではない。
まぁこれは知り合いへのギフトなので、外れたらまた付け直してあげればいいのだが、もし仮に販売した場合は、「スナップの品質は保証しかねます」と断り書きを付けた方が親切なのかどうなのか迷うところだ。


少し前にインターネットで購入した極薄ボタンには参った。
これまで見たことも無い(ボタンの縁で手を切りそうなほど)薄いボタンを、そんなものがあるなどとは想像だにせず購入してしまったことがあるが、それはさすがに洋服(身に着けるもの)には使えず、一体何をどう考えてこの薄さにしたんだ?と疑問が残っただけだった。


頼むから、収益だけに囚われず、少しは品質にも注意を向けてくれと、声を大にして叫びたい今日この頃である。




7.9.12

楽園で...

このブログの最初の投稿は、ある知り合いの癌宣告のことについてだった。

その知り合いが、昨日の夕方5時頃、容態が急変して息を引き取ったとの知らせを受けた。


「今後とも息子をよろしくお願いします」と、我家の玄関先で深々と頭を下げて行かれた姿が目に焼き付いて離れない。あの時、こんなに早く別れの日が来ることを誰が想像できたろう。
初孫がもうすぐ産まれて来るというのに...


楽園は本当に来るのだろうか。

















4.9.12

present continuous

今朝目覚める前に夢を見た。
突然居なくなった人が戻ってきている夢だった。場所は今居る所(家は見たこともないような家だったが)で、登場人物は自分も含めて皆若かった。

私はその人に、これまで何処にいたのだ、あの時の状況はどんなだったんだと聞いていたが、返事を聞く前に夢から覚めてしまった。

夢っていったい何なんだ?


災害に遭ったり、遭難したりして、突然姿を消してしまった人の消息は一生つかめないまま終わることが多い。亡くなったという確かな証拠が無いというのは、ある時は慰めにもなり、またある時には堪え難い苦痛として精神を蝕むものともなる。

He is missing...

あの人の人生は永遠に現在進行形のままなんだ。
実際にこの世に存在していなくても。


30.8.12

持続力無し

朝目が覚めて、コーランの41,42章(と言うのか?)を読んだ。書かれていることの意味を深く考え、いつもしているように、はっきりさせたいと感じた項目を書き出した。いつか誰かに質問する機会もあろう。

その後は何をしていても集中できず...

子供服の布の裁断を始めても、一着裁断し終わる前に一休み。コーヒーを飲みながら本を読んだり、ネットで探しものをしたり、コーランの続きを読んでみたり... そしてまた布を裁断し始めるも、二着目の途中で集中力が切れ、今日の仕事は中途半端に終了。
明らかに落ち着きが無くなっている。


さて、夕食は何にしよう...

昨日はスパニッシュ(風?)白身魚と野菜のグリルがメインだったから、今日は肉料理かな...



28.8.12

ya rayeh

ある一人の青年と話をした。アラビック、フレンチ、英語を交えて。

見るからに聡明そうなその青年は、私が iPhone に入れて毎日のように聴いている(彼の故郷では最も有名であろう歌手の)曲を聴かせると、「この曲を聴いてみて」と、ちぎったメモ用紙に走り書きして渡してくれた。


これまでに幾度となく耳にしたことのある曲だったが、これまでは特に歌詞の意味を調べてみることも無かった。

その日、青年がどんな曲なのかを手短に説明してくれたので、家に戻って、どこかに歌詞と英語の翻訳が載っていないかと探し、ようやく、彼が言わんとしていることが見えたような気がした。

「コーランを読んだことある?」と聞かれたので、読んでいるところだと答えると、YouTubeで聴くといいよと言って名前を書いてくれたが、私は聴いても意味が分からない。私はアラビックから翻訳された英語と、それに加えてあまり正確ではないように思える日本語の翻訳を参考程度に横に並べて読んでいるのだ。

「意味が分からなくても、聴いているだけで心が落ち着くから」というので、そうかな?と思ってしばらく聴いてみたが... 何を喋っているのかわからないものを心地よいと感じることは、私には無理だと悟っただけだった。

不倫の歌を意味もわからず好きで歌っていた同居人のようにはなれない(笑)

私は歳をとって用心深くなり過ぎたのか、深く考え過ぎる性格が邪魔をしているのか、まぁ、どちらにしても、納得のできない段階で夢中になるという時期は、もうとうの昔に通り過ぎてしまっていることだけは確かだなと思いつつ、コーランを引き続きのんびりではあるが、じっくり、しっかり読んでいる。毎日ではなく、精神をそれに集中できる時だけ。



24.8.12

老人ホーム考

Albert Camus は著書『異邦人 The Stranger or The Outsider』の冒頭部分で、養老院のことについて触れている。
養老院で亡くなった母親の葬式に行った主人公が、養老院の院長と話をした場面だ。

彼(養老院の院長)は書類を見て、
「マダム・ムルソーは3年前にここに来られた。
あなたはそのたった一人のお身寄りでしたね」と言った。
何か私をとがめているのだと思い、事情を話し出したが、
彼は私をさえぎって、
「弁解なさることはありません。あなたのお母さんの書類を拝見しました。
あなたにはお母さんの要求をみたすことができなかったわけですね。
あの方には看護婦をつける必要があったのに、
あなたの給料はわずかでしたから。
でも結局のところ、ここにおられた方が、お母さんにもお幸せでしたろう」
「その通りです、院長さん」と私はいった。
「ここには同じ年配の方、お友だちもあったし。
そういう方たちと、古い昔の想い出ばなしをかわすこともできたし。
あなたはお若いから、あなたと一緒では、お母さんはお困りになったでしょう」
と院長は付け加えた。
それは事実だ。
家にいたとき、ママンは黙って私を見守ることに、時を過ごした。
養老院に来た最初の頃にはよく泣いた。が、それは習慣のせいだった。
数ヶ月たつと、今度はもしママンを養老院から連れ戻したなら、泣いたろう。
これもやっぱり習慣のせいだ。
最後の年に私がほとんど養老院へ出掛けずにいたというのも、こうしたわけからだ。
それに、また日曜日をふいにすることになるし、 
     バスに乗ったり、切符を買ったり、
二時間の道のりを行くことが面倒なせいもあったのだが。
ー小説『異邦人』より抜粋ー

日本ではどうだろう。いまだに老人ホームに親を入れるということに罪悪感を抱いたり、嫌悪感を示したりするのだろうかと、ふと思った。

Kiwi はほとんどの場合、子供は高校を卒業する頃になると親元を離れる。同じ市内に住んでいるのに、親と一緒には住まず、わざわざお金を出してアパートを借りたり、友達と部屋をシェアしたり、はたまた大学に通う場合は大学の寮に入ったりするのだ。目と鼻の先に実家があって、そこで身内と暮らすことに何の制限があるわけでもないのに、ほとんどの子はそうやって自活し始める。もちろん、親からの支援など無い子の方が圧倒的に多く、大学に通う場合でも、学費は子供が自分で学生ローンを申し込み、親が全額負担するなどということは無いのだ。
そんな環境であるから、老後は老人ホームに入居するというのは極自然の流れなのかも知れない。

老人ホームで同年代の仲間達と話をしたり、食事をしたり、趣味に興じたりして過ごす方が、日中誰も居ない家でひっそりと暮らすよりも確かに楽しいかも知れないなと思った。
特に連合いを亡くしているやもめにとっては。


3.11の震災後、被災した母親が遠くに住む息子夫婦の家に身を寄せたが、間もなくして息子夫婦が自分のことで口論をするようになり、(「お母さんをいつまで世話する気なの?」なんて囁かれているのを聞いたら、私でも居たたまれなくなる)その母親は僅かな荷物をまとめて、また不便で気の滅入る避難所に戻って行ったという記事を、同居人がインターネットのニュースで読んで怒り心頭に達していた。
震災に遭ったよりもそちらの方が惨かったろうなと、同居人にも容易に想像できたのだ。
その母親は、かわいそうに、自分のためにではなく、息子の為に身を引いたのだ。

上に書き写した『異邦人』の中にも、家にいたとき、ママンは黙って私を見守ることに、時を過ごした。とあるが、親というものは大抵の場合そのようにするものだ。(そうでない場合ももちろんあるが)

ここにおられた方が、お母さんにもお幸せでしたろう・・・

こちらのリタイアメント・ホームに暮らすお年寄りたちを見ていると、それぞれが家族に従属して生きるのではなく、"自分の人生"を生きているように見えて、いいなと思えてくる。
が、いいなと思えるのは、多分この国だからだろう。


既に老人ホームに入居可能な歳になっている一人暮らしの叔母にその話をすると、「私はまっぴらご免だね」とにべもなく否定された。

「影でコソコソ、コソコソ他人の悪口を言っては楽しんでいるようなのがウヨウヨしている中で、どうして楽しく暮らせようか・・・そんな所に入るくらいなら、ずっと独りで暮らしていた方がよほど平和に暮らせるよ」


もし、私も日本で一生を過ごさなければならなかったとしたら、やはり一人でいることを選択したことだろう。



崩れた巻き寿司を平気で売る店への箴言

ある日本人の経営する鮨屋の巻き鮨は、巻きはほどけているは、厚さは極端に違うは、海老フライのしっぽまで巻き込んであるは... とんでもなく不細工である。
スタッフが何人か居るのに、誰もまともに巻き寿司を巻けないで、よく鮨屋を経営していられるものだと感心してしまうほどだ。

おまけに店員の態度も、(ボスを見習っているのか)太々しさが漂う最低のレベル。

海外に住んでいると、『日本人は礼儀正しい』と耳にすることが度々あるが、決してそのような人ばかりではなく、前述のような店員&ボスを目にすると、ガッカリするのを通り越して苛立さえ覚え、思い出すのも悍ましい。

そんな、日本では絶対に受け入れられないだろう低レベルの鮨屋が、ここNZでは普通に営業していられるというのもすごい。下手をしたら、韓国人やら中国人の方がマトモな鮨を巻きそうだよと、本気で思ってしまった。

全くもって「情けない」ことである。


職人としてのプライドを持ち合わせていない"プロの職人"の作り出すものというのは、ただ『見苦しい』という一言に尽きる。


そういえば、こちらのとある日本人経営の丼屋の揚げ出し豆腐は饐えた味がして、一口食べた途端に吐きそうになったが、それは傷んでいたからではなく、「中国の豆腐を使っているので、そういう味」なんだそうだ。 自信を持って饐えた味の料理を出す店か... 
やれやれ...



19.8.12

アップリケの縫い付け方

便利な世の中になって、今じゃアップリケを手で縫い付けるなんてことはせず、アイロン接着シートやらテープやらで簡単に付けられるようになったらしい。

が... 手元にそういうものが無かったので、今回は縫い付けた。



手縫いの場合、裏側にあっちを向いたりこっちを向いたりしている糸が見えたのでは見苦しいので、後ろに渡った糸が極力見えないように配慮する。そう、布の縦糸/横糸のどちらでもいいが、1~2本をすくってまつり付けて行くのだ。
これはズボンとかスカートの裾をまつる時にも同じことで、表面に出る縫い目を最小限にとどめたい時に使う方法である。

このような地道な作業をしていたおかげで、今日は他に何もする気が起きず、1着仕上げただけで1日が終わってしまった。

***************

こちらは、先日コソボ出身のベンジーのパパが焼いてくれた Byrek というミートパイ。
同居人に「何の肉?」と聞いたら、「ビーフだと思うよ」と言っていたが、何か違う感じ...
ポークじゃないことだけは確かなのだが(笑)

Muslim はけっこう男性も料理をするんだよね。どこぞの国と大違いだ。



17.8.12

「えっ!そうだったの?!」




同居人が高校時代に好きでよく聞いていた曲。

10年以上も経った今になってようやく、『不倫の歌』だってわかったらしい。(笑)
しかも、私に指摘されるまで気付かなかった。(笑)


何だか聞いているうちに胸が悪くなってきた。


16.8.12

"そっち系"のパン

私の朝食はピタパンかベーグル。
別に"そっち系"の料理が好きだというわけではなく、どちらかというとそっち系には好んで食べたいとは思わない料理の方が多いような気がするが、どういうわけだかピタパンとベーグルだけは私の好みだ。

以前、"そっち系"の料理本を、出版社に勤めている日本人の知り合いから頂いたことがある(その他山のようなダメージ本と一緒に)。NZの書店では確か$80.00近い(或はそれ以上の)値段で売られていた豪華本だったが、掲載されている写真を見ただけで作る気が失せてしまったので、後日"そっち系"の知人に「これあげる」と差し上げた。
知人は、「ありがとう」と言って素直に受け取り、「でも何でくれるの?」と聞いて来た。私は素直に答えた。


「どれも不味そうなんだもん」

知人は呆れたような顔をしていたので、「私の感覚ではどう見ても美味しそうだとは思えないけど、あなたの感覚は違うと思ってさ...」とプレゼントの動機を話して聞かせた。
その後数回(偶然市内で)鉢合わせしたものの、その本の話題には触れていないので、その本のレシピがイケていたのかそうでなかったのか、全くわからないまま終わった。

まぁ、こんなに明け透けな会話をしていても、車ですれ違えば手を振り、顔を見ればわざわざ話をしにやって来るんだから、まだ嫌われてはいないってことかな。

ちなみに、彼のお母さんの作る Baklava は美味しかった。(けど、甘くて一度に全部食べきれなかった)





13.8.12

パン作りは面白い

気になっている本がある場合、私は必ずAmazonで review /rivjúː/レビュー リビュー)をチェックすることにしている。とりわけ、悪い評価をしっかり読む。当然のことながら、悪い評価をしている人の中には首を傾げたくなるような(あなたの方がおかしかったのでは?)というものも無きにしもあらずではあるが、右へ倣えの高評価の内容ばかり読んでいても本当のところが見えて来ないのも事実だ。

パン作りが面白くて、何冊も本を買った。

こちらでぶらりと入った書店の店頭に並んでいた『セール品』の中にパン作りの本を見つけ、ただ安かったからという理由で買ってしまったが、2度と作らないと思われるレシピのオンパレードだった。(私と同居人の口には合わなかったが、美味しいと思う人ももちろん居るだろう)


上の写真の右の本は、しっかりとAmazon.com でリビューを読んでから買った。この本の著者である Ciril Hitz の作るパンは群を抜いて美しい。年期が入っているからできるというのとは全く違う、天性の器用さというのがよくわかる。そして同時に、完璧主義であろうというのも伝わって来る(笑)

日本のアマゾンでも数えきれないほどのパン作りの本が出ているので、気になった本があったら、リビューをじっくり読んで、次に別にもっといい本が無いかどうかを検索してみるといい。

ちなみに、ここNZでは本の値段はべらぼうに高く、とてもじゃないが書店で本を買う気にはならない。しかも品薄。更に「ダメージの無い本なんてあるの?」と思ってしまうほど、新品の本がすり切れていたりするのである。
Amazon.comは確かに本が安い。キッチン用品などもかなり安く、私はよく利用している。そんなに安くはない送料+手数料を入れても、こちらの小売店で買うよりも遥かに安いのだ。




12.8.12

Merhaba!

ほぼ100%の確率で、初対面の日本人から英語で話し掛けられる私...

ある人は私をタイ人だと思ったと言い、ある人はベトナム人かと思ったと言い、中国人?と聞かれたことは数知れず... 韓国語で話し掛けて来たのは一人だけ(私、あまり韓国人っぽくはないようだ)フィリピン人とか、キウィ?(ニュージーランド人)とかもあった。
どこをどう間違えばキウィに見えるんだ?と、同居人とよく笑ったものだ。

数ヶ月前、たった一人だけ、私を最初から日本人だと確信して片言の日本語で話し掛けて来た人がいた。
彼は近所の公園に移動販売車を停め苺を売っていたトルコ人のロマンス・グレー(和製英語(笑))で、若い頃はさぞかしモテたであろうと思われる非常に端正な顔立ちをしていた。
... と過去形で書いたのは、ここ2ヶ月ほど彼はその公園に姿を見せておらず、もうここには来ないのではないか(もうこの先顔を見ることはないかも知れない)と感じているためなのだが... 私達くらいの歳になると(彼と私は同い年だ)、どこか他の場所で仕事を始めたのかな?と想像するよりも、病気で動けなくなっているんじゃなかろうか?と心配してしまう方が先になる。ましてや彼には世話をしてくれる子供が居ないと聞いている。

別にそんなに親しかったわけではないので、連絡先もわからず、ただ一時、時々トルコ語を教えてもらっただけの、ただの顔見知りでしかないが、我家のリビングから見える公園を見る度、「彼は元気にしているだろうか」ではなく、「大丈夫だろうか?」と不安になる。

またいつか、どこかで偶然出会うことがあったら、その時まで多分覚えているだろうトルコ語で挨拶しよう。

「メルハバ!」


8.8.12

Madeleine


(わざわざ買って食べる気がしない)超簡単なお菓子の定番、マドレーヌ。

いつもの倍の量で作ったら型が足りなくなったので、色んな形になったが... 味はどれも同じ。レーズン入りかそうでないかの違いだけ。

ハート形のまん中が膨らんでいるのは、あまり見た目がよろしくないね...


1.8.12

さすが、Lindt !

チョコレートのパッケージとしては少々違和感のある色使いに思える、Lindt の新商品(?)を、同居人が私の為に買って来てくれた。私が大のピスタチオ好きなため。


さすが Lindt 。こんなに美味しいチョコは始めてかも?と思えるほどの美味しさである。特別ピスタチオの風味がするというわけでもないのだが(笑)、中のホワイト アーモンド クリームと外のミルク チョコレートが絶妙にマッチして、「Lindt に間違いは無い」とお墨付きを付けられるものに仕上がっている。

でも、何故にピスタチオ?

多分、アーモンドでは味が強過ぎ、マカデミアナッツではもはや斬新さに欠け、ヘーゼルナッツではくどくなり過ぎたのかもしれない... などと勝手に想像しつつ味わっている。

30.7.12

I am sewing now


服を縫っている。今は自分の子供用にではなく、生きて行く為に。

某老舗デパートのオーダーメード服を作るこじんまりとした工房に、顔パスではなく『手パス』で採用された、輝かしい経歴を持つ私(笑)。年月を(かなり)経た今は、『昔取った杵柄』に加え、長年のグラスアートの仕事でパワーアップされた色彩感覚とバランス感覚が兼ね備わり、若い頃よりも歳をとった今の方が、明らかに斬新なデザインの物を作れるようになっている。

...が、しかし...、売れない。
私の作る服への注目度は徐々に上がって来てはいるが、国内の同業者の"もの凄いセンス"の服に完全に負けている。何が凄いか? 美術的にあり得ない色の組み合わせ、派手な、全く違う種類の柄物と柄物の組み合わせ、どう見てもおかしいだろうと思えるバランスの取り方、ウキまくっているボタンの色と形、etc, etc...

どんな服と合わせたらいいのかさっぱり見当がつかなくなるような、そんな服が(しかも、縫製も決して綺麗な仕上がりではない)飛ぶように売れているというのは、ただただ『個性的』だという理由以外にないような気がするのだが... ここの人は、日本人が見たら
    (゜口゜;)うっ・・・・・と言葉を失うような物の方が好きだということなのだろうか??? と、最近少々凹み気味になってきている私。


そんな中、オークションサイトに出品しているスカートに質問が来た。

「私はあなたの作る服がとても気に入ったので、ぜひ私の企画しようとしているウェブサイトで販売したいと思うのですが、取りあえず5~6着購入したら卸値で売ってくれますか?」

卸値って... ここ、工場じゃありませんが...
ここに載せている値段が既に卸値ですが... ここから更に値切ろうとするのですか(私の時給、今の時点で高校生のバイトの足下にも及んでいないのですが...)
しかも、まだ本当にできるかどうかもわからない、どんなコンセプトのものになるのか全くわからないウェブサイトに興味を持つほど、私子供じゃないし... (笑)

むかっ腹を立てながら、何と答えを書こうかと半日悩んだ。答えは考えるまでもなく NO に決まっているが、どう書いたら一般の人が読んで不快に感じることなく、笑って済ませられるかを考えていた。

そして、同居人の助言に従った。

「実際にウェブサイトの製作に着手し始めてからまた連絡してみてください。お問い合わせ、ありがとう。」

もしまた連絡が来た時には、こちらの"卸値"を伝えればいいだけだ。




29.7.12

The Best Bread Ever と名付けられたパン

1年前に日本の Amazon に注文して購入した中古本、The Best Bread Ever。


この本は1997年発行の初版のもの。紙の質は粗末であるし、カラー写真も数えるほどしかなく、現代の出版物と比較すると雲泥の差はあるものの、こと味に関して言えば、私はどのパン作りの本よりもこの本のレシピが好きだ。


特に The Best Bread Ever と名付けられたバゲットは、どこのベーカリーで買うよりも味わい深く、また Jewish Bread "Challah" は、 本物の Jewish が経営するベーカリーで買ったものよりも美味しくできる。(単に好みの問題かもしれないが...(笑))


使っている材料は至ってシンプル。
いつでも、食べたくなったら家で美味しいパンを作ることができるというのは嬉しいことだと、つくづく思った。



28.7.12

Colour Chart



NZで多分最大手の手芸材料店 SPOTLIGHT には、こんなに沢山の色の糸のストックは無い。ということは、国内の他の小売販売店に足を運んでも無駄だと思った方がいいということだ。

品質の良いものなのかどうかわからないが、色だけは揃っている(格安の糸を輸入している)業者から買うという選択肢しかないというのは、全くもって残念なことであるが... 取りあえず丈夫で、ミシンの針穴に引っかかるような凸凹のある糸でないことだけは確かめたので(次元が低い)、この取り寄せたカラーチャートの販売先に注文を入れることに決めた。

ちなみに、少し前にその SPOTLIGHT で購入したプラスチック製黒ボタンの詰め合わせは、触れると手が真っ黒になった。最終的に洗浄をしないで商品として出荷されたのだろうと思い、洗剤を入れた容器で浸け置き洗いの繰り返し... なんとか使用可能になったものの、製造業者の製品に対するあまりのプライドの無さに胸の悪くなるのを覚えた。

物が溢れかえるほど有る日本の生活に慣れてしまった人には、ここの生活はおそらくキツかろうな...

さて、何から始めよう...

Auckland, New Zealand の只今の時刻は午前0:37分。気温6℃... 寒い...

昨日の午後、次男の友人から電話が入り、お父様が癌に冒され、既に手の施しようもない状態にあることを知らされた。お父様は何度かこちらに遊びに来られたことがあり、その度に重たい手土産を持って我家に立ち寄ってくれ、一緒に食事をし、何時間も大笑いしながら話をしていたのを思い出して、「何てことだ...」と、ただただつぶやくことしかできなかった。

少し前、凍える夜に、i文庫で何十冊もの小説を読み漁っていた。
その中の一冊に、有島武郎の「運命と人」というのがあったのだが、そこに書かれていたことがふと頭の中に浮かんで、今夜それをもう一度読み返してしまった。

・・・人間と云はず、生物が地上生活を始めるや否や、一として死に脅迫されないものはない。我等の間に醗酵した凡ての哲学は、それが信仰の形式を取るにせよ、実証の形式を取るにせよ、凡て人の心が「死」に対して惹起した反応に過ぎない。
我等は我等が意識する以上に本能のどん底から死を恐れているのだ。運命の我等を将て行かうとする所に、必死な尻ごみをしているのだ。・・・

見たこともない『楽園』の存在を確信できる人は幸せだ。それを確信できない私は、昨日電話口で、その子が希望を持てるようなことを何一つ言ってあげられなかった。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...